home > 通信 > 『アセンション館通信』第438号:大いなる完成は非概念的な気づき



━━━━☆☆☆☆━━━━━━━━━━━━━━ by paritosho ━
  ☆☆   ☆☆ 
 ☆☆     ☆☆『アセンション館通信』2012/8/26(第438号)
☆☆   ☆   ☆☆
☆☆      ☆★ 【気刊】――「私は在る」に導かれ♪――
-☆☆---------☆☆------------------------------------------
 ☆☆   ☆☆          https://www.ascensionkan.com/
━━☆☆☆☆━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━

◇◇ このメルマガの趣旨 ◇◇

このメルマガはアセンション館主人 pari と称するあるパターンに
浮上している心象風景の報告です。

現象のなかに得るべき何ものもなく、探求するその人もいないこと
が納得されても、なおも惰性で書くことが起こっているようです。

内容は人畜無害、でも読む人は相当変わっていますね。現在876名
------------------------------------------------------------
◇◇ もくじ ◇◇

1.「大いなる完成は非概念的な気づきである」

2.写経ニサルガダッタ:【100 理解は解放へ導く】の2回目

3.編集後記:そこに執着がなければ……
------------------------------------------------------------

━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━
■ 1.「大いなる完成は非概念的な気づきである」
━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━

暑いですね……。

それが……あるがままです。

マインドも何かを言うでしょうが……取り合わなければ……ただそ
れだけのこと。

問題の製造機を……退けたら……それはただ……それだけのこと。

それが……あるがままです。

それについて考えなければ……今のなかに何か悪いことがあるか?

ボブさんが……おっしゃったのは……そういうことでした。

現れのなかには……すべての対極が……包含されずにはいません。

それ以外に……顕現する術(すべ)はないから。

現れのなかで……問題を解決するとは……問題を製造しながら……
同じ製造機で……問題を解明しようとするようなもの。

マインドの視点から見て……問題のない風景は……ありえません。

マインドは……見える風景から……両極を紡ぐのが仕事だから。

現れのなかでは……生き物として……ただ……しなければならない
ことを……すればいい。

ただ……流されるだけ……。

事実は……それしか……できないのではないでしょうか。

それ以上特に……マインドが紡ぐ想念を……追うこともない。

偽りの“自分”から配達される想念を……受け取ることもない。

いずれにせよそれは……自然に……起こり続けている風景です。

成ることはすべて……現れのなかでの話。

現れは……永久に……変化の絶えない世界です。

その風景のなかの……特定の立場に同化して……その運命に逆らお
うとすることに……どれほどの意味があるのか。

現れのなかの存在物は……いずれにせよ……そのなかの必然によっ
て……定められた軌道を進むしか……ないというのに。

(*^_^*)

さて、またまた一週間が過ぎて、楽しい“アセンション噺”ならぬ
「私は在る」噺にお付き合いいただく今がやってまいりました。

『アセンション館通信』配達人の pari です。(^^)/

みなさま固有の「私は在る」を……いかがお過ごしでしょうか?

------------------------------------------------------------
 マインドと自己同一化すること、ただそれだけがあなたを幸福に、
 あるいは不幸にするのだ。
 マインドへの隷属に反抗しなさい。
 あなたの束縛は自分が創造したものだということを見なさい。
 そして執着と反感への鎖を断ち切るのだ。
                     『私は在る』(p538)
------------------------------------------------------------

> マインドと自己同一化すること、ただそれだけがあなたを幸福に、
> あるいは不幸にするのだ。

まったくです。(-||-)

映画館に行き……主人公に自己同化して……一喜一憂するのは……
もちろん……「お気に召すまま」……としか言えません。

夢のなかの……特定の生き物に自己同化して……一喜一憂するのも
……同じく「お気に召すまま」……としか言えないでしょう。

参照点が……単なるフィクションであるのは……映画のなかでも…
…夢のなかでも……同じです。

「自分」という物語は……記憶と……その記憶の延長上に投影され
た……期待と心配のなかにしかない。

記憶された過去と……想像された未来のなかにしかない。

つまり……まったく……存在していないのです。

何度も何度も……今のなかで回想され……今のなかで追加され……
今のなかで堪能されて……構築されている……虚構の物語です。

ところが……そのいかなる瞬間にも……「自分」という実体が……
存在したことはなかったのです。

これからも……それはけっして……ないでしょう。

「自分」とは……いつも……つかの間の……想念として……現れた
ことしかなかった。

<今>が拾わなければ……それはたちまち……消えてしまう。

この虚構の「自分」は……つねにこの身体を……根城にします。

ほら……「自分」はここにいる……身体はここにある、と。

でも……「自分」という想念も……身体と同じく……<今>のなか
に……起こっているにすぎない。

しかも……身体過程は……一瞬の想念「自分」など……立ち入るこ
ともできない……完璧に緻密な生命過程です。

もし……一瞬の想念「自分」に……身体過程の制御を委ねたら……
身体は……一瞬も……生きられないでしょう。(^_-)

「自分」が……この身体の血流をコントロールしている……と言え
る人が……いるでしょうか。

「自分」が……この身体に取り込まれた栄養を……消化吸収してい
る……と言える人がいるでしょうか。

あなたは……細胞の新陳代謝を制御したことが……ありますか。

そんなことは……考えたこともない……というのが事実でしょう。

考えたこともない以上……もちろん……制御してはいません。

身体過程は……現れのなかのほかのすべての現象と同じく……緻密
に組み込まれた……波動現象……つまりは自然過程です。

「自分」とは……この身体過程に寄生する……虚構の物語です。

現れとは……波動現象であり……それが自然過程でしょう。

森羅万象は……すべて波動現象であり……すべて見かけです。

その見かけは……変化であり……変化することで……現れている。

見かけのなかには……多彩多様な形態を……判別できるでしょう。

そこに……区別を設けるなら……多段、多次元の……集合を識別で
きかもしれません。

さまざまな……ラベルをつけることが可能でしょう。

でも実際は……分離した「個体」が……存在できるわけではない。

「自分」の望みで……波動世界の法則に反して……振る舞うことが
できる……実体が……存在できるわけではない。

現れの世界は……厳密な「二元性の原理」に……基づいていて……
その法則に反しては……何ひとつ顕現できないからです。

その意味では……自然過程は……とても平和な……調和世界です。

言葉を換えるなら……それは単なる……見かけです。

そこには……じつは……何もない。

しかし……おそらく……物理次元が愚直に……顕現の法則にしたが
うのに比べ……想念波動は……もう少し自由度が高いのでしょう。

「個別」が存在するかのように……想像することが……可能なので
しょう。

そこでは……物語の“核”として……参照点が……存在できる。

また……その参照点に合わせて……過去と未来を……創造できる。

もちろん……それは……虚構です……作り話です。

でも……あまりにも頻繁に……参照されれば……その虚構の物語も
……固有の磁気を帯びてくる。

その虚構の物語は……顕現の根本原理……「二元性の原理」を逸脱
した……想像世界に……舞い上がることもできる。

確かに……想像は……舞い上がれるかもしれません。

でも……じつは……その虚構の物語が……磁気を帯びれば帯びるほ
ど……誤解は深まり……物語は……不幸の度合いを……高める。

単なる見かけのなかに……「自分」の在り処を……求めるから。

また……それをすればするほど……分離が……実体化するから。

ほかの何者にも依拠することなく……自ら輝いていた気づきが……
うかうかと……想像世界のなかに……引きこまれる。

そして……自らの想像世界に……閉じこめられる。

> マインドと自己同一化すること、ただそれだけがあなたを幸福に、
> あるいは不幸にするのだ。

それもこれも……今この瞬間に……虚構の参照点を……「自分」の
証として……参照しつづけているから。

でも……この牢屋から出たければ……それも簡単です。

「自分」という実体が……存在しないことを……理解すればいい。

というのも……覚者たちの教えにしたがって……調べてみれば……
それは……間違いなく……端的な……事実ですから。

「自分」という実体は……確かに……どこにも存在しない。

ただ……身体過程と……ときどきの想念が……あるだけ。

ただ……<今>が興味をもち……<今>が参照してきた……虚構の
物語が……あるだけ。

すべては……<今>のなかにある。

<今>の興味に許されて……その物語があるだけ。

------------------------------------------------------------
 自己限定だけが唯一の問題なのだ。
 しかし、あなた自身から逃げだすことはできない。
 どれほど遠くへ行こうとも、あなたは自分自身に、そして無であ
 り、しかもすべての源であるこの点を理解する必要性に戻ってく
 るのだ。
                     『私は在る』(p355)
------------------------------------------------------------

(-||-)

今回も……ボブさんの無断翻訳から……少しご紹介しましょう。


『Living Reality: My Extraordinary Summer With "Sailor" Bob
 Adamson』(http://tinyurl.com/88zpf7p )
(『生きている実在:セイラー・ボブと過ごした途方もない夏』)
からの抽出翻訳です。

念願かなって……ついにボブさんご夫妻は……アメリカにきてくれ
て……今は著者ジェームズ・ブラーハの家に滞在しています。

ここでは……ジェームズ・ブラーハは……ボブさんと対面して……
会話しています。

------------------------------------------------------------
 ジェームズ ボブ、確信の問題に戻りたいと思います。1980年代
       私はたくさんのESTセミナーに参加しました。コ
       ースは自己開発や人生の支配というようなことに関
       わるものです。そしてそれは非常に意志とコミット
       メント(態度表明)を重視していました。それは私
       の人生に非常に大きな影響を与えました。見かけの
       世界には、人が結果を呼び寄せ、何かを起こらせる
       もの、つまり意志があります。何ひとつ意志なくし
       ては起こりません。あなたが到着する前に、私は
       「セイラー・ボブがここに来たら、彼が提供するは
       ずのものを、私はどうしても手に入れたい」と思っ
       ていました。あなたは私を笑っていますね……。
 
 ボブ
 私の本のなかで私は何と言っていましたか?
 
 ジェームズ あなたは「それを手に入れる誰がいるのか?」と言
       っています。
 
 ボブ
 あなたはすでに「それ」であるという事実から始めることです。
 それはつねに探求者という考えを取り除きます。
 あなたがしなければならないことはただ、あなたがそれを理解す
 るのを止めているガラクタを削り取ることだけです。
 浮上しては見かけ上あなたをそれから引き離すものをすべて、た
 だ退けることです。
 あなたは、あなたがすでにそうであるものとともに残されます。
 何かを手に入れたいという考えは時間を暗示しますが、時間は単
 なる精神的概念にすぎません。
 
 ジェームズ ええ、もちろんです。霊的探求は「バカらしい」と
       いう言葉に本当の意味を与えます。非二元論のメッ
       セージはじつにシンプルだと思われます。どうして
       これが、失われたり誤解されたりしたのでしょう? 
       なぜ瞑想やヨガといったものがあれほど騒ぎ立てら
       れるのでしょうか?
 
 ボブ
 非二元論は複雑なマインドには単純すぎるのです。
 マインドの本質は分割することです。
 マインドは非二元論、つまり一なるものを理解したり概念化する
 ことはできません。
 思考とは、波動であり運動です。
 だから、マインドのなかに解答が見つかることはけっしてないの
 です。
 それを理解したら、それは完全停止です。
 もう、そこを探しには行きません。
 そして完全に停止する以外に、マインドからの出口はありません。
 あなたがマインドのなかをどの方向に進もうと、それはマインド
 のなかです。
 
 仏教には、ゾクチェン聖典として知られている教えがあります。
 ゾクチェンとは「大いなる完成」という意味です。
 そしてそのなかに、ひとつ非常に重要な記述があります。
 「大いなる完成は非概念的な気づきである」というのです。
 気づきについて誰がもつどんな概念も、すべて太陽を覆い隠す雲
 のようなものです。
 あなたはその概念のために、気づきを理解しないのです。
 それはあなたの概念が、止まらなければならないということでは
 ありません。
 しかし概念は概念です。
 すべての概念は事実ではなく、そのものではありません。
 
 ジェームズ このすべては反応にどう影響しますか? つまり、
       人びとはどのようにボタンを押されるのでしょう?
       それは無くなるのですか?
 
 ボブ
 私はそれを応答と呼びます。
 応答はあるでしょう、しかし誰が応答しているのでしょうか?
 もし「自分」からの配達を何か受け取るなら、それに応じてあな
 たは苦しみます。
 自分はあれをすべきだったとか、あれをすべきではなかったとか
 考えて、その考えをもちつづけます。
 しかし、私が言うように、あなたがその偽りの参照点を信じてい
 なければ、反応はあるでしょうが、ほとんどすぐに消えます。
 そこで起こるべきことが何かあるかもしれません。
 それはわかりません。
 あなたはそれに固執しません。
 しかしもしあなたが自分がこうあるべきだと考える方法に従って
 それを判断するなら、そのとき問題が起こります。
 
 こう考えてください、ジェームズ。
 「現象(phenomenon)」の定義は「そう見えるもの」です。
 非顕現あるいは無である「noumenon(本体)」の定義は、「存在
 するもの」です。
 ですから、私たちが見る宇宙は見かけなのです。
 そして真の宇宙は非顕現なのです。
 
 ジェームズ それが「実在」です。
 
 ボブ
 それが実在です。
 ものではありません。
 ですから、いまだかつて何も起こったことはないのです。
 出来事はすべて、ものでなければなりません。
 エネルギー、つまり何かへの信念は、進む方向など気にしません。
 それはまさに電動機のなかの電流のようなものです。
 ある方向にスイッチを動かすと、それは前進します。
 反対側に動かすと、それは逆進します。
 電気は気にしていません。
 その活力、生きているエッセンスは、あなたが二元論で考えてい
 るとか、マインドで行き詰まっているとか、そんなことは気にし
 ません。
 それはただ、エネルギーが行く方向、つまり信念が向かうところ
 に、向かうだけです。
 でも、もしあなたが自分の信念すべてを疑ったら、あなたは信念
 が参照点にすぎないことを発見するでしょう。
 それは実在しません。
 信念は、けっして実在ではありえません。
 実在は、この現在の瞬間です。
 存在の気づきです。
 あなたはそれを否定できません。
 
 ジェームズ それが、人が知ることができる唯一のものです。
 
 ボブ
 それはものではありません。
 それは知ることそれ自体です。
 知る「あなた」はいません。
 それは知ることそのものです。
 ちょうど太陽が輝いているようなものです。
 太陽は太陽を照らす光を必要としていません。
 それは自ら輝いています。
 あなたは自ら気づいています。
 気づき自体は、輝いている太陽のようなものです。
 それは自己照明あるいは自己知です。
 それはあなたが否定できないものです。
 「非概念的、永久に新鮮な、自ら輝く存在の気づき。
  まさにこれ、そしてそれ以外ではない」
 それは仏教徒の言葉です。
 そのシンプルさを守れば、あなたは間違うことはありえません。
 それはあまりにも単純で、マインドはそれを把握できません。
 マインドはそれを解明し、それを概念化しようとします。
 
 ときどき私たちは、すべての概念は消え去るべきだとか、すべて
 の思考は止まるべきだという考えを持ちます。
 そうではありません。
 ただ概念は概念だと理解するのです。
 概念はそのものではありません。
 あなたは自分自身について概念を持ち、他の人びともあなたにつ
 いて概念をもちます。
 だから、あなたは誰かが自分について考えることなど気にもかけ
 ません。
 それは概念にすぎません。
 彼らはあなたについての真実を知っているわけではない。
 またあなたの自分についての観念も真実ではありません。
 概念に耽溺しないことによって、あなたは真実とともに、本当の
 あるがままの自分とともに残るのです。
 
 ジェームズ 人びとは探求をつづけます。人によってはそれが人
       生でしたいことのすべてなのです。
 
 ボブ
 そのとおりです。
 探求し、探求し、けっして見つけることはありません。
 なぜなら探求はマインドのなかにあり、マインドの本質は分割す
 ることだからです。
 それはあなたを永遠に探求者にとどめておくでしょう。
 30年間あなたは瞑想によって探求してきました。
 そしていまだに探求しています。
 あなたは知性のある人であり、他のたくさんのことをマインドを
 使って解明しました。
 しかし自己理解ということになると、けっしてそれを解明するこ
 とはないでしょう。
 最後には、あなたの知性はあなたに「もしかしたら私は間違った
 場所を探しているのではないか?」と言うことでしょう。
 いったんそれを理解したら、もうそこを探すことはありません。
 それは無意味です。
 
                  『Living Reality』(p85-87)
------------------------------------------------------------

(-||-)

次のところ……とっても響きました。

> 仏教には、ゾクチェン聖典として知られている教えがあります。
> ゾクチェンとは「大いなる完成」という意味です。
> そしてそのなかに、ひとつ非常に重要な記述があります。

ここです。

> 「大いなる完成は非概念的な気づきである」というのです。

(-_-) ⌒★?

何も……考える必要など……ないのですね。

概念で……捕まえられるものでもなし。

「あなたはすでにそれです」とは……このことだったか。

> 気づきについて誰がもつどんな概念も、すべて太陽を覆い隠す雲
> のようなものです。

はい。

> あなたはその概念のために、気づきを理解しないのです。

(*-_-*)

> それはあなたの概念が、止まらなければならないということでは
> ありません。

(@_@)

> しかし概念は概念です。
> すべての概念は事実ではなく、そのものではありません。

そうか……。

ありがとうございました。(-||-)

------------------------------------------------------------
 あなたは在る。
 ほかのすべては現れにすぎない。
                     『私は在る』(p421)
------------------------------------------------------------

はい。

(-||-)

------------------------------------------------------------
 永久的なもの、それはあなた自身の存在である。
 真我として在りなさい。
 それが至福である。
 あなたはいつもそれなのである。
                    『あるがままに』(p58)
------------------------------------------------------------

……。(-_-)

ありがとうございました。<(_ _)>

(-||-)

今日はこんなところで。

……。

m(_ _)m


━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━
■ 2.写経ニサルガダッタ:【100 理解は解放へ導く】2回目
━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━

質問者の問の意味と……マハラジの言葉の意味を……推測しながら
……読むしかないわけですが……。

現れの世界の一隅では……いつもこんな応答が……交わされている
のでしょうか。

誰かと誰かが……話しているというのではなく……ある意味ありげ
な信号が……行き交っている……だけなのかもしれません。

耳を傾けていると……こんな言葉が……聞こえてきます。

> マインドが現れる以前に、私は在る。
> 「私は在る」はマインドの中にあるひとつの想念ではない。
> マインドが私に起こるのであって、私がマインドに起こるのでは
> ない。

(-||-)

では【100 理解は解放へ導く】の2回目です。

(いつものことながら、無断引用というよりは、無料宣伝と理解さ
 れることを願っています。(-||-) )

最初に通しで写経するので、それを読んでいただければいいです。

(あとは……ああとか……ううとか……言ってるだけですから。)

------------------------------------------------------------
 質問者 類似性は表面的なものではありません。人間は複雑な存
     在であり、同時に原告と被告、判事、刑務所長、死刑執
     行人になることができるのです。「自発的な」サーダナ
     に、それほどの自発性はありません。人は理解とコント
     ロールの範囲を超えた力に動かされているのです。苦痛
     に満ちた長い努力による以外、私には身体の代謝作用ほ
     ど心理的代謝作用を変えることはできません。それがヨ
     ーガなのです。私が尋ねたいことは、「マハラジはヨー
     ガが暴力を含んでいるという私の見方に同意されるでし
     ょうか?」ということです。
 
 マハラジ
 あなたが示しているヨーガが暴力を意味していることには同意す
 るが、私はいかなる形の暴力も唱道したことはない。
 私の道は完全に非暴力のものだ。
 私は言葉どおり正確に非暴力を意味している。
 それがどのようなものであるか自分自身で試してみるがいい。
 私はただ、それが非暴力だと言うだけだ。
 
 質問者 私は言葉を誤用しているわけではありません。あるグル
     が残りの人生を、一日、十六時間瞑想するよう求めると
     すれば、私には自分への極端な暴力なしにそれをするこ
     とはできません。そのようなグルは正しいのでしょうか、
     間違っているのでしょうか?
 
 マハラジ
 あなたがそうしたいと感じないかぎり、誰もあなたに一日、十六
 時間瞑想するよう強要してはいない。
 それは、「あなた自身とともに在りなさい。ほかのものごとのな
 かに自分を見失ってはならない」と言っているだけなのだ。
 教師は待つだろう。
 だが、マインドは性急なのだ。
 
 暴力的なのは教師ではなくマインドだ。
 そしてマインドはそれ自身の暴力を恐れているのだ。
 マインドに属するものは相対的であり、それを絶対的と見なすこ
 とは誤りだ。
 
 質問者 もし私が受容的なままでいれば、何の変化も起こらない
     でしょう。もし活動的になれば、私は暴力的になるでし
     ょう。無益でも暴力的でもないどのようなことを私はす
     ればいいのでしょうか?
 
 マハラジ
 もちろん、無益でも暴力的でもない道がある。
 しかも、最高に効果的なものだ。
 ただあるがままのあなた自身を見なさい。
 あるがままのあなた自身を受け入れなさい。
 そして、あなたであるもののなかへと、どこまでも深く入ってい
 きなさい。
 暴力や非暴力は、あなたの他者に対する態度を表している。
 自己と自己自身との関係性は暴力でも非暴力でもない。
 それはそれ自身に気づいているか気づいていないかのどちらかだ。
 もしそれがそれ自身を知っているなら、それが為(な)すすべて
 は正しいだろう。
 もしそれがそれ自身を知らないなら、それが為すすべては誤りだ
 ろう。
 
 質問者 「私はあるがままの私を知っている」とはどういう意味
     でしょうか?
 
 マハラジ
 マインドが現れる以前に、私は在る。
 「私は在る」はマインドの中にあるひとつの想念ではない。
 マインドが私に起こるのであって、私がマインドに起こるのでは
 ない。
 そして時間と空間がマインドのなかに存在するため、私は時間と
 空間を超え、永遠で不変なるものなのだ。
 
 質問者 あなたは真面目なのですか? 本気であなたがいつでも、
     どこにでも存在すると言われるのですか?
 
 マハラジ
 そうだ。
 あなたにとって動くことの自由が明白であるように、私にとって
 それは明白なことだ。
 樹が猿に「あなたがどこへでも動くことができるというのは本当
 なのですか?」と尋ねているところを想像するがいい。
 そして猿は言うだろう。
 「そうだとも」と。
 
 質問者 あなたは因果関係からも自由なのでしょうか? あなた
     は奇跡を起こせますか?
 
 マハラジ
 世界そのものがひとつの奇跡なのだ。
 私は奇跡を超えている。
 私は絶対的に正常だ。
 私にとってはすべて、起こるべきことが起こるのだ。
 私は創造過程を妨げない。
 大いなる奇跡がつねに起こっているときに、小さな奇跡が私にと
 ってどのような意味があるというのだろう?
 何であれあなたが見ているものは、つねにあなた自身の存在を見
 ているのだ。
 あなた自身のなかへどこまでも深く入っていきなさい。
 内側を探しなさい。
 自己発見には暴力も非暴力もない。
 偽りを破壊することは暴力ではないのだ。
 
                   『私は在る』(p543-545)
------------------------------------------------------------

(-||-)

(-||-)

> 質問者 類似性は表面的なものではありません。人間は複雑な存
>     在であり、同時に原告と被告、判事、刑務所長、死刑執
>     行人になることができるのです。「自発的な」サーダナ
>     に、それほどの自発性はありません。人は理解とコント
>     ロールの範囲を超えた力に動かされているのです。苦痛
>     に満ちた長い努力による以外、私には身体の代謝作用ほ
>     ど心理的代謝作用を変えることはできません。それがヨ
>     ーガなのです。私が尋ねたいことは、「マハラジはヨー
>     ガが暴力を含んでいるという私の見方に同意されるでし
>     ょうか?」ということです。

この質問者の連想野は“犯罪・拷問”とか“原告と被告、判事、刑
務所長、死刑執行人”といった内容で充満しているようですね。

> マハラジ
> あなたが示しているヨーガが暴力を意味していることには同意す
> るが、私はいかなる形の暴力も唱道したことはない。
> 私の道は完全に非暴力のものだ。
> 私は言葉どおり正確に非暴力を意味している。

はい、わかっています。

> それがどのようなものであるか自分自身で試してみるがいい。
> 私はただ、それが非暴力だと言うだけだ。

はい。

> 質問者 私は言葉を誤用しているわけではありません。あるグル
>     が残りの人生を、一日、十六時間瞑想するよう求めると
>     すれば、私には自分への極端な暴力なしにそれをするこ
>     とはできません。そのようなグルは正しいのでしょうか、
>     間違っているのでしょうか?

この方の質問自体のなかに……何というか……不必要な虚偽が……
あるわけですよね。

> マハラジ
> あなたがそうしたいと感じないかぎり、誰もあなたに一日、十六
> 時間瞑想するよう強要してはいない。

まったくです。

> それは、「あなた自身とともに在りなさい。ほかのものごとのな
> かに自分を見失ってはならない」と言っているだけなのだ。

はい。

> 教師は待つだろう。
> だが、マインドは性急なのだ。

なるほど。

> 暴力的なのは教師ではなくマインドだ。

はい。

> そしてマインドはそれ自身の暴力を恐れているのだ。

そうなんだ。(@_@)

> マインドに属するものは相対的であり、それを絶対的と見なすこ
> とは誤りだ。

わかりました。

> 質問者 もし私が受容的なままでいれば、何の変化も起こらない
>     でしょう。もし活動的になれば、私は暴力的になるでし
>     ょう。無益でも暴力的でもないどのようなことを私はす
>     ればいいのでしょうか?

“受容的なままでいれば、何の変化も起こらない”というのが……
本当かどうかはわからないけど……。

> マハラジ
> もちろん、無益でも暴力的でもない道がある。
> しかも、最高に効果的なものだ。

(-_-)?

> ただあるがままのあなた自身を見なさい。

これは……言葉としても……難しいですよね。

> あるがままのあなた自身を受け入れなさい。

これはまあ……意味はわかりますけど。

> そして、あなたであるもののなかへと、どこまでも深く入ってい
> きなさい。

ふーむ。

どんな覚者も……身についた言葉で……語るしかないもんなぁ。

> 暴力や非暴力は、あなたの他者に対する態度を表している。

はい……確かに。

> 自己と自己自身との関係性は暴力でも非暴力でもない。

ああ……なるほど。

> それはそれ自身に気づいているか気づいていないかのどちらかだ。

はい。

> もしそれがそれ自身を知っているなら、それが為(な)すすべて
> は正しいだろう。
> もしそれがそれ自身を知らないなら、それが為すすべては誤りだ
> ろう。

わかりました。

> 質問者 「私はあるがままの私を知っている」とはどういう意味
>     でしょうか?

そうそう……とてもツボにはまった質問ですよね。

> マハラジ
> マインドが現れる以前に、私は在る。

はい。

> 「私は在る」はマインドの中にあるひとつの想念ではない。

わかります。

> マインドが私に起こるのであって、私がマインドに起こるのでは
> ない。

了解です。

> そして時間と空間がマインドのなかに存在するため、私は時間と
> 空間を超え、永遠で不変なるものなのだ。

あ……そういうことですね。(@_@)

なら……わたしも時間と空間を超え、永遠で不変なるものです。

> 質問者 あなたは真面目なのですか? 本気であなたがいつでも、
>     どこにでも存在すると言われるのですか?

なるほど。

こういう……聞こえ方もあるわけですね。

さて……マハラジは……どう答えるか。

> マハラジ
> そうだ。
> あなたにとって動くことの自由が明白であるように、私にとって
> それは明白なことだ。

なるほど。

> 樹が猿に「あなたがどこへでも動くことができるというのは本当
> なのですか?」と尋ねているところを想像するがいい。

はい。

> そして猿は言うだろう。
> 「そうだとも」と。

(*^_^*)

> 質問者 あなたは因果関係からも自由なのでしょうか? あなた
>     は奇跡を起こせますか?

そうか……こういうふうに……聞こえるわけですよね。

> マハラジ
> 世界そのものがひとつの奇跡なのだ。

はい。

> 私は奇跡を超えている。

これがマハラジ流。(^_-)

でも……わたしは現れを超えている……と言ったら……これはちっ
とも変じゃないけど。

> 私は絶対的に正常だ。

異常と正常が……現れる以前。

> 私にとってはすべて、起こるべきことが起こるのだ。
> 私は創造過程を妨げない。

はい。

> 大いなる奇跡がつねに起こっているときに、小さな奇跡が私にと
> ってどのような意味があるというのだろう?

まったく。

> 何であれあなたが見ているものは、つねにあなた自身の存在を見
> ているのだ。

この言葉の……マハラジの意味はわかりません。

> あなた自身のなかへどこまでも深く入っていきなさい。

はい。

> 内側を探しなさい。

マインドで概念化しようとするのはやめなさい……ということか。

> 自己発見には暴力も非暴力もない。

はい。

> 偽りを破壊することは暴力ではないのだ。

そうか……。

わかりました。

……。(-_-)

ありがとうございました……。<(_ _)>

(-||-)

今日の写経は、ここまでです。

m(_ _)m


       ………○…………○…………○………


『私は在る』の「目次」はここ↓に置いてあります。
https://www.ascensionkan.com/books/I_AM_THAT-index.html

ときどき「ニサルガ辞書」で遊んでみてください。
https://www.ascensionkan.com/ndic/

新しい「ラマナ・マハルシ辞書」はここです。
https://www.ascensionkan.com/rdic/

おこがましくも『アセ通』既刊号はすべてここに置いてあります。
https://www.ascensionkan.com/mm/


       ………○…………○…………○………


▼『アセ通』への「私は在る」関連ご意見投稿フォーム:
http://www.formzu.net/fgen.ex?ID=P48750702
というのを作らせていただきました。(^^;)

「私は在る」に関するご意見・ご感想・シェアリング、または単な
るメールなど、ご自由にお書きいただければと思います。


       ………○…………○…………○………


『アセ通』への「ご投稿・情報提供」を歓迎いたします。

▼『アセンション館通信』への情報ご投稿フォーム
http://www.formzu.net/fgen.ex?ID=P87119518


       ………○…………○…………○………


━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━
■ 3.編集後記:そこに執着がなければ……
━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━

耳鳴りは激しいですが……問題はありません。

夢中になると……耳鳴りには……気がつきませんし。(^_-)

耳鳴りが……わたしのなかにあるのであって……わたしが耳鳴りの
なかに……あるわけじゃありませんから。

とかいって。(^_-)

ふ。

物語には……執着以外に……いかなる根拠もないのですね。

そこに執着がなければ……「自分」というものはいない。

これは……事実です。

やっぱり……ボブさんがおっしゃるように……「自分」が作り話だ
とわかると……「自分」の威力は……弱まるようですね。

なんか……努力しなくなる。(^_-)

今日は……結構早く……終えました。

<(_ _)>


━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━
■ 【作者】 『アセンション資料館』主人 pari
━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━
  → メール: pariアットマークjk2.so-net.ne.jp
------------------------------------------------------------
『アセンション館通信』の既刊号を毎日連続で配信いたします。
連続配信をご希望の方は“『アセ通』連続配信依頼フォーム”
https://www.ascensionkan.com/mm/deliver.html
↑より、空メールをお送りください。翌日より毎日配信されます。
ただし、これからの号の購読にはメルマガ登録が必要です。(無料)
------------------------------------------------------------
このメールマガジンは二つの配信スタンド
『まぐまぐ!』http://www.mag2.com/ と
『melma』 http://www.melma.com/ を利用して発行しています。
「まぐまぐ」は:http://www.mag2.com/m/0000126287.html
「melma」は  :http://www.melma.com/backnumber_110091/
━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━
Copyleft(C)2012 paritosho
↑コピーレフトの概念についてはこちら↓をご覧ください。
http://now.ohah.net/commune/?license/copyleft.html
------------------------------------------------------------