home > 通信 > 『アセンション館通信』第425号:自己の存在を疑わないかぎり



━━━━☆☆☆☆━━━━━━━━━━━━━━ by paritosho ━
  ☆☆   ☆☆ 
 ☆☆     ☆☆『アセンション館通信』2012/5/27(第425号)
☆☆   ☆   ☆☆
☆☆      ☆★ 【気刊】――「私は在る」に導かれ♪――
-☆☆---------☆☆------------------------------------------
 ☆☆   ☆☆          https://www.ascensionkan.com/
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◇◇ このメルマガの趣旨 ◇◇

このメルマガはアセンション館主人 pari と称するあるパターンに
浮上している心象風景の報告です。

現象のなかに得るべき何ものもなく、探求するその人もいないこと
が納得されても、なおも惰性で書くことが起こっているようです。

内容は人畜無害、でも読む人は相当変わっていますね。現在 885名
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◇◇ もくじ ◇◇

1.自己の存在を疑わないかぎり

2.写経ニサルガダッタ:【50 自己覚醒が観照者だ】の1回目

3.編集後記:意見がなくなっていくのは……
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■ 1.自己の存在を疑わないかぎり
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目の前の庭で……カラフルな風車が……激しく回っています。

六色の……丸い羽を六枚つけた……風車です。

ちょっと……カラーローズふうな色と形……。

庭木の枝先も揺れているし……二、三十本見えているマーガレット
も……陽気に揺れています。

でも……何しろ……風車が……激しく回転しています。

なかなか綺麗で……見飽きない。

ご苦労さま……。

結構……人間みたいに……自分が頑張っている……つもりだったり
して……。

それほど……バカじゃないか。(^_-)

母が使っていた部屋が空いたので……書斎にしました。

それで……これまでとちょっと……見える風景が変わりました。

人生で初めて……自分の書斎というのを……もった。

自分なんて者はいないけど……そういう画面に……なりました。

あ……回ってる回ってる……。

頑張っとる……。

ふ。

(*^_^*)

さて、またまた一週間が過ぎて、楽しい“アセンション噺”ならぬ
“「私は在る」噺”にお付き合いいただく時間がまいりました。

『アセンション館通信』配達人の pari です。(^^)/

みなさま固有の「私は在る」の中で、いかがお過ごしでしょうか?

関係のなかに入ることが……人生に入るということ。

関係のなかに入るとは……他者がいる世界に……入るということ。

つまりは……分離幻想のなかに……入るということ。

言葉を換えて言うなら……現実のなかに……入るということ。

もちろん……虚構の……仮想現実のなかに……。

これで……ドラマの登場人物となる資格が調い……物語を紡ぐ権利
が得られます。

しかし……やがていつかは……息苦しくなる。

でももうその頃には……ドラマに絡め取られて……そこからの抜け
だし方がわからない。

物語を紡ぐのは……権利どころか……抜けられない義務です。

やたらに……“他者”に責任転嫁して……あがきにあがく……。

求道とか……探求とか……言って。

でも……そういうことをしている……実体が……いるわけじゃ……
ありませんでした。

そういうことが……起こっているだけです……。

そういう……ウルトラハイヴィジョン映像と……心象が……投影さ
れ……誰かがそれに……見入っていただけ。

そうとわかれば……もう……そんなに真面目には……見られません。

真面目な……自己同化エネルギーは……投入されなくなります。

とは言え……そういうことを理解した……誰かがいる……というわ
けでもなさそうです……。

ただ……自然に……そういう流れに……入っただけです……。

------------------------------------------------------------
 真理の証拠は聞き手への影響のなかにあるのだ。
 
 影響がかならずしも体験である必要はない。
 それは人格、動機、人々との、そして自己との関係性における変
 化でもありうる。
 言葉や薬物、あるいはほかのいかなる感覚的、精神的方法で誘導
 された超越状態や幻想も一時的なもので、決定的とは言えない。
 ここで語られた真理は不動の、永遠のものだ。
 そしてその証拠は聞き手のなかに、彼の存在全体における深い永
 続的な変化のなかにあるのだ。
 彼自身の自己の存在を疑わないかぎり、その証拠は彼が疑えるよ
 うなものではない。
 わたしの体験があなた自身の体験となったとき、それ以上の証拠
 をあなたは求めるだろうか?
                     『私は在る』(p376)
                  http://tinyurl.com/s747u
------------------------------------------------------------

(-||-)

> 真理の証拠は聞き手への影響のなかにあるのだ。

まことに。

> 影響がかならずしも体験である必要はない。

はい。

> それは人格、動機、人々との、そして自己との関係性における変
> 化でもありうる。

わかります。

> ここで語られた真理は不動の、永遠のものだ。

(-||-)

> そしてその証拠は聞き手のなかに、彼の存在全体における深い永
> 続的な変化のなかにあるのだ。

ああ……。

> 彼自身の自己の存在を疑わないかぎり、その証拠は彼が疑えるよ
> うなものではない。

ありがたし……。(-||-)

理解する自分と……理解されるべき真理が……在るわけではない。

ただ……見かけ上……そういうことが……起こっているだけ。

> わたしの体験があなた自身の体験となったとき、それ以上の証拠
> をあなたは求めるだろうか?

いいえ……求めません。

いったい……何のために……。

「彼自身の自己の存在を疑わないかぎり、その証拠は彼が疑えるよ
 うなものではない」……。

これ以上の……力強い断言が……あるだでしょうか……。

自分の存在を……疑うことはできない。

それ以外は……すべて……自分の想像にすぎない……。

そして……自分は……自分の想像する世界を……生き始める。

この確かさ……この堅固さ……。

------------------------------------------------------------
 何が起ころうとも、影響を受けるのはあなたの身体とマインドだ
 けで、あなた自身ではないのだと思い出しなさい。
 覚えなければならないことを覚えることに誠実であればあるほど、
 あるがままのあなた自身に早く気づくようになるだろう。
 なぜなら、記憶が体験となるからだ。
 誠実さが存在を明かすのだ。
 想像し、決意したことが現実となる。
 ここに危険性と、また同様に解決の糸口があるのだ。
 
                     『私は在る』(p228)
------------------------------------------------------------

> 何が起ころうとも、影響を受けるのはあなたの身体とマインドだ
> けで、あなた自身ではないのだと思い出しなさい。

本当です。(-_-)

> 想像し、決意したことが現実となる。

はい。

> ここに危険性と、また同様に解決の糸口があるのだ。

はい……確かに。

------------------------------------------------------------
 世界には何の間違いもない。
 誤りはあなたの見方にあるのだ。
 あなたを惑わせるのは、あなた自身の想像だ。
 想像なしには世界もない。
 あなたが世界を意識しているという確信が世界なのだ。
 あなたが知覚している世界は意識でできている。
 あなたが物質と呼ぶものは意識そのものなのだ。
 あなたは、そのなかで世界が動く空間(アーカーシュ)だ。
 あなたは永遠に続く時間だ。
 あなたはそれに生命を与える愛なのだ。
                     『私は在る』(p304)
------------------------------------------------------------

> あなたが世界を意識しているという確信が世界なのだ。

ああ……。

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 あなたはあなたが存在することを知っている。
 そして、あなたはそれを愛しているのだ。
 すべての想像を捨て去りなさい。
 それだけだ。
                     『私は在る』(p278)
------------------------------------------------------------

(-||-)

今回も……少しボブさんからの無断翻訳をご紹介しますね。

『Living Reality: My Extraordinary Summer With "Sailor" Bob
 Adamson』(http://tinyurl.com/88zpf7p )
(『生きている実在:セイラー・ボブと過ごした途方もない夏』)
からの抽出翻訳です。

著者ジェームズ・ブラーハは……まだボブさんに会っていません。

これは……フロリダから……オーストラリアにかけた……二回目の
電話の……最後の部分です。

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 ジェームズ では、その苦しみがどんなものであれ、もしその人
       が今に存在していることにただ気づいていられれば、
       その苦しみはじきに収まるのですね。
 
 ボブ
 そうです、なぜなら苦しみとは思考でしかないからです。

 痛みは別のことです。
 それは身体があなたに、注意を必要とする場所があることを告げ
 ているのです。
 しかし、たとえば、私が若いころに体験したような精神的苦痛は
 もはや起こりません。
 それはもう何年も起こっていません。
 それはなくなります。
 それは必要ありません。

 ジェームズ ほう。それは必要ないですか。それはいい!
 
 ボブ
 それはすべてマインドの創作物です。
 それは見かけ上の分離した実体、「自分」に関わるものです。
 何かをする必要がある、何かを獲得したり手に入れたりする必要
 がある「自分」です。
 しかしその自分には、どんな実体も独立した性質もありません。

 ジェームズ その「自分」がなくなったら……。
 
 ボブ
 「その『自分』がなくなったら」とはどういう意味ですか?
 いったい、その「自分」はいつ実際に存在していたでしょうか?
 あなたはその「自分」が偽りだとわかったと言いましたが、それ
 なら、それはいったいいついましたか?
 
 あなたは間違った信念を持っています。
 それを捨てることです。
 
 ジェームズ あなたがわかったとき、つまり「自分」がいないこ
       とが完全にわかって、今に生きることを始めたら、
       少しずつ時間を追って世界は概念になった、と。そ
       うですか?
 
 ボブ
 そうです、それはすべて概念的なものです。
 
 ジェームズ では、世界中で続いている戦争や悲劇が載っている
       ニュースを見たら、それはあなたにとって何か意味
       がありますか?
 
 ボブ
 ええ、意味があります。
 いいですか、何が特定の概念が浮上すると、あなたは行動を起こ
 す必要があるかもしれません。
 それに対して何かしなければならないかもしれません。
 起こった働きが何であっても、それでいいのです。
 
 しかし、究極的には、それにはいかなる意味もありません。
 どこにもどんな意味もありません。
 意味は参照点からしか存在できません。
 そして参照点とは偽りです。
 それらは作り話です。
 
 ジェームズ ええと、たとえば、自分の占星術の仕事で、私は何
       年も自分が何か役に立つことをしているのだと思っ
       ていました。それから、アドヴァイタに、この知識
       に出遭って、自分が幻想の世界で幻想の人びとを助
       けるための幻想の行為をしているということが明ら
       かになりました。
       世間的にどんな問題が起こっていようとも、それは
       ただそのように起こっているだけです。もちろん、
       もし世界がより良い場所であり、より幸福な人びと
       がいるならそれはいいことでしょう。しかし人びと
       は単に「生きられている」のであり、それが彼らの
       生きられ方なのです。究極的には何ひとつ変化する
       必要はないのです。[注:もしわれわれの思考が、
       われわれでないのなら、われわれが選択していると
       見えるだけです。ということは、われわれは実際は
       生きられているのです。これについては後ほど議論
       されます。]
       私が質問しようとしているのはこういうことだと思
       います。一度ある人が最終的理解を持ったら、人生
       は本質的には終わるのですか?[注:非二元論者は、
       解放とか悟りといった言葉よりも「理解」とか「最
       終的理解」とか「知ること」といった用語を好みま
       す。これは束縛が単にマインドが創造した虚構であ
       り、それゆえ悟りとか解放というようなものが存在
       するわけではないからです。人はただ理解している
       かいないか、知っているかいないかだけです。]
 
 ボブ
 そうですね、実際は人生は一度も始まっていません!
 ただ、あなたの質問に答えるなら……。
 
 ジェームズ 待ってください、それは本当ですか? けっして始
       まっていない、というのは?
 
 ボブ
 ええ、それはすべて単なる見かけです。
 実際には何ひとつ起こっていません。
 
 しかし、故意に「私は何もできない」という立場を取るというこ
 とではありません。
 苦しんでいる人を見たら、あなたは自分が助けようと行動してい
 るのに気づくかもしれません。
 そこには自然な慈愛があるでしょう。
 生きることは継続していきます。
 
 いずれにせよ、「自分」がいないことをあなたは理解したのです。
 今「自分」がいないのなら、いったい、いついたでしょうか?
 
 ジェームズ 一度もいたことはありません。
 
 ボブ
 そうですね、ですからあなたは、する必要があると思われること
 をしながら、これまで人生を生きてきたのです。
 しかし、それをしている「自分」はまったくいませんでした。
 ただそれがそのように起こっただけです。
 生があなたに占星術を経験させ、瞑想やすべてを経験させ、そし
 て、それがあなたをアドヴァイタに連れてきたのです。
 もし必要なら、人びとがあなたに引き寄せられ、あなたが言う必
 要があることを聞くことになるでしょう。
 そしてあなたは彼らの苦しみを軽減できる、といったようなこと
 です。
 そして、それをする自然な慈愛がそこにあるでしょう。
 
 「これについては私は何もできないし、何もするつもりはない」
 と言いながら、ただ座っているということではありません。
 それでは再び、参照点からの意図的な「しない」になります。
 
 究極的には、すべてがすべてを包括して、機能しつづけます。
 それはあなたを連れていくことになっているところに、連れてい
 くのです。
 
 ジェームズ しかしあなたにとっては、見かけ全体へのホックは
       ますます少なくなるでしょうね?
 
 ボブ
 ええ、もうそれ以上ホックを留める場所はありません。
 
 しかし最初のうちは、古い習慣的パターンが浮上してきて、再び
 あなたを捕らえます。
 するとあなたはそれを見抜いて、また思いが浮かび、「ちょっと
 待てよ、これはまた同じ古臭いガラクタだな」と言って、あなた
 はそれを捨てます。
 だからエネルギーは、以前のようにはそれらの古い誤った信念に
 流れこんでいきません。
 エネルギーなしには何も生きられないので、それは衰えます。
 
 そして時間というようなものはないのですが、それが完全に立ち
 去るには、見かけの上では時間がかかるでしょう。
 いったんこのすべてを理解したら、あなたはもう二度と同じには
 なれません。
 一度自分には自己中心はないと理解したら、再びそれを信じるこ
 とはけっしてできません。
 
 ジェームズ 私はこれまで悟った人びとによるたくさんの本を読
       みましたが、彼らはマインドが止まったとか、あら
       ゆる類の素晴らしい静寂の経験を語っています。あ
       なたにもそれはありますか? あなたもこれまでに
       マインドが止まった期間、つまり完全に停止した期
       間はありましたか?
 
 ボブ
 あります。
 そして、ときには始動させるためにキックスタートしなければな
 いこともあります。
 ラベルを貼らずに、ただ見ているときです。
 ラベル貼りなしに記録しているときです。
 
 しかし私が思考よりも沈黙を好むこともないのは、それらが両方
 とも体験だからです。
 それは両方とも概念的なものです。
 あるがままのあなたは、沈黙やお喋り、あるいは良いとか悪いと
 いった体験がそこで起こっている、その体験することです。
 あなたは体験しているそのエッセンスです。
 まさに、あなたが見ていることであるように。
 あなたは、見る者と見られるものが分離する前の、その見ている
 ことです。
 あなたは、思考する者とその思考に分離する前の、思考すること
 です。
 あなたが体験することなのです。
 
 ジェームズ あなたはそれを感じるのですか? そこにフィーリ
       ングがあるのですか?
 
 ボブ
 フィーリングというのは体験になるでしょう。
 
 ジェームズ では、それは理解ですか?
 
 ボブ
 理解、あるいは生来の深い――それに深さがあるわけではありま
 せんが――知(知っていること)です。
 自分がつねにそれだったと――実際は「つねに」ではなく、それ
 しか存在していないと――知っていることです。
 あなたはそれです。
 あなたはそれ以外のものではありえません。
 そして、それはモノではありません。
 ありのままのあなたはモノではありません、無です。
 それはモノではありません、なぜならそれはマインドで把握でき
 ないからです。
 あなたが、マインドでけっしてそれを把握できないのは、マイン
 ドがそのなかに包含されているからです。
 
 だからこそ、バガヴァッド・ギーターでは、刀はそれを切ること
 ができず、火はそれを焼くことができず、水はそれを濡らすこと
 ができない、と言われるのです。
 
 ジェームズ なんという美しい説明でしょう!
 
 ボブ
 ちっぽけな思考でしかない「自分」に、それを把握できるはずが
 ありません。
 マインドのなかに解答が見つかるはずがないことがわかったら、
 マインドはただ本来の目的のためにそこにあるだけです。
 それはただ浮上するそれらのエネルギーパターンを翻訳するだ
 けです。
 
 ジェームズ あなたは本のなかで、マインドは素晴らしいツール
       だと言っています。では、そう言うとき、あなたは
       その真理を語っているのですね?
 
 ボブ
 ええ、そうです。
 それはただの目的をもった道具です。
 しかし、対極のペアのなかで波動するため、それは一方では素晴
 らしく創造的であり、もう一方では自己破壊的になります。
 それが私たちに、自分はダメだ、自分はあれもこれもできない、
 などと告げるとき、それはあらゆる種類の境界や制限を私たちに
 負わせるのです。
 
 ジェームズ マインドこそが私たちのすべての問題の源泉である
       ようで、私にはマインドの素晴らしさを理解するの
       はちょっと難しいのですが。
 
 ボブ
 昔からの表現に「マインドは素晴らしい召使だが、最悪の主人
 だ」というのがあります。
 ですから、それは単にマインドを適切に使うという問題です。
 
 ジェームズ はい。なるほど、わかりました。こちらにいらして
       もっとお話できるようになるのを切望しています。
       そして、あなたがいらっしゃることにワクワクして
       います。こちらではあなたと話したい人たちがたく
       さんくるでしょう。
                  『Living Reality』(p35-39)
                 http://tinyurl.com/88zpf7p
------------------------------------------------------------

ふーむ。

しかし……ボブさんというパターンを通じて顕現した説明能力には
……じつに……驚かされますね。

その時代その時代の……説明能力というのが……あるのでしょう。

むろん……時代など……単なる記憶のなかの信号ですが。

> あなたを惑わせるのは、あなた自身の想像だ。
> 想像なしには世界もない。
> あなたが世界を意識しているという確信が世界なのだ。

(-_-)

> あなたは、そのなかで世界が動く空間(アーカーシュ)だ。

……。

------------------------------------------------------------
 永久的なもの、それはあなた自身の存在である。
 真我として在りなさい。
 それが至福である。
 あなたはいつもそれなのである。
                    『あるがままに』(p58)
                 http://tinyurl.com/2aar6zj
------------------------------------------------------------

……。(-_-)

ありがとうございました。<(_ _)>

(-||-)

今日はこんなところで。

……。

m(_ _)m


━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━
■ 2.写経ニサルガダッタ:【50 自己覚醒が観照者だ】1回目
━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━

この章は……ある意味で……とてもマハラジ的な章です。

マハラジに固有のメッセージ性が……表現されていると思います。

> 光がその存在自体において暗闇を破壊するように、絶対なるもの
> は想像を破壊する。

こういう表現は……他ではあまり見かけたことがありません。

とても……強いイメージがありますよね。

> すべての知識を無知の一形態として見ることが、それ自体実在の
> 動きなのだ。

この端的な表現……。

では【50 自己覚醒が観照者だ】の1回目です。

(いつものことながら、無断引用というよりは、無料宣伝と理解さ
 れることを願っています。(-||-) )

最初に通しで写経するので、それを読んでいただければいいです。

(あとは……ああとか……ううとか……言ってるだけですから。)

------------------------------------------------------------
 質問者 私とは三つの相のもとに考えられる、とあなたは言いま
     した。個人(ヴィヤクティ)、超個人(ヴィヤクタ)、
     非個人(アヴィヤクタ)です。アヴィヤクタは普遍的で
     純粋な真の「私」です。ヴィヤクタは「私は在る」とし
     ての意識の反映です。ヴィヤクティは身体の、そして生
     命の過程の全体性です。狭く制限された現在、超個人は
     時間と空間の両方において個人に気づいています。ひと
     りの個人だけではなく、カルマ(因果関係)の糸に通さ
     れた長い一連の個人たちです。超個人は本質的には観照
     者であり、同時に蓄積された経験の残留、記憶の所在地、
     連結する輪(スートラアートマ)でもあります。それは
     人生が構築し、誕生から誕生へと形作っていく人格です。
     普遍的なる非個人はすべての名前と形を超え、意識と人
     格を超えた、純粋な自己意識の存在なのです。私はあな
     たの見解を正しく現したでしょうか?
 
 マハラジ
 マインドのレベルではそのとおりだ。
 知的レベルを超えた彼方では、言葉は適用しない。
 
 質問者 個人が精神的構成観念、意識の記憶と習慣のための集合
     名詞だということは私にも理解できます。しかし、それ
     に対して個人が現れる、観照の中心も精神的なものでし
     ょうか?
 
 マハラジ
 色彩にはそれを現すひとつの面が必要なように、個人には自分自
 身と同一化するための基盤である身体が必要だ。
 それがどのような色であっても、色を見るという行為が色に依存
 することはない。
 色を見るためには目が必要だ。
 色はたくさんあるが、目はひとつだ。
 個人とは色のなかの光、また目のなかの光のようなものだ。
 それにもかかわらず、単一で、分割不可能であり、その顕現のな
 か以外では知覚不可能なものだ。
 不可知ではないが、知覚不可能であり、非客観的で、分離不可能
 なものだ。
 物質的でも精神的でもなく、客観的でも主観的でもない。
 それは物質の根本であり、意識の源だ。
 単なる生と死を超えて、それはすべてを含み、すべてを除いた生
 命だ。
 そのなかでは誕生が死であり、死が誕生なのだ。
 
 質問者 あなたが話す絶対なるものとは実在のものでしょうか、
     それとも私たちの無知を包み込むための単なる理論なの
     でしょうか?
 
 マハラジ
 その両方だ。
 マインドにとってはひとつの理論であり、それ自体においてはひ
 とつの実在だ。
 それは自発的で全面的な偽りの根絶において実在なのだ。
 光がその存在自体において暗闇を破壊するように、絶対なるもの
 は想像を破壊する。
 すべての知識を無知の一形態として見ることが、それ自体実在の
 動きなのだ。
 観照者は個人ではない。
 そこにそのためのひとつの基盤、ひとつの身体、ひとつの有機的
 組織があるときに個人は立ち現れる。
 そのなかで、絶対なるものは気づきとして反映され、純粋な気づ
 きは自己覚醒となる。
 そこに自己が存在するとき、自己覚醒が観照者だ。
 そこに観照する自己がいないとき、観照もない。
 それはすべてまったくシンプルだ。
 個人の存在がことを複雑にしてしまうのだ。
 永久に分離した個人というものはないことを理解しなさい。
 そうすればすべては明白になる。
 気づき―精神―物質、それらは動と不動という二つの相と、不活
 溌性、エネルギー、調和という三つの属性をもったひとつの実在
 なのだ。
 
 質問者 意識と気づき、どちらが先に現れるのでしょうか?
 
 マハラジ
 気づきがそこにひとつの対象物をもったとき意識となる。
 対象はつねに変わっていく。
 意識のなかには運動がある。
 気づき自体は、運動も時間もない今ここにあるのだ。
 
 質問者 現在、東パキスタンに苦難と流血が起こっています。あ
     なたはそれをどのように見ますか? それはあなたにと
     ってどのように現れ、あなたはどう反応するのでしょう
     か?
 
 マハラジ
 純粋な意識のなかでは、けっして何も起こらない。
 
 質問者 どうか、その形而上学的高みから降りてきてください!
     苦しんでいる人びとにとって、彼自身以外、誰も彼の苦
     難に気づく人はいないと言われることがなんの役に立つ
     と言うのでしょう? すべてを幻想として退けることは、
     傷ついた人に屈辱を加えるようなものです。東パキスタ
     ンのベンガル人は事実であり、彼らの苦難も事実です。
     どうか、それを存在しないかのように扱わないでくださ
     い! あなたは新聞を読んでいるのです。人びとがそれ
     について話しているのを聞いているはずです。知らなか
     ったとは言えません。さあ、この出来事に対してあなた
     はどのような態度を取るのでしょうか?
 
 マハラジ
 態度はない。
 何も起こってはいないのだ。
 
                   『私は在る』(p249-251)
                  http://tinyurl.com/s747u
------------------------------------------------------------

(-||-)

> 質問者 私とは三つの相のもとに考えられる、とあなたは言いま
>     した。個人(ヴィヤクティ)、超個人(ヴィヤクタ)、
>     非個人(アヴィヤクタ)です。アヴィヤクタは普遍的で
>     純粋な真の「私」です。ヴィヤクタは「私は在る」とし
>     ての意識の反映です。ヴィヤクティは身体の、そして生
>     命の過程の全体性です。狭く制限された現在、超個人は
>     時間と空間の両方において個人に気づいています。ひと
>     りの個人だけではなく、カルマ(因果関係)の糸に通さ
>     れた長い一連の個人たちです。超個人は本質的には観照
>     者であり、同時に蓄積された経験の残留、記憶の所在地、
>     連結する輪(スートラアートマ)でもあります。それは
>     人生が構築し、誕生から誕生へと形作っていく人格です。
>     普遍的なる非個人はすべての名前と形を超え、意識と人
>     格を超えた、純粋な自己意識の存在なのです。私はあな
>     たの見解を正しく現したでしょうか?

ふーむ。

> マハラジ
> マインドのレベルではそのとおりだ。
> 知的レベルを超えた彼方では、言葉は適用しない。

はい。

> 質問者 個人が精神的構成観念、意識の記憶と習慣のための集合
>     名詞だということは私にも理解できます。しかし、それ
>     に対して個人が現れる、観照の中心も精神的なものでし
>     ょうか?

赤ん坊の目を通して見ている存在は……マインドの捏造物ではない
……でしょうね。

> マハラジ
> 色彩にはそれを現すひとつの面が必要なように、個人には自分自
> 身と同一化するための基盤である身体が必要だ。

なるほど。

> それがどのような色であっても、色を見るという行為が色に依存
> することはない。

鏡の存在は……そこに鏡映される内容に依存しない。

> 色を見るためには目が必要だ。

確かに。

> 色はたくさんあるが、目はひとつだ。

はい。

> 個人とは色のなかの光、また目のなかの光のようなものだ。

へー……不思議な言い方。

> それにもかかわらず、単一で、分割不可能であり、その顕現のな
> か以外では知覚不可能なものだ。

難解……。

> 不可知ではないが、知覚不可能であり、非客観的で、分離不可能
> なものだ。

個人の説明にしては……とても難解……。

> 物質的でも精神的でもなく、客観的でも主観的でもない。

ふーむ。

> それは物質の根本であり、意識の源だ。

ん。(?_?)

> 単なる生と死を超えて、それはすべてを含み、すべてを除いた生
> 命だ。
> そのなかでは誕生が死であり、死が誕生なのだ。

これは……「個人」というより……むしろ「魂」の……説明みたい
なものかしら。

> 質問者 あなたが話す絶対なるものとは実在のものでしょうか、
>     それとも私たちの無知を包み込むための単なる理論なの
>     でしょうか?

はは。(^^;)

> マハラジ
> その両方だ。

おお。(@_@)

> マインドにとってはひとつの理論であり、それ自体においてはひ
> とつの実在だ。

なるほど。(-_-)

> それは自発的で全面的な偽りの根絶において実在なのだ。

ふーむ。

> 光がその存在自体において暗闇を破壊するように、絶対なるもの
> は想像を破壊する。

ああ……そういう言葉なら……わかります。

> すべての知識を無知の一形態として見ることが、それ自体実在の
> 動きなのだ。

了解です。

> 観照者は個人ではない。

ああ……これまでの叙述は……観照者の……説明だったんだ。

> そこにそのためのひとつの基盤、ひとつの身体、ひとつの有機的
> 組織があるときに個人は立ち現れる。

なるほど。

> そのなかで、絶対なるものは気づきとして反映され、純粋な気づ
> きは自己覚醒となる。

ふーん。

マハラジは……そういうイメージで説明するのか。

> そこに自己が存在するとき、自己覚醒が観照者だ。

なるほど。

------------------------------------------------------------
           
         <絶対なるものの反映>


       純粋化 ← 気づき → 想像(創造)


【実在側】 自己覚醒 ⇔ 観照者 ⇔ 個人 【顕現側】
              ↑     ↑
              ↑     ↑
           自己が存在する  ↑
                    ↑
                有機組織=身体基盤が存在する

------------------------------------------------------------

みたいな感じかな。

> そこに観照する自己がいないとき、観照もない。

ただ……自己覚醒だけが……ひとり輝いているのか……。

> それはすべてまったくシンプルだ。

ふーむ。(-_-)

> 個人の存在がことを複雑にしてしまうのだ。

確かに……。

> 永久に分離した個人というものはないことを理解しなさい。

はい。

> そうすればすべては明白になる。

(-_-)

> 気づき―精神―物質、それらは動と不動という二つの相と、不活
> 溌性、エネルギー、調和という三つの属性をもったひとつの実在
> なのだ。

ふーん。

> 質問者 意識と気づき、どちらが先に現れるのでしょうか?

「意識」に先立って……それを可能にする……「気づき」が必要だ
と思うけど……。

少なくとも……マハラジの用語法では。

> マハラジ
> 気づきがそこにひとつの対象物をもったとき意識となる。

ああ……そういうことですね。

> 対象はつねに変わっていく。

はい。

> 意識のなかには運動がある。

なるほど。

> 気づき自体は、運動も時間もない今ここにあるのだ。

ああ……了解です。

> 質問者 現在、東パキスタンに苦難と流血が起こっています。あ
>     なたはそれをどのように見ますか? それはあなたにと
>     ってどのように現れ、あなたはどう反応するのでしょう
>     か?

うん。

> マハラジ
> 純粋な意識のなかでは、けっして何も起こらない。

“純粋な意識”のなか……つまり……“気づき”のなかでは……。

言い換えて……自己覚醒のなかでは……けっして何も起こらない。

> 質問者 どうか、その形而上学的高みから降りてきてください!
>     苦しんでいる人びとにとって、彼自身以外、誰も彼の苦
>     難に気づく人はいないと言われることがなんの役に立つ
>     と言うのでしょう? すべてを幻想として退けることは、
>     傷ついた人に屈辱を加えるようなものです。東パキスタ
>     ンのベンガル人は事実であり、彼らの苦難も事実です。
>     どうか、それを存在しないかのように扱わないでくださ
>     い! あなたは新聞を読んでいるのです。人びとがそれ
>     について話しているのを聞いているはずです。知らなか
>     ったとは言えません。さあ、この出来事に対してあなた
>     はどのような態度を取るのでしょうか?

そんな。(^^;)

> マハラジ
> 態度はない。
> 何も起こってはいないのだ。

はい。

動き(出来事)は……汚れ(欲望と執着)のなかにしか……起こっ
ていないから。

……。(-_-)

ありがとうございました……。<(_ _)>

(-||-)

今日の写経は、ここまでです。

m(_ _)m


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■ 3.編集後記:意見がなくなっていくのは……
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やっと……下の畑を……ひと通り……耕しました。

とても……草は取りきれませんが。

肥えた土じゃないので……スギナが多いんですよね。

いままで……放って置きすぎたからですが。

これまでのところ……毎朝続いています。

ただ……そういうことが……起こっているだけですけど。(^_-)

いろんなことに……意見がなくなるのは……いいことですね。

何しろ……楽になる。

日が長くなって……今日はまだ明るいうちに終えました。

<(_ _)>


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■ 【作者】 『アセンション資料館』主人 pari
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