home > 通信 > 『アセンション館通信』第430号:ラメッシ・バルセカールの「自由意志」



━━━━☆☆☆☆━━━━━━━━━━━━━━ by paritosho ━
  ☆☆   ☆☆ 
 ☆☆     ☆☆『アセンション館通信』2012/7/01(第430号)
☆☆   ☆   ☆☆
☆☆      ☆★ 【気刊】――「私は在る」に導かれ♪――
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 ☆☆   ☆☆          https://www.ascensionkan.com/
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◇◇ このメルマガの趣旨 ◇◇

このメルマガはアセンション館主人 pari と称するあるパターンに
浮上している心象風景の報告です。

現象のなかに得るべき何ものもなく、探求するその人もいないこと
が納得されても、なおも惰性で書くことが起こっているようです。

内容は人畜無害、でも読む人は相当変わっていますね。現在885名
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◇◇ もくじ ◇◇

1.ラメッシ・バルセカールの「自由意志」

2.写経ニサルガダッタ:
       【38 霊的修練は意志の主張と再主張だ】の4回目

3.いただいたお手紙から:motherさん

4.編集後記:また……耳鳴りがひどくなりました。(^^;)
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■ 1.ラメッシ・バルセカールの「自由意志」
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いろんな天気がありますけど……一日として……同じ天気はないん
ですね。

一瞬と言えども……同じ瞬間はない……。

まあ……ひと通り展開し終わると……また最初の画面に戻るだけだ
……なんて言い方(観念)もあるかもしれません。(^_-)

しかしいずれにしろ……変化するものに……どんな実体もない。

変化のなかで……ああだこうだと……区別立てをして……比較して
……議論するのに……いつかは飽きる場面もあるのでしょうね。

そんなわけで……しかもなお……。(^_-)

(*^_^*)

さて、またまた一週間が過ぎて、楽しい“アセンション噺”ならぬ
“「私は在る」噺”にお付き合いいただく今がまいりました。

『アセンション館通信』配達人の pari です。(^^)/

みなさま固有の「私は在る」を……いかがお過ごしでしょうか?

現象すべてが絵空事だと……本当に思えてくると……たしかに……
楽は楽なんですけど……。

いつか……吉本隆明さんが……歳を取るということは……面白いこ
とが何ひとつなくなることだと……言っていらしたけど……。

まあ……似たような感じも……あります。

ふ。

このごろ……ラメッシ・バルセカール師の『誰がかまうもんか?!』
を……また読んでいます。

これほど“気上がり”な時代のために……用意されていた……とて
も知的な師であり……レトリックなんでしょうねぇ。

とても知的な画面……と言うのも……なんか“わけ知り顔”で……
気取りがすぎますし。(^_-)

ラメッシ・バルセカールの論理展開は……本当に……限界まで……
論理的です。

そして編集者(かどうか知りませんが)が……本のタイトルに……
選んだ言葉が……これまた……ドンピシャ……ですね。

「Who Cares?!」……『誰がかまうもんか?!』……というのです。

誰が気にする……。

エゴが努力して……エゴを破壊できるはずもなく……それはまった
く……人間的努力の……埒外にあります。

探求自体がそうだったように……すべては……起こることになって
いることが……起こるだけです。

政治家の好きな言葉で言うなら……フィルムに焼きつけられた画面
が……ただ「粛々と」……投影されていくだけです。

登場人物エゴの破壊を……加速することなど……映画のなかの当人
の努力で……できることではありません。

そんな努力の幻想と……努力による加速の幻想が……前もって映画
に織り込まれていることは……ありうるかもしれませんが。

すべては……エゴの無力の……自覚に至るための……道筋です。

エゴの努力の幻想に……意味があるような気がしているかぎり……
この泥濘は……続くわけです。

誰が気にする……。

もちろん……映画の登場人物は……気にします。

それに意味があるという……誤解自体が……エゴなのですから。

映画の登場人物は……映画のなかで次々と投影される状況に……そ
れこそ……一喜一憂すべきです。

それが……登場人物の……あるべき姿です。

でも……映画のなかで……限界を超えて……マインドの“神経”を
すり減らされたら……もうそれすらできなくなる。

筋書きが……その先どうなろうと……誰が気にする……。

どの道……なるようにしか……ならない。

フィルムに……焼き付けられている画面しか……投影される……は
ずもない。

映画のなかで……起こることになっていることが……起こるだけ。

ただ……映画の登場人物は……それを知らない。

だから元気が残っていれば……映画のなかでエゴの破壊までたどり
着ける……筋書きに合わせようと……ケチな努力もするでしょう。

まるで……今の画面と……期待する最終画面との間に……補間線を
引こうとするような……みみっちい努力を……。(*-_-*)

でも……それだって……いかにも……バカらしいのです。

だって……その努力自体が……エゴの延命の努力……そのものであ
ることが……だんだん自明になるわけですから。(>_<)

すべての努力が……エゴの延命の努力……でしかありえない。

すべての努力が……“努力”の幻想……でしかありえない……。

だとすれば……この先何がどうなろうと……。

誰が気にする……。

……。(-_-)

われわれ人間には……まったく自由がないということ……このこと
を理解させるために……覚者たちは語りつづけるのでしょう。

まず……マハラジの言い方だと……こうなります。

------------------------------------------------------------
 質問者 自由意志というものはないのでしょうか? 私には欲望
     をもつ自由はないのでしょうか?
 
 マハラジ
 いいや。
 あなたは欲望に強制されるのだ。
 ヒンドゥー教では自由意志という概念自体が不在だ。
 だから、そのための言葉もないのだ。
 意志とは拘束、固定、束縛だ。
                     『私は在る』(p373)
------------------------------------------------------------

マハラジは、

> ヒンドゥー教では自由意志という概念自体が不在だ。

……と言う。

> 意志とは拘束、固定、束縛だ。

と。

なるほど……理解できます……。

理解はできますが……しかし論理の“歩幅”は……大きいです。

マハラジから……一度こう聞ただけで……その後の人生が……
ガラっと変わる方は……滅多にいないでしょう。

この人間の自由意志について……ラメッシ・バルセカールは……そ
の包含すべてを……じつに懇切に……噛み砕いてくれます。

まず……通常「自由意志」という言葉で……われわれが何を意味し
ているのかから……確認してくれます。

(この本の編集者は……論理の筋が見えやすいように……別の会話
 からの引用を……編集しています)

------------------------------------------------------------
 ラメッシ
 最初にあなたが「自由意志」ということで、何を意味しているの
 か話してください。
 
 ロン あれにするかこれにするかは、「私」が選択できるという
    観念です。
 
 ラメッシ
 ええ、でもそれは、あなたが選んだことの結果を含むのでしょう
 か? 
 あなたの自由意志は、あれかこれかを選ぶことです。
 あなたの自由意志は、あなたが選択したことが実際に起こること
 も含むでしょうか?
 
 マーク いいえ。
              『誰がかまうもんか?!』(p113-114)
------------------------------------------------------------

これは……じつに……重要な確認です。

われわれが……「自由意志」をもっているとして……しかしそれは
……われわれが望む結果までは……保証していない……。

最近流行りの“引き寄せの法則”に……よほど夢中な方は別として
……通常これは……間違いなく人間の常識です。

でも……人間は欲望することを……やめようとはしませんが。(^_-)

「自由意志」についての……これが一つ目の確認事項です。

「自由意志」とは……望んだ結果を起こらせる自由……と言う意味
ではない……ということです。

次にラメッシは……人間の「自由意志」とは……誰の意志なのかを
……確認します。

われわれが「自由意志」で選ぶ……と言うとき……それは誰が選ん
でいるのか……ということです。

------------------------------------------------------------
 ラメッシ
 では、あなたは何にもとづいて選択しますか?
 あなたはどうやって選択するのでしょうか?
 
 マーク それは私の質問になるでしょう。なぜなら私は、「誰が
     選択するのか?」と、尋ねたかったからです。
 
 ラメッシ
 「誰」が選択するのでしょうか? 
 エゴが選択します。
 でも、エゴは何にもとづいて選択するのでしょうか?
 私が言いたいのは、エゴはプ口グラミングされている内容に従っ
 て「選択」をするということです。
 
 マーク そして、それは何もコントロールできない。
 
 ラメッシ
 環境的条件づけに対して、エゴはどうすることもできません。
 
 マーク それともDNAか何か。
 
 ラメッシ
 そのとおりです。
 ですから、あなたが選択できないDNA、すなわち遺伝子があり、
 それにプラス環境的条件づけがあって、それに対してもあなたは
 何も選択できません。
 これら二つのことを、私はプログラミングと呼んでいるのであり、
 それによってあなたは「自分」の選択をするわけです。
 正しいとか間違っているとかを考える条件づけにもとづいて、あ
 なたは選択をするでしょう。
 ですから、あなたの自由意志が、あなたがコントロールできない
 プログラミングにもとづいているとしたら、そうすると、「誰の」
 自由意志について、私たちは話しているのでしょうか?
 
 マーク ということは、自由意志さえ、絶対的主体、つまり源泉
     の機能だというわけですね?
 
 ラメッシ
 そのとおりです。
 と言うより、あなたがそんなにも大切にしている自由意志とは、
 あなたがコントロールできない何かにもとづいている、というこ
 とです。
 
 マーク それはすばらしいです。実にすばらしいです!
 
 ラメッシ
 では、エゴがするもっともな質問にまた戻ります。
 エゴには一つのもっともな質問があります。
 それは、「世間で生きていくなかで、私は選択するよう求められ
 ていますが――私は選択していないのでしょうか?」というもの
 です。
 私は言います。
 「もちろん、あなたは選択していますよ」。
 でも、私が言っているのは、あなたがしている選択、それは本当
 に「あなたの」選択ですか、それとも、その選択は起こるのか考
 えてみてください、ということです。

              『誰がかまうもんか?!』(p115-117)
------------------------------------------------------------

そしてまた……こうも言います。

------------------------------------------------------------
 ですから、あなたがやりたいと思うことをしてください。
 神はどうやってそれを管理しているのでしょうか? 
 プログラミングを通じてです。
 あなたがやりたいと思うことは、プログラミングにもとづいてい
 ます――遺伝子プラス条件づけです。
 神はプログラミングを通じて実行します。
 起こることが自分のコントロールにないとすれば、自分のやりた
 いことをする完全な自由が何になるというのでしょうか?
 
 ジェームズ だから、自由は役に立たないのですね。
 
 ラメッシ
 あー、それが要点です。
 それが、エゴが到達しなければいけない結論です――エゴが長年
 支配していた自由の効果は役立たないということです。
 
              『誰がかまうもんか?!』(p119-120)
------------------------------------------------------------

(*_*) ⌒★?

> それが、エゴが到達しなければいけない結論です――エゴが長年
> 支配していた自由の効果は役立たないということです。

……。(-_-)

この言葉に……反対できる方はいますか?

われわれ人間(つまりエゴ)が……虎の子のように大切にしてきた
「自由意志」は……じつは……なんの役にも立たない……。

それどころか……人間(つまりエゴ)が……自分の選択だと思って
いたこととは……エゴが望まされていたことだった。

個々のエゴは……そう望むように……プログラミングによって……
強制されていた……。

しかも……そのことは……どれほど徹底しているのか。

------------------------------------------------------------
 ラメッシ
 ミラバイ、あなたが理解したことをもう少し話してくれませんか?
 あなたが言うとおりの質問が、ラマナ・マハルシに投げかけられ
 ました。
 「私は腕を上げました。それもまた、あらかじめ運命づけられて
 いるのですか?」。
 そして、ラマナ・マハルシは答えました。
 ただひと言――「そうです」。
 自分の腕を上げるのさえ、あらかじめ運命づけられている――あ
 らかじめ決定されているということを、どう説明しますか?
 
 エディ それは、ある瞬間における何かに対する反応でしょう。
     たとえ私か誰かがあなたに、「自分はそうしたいから腕
     を上げています」などと言うとしてもです。私はそのこ
     とに反応しているかもしれませんし、反応しないかもし
     れません。つまりは反応なんです!
 
 ラメッシ
 まつたくそのとおりです、エデイ。
 言い換えるなら、なぜその人は腕を上げたのでしょうか?
 腕を上げるということは、聞いたこと――あらゆることがあらか
 じめ決まつている――に対する脳の反応でした。
 ほんの数秒前、ラマナ・マハルシが、「すべてはあらかじめ決ま
 っている」と言い、そのことがその人――その肉体精神機構――
 によって聞かれ、脳が反応したのです。
 「自由意志がないですって? 私は自分の腕を上げることができ
 ます」。
 ですから、腕を上げるのは、聞いたことに対する脳の反応でした。
 それは、かゆいときに掻くのと同じ反応なのです。
 
 エディ そうすると、仮に人が、「かゆいけど、私は掻かないつ
     もりだ。私は反応しないつもりだ」と言っても、それも
     反応です。
 
 ラメッシ まったくそのとおりです。
 
              『誰がかまうもんか?!』(p119-120)
------------------------------------------------------------

……。(-_-)

「自由意志」についての……これが二つ目の確認事項です。

“自分の”「自由意志」で選ぶこととは……これほどにも徹底して
……前もってプログラミングをつうじて……決定されている。

確かに人間には……個々の状況で……自由に……選択できる。

あるいは……選択する「自由意志」がある……ように見える。

しかし……その「自由意志」は……当人の欲望の実現を……コント
ロールできない。

そしてまた……当人は……自分の「自由意志」を…………コントロ
ールできない。

これが……人間が後生大事にしている……「自由意志」です。

この観念が……あなたが楽になる役に立つかどうかは……また別の
ことですが……。

それもまた……御心のままにです……。

……。

今回も……少しボブさんからの無断翻訳をご紹介しますね。

『Living Reality: My Extraordinary Summer With "Sailor" Bob
 Adamson』(http://tinyurl.com/88zpf7p )
(『生きている実在:セイラー・ボブと過ごした途方もない夏』)
からの抽出翻訳です。

著者ジェームズ・ブラーハは……まだボブさんに会っていません。

これは……フロリダから……オーストラリアにかけた……そのほか
の電話の内容です。

------------------------------------------------------------
 ジェームズ あなたが教えている方たちの様子を伺ってもいいで
       しょうか? 不二一元論の先生方のなかには何年も
       何年も会いに来る学生たちがいる人もあると聞くの
       で、それはどういうことなんだろうと思うのです。
 
 ボブ
 なかには参加すると、かなり素早く理解を得る人もいます。
 別の人たちは何年もたむろしています。
 なかには参加しても、まったくわからない人もいます。
 それから離れていって、十年後にまた戻ってくる人もいます。
 彼らが他のことをすべて試した後で、私はまた会うわけです。
 
 ジェームズ わかりました。
       バーバラは私に、ボーウェン・セラピーをしている
       と言っていました。本当にいいらしいですね。彼女
       はまたサウンドセラピーにも触れて、それは自閉症
       に子供にも役立つ可能性があると言っていました。
 
 ボブ
 ええ、あれはとてもいいです。
 
 ジェームズ 私は自閉症の子供たちの両親を気の毒に思います。
       自分の子供と普通に感情的接触できないのは、どん
       なに恐ろしいことでしょう。創造のなかにはあらゆ
       る類の体験があるのだとは推測しますが。
 
 ボブ
 生命はあらゆる多様性において表現されます。
 
 ジェームズ 誰がこういうことすべてを起こらせているのですか?
 
 ボブ
 あなたも知ってのとおり、実際には何ひとつ起こっていません。
 それはひとつの幻影、見かけにすぎません。
 
 ジェームズ しかしその背後には何か知性があるのですか?
 
 ボブ
 もちろんです。
 宇宙がどんなふうに働いているかを見てください。
 それは知性を暗示しているのではないですか?
 
 ジェームズ そうですよね。私が混乱するのは、創造には無限の
       知性があるのに、同時にそこにはたいへんな否定性
       もあって、それで誰がこんなものを作るんだろうと
       思うのです。
 
 ボブ
 そこでもまた、ジェームズ、私たちが否定的なものを見るのは、
 いわゆる人間と呼ばれる存在の小さな視点から見ているからにす
 ぎないのです。
 もしあなたが月に行って地球を振り返ったら、その視野から人間
 はどこに見えるでしょうか?
 私たちは、今あなたの顔面に這う細菌よりも小さいでしょう。
 あなたが自分の顔をこするたびに、何千もの細菌が死ぬのです。
 
 ジェームズ ええ。しかしもしあなたが、例えば、サダム・フセ
       インによって熱い油の大樽に放り込まれている当人
       だったら、物事は間違いなくかなり否定的に見える
       でしょう。
 
 ボブ
 ええ、それこそが私が参照点について言ったことの強調です。
 サダムが誰かを殺すとき、彼はたぶん自分の利益を守っています。
 彼の観点からは、それは良いことです。
 私たちの観点からは、そうではありません。
 それはすべて参照点によることなのです。
 
 何年も前、バーブと私が農場を持っていたとき、私たちは鳥かご
 でカナリヤを飼っていました。
 私は毎日そのかごを外に出して、夜に戻していました。
 ある日、私はそれをなかに入れ忘れました。
 翌朝私が外に出ると、鳥かごのなかに何枚かの羽と止まり木にわ
 ずかの血が残っているだけでした。
 友人が来て「可哀想なカナリヤだ。何という恐ろしいことが起こ
 ったんだろう」と言いました。
 
 「うん、しかし食べたフクロウにとってはそんなに悪いことじゃ
 なかったさ」と私は言いました。
 フクロウは良い食事にありついたのです。
 捕まえやすかったでしょう、カナリヤは苦しまなければならなか
 ったけど。
 
 こういうことは絶えず起こっていて、私たちはそれを否定的に言
 います。
 生命はつねに生命を食べて生きています。
 われわれが知るような死というものはありません。
 死からは、より多くの生命がやってくるのです。
 この身体が死ぬと、たちまち何百万という酵素がそれに代わって
 それを食べ始めます。
 それから蛆虫や昆虫がやってきます。
 その身体はすぐに崩壊するでしょう。
 あとの残渣は大地のなかに入り、そこから草が生えてきます。
 それから何かがその草を食べ、また何かがその草を食べた者を食
 べ、といったふうに続くのです。
 そのすべてはポジティブでもありネガティブでもあるでしょう。
 生命はつねに生命を食べて生きています。
 実際は、死はけっして起こりません。
 特定の参照点にとって死が起こるにすぎないのです。
 
 ジェームズ そしていずれにせよ、実際は何ひとつ起こっていな
       い。
 
 ボブ
 エネルギーのパターンが現れてしばらく遊びまわって、そのエネ
 ルギーのパターンは消えます。
 ちょうど水面にさざ波が立ち、それから大波が来て、また大きな
 うねりが来るのとまさに同じです。
 しかしそこにはつねに、また永遠に水があるだけなのです。
 
 その水には実際は何ひとつ起こっていません。
 それはただ異なる姿や形を取り、それから水のなかに消えてゆく
 だけです。
 
 ですから、いまだかつて何ひとつ起こったことはありません。
 そしてあなたは事実、その物でないもの――無なのです。
 そしてあなたは、けっしてそれを超えられません、ジェームズ。
 あらゆる救世主たち(すべての覚者、キリストやラマナ・マハル
 シ、誰でもあなたが名をあげたい人)は、けっしてその「無」を
 超えたことはありません。
 そして私は、自分がその物ではないものであることを確実に知っ
 ています。
 違いますか?
 
 ジェームズ ええ、まったくです。ただ、私はそれを無と呼ぶべ
       きか、すべてと呼ぶべきかはわかりませんが。
 
 ボブ
 ええ。
 そのとおりです。
 
 ジェームズ それはつねに存在する何かです。
 
 ボブ
 そうです。
 あなたはそれを超えて行くことはできません。
 あなたはそれです。
 
 ジェームズ わかりました。それでは、本当にありがとうござい
       ました。ボブ、いらっしゃるのを本当に楽しみに待
       っています。
 
                  『Living Reality』(p52-54)
------------------------------------------------------------

ふーむ。

ボブさんの言葉は……何というか……客観的ですねぇ。(-_-)

ありがたいです……。(-||-)

------------------------------------------------------------
 あれやこれに成ろうとするのではなく、在ることに幸せでありな
 さい。
 あなたは意識界に完全に気づいている観照者として在るだろう。
 だが、あなたと意識界の間には、いかなる感情も観念も立ちはだ
 かるべきではない。
                     『私は在る』(p233)
------------------------------------------------------------

そうか……。

(-||-)

------------------------------------------------------------
 永久的なもの、それはあなた自身の存在である。
 真我として在りなさい。
 それが至福である。
 あなたはいつもそれなのである。
                    『あるがままに』(p58)
------------------------------------------------------------

……。(-_-)

ありがとうございました。<(_ _)>

(-||-)

今日はこんなところで。

……。

m(_ _)m


━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━
■ 2.写経ニサルガダッタ:
       【38 霊的修練は意志の主張と再主張だ】の4回目
━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━

なかに……こんな問答があります。

> マハラジ
> では、もし彼がそれは言葉では伝えられないと言ったならどうす
> るかね?
> 
> 質問者 私は彼を念入りに観察し、理解しようとします。
> 
> マハラジ
> それこそまさしく私があなたにしてほしいことなのだ!
> 相互理解の流れが確立するまで興味をもち、注意を注ぎなさい。
> そうすれば分かちあいはやさしいだろう。

言葉に興味をもちつづけることで……「言葉では伝えられない」こ
とにさえ……理解の流れが確立するかもしれません。

(-||-)

では【38 霊的修練は意志の主張と再主張だ】の4回目です。

(いつものことながら、無断引用というよりは、無料宣伝と理解さ
 れることを願っています。(-||-) )

最初に通しで写経するので、それを読んでいただければいいです。

(あとは……ああとか……ううとか……言ってるだけですから。)

------------------------------------------------------------
 質問者 信じられません! 絶望間際の、退屈で単調な復唱が効
     果的でありうるのでしょうか?
 
 マハラジ
 繰り返しているという事実そのもの、退屈と絶望、そしてまった
 くの確信の欠如にも関わらず、忍耐と粘り強さをもって闘いつづ
 けていることが、実に決定的なことなのだ。
 やり方自体が重要なのではない。
 その背後にある真剣さがもっと重大なのだ。
 そこには内なる後押しと、外からの引きつける力がなければなら
 ない。
 
 質問者 私の質問は典型的な西洋のものです。西洋では、人びと
     は原因と結果、手段と結果という言語で考えます。特定
     の言葉と絶対的実在との間にどのような因果関係がある
     のか、彼らには理解できないでしょう。
 
 マハラジ
 まったく何もない。
 だが、言葉とその意味、行動と動機の間には関連がある。
 霊的修練は意志の主張と再主張なのだ。
 あえてそれに挑む人でないかぎり、真理を差しだされても受け取
 らないだろう。
 恐れから気の進まないまますることが、唯一の障害なのだ。
 
 質問者 何を恐れるというのでしょうか?
 
 マハラジ
 未知なるものだ。
 存在ではなく、知識ではなく、行為でもない。
 彼方なるものなのだ。
 
 質問者 つまり、達成への手ほどきは分かちあえても、その結果
     を分かちあうことはできないということでしょうか?
 
 マハラジ
 もちろん、結果を分かちあうことはできる。
 それこそ私が絶え間なくしていることだ。
 しかし、私の分かちあいはひとつの沈黙の言語なのだ。
 聞き方を学び、理解しなさい。
 
 質問者 私には、どうして信念なしにはじめることができるのか、
     理解できません。
 
 マハラジ
 しばらく私とともにいるがいい。
 あるいは私の言うことに心を捧げなさい。
 そうすれば確信は現れるだろう。
 
 質問者 誰もがあなたに出会う機会があるわけではありません。
 
 マハラジ
 あなた自身に出会いなさい。
 あなた自身の自己とともに在りなさい。
 それに耳を傾けなさい。
 それに従いなさい。
 それを育み、たえず記憶のなかにとどめておきなさい。
 あなたにほかの指導は必要ない。
 あなたの真理への衝動が日々の生活に影響を及ぼしているかぎり、
 すべてはうまくいくだろう。
 あなたの生を誰も傷つけることなく生きなさい。
 無害であることは、ヨーガのもっとも強力な修行形式なのだ。
 そして、それがあなたをすばやくゴールへと導くだろう。
 これが、私がニサルガ・ヨーガ、自然のヨーガと呼ぶものだ。
 それは平和と調和、友情と愛に生きる技だ。
 その結実が、永遠で原因のない幸福なのだ。
 
 質問者 それでもこれらはみな、いくらかの信仰を必要条件とし
     ます。
 
 マハラジ
 内面に向かいなさい。
 そうすれば、あなたは自己を信頼するようになるだろう。
 そのほかすべてにおいて、確信は体験から来るのだ。
 
 質問者 ある人が私の知らない何かを知っていると告げたとき、
     私には「私が知らず、あなたが知っていることとは何で
     しょうか?」と聞く権利があります。
 
 マハラジ
 では、もし彼がそれは言葉では伝えられないと言ったならどうす
 るかね?
 
 質問者 私は彼を念入りに観察し、理解しようとします。
 
 マハラジ
 それこそまさしく私があなたにしてほしいことなのだ!
 相互理解の流れが確立するまで興味をもち、注意を注ぎなさい。
 そうすれば分かちあいはやさしいだろう。
 あなたはより大きく開かれた意識のなかに入り、そのなかで分か
 ちあうのだ。
 なかに入っていき、分かちあうことを望まないことが唯一の障害
 なのだ。
 私はけっして違いに関して話さない。
 私にとって違いというものはないからだ。
 あなたは違いを見る。
 だから、それを私に見せるのはあなた次第だ。
 ぜひとも見せてほしいものだ。
 そのためには、あなたは私を理解しなければならない。
 だが、そのときには、もはやあなたは違いについて話さないだろ
 う。
 ひとつのことを理解すれば、あなたは達成したことになる。
 あなたを知ることから妨げるのは機会の欠如ではなく、理解した
 いことにマインドの焦点を合わせる能力に欠けるからだ。
 あなたが知らないことをマインドにとどめることができるならば、
 それはその秘密をあなたに解き明かすだろう。
 だが、もしあなたが浅はかで、短気で、見ること、そして待つこ
 とに充分誠実でないなら、あなたは月を求めてなく子供と同じな
 のだ。
 
                   『私は在る』(p189-191)
                  http://tinyurl.com/s747u
------------------------------------------------------------

(-||-)

> 質問者 信じられません! 絶望間際の、退屈で単調な復唱が効
>     果的でありうるのでしょうか?

この質問者の言葉は……前回の最後の部分の

「何もしないこともまた良いことなのだ。
 ただの熱望、思考や行為によって薄められていない、純粋で凝縮
 された熱望は、あなたをすばやくゴールへと連れていくだろう。
 本物の動機、それが重要であってやり方ではない」

という……マハラジの言葉に対する応答です。

> マハラジ
> 繰り返しているという事実そのもの、退屈と絶望、そしてまった
> くの確信の欠如にも関わらず、忍耐と粘り強さをもって闘いつづ
> けていることが、実に決定的なことなのだ。

もっとも……無関心で……そんなことも続けられないでしょうが。

また続けながら……しかも無関心でいられるなら……もう……。

> やり方自体が重要なのではない。
> その背後にある真剣さがもっと重大なのだ。

はい。

> そこには内なる後押しと、外からの引きつける力がなければなら
> ない。

波全体の勢いが……もう……。

> 質問者 私の質問は典型的な西洋のものです。西洋では、人びと
>     は原因と結果、手段と結果という言語で考えます。特定
>     の言葉と絶対的実在との間にどのような因果関係がある
>     のか、彼らには理解できないでしょう。

確かに。

> マハラジ
> まったく何もない。

はは。(^^;)

> だが、言葉とその意味、行動と動機の間には関連がある。

はい。

> 霊的修練は意志の主張と再主張なのだ。

(-_-)?

> あえてそれに挑む人でないかぎり、真理を差しだされても受け取
> らないだろう。

なるほど。(@_@)

> 恐れから気の進まないまますることが、唯一の障害なのだ。

そういうことか。(-_-)

> 質問者 何を恐れるというのでしょうか?

うん。

> マハラジ
> 未知なるものだ。

(@_@)

> 存在ではなく、知識ではなく、行為でもない。

あ……。

> 彼方なるものなのだ。

確かに。(-_-)

> 質問者 つまり、達成への手ほどきは分かちあえても、その結果
>     を分かちあうことはできないということでしょうか?

この人の……言い方だなぁ……。

> マハラジ
> もちろん、結果を分かちあうことはできる。

(@_@)

> それこそ私が絶え間なくしていることだ。

ああ……そうなのか。(-_-)

> しかし、私の分かちあいはひとつの沈黙の言語なのだ。
> 聞き方を学び、理解しなさい。

はい。(*-_-*)

> 質問者 私には、どうして信念なしにはじめることができるのか、
>     理解できません。

うん。

> マハラジ
> しばらく私とともにいるがいい。

親切だなぁ。

> あるいは私の言うことに心を捧げなさい。

はい。

> そうすれば確信は現れるだろう。

(-||-)

> 質問者 誰もがあなたに出会う機会があるわけではありません。

うん。

> マハラジ
> あなた自身に出会いなさい。

そうか。

> あなた自身の自己とともに在りなさい。

そうか……。

> それに耳を傾けなさい。
> それに従いなさい。

耳鳴りさせて……こんなもの書いていないで。(*-_-*)

> それを育み、たえず記憶のなかにとどめておきなさい。

はい。

> あなたにほかの指導は必要ない。

わかりました。

> あなたの真理への衝動が日々の生活に影響を及ぼしているかぎり、
> すべてはうまくいくだろう。

ありがとうございます。(-||-)

> あなたの生を誰も傷つけることなく生きなさい。

はい。

> 無害であることは、ヨーガのもっとも強力な修行形式なのだ。

(-||-)

> そして、それがあなたをすばやくゴールへと導くだろう。
> これが、私がニサルガ・ヨーガ、自然のヨーガと呼ぶものだ。

ああ……。

> それは平和と調和、友情と愛に生きる技だ。
> その結実が、永遠で原因のない幸福なのだ。

(-||-)

> 質問者 それでもこれらはみな、いくらかの信仰を必要条件とし
>     ます。

うう。

> マハラジ
> 内面に向かいなさい。

はい。

> そうすれば、あなたは自己を信頼するようになるだろう。
> そのほかすべてにおいて、確信は体験から来るのだ。

わかりました。

> 質問者 ある人が私の知らない何かを知っていると告げたとき、
>     私には「私が知らず、あなたが知っていることとは何で
>     しょうか?」と聞く権利があります。

なるほど。

> マハラジ
> では、もし彼がそれは言葉では伝えられないと言ったならどうす
> るかね?

どうするね? (^^)     \←……

> 質問者 私は彼を念入りに観察し、理解しようとします。

お。

> マハラジ
> それこそまさしく私があなたにしてほしいことなのだ!

はい。

> 相互理解の流れが確立するまで興味をもち、注意を注ぎなさい。
> そうすれば分かちあいはやさしいだろう。

はい。

> あなたはより大きく開かれた意識のなかに入り、そのなかで分か
> ちあうのだ。

そうか。

> なかに入っていき、分かちあうことを望まないことが唯一の障害
> なのだ。

わかりました。

> 私はけっして違いに関して話さない。
> 私にとって違いというものはないからだ。

そうだよなぁ。

> あなたは違いを見る。

なるほど。

> だから、それを私に見せるのはあなた次第だ。
> ぜひとも見せてほしいものだ。

そうか。

> そのためには、あなたは私を理解しなければならない。

はい。

> だが、そのときには、もはやあなたは違いについて話さないだろ
> う。

そうか。

> ひとつのことを理解すれば、あなたは達成したことになる。

(-_-)?

> あなたを知ることから妨げるのは機会の欠如ではなく、理解した
> いことにマインドの焦点を合わせる能力に欠けるからだ。

なるほど。

> あなたが知らないことをマインドにとどめることができるならば、
> それはその秘密をあなたに解き明かすだろう。

そういうものなんだ。

> だが、もしあなたが浅はかで、短気で、見ること、そして待つこ
> とに充分誠実でないなら、あなたは月を求めてなく子供と同じな
> のだ。

確かに。

……。(-_-)

ありがとうございました……。<(_ _)>

(-||-)

今日の写経は、ここまでです。

m(_ _)m


       ………○…………○…………○………


『私は在る』の「目次」はここ↓に置いてあります。
https://www.ascensionkan.com/books/I_AM_THAT-index.html

ときどき「ニサルガ辞書」で遊んでみてください。
https://www.ascensionkan.com/ndic/

新しい「ラマナ・マハルシ辞書」はここです。
https://www.ascensionkan.com/rdic/

おこがましくも『アセ通』既刊号はすべてここに置いてあります。
https://www.ascensionkan.com/mm/


       ………○…………○…………○………



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■ 3.いただいたお手紙から:motherさん
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▼『アセ通』への「私は在る」関連ご意見投稿フォーム:
http://www.formzu.net/fgen.ex?ID=P48750702
というのを作らせていただきました。(^^;)

「私は在る」に関するご意見・ご感想・シェアリング、または単な
るメールなど、ご自由にお書きいただければと思います。


       ………○…………○…………○………


今回もmotherさんから……ご意見のご投稿をいただきました。

早速ご紹介いたします。

【件名】: 何かありましたらどうぞ
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 パリさんへ
 
 たくさんの愛をありがとうございます
 
 
 「正直」「誠実」
 
 これが原点です
 
 人にどう思われるかという「不安」から
 
 会話したり行動したりすれば
 
 豊かな「関係」や「創造」は得られませんから
 
 自己中に何も考えず喋り、行為すること
 
 それが「誠意」です
 
 
 「動機」は本気でなければ
 
 「喜び」からでなければ
 
 「不安」からの動機は
 
 本気ではないので
 
 本当の自分へは決してたどり着けない
 
 
 逃げ道に真理を探るなら
 
 さらに真理からは遠のき
 
 さらに逃げ惑う
 
 
 また、考えるなら得られず
 
 感じればすでに得ている
 
 真理であれなんであれ
 
 感じていれば分かっている
 
 証明も説明も必要ない
 
 
 ただ朗らかに微笑んでいれば
 
 それが「いまここ」にいることの現れである
 
 することはなにもないとは
 
 このことである
 
 mother
 
 
 いつもストレートにかかせていただいています
 
 本当にありがとうございます
 
 皆さんそれぞれの
 
 個性というパズルは
 
 パリさんという個性の営むアセンション館で
 
 豊かな関係・創造が常に繰り広げられており
 
 本当に素晴らしいと感じます
 
 
 私たちが好きだと感じることが
 
 宇宙そのものだと感じます
 
 例えば、愛・生む・感謝・喜び・・・
 
 それらはただ好きだと感じている感覚であり
 
 真実はそういうシンプルなところに映し出されていて
 
 子供達が簡単に気づいている
 
 そう感じます
 
 今日も子供たちと鳥たちと友人たちと
 
 豊かな「いまここ」から
 
 投稿させていただきました
 
 ありがとうございます
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motherさん……ご投稿ありがとうございました。

掲載の形が……これで良かったのかどうか……ちょっと確信がなか
ったのですが……。(^^;)

でも……特に問題も……ありませんし。

ありがとうございました。

m(_ _)m


       ………○…………○…………○………


『アセ通』への「ご投稿・情報提供」を歓迎いたします。

▼『アセンション館通信』への情報ご投稿フォーム
http://www.formzu.net/fgen.ex?ID=P87119518


       ………○…………○…………○………


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■ 4.編集後記:また……耳鳴りがひどくなりました。(^^;)
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また……耳鳴りがひどくなりました。(^^;)

バカですねぇ。

まあ……起こることになっていることしか……起こりません。

御心のままに……。

<(_ _)>


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■ 【作者】 『アセンション資料館』主人 pari
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  → メール: pariアットマークjk2.so-net.ne.jp
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