home > 通信 > 『アセンション館通信』第429号:存在することを知っている



━━━━☆☆☆☆━━━━━━━━━━━━━━ by paritosho ━
  ☆☆   ☆☆ 
 ☆☆     ☆☆『アセンション館通信』2012/6/24(第429号)
☆☆   ☆   ☆☆
☆☆      ☆★ 【気刊】――「私は在る」に導かれ♪――
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 ☆☆   ☆☆          https://www.ascensionkan.com/
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◇◇ このメルマガの趣旨 ◇◇

このメルマガはアセンション館主人 pari と称するあるパターンに
浮上している心象風景の報告です。

現象のなかに得るべき何ものもなく、探求するその人もいないこと
が納得されても、なおも惰性で書くことが起こっているようです。

内容は人畜無害、でも読む人は相当変わっていますね。現在884名
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◇◇ もくじ ◇◇

1.存在することを知っている

2.写経ニサルガダッタ:
       【38 霊的修練は意志の主張と再主張だ】の3回目

3.いただいたお手紙から:oozoraさん、かずさん、motherさん

4.編集後記:ボブさんの言葉……素晴らしかったですね
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■ 1.存在することを知っている
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ふう。

朝方……ちょっと下の畑に行ってくるなんて……なかなか洒落てる
でしょ。

いただいた……大豆の種を……苗にして……植えています。

それから……少し……落ち葉堆肥を……かき回して。

台風をやり過ごして……ちゃんとまだ……ビニールの下で……熱を
もって発酵しているのは……偉いです。

いえ……もちろん……土着菌の方々のことですけど。

たいしてしてもいないことを……こうして聞かれもしないのに……
宣伝するのは……夢のなかのこのパターンの特徴みたい。(^_-)

夢に見られている側の……責任感が崩壊していくのは……まあ……
ある意味で……いいことです。

夢のなかも……少し……風通しが良くなるし。

夢を見ているほうは……相変わらず……夢を見ているわけですが。

でも……それがあるがままで……特に誰の責任でもありません。

たぶん……興味を失ったら……夢にフォーカスしなくなるでしょ。

夢を見ている間は……興味があるわけですから。

誰の責任でもない……あるがままです。

(*^_^*)

さて、またまた一週間が過ぎて、楽しい“アセンション噺”ならぬ
“「私は在る」噺”にお付き合いいただく今がまいりました。

『アセンション館通信』配達人の pari です。(^^)/

みなさま固有の「私は在る」を……いかがお過ごしでしょうか?

夢に見られている側には……一切責任がないのだと……納得されて
くることが……このパターンの……運命のようです。

だとすれば……何をか言わんや……。

夢のなかの……その運命に……いそいそと……したがうまでです。

夢に見られている側に……他のことが……できるわけもなし。

覚者方が……言葉はすべて観念だ……と断るのは当然ですよね。

こういう……覚者方の固有の“方便”は……すべて観念です。

顕現世界の存在という……その住人全員がはまっている洗脳を……
解除するための……別の洗脳でしかありえない。

“トゲ抜きのトゲ”とは……覚者方みなさんが使う……喩えです。

どちらも……意識のなかの……観念にすぎない。

しかし……世界に生きるのは苦しくて仕方がない……という誤解は
……観念で解除する以外に……方法はほとんどない。

あるがままが……そのように……なっているわけです。

ラマナ・マハルシが……どんな言葉よりも雄弁だという……沈黙の
言葉が……聞こえるパターンなど……ほとんどいないですから。

あるがままが……そうなっているわけです。

もっとも……そうでないと……夢そのものを……存在させることも
できないでしょうが。

夢などいらない……というパターンも……もちろんあるでしょう。

でも……そのパターンの住所も……夢のなかです。

あらゆる思考……あらゆるアイディア……知覚可能……想像可能な
ものは……すべて……夢のなかに……あるわけです。

夢のなかには……振動することが……楽しくてたまらないパターン
も……あるでしょう。

ならば……夢のなかには……振動することが……苦しくてたまらな
いパターンも……あるわけです。

二元性の原理のなかでしか……顕現世界はありえない。

二極分解を許容せずに……定義を担うことはできず……定義を担わ
ずに……顕現することはできませんから。

顕現はすべて……宇宙のなか……夢のなかです。

------------------------------------------------------------
 この宇宙は何のなかに存在するのだろうか。このすべては何なの
 だろうか。
 それは何から生じたのだろうか。
 何のために、何によって、それは姿を現したのだろうか。
 それは何で構成されているのだろうか。
 ただ真我だけがその原因である。
                     『静寂の瞬間』(p1)
------------------------------------------------------------

大見者は……このようにおっしゃる。

そして……なぜそうなっているのか……といような論議には……そ
れ以上……立ち入りません。

どんな議論も……マインドのなかでしかないことが……自明だから
でしょう。

そして……謙虚に……こうおっしゃるだけです。

------------------------------------------------------------
 「心」と呼ばれているものは、
 真我に内在するおどろくべき力である。
 
 心はすべての想いが起こってくる源である。
 
 想いを離れて心はない。
 それゆえ、想いが心の本性である。
 
 真我の中から心が現れるときに、
 世界が現れる。
 
 それゆえに、世界が(実在として)現れているときには、
 真我は隠されている。
 
                     『静寂の瞬間』(p22)
------------------------------------------------------------

……と。

マインドとは真我に内在する……顕現のためのパワーでしょう。

真我とは……実在する唯一のものであり……永遠の不動です。

自らの存在を知っている……ただ一つのもの……そして永遠に……
揺るがない……不変・不動であるものです。

つまり……端的に言うなら……無であるものです。

唯一の実在は……何かでは……ありえない。

しかし……顕現するためには……何かとして……現れなければなら
ない。

現れるとは……永遠の不動のなかで……変化として識別される……
ということ。

永遠不動が……識別できる……変化のパターン……つまり……エネ
ルギーとして……現れるということです。

変化するエネルギーだけが……定義を担うことができる。

それ以外に……現れる方法はありません。

となれば……真我自体が……顕現することは……不可能です。

顕現するためには……真我は……非真我を……許容しなくてはなら
ないでしょう。

変化可能……知覚可能で……定義を担いうる対象物を。

エネルギーを……意識のコンテンツを……つまり夢を……許容し
なくてはならない。

もし「真我」を……「純粋な意識」とするなら……それは映す対象
を持たない……「鏡」とも言えるでしょう。

それは……すべてを映し出す……可能性そのものです。

実在するのは……それだけです。

しかし……「純粋な意識」だけでは……現れることはできない。

現れるためには……顕現するための姿をもたなくてはならない。

顕現するための姿は……識別可能でなくてはならない。

つまり……何か……でなくてはならないのです。

「宇宙」とは……“誤創造”だ……という言い方があります。

『神の使者』は……そのような言い
方を……採用しています。

また……識別可能なものは……“すべて汚れだ”……という言い方
もあります。

ニサルガダッタは……そのような言い方を……採用しています。

もちろん……それらは……ともに観念です。

ただ……事実というものはあります。

これは……議論の余地がない。

事実は……「実在」は……顕現の可能性を……包含している……と
いうことです。

「実在」は……顕現可能な“つかの間の「実在」”を……包含して
いる……ということになります。

「真我」は……“非真我”を……許容していると……言ってもいい。

その意味を込めた「実在」を……「認識する空」……とか……ある
いはボブさんの場合は……「知性エネルギー」と呼ぶわけです。

そこには……知覚可能な対象物が……包含されています。

しかし……この知覚可能な対象物は……それ自体として……実体を
もって……存在しているわけではない。

でなければ……個々の知覚可能な対象物に……独立した実体が……
あることになってしまいます。

知覚可能な対象物に……独立した実体があったら……その対象物は
……知る者なしに……存在できることになるでしょう。

しかし……知る者なしに存在できる……対象物は……ありえません。

その対象物の存在を……確認する術(すべ)が……ないからです。

つまり……知られるものは……知る者なしには……存在できないと
いうことです。

どうして……知覚者なしに……知覚の対象物だけが……存在できる
でしょうか。

それは……想像できないものは……存在できるか……という問題と
……ある意味で……同じです。

想像できないものは……存在できません。

なぜなら……想像できないものを……想像することは……できない
からです。

想像された瞬間……それは想像できるものに……なっている。

なので……想像できないものは……存在できません。

しかし……逆にいうと……何であれ……想像できるものは……存在
できるわけです。

とはいえ……存在できるといっても……それ自体の独立した実体を
もって……存在しているわけではない。

想像する者がいなければ……それは存在できません。

……。(-_-)

くどくどと……同じことを……書いています。

要するに……いかに微細な顕現であれ……顕現するためには……そ
の顕現が認識されることが……必要だということです。

では……誰が……その顕現を……認識するのか……?

その誰かは……顕現できないのです。

その誰かは……非顕現です。

しかし……その非顕現は……自分が存在することを……知っている。

でも……“知っている”と言っても……知覚の対象物を知るように
……感覚器官を通じて……知っているわけではない。

ただ……知っている。

ただ……自明のこととして……知っている。

誰の助けも借りずに……自分が存在することを……知っている。

それが……実在です。

それが……真我です。

------------------------------------------------------------
 あなたがあなたを含むすべての証明なのだということを、まず悟
 るべきだ。
 あなたの存在を証明できるものは何もないのだ。
 なぜなら、他者の存在もあなたによって確認されなければならな
 いからだ。
 あなたは完全に、あなた自身によって在るのだということを覚え
 ておきなさい。
 あなたはどこからも来なかったし、どこへも行かない。
 あなたは時間を超えた存在、そして気づきなのだ。
 
                     『私は在る』(p178)
------------------------------------------------------------

(-||-)

……。

今回も……少しボブさんからの無断翻訳をご紹介しますね。

『Living Reality: My Extraordinary Summer With "Sailor" Bob
 Adamson』
(『生きている実在:セイラー・ボブと過ごした途方もない夏』)
からの抽出翻訳です。

著者ジェームズ・ブラーハは……まだボブさんに会っていません。

これは……フロリダから……オーストラリアにかけた……そのほか
の電話の内容です。

------------------------------------------------------------
 ジェームズ それは夜私によく起こることに似ている感じです。
       ベッドに入って眠入るのを待っていたり、あるいは
       真夜中に目が覚めたりすると、その体験が起こるの
       ですが、そこではすべての思考が静まって、劇的な
       静寂というか不思議な感じがあります。それはひと
       つの体験のようにも思われます。でもそうじゃない
       んですね? それはただあるがままで。

 ボブ
 まさにそれです。
 それは純粋な存在です。
 
 ジェームズ ある夜、これが起こっていて、私は自分の肩が痛い
       のに気づきました。そして、神にかけて言いますが、
       感覚とは実は概念だということ、マインドのなかの
       ひとつの考えだということが明確になりました。そ
       して私は全存在がひとつのアイディアだと理解しま
       した。なぜこれがもっと頻繁に起こらないのか?
 
 ボブ
 [笑いながら]ええ、それにチャンスをやってください。
 それを許すことです。
 それがいつも起こっていることがわかるでしょう。
 
 ジェームズ 翌日私はケリーに電話をして、自分がある体験をし
       て、世界はひとつの概念にすぎないことがわかった
       と話しました。
 
 ボブ
 あなたは、そこにどんな「私」も存在しないことを完全に知りな
 がら、それを「私はある体験をした」と翻訳しました。
 あなたは何かをしているような実体がそこに存在しないことを知
 っています。
 
 ジェームズ もし私がしょっちゅうあの劇的な静寂というか不思
       議さを経験していたら、多くのスピリチュアルな著
       者たちがよく言うこと、「私は天国に住んでいる。
       私は極楽に住んでいる」と言っているでしょうね。
 
 ボブ
 私はその人たちの極楽の概念は知りませんが、聖書を引用するな
 ら、アダムとイブはエデンの園に住んでいて、そこは天国だった。
 そして彼らは善悪を知る知恵の樹の実を食べた、というわけです。
 言葉を換えれば、理性が、考えることが、マインドが入ってきた
 のです。
 それが彼らを罪と苦しみの世界に投げ込んだわけです。
 それ以前は、概念化すること、つまり「善悪の知識」、概念化す
 るマインドがなかったので、彼らは彼らが言う天国にいたのです。
 
 ジェームズ もしそういう著者たちが、そのすごい体験について
       本を書いていれば、たぶん彼らは他の人たちよりそ
       の微妙さをもっともっているのでしょう。
 
 ボブ
 彼らがより以上をもつことはありえません。
 それはすべてひとつです。
 概念を使ってそれを説明する必要もありません。
 ただあるがままにしておきましょう。
 そしてもしそれが別な姿、形、パターン(それを至福や歓喜など
 といった言葉で呼ぶかもしれませんが)で現れたら、やはり、そ
 れを説明する何らかの対極が必要でしょう。
 そうですね?
 至福の対極を知らずに、至福が何かを知ることはできません。
 
 ジェームズ では、私が夜ときどき体験する微妙な感じや純粋な
       静寂は、私が今感じているものより良いわけではな
       いのですね?
 
 ボブ
 ええ、本当のところはそうです。
 
 ジェームズ [笑いながら]間違いなく、より良い感じですけど。
 
 ボブ
 ええ、もちろんです。
 知性エネルギーは、あらゆる類のバラエティや多様性で表現され
 ることができます。
 あなたが感じるある痛みが、他の痛みよりもっとひどく感じられ
 るのとまさに同じです。
 
 ジェームズ では重要な部分は、沈黙も精神的なお喋りもどちら
       もけっしてより良いわけではないという理解ですね。
       それは結局まったく同じことだと。
 
 ボブ
 そうです。
 もしそれがあるがままなら、そこに好みも、依怙贔屓も、比較も
 ありません。
 「あるがまま」とは、代替も、修正も、変更もされないというこ
 とです。
 ただあるがままです。
 どこにも、取るべきどんな立場もありません。
 
 見かけの上で唯一それを変更したり代替するのは、もうひとつの
 概念でしかありません。
 
 ジェームズ おもしろいです。
 
 ボブ
 それはそんなに大層なことではありません。
 ごく単純なことです。
 
 ジェームズ 問題は、あまり長くスピリチャルな道にいると、い
       つも「この体験は他の体験よりもっと素晴らしい」
       といった話を聞かされることです。そこには途方も
       ない量の条件づけがあり、それが「特別な」体験を
       望ませるのです。
 
 ボブ
 でも、おわかりのように、究極の体験というものはありません。
 ありますか?
 体験にあまりにも魅惑される人びとは体験しつづけ、そして全員
 がもっとすごい、さらに良い体験に遭遇しうるのです。
 マインドは可能な体験ということに関して限界がありません。
 私がムクタナンダのアシュラムにいたとき、誰もが何年も何年も
 エネルギーが背骨を上るクンダリーニの体験をしていました。
 しかしすべての体験はマインドのなかにあります。
 解答はそこにはありません。
 
 存在の気づきという根本的な単純さに戻ることです。
 そしてそのなかの微妙さを理解することです。
 そこにあるのは原因のない喜び、原因のない愛、そして原因のな
 い慈悲です。
 それには原因がありません。
 そこにはひとつの資質がその対極に反転するようなどんな対極も
 ありません。
 それらの資質はただ自然にそこにあるだけです。
 
 私はよく、自分が酒を飲んでいたころの話をします。
 とても粗悪なものを食べて、タバコを吸っていたので、私の味蕾
 (みらい)は完全に塞がっていました。
 私はそれをすべてやめて、健康食に切り替え、ヒマワリの種とか、
 そういったものを食べ始めました。
 でも、それらは味がしませんでした。
 何ひとつ味を感じられなかったのです。
 二、三週間後、味蕾が浄化され始めて、モノの味を感じることが
 できました。
 自分がそれまでまったく知らなかった甘さや風味を感じられるよ
 うになりました。
 それと似たような、原因のない本質の微妙さが浮上します。
 そこには何が起こっていようと、すべてはオーケーなのだという
 幸福感があります。
 私たちはすべての粗い感覚を洗い流したのです。
 私たちはそういうものをあまり気にしません。
 私たちは、本当に起こっていることに気づき始めるのです。
 
                  『Living Reality』(p50-52)
------------------------------------------------------------

ふーむ。

> しかしすべての体験はマインドのなかにあります。
> 解答はそこにはありません。

ほんとだ……。(-_-)

> 存在の気づきという根本的な単純さに戻ることです。
> そしてそのなかの微妙さを理解することです。

ああ……。

> そこにあるのは原因のない喜び、原因のない愛、そして原因のな
> い慈悲です。
> それには原因がありません。

はい。

> そこにはひとつの資質がその対極に反転するようなどんな対極も
> ありません。

おお……。

> それらの資質はただ自然にそこにあるだけです。

ありがたいです……。(-||-)

------------------------------------------------------------
 自分の存在に完全に気づいていなさい。
 そうすれば、あなたは意識的に至福のなかにある。
 あなたがマインドを自己から引き離し、あなたではないものにマ
 インドをとどめるために幸福の感覚を失うのだ。
 
                     『私は在る』(p114)
------------------------------------------------------------

そうか……。

(-||-)

------------------------------------------------------------
 永久的なもの、それはあなた自身の存在である。
 真我として在りなさい。
 それが至福である。
 あなたはいつもそれなのである。
                    『あるがままに』(p58)
------------------------------------------------------------

……。(-_-)

ありがとうございました。<(_ _)>

(-||-)

今日はこんなところで。

……。

m(_ _)m


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■ 2.写経ニサルガダッタ:
       【38 霊的修練は意志の主張と再主張だ】の3回目
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ここでは……こんな言葉が……語られます。

> 衝動と秘められた動機が重要なのであって形式ではない。
> もし彼が真我を見いだすためにするならば、何であれ彼のするこ
> とは間違いなく彼自身へと導くだろう。

そういうことなんですね。

(-||-)

では【38 霊的修練は意志の主張と再主張だ】の3回目です。

(いつものことながら、無断引用というよりは、無料宣伝と理解さ
 れることを願っています。(-||-) )

最初に通しで写経するので、それを読んでいただければいいです。

(あとは……ああとか……ううとか……言ってるだけですから。)

------------------------------------------------------------
 質問者 私たちはひとつだとあなたは言いました。それで充分で
     はありませんか?
 
 マハラジ
 私はあなたとひとつだ。
 あなたは私とひとつだろうか?
 もしそうなら、あなたは質問しなかっただろう。
 もしそうでないなら、もしあなたが私の見るものを見ないのなら、
 あなたのものの見方を改善する方法を示す以上の何が私にできる
 というのだろうか?
 
 質問者 あなたが与えられないものなら、あなた自身のものでは
     ないのです。
 
 マハラジ
 私は何ひとつ自分のものだと主張していない。
 「私」がないとき、どこに「私のもの」があろうか?
 二人の人が樹を見ている。
 ひとりは木の葉の合間に隠れている果実を見て、もうひとりは見
 ない。
 それ以外は、二人の間には何の違いもない。
 見ている者は、ほんのわずかな注意で、もうひとりも見ることが
 できることを知っている。
 だが、分かちあうという問題はここでは起こらない。
 信じてほしい。
 私はあなたに真実を分かちあうことをためらって、けちになって
 いるのではない。
 その反対に、私はまったくあなたのものだ。
 私を食べ、飲みなさい。
 だが、あなたは「ください、ください」と言葉で繰り返しながら、
 差しだされたものを受け取ろうともしないのだ。
 私が見ているものをあなたも見ることができるよう近道を示して
 いるのに、あなたは古い思考、感情、そして行為の習慣にしがみ
 つき、私に非難を浴びせている。
 自己知識は提供されたり、受け取られたりするような所有物では
 ない。
 それは与えたり、受け取ったりできるようなもののない、まった
 く新しい次元にあるのだ。
 
 質問者 少なくとも、日常生活におけるあなたのマインドの内容
     に関して、何らかの洞察をもらえませんか? 食べ、飲
     み、話し、眠る――あなたの側ではどのように感じられ
     るのでしょうか?
 
 マハラジ
 生活における一般のことは、私もあなたと同じように体験してい
 る。
 違いは私が体験しないことのなかに現れる。
 私は恐れや欲望、憎しみや怒りを体験しないのだ。
 私は何も頼まず、何も拒まず、何も蓄えない。
 これらに関して私は妥協しない。
 おそらく、これが私たちの間にある際立った違いだろう。
 私は妥協せず、自己に対して真正だが、あなたは実在を恐れてい
 るのだ。
 
 質問者 西洋人の観点からすれば、あなたのやり方には何か不安
     にさせるものがあるのです。片隅にひとり座って、「私
     は神だ。神は私だ」と繰り返すことはまったく狂ってい
     るように見えます。どうやって西洋人たちに、このよう
     な修練が最上の正気へと導くと納得させればよいのでし
     ょうか?
 
 マハラジ
 自分を神だと主張する人も、それを疑う他人も、ともに惑わされ
 ている。
 彼らは彼らの夢のなかで話しているのだ。
 
 質問者 もしすべてが夢なら、目覚めとは何なのでしょうか?
 
 マハラジ
 真の目覚めの状態を夢の国の言語で表すことができるだろうか?
 言葉では表現できない。
 それらはただの象徴なのだ。
 
 質問者 またしても、言葉では実在を伝えることができないとい
     う同じ弁解です。
 
 マハラジ
 もし言葉が欲しいなら、太古の力をもつ言葉をあなたに授けよう。
 どれでもいい。
 絶え間なく繰り返してみるがいい。
 それらは驚きをもたらすだろう。
 
 質問者 あなたはまじめなのですか? 正しい文化的、宗教的背
     景から生まれた信仰と信念を完全に欠いているにもかか
     わらず、西洋人に「オーム」や「ラーム」または「ハレ
     ・クリシュナ」を絶え間なく繰り返させるというのでし
     ょうか? 熱烈な信心もなしに、機械的に同じ音を繰り
     返すことで、彼が何を達成するというのでしょう?
 
 マハラジ
 いけないかね?
 衝動と秘められた動機が重要なのであって形式ではない。
 もし彼が真我を見いだすためにするならば、何であれ彼のするこ
 とは間違いなく彼自身へと導くだろう。
 
 質問者 その手段の有効性のために信仰は必要ないのでしょうか?
 
 マハラジ
 結果への期待でしかない信仰ならば、まったく必要はない。
 ここでは行動が大事なのだ。
 何であれ、あなたが真実のためにすることは、あなたを真実へと
 連れていくだろう。
 ただ、正直に、誠実でありなさい。
 どのような形を取るかは問題ではない。
 
 質問者 それなら、自分の熱望に表現を与える必要はどこにある
     のでしょうか?
 
 マハラジ
 必要はない。
 何もしないこともまた良いことなのだ。
 ただの熱望、思考や行為によって薄められていない、純粋で凝縮
 された熱望は、あなたをすばやくゴールへと連れていくだろう。
 本物の動機、それが重要であってやり方ではない。
 
                   『私は在る』(p188-189)
                  http://tinyurl.com/s747u
------------------------------------------------------------

(-||-)

> 質問者 私たちはひとつだとあなたは言いました。それで充分で
>     はありませんか?

この質問者の言葉は……その直前のマハラジの言葉、

「それはできるが、分かちあいは相互に行き交う道だ。
 分かちあうには二人が必要なのだ。
 私の与えたいことを受け取る用意のある人がいるだろうか?」

に対する応答です。

> マハラジ
> 私はあなたとひとつだ。
> あなたは私とひとつだろうか?

(>_<)

> もしそうなら、あなたは質問しなかっただろう。

はい。(-_-)

> もしそうでないなら、もしあなたが私の見るものを見ないのなら、
> あなたのものの見方を改善する方法を示す以上の何が私にできる
> というのだろうか?

まったくです。

> 質問者 あなたが与えられないものなら、あなた自身のものでは
>     ないのです。

はは……強気。(^^;)

> マハラジ
> 私は何ひとつ自分のものだと主張していない。
> 「私」がないとき、どこに「私のもの」があろうか?

おおー!

> 二人の人が樹を見ている。

はい。(-_-)?

> ひとりは木の葉の合間に隠れている果実を見て、もうひとりは見
> ない。
> それ以外は、二人の間には何の違いもない。

なるほど。

> 見ている者は、ほんのわずかな注意で、もうひとりも見ることが
> できることを知っている。
> だが、分かちあうという問題はここでは起こらない。

そうか……。

> 信じてほしい。
> 私はあなたに真実を分かちあうことをためらって、けちになって
> いるのではない。

わかっています。

> その反対に、私はまったくあなたのものだ。

はい。

> 私を食べ、飲みなさい。

(;_;)

> だが、あなたは「ください、ください」と言葉で繰り返しながら、
> 差しだされたものを受け取ろうともしないのだ。

まったく。

> 私が見ているものをあなたも見ることができるよう近道を示して
> いるのに、あなたは古い思考、感情、そして行為の習慣にしがみ
> つき、私に非難を浴びせている。

(-_-)

> 自己知識は提供されたり、受け取られたりするような所有物では
> ない。
> それは与えたり、受け取ったりできるようなもののない、まった
> く新しい次元にあるのだ。

はい。

> 質問者 少なくとも、日常生活におけるあなたのマインドの内容
>     に関して、何らかの洞察をもらえませんか? 食べ、飲
>     み、話し、眠る――あなたの側ではどのように感じられ
>     るのでしょうか?

欲しがってる……。(^_-)

わかるけど。(*-_-*)

> マハラジ
> 生活における一般のことは、私もあなたと同じように体験してい
> る。

はい。

> 違いは私が体験しないことのなかに現れる。

(-_-)?

> 私は恐れや欲望、憎しみや怒りを体験しないのだ。

ああ……。

> 私は何も頼まず、何も拒まず、何も蓄えない。
> これらに関して私は妥協しない。

そうか。

> おそらく、これが私たちの間にある際立った違いだろう。

大変な違いです。(*-_-*)

> 私は妥協せず、自己に対して真正だが、あなたは実在を恐れてい
> るのだ。

はい。

> 質問者 西洋人の観点からすれば、あなたのやり方には何か不安
>     にさせるものがあるのです。片隅にひとり座って、「私
>     は神だ。神は私だ」と繰り返すことはまったく狂ってい
>     るように見えます。どうやって西洋人たちに、このよう
>     な修練が最上の正気へと導くと納得させればよいのでし
>     ょうか?

そんな……“他の人”の心配なんて……。

> マハラジ
> 自分を神だと主張する人も、それを疑う他人も、ともに惑わされ
> ている。

(-_-)?

> 彼らは彼らの夢のなかで話しているのだ。

はい。

> 質問者 もしすべてが夢なら、目覚めとは何なのでしょうか?

うん。

> マハラジ
> 真の目覚めの状態を夢の国の言語で表すことができるだろうか?

ジーン。

> 言葉では表現できない。
> それらはただの象徴なのだ。

確かに。

> 質問者 またしても、言葉では実在を伝えることができないとい
>     う同じ弁解です。

ふーむ。

> マハラジ
> もし言葉が欲しいなら、太古の力をもつ言葉をあなたに授けよう。
> どれでもいい。
> 絶え間なく繰り返してみるがいい。
> それらは驚きをもたらすだろう。

なるほど。

> 質問者 あなたはまじめなのですか? 正しい文化的、宗教的背
>     景から生まれた信仰と信念を完全に欠いているにもかか
>     わらず、西洋人に「オーム」や「ラーム」または「ハレ
>     ・クリシュナ」を絶え間なく繰り返させるというのでし
>     ょうか? 熱烈な信心もなしに、機械的に同じ音を繰り
>     返すことで、彼が何を達成するというのでしょう?

うん。

> マハラジ
> いけないかね?
> 衝動と秘められた動機が重要なのであって形式ではない。

「衝動と秘められた動機」が重要なのであって……形式ではない。

そうか。(-_-)

> もし彼が真我を見いだすためにするならば、何であれ彼のするこ
> とは間違いなく彼自身へと導くだろう。

はい。

> 質問者 その手段の有効性のために信仰は必要ないのでしょうか?

マハラジが……どう答えるか……。

> マハラジ
> 結果への期待でしかない信仰ならば、まったく必要はない。

プ。(>_<)

> ここでは行動が大事なのだ。

(?_?)O

> 何であれ、あなたが真実のためにすることは、あなたを真実へと
> 連れていくだろう。

(-_-)

> ただ、正直に、誠実でありなさい。
> どのような形を取るかは問題ではない。

わかりました。

> 質問者 それなら、自分の熱望に表現を与える必要はどこにある
>     のでしょうか?

なかなか……理屈を言うね。

> マハラジ
> 必要はない。
> 何もしないこともまた良いことなのだ。

ああ……。

> ただの熱望、思考や行為によって薄められていない、純粋で凝縮
> された熱望は、あなたをすばやくゴールへと連れていくだろう。

そうか……。

> 本物の動機、それが重要であってやり方ではない。

「本物の動機、それが重要であってやり方ではない」……。

……。(-_-)

ありがとうございました……。<(_ _)>

(-||-)

今日の写経は、ここまでです。

m(_ _)m


       ………○…………○…………○………


『私は在る』の「目次」はここ↓に置いてあります。
https://www.ascensionkan.com/books/I_AM_THAT-index.html

ときどき「ニサルガ辞書」で遊んでみてください。
https://www.ascensionkan.com/ndic/

新しい「ラマナ・マハルシ辞書」はここです。
https://www.ascensionkan.com/rdic/

おこがましくも『アセ通』既刊号はすべてここに置いてあります。
https://www.ascensionkan.com/mm/


       ………○…………○…………○………



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■ 3.いただいたお手紙から:oozoraさん、かずさん、motherさん
━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━

▼『アセ通』への「私は在る」関連ご意見投稿フォーム:
http://www.formzu.net/fgen.ex?ID=P48750702
というのを作らせていただきました。(^^;)

「私は在る」に関するご意見・ご感想・シェアリング、または単な
るメールなど、ご自由にお書きいただければと思います。


       ………○…………○…………○………


今回は……oozoraさんという方から……とても嬉しい応援のご投稿
をいただきました。

早速ご紹介いたします。

【件名】: 最初から読ませていただいております(^_^)
------------------------------------------------------------
 はじめまして。
 とてもおもしろく、興味深い内容なので、最初から読ませていた
 だいております。
 ニサルガダッタやpariさん、他多くの人の考えを読ませていただ
 き、いろいろな人がいるんだなぁ、と感心しました。
 実は、私はこの世界にあまり興味がないタイプだったのですが、
 このメルマガを読んでいるうちに、人間に対して興味が出てきま
 した。人間はすばらしい存在だったのだ、と思えるのです。
 私は、今、この幻想世界がとてもすばらしく思えます。
 自信を持って、この世界を生きていくことが出来ます。
 満たされ、何の不満もない今の状態になることが出来たのは、
 このメルマガの影響も大きいと思います。
 また、続き、読ませていただきます。
 ありがとうございます。頑張って下さい(^_^)v
------------------------------------------------------------

oozoraさん……ご投稿ありがとうございました。

> はじめまして。

はじめまして。

> とてもおもしろく、興味深い内容なので、最初から読ませていた
> だいております。

そうでしたか……ありがとうございます。

> ニサルガダッタやpariさん、他多くの人の考えを読ませていただ
> き、いろいろな人がいるんだなぁ、と感心しました。

覚者の方々も……いろいろ違うことをおっしゃいますよね。

> 実は、私はこの世界にあまり興味がないタイプだったのですが、

それは……ステキですねぇ。(^^)/

> このメルマガを読んでいるうちに、人間に対して興味が出てきま
> した。人間はすばらしい存在だったのだ、と思えるのです。

あれま、そうでしたか。(^^;)

> 私は、今、この幻想世界がとてもすばらしく思えます。

なるほど。

> 自信を持って、この世界を生きていくことが出来ます。

そうですか……。

> 満たされ、何の不満もない今の状態になることが出来たのは、
> このメルマガの影響も大きいと思います。

神のみぞ知るの……あるがままですねぇ。

> また、続き、読ませていただきます。
> ありがとうございます。頑張って下さい(^_^)v

はい……ありがとうございます。

oozoraさん……とてもいろいろなことを……感じました。

応援のご投稿……嬉しかったです。

Love     pari


       ………○…………○…………○………


今回は……かずさんという方からも……個人メールの形でとても
嬉しい応援メッセージをいただきました。

ご本人のご了解を得て……早速ご紹介いたします。

【件名】: メルマガの感想&感謝
------------------------------------------------------------
 はじめまして。pari様
 かずと申します。突然のメール失礼致します。
 
 私は、たまにアセンション通信館を読ませて頂いていました。
 pari様が伝えたいことの意味が、まったくわからず、気が向いた
 時に読んでみる感じで、早数年。
 
 今は、遡って記事を読み返しています。
 だんだんと、伝えたい内容に追いついて来ているようで、うほほ、
 pariさんありがとー、とちょーしこいております。
 
 …お母様がお亡くなりになったとのこと、本当にご愁傷様でした。
 
 その渦中で、メルマガを発行されたこと、読者の方へ誠意をもっ
 て返答をされたことに、
 (起こってくることだけだとおっしゃる でしょうが)
 尊敬の気持ちが禁じ得ません。
 
 お陰で、源の不思議さ、理解できないものへの線香花火は、とも
 されています。
 
 『脳はそれを理解できるようには創られていない』(ACIM)
 
 …おえ!やっぱし?
 
 アドヴァイタとか、ACIMとかの枠組みはともかく…
 不思議は粋だよな、って思いました。
 付随して、
 「解明されるべき不思議がなければ肉体は存在できないし」とい
 う実感をともなった思考が起こったり…
 
 覚醒とか悟りをエサに生き残りをかけてしまう自分とは、なんと
 寂しく、はかなげなんでしょう。
 かわいいけど、健気な勘違いヤロー!
 ヴぁかものめぇー!みた いな。
 
 しかたナス…
 
 【人間なんてららーらーららららーらー♪あんた、何なのさ?
 やさしげなお慰みは、スピ本に書いとるわ!
 うるせー。読み飽きたし、聞き飽きた。
 そんなもんぢゃ、済まねぇんだよ、てめえが誰がだれか名乗って
 から私をあやつりな!】
 (ひとり芝居)
  
 実感は、身体に依存するし、実感なんて、身体なくしてありえな
 いとぶん投げる。
 気づきは身体を切り裂いて勝手に無視ぶっこいやっててくるだろ
 うが。
 
 ここの世界の意味ってなんぼのもんじゃい!そもそも世界はない。
 起こってくることの基盤である「それ」しかないもにもかかわら
 ず、意味があってほしいって、誰がいっとるんじゃい!
 っていうことです…。
 表現とか意味とか、、それが勝手に湧起こるでしょ!表現せざる
 をえないところにもってかれるでしょ、っていうか。
 私は、あらゆる宗教や、スピリチュアルに感謝しています。
 ダイレクトに不ニ一元論を突きつけられても、庶民には無用な、
 高僧向けの認定証としか思えなかったでしょうから。
 私の人生は、恩寵だらけでした。
 
 二元性の世界で負けたものの逃避場所なはずがない。
 私は、二元性 の避難場所として、崇高なmon-Duarityを使いたく
 ない…崇高じゃなく、あたりまえなんですよね。
 
 
 祇園さんとのやりとりがなければ、そんな気づきは起こらなかっ
 た。
 祇園さんが食い下がってくれたお陰さまで、様々な師のぬくもり
 を受取ることができました。
 もちろん、その投稿に対するpariさんの誠実さがなければ起こら
 なかったことです。…師達の存在の残り香りでしょうか?
 私には、ライラックの香りでした。
 きっと、ニサルガダッタ師(源)からの、pariさんへのほほえみ?
 
 ぷんぷん芳しいです。
 
 これからも、メルマガ楽しみにしております。
 長文読んで下さってありがとうございます。
 
 あたま悪いので、私にはこれが精一杯でした。
 
 フレーフレーをこめて
------------------------------------------------------------

かずさん、掲載のご了解ありがとうございました。

> はじめまして。pari様
> かずと申します。突然のメール失礼致します。
> 
> 私は、たまにアセンション通信館を読ませて頂いていました。
> pari様が伝えたいことの意味が、まったくわからず、気が向いた
> 時に読んでみる感じで、早数年。

そうでしたか……そんなに長く……。

> 今は、遡って記事を読み返しています。
> だんだんと、伝えたい内容に追いついて来ているようで、うほほ、
> pariさんありがとー、とちょーしこいております。

嬉しいです。

> …お母様がお亡くなりになったとのこと、本当にご愁傷様でした。

ありがとうございます。

> その渦中で、メルマガを発行されたこと、読者の方へ誠意をもっ
> て返答をされたことに、
> (起こってくることだけだとおっしゃる でしょうが)
> 尊敬の気持ちが禁じ得ません。

そんな。(*-_-*)

> お陰で、源の不思議さ、理解できないものへの線香花火は、とも
> されています。
> 
> 『脳はそれを理解できるようには創られていない』(ACIM)
> 
> …おえ!やっぱし?
> 
> アドヴァイタとか、ACIMとかの枠組みはともかく…
> 不思議は粋だよな、って思いました。
> 付随して、
> 「解明されるべき不思議がなければ肉体は存在できないし」とい
> う実感をともなった思考が起こったり…

『奇跡のコース』を読まれているんですね。

> 覚醒とか悟りをエサに生き残りをかけてしまう自分とは、なんと
> 寂しく、はかなげなんでしょう。
> かわいいけど、健気な勘違いヤロー!
> ヴぁかものめぇー!みた いな。
> 
> しかたナス…

(^_-)

> 【人間なんてららーらーららららーらー♪あんた、何なのさ?
> やさしげなお慰みは、スピ本に書いとるわ!
> うるせー。読み飽きたし、聞き飽きた。
> そんなもんぢゃ、済まねぇんだよ、てめえが誰がだれか名乗って
> から私をあやつりな!】
> (ひとり芝居)

はは。(^^;)

> 実感は、身体に依存するし、実感なんて、身体なくしてありえな
> いとぶん投げる。
> 気づきは身体を切り裂いて勝手に無視ぶっこいやっててくるだろ
> うが。
> 
> ここの世界の意味ってなんぼのもんじゃい!そもそも世界はない。
> 起こってくることの基盤である「それ」しかないもにもかかわら
> ず、意味があってほしいって、誰がいっとるんじゃい!
> っていうことです…。
> 表現とか意味とか、、それが勝手に湧起こるでしょ!表現せざる
> をえないところにもってかれるでしょ、っていうか。
> 私は、あらゆる宗教や、スピリチュアルに感謝しています。

なるほど。

> ダイレクトに不ニ一元論を突きつけられても、庶民には無用な、
> 高僧向けの認定証としか思えなかったでしょうから。
> 私の人生は、恩寵だらけでした。

そうでしたか。(-_-)

> 二元性の世界で負けたものの逃避場所なはずがない。
> 私は、二元性 の避難場所として、崇高なmon-Duarityを使いたく
> ない…崇高じゃなく、あたりまえなんですよね。

うーむ。

> 祇園さんとのやりとりがなければ、そんな気づきは起こらなかっ
> た。

え、そうでしたか。(@_@)

> 祇園さんが食い下がってくれたお陰さまで、様々な師のぬくもり
> を受取ることができました。

なるほど。

> もちろん、その投稿に対するpariさんの誠実さがなければ起こら
> なかったことです。…師達の存在の残り香りでしょうか?
> 私には、ライラックの香りでした。
> きっと、ニサルガダッタ師(源)からの、pariさんへのほほえみ?
> 
> ぷんぷん芳しいです。

そんな。(*-_-*)

> これからも、メルマガ楽しみにしております。
> 長文読んで下さってありがとうございます。
> 
> あたま悪いので、私にはこれが精一杯でした。
> 
> フレーフレーをこめて

かずさん……とても嬉しかったです。

ありがとうございました。m(_ _)m

Love     pari

       ………○…………○…………○………


今回もmotherさんから……ご意見のご投稿をいただきました。

早速ご紹介いたします。

【件名】: 「鏡」
------------------------------------------------------------
 「鏡」
 
 『人生にはなんの意味もない』(バシャール)
 
 普通に口にするとかなりひかれてしまいます。
 
 悩み事が絶えない人生において
 
 どうしたら抜け出せるのか?
 
 自分には何が足りないのか?
 
 あるいはもっと状況が変われば
 
 あの人さえいなければ
 
 病気さえ治れば
 
 お金さえあれば・・・
 
 この状態、とてもよく理解できます。
 
 では、願い事がなんでも叶うとして
 
 自分の理想の現実を描いてみてください。
 
 その時そこにいる自分は
 
 100%満たされていて揺るぎない幸せのなかにずっと居続けられ
 ていますか?
 
 恐らく全てが整ってもなお
 
 不安というものは
 
 しかりと残っているのではないでしょうか?
 
 そしてその不安はまた新たな好ましくない現実を創り出しま
 す。
 
 
 
 鏡の例えというのはよく聞く例ですが、このように浮かんでき
 ました。
 
 
 なぜ人は鏡に映るのでしょう?
 
 鏡はただありのままの姿を
 
 光が反射して映し出しているだけ、
 
 言ってみれば「そのまんま」です。
 
 ではそこに何の意味があるのかというと、
 
 映し出された自分の姿を確認したり修正したりすることができ
 
 そのために人は鏡を見るのです。
 
 それが鏡を見る目的です。
 
 鏡それ自体や映るという現象には何の意味もないのです。
 
 実は人生についてもこれと同じことが言えます。
 
 人生の現実に起きていることそのものには
 
 なんの意味もありません。
 
 ただありのままの自分の状態が
 
 現実となって映し出されているだけなのです。
 
 鏡の中の自分を理想どおりに変えるのに
 
 鏡それ自体をいじる人はいないでしょう。
 
 自分の表情や髪型などを鏡を見ながら少しづつ修正していきま
 すね。
 
 人生に起こる様々な現実についても同じことが言えます。
 
 自分を理想に近づけていく
 
 言い換えれば、
 
 本当の自分になるために
 
 そうでないものを外していく
 
 そのために様々な受け入れがたい事が目の前に起きているので
 す
 
 納得がいかなかったり
 
 不都合な状況であったり
 
 逆境と思われるその時こそが選び直しのチャンスです
 
 本当の自分自身でないもの
 
 例えば人を憎んだり恨んだり妬んだりというような
 
 本来こうありたいという姿とはかけ離れた自分に
 
 気づかせてくれるからです
 
 しかしそれは本当に苦しいことです
 
 醜い姿を映し出すことは
 
 本当に勇気がいるのです
 
 ですからゆっくりでかまいません
 
 自分の心に正直に
 
 進んでいけばいいのです
 
 それからこれはとても大切なことなのですが
 
 自分も周りも否定しないでください
 
 決して判断したりしないでください
 
 〜が「悪い」という発想からは
 
 プラスの現実は生まれません
 
 なにも起きていないし
 
 だれも悪くありません
 
 「どうありたいか」という
 
 自分の意思だけが
 
 その人の現実だからです
 
 少しづつ感謝できることが
 
 自分の中で増えていくことが
 
 自分を肯定し
 
 自分に価値を見出し
 
 豊かにし
 
 また周りを幸せにします
 
 心配は敵
 
 信頼は力
 
 弱さは強さの裏返し
 
 みんな同じ力を備えています。
 
 信頼し合いながら進んでいきましょう
 
 mother
------------------------------------------------------------

motherさん……ご投稿ありがとうございました。

m(_ _)m


       ………○…………○…………○………


『アセ通』への「ご投稿・情報提供」を歓迎いたします。

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http://www.formzu.net/fgen.ex?ID=P87119518


       ………○…………○…………○………


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■ 4.編集後記:ボブさんの言葉……素晴らしかったですね
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日が長いのは……一年で今が一番ですね。

今日の……ボブさんの言葉……素晴らしかったですね。

> 存在の気づきという根本的な単純さに戻ることです。
> そしてそのなかの微妙さを理解することです。
> そこにあるのは原因のない喜び、原因のない愛、そして原因のな
> い慈悲です。
> それには原因がありません。
> そこにはひとつの資質がその対極に反転するようなどんな対極も
> ありません。
> それらの資質はただ自然にそこにあるだけです。

なんと……スバラシイ……。

夢のなかの対象物に……できることなど……なにひとつない。

夢のなかの対象物に……どんな責任が……ありうるというのか。

夢のなかで……なにひとつ得るものも……失うものもない。

この安心……この安全……。

ただそれが夢だと……理解することだけ。

御心のままに……。

<(_ _)>


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■ 【作者】 『アセンション資料館』主人 pari
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  → メール: pariアットマークjk2.so-net.ne.jp
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