home > 通信 > 『アセンション館通信』第440号:自分の思考を選択できるか?



━━━━☆☆☆☆━━━━━━━━━━━━━━ by paritosho ━
  ☆☆   ☆☆ 
 ☆☆     ☆☆『アセンション館通信』2012/9/09(第440号)
☆☆   ☆   ☆☆
☆☆      ☆★ 【気刊】――「私は在る」に導かれ♪――
-☆☆---------☆☆------------------------------------------
 ☆☆   ☆☆          https://www.ascensionkan.com/
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◇◇ このメルマガの趣旨 ◇◇

このメルマガはアセンション館主人 pari と称するあるパターンに
浮上している心象風景の報告です。

現象世界はすべて変化の意識であり、変化するものは永遠に変化す
るのみ、見かけの自分はその変化のなかの出来事にすぎません。

相変わらず分離感覚はありますが、どうすることもできません。

内容は人畜無害、でも読む人は相当変わっていますね。現在881名
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◇◇ もくじ ◇◇

1.「自分の思考を選択できるか?である」

2.写経ニサルガダッタ:【03 今を生きる】の1回目

3.編集後記:ここでの語り口が……ややもすると……
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■ 1.自分の思考を選択できるか?
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まだまだ暑いとはいえ……空気は秋の気配を漂わせています。

季節は……まさに流れるように……移っていくのですね。

いわゆる外界も……また内面も……空なる背景のなかで……空なる
背景に対して……起こっています。

われわれ……誰もが……その空なる背景です。

現れの叙述手段である言葉で表現すれば……矛盾だらけにしかなり
ませんが……事実は事実です……変えることはできません。

われわれの誰もが……その空なる背景でしょう。

それ以外の何が……生命の本質でありうるでしょう。

ただ……絶えず自分を……見かけの現象で……定義しようとする癖
が……抜けていないだけだと思います。

そして……夏が去って秋になるのは……望ましいのかどうかといっ
た……浮上する想念に……フォーカスしたりするわけです。

夏が去って秋になることに……どんな意味もあるはずがない。

夏も……秋も……そんなことは考えません。

夏に吹く風も……秋に吹く風も……そんなことは考えない。

ただ……あるがままに……吹くだけです。

その風景のなかで……われわれだけが……あるがままのなかの……
“自分”だけの……幸不幸を……想像したがるんですよね。

たぶん……そういう……役柄なんでしょうね。(^_-)

(*^_^*)

さて、またまた一週間が過ぎて、楽しい“アセンション噺”ならぬ
「私は在る」噺にお付き合いいただく今がやってまいりました。

『アセンション館通信』配達人の pari です。(^^)/

みなさま固有の「私は在る」を……いかがお過ごしでしょうか?

このごろ……地上では……とっても欝(うつ)が……流行っている
そうですね。

もちろん……地上の平均でも……“病的なウツ”と言われる状態は
……あると思います。

すぐに……死にたくなってしまう……状態というような。

このパターンにも……そういうときが……ありました。

しかし……そうでないまでも……死なないように頑張りながら……
自分が幸福か不幸かを……定義しようとするわれわれだって……。

言ってみれば……“正常なウツ”……みたいなものじゃないでしょ
うか。(^_-)

それにだいたい……われわれが……“正常なウツ”に……ならない
ことが……できると思いますか?

第一……われわれは……自分の思考を……選べるんでしょうか?

ボブさんは……こんなふうに言います。

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 もし私たちが自分の思考を選択することができるなら、そもそも
 なぜ私たちは不幸な思考を抱いているのでしょうか?
 そもそもなぜ私たちは怒りの思考や恐れの思老を抱いているので
 しょうか?
                    『ただそれだけ』(p140)
------------------------------------------------------------

なんと……。(@_@)

> もし私たちが自分の思考を選択することができるなら、そもそも
> なぜ私たちは不幸な思考を抱いているのでしょうか?

……。(-_-;)

ひとつの……自明な論理的結論は……われわれには……自分の思考
を選択することなど……できない……ということです。

いや……予測される肉体の死に備えるために……不幸な思考を選択
しているのだ……と強弁することは可能だと思います。

そういう解釈に満足できるなら……むろんそれでOKです。

でも……満足できない方は……選択できないことになります。

肉体の死はどのみち不可避……不幸な思考など要らない……という
方の場合も……自分の思考を選択できない……ことになります。

多分……大部分の人格パターンにとって……自分の思考は選択でき
ない……のではないでしょうか。

そして……もうひとつの……もう少し深い……もう少し穿った……
論理的結論は……こうです。

じつは……われわれは無自覚的に……不幸な思考を選択している…
…あるいは選択させられている……ということです。

もちろん……自分という分離した実体が……存在すると想像するこ
とによって……です。

だって……夏が退場して……秋の出番になったとしても……悲しむ
夏もいなければ……喜ぶ秋もいないのは……自明です。

でも……われわれは……暑い夏のほうが嫌か……涼しい秋のほうが
いいか……寒い冬はもっと嫌かを……比較しなくてはならない。

自分が……なぜ……どのように幸福か……なぜ……どのように不幸
かを……比較考量して……定義しなくてはならない。

「可哀想なのはこの子でござい」……。

……。(-_-)

もちろん……こんなことはすべて……想像のなかにあるだけです。

存在するのは……ただひとつの「認識する空」なのに……われわれ
はそれを……創造者と非創造物に……わけたりする。

そして……勝手に……被害者を演じたりする。

そうして……ひとつの世界のエンディング……一巻のフィルムの終
わりまで……たどり着いたと……いうわけなのでしょう。

ひとつのレベルでは……われわれは……自分の思考を選択できない。

そして……もうひとつレベルでは……われわれは……虚構の自分を
想像して……不幸な思考を選択している……わけです。

ボブさんが……つづいて言っているのは……そのことでしょう。

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 つまり、それはすべて例の自己中心ないしエゴとの関係の問題な
 のです。
 その抵抗に目を向け、その抵抗を認識してください――それがあ
 なたにできるすべてです。
 その認識の中で、自分がそれをどこから認識しているか見てくだ
 さい。
 あなたはそれを対極的な場から認識しているはずです。
 もし完全に抵抗しているなら、あなたはそれに気づきません。
 完全に怒っているとき、あなたは怒りに気づきません。
 なぜなら、あなたは完全にその中に埋没しているからです。
 しかし、抵抗の認識は、非抵抗の観点からのものです。
 その瞬間、あなたはそこから出ています。
 そして、習慣からそのパターンがまた生じてきたとしても、再び
 それを認識してください。
 
 あなたがそれを味わい始めると、もはや、向こうに何かが進行し
 ていて、それに責任がある一人の私がいるという間違った信念に
 とらわれ続けることはなくなります。
 その信念が見抜かれるとき、あなたは二度と再びそれを信じるこ
 とができません。
                 『ただそれだけ』(p140-p141)
------------------------------------------------------------

> その抵抗に目を向け、その抵抗を認識してください――それがあ
> なたにできるすべてです。

嫌な気分が起こったとき……その抵抗を……認識すること。

嫌な気分が起こったとき……それが虚構の参照点からの抵抗である
ことを……認識すること。

できることは……それしかないそうです。

> その認識の中で、自分がそれをどこから認識しているか見てくだ
> さい。
> あなたはそれを対極的な場から認識しているはずです。

嫌な気分を……参照点の外から……認識している。

> もし完全に抵抗しているなら、あなたはそれに気づきません。
> 完全に怒っているとき、あなたは怒りに気づきません。

わかります。

> なぜなら、あなたは完全にその中に埋没しているからです。

はい。

> しかし、抵抗の認識は、非抵抗の観点からのものです。
> その瞬間、あなたはそこから出ています。

嫌な気分を……嫌な気分と認識しているのは……非抵抗の観点。

その瞬間……わたしは……参照点の……外にいる……。

------------------------------------------------------------
 ですから、自分が憤慨、怒り、恐れの原因であり、これらすべて
 はその結果なのです。
 そしてそれがいわゆるカルマ(因果の法則)のすべてです。
 その原因、すなわち、今まで実在すると思い込んできたこのエゴ
 という参照点は、何の実体も独立した性質もない作り話であると
 理解したとき、何が起こるでしょうか?
 もし私が自分自身にシンブルな質問、「原因なくして、結果はあ
 りうるだろか?」という質問をするなる、私ならこう答えるでし
 ょう。
 「いいえ、原因がなければ、結果はありえないはずだ」と。
 
 ですから、私が物事をこの想像された原因というか実体と関係づ
 けなければ、そのときには結果も自ずと抜け落ちるはずです。
 そうやって私たちは、こうした心理的苦しみをすべて取り除くこ
 とができるのです。
                    『ただそれだけ』(p142)
------------------------------------------------------------

> ですから、自分が憤慨、怒り、恐れの原因であり、これらすべて
> はその結果なのです。

(>_<)

> そうやって私たちは、こうした心理的苦しみをすべて取り除くこ
> とができるのです。

(-||-)

今回も……ボブさんの無断翻訳から……少しご紹介しましょう。

『Living Reality: My Extraordinary Summer With "Sailor" Bob
 Adamson』(http://tinyurl.com/88zpf7p )
(『生きている実在:セイラー・ボブと過ごした途方もない夏』)
からの抽出翻訳です。

念願かなって……ついにボブさんご夫妻は……アメリカにきてくれ
て……今は著者ジェームズ・ブラーハの家に滞在しています。

ここでは……ジェームズ・ブラーハは……ボブさんと対面して……
会話しています。

二日目の会話に入り……ジェームズはボブさんの昔話を聞きます。

------------------------------------------------------------
 ジェームズ あなたはニサルガダッタに会う前にその本を読んで
       いましたか?
 
 ボブ 
 ある本屋にいたとき、みんなが私に『私は在る』のことを言った
 のですが、私は彼らを無視していました。
 すると本屋の主人が「あなたはこの本を読まなくてはだめだ」と
 言いました。
 私は二、三ページ、それも大急ぎですらっと読んだだけです。
 その段階では私はあの本を読んでいませんが、その数ページで読
 んだことは本当に私に衝撃を与えました。
 私の理解は自分が読んだことの境界線上にあり、私はアシュラム
 での体験にうんざりしていたのです。
 私はあらゆる類のクンダリーニ体験をしていましたが、しかし、
 どこにもたどり着いていませんでした。
 当時私たちはボンベイに行き、そこにはたくさんの西洋人がいて、
 ある者はあるグルのところに、また別の者は別のグルのところに
 行っていました。
 「よし、お前はこの人のところに行くべきだ」と思いました。
 
 ジェームズ ニサルガダッタのフラットからアシュラムまでは、
       どれくらいの距離だったんですか?
 
 ボブ
 五、六十マイルです。
 私たちはムクタナンダのグルのニチャナンダの周囲に作られてい
 た小さな村にいました。
 本当に何もないところでした。
 ニチャナンダは小さな小屋に住んでいて、その周りにアシュラム
 が作られていました。
 ムクタナンダが加わったとき、彼は自分のアシュラムを通りを少
 し下って離れたところに作りました。
 
 ジェームズ わかりました。私には『私は在る』やその他の非二
       元論の本を読んでいる友人が何人かいるのですが、
       彼らはそれを楽しんで、同意しながらも、その後で
       探求や瞑想を続け、悟りを追い求めています。彼ら
       は本当にたくさんの人びとが話している体験を求め
       ているのです。あのすごい感覚といったすべてです。
       私には彼らのしていることが理解できません。とに
       かく私は理解しつつあります。わかってきています。
 
 ボブ
 [からかうように]その「つつある」というのは何ですか?
 
 ジェームズ ええと、おわかりでしょ。
 
 ボブ
 私はそれです――「なりつつある」のではありません。
 何であれ獲得したり喪失したりできるものは、あなたではありま
 せん。
 何であれ忘れたり思い出したりできるものは、あなたではありま
 せん。
 
 ジェームズ では、「自分がそれであることを思い出す」と言っ
       たらどうでしょう?
 
 ボブ
 良くないです。
 そこに思い出している「私」がいます。
 いいですか、在るのは「知ること」で、それをあなたは否定でき
 ません。
 それが実在であり――過去の何かを思い出している「自分」では
 ありません。
 あなたが否定できないその「知ること」が在るのです。
 それを言葉にする必要はありません。
 あなたは自分が存在することを知っています。
 あなたは「私はいない]と言うことはできません。
 ただ、知ること、知ること、知ること、です。
 見ること、見ること、見ること、です。
 
 ジェームズ ではその見ること、見ること、見ることが、ますま
       す起こりつつある、と言うことはできませんか?
 
 ボブ
 それではそれが起こらなかったときがあることになります。
 ただ見ることです――まさにここで、たった今。
 知ることです――まさにここで、たった今。
 
 ジェームズ 知ることの気づきがますます起こっている?
 
 ボブ
 [笑っている]
 
 ジェームズ そういうものはすべて嘘です。
 
 ボブ
 あなたには何も必要ありません。
 あなたはただ存在します。
 いいですか、あなたは今朝、目が覚めました。
 あなたは目を開け、何ごとかを考え、シャワーを浴び、何か仕事
 をして、いくつか議論をして、そして一日が過ぎます。
 しかしその覚めていることは変化したでしょうか?
 
 ジェームズ いいえ。
 
 ボブ
 あらゆることはその覚醒状態の上で起こります。
 あらゆることは現れては消えます。
 その覚醒状態がなかったら、何かが起こったりできますか?
 あなたは毎日その無限の空間です――その「裸の気づき」、その
 覚醒状態です。
 どんな装飾品もありません。
 ほかのすべては、その上の装飾品です。
 裸身の上にまとう衣服のようなものです。
 まさにそのシンプルな覚めていること。
 それがあなたであるものです。
 
 ジェームズ 考えることはより少ないですか?
 
 ボブ
 どれほど考えるかは問題ではありません。
 それもやはり装飾品です。
 それは現れては、消えます。
 本質においては、思考もそれです。
 それらがその覚醒状態以外の何ものでもありえないのは、それら
 がその覚醒状態の内容だからです。
 内容は実際は別物ではありえません。
 ただ別物に見えるだけです。
 ちょうどこの現れが、空間の内容であるようなものです。
 空間は無です。
 ならば、無から何かが出現できますか?
 
 ジェームズ いいえ。
 
 ボブ
 ですから、その内容も無です。
 ただ何かとして現れているのです。
 ちょうど紺碧の海が、青く見えるようなものです。
 だからこそ、「認識する空」と言われるのです。
 自分の内面を見れば、そこに自己中心がないのがわかります。
 では、もし中に何も存在しないのなら、何が在るはずですか?
 それは空であるに違いありません。
 それは空っぽでなのすが、それでも、聞くこと、考えること、見
 ることが起こっているのです。
 つまり、それは自己なる空であり、それが認識しています。
 そこには空以外に何も在りません。
 その「空間のような」空虚に、すべてが内包されています。
 笑ってしまいますね。
 
 ジェームズ 本当はそれについて語ることはできません。それは
       ただ在るだけです。
 
 ボブ
 それについて口を開くやいなや、二元性のなかにいます。
 概念のなかでしか話すことはできません。
 言葉は本物ではありません。
 残りの生涯「水、水、水」と言うこともできますが、それで自分
 の渇きを癒すことはけっしてできないでしょう。
 地図はけっして領土にはなりえません。
 
                  『Living Reality』(p89-91)
------------------------------------------------------------

……。(-_-)

(-||-)

これはもう……どうしてもわかりたい人だけが……わかるというこ
とでしょうね。

この理解のなかに……全身の重みで雪崩れ込むエネルギーだけが。

そこに……わかる誰かが……いるわけではない。

------------------------------------------------------------
 あなたは在る。
 ほかのすべては現れにすぎない。
                     『私は在る』(p421)
------------------------------------------------------------

はい。

(-||-)

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 永久的なもの、それはあなた自身の存在である。
 真我として在りなさい。
 それが至福である。
 あなたはいつもそれなのである。
                    『あるがままに』(p58)
------------------------------------------------------------

……。(-_-)

ありがとうございました。<(_ _)>

(-||-)

今日はこんなところで。

……。

m(_ _)m


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■ 2.写経ニサルガダッタ:【03 今を生きる】の1回目
━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━

さあいよいよこれで……この「写経ニサルガダッタ」も……残るは
……この章だけになりました。

結構……あっという間に……ここまで来てしまいましたね。

良太さんに勧められて……始めたことでしたが……。

このごろは……良太さんから……お便りをいただけないけれど。

ここでマハラジは……いわゆる出来事に……何がその現実性を与え
るのかを……説明します。

> 何が現在をそれほど特別にするのだろう?
> 明らかに、それは私の存在だ。

と。

(-||-)

では【03 今を生きる】の1回目です。

(いつものことながら、無断引用というよりは、無料宣伝と理解さ
 れることを願っています。(-||-) )

最初に通しで写経するので、それを読んでいただければいいです。

(あとは……ああとか……ううとか……言ってるだけですから。)

------------------------------------------------------------
 質問者 私が見るかぎりでは、私の身体にも実在にも、何も問題
     はありません。どちらも私がつくりあげたものではなく、
     改善する必要もありません。何がおかしくなってしまっ
     たかと言えば、「内なる身体」です。マインド、意識、
     アンタカラナ、名前は何であれ。
 
 マハラジ
 あなたのマインドのどこがおかしくなったというのだろう?
 
 質問者 落ち着きがなく、快楽に貪欲(どんよく)で、不快を恐
     れていることです。
 
 マハラジ
 快楽を求め、不快を避けようとすることのどこが間違っているの
 だろうか?
 苦痛と快楽の両岸の間を生の川が流れていく。
 生の流れとともに流れていくことを拒んだとき、それは問題とな
 るのだ。
 生の流れとともにいくとは、来るものは拒まず、去るものは追わ
 ずという受容を意味している。
 求めず、恐れず、起こるままの現実を観察しなさい。
 起こることがあなたなのではなく、あなたにものごとが起こるの
 だ。
 結局、あなたは観察者でさえもない。
 あなたはすべてを包括する意識の究極的可能性であり、その表現、
 その顕現なのだ。
 
 質問者 それでも、身体と自己との間には思考と感情の雲が横た
     わり、それが妨げとなっています。これら思考と感情は
     浅はかな、はかなく無意味なもので、私を盲目にし、息
     を詰まらせるただの思考のほこりにすぎません。それで
     もそれらはそこにあり、光を奪い破壊するのです。
 
 マハラジ
 確かに出来事の記憶が出来事そのものとして通用することはない。
 出来事の予測もまた同じだ。
 現在の出来事には何か独特な、以前起こったこと、あるいはこれ
 から起こるであろうことにはない例外的な何かがある。
 生き生きとして、実在であり、輝くように際立っている。
 そこには過去も未来ももっていない実際の「真実のしるし」があ
 るのだ。
 
 質問者 「真実のしるし」を現在に与えているものは何なのでし
     ょう?
 
 マハラジ
 現在のなかに、過去や未来から区別するような、特別な何かがあ
 るわけではない。
 ほんの一瞬前、過去は未来であったし、未来もまたそうなる。
 何が現在をそれほど特別にするのだろう?
 明らかに、それは私の存在だ。
 つねに今ここに在るからこそ私は現実なのだ。
 そして私とともに在るものに私の実在は分かちあわれる。
 過去は記憶のなかに、未来は想像のなかにある。
 今現在の出来事のなかに、それを真実として際立たせる何か特別
 なものがあるわけではない。
 それは何かただ過ぎゆく一瞬のなかに起こる、時計の刻む音のよ
 うなものかもしれない。
 連続して刻まれる音が等しいということを私たちは知っているに
 もかかわらず、現在を刻む音は、以前記憶された、あるいは次に
 予期されるものとはまったく異なっているのだ。
 今現在に焦点を置かれたものは、私がつねに今に在るからこそ、
 私とともに在る。
 私が私自身の実在性を現在の出来事に与えるのだ。
 
 質問者 しかし私たちは思い起こされたことがらも、現実のよう
     に扱います。
 
 マハラジ
 それが現在のなかに入りこんだときだけ、私たちは思い出につい
 て考える。
 今にもちこまれないと忘れ去られたことを思い出すことはない。
 
 質問者 そのとおりです。現在のなかには一過性の事実に一瞬の
     真実を与える、何か未知なる要因があることがわかりま
     す。
 
 マハラジ
 未知と言うまでもない。
 なぜなら、あなたはそれがつねに作用しているのを見ているから
 だ。
 生まれて以来、かつてそれが変わっただろうか?
 ものごとや思考はつねに変わりつづけてきた。
 だが、この現在が真実だという感覚は、夢のなかでさえもけっし
 て変わらなかったのだ。
                   『私は在る』(p27-29)
------------------------------------------------------------

(-||-)

> 質問者 私が見るかぎりでは、私の身体にも実在にも、何も問題
>     はありません。どちらも私がつくりあげたものではなく、
>     改善する必要もありません。何がおかしくなってしまっ
>     たかと言えば、「内なる身体」です。マインド、意識、
>     アンタカラナ、名前は何であれ。

まあ……そういう言い方もできるでしょうね。

> マハラジ
> あなたのマインドのどこがおかしくなったというのだろう?

ふふ。

> 質問者 落ち着きがなく、快楽に貪欲(どんよく)で、不快を恐
>     れていることです。
> 
> マハラジ
> 快楽を求め、不快を避けようとすることのどこが間違っているの
> だろうか?

はは。

> 苦痛と快楽の両岸の間を生の川が流れていく。

そうか……それが……あるがまま……か。

> 生の流れとともに流れていくことを拒んだとき、それは問題とな
> るのだ。

あるがままのなかの……抵抗。

> 生の流れとともにいくとは、来るものは拒まず、去るものは追わ
> ずという受容を意味している。

はい。

> 求めず、恐れず、起こるままの現実を観察しなさい。

(-_-)

> 起こることがあなたなのではなく、あなたにものごとが起こるの
> だ。

わかりました。

> 結局、あなたは観察者でさえもない。

(@_@)

> あなたはすべてを包括する意識の究極的可能性であり、その表現、
> その顕現なのだ。

わかりました。

> 質問者 それでも、身体と自己との間には思考と感情の雲が横た
>     わり、それが妨げとなっています。これら思考と感情は
>     浅はかな、はかなく無意味なもので、私を盲目にし、息
>     を詰まらせるただの思考のほこりにすぎません。それで
>     もそれらはそこにあり、光を奪い破壊するのです。

まったく。(-_-)

> マハラジ
> 確かに出来事の記憶が出来事そのものとして通用することはない。
> 出来事の予測もまた同じだ。

過去の記憶も……未来の想像も……出来事そのものとは違う。

> 現在の出来事には何か独特な、以前起こったこと、あるいはこれ
> から起こるであろうことにはない例外的な何かがある。

確かに。

> 生き生きとして、実在であり、輝くように際立っている。
> そこには過去も未来ももっていない実際の「真実のしるし」があ
> るのだ。

はい。

> 質問者 「真実のしるし」を現在に与えているものは何なのでし
>     ょう?

うん。

> マハラジ
> 現在のなかに、過去や未来から区別するような、特別な何かがあ
> るわけではない。

現象のなかに……という意味かな。

> ほんの一瞬前、過去は未来であったし、未来もまたそうなる。

はい。

> 何が現在をそれほど特別にするのだろう?

(-_-)?

> 明らかに、それは私の存在だ。

おお……。

> つねに今ここに在るからこそ私は現実なのだ。

なるほど。

> そして私とともに在るものに私の実在は分かちあわれる。

はい。

> 過去は記憶のなかに、未来は想像のなかにある。

そうです。

> 今現在の出来事のなかに、それを真実として際立たせる何か特別
> なものがあるわけではない。

現在の現象自体のなかに……何も特別なものがあるわけではない。

> それは何かただ過ぎゆく一瞬のなかに起こる、時計の刻む音のよ
> うなものかもしれない。

例えば……現在のチクタク音のなかに。

> 連続して刻まれる音が等しいということを私たちは知っているに
> もかかわらず、現在を刻む音は、以前記憶された、あるいは次に
> 予期されるものとはまったく異なっているのだ。

そういうこと……思ったことがあります。

> 今現在に焦点を置かれたものは、私がつねに今に在るからこそ、
> 私とともに在る。

そのとおりです。

> 私が私自身の実在性を現在の出来事に与えるのだ。

はい。

> 質問者 しかし私たちは思い起こされたことがらも、現実のよう
>     に扱います。
> 
> マハラジ
> それが現在のなかに入りこんだときだけ、私たちは思い出につい
> て考える。

過去の出来事は……今のなかで回想されたときにだけ……それなり
の現実性を帯びる。

> 今にもちこまれないと忘れ去られたことを思い出すことはない。

今のなかで回想されない……過去の出来事に……何の現実性も……
ありえない。

> 質問者 そのとおりです。現在のなかには一過性の事実に一瞬の
>     真実を与える、何か未知なる要因があることがわかりま
>     す。
> 
> マハラジ
> 未知と言うまでもない。

はい。

> なぜなら、あなたはそれがつねに作用しているのを見ているから
> だ。

なるほど。

> 生まれて以来、かつてそれが変わっただろうか?

いいえ……けっして……。

> ものごとや思考はつねに変わりつづけてきた。

はい。

> だが、この現在が真実だという感覚は、夢のなかでさえもけっし
> て変わらなかったのだ。

おっしゃるとおりです。

……。(-_-)

ありがとうございました……。<(_ _)>

(-||-)

今日の写経は、ここまでです。

m(_ _)m


       ………○…………○…………○………


『私は在る』の「目次」はここ↓に置いてあります。
https://www.ascensionkan.com/books/I_AM_THAT-index.html

ときどき「ニサルガ辞書」で遊んでみてください。
https://www.ascensionkan.com/ndic/

新しい「ラマナ・マハルシ辞書」はここです。
https://www.ascensionkan.com/rdic/

おこがましくも『アセ通』既刊号はすべてここに置いてあります。
https://www.ascensionkan.com/mm/


       ………○…………○…………○………


▼『アセ通』への「私は在る」関連ご意見投稿フォーム:
http://www.formzu.net/fgen.ex?ID=P48750702
というのを作らせていただきました。(^^;)

「私は在る」に関するご意見・ご感想・シェアリング、または単な
るメールなど、ご自由にお書きいただければと思います。


       ………○…………○…………○………


『アセ通』への「ご投稿・情報提供」を歓迎いたします。

▼『アセンション館通信』への情報ご投稿フォーム
http://www.formzu.net/fgen.ex?ID=P87119518


       ………○…………○…………○………


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■ 3.編集後記:ここでの語り口が……ややもすると……
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このごろ……ここでの語り口が……ややもすると……偉そうな響き
に……なってしまうのが……気になっています。

第一……そうなると……つまらないんですよね。

このパターンに……自分感覚の消失という……恩寵が起こっている
わけでもないことは……どなたにも自明なわけですから。

しかしまた……すべての現象は……起こることになっていることが
……起こるだけであることも……間違いないと思います。

そして……悟ることができるような……どんな分離した実体も……
存在しえないことも……。

そして……「わたしはそれだ」……「すべてはそれだ」が……事実
であることも。

実際……そのような理解の確定を……求めてもいるわけです。

マハラジも……、

> 一般的な常識でさえ欲望を満たしたいのならそれを思いつづけな
> さいと言う。
> もしあなたが自己の本性を知りたいと望むなら、あなたの存在の
> 秘密があばかれるまで、つねに自己をマインドに思いつづけるべ
> きだ。(p148)

と……教えてくれていますので。

だからこの際……面白かろうが……つまらなかろうが……知ったこ
っちゃない……という線でいくしか……ないと思っています。

だってどう考えても……「自分」というのは……単に……記憶のな
かの……参照点にすぎないのですから。

今日は……もう暗くなりました。

おやすみなさい。

<(_ _)>


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■ 【作者】 『アセンション資料館』主人 pari
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