━━━━☆☆☆☆━━━━━━━━━━━━━━ by paritosho ━
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☆☆ ☆☆『アセンション館通信』2012/5/06(第422号)
☆☆ ☆ ☆☆
☆☆ ☆★ 【気刊】――「私は在る」に導かれ♪――
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☆☆ ☆☆ https://www.ascensionkan.com/
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◇◇ このメルマガの趣旨 ◇◇
このメルマガはアセンション館主人 pari と称するあるパターンに
浮上している心象風景の報告です。
現象のなかに得るべき何ものもなく、探求するその人もいないこと
が納得されても、なおも惰性で書くことが起こっているようです。
内容は人畜無害、でも読む人は相当変わっていますね。現在 887名
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◇◇ もくじ ◇◇
1.あなたはすでにそれです
2.写経ニサルガダッタ:【26 人格、ひとつの障害】1回目
3.編集後記:祭りの賑わいも……すっかり収まっています
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■ 1.あなたはすでにそれです
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今日はこの連休中で……久しぶりの晴天です。
この日が晴れて……良かったです。
子供たちの数は少ないけれど……それでも楽しみにしている子もい
るだろうし。
昨夜は……ほんの少しですけど……花火も上がりました……。
ここにも……人間が生きている……という印でしょうか。
いつもこの日は……朝から……お祭りの太鼓が聞こえてきます。
川沿いに車が並んで……キラキラ光っている。
遠く向こうの方には……川を横断して……賑やかに……たくさんの
鯉のぼりが見えています。
毎年お昼頃には……地元出身のそれなりに全国区の歌手が来るので
……“追っかけ”とかいう人たちで……かなりの混雑になります。
現れの世界には……不可避的に……そういう地方性がありますよね。
顕現は……時空間に制限された……夢の世界ですから。
そこでは……物語も展開する……。
見ている者は……夢に覚めているなら……永遠でしょう。
でも……自ら夢にハマるなら……時空間に……絡めとられる。
そういうものですよね、うん。(-_-;)
(*^_^*)
さて、またまた一週間が過ぎて、楽しい“アセンション噺”ならぬ
“「私は在る」噺”にお付き合いいただく時間がまいりました。
『アセンション館通信』配達人の pari です。(^^)/
みなさま固有の「私は在る」の中で、いかがお過ごしでしょうか?
セイラー・ボブさんの……表現力……まさに奇跡的ですね。(-_-)
本当に……言葉を読んでいて……理解できないということがない。
あまりにも……単純な事実……。
それが事実であることが……わかるし……否定できない。
起こるべきことは……すでに起こっているのです。
そして……それは無論……空想上の“われわれ”の……努力の結果
などではない。(*-_-*)
だから……獲得すべきものなど……何もないのです。
ボブさんの『ただそれだけ』(http://tinyurl.com/7o89r5x)に、
「実際の生は、今ここにある」……という章があります。
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人は過去に生きることができるでしょうか?
実際、 一瞬前に生きることができる人が誰かいるでしょうか?
一瞬前に生きようとしてください。
五分前に生きようとしてください。
先週に生きようとしてください。
そんなことはもちろんできません。
五分前、先週、去年を思い出すことはできます。
しかし、その現実性は、今この瞬間、あなたが記憶の中で与えて
いるのです。
それを思い出し、想起しないかぎり、あなたは自分が五分前に何
をしたか、人に言うことはできません。
ですから、あなたは過去に生きるという望みはまったくないわけ
です。
過去は死んで、消えてしまったのです。
あるのは今だけです。
『ただそれだけ』(p214)
http://tinyurl.com/7o89r5x
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> あるのは今だけです。
こんな……当たり前のこと……。
それでも……われわれは……過去を参照し……未来を心配する。
あたかも……そのことによって……何かが……変わるかのように。
そして……そのように変わることが……望ましいかのように。
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未来についても同じことが言えます――未来を予想したり想像し
たりはできますが、未来に生きることはできるでしょうか?
できませんね。
予想したり、想像したりするのは、今この瞬間の現実の中だけで
のみ可能なのです。
ここが現実です。
常にこの瞬間の現実しかありません。
それ以外は作り話です。
『ただそれだけ』(p214-215)
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まったく……疑問の余地は……ありません。
過去に生きることもできなければ……未来に生きることもできない。
それにもかかわらず……記憶と想像のなかで……この身体のサバイ
バルを……図ろうとする……。(;_;)
そしてそれに疲れて……生きることの嫌悪感に……溺れてしまう。
そして……想像のなかで……天を恨む……。
「何故にすべては始まってしまったのか?」と……。(*-_-*)
でも……じつはそれは……生きていることの結果ではない。
なぜなら……、
> 私たちはたいていの場合、頭の中で、想像された昨日と明日の中
> で生きています。
というのを……否定できませんから。
> 頭の中の生を生きている間、見ること、聞くこと、味わうこと、
> 触ること、嗅ぐことがないがしろになっているからです。
確かに。
> 主な焦点は、考えることの中にあり、それゆえ私たちは完全には
> 生きていないのです。
間違いないです。(*-_-*)
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だからこそ、仏教経典にはこう書かれているのです。
「五感を広く開いて、完全に目覚めていよ。
五感を広く開き、聞くこと、見ること、味わうこと、触れるこ
と、嗅ぐこと、考えること――それぞれを分け隔てなく感受し、
今あるものと完全に共にあれ」。
経典はそれからこう続いています。
「執着なき心で完全に開いていよ。
生を排除するような考えや観念にしがみつくことなかれ」と。
こうした姿勢が生活にどのような違いをもたらすか、ためしてみ
てください。
『ただそれだけ』(p215-216)
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(-||-)
> 「執着なき心で完全に開いていよ。
> 生を排除するような考えや観念にしがみつくことなかれ」
かぁ……。
上のほうで……、
「起こるべきことは……すでに起こっている。
だから……獲得すべきものなど……何もない」
と……わかったようなことを書きました。
でも……現象として起こっていることを……本物だと思ったら……
これはやはり……執着は起こるしかない。
なぜなら……本物だと思うとは……起こっていることに……固有の
……つまり……個別の実体がある……と思うことだからです。
実際……現れは……たとえばこの身体は……あたかも個別の実体で
あるかのように……見えるし……感じられるわけですから。
この身体に……全体から分離した……実体があると思えば……これ
は……サバイバルを考えざるをえないでしょう。
この身体が……映画のなかの画像だと知っていたら……誰も……そ
の身体だけの……サバイバルなど……考えないでしょうけど。
そんなの無理だし……不要なことが……明々白々ですから。
要するに……現象として起こっていることが……本物だと思えば…
…過去と未来のなかに……迷うしかない……ということです。
では……現象として起こっていることは……すべて偽物なのか?
生きるためには……偽物だと言うしかない……でしょうね。
だって……本物だと思ったら……執着をもって……過去と未来のな
か……頭のなかの人生を……送るしかないわけですから。
マハルシにも……お口添えをいただきましょう。
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質問者 まだ完全に理解できたとは言えません。私たちがさまざ
まな方法で見、感じ、触れているこの世界はなにか夢の
ようなもの、幻想なのでしょうか?
マハルシ
もしあなたが真理を、ただ真理のみを求めるならば、世界を非実
在として受け入れる以外に方法はない。
質問者 なぜでしょうか?
マハルシ
その理由は明らかだ。
世界が実在だという考えをあなたが捨て去らないかぎり、あなた
の心はいつも世界を追い求めるからである。
存在するものは実在だけであるにもかかわらず、現れを実在と見
なせば、実在そのものを知ることはけっしてできないだろう。
このことが「ロープのなかの蛇」という類比によって説明されて
いる。
あなたは騙(だま)されて一本のロープを蛇だと信じこむかもし
れない。
そこに蛇を見ているかぎり、ロープを見ることはない。
あなたにとっては実在しない蛇が実在し、本物のロープがまった
く実在していないように見えるのである。
『あるがままに』(p327-328)
http://tinyurl.com/2aar6zj
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……。(-_-)
> 存在するものは実在だけであるにもかかわらず、現れを実在と見
> なせば、実在そのものを知ることはけっしてできないだろう。
(-||-)
ここに「存在するものは実在だけである」という表現があります。
ここで「実在」とは……何のことでしょうか?
マハルシのこれまでの用語法を見るかぎり……「実在」とは「真我」
のことであり……またそれは「覚醒」とも言われるようです。
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質問者 この覚醒とは何でしょうか? どのようにしてそれを得、
培うことができるのでしょうか?
マハルシ
あなたが覚醒なのだ。
覚醒とはあなたのもうひとつの名前だ。
あなたが覚醒なのだから、それを得たり、培ったりする必要はな
い。
あなたがしなければならないことは、真我でない他のものごとに
注意をはらうのをやめることだけだ。
もしそれらに気づくのをやめれば、純粋な覚醒だけが残る。
それが真我である。
『あるがままに』(p21)
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> あなたがしなければならないことは、真我でない他のものごとに
> 注意をはらうのをやめることだけだ。
(>_<)
メッセージは……かくのごとく……単純です。
> もしそれらに気づくのをやめれば、純粋な覚醒だけが残る。
> それが真我である。
(-||-)
とまあ……いうわけです。(*^_^*)
つまり……われわれは……覚醒であると……。
しかし……現れという夢に夢中になって……自分が覚醒していない
という思い込みを……後生大事に抱えているだけなのだ、と。
……。(-_-)
確かに……自分は覚醒していない……とは言えても……自分は覚醒
ではない……とは言えないような……。
自分の覚醒ではないにしても……自分が覚醒であることは……否定
できないでしょう。
覚醒しかないのなら……自分が覚醒だなどと……改めて言うことに
……意味があるのかどうか……。
すべては……対象世界のなかに……個別の実体が……在るのか……
ないのか……というところに……集約されてくるようです。
現象世界に……個別の実体がないのなら……それはまさに映画のよ
うなもの……単なる感覚的刺激にすぎないもの……でしょう。
存在するのは……見ているわたしだけ……覚醒だけです。
そのわたしに……求めて得られるものなど……あるはずがない。
ボブさんは……こう言います。
「思い出せるかぎりの昔から、ずっとあなたとともにあったものは
何でしょうか?
それは今ここであなたとともにあるのと同じ認識――認識の内容
ではなく、これやあれを知ることではなく、あなたが否定できな
い純粋な認識そのもの、ではないでしょうか?
(『ただそれだけ』(p226)
と。
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森羅万象の働きは休みなく起こり続けており、極と極の間を振動
しています。
パターンというものは、本質においては一つのものです。
あなたは熱を炎から分離できますか?
濡れていることを水から分離できますか?
この見かけ上の身体、このエネルギーのパターンを、それを形成
している空間、空気、水、火から分離できますか?
このことを是非とも理解してください。
それは依然として二番目のない一なるものです。
それでも、それは依然として分離した身体、分離した実体として
現れ続けるでしょう。
物事は依然として起こり続け、対立物のペアとして現れ続けます。
もしそれがなければ、世界には何も現れなかったことでしょう。
熟睡中の夢の中には、ありとあらゆる活動が現れてきます。
夢の中で、あなたは都会にいたり、田合にいたりします。
山頂にいたり大海原の上にいたりすることもありますし、他の人
たちが登場する場合もあります。
こうした活動はどこで起こっているのでしょうか?
それはどんな実質の中で起こっているのでしょうか?
非常にリアルで鮮明だった夢は、目が覚めた後、どこへ消えてし
まったのでしょうか?
それはどのくらい実質的で、現実だったのでしょうか?
悟りないし覚醒を求めていっても、獲得できるものは何もない、
と私たちが言うとき、私たちは正直にそう言っているのです。
何もない、のです。
理由は単純で、あなたはすでにそれであるからです。
あなたはそれなのです。
『ただそれだけ』(p226-227)
http://tinyurl.com/7o89r5x
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> 悟りないし覚醒を求めていっても、獲得できるものは何もない、
> と私たちが言うとき、私たちは正直にそう言っているのです。
わかります。
> 何もない、のです。
はい。
> 理由は単純で、あなたはすでにそれであるからです。
> あなたはそれなのです。
(-||-)
今回も……少しボブさんからの無断翻訳をご紹介しますね。
『Living Reality: My Extraordinary Summer With "Sailor" Bob
Adamson』(http://tinyurl.com/88zpf7p )
(『生きている実在:セイラー・ボブと過ごした途方もない夏』)
からの抽出翻訳です。
著者ジェームズ・ブラーハは……まだボブさんに会っていません。
これは……フロリダから……オーストラリアにかけた……初めての
電話の……会話の最後の部分です。
(文脈を知るため……前回の最後の部分と少し重複させます。)
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ジェームズ では、すべての浄化のためのテクニック、瞑想やヨ
ガといったすべては本当に必要がないのですか?
ボブ
ありません、どんな必要もありません。
もちろん、もしそれが起こるなら、それに何も間違ったことはあ
りません。
しかしそれらが生みだすのはすべて体験です。
それらはやってきて、そしてそれらは立ち去ります。
ジェームズ たしかに。
ボブ
いいですか、あなたが私に話しかけてから、その存在意識が変化
しましたか?
ジェームズ いいえ。
ボブ
思考が現れて、思考は消え去りました。
感覚は現れては消え去りました。
あなたは音を聞き、ものを見ました。
しかしここにある存在の気づきは、何にも汚されることなく、い
つも自然に存在するのではありませんか?
ジェームズ はい。
ボブ
そうなのです、それが、あなたであるものです。
マインドにとっては、それは「モノではないもの」です。
それに対する恐れや混乱が入り込むのは、マインドが慣れている
のが、なんらかのモノを把握することだからです。
マインド自体がモノなので、マインドはモノでないものを理解で
きません。
あなたは、それなのです。
ジェームズ あなたの先生のニサルガダッタは(著書『私は在る』
のなかの対話で)、よく「“私は在る”とともにいなさい」と言
っていました。
ボブ
ええ。
しかし注意してください。
彼が言ったのは「私は在る」という思考や言葉ではありません。
彼が意味したのはその存在の感覚、自分が在ると知っていること
です。
あなたは存在意識から離れることはできません。
ジェームズ はい、わかります。しかしアドヴァイタの教えのな
かにはある種のパラドックスがあるように思われます。というの
は、非二元とは一体性、文字通り「ニではない」を意味している
からです。そしてその意味は 何もすることはなく、どこも行く
べきところはないことを意味しています。しかしニサルガダッタ
は私たちが絶えず存在の感覚、「私は在る」にフォーカスするよ
うに教えていました。それは指示のように聞こえるのですが。
ボブ
その通りです。
しかしニサルガダッタが人生のあらゆる段階の人びと、あらゆる
異なるレベルの人びとに教えていたということを思い出してくだ
さい。
究極的にはいかなるレベルも存在しないわけですが。
なかには彼が伝えようとしていることの手がかりをもっていない
人びともいました。
ですから彼は異なる人びとに異なる話し方をしました。
彼は同胞であるインド人の多くを教えることができませんでした。
それは彼らが自分たちの宗教に夢中だったからです。
彼らには、ニサルガダッタは祈りと声明を唱え、そして帰したの
です。
ジェームズ では、それは単に存在しているということ、気づい
ているということなのですね。
ボブ
ええ、そしてそれは今、自然に、何の努力もなくあなたのところ
にあります。
あなたがそこに、自分のなかに、実際どんな自己中心も、どんな
参照点も存在しないことに気づいたら、そのとき、そこに何があ
るでしょうか?
ジェームズ すべてですか?
ボブ
空です。
そして生命のなかで起こっていることは、古の人びとが「認識す
る空」と呼ぶものです。
それは認識している空です。
認識するとは知的な要素であり、知ることです――自分が在ると
知っていることです。
ですから「知性エネルギー」とは二つのものではありません。
それは空を認識している空であり、すべてはその上に現れ、そこ
から消え去るのです。
無から何かが出現することはありえません。
万物は空のなかに現れています。
ですから本質的にはその見かけも空でなければなりません。
言い換えるなら、すべての顕現とは見かけにすぎないのです。
ジェームズ ええ、それについては読んだことがあって、わかり
ます。蒸し返すつもりはないのですが、ただ自分が
正しく理解しているか確認したいのです。この光明
とか、解放とか、自己実現というのは本当に理解に
関することなのですか?
ボブ
そうです。
ニサルガダッタが言ったように、「理解がすべて」です。
必要なことは理解しかありません。
古の賢者パタンジャリが何と言ったか調べてください。
彼は「正しい理解」について語りました。
つまり、それが彼の強調したことでした。
原注:非二元論の論客のなかには「知ること」という言葉を好む
人がいるのは、「理解すること」という言葉が無意識のう
ちに、理解する人がいるという観念を暗示するからです。
ただマインドが自分ではないということを忘れないことです。
マインドは単なる翻訳者です。
幼児のとき、論理的思考が始まる以前は、あなたは何の努力もな
く、その自然状態から機能していました。
何のラベル貼りもそこには起こっていませんでした。
あなたはその自然な状態のなかにいました。
あなたは見ていました。
聞いていました。
そしてそこに「私」がいることを知りませんでした。
それは論理的思考が始まったのちに現れたものです。
それ以降は、すべて後天的マインドです。
すべてはそれ以降に学習されたものです。
しかし自然状態は今もなお機能しているのです。
今もなおあなたの心臓を鼓動させ、あなたの指の爪を成長させ、
あなたが食べた物を消化し、あなたの思考を起こらせています。
ですから、その自然状態は今も機能しているのですが、ただそれ
は見かけ上、後天的獲得材料によって曇らされています。
その獲得された材料は雲のようなのものです。
それは見かけ上その自然状態を邪魔しています。
私たちの焦点はそのマインドの作り物のなかに入り、それを繰り
返し、それを信じ、習慣的パターンを形成します。
そして、私たちが一時停止して、何が起こったのかを質問しない
かぎり、そのような状態をつづけます。
しかしあなたは、その自然状態が今もそこにあり、またつねにあ
ったことを、理解するに違いありません。
ジェームズ 質問しているのは私たちなのですか? その思考が
ただ私たちのマインドに入ってくるだけなのでは?
ですよね?
ボブ
そのとおりです。
何かをするのは私たちではありません。
それはあなたの頭から追い出してください。
それは二番目のない一なるものです。
それこそが、これの単純さです。
古の人びとは時代を通じてずっと、私たちにそれが非二元だと、
二番目のない一なるものだと言ってきました。
ゾクチェン(「ゾグシェン」と発音される)仏教では、それは
「非概念的で、つねに新鮮な、自ら輝く存在の気づき、ただこれ
であり、それ以外ではないもの」と説明されています。
イスラエルの人たちは「聞け、オー、イスラエル、主なるわが神、
主は一つなり」と言います。
ジェームズ それで、私の想念はどこから来るのでしょうか?
ボブ
それらはその認識する空からやってきます。
それらはその空のなかに現れるエネルギーの振動パターンにほか
なりません。
ジェームズ そして私たちはこれとは何の関係もないのですか?
ボブ
ありません、その「私たち」という考えそのものが空のなかに現
れているもう一つの波動パターンにすぎません。
本質においては、その思考は空と同じものです。
それもまた、その一なるものです。
ですから、何ひとつ起こってはいないのです!
それが起こる相手も、誰もいません!
『Living Reality』(p15-18)
http://tinyurl.com/88zpf7p
------------------------------------------------------------
(-||-)
> ジェームズ そして私たちはこれとは何の関係もないのですか?
>
> ボブ
> ありません、その「私たち」という考えそのものが空のなかに現
> れているもう一つの波動パターンにすぎません。
確かに……。
> 本質においては、その思考は空と同じものです。
> それもまた、その一なるものです。
……。(-_-)
------------------------------------------------------------
永久的なもの、それはあなた自身の存在である。
真我として在りなさい。
それが至福である。
あなたはいつもそれなのである。
『あるがままに』(p58)
http://tinyurl.com/2aar6zj
------------------------------------------------------------
……。(-_-)
ありがとうございました。<(_ _)>
(-||-)
今日はこんなところで。
……。
m(_ _)m
━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━
■ 2.写経ニサルガダッタ:【26 人格、ひとつの障害】1回目
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体験に意味をもたらす人格……。
その人格から……脱却する以外に……自由への道はない。
マハラジは言います。
> 人格とは記憶によって組み立てられ、欲望によって喚起されるた
> だの習慣だということを見抜かないかぎり、あなたは自分自身を、
> 生き、感じ、考え、行動的あるいは受動的で、喜ばされ、苦しめ
> られる個人だと考えるだろう。
はい……。(-_-)
> あなた自身に尋ねなさい。
> 「本当にそれはそうなのか?」「私は誰なのか?」「これらすべ
> ての背後とその彼方には何があるのか?」と。
(-||-)
では【26 人格、ひとつの障害】1回目です。
(いつものことながら、無断引用というよりは、無料宣伝と理解さ
れることを願っています。(-||-) )
最初に通しで写経するので、それを読んでいただければいいです。
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質問者 私が見るには、世界はヨーガの学校であり、人生そのも
のがヨーガの修練です。誰もが完成を求めて闘っていま
す。ヨーガもまた戦いにほかなりません。いわゆる「一
般」の人びとと彼らの「一般」の人生は、何も卑しいも
のではありません。彼らもヨーギと同じように厳しい努
力をし、苦しみます。ただ彼らは真の目的を知らないだ
けなのです。
マハラジ
いったいあなたの言う一般の人びとがどのようにヨーギなのかね?
質問者 彼らの究極的目標は同じです。ヨーギが放棄(ティアー
ガ)によって確保するものを、一般の人びとは体験(ボ
ーガ)によって実現するのです。ボーガの道は無意識で、
それゆえ反復し、長引きます。一方ヨーギの道は熟考さ
れ、強烈で、それゆえより迅速なのです。
マハラジ
おそらくヨーギの期間とボーギの期間は交替するのだろう。
まずボーギ、ヨーギ、そしてまたボーギ、ふたたびヨーギと。
質問者 その目的は何なのでしょうか?
マハラジ
弱い欲望は内省と瞑想によって取り除かれる。
しかし、強く、深く根づいた欲望は満たされ、その結果は甘かろ
うと苦かろうと体験されなければならない。
質問者 それでは、なぜ私たちはヨーギに敬意を払い、ボーギを
軽んじるのでしょうか? ある意味では誰もがヨーギな
のです。
マハラジ
人間的な価値の尺度では、意図的な努力は賞賛されるものと考え
られている。
実際には、ヨーギもボーギも機会と環境に合わせ、彼らの本質に
したがっているのだ。
ヨーギの人生はひとつの欲望、真実を見いだすことに支配されて
いる。
ボーギはたくさんのマスターに仕えている。
しかし、ボーギはヨーギとなり、ヨーギはひと巡りしてボーギと
なるかもしれない。
最終的な結果は同じだ。
質問者 意識における完全な逆転と変容である悟りがあるという
話を聞くことは、途方もなく重要なことだと仏陀が言わ
れた、と伝えられています。この良き知らせは船荷の綿
に火がつくことに匹敵します。ゆっくりと、しかし容赦
なくそのすべては灰になるのです。同じように、悟りの
良き知らせが遅かれ早かれ変容をもたらすでしょう。
マハラジ
そうだ。
まず聞くこと(シュラヴァナ)、覚えること(スマラナ)、そし
て熟考すること(マナーナ)など、私たちにはなじみ深い分野だ。
知らせを耳にした人がヨーギとなる。
残りの人たちはボーガを続けるのだ。
質問者 しかし、川が大量の水を集めることで海への道を見いだ
すように、死ぬために生まれ、生まれるために死ぬとい
う世間的な平凡な人生を生きることは、その生きた総量
によって、人を前進させるということに、あなたは同意
しましたよ。
マハラジ
世界が存在する以前に、意識は存在していた。
意識のなかに世界は存在を顕し、意識のなかで世界は維持され、
純粋な意識のなかに世界は消え去る。
すべての根底には、「私は在る」という感覚があるのだ。
「世界は在る」はマインドの状態であり、二次的なことだ。
なぜなら、私は存在するために世界を必要とせず、世界が私を必
要とするからだ。
質問者 生きようとする欲望は途方もないものです。
マハラジ
それよりも偉大なのは、生きようとする衝動からの自由だ。
質問者 石の自由ですか?
マハラジ
そう、石の自由、そしてより以上のものがそこにはある。
限りなき自由と意識だ。
質問者 体験を積むには人格が要求されるのでしょうか?
マハラジ
今のあなたのままでは、人格はただの障害にすぎない。
身体との自己同一化は幼児にとってはいいかもしれないが、真の
成長は身体との自己同一化を離れることにあるのだ。
通常、人は人生の初期に身体的な欲望から成長し、脱却するもの
だ。
快楽を否定しないボーギでさえも、ひとたび味わったものを熱望
したりはしない。
習慣と欲望の反復はヨーギとボーギをともに挫折させる。
質問者 なぜあなたは個人(ヴィヤクティ)を重要ではないとし
て退けつづけるのでしょうか? 人格は私たちの存在に
とって根本的な事実です。それは人生の舞台全体を占め
るものです。
マハラジ
人格とは記憶によって組み立てられ、欲望によって喚起されるた
だの習慣だということを見抜かないかぎり、あなたは自分自身を、
生き、感じ、考え、行動的あるいは受動的で、喜ばされ、苦しめ
られる個人だと考えるだろう。
あなた自身に尋ねなさい。
「本当にそれはそうなのか?」「私は誰なのか?」「これらすべ
ての背後とその彼方には何があるのか?」と。
そうすれば、すぐに自分の過ちを見いだすだろう。
見られることによって消え去るということが過ちの本性なのだ。
『私は在る』(p115-117)
http://tinyurl.com/s747u
------------------------------------------------------------
(-||-)
> 質問者 私が見るには、世界はヨーガの学校であり、人生そのも
> のがヨーガの修練です。誰もが完成を求めて闘っていま
> す。ヨーガもまた戦いにほかなりません。いわゆる「一
> 般」の人びとと彼らの「一般」の人生は、何も卑しいも
> のではありません。彼らもヨーギと同じように厳しい努
> 力をし、苦しみます。ただ彼らは真の目的を知らないだ
> けなのです。
ふ。
やっぱり……これでは苦しいばかりですね。
こんな話を聞かされると……いったい何のために……そんな世界が
必要なのかと……思ってしまう。(^^;)
> マハラジ
> いったいあなたの言う一般の人びとがどのようにヨーギなのかね?
>
> 質問者 彼らの究極的目標は同じです。ヨーギが放棄(ティアー
> ガ)によって確保するものを、一般の人びとは体験(ボ
> ーガ)によって実現するのです。ボーガの道は無意識で、
> それゆえ反復し、長引きます。一方ヨーギの道は熟考さ
> れ、強烈で、それゆえより迅速なのです。
なるほど。
> マハラジ
> おそらくヨーギの期間とボーギの期間は交替するのだろう。
> まずボーギ、ヨーギ、そしてまたボーギ、ふたたびヨーギと。
ふーん。
> 質問者 その目的は何なのでしょうか?
うん。
> マハラジ
> 弱い欲望は内省と瞑想によって取り除かれる。
はい。
> しかし、強く、深く根づいた欲望は満たされ、その結果は甘かろ
> うと苦かろうと体験されなければならない。
そういうことか……。(-_-;)
> 質問者 それでは、なぜ私たちはヨーギに敬意を払い、ボーギを
> 軽んじるのでしょうか? ある意味では誰もがヨーギな
> のです。
ふふ。
> マハラジ
> 人間的な価値の尺度では、意図的な努力は賞賛されるものと考え
> られている。
はい。
> 実際には、ヨーギもボーギも機会と環境に合わせ、彼らの本質に
> したがっているのだ。
確かに。
> ヨーギの人生はひとつの欲望、真実を見いだすことに支配されて
> いる。
はい。
> ボーギはたくさんのマスターに仕えている。
欲望の数だけの……マスターがいるわけですね。
> しかし、ボーギはヨーギとなり、ヨーギはひと巡りしてボーギと
> なるかもしれない。
なんと。(@_@)
> 最終的な結果は同じだ。
便宜的な分類がどうであれ……結局……すべては一つですものね。
> 質問者 意識における完全な逆転と変容である悟りがあるという
> 話を聞くことは、途方もなく重要なことだと仏陀が言わ
> れた、と伝えられています。この良き知らせは船荷の綿
> に火がつくことに匹敵します。ゆっくりと、しかし容赦
> なくそのすべては灰になるのです。同じように、悟りの
> 良き知らせが遅かれ早かれ変容をもたらすでしょう。
うん。
> マハラジ
> そうだ。
> まず聞くこと(シュラヴァナ)、覚えること(スマラナ)、そし
> て熟考すること(マナーナ)など、私たちにはなじみ深い分野だ。
はい。
> 知らせを耳にした人がヨーギとなる。
> 残りの人たちはボーガを続けるのだ。
了解です。
> 質問者 しかし、川が大量の水を集めることで海への道を見いだ
> すように、死ぬために生まれ、生まれるために死ぬとい
> う世間的な平凡な人生を生きることは、その生きた総量
> によって、人を前進させるということに、あなたは同意
> しましたよ。
へー。
> マハラジ
> 世界が存在する以前に、意識は存在していた。
(-_-)0
> 意識のなかに世界は存在を顕し、意識のなかで世界は維持され、
> 純粋な意識のなかに世界は消え去る。
「純粋な意識のなかに世界は消え去る」……。(-_-)
> すべての根底には、「私は在る」という感覚があるのだ。
意識の根底に……「私は在る」という感覚がある。
> 「世界は在る」はマインドの状態であり、二次的なことだ。
はい。
> なぜなら、私は存在するために世界を必要とせず、世界が私を必
> 要とするからだ。
わかります。
> 質問者 生きようとする欲望は途方もないものです。
確かに。
> マハラジ
> それよりも偉大なのは、生きようとする衝動からの自由だ。
恐怖からの自由……と言ってもいいのかしら?
> 質問者 石の自由ですか?
ふーん……そういう表現があるんだ。
> マハラジ
> そう、石の自由、そしてより以上のものがそこにはある。
(-_-)?
> 限りなき自由と意識だ。
おお。
> 質問者 体験を積むには人格が要求されるのでしょうか?
そう……人格がなくなれば……体験することに……意味はなくなる
かもなぁ。
> マハラジ
> 今のあなたのままでは、人格はただの障害にすぎない。
はい……それはよくわかります。
> 身体との自己同一化は幼児にとってはいいかもしれないが、真の
> 成長は身体との自己同一化を離れることにあるのだ。
「真の成長は身体との自己同一化を離れることにある」……。
はい。
> 通常、人は人生の初期に身体的な欲望から成長し、脱却するもの
> だ。
(@_@)
ここは……英文はどうなっているのかしら。
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Normally, one should out-grow body-based desire early in
life.
『I AM THAT』(p98)
http://tinyurl.com/24va8fq
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ははあ……。
「本来なら、人は人生の初期に身体的な欲望から成長して脱却すべ
きなのだ」
というような……ニュアンスか……。
> 快楽を否定しないボーギでさえも、ひとたび味わったものを熱望
> したりはしない。
なるほど。
繰り返し同じ罠にはまる……中毒というのも……あるけれど。
> 習慣と欲望の反復はヨーギとボーギをともに挫折させる。
確かに。(*-_-*)
> 質問者 なぜあなたは個人(ヴィヤクティ)を重要ではないとし
> て退けつづけるのでしょうか? 人格は私たちの存在に
> とって根本的な事実です。それは人生の舞台全体を占め
> るものです。
それが苦しくなければ……それでもいいわけだけど。
> マハラジ
> 人格とは記憶によって組み立てられ、欲望によって喚起されるた
> だの習慣だということを見抜かないかぎり、あなたは自分自身を、
> 生き、感じ、考え、行動的あるいは受動的で、喜ばされ、苦しめ
> られる個人だと考えるだろう。
それは……そのとおりです。
「人格とは記憶によって組み立てられ、欲望によって喚起されるた
だの習慣……」
まさに。
> あなた自身に尋ねなさい。
> 「本当にそれはそうなのか?」「私は誰なのか?」「これらすべ
> ての背後とその彼方には何があるのか?」と。
はい。
この苦しみから抜けでることは……本当にできないのか?、と。
> そうすれば、すぐに自分の過ちを見いだすだろう。
もちろん。
> 見られることによって消え去るということが過ちの本性なのだ。
わかりました。
(-||-)
……。(-_-)
ありがとうございました……。<(_ _)>
(-||-)
今日の写経は、ここまでです。
m(_ _)m
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■ 3.編集後記:祭りの賑わいも……すっかり収まっています
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祭りの賑わいも……すっかり収まっています。
今日は……夕方がほどよい涼しさ。
もう日が暮れて久しい。
<(_ _)>
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■ 【作者】 『アセンション資料館』主人 pari
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→ メール: pariアットマークjk2.so-net.ne.jp
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