home > 通信 > 『アセンション館通信』第445号:「真理」はあるか?



━━━━☆☆☆☆━━━━━━━━━━━━━━ by paritosho ━
  ☆☆   ☆☆ 
 ☆☆     ☆☆『アセンション館通信』2012/10/14(第445号)
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☆☆      ☆★ 【気刊】――「私は在る」に導かれ♪――
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 ☆☆   ☆☆          https://www.ascensionkan.com/
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◇◇ このメルマガの趣旨 ◇◇

このメルマガはアセンション館主人 pari と称するあるパターンに
浮上している心象風景の報告です。

現象世界はすべて変化の意識であり、変化するものは永遠に変化す
るのみ、見かけの自分はその変化のなかの出来事にすぎません。

相変わらず分離感覚はありますが、まあ、これがあるがままです。

内容は人畜無害、でも読む人は相当変わっていますね。現在880名
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◇◇ もくじ ◇◇

1.「真理」はあるか?

2.ボブさんの言葉:もし私が生きられているのなら

3.編集後記:ちょっと節々が痛みます。
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■ 1.「真理」はあるか?
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秋晴れの空が高いのは……やっぱりいいものですね。

この季節になると……どういうものか……高層に鱗雲が現れる。

前々から……目の前の庭の斜面を……箱庭のような段々畑にしたい
と……言われていました。

それから少し……枕木も増やしたいと。

それで……このごろ少しづつ……身体を使っています。

今朝は……そんなこんなで……少し汗を流しました。

朝日を浴びて……スコップを動かしながら……不図……こういうの
を……幸せっていうのかも……と柄にもないことを思いました。

まあ……思考が減ればそれだけで……幸せを感じられる程度の……
幸せな人生を……生きられているようです。

(この“生きられて”↑は……おわかりでしょうが……可能の意味
 ではなくて……無論……受け身の意味です。(*^_^*) )

ここに一瞬……そんな想念が湧いたところで……だから……何がど
うだと……言っているわけでもありませんが……。

一瞬……そんな気分が湧いたという……ただそれだけのことです。

あらゆる思いは……思いの世界のなかでは……いろいろな分類……
位置づけも……可能なのかもしれません。

でも……そこにどんな客観的基準が……ありうるわけでもない。

思いは思い……何の客観性もない……一瞬の……意識のパターンに
……すぎないでしょうね。

昔……『喜びも悲しみも幾歳月』……という映画がありました。

喜びも悲しみも……すべて……思いのなかにあったんですね。

そして……その同じ思いのなかに……悲しみは排除したい……喜び
は手に入れたい……という思いもまた……湧いていたのです。

だからどうだ……というのでもありませんが。

(*^_^*)

さて、またまた一週間が過ぎて、楽しい“アセンション噺”ならぬ
「私は在る」噺に、お付き合いいただく今がやってまいりました。

『アセンション館通信』配達人の pari です。(^^)/

みなさま固有の「私は在る」を……いかがお過ごしでしょうか?

いつの頃から……そんな想像をしていたのかわかりませんが……
何となく……「真理」というのは在る……と思っていました。

いわゆる“生まれた”ときから……そんなことを想像するはずはな
いので……物心がついてからの……ことでしょうね。

どういうわけか……幼い頃に父親が寝物語に……宮沢賢治の童話を
……読んでくれたのです。

いま考えても……ちょっと不思議で……そんなことが似合う感じの
人でも……なかったんですけどね。

怠け者でしたが……地方都市の書籍商などには不似合いな程の……
とても商売感覚の……ある人でした。

本当は……古本屋をやりたかったんだ……と言っていました。

でも……自分がそういうタイプの人間だったので……宮沢賢治的な
世界には……とても憧れがあったのかもしれません。

そう言えば……強制疎開前の駅前の店舗のときは……とても学生さ
んと話すのが好きだったと……姉から聞いたことがあります。

父親は……間違いなく……そういう世界が好きだったのでしょう。

いま……成り行きで……何となく思い出してみると……真理を求め
るみたいな……そういう感覚は……どうやら父親譲りですね。

これまであまり……そう思ったことは……ありませんでしたが。

真理というものは在る……と感じていたその感覚の基にあったのは
……間違いなく……宮沢賢治だっただろうと思います。

父親に読んでもらった……宮沢賢治の童話で……今でもはっきり覚
えているのは……「貝の火」です。

“ホモイの劫罰”などという言葉も後で知りましたが……子供心に
も……とても不思議なリアリティのある話でした。

どうやら父親の仕込みが成功したのか……わたしは宮沢賢治が……
大好きになりました。(^^;)

なかでも別格に好きだったのは……やっぱり『風の又三郎』と……
『銀河鉄道の夜』でした。

いま思うに……宮沢賢治の童話作品群は……真理というものは在る
……という感覚を育てる……文学空間なのかもしれませんね。

では……そこで想像される「真理」とは……となると……それはや
はり……現象世界での“正しさ”……ということだと思います。

まあ……そういう感覚を核にして……求道みたいなことが……始ま
ったのだと思います。

そういうところから……1970年代の後半に……当時バグワン・シュ
リ・ラジニーシと言われていた……Oshoに出会った。

Oshoは……とても引き出しの多いグルなので……聴衆に応じて……
相手の望む話を……語ることができる方だと思います。

だからこそ……あれだけ多くの人を集めたられたわけで……お陰で
……わたしなども網にかかったのですが……。

そのあたりは……ほぼ同時代のグルだった……ニサルガダッタとは
……とても違うと思います。

ニサルガダッタは……相手が誰であろうと……ほぼ同じことしか言
わない方ですから。

なので……映画のなかの If ですが……Oshoのところへ行った当時
のわたしが……もしニサルガダッタのところへ行ったとしても……。

果たして……何を言っているのか……わかったかどうか……。

何らかの理解が……起こったかどうか……。

まあ……映画のなかの……If ですが。(^_-)

少なくとも……プーナから帰ってきた当時……山尾三省さんが翻訳
した『ラマナ・マハリシの教え』は……わたしには響きませんでし
た。(*-_-*)

世界が……違いすぎました。

Oshoは……大学教授から転身してグルになったのだから……博識で
すし……それは知らない……とは言えない方ですよね。

どんな質問にも……何か立派なことを……答えてしまいます。

たとえ当人が……これは宇宙的無駄話だと……断ったとしても……
聴くほうは……そうとは思えないでしょう。

もともと……それが宇宙的無駄話であることを……理解したい人た
ちが……そこに座っているはずはないのですから。

でも……こういう言葉すべてが……なんというか……如何にも……
映画のなかの……If ですよねぇ。(-_-)

pariというこのパターンが……今こういう想念として……現れてい
るという以外……どんな意味もない。

言葉は言葉の世界のなかでしか……意味を持ちえないけれど……。

しかし言葉の世界自体には……もともと意味など存在しえない。

快や不快の根拠は……身体の世界にしかありえませんから。

なのに……その身体を根拠に……言葉でもって……その快や不快を
……増幅しようとする。

それがあまりに成功すると……その言葉によって……身体の世界で
……必要以上に……苦しむことができる。

そしてついには……身体の世界で……真理を探し求める。

なんで……こんな世界が……始まってしまったのか、と。

そういうことすべてに……固有の意味があると思えるかぎりは……
真理の探求は……続くわけでしょう。

でもいつか……現象世界での「真理の探求」が……結局は……快楽
の追求……苦痛の排除……でしかないことがわかってしまう。

そして……身体の世界(身体がリアルである世界)で……快楽だけ
を得て……苦痛を排除することなど……不可能であることも。

つまり……この身体に根拠をおいた……自他の別がある世界で……
全面的な不幸の回避など……ありえないことがわかってしまう。

なぜなら……比較が可能な世界に……絶対的幸福など……ありえな
いから。

となると……どういうことになります?

いったい……子供のころに想像した……「真理」って……あるんで
しょうか?

もし……現象世界のなかに……「真理」などありえない……という
なら……いったい……生きる意味などあるのでしょうか?

するとどうしても、

いったいどういうわけで……世界は始まってしまったのだろうか?

と……駄々をこねたく……なってしまいます。

まあ……pariパターンの場合は……そういうことでした。

知的な疑問のようでもあり……そうでないようでもあります。

論理的に言うなら……不具合を排除できないらしいこの世界に……
いったいいかなる正当性があるか……ということだと思います。

でも……“問う者”は……まさかいかなる正当性もないとは……じ
つは……思っていないんですよね。(^_-)

きっと何か……了解可能な……正当性があるのだろうと……なかば
信じている。

ただ……どれほど正当な理由があっても……自分は納得しない……
と身構えることは……ありうるかもしれません。

それが……イワン・カラマーゾフの信念の位置でしょう。

     <何故にすべては始まってしまったのか?>

この……一見……論理的な疑問を……長いこと抱えてきました。

(“自分”が抱えていると……思っていました。(^_-) )

こういう……感情的エネルギーは……ロケットが持つ推進力と……
同じようなところがあります。

エネルギーが尽きるまでは……飛ばなければならない。

エネルギーが尽きるまでとは……不満を再生産できなくなるまで…
…ということでしょう。

いろんな話を……聞かされたわけですよね。

人生は……修業の場だ……というような話。

魂の話……霊的成長の話……アセンションの話……。

神は……人間に……喜びしか渡していないのだという話。

地球が……悲しみの星……不良星だという話。

いや……地球こそが……宇宙最難関の……最終試験場だという話。

光明を得る……という話……悟りの話……。

もちろん……信じやすいこのパターンは……その時々に感心し……
感動もしました。

でもそのときも……いつもいつも……、

     <何故にすべては始まってしまったのか?>

という一見論理とも見える疑問が……通奏低音のように……微かに
鳴って……いたのかもしれません。

それから……人生は夢だという話を……聞きました。

現れの世界はすべて……撮影済みの……映画のようなものだと。

何であれ……現象の何かを変えようとする努力は……鏡の中の鏡像
が……別の鏡像を動かそうとするようなものだ……という話も。

自分に何かができると思うのは……スイッチを入れられた電気釜が
……自分でご飯を炊いたと思うようなものだ……という話も。

そして……そういう話を……いくら聞いても……また信じても……
何ひとつ……変えることはできないのだ……という話も。

すべてはただ……そのように起こっているだけだ……という話も。

そういう話のなかでも……極めて端的に意味が伝わったのは……、

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 質問者 知覚可能なものすべてが汚れなのでしょうか?
 
 マハラジ
 すべては汚れだ。
 
 質問者 世界全体が汚れなのですか?
 
 マハラジ
 そのとおりだ。
 
 質問者 何とひどい! では宇宙は何の価値もないのですか?
 
 マハラジ
 それは途方もない価値をもっている。
 それを超えていくことによって、あなたはあなた自身を実現する
 のだ。
                      『私は在る』(p144)
------------------------------------------------------------

という……ニサルガダッタの言葉でした。

はじめて……「真理」の尻尾が……見えたわけです。

その前のところで……マハラジはこういうことを言っています。

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 鏡の反映にしか自分の顔を見ることができないように、あなたは
 汚れのない純粋な意識の鏡に映るあなたのイメージしか知ること
 はできないのだ。
 
 質問者 どのようにしてそのような汚れのない鏡を得ることがで
     きるのでしょうか?
 
 マハラジ
 言うまでもなく、汚れを取り除くことによってだ。
 汚れを見て、それを取り除きなさい。
 古来の教えは完全に有効だ。
 
 質問者 見ることとは何でしょう、取り除くこととは何でしょう
     か?
 
 マハラジ
 完全な鏡の本性とは、あなたには見ることはできないということ
 だ。
 何であれあなたが見ることができるものは、汚れであらざるをえ
 ない。
 それに背を向け、捨て去りなさい。
                     『私は在る』(p144)
------------------------------------------------------------

(@_@)

何という……論理性……。(-||-)

つまり……知らずに求めていた「真理」とは……「見ることはでき
ない」ものだった……というわけです。

つまり……知覚可能……想像可能なものに対する……価値観の……
完全な喪失です。

それが……宮沢賢治にの童話群に出会って以来……pariパターンが
求めさせられていた……「真理」……だったのだと思います。

マハルシは……こういう言葉で……表現しています。

------------------------------------------------------------
 究極の真理はとてもシンプルだ。
 それは純粋無垢(むく)な状態のなかに在ること以外の何もので
 もない。
 それが語られるべきすべてである。
                    『あるがままに』(p39)
------------------------------------------------------------

……なるほど。(-_-)

いろいろな……ゴチャゴチャは……それはそういうもの……という
ことなのでしょう……。

------------------------------------------------------------
 あなたは在る。
 ほかのすべては現れにすぎない。
                     『私は在る』(p421)
------------------------------------------------------------

そういう……意味だったのか……。(-_-)

いや……それも一瞬の……情緒の……現れにすぎません。

------------------------------------------------------------
 永久的なもの、それはあなた自身の存在である。
 真我として在りなさい。
 それが至福である。
 あなたはいつもそれなのである。
                    『あるがままに』(p58)
------------------------------------------------------------

……。(-_-)

ありがとうございました。<(_ _)>

(-||-)

今日はこんなところで。

……。

m(_ _)m


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■ 2.ボブさんの言葉:もし私が生きられているのなら
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今回も……ボブさんの無断翻訳を……つづけます。

『Living Reality: My Extraordinary Summer With "Sailor" Bob
 Adamson』(http://tinyurl.com/88zpf7p )
(『生きている実在:セイラー・ボブと過ごした途方もない夏』)
からの抽出翻訳です。

ボブさんご夫妻は……アメリカにきてくれて……今は著者のジェー
ムズ・ブラーハの家に滞在しています。

会話に……新しい参加者……エメットが……加わっています。

------------------------------------------------------------
 もし私が生きられているのなら、私はどう行為するのか?
 
 エメット 私は自分が生きられているというこの考え、選択は為
      されているが、選択している者は誰もいないというこ
      とについて、いろいろ考えてきました。
 
 ボブ
 ええ。
 為される選択はあります――見かけの上では選択者によって。
 そこには掴まれている好みや信念もあるでしょう。
 でもそこには掴むことができるようなどんな実体も存在しません。
 そこに中心が存在しないことを理解すると……。
 もしそこに中心がなかったら、ここに何があるはずでしょうか?
 
 エメット 何もありません。
 
 ボブ
 その通りです。
 それは空っぽです。
 もしここに何もないのに、それでもあなたが聞こえていて、見え
 ているのなら、認識する能力をもっているのはその空虚自体に違
 いありません。
 認識しているのは空虚そのものなのです。
 それがわかったら、あなたはここで何かが[自分を指しながら]
 見ているのではないこと、そうではなく見ることが起こっている
 のだということを理解します。
 何かがここで聞いているのではありませんが、しかし聞くことは
 起こっているのです。
 空虚には中心もなく、周辺もなく、始まりも終わりもありません。
 だから、あなたはここにすらいません。
 あなたが自分の位置を確定できるどんな特定の場所もありません。
 あなたはあらゆるところにいるのです!
 空間には中心もなく、周辺もありません。
 それはあらゆるところです。
 そしてそれがあるがままのあなたです。
 
 エメット ええ、それは私にはちょっと乱暴ですが。
 
 ボブ
 それは「自分」にとっては乱暴です。
 しかしそれから「自分」を取り出したら、あなたはどこにいるで
 しょうか?
 それはただ在ります。
 それから「自分」を取り出して、それでも見えていること、まだ
 聞こえていて、考えていることに注目してください。
 つまり、あなたの本質はそれでも機能しているのです。
 そしてそれが何かとして現れていても、もしそこに参照点がなか
 ったら、それは間違いなく、本質的には、何か別のものとして現
 れているその同じ知性エネルギーです。
 あなたは、すべてのエネルギーパターンが、何か姿や形のある、
 実体的で確固としたものとして現れていると認識するでしょう。
 しかしそれは原子よりさらに小さい粒子へと分割でき――それを
 科学はさらに空間へ、つまりエネルギーへ、無へと分解します。
 ですから、それらの本質は「非物質」なのです。
 
 あなたは「非物質」です。
 その「非物質」は、あらゆるものを包含できる潜在能力をもって
 います。
 すべてはその「非物質」から現れました。
 無から何かが現れることはありえません。
 ですから、本質においては、それは何かとして現れてはいても、
 やはり「非物質」が何かのパターンを作っているだけなのです。
 そしてあなたはそれです。
 だからそれを忘れてはいけません。[笑いながら]
 
 エメット 私がこの理解を検討するとき、いつもその適用方法に
      迷うのです。これ以上私はどうやって参照点になるの
      か? これ以上どうやって世界のなかの個人になり、
      どうやって人間になるのか?、と。 選択は起こって
      いますが、しかし今や私はそれが自分の選択ではない
      ことを理解しています。ならば、私はどうやって生き
      るのでしょうか?
 
 ボブ
 あなたはその参照点が偽りであること、それにどんな実体も独立
 した本質もないことを理解しましたか?
 
 エメット はい。その参照点は存在すらしていません。
 
 ボブ
 もしそれが今存在していないのなら、それはいつ存在していたで
 しょうか?
 
 エメット それはけっして存在したことはありません。
 
 ボブ
 それなら、なぜ今どう生きるのかとあなたは質問するのですか?
 あなたは、まさにこれまでそれを生きてきたように、これからも
 それを生きていくでしょう――ただもはやその「自分」を信じて
 いないだけです。
 これがあなたに、あなたは生きられているのだということを教え
 てくれます。
 あなたはこの制限された個人として生きられていました。
 生命は、あなたを連れてきたいと望んだところに連れてきたので
 す。
 今、生命はあなたを引き回してこの理解へ連れて来ました。
 生きることは続いています。
 だからこそ私はあなたに、あたかも自分がすでにその一体性であ
 るかのように行為しなさいと言うのです。
 あなたはすでに、あたかも人間であるかのように生きられ、そし
 てそのことではあなたはアカデミー賞を勝ち得ました。[笑う]
 本当のあなたとして行為してみてはどうですか?
 その方がずっと楽なことがわかりますよ![笑う]
 
 あなたは何歳ですか?
 
 エメット 五十四です。
 
 ボブ
 あなたは私の息子といってもいいほどに若い。[ボブはジェーム
 ズとケリーのことをしばしば「息子」と呼んでいる。]
 
 エメット あなたはおいくつですか?
 
 ボブ
 あと数日で私は七十六歳になります。
 さて、息子よ、私の言うことを聞きなさい……。[笑う]
 
 エメット 私はあなたの本を読んでいて、人々があなたに質問す
      るとき、あなたがけっして軌道を外れないことに気づ
      きます。あなたはいつも、彼らを彼らの本来の姿であ
      る現在の気づきへと連れ戻します。それはあなたにと
      っては明らかに認識された実在です。そして、私はと
      きどき閃きを感じるのです……。
 
 ボブ
 なぜかわかりますか?
 本質的には、あなたはすでにそれを知っています。
 だからこそ、それはあなたと共振するのです。
 思考が考えることはすべて、太陽にかかる雲のようなものです。
 太陽はつねに輝いていて、やがて小さな雲間がくると、それがあ
 なたと共振します。
 そしてそれが聞こえると(こういうのはすべて概念にすぎません
 が)、それを認めることに一種の喜びがあるのです。
 それがその絶頂体験を開きはじめます。
 それを知っているがゆえに、しかしそれを聞くことを待ち望んで
 きたのです。
 一、二歳のときに言葉を学びはじめてからというもの、私たちは
 自分の実在を無視してきました。
 実在は無視されるのが好きでははありません。
 もちろん、それも概念ですが、しかしそれは自分自身についての
 噂を聞くのが好きなのです。
 それは自分が認められることが好きで、それで輝けるのです。
 水が来るまで種は地中にとどまっていて、それからそれは破裂し、
 芽吹きます。
 そうやって、それは花や果実をもたらします。
 
 エメット 何十億もの人間がいて、これほどわずかの人々しかこ
      れまで真実を理解しなかったのは、あまりに不思議に
      思われます。
 
 ボブ
 そうですね、一本の樹がどれほど多くの種を産み、しかもいかに
 わずかの種しか完全な樹にはならないかを見てください。
 ほとんど芽吹くものはありません。
 しかしひとつの小さな種のなかに、地球を樹木で覆える程の能力
 が隠れているのです。
 
 エメット 芽吹く種には何か違ったことが起こるのです。理解を
      もっている人には異なる現実があります。あなたのマ
      インドは気づきというあなたの実在について知ってい
      ます。あなたのマインドは以前は知らなかった何かを
      知っているのです。
 
 ボブ
 それは、それに何の力もないこと――それが無であることを知っ
 ています。
 
 エメット それは単に役に立つ道具です。
 
 ボブ
 ええ。
 まさにそれが本来の姿です。
 マインドとはエネルギーの動きです。
 思考とは微細な言葉です。
 語られたレベルでは、言葉は音です。
 音は波動です。
 波動はエネルギーの運動です。
 その波動はつねに対極のペアのなかで振動します――過去、現在、
 未来と。
 だから、マインドとはごく制限されたものなのです。
 しかしそれは驚くほどに創造的な道具です。
 この家は、かつては誰かのマインドのなかの考えでした。
 この時計もそうです。
 しかしマインドは自己破壊的にもなりえます。
 それは私たちに、自分は制限された人間だと考えさせます。
 ときにはその思考は私たちに、自分は良くない、自分は自尊心が
 低い、などと告げます。
 私たちは不安になり恐れます。
 だから、それは敵ではないのです。
 それは美と文化によって創造的であることを許すことで、それを
 理解するという問題です。
 しかし、マインドが制限を与えるときには、それが偽りであるこ
 とを理解することが重要です。
 
                  『Living Reality』(p107-110)
------------------------------------------------------------

うーむ。

今回は……ちょっと……ポジティブに響く語り口ですね。

> あなたはその参照点が偽りであること、それにどんな実体も独立
> した本質もないことを理解しましたか?

ボブさんの場合は……いつもここに……帰ってきますね。

われわれを“個人”にする参照点に……どんな実体もないこと。

それが……過去の一瞬に現れた……束の間の想念にすぎないこと。

その想念は……実在である今のなかには……まったく存在していな
いこと。

そういう……意識のなかの記憶たちに……何度も何度も……今とい
う実在のパワーを与えては……蘇らせていた物語だということ。

われわれはただ……今のなかで……それに注目し……いまの実在を
……与えているだけなのだと……いうことに。

> 一、二歳のときに言葉を学びはじめてからというもの、私たちは
> 自分の実在を無視してきました。
> 実在は無視されるのが好きでははありません。

ふふ。

> もちろん、それも概念ですが、しかしそれは自分自身についての
> 噂を聞くのが好きなのです。
> それは自分が認められることが好きで、それで輝けるのです。
> 水が来るまで種は地中にとどまっていて、それからそれは破裂し、
> 芽吹きます。
> そうやって、それは花や果実をもたらします。

……。(-_-)

そうなんですね。

ありがとうございました。

(-||-)


       ………○…………○…………○………


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       ………○…………○…………○………


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■ 3.編集後記:ちょっと節々が痛みます。
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今日は……夕方にも段々畑を作って……ちょっと節々が痛みます。

まあ……それくらいは……しかたがないでしょう。

今日は……すっかり夜になりました。

おやすみなさい。

<(_ _)>


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■ 【作者】 『アセンション資料館』主人 pari
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  → メール: pariアットマークjk2.so-net.ne.jp
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