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━━━━☆☆☆☆━━━━━━━━━━━━━━ by paritosho ━
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 ☆☆     ☆☆『アセンション館通信』2012/10/7(第444号)
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☆☆      ☆★ 【気刊】――「私は在る」に導かれ♪――
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 ☆☆   ☆☆          https://www.ascensionkan.com/
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◇◇ このメルマガの趣旨 ◇◇

このメルマガはアセンション館主人 pari と称するあるパターンに
浮上している心象風景の報告です。

現象世界はすべて変化の意識であり、変化するものは永遠に変化す
るのみ、見かけの自分はその変化のなかの出来事にすぎません。

相変わらず分離感覚はありますが、まあ、これがあるがままです。

内容は人畜無害、でも読む人は相当変わっていますね。現在878名
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◇◇ もくじ ◇◇

1.在ることとは苦しむことなのだ

2.ボブさんの言葉:聖典は誤訳されているのですか?

3.編集後記:無思慮と心配性のミックスでしたが
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■ 1.在ることとは苦しむことなのだ
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変なもんですね。

何かを願っている……わけでもないのです。

過去と未来の意識のなかに……明らかに自分などは存在できず……
何かを願いようもありませんから。

でも何かを願う……癖のようなものは……残っています。

“目乞食”の癖も……一生ものの長い癖ですし。

だから……ついつい目は……文字を求めます。

なので……入ってくる情報を咀嚼する……自動過程は起こります。

そして……ああ……何を求めているわけでもなかった……と思い出
すのです。

でも……その情報を……どうにも価値づけることはできない。

もう……情報を蓄積整理する……肉体年齢でもありません。

自分が情報に出会い……自分が情報を取得しているという……確信
そのものが……破壊されてしまったわけですから。

その程度には……自分というのが……あるがままの上に……押しつ
けられた……単なる作り話だと……理解されてしまいました。

そうなった上で……作り話のエゴとして……何ができますか?

夢の世界なかを……どう成長しようも……ないわけですから。

やっぱり……価値観がダメージを受けるのが……一番ですね。

あるがままに……落ち着くしかないのに……まだ何か……画策しよ
うとは……しているのでしょう。

何やかや……ふらふらと……想念は浮上してきます。

まだ……その想念にすがって……あるがままから……逃げようとす
る……癖みたいのが……残っているのでしょうね。

まあ……見ているより……仕方ありません。

(*^_^*)

さて、またまた一週間が過ぎて、楽しい“アセンション噺”ならぬ
「私は在る」噺に、お付き合いいただく今がやってまいりました。

『アセンション館通信』配達人の pari です。(^^)/

みなさま固有の「私は在る」を……いかがお過ごしでしょうか?

考えも及ばないほどに……いろんなタイプの人がいるものです。

個人は存在しえないわけですから……じつに様々な……パターンが
現れる……とでも言いましょうか。

まあ……人格のバリエーションは無限でしょうから……波動宇宙は
……次から次へと……新たな波形を……繰りだすのでしょうね。

するとそこに……それぞれ自分が……新たな組み合わせを発明して
いるかのような……想像も発生するのでしょう。

かくて……見かけの世界では……次から次へと……新たな創造力を
誇示する……独特の個人が誕生する……。

栄光を夢見て……苦闘し……挫折し……つかの間……勝利して……
そして……崩壊し……消えてゆく。

何のために? (?_?)

いえいえ……そこにどんな目的も……ありえません。

永遠に変化する……有形の現象世界に……どんな究極的パターンも
……あるはずがありませんから。

もしそんなパターンが……ありうるとしたら……それは停止以外の
……何ものでもありえないでしょう……。

しかしそれは……変化をやめた途端に……不可知の闇に……飲みこ
まれてしまうはずです。

変化しないパターンを……認識することは……できないので。

現象世界とはいわば……そこに定義を載せ……そこで物語を想像す
るための……対象物にすぎません。

そこに何らかの実体を……想像することは……可能でしょう。

しかし……いったん想像したら……その“ツケ”は……払わなくて
はなりません。

それが……“苦しむ”……ということだと……思います。

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 在ることとは苦しむことなのだ。
 自己同一化の輪が狭いほど、欲望と恐れによって生じた苦しみは
 より激しいものとなるのだ。
                      『私は在る』(p531)
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……。(-_-)

> 在ることとは苦しむことなのだ。

ここは……ついつい……どういう英語なのかを……確認してみたく
なりました。

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 To be is to suffer.
 The narrower the circle of my self-idenfification, the 
 more acute the suffering caused by desire and fear.
 
                 『I AM THAT』(p512)
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なるほど。

まさに、

> 在ることとは苦しむことなのだ。

とおっしゃっているわけですねぇ。(-_-;)

変転そのものである現象世界に……変化しない実体を想像して……
それに自己同化するのは……まさに「苦しむこと」そのもの。

変化するパターンのなかで……どう努力しようとも……“自分”な
ど維持できないことは……自明です。

そうした不要の努力は……はじめから……束の間の成功の可能性と
……絶対の失敗の運命を……担っていたわけですね。

これほど……わかりきった……ことだったんですね。

これ以上の……どんな言葉が……必要でしょうか。

にもかかわらず……まだ“あるがまま”を避けて……何とか浮上す
る想念のなかに……逃げ込もうとする……癖が残っている。

それもまた……あるがまま……です。

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 あなたは在る。
 ほかのすべては現れにすぎない。
                     『私は在る』(p421)
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はい。

(-||-)

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 永久的なもの、それはあなた自身の存在である。
 真我として在りなさい。
 それが至福である。
 あなたはいつもそれなのである。
                    『あるがままに』(p58)
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……。(-_-)

ありがとうございました。<(_ _)>

(-||-)

今日はこんなところで。

……。

m(_ _)m


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■ 2.ボブさんの言葉:聖典は誤訳されているのですか?
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今回も……ボブさんの無断翻訳を……つづけます。

『Living Reality: My Extraordinary Summer With "Sailor" Bob
 Adamson』(http://tinyurl.com/88zpf7p )
(『生きている実在:セイラー・ボブと過ごした途方もない夏』)
からの抽出翻訳です。

ボブさんご夫妻は……アメリカにきてくれて……今は著者のジェー
ムズ・ブラーハの家に滞在しています。

会話に……新しい参加者……エメットが……加わっています。

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聖典は誤訳されているのですか?
 
 エメット ボブ、聖典では非常に多くの人々が悟りについて書い
      てきましたが、その多くはあなたの教えとは違うよう
      に思えます。私たちがそれを誤解しているのでしょう
      か? それらは誤訳なのでしょうか?
 
 ボブ
 多くの場合、それは誤訳です。
 山上でのモーゼの物語を考察してみてください。
 彼は山に登り、ある体験をしました。
 そして彼は神に(または何であれ)尋ねます。
 「私は人々にどう告げるべきでしょうか? 誰が私を遣わしたと
 言うべきなのでしょうか?」と。
 すると「彼らには『私は在る』があなたを遣わしたと告げなさい。
 私の名前は『私は在る』である」という答えが来ます。
 そしてモーゼは、彼がその「私は在る」だと理解します。
 もちろん、人々は彼がそれとは何か別のことを言っているのだと
 考えます。
 イエスが「私が道であり、真実であり、生命だ」と言ったとき、
 彼らはイエスが自分について語っているのだと思いました。
 しかし彼はその同じ「私は在る」――つまりニサルガダッタが言
 ったあの存在の感覚について話していたのです。
 そういうものなのです。
 
 イザヤは「静かにして、私が神だと知りなさい」と言いました。
 それを分解すれば、静かにして知りなさい、になります。
 それをさらに分解するなら、静かにしなさい(Be still)、です。
 それをさらに分解すれば、在りなさい(Be)、です。
 またキリストは「あなた方の誰が、考えることによって彼の像に
 1キュービットでも加えられるだろうか?」と言いました。
 
 エメット キュービット?
 
 ボブ
 約1フィート半です。
 あなたは好きなだけ考えてかまいませんが、しかし考えることで
 は1インチも自分を大きくすることはできません。
 つまり聖典は誤って伝えられるのです。
 人びとは二元性から書くために、賢者が言っていた言葉に追加し
 たり、そこから落としたりします。
 本質的には、すべての賢者は同じことを言っています。
 生命は非二元、二番目のない一なるもの、つまりそれしか存在し
 ていない、と彼らは言っているのです。
 それは遍在、全能、全知です。
 遍在とは、未来や過去ではない、全面存在を意味します。
 全存在です。
 全能とは完全なパワーを意味します。
 全知とは完璧な知性、完全な知る能力を意味します。
 全面的とは、それ以外は何もないということです。
 ゾクチェン教典では、それを非概念的気づきと述べています。
 彼らはそれを「大いなる完成は非概念的気づきである」というひ
 とつの文章で述べています。
 彼らはそれを「非概念的、つねに新鮮で、自ら輝く存在の気づき。
 それだけであり、他には何もない」と呼びます。
 
 それがあらゆる伝統から流れ出すものです――非二元、二番目の
 ない一なるもの。
 翻訳されて初めて、それは多数の意味に誤り伝えられるのです。
 人々はそれを翻訳し、それを二元性のなかでしか翻訳できない。
 だから私たちはその単純さを見逃すのです。
 
 ジェームズ それが単純すぎるんですね。
 
 ボブ
 私たちはマインドのなかで物事を解決することに慣れています。
 しかし純粋な知性となると、マインドはそれを把握できません。
 マインドはモノなので、モノでないものを理解できません。
 存在の気づきはマインドを包含しています。
 マインドはそれを包含できません。
 だからこそバガヴァット・ギーターは、剣はそれを切れず、火は
 それを焼けず、風はそれを乾かせず、水はそれを濡らせない、と
 言っているのです。
 存在の気づきは、それらのすべてを包含しています。
 それらのどれひとつとして、それを包含したり把握したりできま
 せん。
 それらは、それなくしては存在できません。
 だからそれは無駄なのです。
 探求をやめることです。
 今すぐ探求はやめることです。
 
 エメット あなたが理解したとき、最後の瞬間というのはあった
      のでしょうか?
 
 ボブ
 いかなる最後の瞬間もけっしてありませんでした。
 私がニサルガダッタのところにいたとき、私はただ彼が何を言っ
 ているのかを理解したのです――私がいつもそれであったし、つ
 ねにそれであるということを。
 私はそれ以外のものではありえませんでした。
 見かけ上の私の十六年間の探求は雲散霧消しました。
 その十六年間が問題ではなかったことを私は理解しました。
 それまであったどんなことも問題ではありませんでした。
 未来のどんなことも問題ではありませんでした。
 実在はたった今です。
 私はこの瞬間をけっして再び生きることはできないし、あなたに
 もできません。
 もし私がこの瞬間に完全に生きていなかったら、もし私が全面的
 に見ていなかったら、聞かなかったら、味わわなかったら、触れ
 なかったら、匂いを嗅がなかったら――私がその代わりにマイン
 ドに囚われていたら――私は実際は生きていません。
 全面的に気づき、全面的に油断なくいるとき、あなたは本当に生
 きています。
 これこそがこの瞬間の実在です。
 それは二度とふたたび起こることはありえません。
 あなたは過去を呼び戻せないし、未来を想像できません。
 しかしあなたは自分の全エネルギーを回想と想像に費やしていま
 すが、それは今この瞬間に起こっていることをあなたが見るのを
 それらが止めているからなのです。
 だから、もしあなたが気づいているなら、もしあなたが目覚めて
 いるなら、それで在ることです。
 
 エメット 最終的覚醒の説明というのがあって、それらは至福の
      意識について語っています。
 
 ボブ
 ええ、そういうものはすべて体験です。
 それらはそれではありません。
 あなたが体験できるどんなものもそれではありません。
 キリスト、仏陀、モハメッドなど、あなたが名指す誰も、けっし
 て「非物質」を超えて行ってはいません。
 そして私は自分がその「非物質」であることを知っています。
 誰ひとりそれを超えることはできません。
 
 エメット そこにいて、しかも至福をもつことは可能ですか?
      [笑いながら]
 
 ボブ
 至福を持つことはありえますが、その至福はただの体験です。
 私は沈黙や平安を、少しもお喋りより好んではいません。
 それらはともに体験です。
 それらがそのなかで、あるいはその上で体験されているもの、そ
 れが私であるその本質であり、それはけっして変化することはあ
 りえません。
 実在の定義とはけっして変化しないものです。
 [面白い辞書の定義のひとつに、実在とは「必須でありまた汚す
 ことのできない存在」というのがありました。]
 そのほかはすべて、束の間のものです。
 それは来てはまた去ります。
 束の間のもの――来ては去るもの――はすべて、実在ではありま
 せん。
 実在は「非物質」です。
 
 ジェームズ あなたが探求していたとき、その状態に達するとき
       いかに至福に満ちているかを語るような書物に出会
       ったことはありませんか?
 
 ボブ
 もちろん、あります。
 
 ジェームズ では、それらは基本的に誤解――つまり間違い――
       を説いていたわけですね。正しいですか?
 
 ボブ
 ええ。
 彼らは体験をもつことができます。
 私はあらゆる類の体験をしました。
 私はビジョンをもちました。
 私はクンダリーニの体験をし、そこであらゆる類のクリア[脊柱
 を強烈なエネルギーが上ってくるときに起こる肉体的な姿勢]が
 自然に起こりました。
 私は至福やすごい至高状態(ハイ)になったこともあります。
 私はいろいろな色のついた光を見ました。
 しかしそういうものはあなたが求めているものではありません。
 そういう体験は来ては去るものです。
 あなたが求めているのは、あなたがつねにそれであり、それであ
 るであろう、その「非物質」です。
 そして、あなたはそれを見つけにどこに行く必要もありません。
 あなたがそれだからです。
 そしてそれがあなたの求めている幸福の感覚をもたらすのです。
 
 ジェームズ あなたが話しているのは、全生涯あなたとともにつ
       ねにあった幸福感についてですか、それともあなた
       がニサルガダッタの教えを理解してから始まった何
       かでしょうか?
 
 ボブ
 つねにそこにあったものですが、ただそれはけっして認識されて
 はいませんでした。
 それは無視されていました。
 しかしそれはつねにそこにありました。
 それはマインドが把握するには単純すぎたのです。
 それはマインドには微妙すぎるものです。
 あなたがその「非物質」、またはその「私は在る」とともにとど
 まるとき、あなたはそのなかにある微妙さを認識しはじめます。
 あなたは原因のない平安、原因のない喜びを理解し――悲しみの
 反対や騒音の反対ではない、愛や憎しみではない、原因のない愛
 を理解します。
 それはあなたの内部に本来ある自然な慈愛です。
 それが表出しはじめます。
 そしてそれは原因がないため、それには反対物がありません。
 それはただあるがままです。
 それがあなたの自然な状態です。
 そしてそれが、ニサルガダッタが意味する自然状態です。
 あなたは子供のようになります。
 あらゆる類のドラマが起こらないわけではありません。
 しかし自分が存在するという感覚が自覚されているために、あな
 たはそれから逃げることはありえません。
 あなたはそれを否定できません。
 あなたがそれを失うことはありえません。
 あなたは自分がつねにそれであり、それであるだろうことを理解
 します。
 それには始まりもなく終わりもありません。
 誕生もなく、死もありません。
 時間もなく、空間もありません。
 それは概念化できません。
 あなたはそれです――たった今も。
 
                  『Living Reality』(p104-107)
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……。(;_;)

まことに老婆親切……これ以上懇切丁寧に語ることはできない……
といった趣ですね。

> キリスト、仏陀、モハメッドなど、あなたが名指す誰も、けっし
> て「非物質」を超えて行ってはいません。
> そして私は自分がその「非物質」であることを知っています。
> 誰ひとりそれを超えることはできません。

何という……安心でしょうか。

> 至福を持つことはありえますが、その至福はただの体験です。

これもすごい。

「その至福はただの体験です」……。(-||-)

> 私は沈黙や平安を、少しもお喋りより好んではいません。
> それらはともに体験です。
> それらがそのなかで、あるいはその上で体験されているもの、そ
> れが私であるその本質であり、それはけっして変化することはあ
> りえません。
> 実在の定義とはけっして変化しないものです。

(-||-)

これ以上……何を心配する必要があるのか……という感じです。

心配するのは……無意味なのです。(^_-)

ありがとうございました。

(-||-)


       ………○…………○…………○………


『私は在る』の「目次」はここ↓に置いてあります。
https://www.ascensionkan.com/books/I_AM_THAT-index.html

ときどき「ニサルガ辞書」で遊んでみてください。
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新しい「ラマナ・マハルシ辞書」はここです。
https://www.ascensionkan.com/rdic/

おこがましくも『アセ通』既刊号はすべてここに置いてあります。
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       ………○…………○…………○………


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というのを作らせていただきました。(^^;)

「私は在る」に関するご意見・ご感想・シェアリング、または単な
るメールなど、ご自由にお書きいただければと思います。


       ………○…………○…………○………


『アセ通』への「ご投稿・情報提供」を歓迎いたします。

▼『アセンション館通信』への情報ご投稿フォーム
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       ………○…………○…………○………


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■ 3.編集後記:無思慮と心配性のミックスでしたが
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ああ……今日は……明るいうちに……終えました。

pariパターンは……無思慮と心配性のミックスでしたが……そのエネ
ルギーも……じょじょに退潮しているような。

何となくですが……起こることになっていることが起こるだけ……
というのが……決まり文句というだけでもないような。

今日も……お付き合いいただき……ありがとうございました。

お休みなさい。

<(_ _)>


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■ 【作者】 『アセンション資料館』主人 pari
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  → メール: pariアットマークjk2.so-net.ne.jp
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