home > 通信 > 『アセンション館通信』第433号:わたしと映画の登場人物



━━━━☆☆☆☆━━━━━━━━━━━━━━ by paritosho ━
  ☆☆   ☆☆ 
 ☆☆     ☆☆『アセンション館通信』2012/7/22(第433号)
☆☆   ☆   ☆☆
☆☆      ☆★ 【気刊】――「私は在る」に導かれ♪――
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 ☆☆   ☆☆          https://www.ascensionkan.com/
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◇◇ このメルマガの趣旨 ◇◇

このメルマガはアセンション館主人 pari と称するあるパターンに
浮上している心象風景の報告です。

現象のなかに得るべき何ものもなく、探求するその人もいないこと
が納得されても、なおも惰性で書くことが起こっているようです。

内容は人畜無害、でも読む人は相当変わっていますね。現在880名
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◇◇ もくじ ◇◇

1.わたしと映画の登場人物

2.写経ニサルガダッタ:【36 殺すことは、殺されたものではな
             く、殺した人を傷つける】の1回目

3.編集後記:ただ……在ればいい……んでしたね。
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■ 1.わたしと映画の登場人物
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今日はなんだか……寒いような天気ですね。

もちろん……ここの……ごく近辺の……話です。

前方の右側の山の端が……あんなにぼんやりと……薄明のなかに滲
んでいるのだから……かすかに雨が降っているのでしょう。

庭の木々がかすかに動いていることを見れば……わずかに風がある
のかも。

つい先日は……あんなに暑かったのに……。

そうやって……実在しない……つかの間の風景にばかり……焦点を
合わせてもなあ……。(-_-)

(*^_^*)

さて、またまた一週間が過ぎて、楽しい“アセンション噺”ならぬ
“「私は在る」噺”にお付き合いいただく今がまいりました。

『アセンション館通信』配達人の pari です。(^^)/

みなさま固有の「私は在る」を……いかがお過ごしでしょうか?

気分が……煮詰まっていくような……感じがあります。

もちろん……気分というのは……その瞬間その瞬間に……動いてい
る……マインドの表面です。

でも……そうやって……つねに動いているものに……絶えず対応し
ていることに……少し気分的な“違和感”が……生じてくる。

なんでこんな……一種不幸なような……気分に同調しなければ……
ならないのか……といったような。

それは……浮上してくる……想念にすぎない。

どこに……浮上してくる……というのか?

わたしのなかに。

わたしという……認識する空のなかに……。

一喜一憂する……気分が……浮上しないわけではありません。

でも……それは……わたしとは……何の関係もない。

一瞬浮上する……気分……一瞬浮上する……つかの間の光景……。

注目すれば……それはとても元気になり……実体化する。

でも……注意を払わなければ……そこに留まることはできない。

浮上してくる気分に……対応するのは……夢のなかの……登場人物
の役割……。

わたしの……役割ではない。

わたしには……何の役割もない。

わたしの前で……すべては変化し……滅びていく。

もちろん……長年の習慣で……わたしはすぐに……夢のなかの登場
人物に……フォーカスしようとする。

そして……その対象物に……自己同化しようとする。

それはそれで……仕方がありません。

それが……あるがまま……ですから。

夢のなかの登場人物には……それなりの事情と……それなりの……
しなければならないことがある。

それは……もちろん……しなければならないのだけれど……。

夢のなかの対象物である……身体には……演じなければならない…
…役割があるのだから。

------------------------------------------------------------
 マインドを占有するすべてのものから注意を背けなさい。
 完成しなければならない仕事は何であれ完成させなさい。
 だが、新たな義務は避けなさい。
 空っぽでいることを保ち、つねに用意のできた、開いた状態であ
 りなさい。
 招かずにやってきたものを拒んではならない。
 最後には、あなたは無欲、歓喜の無執着、内なる平安、そして描
 写不可能な解放の状態に達する。
 しかも、それはすばらしく実在なのだ。
                  『私は在る』(p393)
------------------------------------------------------------

……。(-||-)

夢のなかの仕事は……すべて……変化するものを……いじること。

いずれにしろ……滅びるものに……棹さすこと。

すべては……夢のなかの調度……映画のなかの小道具と……状況。

映画が終われば……消えるもの。

実在するものではない。

実在するのは……唯一……夢を見ているわたし。

その……わたしだけが……夢から覚めることができる。

わたしが観ている……夢のなかの対象物……この身体は……遅かれ
早かれ……いずれにしろ……滅びなくてはならない。

源泉が定め……撮影済みの……映画の……シナリオに沿って。

映画のなかの……登場人物の……仮想された努力は……すべて……
シナリオにそって……自動的に展開されている。

わたしが夢に興味を失えば……登場人物も……夢のなかでいい加減
になり……そのようなシナリオだったことが……判明する。

わたしが……細部に興味を失えば……登場人物も……細部にこだわ
らなくなって……いつの間にか……画面は切り替わっている。

わたしが……細部にフォーカスして……登場人物が“現実対応”に
……忙しかった時のほうが……大変だったような感じもある。

登場人物が……自分で……雪道を……漕いでいたから。

映画の登場人物が……映画のシナリオ全体を……動かしているよう
な……つもりでいたから。

わたしは……傍観者……登場人物の運命に……興味はない。

たとえ……興味をもったところで……源泉が定めた……登場人物の
運命を……変更できるわけでもなし。

登場人物の……全努力は……映画のシナリオを……自分の都合にあ
わせて……変更しようとすること。

そのような……努力の幻想そのものが……源泉から……配達されて
いるというのに。

でも……そんな登場人物の……幻想の努力をとおして……わたしは
……夢から覚めていく。

もしも……源泉が……そのように定めているのなら。

そして……映画のシナリオが何であれ……そんなものとは……まっ
たく関係なく……つねに……わたしは在る。

永遠に……わたしは……在る。

わたしは……わたしの存在を……誰に保証してもらわなくても……
自分で……知っている。

すべての……現れは……このわたしのパワーの……なかに在る。

そのわたしが……あまりにもリアルな世界に魅せられて……そこに
入り込み……そこで迷子になった。

そして……出方がわからなくて……途方に暮れている……。

------------------------------------------------------------
 世界はそれ自体からそれ自体を再創造するのだ。
 それは一時的なものが一時的なものを生みだしていく果てしない
 過程だ。
 そこに行為者がいなければならないとあなたに考えさせるのは自
 我なのだ。
 どれほど恐ろしいイメージであろうとも、あなたがあなた自身の
 イメージによって神をつくり出すのだ。
 あなたのマインドのフィルムを通して世界を投影し、そして原因
 と目的を与えるために神をも投影する。
 それはすべて想像なのだ。
 その外へと踏みだしなさい。
                     『私は在る』(p371)
------------------------------------------------------------

……。(;_;)

(-||-)

……。

今回も……少しボブさんからの無断翻訳をご紹介しますね。

『Living Reality: My Extraordinary Summer With "Sailor" Bob
 Adamson』(http://tinyurl.com/88zpf7p )
(『生きている実在:セイラー・ボブと過ごした途方もない夏』)
からの抽出翻訳です。

念願かなって……ついにボブさんご夫妻は……アメリカに渡り……
著者ジェームズ・ブラーハの家に滞在しています。

ここでは……ジェームズ・ブラーハは……ボブさんと対面して……
会話しています。

------------------------------------------------------------
 ジェームズ 私はスピリチュアルな体験について質問があります。
       時々、たいていは夜遅くベッドのなかで、私は突然、
       無限つまり広大さを――まったく境界も限界もない
       広大さを感じるのです。翌日になって、私は妻や友
       人のケリィに「私はある経験をした」と話します。
       しかし、実際に起こったことは、通常は起こりつづ
       けているフィーリングや思考が消えたということな
       のです。私がときどき夜に経験するその無境界は、
       実際はつねに在るのではないですか?
 
 ボブ
 ええ、しかしある体験にラベルを貼るやいなや、あなたは参照点
 からの「配達を受け取った」のです。
 
 ジェームズ はい、それはわかります。
 
 ボブ
 起こったことはただ現在進行形の経験です。
 その上に経験と経験者が現れるのです。
 もしあなたの感覚が広く開いていたら、そして何もラベルを貼ら
 なければ、そのときあなたはただあるがままを見ています。
 そしてあなたは、すべてを「自分」に帰属させることなく、ただ
 現れては消えていく、すばらしい魔法の展示のすべてを目にする
 でしょう。
 
 ジェームズ 人生はあなたに特別に興味深く現れるのですか?
 
 ボブ
 またしても、面白かったり退屈だったりするためには、それは参
 照点から見られる必要があります。
 ときには沈黙の期間があり、長い期間のこともあります。
 別の時にはお喋りがつづくこともあります。
 私がどちらかを好むことはありません。
 探求者たちが話題にする沈黙など、私は少しも気にしません。
 お喋りと何も変わりません。
 そういうものは両方とも体験です。
 私はそのなかで体験が起こるものです。
 そしてそれはつねに、またこれまでもつねに同じです。
 それは事物ではありません。
 それを事物として掴もうとしても無駄です。
 それにすべての事物が含まれているのです。
 
 ジェームズ それで、ニサルガダッタが言ったように、あなたが
       そういう言明をするとき、つまりあなたはすべてが
       そのなかで起こるそのものだと言うとき、私はそれ
       を理解します。しかし、私はそれを自分について言
       うことはできません。私は絶えずマインドの配達を
       受け取るのです。あなたはたくさんの思考があろう
       となかろうと自分は気にしないと言いますが、私に
       はそれは言えません。
 
 ボブ
 たとえ私が参照点からの配達を受け取ったとしても、それは同じ
 ことでしょう。
 私は「こうすべきじゃなかった」とか「ああ言うべきじゃなかっ
 た」と考えているかもしれません。
 しかし、私は参照点を理解したのです。
 私は明確に理解しました。
 だから、浮上するものは、浮上するでしょう。
 それが、私が「少しも気にしない」と言うときの意味です。
 それは私ではありません。
 それはただ、参照点は実在しないということ、対極は実在しない、
 比較は実在しないということです。
 それはただ、あるがままです。
 代替不能、変更不能、修正不能です。
 仏教徒が言う「如(にょ)」です。
 ただ見るだけ――実際に起こっていることを見るだけです。
 唯一あなたが代替し、変更し、修正するのは、思考です。
 
 ジェームズ では、我々はこれからも思考を持つのですね。要点
       はその配達を受け取らないということ。
 
 ボブ
 ええ、そしてその配達を受け取らないという人は誰もいません。
 ただ、理解して、認識するだけです。
 
 ジェームズ ええ、そうですね、あなたはこういうことをすべて
       言うことも、本を書くこともできる。そして人びと
       はあなたの言葉を聞いて、「うん、セイラー・ボブ
       はあれができる、それが彼の偉いところだ。しかし、
       私にはできない」と言います。私には重要な部分は
       確信だと思われます。あなたがおっしゃっているこ
       とを理解はできますが、私にはまだ完全な確信があ
       りません。
 
 ボブ
 誰がその確信を持っていないのですか?
 あなたは自分についてのその概念を獲得した。
 そしてだから事態は別であるべきだと考えている。
 あなたはたった今見えていますね?
 あなたはたった今聞こえていますね?
 自分が存在しているというその「知」はあなたのところにありま
 すね?
 あなたはそれを否定できません。
 
 ジェームズ そのとおりです。
 
 ボブ
 それなら、その確信がないというナンセンスは何ですか?
 あなたは何か観念的なことに腹を立ているのです……。
 
 ジェームズ 確かに、しかしなぜあなたは観念的な何かに腹を立
       てないのでしょう?
 
 ボブ
 なぜなら、私は参照点が偽りだと理解したからです。
 あなたは自分がしていることがわかっていますか?
 私はあなたにその要点を指摘しています。
 ところがあなたは「もし」とか「しかし」とかいったことに入り
 続けているのです。
 あなたは未来に入っていっています。
 あなたはふたたび時間のなかに入っています。
 時間というのは精神的な観念です。
 あなたはいわゆる想像の未来に移動しているのです。
 そうでなければあなたは過去に戻っていきます。
 しかしあなたは未来にも過去にも生きていません。
 あらゆることは今起こっています。
 それは太陽の上にかかる雲のようなものです。
 それは今を知ることを邪魔するのです。
 そういう「私はこれを持っていない」とか「私はいつかこの確信
 を手に入れる」とかいう考えは、あなたをそれから引き離しつづ
 けます。
 
 ジェームズ では、それはまさにここ、まさに今なのですか?
 
 ボブ
 そうです、それは即座です。
 行くべきところはどこにもありません。
 
 ジェームズ ええと、昨日私はある人に本当に腹を立てました。
       ある婦人が私に手紙を書いてきたのですが、それが
       非常に厄介だったのです。
 
 ボブ
 それは昨日のことです、けっして過去を気にしないことです……。
 
 ジェームズ それが起こったとき、私は自分で「ちょっと待て、
       ジェームズなんていないんだ」と思いました。しか
       しそれでも憤慨は残りました。
 
 ボブ
 ええ、なぜなら、あなたが「自分はいない」と言うと、それが参照
 点になるからです。
 あなたは先週あるいは先月あるいは昨日ジェームズがいないことを
 理解したかもしれません。
 しかしそれは、そのほかのすべてのあなたの考えと同じく、死んだ
 ものです。
 あなたはそれを今ここで理解しなければなりません。
 ただ「自分はいない」と言うのではなく、見てください。
 今この瞬間に、調べるのです。
 見て、自己中心や「自分」を見つけられるかどうか調べるのです。
 
 ジェームズ ええと、そのときは憤慨して、立ちどまって、「私
       は誰か? 私は存在の気づきだ」と自分に言いきか
       せました。それは私にとって明らかでした。しかし
       それでも憤慨した想念がつづきました。
 
 ボブ
 しかしあなたはそれに「私は存在の気づきだ」という観念をあて
 がいました。
 そういう観念なしに、それはただ「私は在る」です。
 そこで終わりです。
 
 ジェームズ 私は現在の瞬間に気づいていようとしました。私は
       何のラベルも貼らずに部屋のなかを見回し――ただ
       気づいていました……。
 
 ボブ
 何にもラベルを貼らずに、ただすべてのものごとを受け容れます。
 自然に見ることが起こっていること、自然に聞くことが起こって
 いることに、その場で気づきます。
 
 ジェームズ ええ、何はともあれ、私はまだ彼女の手紙に返事を
       出さなくちゃならないんですよ。
 
 ボブ
 それはいい。
 ただしなくてはならないことをすることです。
 何であれ起こることを起こらせたらいい。
 頭にきながら彼女に手紙を書いてかまいません。
 あるいは何でも好きなことを言っていいのです。
 しかしそれをしているどんな「あなた」も存在しません。
 何が起ころうと、それはただそのように起こるだけです。
 
                 『Living Reality』 (p73-76)
------------------------------------------------------------

ふーむ……。

なんという理解……なんという世界だろう。(-_-)

> ええ、しかしある体験にラベルを貼るやいなや、あなたは参照点
> からの「配達を受け取った」のです。

そうか……そうやって……われわれは四六時中……参照点を補強し
つづけているのか……。

使い慣れた概念を……使うというそのことで……使い慣れた整理棚
に……状況を整理するという……そのことで。

次のジェームズの言葉、

> ジェームズ それで、ニサルガダッタが言ったように、あなたが
>       そういう言明をするとき、つまりあなたはすべてが
>       そのなかで起こるそのものだと言うとき、私はそれ
>       を理解します。しかし、私はそれを自分に関して言
>       うことはできません。私は絶えずマインドの配達を
>       受け取るのです。あなたはたくさんの思考があろう
>       となかろうと自分は気にしないと言いますが、私に
>       はそれは言えません。

このジェームズの言葉は……切実ですね。

まるで……われわれの状況認識……そのものじゃないですか。

が……それに対するボブさんの言葉を……味わってください。

> ボブ
> たとえ私が参照点からの配達を受け取ったとしても、それは同じ
> ことでしょう。

(@_@)

> 私は「こうすべきじゃなかった」とか「ああ言うべきじゃなかっ
> た」と考えているかもしれません。

な……なんと!? (*_*) ⌒★?

> しかし、私は参照点を理解したのです。

おお……。(@_@)

> 私は明確に理解しました。

確かに。(-_-)

> だから、浮上するものは、浮上するでしょう。

ああ。

> それが、私が「少しも気にしない」と言うときの意味です。

なんと……。

> それは私ではありません。

そうか。(-_-;)

> それはただ、参照点は実在しないということ、対極は実在しない、
> 比較は実在しないということです。

なるほど。

> それはただ、あるがままです。
> 代替不能、変更不能、修正不能です。

……。(-_-)

> 仏教徒が言う「如(にょ)」です。

(-_-)

> ただ見るだけ――実際に起こっていることを見るだけです。
> 唯一あなたが代替し、変更し、修正するのは、思考です。

……。(-_-)

(-||-)

------------------------------------------------------------
 私を信じなさい。
 そこには目的地もなければ、それへ到達する道もまたない。
 あなたが道であり目的地なのだ。
 あなた自身を除いて、到達するようなものは何もないのだ。
 あなたに必要なのは理解することだけだ。
 そして理解はマインドの開花なのだ。
 樹が絶えることはないが、開花や結実は季節とともにやってくる。
 季節は移り変わるが、樹は変わらない。
 あなたが樹なのだ。
 あなたは無数の枝や葉を今まで育ててきた。
 そしてこれからも育てていくだろう。
 だが、あなたはそのまま残るのだ。
 あなたが知らなければならないことは、そう在ったことではなく、
 そうなるだろうことでもない。
 ただ在ることなのだ。
 宇宙を創造した欲望はあなたのものだ。
 世界はあなた自身の創造だと知り、自由になりなさい。
 
                   『私は在る』(p397-398)
------------------------------------------------------------

> あなたに必要なのは理解することだけだ。
> そして理解はマインドの開花なのだ。

はい。

> あなたが知らなければならないことは、そう在ったことではなく、
> そうなるだろうことでもない。
> ただ在ることなのだ。

(-_-)

> 宇宙を創造した欲望はあなたのものだ。
> 世界はあなた自身の創造だと知り、自由になりなさい。

はい。

そしてそれもまた……夢のなかの対象物の……関知するところでは
ありません。

御心のままに……。

(-||-)

------------------------------------------------------------
 永久的なもの、それはあなた自身の存在である。
 真我として在りなさい。
 それが至福である。
 あなたはいつもそれなのである。
                    『あるがままに』(p58)
------------------------------------------------------------

……。(-_-)

ありがとうございました。<(_ _)>

(-||-)

今日はこんなところで。

……。

m(_ _)m


━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━
■ 2.写経ニサルガダッタ:【36 殺すことは、殺されたもので
             はなく、殺した人を傷つける】1回目
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この章の質問者は……理屈ではすべてを知っている人です。

インド人でしょうかねぇ。

たとえすべてを知っていても……撮影済みの映画に……出演してい
る以上……役割なりの演技は……しなくてはなりません。

はじめて……リーラという言葉の香りを……嗅いだような。

(-||-)

では【36 殺すことは、殺されたものではなく、殺した人を傷つけ
る】の1回目です。

(いつものことながら、無断引用というよりは、無料宣伝と理解さ
 れることを願っています。(-||-) )

最初に通しで写経するので、それを読んでいただければいいです。

(あとは……ああとか……ううとか……言ってるだけですから。)

------------------------------------------------------------
 質問者 一千年前に、ある人が生き、そして死にました。彼のア
     イデンティティは新しい身体のなかにふたたび現れまし
     た。なぜ彼は前世を覚えていないのでしょうか? そし
     て覚えているとすれば、記憶が意識のなかに運びこまれ
     たのでしょうか?
 
 マハラジ
 同じ人が新しい身体に現れたと、どうして知ることができるのだ
 ろうか?
 新しい身体は、そのまま、まったく新しい人を意味するかもしれ
 ないのだ。
 
 質問者 ギー(インドの精錬されたバター)がポットに入ってい
     ると想像してください。ポットが壊れたとき、ギーは残
     り、新しいポットに移すことができます。古いポットは
     それ自体の匂いを、新しいポットもそれ自体の匂いをも
     っています。ギーは匂いをポットからポットへと運ぶで
     しょう。同じように、個人のアイデンティティも身体か
     ら身体へと移行されていくのです。
 
 マハラジ
 それはそのとおりだ。
 身体があるとき、その特質は個人に影響する。
 身体なしでは、私たちは「私は在る」という感覚のなかに純粋な
 アイデンティティをもつだけだ。
 だが、新しい身体の中に再誕生したとき、以前体験した世界はど
 こにあるのだろうか?
 
 質問者 それぞれの身体は、それ自体の世界を体験します。
 
 マハラジ
 新しい身体のなかで、古い身体はただの観念だろうか、それとも、
 記憶なのだろうか?
 
 質問者 もちろん、ひとつの観念です。体験しなかったことを、
     どうして脳が覚えていることができるでしょう?
 
 マハラジ
 あなたは自分の質問に、自分で答を出したのだ。
 なぜ観念をもてあそぶのかね?
 あなたが確信していることに満足するがいい。
 そして、あなたが確信をもてるたったひとつのことは、「私は在
 る」だ。
 それとともに在りなさい。
 そしてほかのすべてを拒絶しなさい。
 これがヨーガだ。
 
 質問者 私が拒絶できるのは言葉の上だけです。私にできること
     といえば、一定の決まり文句を繰り返すことぐらいです。
     「これは私ではない。これは私のものではない。私はこ
     れらすべてを超えたものだ」と。
 
 マハラジ
 充分だ。
 はじめは言葉で、それからマインドで、そして感情で、それから
 行為で。
 あなたの内なる実在に注意を払いなさい。
 そうすれば光に行き着くだろう。
 それはバターをつくるためにクリームをかきまわすようなものだ。
 正確に、誠実にやりなさい。
 そうすれば結果はかならずやってくる。
 
 質問者 絶対性がどうして過程の結果でありうるでしょうか?
 
 マハラジ
 あなたの言うとおりだ。
 相対性が絶対の結果をもたらすことはありえない。
 しかし、クリームを撹拌(かくはん)しないことがバターを分離
 から防ぐように、相対性は絶対性を妨げることができる。
 内面が外面を促し、外面は興味と努力によって反応する。
 その衝動をつくり出すのは実在だ。
 だが、究極的には内面も外面もない。
 意識の光が創造者と創造物、体験者と体験、身体とそれに宿るも
 のなのだ。
 これらすべてを投影する、その力に関心を持ちなさい。
 そうすれば、あなたの問題は終わりを告げるだろう。
 
 質問者 どれが投影する力なのでしょうか?
 
 マハラジ
 それは欲望によって促された想像だ。
 
 質問者 私はこのすべてを知ってはいますが、それに対して無力
     なのです。
 
 マハラジ
 それは結果を望むことから生まれた、あなたのもうひとつの幻想
 だ。
 
                   『私は在る』(p172-173)
------------------------------------------------------------

(-||-)

> 質問者 一千年前に、ある人が生き、そして死にました。彼のア
>     イデンティティは新しい身体のなかにふたたび現れまし
>     た。なぜ彼は前世を覚えていないのでしょうか? そし
>     て覚えているとすれば、記憶が意識のなかに運びこまれ
>     たのでしょうか?

なるほど。

こんなにも……これが絵空事であることが……自明だとは。

> マハラジ
> 同じ人が新しい身体に現れたと、どうして知ることができるのだ
> ろうか?

はい。

> 新しい身体は、そのまま、まったく新しい人を意味するかもしれ
> ないのだ。

まったく。

> 質問者 ギー(インドの精錬されたバター)がポットに入ってい
>     ると想像してください。ポットが壊れたとき、ギーは残
>     り、新しいポットに移すことができます。古いポットは
>     それ自体の匂いを、新しいポットもそれ自体の匂いをも
>     っています。ギーは匂いをポットからポットへと運ぶで
>     しょう。同じように、個人のアイデンティティも身体か
>     ら身体へと移行されていくのです。

神の遊び……リーラとは……。

こういう会話が……どこかで流れていることなんでしょうか。

> マハラジ
> それはそのとおりだ。

はい。

> 身体があるとき、その特質は個人に影響する。

確かに。

> 身体なしでは、私たちは「私は在る」という感覚のなかに純粋な
> アイデンティティをもつだけだ。

わかりました。

> だが、新しい身体の中に再誕生したとき、以前体験した世界はど
> こにあるのだろうか?

(-_-)?

> 質問者 それぞれの身体は、それ自体の世界を体験します。

うん。

> マハラジ
> 新しい身体のなかで、古い身体はただの観念だろうか、それとも、
> 記憶なのだろうか?

ふ。

> 質問者 もちろん、ひとつの観念です。体験しなかったことを、
>     どうして脳が覚えていることができるでしょう?

うん。

そうか……。(-_-)

こういう素晴らしい言葉自体も……ただの観念なんですね。

> マハラジ
> あなたは自分の質問に、自分で答を出したのだ。

はい。

> なぜ観念をもてあそぶのかね?

おう。(@_@)

> あなたが確信していることに満足するがいい。

(?_?)O

> そして、あなたが確信をもてるたったひとつのことは、「私は在
> る」だ。

ああ……。(-_-)

> それとともに在りなさい。

はい。

> そしてほかのすべてを拒絶しなさい。
> これがヨーガだ。

(-||-)

> 質問者 私が拒絶できるのは言葉の上だけです。私にできること
>     といえば、一定の決まり文句を繰り返すことぐらいです。
>     「これは私ではない。これは私のものではない。私はこ
>     れらすべてを超えたものだ」と。

うん。

> マハラジ
> 充分だ。
> はじめは言葉で、それからマインドで、そして感情で、それから
> 行為で。

ああ……。

「はじめは言葉で、それからマインドで、そして感情で、それから
 行為で」……。

(-||-)

> あなたの内なる実在に注意を払いなさい。
> そうすれば光に行き着くだろう。

はい。

> それはバターをつくるためにクリームをかきまわすようなものだ。
> 正確に、誠実にやりなさい。
> そうすれば結果はかならずやってくる。

わかりました。

> 質問者 絶対性がどうして過程の結果でありうるでしょうか?

プ。(>_<)

> マハラジ
> あなたの言うとおりだ。

(^^)/

> 相対性が絶対の結果をもたらすことはありえない。

はい。

> しかし、クリームを撹拌(かくはん)しないことがバターを分離
> から防ぐように、相対性は絶対性を妨げることができる。

なんか……苦しい喩え。(*^_^*)

> 内面が外面を促し、外面は興味と努力によって反応する。

わたしが現れに興味を失い……登場人物のこだわり能力が減退する。

> その衝動をつくり出すのは実在だ。

その映画のシナリオを……用意したのは源泉だ。

> だが、究極的には内面も外面もない。

はい。

だが……究極的には……わたしも……登場人物もない。

> 意識の光が創造者と創造物、体験者と体験、身体とそれに宿るも
> のなのだ。

はい。

> これらすべてを投影する、その力に関心を持ちなさい。

はい。

> そうすれば、あなたの問題は終わりを告げるだろう。

わかりました。

> 質問者 どれが投影する力なのでしょうか?
> 
> マハラジ
> それは欲望によって促された想像だ。

おお……。

> 質問者 私はこのすべてを知ってはいますが、それに対して無力
>     なのです。

はは。

無い物ねだり。(*^_^*)

> マハラジ
> それは結果を望むことから生まれた、あなたのもうひとつの幻想
> だ。

そういうことかあ……。

……。(-_-)

ありがとうございました……。<(_ _)>

(-||-)

今日の写経は、ここまでです。

m(_ _)m


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■ 3.編集後記:ただ……在ればいい……んでしたね。
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いまは……そぼ降る雨もやんで……穏やかな曇り空です。

ただ……在ればいい……んでしたね。

それもまた……御心のままにです……。

今日は……とても早く……終わりました。

<(_ _)>


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■ 【作者】 『アセンション資料館』主人 pari
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