home > 通信 > 『アセンション館通信』第423号:想像以外は何も困難をもたらせない



━━━━☆☆☆☆━━━━━━━━━━━━━━ by paritosho ━
  ☆☆   ☆☆ 
 ☆☆     ☆☆『アセンション館通信』2012/5/13(第423号)
☆☆   ☆   ☆☆
☆☆      ☆★ 【気刊】――「私は在る」に導かれ♪――
-☆☆---------☆☆------------------------------------------
 ☆☆   ☆☆          https://www.ascensionkan.com/
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◇◇ このメルマガの趣旨 ◇◇

このメルマガはアセンション館主人 pari と称するあるパターンに
浮上している心象風景の報告です。

現象のなかに得るべき何ものもなく、探求するその人もいないこと
が納得されても、なおも惰性で書くことが起こっているようです。

内容は人畜無害、でも読む人は相当変わっていますね。現在 885名
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◇◇ もくじ ◇◇

1.想像以外は何も困難をもたらせない

2.写経ニサルガダッタ:【26 人格、ひとつの障害】2回目

3.編集後記:自分ではない者のふりをするのは……
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■ 1.想像以外は何も困難をもたらせない
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このあたりの山では……ひところ杉の植林が……流行ったそうです。

それで……植林できるかぎりの範囲に……杉の木(黒木とも呼ばれ
る)が……植林されています。

岩盤が硬くて……植林できないところには……元々の広葉樹が残っ
ています。

でも……結局……輸入材との価格競争に負けて……日本の杉の木は
……建築材としては……あまり用いられなかったようです。

その後……杉林はあまり間伐もされなくて……だいぶ山が荒れてい
ます。

だから……まるで絆創膏を貼られたように……山が黒木と広葉樹で
……まだらになっているんですよね。

それが……紅葉の季節などには……いまいちだなぁ……というふう
に感じられます。

ところがこのところ……何となく広葉樹の範囲が……広がってきて
いるような気がします。

特に若葉の季節には……それが顕著に感じられます。

曇天に光が射すと……突然……目前の山に若葉が盛り上がるんです
よね。(-_-)

(*^_^*)

さて、またまた一週間が過ぎて、楽しい“アセンション噺”ならぬ
“「私は在る」噺”にお付き合いいただく時間がまいりました。

『アセンション館通信』配達人の pari です。(^^)/

みなさま固有の「私は在る」の中で、いかがお過ごしでしょうか?

「私は在る」というのは……裸の事実のことだったんですね。

ただ「在る」ものが……「私」……。

そして……それが……すべての顕現を……可能にしていた。

存在するのは「私」だけ……それ以外は何も存在していなかった。

個々の存在物と見えているものには……何の実体もなかった。

ただ見かけとして……現れているだけ……。

だから……物語は……想像のなかにだけ……あったんですね。

想像とは……まさに創造のことでした。

新たな物語を……紡ぐ営為のことでしょうから。

「私」は……物語を……紡がない……。

物語を……紡がないのが……「私」だから。

「私」とは……「在る」こと……以外ではないから。

想像ではなく……真実のみを求めるなら……それが……必然的結論
なのでしょう。

マハルシの言葉を……何度も何度も……反芻します。

------------------------------------------------------------
 質問者 まだ完全に理解できたとは言えません。私たちがさまざ
     まな方法で見、感じ、触れているこの世界はなにか夢の
     ようなもの、幻想なのでしょうか?
 
 マハルシ
 もしあなたが真理を、ただ真理のみを求めるならば、世界を非実
 在として受け入れる以外に方法はない。
 
 質問者 なぜでしょうか?
 
 マハルシ
 その理由は明らかだ。
 世界が実在だという考えをあなたが捨て去らないかぎり、あなた
 の心はいつも世界を追い求めるからである。
 存在するものは実在だけであるにもかかわらず、現れを実在と見
 なせば、実在そのものを知ることはけっしてできないだろう。
 このことが「ロープのなかの蛇」という類比によって説明されて
 いる。
 あなたは騙(だま)されて一本のロープを蛇だと信じこむかもし
 れない。
 そこに蛇を見ているかぎり、ロープを見ることはない。
 あなたにとっては実在しない蛇が実在し、本物のロープがまった
 く実在していないように見えるのである。
 
                 『あるがままに』(p327-328)
                 http://tinyurl.com/2aar6zj
------------------------------------------------------------

覚者の言葉というものは……じつに……確固としたものですね。

> もしあなたが真理を、ただ真理のみを求めるならば、世界を非実
> 在として受け入れる以外に方法はない。

……。(-_-)

なぜなら……、

> 世界が実在だという考えをあなたが捨て去らないかぎり、あなた
> の心はいつも世界を追い求めるからである。

そして……、

> 存在するものは実在だけであるにもかかわらず、現れを実在と見
> なせば、実在そのものを知ることはけっしてできないだろう。

と……。

迷いや苦しみ……つかの間の喜びも……すべては想像のなかに……
空想された個人が紡ぐ……仮りそめの物語のなかに……あった。

その虚構の物語では……楽しめなくなったというのなら……入って
きたのと同じ道を通って……そこから出るしかないようです。

すべての意識の諸相への……エネルギーは……自分が注いでいた。

架空の物語を……想像することのなかで……生を楽しんでいた。

そのような人生が……ただただ苦痛になったというのなら……その
想像を……やめるしかない。

そして……真実とともに……生きるしかない。

------------------------------------------------------------
 ひとたびあなたの想像以外は何も困難をもたらすことができない、
 と絶対の確信を持って知るなら、あなたは欲望や恐れ、概念や見
 解に注意を払わず、真実とともにのみ生きるだろう。
 
                     『私は在る』(p131)
                  http://tinyurl.com/s747u
------------------------------------------------------------

ただ……見かけのなかで……他者を想像(=創造)し……そのなか
で……責任転嫁のゲームを……演じていただけだった。

そこに……責められるべき者など……誰もいなかった。

なぜなら……そこに個人など……存在していなかったから。

この有機体をつうじて……表現される意識の諸相を……自分という
架空の参照点を核にして……記憶のなかに堆積しただけ。

その自分という……人造真珠の“核”そのものが……一瞬浮上した
……想念にすぎなかった。

それは……何度も繰り返し……教育され……反復され……学習され
……習得されて……虚構の実体を獲得した。

世界の……そして社会の……構成員となって……虚構の物語の……
一隅を担うために。

創造の大宇宙全体が……そのことに協力していたから。

でももし……どうしても……そこが居心地が悪い……というのなら
……世界自体は……逃れられない……運命ではない。

運命とは……単に……物語のなかにあるもの……そして物語は……
現れのなかに……変化のなかに……あるにすぎない。

すべての現れは……実在の前に……崩壊する。

------------------------------------------------------------
 雲が太陽に影響を与えることなく太陽を覆(おお)い隠してしま
 うように、見せかけは実在を破壊することなしに実在を隠してし
 まう。
 実在の破壊という観念自体、道理に合わない。
 破壊者はつねに破壊されたものよりもリアルなのだ。
 実在は究極の破壊者だ。
 すべての分離、あらゆる疎遠や疎外は偽りだ。
 すべてはひとつだ――これがあらゆる衝突の最終的な解決法なの
 だ。
                     『私は在る』(p222)
------------------------------------------------------------

> 実在は究極の破壊者だ。

……。(-_-)

> すべての分離、あらゆる疎遠や疎外は偽りだ。

はい。(-_-)

> すべてはひとつだ――これがあらゆる衝突の最終的な解決法なの
> だ。

わかります。(-||-)

自分という……人造真珠の“核”そのものが……一瞬浮上した……
想念にすぎなかった。

絶えず参照されることで……それは個人という……人造真珠の核と
なって……物語を支えた。

だから……あらゆる物語は……文字どおりの物語……つまりは虚構
にすぎなかった。

どんなに物語を堆積しても……結局は……何の実体もない……つか
の間の想念の……積み重ねでしかない。

それは……検証には……耐えられない。

ただ……参照点から眺められた風景で……物語を空想しただけ。

善も悪も……勝者も敗者も……自分も他人も……ただ参照点という
……ある観測地点からの……仮りそめの光景にすぎない。

この物語が……永続しないのは……いいことだ。

もしこの光景に……飽きたのなら……その観測小屋の……閉鎖時期
が……迫っているのかもしれない。

それならば……小屋をたたむ……準備をしなければならない。

帰還の道とは……知覚の対象を……すべて想像として見ること。

浮上する心象を……仮りそめの光景……過ぎゆく情緒として……つ
まりは……自分ではないものとして……眺めること。

------------------------------------------------------------
 あなたのマインドの鏡のなかで、イメージが現れては消えていく。
 鏡はそのままだ。
 すべての相違は現れのなかにだけあり、実際はひとつなのだと悟
 るまで、可動のものから不動のものを、変化するもののなかから
 不変のものを識別することを学びなさい。
 神、ブラフマン、母体(プラクリティ)、名前はともかく、この
 基本的なアイデンティティだけが、すべてはひとつだという真我
 の実現なのだ。
                     『私は在る』(p514)
------------------------------------------------------------

すべての相違は……現れのなかにだけある……。(-_-)

変化するもののなかから……不変のものを識別する……。

……。

------------------------------------------------------------
 質問者 あなたは完全な受動性を指示されるのでしょうか?
 
 マハラジ
 明晰性(めいせきせい)と慈愛が行為なのだ。
 愛がたゆむことはない、明晰性が導いていく。
 あなたが行為について心配する必要はない。
 マインドとハートの面倒を見るがいい。
 愚かさと利己主義が唯一の悪なのだ。
                     『私は在る』(p514)
------------------------------------------------------------

(-_-)

> 明晰性(めいせきせい)と慈愛が行為なのだ。

(@_@)

> あなたが行為について心配する必要はない。

(-||-)

今回も……少しボブさんからの無断翻訳をご紹介しますね。

『Living Reality: My Extraordinary Summer With "Sailor" Bob
 Adamson』(http://tinyurl.com/88zpf7p )
(『生きている実在:セイラー・ボブと過ごした途方もない夏』)
からの抽出翻訳です。

著者ジェームズ・ブラーハは……まだボブさんに会っていません。

これは……フロリダから……オーストラリアにかけた……二回目の
電話の……会話の最初の部分です。

------------------------------------------------------------
 セーラボブとの二回目の電話
 
 ボブ
 それで、どんな具合ですか?
 
 ジェームズ そうですね、非二元論の本を読むと、私は自分なり
       によくわかった気がして気分が良くなります。しか
       しその後で偽りの参照点―「自分」―が消えただろ
       うかと問いはじめるのです。これが大問題です。
 
 ボブ
 あなたはそれを調べて、それが本当にはそこにないことを理解し
 ましたか?
 
 ジェームズ はい。
 
 ボブ
 それは単なる思いつき、または観念にすぎません。
 
 ジェームズ はい、それは完全にひとつの観念です。そして私が
       そのことを言っているときは、すべて非常に明瞭で
       す。しかしそれから、たとえば、ある日疲れて目が
       覚めると、ある恐怖が起こりはじめるのです。そし
       て「どうして私は恐怖を感じるのか?」と自問しま
       す。するとその解答は、自分が恐怖をもつのは自分
       が分離していると感じているから、自分が個人のよ
       うに感じて、特定の問題をもっていると感るからだ、
       ということがわかります。
 
 ボブ
 自分が個人ではないとわかったら、あなたはその思考を捨てます
 か?
 一度それがわかったら、その思考を捨てることが修練というか、
 マインドを通じて自然に起こる習慣です。
 あなたは理解しているのです、問題を抱えるのは自分が分離した
 個人だと考えるからだということを。
 それが問題を引き起こすものです。
 
 ジェームズ ええ、それはわかっています。
 
 ボブ
 あなたは本当に分離はないのだということを明確に理解していま
 すか?
 
 ジェームズ はい、しかしそこにじつに強い問題という感じがあ
       るのです…。つまり、それを分析して「自分」とい
       うのが偽りであると理解はできるのですが、しかし
       個人だという非常に強い条件づけがあります。
       実際、痛みや心理的な問題がそれほど強烈でなけれ
       ば、何が原因かを理解するのは簡単ですし、それで
       消えることもあるのですが。
 
 ボブ
 いいですか、あなたは今見えていますね?
 
 ジェームズ はい。
 
 ボブ
 あなたはたった今、存在していることに気づいていますね?
 
 ジェームズ はい。
 
 ボブ
 存在意識がそこにありますね?
 あなたはそれを否定できません。
 
 ジェームズ そのとおりです。
 
 ボブ
 あなたは自分が存在していると知っていることを否定できません。
 
 ジェームズ 確かに。
 
 ボブ
 では、それがわかるために、あなたは何かをしなければなりませ
 んでしたか?
 
 ジェームズ 何もありません。
 
 ボブ
 では、それは自然発生的なものですか?
 
 ジェームズ 完全にそうです。
 
 ボブ
 それは自然な気づきです。
 あなたがまわりを見回すと、周囲のものが見えていますね?
 
 ジェームズ はい。
 
 ボブ
 電話で私の声が聞こえていますね?
 
 ジェームズ はい。
 
 ボブ
 そのすべては自然発生的です。
 それについて考える必要はありません。
 あなたは自然に聞こえており、見えており、考えており、その他
 のことをしています。
 それはすべて自然に起こっています。
 
 ジェームズ そのとおりです。
 
 ボブ
 では、その気づきとそのなかにある現れの間に何か分離がありま
 すか?
 
 ジェームズ いいえ。
 
 ボブ
 すると、これらのものは意識とは別の何かとして現れていても、
 それらをそれぞれの本質に分解すれば、あらゆるものの本質は自
 然発生的な存在以外の何ものでもないこと、無時間の、自発的な
 今であることがわかります。
 
 ジェームズ はい。
 
 ボブ
 ですから、それらの想念があれやこれとして現れるときでさえ、
 それらをその本質で見るのです。
 それらがどんなふうに現れようとも、それらの本質はやはりそれ
 でしかありません。
 
 それなら、もしあなたが何かを良いとか悪いとか、あるいはつら
 いとか嬉しいとか感じても、注意深く見るなら、それらがその本
 質においては等しいことがわかるでしょう。
 それらはまったく同等なのです。
 
 ジェームズ はい。
 
 ボブ
 ところで、もし何かが等しいとしたら、そのどこかに執着するこ
 とができますか?
 
 ジェームズ できません。
 
 ボブ
 そのとおりです。
 
 ジェームズ では、もし苦痛とか何か感情的な苦しみがそこにあ
 っても、為すべき最善のことはただそれとともにいて、それをた
 だ今起こっているものとして考えればいいのですね。
 
 ボブ
 そうです。
 それが今起こり続けていることなのです。
 純粋な存在意識です。
 あなたがそれに執着しなければ、そしてその痛みを何かの参照点
 に関係づけないかぎり、たとえば、それを、あれやこれやその他
 のものとして判断しはじめないかぎりは……。
 
 ジェームズ それがそれを問題に仕立てるものなのですね?
 
 ボブ
 ええ、そしてその参照点が本質的に無効であるのは、それが過去
 の出来事や状況に基づくものだからです。
 それは死んだものです。
 あなたは現実のものを、自然な存在を、死んだ記憶やイメージで
 評価しようとしているのです。
 
 その他のどこから、その「痛み」という言葉を手に入れられます
 か?
 その感覚はそこにあるにしても、しかしどこからあなたはそれに
 「痛み」というラベルを貼ったのですか?
 何か昔の経験から、あなたはそれを痛みと呼んだのです。
 
 もしあなたが今この瞬間に生まれたのなら、快楽や痛みやその他
 のものを知っているでしょうか?
 それらの感覚はそこにあるでしょうが、しかしあなたはそれにラ
 ベルを貼ることはしないでしょう。
 私たちは二歳頃からの人生の過程で、これらのラベルを手に入れ
 てきたのです。
 
 ジェームズ ではネガティブな、つまり困難な感覚に痛みという
 ラベルを貼るのは、間違っているのですか?
 
 ボブ
 ええ、観念やアイディアがすべて偽りなのは、それらが概念上の
 ものだからです。
 しかし、だからと言って、そういうものはなくなるべきだという
 ことではありません。
 あなたはそれらの観念が単なるラベルだと理解します。
 しかし、本質において、すべては同じものなのです。
 すべては本質において、存在意識です。
 そのため、すべては再び包括的なものになります。
 こういう言葉そのものが、それです。
 あなたが抱えているその感覚は、それです。
 その痛みは、それです。
 すべては、それです。
                  『Living Reality』(p31-33)
                 http://tinyurl.com/88zpf7p
------------------------------------------------------------

ふーむ。

> 観念やアイディアがすべて偽りなのは、それらが概念上のものだ
> からです。

概念上のものとは……実際には存在しない……ラベルということか。

> しかし、だからと言って、そういうものはなくなるべきだという
> ことではありません。

(@_@)

> あなたはそれらの観念が単なるラベルだと理解します。

はい。

> しかし、本質において、すべては同じものなのです。

うーむ。

> すべては本質において、存在意識です。

そうかぁ。

……。(-_-)

------------------------------------------------------------
 永久的なもの、それはあなた自身の存在である。
 真我として在りなさい。
 それが至福である。
 あなたはいつもそれなのである。
                    『あるがままに』(p58)
                 http://tinyurl.com/2aar6zj
------------------------------------------------------------

……。(-_-)

ありがとうございました。<(_ _)>

(-||-)

今日はこんなところで。

……。

m(_ _)m


━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━
■ 2.写経ニサルガダッタ:【26 人格、ひとつの障害】2回目
━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━

今回の質問者は……ここでマハラジから……あまり他では聞けない
……言葉を引き出しています。

ほら……、

> 暖かさには接触が必要だ。
> 存在の統合の上に愛の統合がある。
> 愛が二元性の意味と目的なのだ。

こんな言葉を……マハラジから聞くなんて。

不思議な感じでしょ。(^_-)

では【26 人格、ひとつの障害】2回目です。

(いつものことながら、無断引用というよりは、無料宣伝と理解さ
 れることを願っています。(-||-) )

最初に通しで写経するので、それを読んでいただければいいです。

------------------------------------------------------------
 質問者 生きることの、生命そのもののヨーガは、いわゆる自然
     のヨーガ(ニサルガ・ヨーガ)と呼ばれるものです。そ
     れはマインドと生命の結婚として、『リグ・ヴェーダ』
     のなかの原初のヨーガ(アディ・ヨーガ)に記述されて
     いるものを思い出させます。
 
 マハラジ
 注意深く、完全な気づきのなかで生きられた生は、それ自体ニサ
 ルガ・ヨーガだ。
 
 質問者 マインドと生命の結婚とはどういう意味なのでしょうか?
 
 マハラジ
 自発的な気づきに生きること、努力のいらない生の意識、己の生
 に完全な興味を抱くこと――これらがみなそれに暗示される。
 
 質問者 ラーマクリシュナ・パラマハンサの妻であるサーラダー
     ・デーヴィは、彼の弟子たちの行き過ぎの努力をよく叱
     ったそうです。彼女は、彼らを熟する前に摘み取られた
     マンゴーに比較して、「どうして急ぐの? あなたが完
     全に熟し、甘く、芳醇になるまで待ちなさい」とよく言
     ったそうです。
 
 マハラジ
 何と彼女は正しいことか!
 多くの者たちが、完全な真我実現前のつかの間の体験で夜明けを
 昼と間違え、過剰な自尊心から彼の得たわずかばかりでさえも台
 無しにしているのだ。
 謙遜と沈黙は、どんなに進歩していてもサーダカ(真我の探求者)
 にとって本質的なものだ。
 完全に成熟したジニャーニ(賢者)だけが、己に完全な自発性の
 発揮を許すことができるのだ。
 
 質問者 あるヨーガのアーシュラムでは弟子が光明を得た後、沈
     黙を七年、十二年、あるいは十五年、または二十五年に
     わたってまでも守っていくといいます。バガヴァーン・
     シュリー・ラマナ・マハルシでさえも教えはじめる前に、
     彼自身二十年もの沈黙を守ったのです。
 
 マハラジ
 そうだ。
 内なる果実は熟さねばならない。
 それまでは戒律を守り、気づきのなかに生きることは必須となる。
 徐々に修練はより微妙になっていき、最後にはまったく形のない
 ものとなる。
 
 質問者 クリシュナムルティも気づきのなかに生きることを語っ
     ています。
 
 マハラジ
 彼はつねに究極を直指している。
 そうだ。
 あなたの言うとおり、究極的にはすべてのヨーガは意識(花嫁)
 と生命(花婿)の結婚であるアディ・ヨーガに行き着く。
 存在と意識(サット-チット)は至福(アーナンダ)のなかで出
 会うのだ。
 なぜなら、至福が現れるにはそこに出会いが、接触が、二元性の
 なかでの統合の主張がなければならないからだ。
 
 質問者 ニルヴァーナ(涅槃)を達成するには、人は生きている
     存在へと進まなければならない、と仏陀もまた言ってい
     ます。意識は成長のために生命が必要なのです。
 
 マハラジ
 世界そのものが接触だ。
 世界はすべての接触の全体が意識のなかで実現されたものなのだ。
 魂が物質に触れて意識が起こる。
 この意識が記憶と期待に汚されるとき、束縛となる。
 純粋な体験は束縛しない。
 体験が欲望と恐れに捕らえられて不純になり、カルマをつくり出
 すのだ。
 
 質問者 統合のなかでの幸福がありえるのでしょうか? すべて
     の幸福は必然的に接触を暗示します。それゆえ、二元性
     を生みだすのではないでしょうか?
 
 マハラジ
 葛藤をつくり出さないかぎり、二元性には何の問題もない。
 争いのない多様性と多彩性は喜びだ。
 純粋な意識のなかには光が在る。
 暖かさには接触が必要だ。
 存在の統合の上に愛の統合がある。
 愛が二元性の意味と目的なのだ。
 
 質問者 私は養子です。実の父を私は知りません。私の母は、私
     が生まれたときに亡くなりました。子供ができなかった
     私の養母を喜ばせるために、養父が私を養子にしたので
     す。ほとんど偶然の出来事です。彼は純朴な人で、トラ
     ックの所有者であり運転手です。母は主婦をしています。
     私は今二十四歳で、この二年半の間、落ち着かず、探し
     求めながら旅をしてきました。私は良き人生、神聖な人
     生を送りたいのです。どうしたらいいでしょうか?
 
 マハラジ
 家に帰って父親の仕事を引き継ぎ、年老いた両親の面倒を見なさ
 い。
 あなたを待っているだろう女性と結婚し、誠実に、純朴に、謙虚
 に在りなさい。
 あなたの徳を隠し、静かに生きるがいい。
 五感と三つの質(グナ)があなたにとってヨーガの修練の八段階
 だ。
 そして「私は在る」が偉大な真言(マハー・ヴァーキャー)だ。
 あなたに必要なことはすべて、これから学ぶことができる。
 注意深く在り、絶え間なく探求しなさい。
 それだけだ。
                   『私は在る』(p117-119)
                  http://tinyurl.com/s747u
------------------------------------------------------------

(-||-)

> 質問者 生きることの、生命そのもののヨーガは、いわゆる自然
>     のヨーガ(ニサルガ・ヨーガ)と呼ばれるものです。そ
>     れはマインドと生命の結婚として、『リグ・ヴェーダ』
>     のなかの原初のヨーガ(アディ・ヨーガ)に記述されて
>     いるものを思い出させます。

自然のヨーガ……マインドと生命の結婚ですか……。

> マハラジ
> 注意深く、完全な気づきのなかで生きられた生は、それ自体ニサ
> ルガ・ヨーガだ。

「注意深く、完全な気づきのなかで生きられた生」……。

> 質問者 マインドと生命の結婚とはどういう意味なのでしょうか?

確かに……どういう意味なのか……聞きたいですね。

> マハラジ
> 自発的な気づきに生きること、努力のいらない生の意識、己の生
> に完全な興味を抱くこと――これらがみなそれに暗示される。

「自発的な気づきに生きること」……。

「努力のいらない生の意識」……。

「己の生に完全な興味を抱くこと」……。

へー……「努力のいらない生の意識」と……「己の生に完全な興味
を抱くこと」が……同じものを……意味しているんだ。(-_-)

> 質問者 ラーマクリシュナ・パラマハンサの妻であるサーラダー
>     ・デーヴィは、彼の弟子たちの行き過ぎの努力をよく叱
>     ったそうです。彼女は、彼らを熟する前に摘み取られた
>     マンゴーに比較して、「どうして急ぐの? あなたが完
>     全に熟し、甘く、芳醇になるまで待ちなさい」とよく言
>     ったそうです。

なるほどなぁ……。

> マハラジ
> 何と彼女は正しいことか!

(-_-)

> 多くの者たちが、完全な真我実現前のつかの間の体験で夜明けを
> 昼と間違え、過剰な自尊心から彼の得たわずかばかりでさえも台
> 無しにしているのだ。

……。

> 謙遜と沈黙は、どんなに進歩していてもサーダカ(真我の探求者)
> にとって本質的なものだ。

(*-_-*)

> 完全に成熟したジニャーニ(賢者)だけが、己に完全な自発性の
> 発揮を許すことができるのだ。

(-_-)

> 質問者 あるヨーガのアーシュラムでは弟子が光明を得た後、沈
>     黙を七年、十二年、あるいは十五年、または二十五年に
>     わたってまでも守っていくといいます。バガヴァーン・
>     シュリー・ラマナ・マハルシでさえも教えはじめる前に、
>     彼自身二十年もの沈黙を守ったのです。

うん。

> マハラジ
> そうだ。
> 内なる果実は熟さねばならない。

(-_-)

> それまでは戒律を守り、気づきのなかに生きることは必須となる。

マハラジは……こういう表現を……することもある。

> 徐々に修練はより微妙になっていき、最後にはまったく形のない
> ものとなる。

はい。

> 質問者 クリシュナムルティも気づきのなかに生きることを語っ
>     ています。

うん。

> マハラジ
> 彼はつねに究極を直指している。

はい。

> そうだ。
> あなたの言うとおり、究極的にはすべてのヨーガは意識(花嫁)
> と生命(花婿)の結婚であるアディ・ヨーガに行き着く。

(@_@)

> 存在と意識(サット−チット)は至福(アーナンダ)のなかで出
> 会うのだ。

「サット−チット−アーナンダ」には……そういう含意が……あっ
たのか……。

> なぜなら、至福が現れるにはそこに出会いが、接触が、二元性の
> なかでの統合の主張がなければならないからだ。

なるほど。

「至福」が……「現れる」には……「至福」が……「意識」になる
ことが……必要になるわけだ。

> 質問者 ニルヴァーナ(涅槃)を達成するには、人は生きている
>     存在へと進まなければならない、と仏陀もまた言ってい
>     ます。意識は成長のために生命が必要なのです。

へー……この人……言うなぁ。

> マハラジ
> 世界そのものが接触だ。

そうとも言えるわけか……。

> 世界はすべての接触の全体が意識のなかで実現されたものなのだ。

ふーん。

> 魂が物質に触れて意識が起こる。

(@_@)

> この意識が記憶と期待に汚されるとき、束縛となる。

なるほど。

> 純粋な体験は束縛しない。

ほう。

> 体験が欲望と恐れに捕らえられて不純になり、カルマをつくり出
> すのだ。

なんと。(>_<)

> 質問者 統合のなかでの幸福がありえるのでしょうか? すべて
>     の幸福は必然的に接触を暗示します。それゆえ、二元性
>     を生みだすのではないでしょうか?

この方……ずいぶんな理論派だなぁ。

> マハラジ
> 葛藤をつくり出さないかぎり、二元性には何の問題もない。

満潮に……引き潮がしたがうこと自体には……何の問題もない。

> 争いのない多様性と多彩性は喜びだ。

多様性自体を……嫌悪してしまうのは……“羹に懲りて膾を吹く”
……というやつだなぁ。(*-_-*)

> 純粋な意識のなかには光が在る。

たとえ……それが空無の暗闇であっても……そこには光が在る。

> 暖かさには接触が必要だ。

暖かさには……そう……確かに……二極の接触が……必要かも。

> 存在の統合の上に愛の統合がある。

「存在の統合」って……何のことだろう……また……「愛の統合」
って……何のことだろう。

> 愛が二元性の意味と目的なのだ。

「愛」が……「二元性の意味と目的」……。(@_@)

ふーん……。(-_-)

今日は……マハラジは……ずいぶん変わったことを……言うなぁ。

相手があっての……ことだろうけど……。

> 質問者 私は養子です。実の父を私は知りません。私の母は、私
>     が生まれたときに亡くなりました。子供ができなかった
>     私の養母を喜ばせるために、養父が私を養子にしたので
>     す。ほとんど偶然の出来事です。彼は純朴な人で、トラ
>     ックの所有者であり運転手です。母は主婦をしています。
>     私は今二十四歳で、この二年半の間、落ち着かず、探し
>     求めながら旅をしてきました。私は良き人生、神聖な人
>     生を送りたいのです。どうしたらいいでしょうか?

なるほど。

この方は……マハラジに……こういうことを言わせる……波動をも
った……人なんだ。

二十四歳……若さの絶頂だものなぁ……。

> マハラジ
> 家に帰って父親の仕事を引き継ぎ、年老いた両親の面倒を見なさ
> い。

ふーん。

> あなたを待っているだろう女性と結婚し、誠実に、純朴に、謙虚
> に在りなさい。

なるほど。

> あなたの徳を隠し、静かに生きるがいい。

この人の旅は……ここで終わったかも。

> 五感と三つの質(グナ)があなたにとってヨーガの修練の八段階
> だ。

インドの人かしら。

> そして「私は在る」が偉大な真言(マハー・ヴァーキャー)だ。

それだけが……唯一の真実なのだから。

> あなたに必要なことはすべて、これから学ぶことができる。

うん。

> 注意深く在り、絶え間なく探求しなさい。

若い人への……餞(はなむけ)の言葉だ。

> それだけだ。

はい。

(-||-)

……。(-_-)

ありがとうございました……。<(_ _)>

(-||-)

今日の写経は、ここまでです。

m(_ _)m


       ………○…………○…………○………


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■ 3.編集後記:自分ではない者のふりをするのは……
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心が動くのは……仕方ありません……。

でも……動くもののなかに……安らぎはないですね。

ニサルガダッタの写真集が……出ましたね。

『The Wisdom-Teachings of Nisargadatta Maharaj: A Visual Journey』
(http://tinyurl.com/7eabqv3)といいます。

その中扉に……マハラジのこんな言葉が載っています。

         Don't pretend to be what 
           you are not, don't
              refuse to be
               what you
                 are.
         ―Nisargadatta Maharaj

「自分ではない者のふりをするのはやめなさい。
 自分である者で在ることを拒否してはいけない」
                   ニサルガダッタ・マハラジ

今日も……遅くなりました……。

おやすみなさい。

<(_ _)>


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■ 【作者】 『アセンション資料館』主人 pari
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