home > 通信 > 『アセンション館通信』第435号:興味をもつべきものなど何もない



━━━━☆☆☆☆━━━━━━━━━━━━━━ by paritosho ━
  ☆☆   ☆☆ 
 ☆☆     ☆☆『アセンション館通信』2012/8/05(第435号)
☆☆   ☆   ☆☆
☆☆      ☆★ 【気刊】――「私は在る」に導かれ♪――
-☆☆---------☆☆------------------------------------------
 ☆☆   ☆☆          https://www.ascensionkan.com/
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◇◇ このメルマガの趣旨 ◇◇

このメルマガはアセンション館主人 pari と称するあるパターンに
浮上している心象風景の報告です。

現象のなかに得るべき何ものもなく、探求するその人もいないこと
が納得されても、なおも惰性で書くことが起こっているようです。

内容は人畜無害、でも読む人は相当変わっていますね。現在880名
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◇◇ もくじ ◇◇

1.興味をもつべきものなど何もない

2.写経ニサルガダッタ:【36 殺すことは、殺されたものではな
             く、殺した人を傷つける】の3回目

3.いただいたお手紙から:oozoraさん

4.編集後記:これぞ……典型的な夕立……
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■ 1.興味をもつべきものなど何もない
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これからが夏本番だというのに……なにやら秋の気配を感じさせる
ような……今朝の空です。

なぜか夏は……子供のころを思い出させるところがあります。

やっぱり……夏休みの印象があるからでしょうか。

ところで……今頭のなかに浮かぶことと……子供のころ頭のなかを
占めていたことを想像すると……ひどいものですね。(>_<)

子供のマインドは……まだ大人ほど完全には……身体との自己同化
が完成していないでしょうね。

だから子供の関心は……素直に外界の空気感に……向かっていくよ
うな気がします。

「私は身体ではない」なんて……頭のなかで呟いてませんよ。(^_-)

翻って大人は……通常は子供よりもずっと完璧に身体に自己同化し
ているでしょうが……残念なことにその身体が衰えてくる。

子供の連想野と大人の連想野の……おおまかな違いが……これでほ
ぼ推測されようというものです。(^_-)

同じ「期待」という言葉を使っても……暗示される内容が……子供
と大人とでは……まったく違うんですよね。

まことに……人の一生というものは……。(-_-)

ほら……こう書いただけで……もう……耳鳴りが大きくなった。

ほんとに……何をやってるもんだか。(^_-)

(*^_^*)

さて、またまた一週間が過ぎて、楽しい“アセンション噺”ならぬ
“「私は在る」噺”にお付き合いいただく今がまいりました。

『アセンション館通信』配達人の pari です。(^^)/

みなさま固有の「私は在る」を……いかがお過ごしでしょうか?

わたしとは……何なのか? (-_-;)

これは……知的な問では……ありません。

わたしとは……何なんでしょうね。

今になって……やっと……ラマナ・マハルシの言葉が……聞こえて
くるようです。

------------------------------------------------------------
 生きとし生けるものは、いつでも幸福であることを願い、不幸で
 ないことを願っている。
 誰にとっても、そこには自分自身への至上の愛が見られる。
 そして幸福だけがその愛の源なのである。
 それゆえ、人間の本性である幸福、想念のない深い眠りのなかで
 体験される幸福を手に人れるために、人は自分自身を知らねばな
 らない。
 そのためには、「私は誰か?」という問いで探究する知識の道が
 最も重要な方法である。
                   『あるがままに』(p393)
------------------------------------------------------------

……。

なるほど。

……。(-_-)

なるほど。

> 生きとし生けるものは、いつでも幸福であることを願い、不幸で
> ないことを願っている。

そうなんですよね。(;_;)

> 誰にとっても、そこには自分自身への至上の愛が見られる。

確かに。

> そして幸福だけがその愛の源なのである。

(@_@)

そうなのか。(-_-)

> それゆえ、人間の本性である幸福、想念のない深い眠りのなかで
> 体験される幸福を手に人れるために、人は自分自身を知らねばな
> らない。

放蕩息子の……帰還かぁ……。

> そのためには、「私は誰か?」という問いで探究する知識の道が
> 最も重要な方法である。

自分の本性が……永遠の幸福であるからこそ……本来の幸福に……
戻りたいんだ……。

当たり前だなぁ。

そしてそれを……現れの世界に求めることだけが……間違いだった
……というわけなんだ。

幸福を……現れの世界に求める者……それは誰なのか?

本当に……そういう者は……存在しているのか?

------------------------------------------------------------
 無知も幻想も、けっしてあなたには起こらなかったのだ。
 あなたが無知と幻想をもつと見なす、その自己を見いだしなさい。
 そうすればあなたの質問は答えられるだろう。
 あなたはあたかも自己を知っているかのように話し、それが無知
 と幻想に揺り動かされているかのように見ている。
 だが実際には、あなたは自己を知らず、己の無知にも気づいてい
 ないのだ。
 気づきなさい。
 これがあなたを自己へと連れていくだろう。
 そうすればあなたは無知も妄想もなかったことを認識するだろう。
 それは、「光あるところ、いかにして闇あらん」という格言のよ
 うなものだ。
 どんなに日の光が強くとも、石の下には影ができるように、「私
 は身体だ」という意識の影のなかには、無知と幻想がかならず現
 れるのだ。
                  『私は在る』(p361-362)
------------------------------------------------------------

……。(-_-;)

> 無知も幻想も、けっしてあなたには起こらなかったのだ。

というこの一行は……「神」はこの宇宙創造について知らない……
という『神の使者』の叙述と……遠く照応していますね。

言葉を換えて言うなら……この顕現世界のなかに幸福を求めようと
する者は……じつは存在しない……ということ。

また……『神の使者』の「神」の目からは……この顕現世界は……
存在しない……ということでしょう。

この顕現世界は……「私は身体だ」という意識の……その影にしか
現れない……幻影だからです。

ラマナ・マハルシが語っている……「私は誰か?」とは……、

> あなたが無知と幻想をもつと見なす、その自己を見いだしなさい。

というマハラジの言葉と……同じ包含の言葉だったんですね。

> そうすればあなたの質問は答えられるだろう。

(-||-)

身体のサバイバルを願う者……その者は……本当に……実体として
……存在しているのか?

それとも……わたしが放心している間に……一瞬浮上する……つか
の間の想念に……すぎないのか。

よくよく注意して……気づきの光を当ててみれば、

> そうすればあなたは無知も妄想もなかったことを認識するだろう。

ということではないのか……。

昔……「夢は夜ひらく」という……歌を聞いたことがあります。

あれは……ほんとのことなのか……。

あれはいっときの流行り歌の……一節でした。

実在のグルたちが語る……本当のところは、

> 夢にははじまりがないように見える。
> しかし、事実はたった今だ。

ということのようです。

------------------------------------------------------------
 一瞬一瞬、あなたはそれを再生しているのだ。
 しかし、あなたは見ない。
 なぜなら、あなたはその夢が続いてほしいからだ。
 いかなる代価を支払ってでも、真剣にその夢が終わってほしいと
 一心に願う日がやってくるだろう。
 その代価とは、無執着と冷静さ、その夢自体への興味を失うこと
 だ。
                     『私は在る』(p525)
------------------------------------------------------------

……。(-_-)

事実は……たった今……慌ただしい想念に促され……未来のいつか
の安らぎを求めて……夢を実体化しているだけ。

誰が。(?_?)

その……一瞬の想念の……配達を受けた者が。

でも……その配達は……必ずしも……受け取らなければならない…
…というものではない。

毎回受け取るから……毎回配達してくれるわけで……。

何回か受け取らなければ……そのうち……遠慮がちになるかも。

ずっと受け取らなければ……そのうち……こなくなるかも。(^_-)

> その代価とは、無執着と冷静さ、その夢自体への興味を失うこと
> だ。

想念は……つかの間の現れ……実体として存在してはいない。

だから……注意を払わなければ……消えるしかない。

どこから……そんな想念が……配達されてくるのか?

------------------------------------------------------------
 世界はそれ自体からそれ自体を再創造するのだ。
 それは一時的なものが一時的なものを生みだしていく果てしない
 過程だ。
 そこに行為者がいなければならないとあなたに考えさせるのは自
 我なのだ。
                     『私は在る』(p371)
------------------------------------------------------------

そうか……。

ブラフマーと呼ばれる創造神が……ウルトラスーパーコンピュータ
のように……夢のなか全体に……想念を配給しているのか……。

でも……あんまりリアルで……つい真面目に応対してしまう。

------------------------------------------------------------
 それ自身を創造と同一化することは、創造的想像の本性なのだ。
 あなたは注意をそらすことで、あるいは究明することによって、
 いつでもそれを止めることができる。
                     『私は在る』(p362)
------------------------------------------------------------

(-_-)

まず……覚者たちに教わって……納得して……それからマインドの
焦点を奪うものから……注意をそらす……。

現れはすべて……わたしという……気づきの空間のなかで……起こ
っている……。

その幻影のなかに……幸福を求めたりしなくて……いいんだ。

マハラジが言うように、

------------------------------------------------------------
 あなたが世界に没頭しているかぎり、あなた自身を知ることは不
 可能だ。
 あなた自身を知るためには、世界から注意を引き離し、内面へと
 向けなさい。
                     『私は在る』(p495)
------------------------------------------------------------

というわけだから。

だから……世界に対しては……、

> ただ、影響を受けずにいなさい。

というわけなんだ。

------------------------------------------------------------
 このまったく超然と離れて在ること、マインドと身体に無関心で
 あることは、存在の核心では、あなたが身体でもマインドでもな
 いことの最良の証明なのだ。
 身体とマインドに起こることは、あなたの力では変えられないか
 もしれない。
 しかし、あなたはいつでもあなたが身体とマインドだと想像する
 ことをやめられるのだ。
 何が起ころうとも、影響を受けるのはあなたの身体とマインドだ
 けで、あなた自身ではないのだと思い出しなさい。
 
                     『私は在る』(p228)
------------------------------------------------------------

気づきのなかにしか存在しえない世界であっても……その気づきが
……世界に興味をもつということは……。

そうか……。

現れに興味をもち……現れのなかに幸福を求めることは……とても
……高くつくことなんだ……。

すべての現れは……気づきのなかに……在る。

気づきの外側に……現れは……存在しえない。

気づきは……つねに……今。

すべての現れは……今という……この一瞬のなかに……在る。

わたしが……行くべきところなど……どこにもない。

わたしが……成るべきものなど……何もない。

わたしが……興味をもつべきものなど……何もない。

すべては……気づきのなか……わたしのなかに……在る。

現れのなかには……拘束はあっても……安らぎはありえない。

安らぎは……現れに……興味を失うことのなかにある。

------------------------------------------------------------
 24 幸福とは何でしょうか?
 
 幸福とは真我の本性そのものである。
 幸福と真我は別のものではない。
 世界のいかなるものごとのなかにも幸福はない。
 われわれは無知ゆえに、ものごとから幸福を得るものだと思って
 いる。
 心が外へ出ていくと、不幸を体験する。
 心の願いが満たされたとき、実は、心は自己本来の場所に戻って
 おり、真我である幸福を楽しむのである。
 同じように、眠りの状態、サマーディ、失神状態、あるいは、得
 たいと願っていたものが得られたり、嫌っていたものが消え去っ
 たりしたときには、心は内面に向かい、純粋な真我―幸福を楽し
 むのである。
 このように心は休むことなく動きまわり、真我からさ迷いでては、
 また戻ってくるということを繰り返している。
 木陰は気持ちいいが、外では太陽が焼けつくようだ。
 灼熱の太陽のなかを歩いてきた人が木陰にたどり着けば涼しいと
 感じる。
 木陰からわざわざ出て猛暑のなかを行き、それからまた木陰に戻
 ってくるのは愚かなことである。
 賢い人はずっと木陰にとどまっているだろう。
 同じように、真理を知る人は、ブラフマンを離れることはない。
 その反対に、無知な人の心は、悲惨を味わいながら世界をさ迷い
 歩き、つかの間の幸福を味わうためにブラフマンに戻ってくる。
 実際には、世界と呼ばれているものはただの想念にすぎない。
 世界が消え去ったとき、つまり想念が存在しないとき、心は平和
 を体験する。
 世界が現れると、不幸を味わうのである。
 
                 『あるがままに』(p404-405)
------------------------------------------------------------

(@_@)

……。(-_-)

(-||-)

……。

今回も……少しボブさんからの無断翻訳をご紹介しますね。

『Living Reality: My Extraordinary Summer With "Sailor" Bob
 Adamson』(http://tinyurl.com/88zpf7p )
(『生きている実在:セイラー・ボブと過ごした途方もない夏』)
からの抽出翻訳です。

念願かなって……ついにボブさんご夫妻は……アメリカにきてくれ
て……今は著者ジェームズ・ブラーハの家に滞在しています。

ここでは……ジェームズ・ブラーハは……ボブさんと対面して……
会話しています。

------------------------------------------------------------
 ジェームズ あなたがニサルガダッタのもとで、彼が言っている
       ことを突然理解したその体験をしたとき……。
 
 ボブ
 私は彼の言葉を理解し、自覚して、「もう二度とマインドの罠に
 はかからない」と思いました。
 が戸口から出ると、もうマインドに捕まっていました![笑い]
 しかしそれはけっして同じではありませんでした。
 もちろん、遅かれ早かれ参照点はまた戻ってくるのですが、その
 とき私は、「待てよ。これじゃ昔からの同じナンセンスだ」と気
 づいて、それを見破ることになります。
 時には、あなたが言ったように、数時間あるいは数日間まつわり
 ついて、それからそれは消えました。
 
 ジェームズ あなたがニサルガダッタに会ったのはいつですか?
 
 ボブ
 1976年です。
 
 ジェームズ 1976年当時のあなたの人生体験は、その10年後と比
       べると、体験の深まりによる大きな違いはありまし
       たか?
 
 ボブ
 それは深まりません。
 存在の気づきを覆い隠している材料がただ脱落するだけです。
 それが深まることがありえないのは、それが純粋にそれであり、
 またそれしかないからです。
 
 ジェームズ もし、例えば、あなたが1976年に私が昨日体験した
       ような腹の立つ体験をしたら、それが1986年に起こ
       るよりはずっと苛立ったのではないですか?
 
 ボブ
 もちろんです。
 しかし1976年でも、そこには即座の変化がありました。
 インドで私はムクタナンダのアシュラムにいて、そこでは日課の
 作業がありました。
 私はグルに対して忠実で非常に真面目でした。
 休みのときはつねに詠唱し、瞑想していました。
 私はそのすべてを非常に宗教的にやっていました。
 その後ニサルガダッタに会ってからも、私にはアシュラム以外に
 滞在する場所がありませんでした。
 そこに戻らなければなりませんでしたが、興味はすっかり抜け落
 ちていました。
 それでもそこで暮らすためにすべての日課をこなしていました。
 しかし以前はそれがすべてだったものが、今では何の意味もあり
 ませんでした。
 それでも、私はその作業を続けました。
 それは古の仏教徒の言葉でいう「悟りを得る前は薪を割り水をく
 み、悟りを得た後も薪を割り水をくむ」のようなことです。
 その違いは、以前は、瞑想やヨガやその他何であれ、それをして
 いたのは「自分」でした。
 そして「こうしているべき……ああしているべきではない……」
 というのがありました。
 それ以後は、すべて行為は起こっていました、何の興奮もなく。
 
 それから私たちはオーストラリアに戻りました。
 700エーカーの土地とたくさんのヤギがいる農場を買いました。
 その後間もなく私たちは洪水でその農場を失い、私はひどい病気
 になりました。
 ロスリバーウィルス感染症にかかったのです。
 つまり私は何もかもすべて失ったわけです。
 そのロスリバーウィルス感染症というのは一、二年は非常に重篤
 です。
 しかし、そのすべてが起こっている間、内面には常に幸福の感覚
 がありました。
 もしそれが起こったのが以前だったら、私は狂っていたでしょう。
 多分、銃で自殺していたでしょう。
 たいへんな不安とストレスでした。
 その幸福感は今もつねにあります。
 
 ジェームズ 「自分」がいないことを、知っているというだけで
       ですか?
 
 ボブ
 あなたが常道を外れたら、精妙な本質があなたをつうじて幸福と
 して表現されます。
 ニサルガダッタはそれを「私はそれを否定的に、私にはもはや何
 も間違ったところがない、としか言えない」と表現しています。
 あなたはそれを高尚だとか偉大だとか言うことはできません。
 またそれを、良いとか悪いとか言うこともできません。
 それはただあるがままです。
 そこには幸福感があります。
 それは「原因のない喜び」であり、もしそう言いたければ、原因
 のない幸せ、原因のない愛と慈悲、とも言えます。
 
 ジェームズ あなたはどのように決定するのですか? ときどき
       問題が起こると、私は「そうだ、これはただ起こっ
       ているだけだ」と言います。別のときには私は「こ
       れは嫌だ、私はあれをやめよう」と思います。何か
       を変えようとするにせよ、ただあるがままに任せよ
       うとするにせよ、私はどう決定するのでしょうか?
 
 ボブ
 あなたは決定しません。
 決定が為されます。
 選択は為されます。
 そこに決定する人はいないし、選択する人はいません。
 好き嫌いの感情はあります。
 
 ジェームズ それを聞いて、自分が株の売買をするときの決定を
       思い浮かべます。ある日、私は兄に電話して、ある
       株が下がると思うかどうかを尋ねます。彼は下がら
       ないと言います。そこで私は「彼は間違っている。
       彼に何がわかる?」と考えます。二、三日後、私は
       電話をして同じような質問をします。彼は自分の意
       見を述べ、私は「彼は正しい。彼の言うことを聞い
       た方がいい」と思うのです。だから、彼は自分のア
       ドバイスをくれるのですが、その後である思考が私
       のマインドに入ってきて、何もはっきりした理由は
       ないのに、それを受け取ったり受け取らなかったり
       するのです。明らかに、選択をしている「自分」は
       いません。それは本当に明白です。
 
 ボブ
 あなたは直感、自発的な感覚に頼ることを学びます。
 それは私たちが失くしているもの――「第六感」と呼ばれるもの
 です。
 
 ジェームズ しかしその直感も実際の「自分」じゃないですよね、
       違いますか?
 
 ボブ
 直感は純粋な知性からきて、あなたに何をすべきかを告げます。
 しかしそのとき私たちはそれを過去の記憶の「自分」に帰属させ
 るので、その自発性を失うのです。
 もし私たちが自分の直感から自発的に行為するなら、物事はうま
 くいきます。
 
                  『Living Reality』(p78-80)
------------------------------------------------------------

ふーむ……。

> ジェームズ 「自分」がいないことを、知っているというだけで
>       ですか?

(@_@)

まったく……こう言いたくもなりますよね。(^^;)

> ボブ
> あなたが常道を外れたら、精妙な本質があなたをつうじて幸福と
> して表現されます。

そうか……。(-_-)

> ニサルガダッタはそれを「私はそれを否定的に、私にはもはや何
> も間違ったところがない、としか言えない」と表現しています。

なるほど。

> あなたはそれを高尚だとか偉大だとか言うことはできません。
> またそれを、良いとか悪いとか言うこともできません。

はい。

> それはただあるがままです。

そうか。

それが……ただあるがまま……なんだ。

> そこには幸福感があります。

はい。

> それは「原因のない喜び」であり、もしそう言いたければ、原因
> のない幸せ、原因のない愛と慈悲、とも言えます。

わかりました。

それ以上……何が必要だろうか……ですよね。

……。(-_-)

------------------------------------------------------------
 あなたは在る。
 ほかのすべては現れにすぎない。
                     『私は在る』(p421)
------------------------------------------------------------

はい……わかっています。

獲得できたり……失ったりするものに……何の価値もないことを。

存在するのは……ただ……一なるもの……のみ。

御心のままに……。

(-||-)

------------------------------------------------------------
 永久的なもの、それはあなた自身の存在である。
 真我として在りなさい。
 それが至福である。
 あなたはいつもそれなのである。
                    『あるがままに』(p58)
------------------------------------------------------------

……。(-_-)

ありがとうございました。<(_ _)>

(-||-)

今日はこんなところで。

……。

m(_ _)m


━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━
■ 2.写経ニサルガダッタ:【36 殺すことは、殺されたもので
             はなく、殺した人を傷つける】3回目
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ここでは……とても明確な……断言を聞くことができます。

> 死以前に、これが彼自身だと考えていたことが、死後に続いてい
> く。
> 彼の自己イメージは生き残るのだ。

「自己イメージ」は……「生き残る」んですね。

自分が何であるかという……自己イメージこそが……決定的に……
重要であるようです。

(-||-)

では【36 殺すことは、殺されたものではなく、殺した人を傷つけ
る】の3回目です。

(いつものことながら、無断引用というよりは、無料宣伝と理解さ
 れることを願っています。(-||-) )

最初に通しで写経するので、それを読んでいただければいいです。

(あとは……ああとか……ううとか……言ってるだけですから。)

------------------------------------------------------------
 質問者 ラマナ・マハルシは死にました。それは彼にとって、ど
     のような違いをもたらしたのでしょうか?
 
 マハラジ
 何の違いもない。
 彼は絶対の実在だった。
 今でもそうだ。
 
 質問者 しかし、通常の人びとにとって死は違いをもたらします。
 
 マハラジ
 死以前に、これが彼自身だと考えていたことが、死後に続いてい
 く。
 彼の自己イメージは生き残るのだ。
 
 質問者 先日、ジニャーニによって使われる瞑想用の動物の毛皮
     の話がありました。私には納得できませんでした。慣習
     と伝統によって、すべてを正当化することはたやすいこ
     とです。慣習は残酷かもしれず、伝統は堕落しているか
     もしれません。それらは説明にはなっても理由として成
     り立っていませんでした。
 
 マハラジ
 私はけっして真我の実現の後に無法が続くと言ったわけではない。
 解脱(げだつ)した人は、極端なほど法のもとに生きている。
 しかし彼の法は真我の法であり、社会の法ではない。
 彼は社会の法を環境と必要性にしたがって守り、あるいは破る。
 だが、彼はけっして気まぐれでも無秩序でもない。
 
 質問者 私が受け入れがたかったことは、慣習と習慣による正当
     化です。
 
 マハラジ
 私たちの観点の違いが困難を招いたのだ。
 あなたは「身体―精神」の観点から話し、私は観照から話してい
 る。
 違いは根本的なものだ。
 
 質問者 それでも残酷さは残酷さです。
 
 マハラジ
 誰もあなたに残酷であるよう強要してはいない。
 
 質問者 他者の残酷性を利用することは、代用による残酷性です。
 
 マハラジ
 もしあなたが生きていく過程を間近に見るなら、あなたは残酷性
 をあらゆるところで見ることだろう。
 なぜなら生命は生命によって食物を供給しているからだ。
 これが事実なのだ。
 だが、それがあなたに生きていることの罪悪感を覚えさせること
 はない。
 あなたは残酷な人生をはじめたことで、母親にかぎりない苦労を
 与えている。
 あなたは人生最後の日まで、この危険と死の世界で食事と住居の
 ために競わなければならず、身体にしがみつき、その必要なもの
 のために闘い、その安全を求めなければならない。
 動物の視点から見れば殺されることは最悪の死の形態ではない。
 病死や老衰よりはむしろ願わしいものなのだ。
 残酷さは事実のなかにではなく、動機のなかにある。
 殺すことは、殺されたものではなく、殺した人を傷つけるのだ。
 
 質問者 賛成します。ですから、人は猟師や屠殺業の仕事を受け
     容れてはならないということです。
 
 マハラジ
 あなたが受け容れることを誰が望んでいるというのかね?
 
 質問者 あなたが望んでいるのです。
 
 マハラジ
 それはあなたの見方だ!
 なんとあなたは急ぎ足で告訴し、有罪を宣告し、判決を下し、死
 刑を執行するのだろう。
 なぜ自分からではなく、私からはじめるのだろうか?
 
 質問者 あなたのような人が模範を示すべきなのです。
 
 マハラジ
 私の模範にしたがう用意があなたにあるのかね?
 私は世界に対して死んでいる。
 何も欲するものがない、生きることさえも。
 私のようにありなさい。
 私のようにしなさい。
 私はあなたの動機しか目にしてはいないのに、あなたは私の服や
 食事を見て私を裁いている。
 もしあなたが身体とマインドだと信じて行為するならば、あなた
 は自己の存在への多大で残虐な罪を犯したことになるのだ。
 それと比べれば、ほかのすべての残酷さなどものの数ではない。
 
 質問者 あなたは自分が身体ではないという主張のなかに避難し
     ているのです。それでも、あなたは身体をコントロール
     し、身体がすることすべての責任を負っています。身体
     に完全な自治を許すことは愚行であり、狂気の沙汰です!
 
 マハラジ
 落ち着きなさい。
 私もまた肉や毛皮のために動物を殺すことには反対なのだ。
 だが、私はそれを最重要と見なしてはいない。
 菜食主義は価値ある大儀だが、もっとも緊急なものではない。
 すべての大義名分は、源に帰り着いた人に仕えたとき、最上のも
 のとなるのだ。
 
                   『私は在る』(p174-176)
------------------------------------------------------------

(-||-)

> 質問者 ラマナ・マハルシは死にました。それは彼にとって、ど
>     のような違いをもたらしたのでしょうか?

まあ……こういう質問も……ありますよね。

> マハラジ
> 何の違いもない。

はい。

> 彼は絶対の実在だった。
> 今でもそうだ。

はい。

> 質問者 しかし、通常の人びとにとって死は違いをもたらします。

確かに……普通は……違いを想像します。

> マハラジ
> 死以前に、これが彼自身だと考えていたことが、死後に続いてい
> く。

ん。(@_@)

「死以前に、これが彼自身だと考えていたことが、死後に続いてい
 く」……。

そういうことか……。(-_-)

そうか……すべての現れは……欲望と想像の……相互作用から……
生まれるわけだものなぁ。

> 彼の自己イメージは生き残るのだ。

欲望と想像がつづくかぎり……現れへの執着も……つづくわけだ。

「身体が自分だ」……という観念の影に現れる(かのような)……
幻影のなかで……。

一瞬……一瞬……夢を紡ぎだしている……わけだものなぁ。

> 質問者 先日、ジニャーニによって使われる瞑想用の動物の毛皮
>     の話がありました。私には納得できませんでした。慣習
>     と伝統によって、すべてを正当化することはたやすいこ
>     とです。慣習は残酷かもしれず、伝統は堕落しているか
>     もしれません。それらは説明にはなっても理由として成
>     り立っていませんでした。

……。

> マハラジ
> 私はけっして真我の実現の後に無法が続くと言ったわけではない。
> 解脱(げだつ)した人は、極端なほど法のもとに生きている。
> しかし彼の法は真我の法であり、社会の法ではない。

はい。

> 彼は社会の法を環境と必要性にしたがって守り、あるいは破る。

はい。

> だが、彼はけっして気まぐれでも無秩序でもない。

わかっています。

> 質問者 私が受け入れがたかったことは、慣習と習慣による正当
>     化です。

ふ。

> マハラジ
> 私たちの観点の違いが困難を招いたのだ。
> あなたは「身体―精神」の観点から話し、私は観照から話してい
> る。

はい。

> 違いは根本的なものだ。

わかります。

> 質問者 それでも残酷さは残酷さです。

ふう。

> マハラジ
> 誰もあなたに残酷であるよう強要してはいない。

まったく。

> 質問者 他者の残酷性を利用することは、代用による残酷性です。

うーむ。

口のへらない方……。

> マハラジ
> もしあなたが生きていく過程を間近に見るなら、あなたは残酷性
> をあらゆるところで見ることだろう。

確かに。

> なぜなら生命は生命によって食物を供給しているからだ。
> これが事実なのだ。

わかっています。

> だが、それがあなたに生きていることの罪悪感を覚えさせること
> はない。

まったく。

> あなたは残酷な人生をはじめたことで、母親にかぎりない苦労を
> 与えている。

夢のなかで。

> あなたは人生最後の日まで、この危険と死の世界で食事と住居の
> ために競わなければならず、身体にしがみつき、その必要なもの
> のために闘い、その安全を求めなければならない。

そうなんです。(;_;)

> 動物の視点から見れば殺されることは最悪の死の形態ではない。

(-_-)?

> 病死や老衰よりはむしろ願わしいものなのだ。

なるほど。

> 残酷さは事実のなかにではなく、動機のなかにある。

ああ……。

> 殺すことは、殺されたものではなく、殺した人を傷つけるのだ。

そうか。

> 質問者 賛成します。ですから、人は猟師や屠殺業の仕事を受け
>     容れてはならないということです。

うーむ。

> マハラジ
> あなたが受け容れることを誰が望んでいるというのかね?

まったく。

> 質問者 あなたが望んでいるのです。

え。(?_?)O

> マハラジ
> それはあなたの見方だ!

ほんと。(^^;)

> なんとあなたは急ぎ足で告訴し、有罪を宣告し、判決を下し、死
> 刑を執行するのだろう。

まったく。

> なぜ自分からではなく、私からはじめるのだろうか?

ホントですよね。

> 質問者 あなたのような人が模範を示すべきなのです。

ん……まあ……。

> マハラジ
> 私の模範にしたがう用意があなたにあるのかね?

「模範にしたがう用意があるのかね?」(^_-) \←……(\/U)

> 私は世界に対して死んでいる。

はい。

> 何も欲するものがない、生きることさえも。

わかっています。

> 私のようにありなさい。

(-_-)

> 私のようにしなさい。

はい。

> 私はあなたの動機しか目にしてはいないのに、あなたは私の服や
> 食事を見て私を裁いている。

そうか……。

> もしあなたが身体とマインドだと信じて行為するならば、あなた
> は自己の存在への多大で残虐な罪を犯したことになるのだ。

そうなんだ。

> それと比べれば、ほかのすべての残酷さなどものの数ではない。

わかりました。

> 質問者 あなたは自分が身体ではないという主張のなかに避難し
>     ているのです。それでも、あなたは身体をコントロール
>     し、身体がすることすべての責任を負っています。身体
>     に完全な自治を許すことは愚行であり、狂気の沙汰です!

マインドのなかの……懲りない方ねえ……。(^^;)

> マハラジ
> 落ち着きなさい。

まったく。

> 私もまた肉や毛皮のために動物を殺すことには反対なのだ。

はい。

> だが、私はそれを最重要と見なしてはいない。

わかっています。

> 菜食主義は価値ある大儀だが、もっとも緊急なものではない。

そうですよ。

> すべての大義名分は、源に帰り着いた人に仕えたとき、最上のも
> のとなるのだ。

そうか。

……。(-||-)

……。(-_-)

ありがとうございました……。<(_ _)>

(-||-)

今日の写経は、ここまでです。

m(_ _)m


       ………○…………○…………○………


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ときどき「ニサルガ辞書」で遊んでみてください。
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■ 3.いただいたお手紙から:oozoraさん
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▼『アセ通』への「私は在る」関連ご意見投稿フォーム:
http://www.formzu.net/fgen.ex?ID=P48750702
というのを作らせていただきました。(^^;)

「私は在る」に関するご意見・ご感想・シェアリング、または単な
るメールなど、ご自由にお書きいただければと思います。


       ………○…………○…………○………


じつは先週……oozoraさんという方から……応援メールをいただい
ていたのに……気がつきませんでした。

ちょっと一週遅れですが……今回ご紹介いたします。

【件名】: 続けて下さいね<(_ _)>
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 色々な人の世界を見せていただくこと楽しみにしております。
 まるで旅行気分……、ちょっと違うかも(^^;)
 ただ、ちょっと違った感覚と言えば、私は、夢から覚めることは
 ない、と思っていることですかね。
 夢から覚める、と言うのも、夢から覚めた、と言う夢を見ている、
 と言うように。
 まぁ、そのうち覚めるのでしょうから……、というような、かな
 りいい加減な、思いこみ、を持っています。
 私の世界はきっと、超ポジティブ、脳天気な世界なんでしょうね
 (^_-)
 いつも楽しく読ませていただいております。続けて下さいね(^o^)
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oozoraさん……気がつくのが遅れて……ごめんなさい。

その前の号の最後辺りの言葉に……反応してくださった……応援メ
ールかもしれませんね。

> 色々な人の世界を見せていただくこと楽しみにしております。

ありがとうございます。

> まるで旅行気分……、ちょっと違うかも(^^;)

そう言っていただくのが……とても嬉しいです。

> ただ、ちょっと違った感覚と言えば、私は、夢から覚めることは
> ない、と思っていることですかね。

そうですか。

自己イメージは……つづくみたいなんで。(*^_^*)

いずれにせよ……何を思っても……そのパワーはすごいですね。

> 夢から覚める、と言うのも、夢から覚めた、と言う夢を見ている、
> と言うように。

ええ。

> まぁ、そのうち覚めるのでしょうから……、というような、かな
> りいい加減な、思いこみ、を持っています。

そうですか。

> 私の世界はきっと、超ポジティブ、脳天気な世界なんでしょうね
> (^_-)
> いつも楽しく読ませていただいております。続けて下さいね(^o^)

ありがとうございます。

oozoraさん……応援メール……とても嬉しかったです。

m(_ _)m


       ………○…………○…………○………


『アセ通』への「ご投稿・情報提供」を歓迎いたします。

▼『アセンション館通信』への情報ご投稿フォーム
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■ 4.編集後記:これぞ……典型的な夕立……
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今になって……雨がどっと……降ってきました。

これぞ……典型的な夕立……というところでしょうか。

今年は……種をいただいて……あまり肥えた土地でなくてもできる
という……大豆を……植えています。

ここ何日も……雨がなかったので……ホッとしているでしょう。

その先は……もしできれば……われわれが食べるんですけど。(^_-)

まあ……夢のなかですから……食ったり食われたり……ですよね。

こう書いたら……もう雨はやみました。

御心のままに……。

明るいうちに……終わりました。

<(_ _)>


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■ 【作者】 『アセンション資料館』主人 pari
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  → メール: pariアットマークjk2.so-net.ne.jp
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