home > 通信 > 『アセンション館通信』第434号:ただ判断は浮かんできます



━━━━☆☆☆☆━━━━━━━━━━━━━━ by paritosho ━
  ☆☆   ☆☆ 
 ☆☆     ☆☆『アセンション館通信』2012/7/29(第434号)
☆☆   ☆   ☆☆
☆☆      ☆★ 【気刊】――「私は在る」に導かれ♪――
-☆☆---------☆☆------------------------------------------
 ☆☆   ☆☆          https://www.ascensionkan.com/
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◇◇ このメルマガの趣旨 ◇◇

このメルマガはアセンション館主人 pari と称するあるパターンに
浮上している心象風景の報告です。

現象のなかに得るべき何ものもなく、探求するその人もいないこと
が納得されても、なおも惰性で書くことが起こっているようです。

内容は人畜無害、でも読む人は相当変わっていますね。現在880名
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◇◇ もくじ ◇◇

1.ただ判断は浮かんできます

2.写経ニサルガダッタ:【36 殺すことは、殺されたものではな
             く、殺した人を傷つける】の2回目

3.編集後記:書くことが……不自然になっているのかも。
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■ 1.ただ判断は浮かんできます
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暑くなってきましたね。

ふっと……庭から……クチナシの香りが……漂ってきます。

暑いとか……寒いとか……勝手な思いが……浮かぶものです。

身体があるかぎり……何やかやの……身体の感覚はありますよね。

ときどきニサルガダッタの……「季節を耐え忍ぶようなものだ」と
いう言葉が……浮かんできます。

こういう言葉ばかり……好きで……。(-_-)

本当に……困ったものです。

まあでも……これがこのパターンの……あるがまま……です。

------------------------------------------------------------
 意識を概念化しようとしないことです。
 それはただ、私たちがそれに貼るラベルにすぎません。
 
                  『Living Reality』(p70-71)
------------------------------------------------------------

って……ボブさんから……教わったんでしたね。

言葉にしたから……だから何だというのか……。

ふ。

(*^_^*)

さて、またまた一週間が過ぎて、楽しい“アセンション噺”ならぬ
“「私は在る」噺”にお付き合いいただく今がまいりました。

『アセンション館通信』配達人の pari です。(^^)/

みなさま固有の「私は在る」を……いかがお過ごしでしょうか?

すべての印象が……太陽を隠す……雲でしかないことは間違いない。

だとすれば……顕現に対する……印象に……何の意味があるという
のでしょう……。

和田重正先生は、

---------------------------
 気分は自分ではない

 自分は気分の外にある
---------------------------

とおっしゃっていましたね……。

セイラー・ボブさんの……最初の本のタイトルは、

『What's Wrong with Right Now unless you think about it?』
(もしあなたがそれについて考えなかったら、今の今、何が間違っ
 ているのか?)

というものでした。

これは……じつに……何というか。(-_-)

すべての現れは……わたしのパワーを根拠に……存在しえている。

しかも……すべての現れは……真実のわたしを……隠すためにある
……というわけですよね。

何という……パラドックスでしょう。

現れも……現れに対する印象も……わたしなしには……存在しえな
い。

でもそれらの……顕現世界と……その世界に対するさまざまの概念
は……すべて……その可能根拠を隠すため……というのです。

すべての顕現に対する……興味を失う以外に……自己には辿りつけ
ない……そういうことですね。

------------------------------------------------------------
 マインドを占有するすべてのものから注意を背けなさい。
 完成しなければならない仕事は何であれ完成させなさい。
 だが、新たな義務は避けなさい。
 空っぽでいることを保ち、つねに用意のできた、開いた状態であ
 りなさい。
 招かずにやってきたものを拒んではならない。
 最後には、あなたは無欲、歓喜の無執着、内なる平安、そして描
 写不可能な解放の状態に達する。
 しかも、それはすばらしく実在なのだ。
                  『私は在る』(p393)
------------------------------------------------------------

……。(-||-)

マハルシからも……一言いただきましょう。

------------------------------------------------------------
 あなたの務めはただ在ることであり、あれやこれとして在ること
 ではない。
 「私は私であるものである」(I AM THAT I AM)という言葉がす
 べての真理の要諦である。
 その方法は、「静かに在ること」に尽きる。
 では静寂とは何を意味するのだろうか?
 それはあなた自身を打ち壊すことを意味する。
 なぜならすべての名前と形が苦しみの原因だからだ。
 「私はこれである」という観念を放棄しなさい。
 真我を実現するために必要なのは、静かに在ることだけである。
 それ以上簡単なことがあるだろうか?
 それゆえ、アートマ・ヴィディヤー(真我の知識)の達成は最も
 容易なことなのである。
                 『あるがままに』(p123-124)
------------------------------------------------------------

(-||-)

理解と誤解についての……マハラジのこの言葉、

------------------------------------------------------------
 理解しようとしてはならない
 誤解しなければそれで充分だ。
 解放を得るためにマインドに頼ってはいけない。
 あなたを束縛へと追いやったのはマインドなのだ。
 それをすべて超えていきなさい。
                     『私は在る』(p224)
------------------------------------------------------------

この言葉は……さっきのボブさんの言葉、

------------------------------------------------------------
 意識を概念化しようとしないことです。
 それはただ、私たちがそれに貼るラベルにすぎません。
 
                  『Living Reality』(p70-71)
------------------------------------------------------------

と……ある意味で……まったく……同じですね。

だから……現れの世界を……気にする必要がないように……浮上し
てくる……気分もまた……気にする必要はない。

------------------------------------------------------------
 気分はマインドのなかにあり、重要なことではない。
 内側に入っていきなさい。
 超えていきなさい。
 意識の内容に気をとられてはならない。
 あなたが真の存在の深層に達したとき、マインドの表層での戯れ
 は、もはやあなたに影響を与えないことを見いだすことだろう。
 
                     『私は在る』(p551)
------------------------------------------------------------

……。(-_-)

言葉の上で理解すべきことなど……もう何もないんですよね。

黙るしかない……タイミングなんですけど。

……。

今回も……少しボブさんからの無断翻訳をご紹介しますね。

『Living Reality: My Extraordinary Summer With "Sailor" Bob
 Adamson』(http://tinyurl.com/88zpf7p )
(『生きている実在:セイラー・ボブと過ごした途方もない夏』)
からの抽出翻訳です。

念願かなって……ついにボブさんご夫妻は……アメリカに渡り……
著者ジェームズ・ブラーハの家に滞在しています。

ここでは……ジェームズ・ブラーハは……ボブさんと対面して……
会話しています。

------------------------------------------------------------
 ジェームズ わかりました。非行為者の問題を話題にしてもいい
       ですか? それは私にとってはとても概念的で。
 
 ボブ
 ええ、説明しましょう。
 たった今あなたは見ていますね、違いますか?
 
 ジェームズ はい。
 
 ボブ
 あなたは今聞いています。
 あなたの目はあなたに「私は見る」と言っていますか?
 あなたの耳はあなたに「私は聞く」と言っていますか?
 
 ジェームズ いいえ。
 
 ボブ
 ですから思考が浮上して「私は見る」とか[私は聞く」と翻訳す
 るのです。
 でもその「私は見る」という思考、それは見ることができますか?
 また「私は聞く」という思考、それは聞くことができますか?
 
 ジェームズ あなたが私に言っているのは、私があなたの本で何
       度も読み、またあなたがそう言うのを二十回も聴い
       ていることです……。
 
 ボブ
 ええ、たった今私の言うことを聴いてください。
 「私は見る」という思考、それは見ることができますか?
 
 ジェームズ いいえ。思考はゴミです。それはただの翻訳です。
 
 ボブ
 ですからその思考にはいっさいどんなパワーもありません。
 
 ジェームズ 思考がパワーをもっていなければ、そこに行為者は
       いないのですか?
 
 ボブ
 「私は気づいている」という思考、それは気づきですか?
 
 ジェームズ いいえ、もちろん違います。
 
 ボブ
 「私は選ぶ」という思考、それは選択をする人ですか?
 「私は考える」という思考、それは考える人ですか?
 
 ジェームズ ですから、もし思考がパワーをもっていなければ、
       単純に行為者はいないのですか?
 
 ボブ
 もちろんいません。
 いいですか、思考はその知性と非常に緊密に整合しています。
 しかし、実際は、それがするすべては翻訳なのです。
 それが言葉に翻訳し、私たちはそのラベルと対話するのです。
 思考があまりにも緊密に純粋な知性エネルギーと整合しているも
 のだから、それが純粋な知性エネルギーと信じられたのです。
 では、あなたがマインドや思考には何のパワーもないことを理解
 したら、あなたは崩壊するでしょうか?
 あなたは消滅しますか?
 
 ジェームズ いいえ。
 
 ボブ
 考えなくても、生きるということが何の努力もなく起こっている
 ことを、あなたは理解します。
 もしあなたがそれについて考えなかったら、今この瞬間何が間違
 っていますか?
 あなたは一瞬、考えることをやめていますが、それでもあなたは
 崩壊していません。
 あなたはやっぱり聞いており、見ており、味わっており、生命は
 まだ続いています。
 あなたは考えることに依存していないのです。
 
 ジェームズ はい。ボブ、あなたのところに何年も通っている人
       たちがいますね。その人たちのことはどうですか?
       なぜ彼らは最終的に「完全停止」しないのですか?
 
 ボブ
 ええ、彼らはしません……。あなたが今も話しつづけているのと
 同じです。[笑い]
 しかし、参加してすぐに理解する人もいます。
 
 ジェームズ 今のところ、私には「完全停止」ではありません。
       私のマインドは動き続け、質問し続けています。マ
       インドは参照点を求め続けています。
 
 ボブ
 あなたはマインドを止めようとしています。
 しかし、ちょうど道路上の蜃気楼のように、一度それがゴミであ
 ることを理解したら、あなたはそれに拘束されません。
 
 ジェームズ ええと、何かは起こっているんです。昨日、私はそ
       の婦人から厄介な手紙を受け取りました。そして自
       分の反応がナンセンスであることがわかりました。
       だからそれが私を悩ませたのは1時間かそこらで、
       それからそれは消えました。何年か前だったらそれ
       は私を一日中憤慨させたでしょう。もっと長かった
       かもしれません。ましになってるんです。
 
 ボブ
 ええ、そうなるでしょう。
 
 ジェームズ ボブ、でも私はその「なるでしょう」という部分が
       気に入りらないんです。それは未来ですよね。
 
 ボブ
 その通りです。
 しかしあなたはそれをより早く手放すでしょう。
 習慣的パターンは、すべてを参照点から見ることです。
 あなたはそれを一度や二度してきたのではなく、絶えず、一生を
 かけて、毎日毎日してきたのです。
 私たちは自分を催眠にかけてきました。
 しかしあなたがそれを疑問に付し、それが偽りであることを理解
 したら、もうそれを信じることはできません。
 もう蜃気楼のなかに水があると信じられないのとまさに同じです。
 
 ジェームズ さっき私はあなたに、あなたにとって人生はワクワ
       クしているのかそれとも退屈なのかと訊きました。
       私がそれを聞いたのは、私が参照点からめざましく
       自由なときには、すべてが突然新しく新鮮に、そし
       て驚くべきものに見えるように思えるからです。あ
       なたには人生がどう見えるかの判断がありますか?
 
 ボブ
 私に判断はありませんが、ただ判断は浮かんできます。
 
 ジェームズ それをあなたはどうするのですか?
 
 ボブ
 それらは私のものではありません。
 その配達を受け取る者がいないからです。
 それらは現れては消えていきます。
 すべてのパターンは、ただ登場しているだけです。
 
 ジェームズ では、思考の配達を受け取っているように見える人
       たちも、本当には受け取っておらず、ただ配達を受
       け取っているように見えるだけなのですね。正しい
       ですか?
 
 ボブ
 ええ。
 
 ジェームズ それなら集団的苦しみを味わっている人びとも本当
       は私たちと変わりないのです。誰かが悟っているか
       いないかは重要ではない。おわかりでしょうが、そ
       れは私にとっては時に把握するのが困難なことです。
       父親が私によく言っていた「それは俺の頭に入って
       いかない」という表現が思い出されます。
 
 ボブ
 それを概念化しようとしないことです。
 現在進行形の体験することにとどまるのです。
 そうすればあなたはそれを楽しむようになります。
 
 ジェームズ ボブ、私は思考過程が大好きなんです。そしてそれ
       が私にすべてを概念化させようとするのです。創造
       の壮麗を見てください。数学、科学、芸術、無数の
       創造物、心臓の手術、そういったすべてを。私は、
       いつも誰が存在を作ったのか知りたくなります。と
       ころが存在は実在すらしていないいという!
 
 ボブ
 それは鏡のなかの鏡影のようなものです。
 何がその鏡影すべてを構成していますか?
 なぜこの鏡影の方が他の鏡影よりもましなのか?[笑いながら]
 
 ジェームズ 生命はあまりにも奇跡的です。身体のなかの何百万
       という細胞が絶えず置き換わっているのです。あな
       たは「どうして」とか「なぜ」とか不思議に思った
       ことはないのですか?
 
 ボブ
 その「どうして」や「なぜ」は終わっています。
 それらは、それから外に出る動きです。
 
 ジェームズ なぜなら、すべてはすでに起こってしまったからで
       すね?
 
 ボブ
 ただ起こっていることと共にいれば、小さな洞察が起こります。
 そしてあなたは満足できる回答を受け取ります。
 
                  『Living Reality』(p76-78)
------------------------------------------------------------

ふーむ……。

> 私に判断はありませんが、ただ判断は浮かんできます。

そうか……。

ボブさんにも……あれやこれやの判断は……浮かんでくるんですね。

ただ……配達の受取人が……いないだけで。

(-||-)

もう……どこから……どう見ても……四の五の理屈を言う……タイ
ミングじゃ……ないよなぁ……。

……。(-_-)

------------------------------------------------------------
 あなたは在る。
 ほかのすべては現れにすぎない。
                     『私は在る』(p421)
------------------------------------------------------------

はい……わかっています。

そして……その現れ……その夢が……いつ始まっているかも。

------------------------------------------------------------
 質問者 夢はいつはじまったのでしょうか?
 
 マハラジ
 それにははじまりがないように見える。
 しかし、事実はたった今だ。
 一瞬一瞬、あなたはそれを再生しているのだ。
 しかし、あなたは見ない。
 なぜなら、あなたはその夢が続いてほしいからだ。
 いかなる代価を支払ってでも、真剣にその夢が終わってほしいと
 一心に願う日がやってくるだろう。
 その代価とは、無執着と冷静さ、その夢自体への興味を失うこと
 だ。
                     『私は在る』(p525)
------------------------------------------------------------

(;_;)

そしてそれもまた……夢のなかの対象物の……関知するところでは
ありません。

御心のままに……。

(-||-)

------------------------------------------------------------
 永久的なもの、それはあなた自身の存在である。
 真我として在りなさい。
 それが至福である。
 あなたはいつもそれなのである。
                    『あるがままに』(p58)
------------------------------------------------------------

……。(-_-)

ありがとうございました。<(_ _)>

(-||-)

今日はこんなところで。

……。

m(_ _)m


━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━
■ 2.写経ニサルガダッタ:【36 殺すことは、殺されたもので
             はなく、殺した人を傷つける】2回目
━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━

ここでは……すべては自分ではない……が語られています。

> マインドは役者と舞台の両方だ。
> すべてはマインドのものだ。
> そしてあなたはマインドではないのだ。

と。

そして……、

> マインドが誕生し、再誕生するのであって、あなたではない。

と……非常に端的な言葉で……事実が説かれています。

(-||-)

では【36 殺すことは、殺されたものではなく、殺した人を傷つけ
る】の2回目です。

(いつものことながら、無断引用というよりは、無料宣伝と理解さ
 れることを願っています。(-||-) )

最初に通しで写経するので、それを読んでいただければいいです。

(あとは……ああとか……ううとか……言ってるだけですから。)

------------------------------------------------------------
 質問者 目的意識をもった行為の何が間違っているのでしょうか?
 
 マハラジ
 それは適さないのだ。
 これらのことに目的や行為といった問題はない。
 あなたに必要なのは、聞くこと、覚えること、実行することだ。
 それは食事をするようなものだ。
 あなたのすべきことは、噛みつき、噛み砕き、飲みこむことだけ
 だ。
 消化や吸収のように、それ以外はすべて無意識で自動的なのだ。
 聞き、覚え、理解しなさい。
 マインドは役者と舞台の両方だ。
 すべてはマインドのものだ。
 そしてあなたはマインドではないのだ。
 マインドが誕生し、再誕生するのであって、あなたではない。
 マインドは世界とその素晴らしい多様性のすべてを創造する。
 良い劇にはあらゆる類(たぐい)の登場人物や舞台設定があるよ
 うに、あなたも世界をつくり出すのに、あらゆるものごとが少し
 ずつ必要なのだ。
 
 質問者 劇のなかでは誰も苦しみはしません。
 
 マハラジ
 彼自身が役と自己同一化しないかぎり苦しむことはない。
 あなた自身を世界と同一化してはならない。
 そうすれば、苦しむこともないだろう。
 
 質問者 ほかの者たちが苦しむでしょう。
 
 マハラジ
 それならば、あなたの世界を完全なものにするがいい。
 もしあなたが神を信じるならば、彼とともに働きなさい。
 信じないならば、神となるがいい。
 世界を劇として見るか、あるいはもてるすべての力で働きかける
 がいい。
 あるいはその両方でもいい。
 
 質問者 死にゆく人のアイデンティティはどうなるのでしょう?
     彼が死ぬときそれはどうなるのでしょうか? あなたは
     それが別の身体のなかで継続していくということに同意
     しますか?
 
 マハラジ
 それは継続する。
 しかもなお、しないとも言える。
 すべてはあなたがどう見るかに関わってくるのだ。
 アイデンティティとは結局何なのか?
 記憶のなかでの継続性か?
 記憶なしにアイデンティティを語ることはできるだろうか?
 
 質問者 ええ。できます。子供は両親のことを知らないかもしれ
     ません。しかし遺伝した特質はそこにあるでしょう。
 
 マハラジ
 誰がそれと同一化するのだろう?
 記録し比較する記憶をもった誰かとだ。
 記憶とはあなたの精神生活の縦糸だということがわからないだろ
 うか?
 そしてアイデンティティは、単に時間と空間のなかの出来事の、
 ひとつのパターンでしかないのだ。
 パターンを変えてみなさい、すると、あなたはその人も変えたと
 いうことがわかる。
 
 質問者 パターンは意味があり、重大なものです。それにはそれ
     自体の価値があります。綴れ織りは単に色のついた糸に
     すぎないと言うことで、あなたがもっとも重要なことを
     見逃してしまいます。それはその美しさです。あるいは
     本を紙とインクの汚れとして描写することで、その意味
     は見失われてしまいます。アイデンティティは私たちを
     独特の、かけがえのないものにする、個性の基盤である
     ために価値をもつのです。「私は在る」はそのユニーク
     さの直感なのです。
 
 マハラジ
 そうであるとも、ないとも言える。
 アイデンティティ、個性、ユニークさ、それらはマインドのもっ
 とも価値のある側面だ。
 だがマインドにおいてだけだ。
 「私は存在するすべてだ」という体験もまた、同等に正当なもの
 だ。
 特定性と普遍性は不可分だからだ。
 それらは名づけることのできないものの、内面と外面から見た二
 つの相なのだ。
 不運にも言葉は、言及できてもその意味を伝えない。
 言葉の彼方に目を向けなさい。
 
 質問者 死において、死ぬものは何でしょうか?
 
 マハラジ
 「私は身体だ」という観念が死ぬのだ。
 観照者が死ぬことはない。
 
 質問者 ジャイナ教徒は観照者の多様性と、その永遠の分離を示
     しています。
 
 マハラジ
 それは、ある偉大な人びとによる体験をもとにした彼らの伝統な
 のだ。
 ひとりの観照者が無数の身体のなかに「私は在る」として反映さ
 れる。
 いかに捕らえがたい微妙なものでも、身体が存在するかぎり、
 「私は在る」は多数として現れるのだ。
 身体を超えれば、そこにはひとりしかいない。
 
 質問者 神でしょうか?
 
 マハラジ
 創造者とは、世界をその身体としている人だ。
 名前を超えたそれは、すべての神をも超えているのだ。
 
                   『私は在る』(p173-174)
------------------------------------------------------------

(-||-)

> 質問者 目的意識をもった行為の何が間違っているのでしょうか?

この質問者は……まさに人間の主張を……代弁します。

> マハラジ
> それは適さないのだ。
> これらのことに目的や行為といった問題はない。

全体のなかには……目的や行為は……ありえないのでしょう。

変化や……動きはあっても。

なぜなら……二元性が支配する……現れのなかには……究極の相は
……ありえないわけですから。

> あなたに必要なのは、聞くこと、覚えること、実行することだ。

はい。

> それは食事をするようなものだ。

(?_?)O

> あなたのすべきことは、噛みつき、噛み砕き、飲みこむことだけ
> だ。

ふーむ。

> 消化や吸収のように、それ以外はすべて無意識で自動的なのだ。

なるほど。

> 聞き、覚え、理解しなさい。

はい。

> マインドは役者と舞台の両方だ。
> すべてはマインドのものだ。

はい。

> そしてあなたはマインドではないのだ。

了解です。

> マインドが誕生し、再誕生するのであって、あなたではない。

ああ……。

マインドが誕生し、再誕生するのであって……わたしではない。

> マインドは世界とその素晴らしい多様性のすべてを創造する。

はい。

> 良い劇にはあらゆる類(たぐい)の登場人物や舞台設定があるよ
> うに、あなたも世界をつくり出すのに、あらゆるものごとが少し
> ずつ必要なのだ。

そうですか。

> 質問者 劇のなかでは誰も苦しみはしません。

確かに。

> マハラジ
> 彼自身が役と自己同一化しないかぎり苦しむことはない。

そうなんですよね。

> あなた自身を世界と同一化してはならない。
> そうすれば、苦しむこともないだろう。

はい。

> 質問者 ほかの者たちが苦しむでしょう。

ふ。

ほかの者たちが苦しむのは……いずれにせよよそ事でしょう。(^_-)

> マハラジ
> それならば、あなたの世界を完全なものにするがいい。

ですよね。

> もしあなたが神を信じるならば、彼とともに働きなさい。
> 信じないならば、神となるがいい。

選択の余地なく……できることしかできません。

> 世界を劇として見るか、あるいはもてるすべての力で働きかける
> がいい。

はい。

> あるいはその両方でもいい。

はい。

> 質問者 死にゆく人のアイデンティティはどうなるのでしょう?
>     彼が死ぬときそれはどうなるのでしょうか? あなたは
>     それが別の身体のなかで継続していくということに同意
>     しますか?

この質問者は……こう訊いてくれました。

> マハラジ
> それは継続する。

え?

> しかもなお、しないとも言える。

あ。

> すべてはあなたがどう見るかに関わってくるのだ。

はい。

> アイデンティティとは結局何なのか?

結局……何なんでしょう?

> 記憶のなかでの継続性か?

結局……「記憶のなかでの継続性」……のことですよね。

> 記憶なしにアイデンティティを語ることはできるだろうか?

できるはずがありません。

> 質問者 ええ。できます。子供は両親のことを知らないかもしれ
>     ません。しかし遺伝した特質はそこにあるでしょう。

それも……誰がどう記憶するかで。

> マハラジ
> 誰がそれと同一化するのだろう?

はい。

> 記録し比較する記憶をもった誰かとだ。

まさに。

> 記憶とはあなたの精神生活の縦糸だということがわからないだろ
> うか?

わかります。

「アイデンティティ」とは……想像上の……人生の縦糸です。

セイラー・ボブさんは……これを……「参照点」と……表現なさっ
ていました。

> そしてアイデンティティは、単に時間と空間のなかの出来事の、
> ひとつのパターンでしかないのだ。

はい。

> パターンを変えてみなさい、すると、あなたはその人も変えたと
> いうことがわかる。

これは……ずいぶんダイナミックな……お話だけど。

ただ……ひとつの身体にまつわるパターンだって……一生の間には
……ずいぶん変化しますよね。

> 質問者 パターンは意味があり、重大なものです。それにはそれ
>     自体の価値があります。綴れ織りは単に色のついた糸に
>     すぎないと言うことで、あなたがもっとも重要なことを
>     見逃してしまいます。それはその美しさです。あるいは
>     本を紙とインクの汚れとして描写することで、その意味
>     は見失われてしまいます。アイデンティティは私たちを
>     独特の、かけがえのないものにする、個性の基盤である
>     ために価値をもつのです。「私は在る」はそのユニーク
>     さの直感なのです。

ふふ。

この時代には……こういう方も……来ていたんですね。

> マハラジ
> そうであるとも、ないとも言える。
> アイデンティティ、個性、ユニークさ、それらはマインドのもっ
> とも価値のある側面だ。

はい。

> だがマインドにおいてだけだ。

まさに。

> 「私は存在するすべてだ」という体験もまた、同等に正当なもの
> だ。

はい。

> 特定性と普遍性は不可分だからだ。

そうなですね。

> それらは名づけることのできないものの、内面と外面から見た二
> つの相なのだ。

そうか……。

内側から見れば……すべてはひとつで……外側から見れば……多種
多様な……パターンとして……分離して見える。

> 不運にも言葉は、言及できてもその意味を伝えない。

はい。(;_;)

> 言葉の彼方に目を向けなさい。

わかりました。

> 質問者 死において、死ぬものは何でしょうか?

うん。

> マハラジ
> 「私は身体だ」という観念が死ぬのだ。

ああ……的確な言葉。

> 観照者が死ぬことはない。

はい。

> 質問者 ジャイナ教徒は観照者の多様性と、その永遠の分離を示
>     しています。

へー。(@_@)

> マハラジ
> それは、ある偉大な人びとによる体験をもとにした彼らの伝統な
> のだ。

そうなんだ。(-_-)

> ひとりの観照者が無数の身体のなかに「私は在る」として反映さ
> れる。

はい。

> いかに捕らえがたい微妙なものでも、身体が存在するかぎり、
> 「私は在る」は多数として現れるのだ。

はい。

> 身体を超えれば、そこにはひとりしかいない。

わかりました。

> 質問者 神でしょうか?

う。

> マハラジ
> 創造者とは、世界をその身体としている人だ。

創造の全体性の……ことですね。

ブラーフマン……と呼ばれるのだとか。

> 名前を超えたそれは、すべての神をも超えているのだ。

はい。

……。(-_-)

ありがとうございました……。<(_ _)>

(-||-)

今日の写経は、ここまでです。

m(_ _)m


       ………○…………○…………○………


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おこがましくも『アセ通』既刊号はすべてここに置いてあります。
https://www.ascensionkan.com/mm/


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■ 3.編集後記:書くことが……不自然になっているのかも。
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暑さと……マインドの働かせ過ぎで……ボーっとしています。

もしかしたら……書くことが……不自然になっているのかも。

でも……ただ……身体の運命を……流されているだけです。

それもまた……御心のままにですが……。

明るいうちに……終わりました。

<(_ _)>


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■ 【作者】 『アセンション資料館』主人 pari
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