home > 通信 > 『アセンション館通信』第447号:ロケット燃料と最終的落下地点



━━━━☆☆☆☆━━━━━━━━━━━━━━ by paritosho ━
  ☆☆   ☆☆ 
 ☆☆     ☆☆『アセンション館通信』2012/10/28(第447号)
☆☆   ☆   ☆☆
☆☆      ☆★ 【気刊】――「私は在る」に導かれ♪――
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 ☆☆   ☆☆          https://www.ascensionkan.com/
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◇◇ このメルマガの趣旨 ◇◇

このメルマガはアセンション館主人 pari と称するあるパターンに
浮上している心象風景の報告です。

現象世界はすべて変化の意識であり、変化するものは永遠に変化す
るのみ、見かけの自分はその変化のなかの出来事にすぎません。

相変わらず分離感覚はありますが、まあ、これがあるがままです。

内容は人畜無害、でも読む人は相当変わっていますね。現在881名
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◇◇ もくじ ◇◇

1.ロケット燃料と最終的落下地点

2.ボブさんの言葉:気づく人はいない

3.編集後記:ちょっと……腰を痛めたか……
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■ 1.ロケット燃料と最終的落下地点
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こうして何かを書くことに……何らかの意味があると……思ってい
るわけではありません。

またこうして書いている……誰かがいると……思っているわけでも
ありません。

こうやって……何らかの苦さを掴み……何らかの態度を自分だと感
じたりする……ある想念が……湧いているだけです。

でもそういうものはすべて……現象という見かけにすぎません。

すべての現れは……この不動の背景に対して……現れている。

あらゆる想念……あらゆる体験は……この不動の背景に対して……
打ち寄せています。

確かに……いろいろな……思いが来ます……。

そして……思い自体は……けっして落ち着くことのないもの。

何かを求めているようではあるけれど……思いが何かを求めること
など……できるはずもありません。

なんの継続性ももたず……どんな実体も……もたないのですから。

ただ……そんな思いとして……一瞬……浮上してくるだけです。

海の波が……そんな波として……盛り上がってくるように。

そしてその想念は……またたちまち……忘却の彼方へと……消えて
いきます。

一瞬……盛り上がった波が……また跡形もなく……海のなかへ……
消えてゆくように。

それが……事実なんですね……。(-_-)

どんな重要性もないけれど……これもまた……束の間の……あるが
ままです。

(*^_^*)

さて、またまた一週間が過ぎて、楽しい“アセンション噺”ならぬ
「私は在る」噺に、お付き合いいただく今がやってまいりました。

『アセンション館通信』配達人の pari です。(^^)/

みなさま固有の「私は在る」を……いかがお過ごしでしょうか?

理屈は……たらふく……食べました。

好奇心のかぎりに……そしてもうこれ以上……食べることなど……
できないほどに……。

そしたら……どの理屈も……体験媒体として顕現している……この
肉体精神機構が……楽になるとは……教えていなかった。(*^_^*)

ふふ……。

そういう話を……求めに……求めたんですけどね。(^_-)

そういことを匂わすような……美味しい話も……ありました。

その時々に……入れ食いで……そういう話にも……食いつきました。

でも……どういうわけか……そういう話が……本物とは……思えな
くなってしまう……。(;_;)

なぜなら……もし……そういうふうに幸せになれるのなら……なぜ
最初から……その状態にないのかと……理屈が文句を言ったから。

何もわざわざ……途中でのこの大袈裟な……不幸や……悲惨や……
求道など……必要ないではないか……と。

“自分”で……論理的に納得のゆく……ハッピーエンディングを…
…求めていながら……結局は……自ら排除せざるをえなかった。

どうしても……論理が……そういうものに納得できなくて……また
いつもの……振り出しに……戻ってしまう。

     <何故にすべては始まってしまったのか?>

と……。

これはもう……見る人が見れば……最初から……行く手は……見え
ていたでしょう。

見えていないのは……“自分”が問うていると……思っている……
“当人”だけで……。(^_-)

このパターンの場合は……“「自分」はいない”とは……すべては
“入れ食い”だった……というのと同じことですね。

言い換えれば……最初の問が……結論を……決めていたようです。

それは……最終的顕現形を定義するDNAにも……最終的落下地点
を決定するロケット燃料にも……喩えられるでしょう。

最初に……華々しい福音を……伝えてくれたのは……嬉しくも楽し
い……あのバシャールでした。

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 私がここに来ている理由のひとつは、あなたが持っている、自分
 の中に既にある先入観念をあなた方に知ってもらいたいというこ
 とです。
 自分の信じることが自分の人生を作り出しているということを、
 100 パーセント申し上げたいと思います。
 恐れを信じる人は、自分の人生も恐れに満ちたものになります。
 愛と光だけを信じる人は、人生の中で愛と光しか体験しません。
 私は哲学の話をしているのではありません。
 創造の基本的なメカニズムの話をしているのです。
 自分が体験する物理的な現象というのは、あなたが何を信じるか
 によって決まります。
 というのは、物理的な現実というのは幻想だからです。
 あなたが信じていることが創り出した幻想なのです。
 幻想というのは、あなたがその中にいるうちは現実です。
 幻想のなかにいるうちは、それはれっきとした現実なのです。
 幻想の中にいる間は、確固とした現実だということを教えられて
 いますから、
 あなたはそれが現実だと信じているわけです。
 つまり、あなた方のパワーは非常に強いものなので、少しでも信
 じると、現実化してしまいます。
 あなた方は、創造主のイメージに基づいて創られているからです。
 ということは、あなた方自身が創造主であるということです。

                    『BASHAR』(P17)
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(-_-)

本当だったら……どんなに素晴らしいことか……と思いました。

でも……どういうわけか……それをこの“自分”の物理身体で実現
する……という思いに……熱中するようには……ならなかった。

まあ……そういうパターンとして……生きられていなかった……と
いうことでしょう。

いろんな言い方が……できるでしょうが。

バシャールの真理に触れてさえ……旧来のゲシュタルトが……変わ
らなかった……とか。

でも……それならなぜ……最初から……その状態にないのかと……
理屈が文句を……言いはじめるようなのでした。(^_-)

そうしたら……今度は『神との対話』シリーズの神様が現れて……
こんな話を……聞かせてくれました。

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 永遠への旅を続け、<マスター>への道を歩いているとき、あな
 たは人生のさまざまな環境や状況、展開に出会う。
 そのなかには歓迎したくないものもあるだろう。
 そういうとき、ほとんどのひとはいちばんしてはならないこと、
 つまり、これはどういう意味なのかを知ろうとする。
 何かが起こるには理由があるはずだと考え、理由を探ろうとする
 ひとがいる。
 ものごとは何かの「しるし」だと言うひともいる。
 そこで、何のしるしだろうかと知りたがる。
 いずれにしても、ひとは人生で起こる出来事とや経験の意味を知
 ろうとする。
 だが、じつはどんなものにもまったく意味はない。
 人生の出会いや経験に隠された本質的な真実などない。
 誰が事実を隠すというのか? なぜ隠すのか?
 もし、あなたがたに真実を見つけさせたいのなら、隠すより明ら
 かにしておいたほうが効果的ではないか? 
 もし、神に言いたいことがあるなら、あなたがたに謎解きをさせ
 るより、はっきり言うほうがずっと簡単ではないか?
 (それに、ずっと親切ではないか?)
 じつは、どんなものにも意味はない。あなたが与える意味以外に
 は。
 人生には(life:生命には)意味はない。
 多くの人間は受け入れがたいと思うだろうが、これはわたしの最
 大の贈り物だ。
 人生(life:生命)が無意味だから、あなたがどんな意味でも決
 定することができる。
 その決定によって、あなたがたは人生のさまざまなもの、あらゆ
 るものとの関係を自分で定義する。
 じつはこれが、どんな存在であるかを自分で選ぶという経験の意
 味(means:手段)だ。
 これが自分についていだく最も偉大なヴィジョンの、そのまた最
 も壮大なヴァージョンにしたがって新たに自己を創造し、再創造
 するという行為だ。
 だから、何かが起こったとき、どうしてかと問うのはやめなさい。
 どうして起こったかを自分で決めなさい。
 選んだり決定することができなければ、でっちあげなさい。
 どうせそうするのだから。(P193-195)
 
                   『神とひとつになること』
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(@_@)

これはまた……とってもすっきりしましたね。(^^;)

とってもすっきりした……と思っていたのですが……何となく……
何かがまだ……くすぶっているようなのでした。

まだ……完全に……解体しきって……いないようなのです。

     <何故にすべては始まってしまったのか?>

というあの問が……。

まだ……ロケット燃料が残っていて……最終的落下地点が……視野
に入ってきて……いなかったのでしょう。

あのEOさん流宇宙論によれば……「医者」と呼ばれる人びと……
その方々の善意の言葉には……いつも希望があるようでした。

より良いものへの……より良い顕現形態への……。

でも……そうすると……自らそういうものを求めていたはずなのに
……どうも……何かが疼くのです。

そんなにいい世界があるのなら……なぜ最初から……その状態にな
いのかと……理屈が文句を……言いはじめるのです。

何もわざわざ……途中でのこの大袈裟な……不幸や……悲惨や……
求道など……必要ないではないか……と。

これでは……どんなに希望に満ちた話にも……結局は……心底惚れ
こむことなど……できるわけがありません。(^_-)

わたしのこの状態を……完璧に見破って……一言で診断してくれた
のは……ニサルガダッタでした。

------------------------------------------------------------
 質問者 しかし、すべての存在は苦痛に満ちているというのは本
     当でしょうか?
 
 マハラジ
 この世界的な快楽の探求の原因が、何かほかにあるだろうか?
 幸せな人が幸せを探すだろうか?
 なんと人びとは落ち着かないのだろう!
 なんとつねに動きまわっているのだろうか!
 彼らは苦痛のなかにいるから快楽のなかに解放を探しているのだ。
 
                     『私は在る』(p164)
------------------------------------------------------------

(@_@)

“目からウロコが落ちる”とは……まさにこのことでした。

いったいどうして……そういう悲惨なことになっているのか?

この問いに対する……ニサルガダッタの診断も……明確でした。

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 マハラジ
 私は時間、空間、原因を超えたあるがままの私自身を知っている
 のだ。
 あなたは他のことに没頭していて、偶然知らないだけなのだ。
 
 質問者
 どうして私はそんなにも没頭してしまうのでしょうか?
 
 マハラジ
 なぜならあなたは興味があるからだ。
 
 質問者
 何が私に興味をもたせるのでしょうか?
 
 マハラジ
 苦痛への恐れと快楽への欲望だ。
 快楽は苦痛の終焉であり、苦痛は快楽の終焉だ。
 それらは果てしない連続性の中で交代しているだけなのだ。
 あなたがそれを超えたあなた自身を見いだすまで、その悪循環を
 調べてみるがいい。
                     『私は在る』(p396)
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ふー……。(-_-)

なんと……。

そして……この見かけの生命世界に対する……興味が失せないかぎ
り……“どこまで続く泥濘ぞ”……でしかないらしい。

結局……、

     <何故にすべては始まってしまったのか?>

という問が……わたしを連れてきたのは……そういう風景でした。

そして……その見かけへの興味が失せれば……別に……他に困難な
どなにも……ないらしかったのです。

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 もしあなたが興味を失えばいかなる記憶も持続はしない。
 束縛を永続させるのは感情的なつながりなのだ。
 あなたはつねに快楽を求め、苦痛を避けている。
 いつも幸福と平和を追い続けているのだ。
 あなたの幸福への探求自体が、あなたを惨めに感じさせているの
 がわからないだろうか?
 ほかの方法を試してみなさい。
 苦痛と快楽に無関心でありなさい。
 求めず、拒まず、永遠に存在する「私は在る」のレベルに、あな
 たのすべての注意を払いなさい。
 すぐにあなたは平和と幸福があなたの本性そのものであることを
 悟るだろう。
 何か特定の経路を通してそれを探しだそうとすることがあなたを
 かき乱すのだ。
 障害を避けなさい。
 ただそれだけだ。
 探す必要はないのだ。
 すでにもっているものを探すことはない。
                     『私は在る』(p258)
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……。(-||-)

同じことを……ラマナ・マハルシは……“木陰”と“猛暑”の喩え
で……語っていましたね。

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 24 幸福とは何でしょうか?
 
 幸福とは真我の本性そのものである。
 幸福と真我は別のものではない。
 世界のいかなるものごとのなかにも幸福はない。
 われわれは無知ゆえに、ものごとから幸福を得るものだと思って
 いる。
 心が外へ出ていくと、不幸を体験する。
 心の願いが満たされたとき、実は、心は自己本来の場所に戻って
 おり、真我である幸福を楽しむのである。
 同じように、眠りの状態、サマーディ、失神状態、あるいは、得
 たいと願っていたものが得られたり、嫌っていたものが消え去っ
 たりしたときには、心は内面に向かい、純粋な真我―幸福を楽し
 むのである。
 このように心は休むことなく動きまわり、真我からさ迷いでては、
 また戻ってくるということを繰り返している。
 木陰は気持ちいいが、外では太陽が焼けつくようだ。
 灼熱の太陽のなかを歩いてきた人が木陰にたどり着けば涼しいと
 感じる。
 木陰からわざわざ出て猛暑のなかを行き、それからまた木陰に戻
 ってくるのは愚かなことである。
 賢い人はずっと木陰にとどまっているだろう。
 同じように、真理を知る人は、ブラフマンを離れることはない。
 その反対に、無知な人の心は、悲惨を味わいながら世界をさ迷い
 歩き、つかの間の幸福を味わうためにブラフマンに戻ってくる。
 実際には、世界と呼ばれているものはただの想念にすぎない。
 世界が消え去ったとき、つまり想念が存在しないとき、心は平和
 を体験する。
 世界が現れると、不幸を味わうのである。
 
                 『あるがままに』(p404-405)
------------------------------------------------------------

なんと……単純な。(@_@)

> 実際には、世界と呼ばれているものはただの想念にすぎない。

……。(-_-)

> 世界が消え去ったとき、つまり想念が存在しないとき、心は平和
> を体験する。

おお……。

> 世界が現れると、不幸を味わうのである。

ああ……。

そういうものなのか……。

期待のなかに……不満が息づいているという……ただそれだけ。

すべての言葉……すべての理解は……それなりに……正しい。

が……すべての言葉……すべての理解に……反論が可能でもある。

正しさを主張しない無事のなかに……自然なくつろぎがある。

……。(-_-)

ありがとうございました。<(_ _)>

(-||-)

今日はこんなところで。

……。

m(_ _)m


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■ 2.ボブさんの言葉:気づく人はいない
━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━

今回も……ボブさんの無断翻訳を……つづけます。

『Living Reality: My Extraordinary Summer With "Sailor" Bob
 Adamson』(http://tinyurl.com/88zpf7p )
(『生きている実在:セイラー・ボブと過ごした途方もない夏』)
からの抽出翻訳です。

ボブさんご夫妻は……アメリカにきてくれて……今は著者のジェー
ムズ・ブラーハの家に滞在しています。

エメットが加わった日の……夜の会話の続きです。

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 【気づく人はいない】

 ジェームズ 私は政治が大好きなんです。だからニュースショー
       はたくさん見ます。そしてこのごろ見せられるのは
       殺戮、断頭、車の爆破といったことばかりです。
 
 ボブ
 そして腐敗。
 
 ジェームズ そして腐敗です。否定的なものや死や戦争のニュー
       スばかりなので、探求者の多くはテレビを見ようと
       しません。とはいえ、あなたの分析では、死全体に
       関する私たちの苦しみは何かが正しくない。死はつ
       ねに起こっていること。それはいつも起こってきた
       し、けっして止むことはないでしょう。ではなぜ私
       たちは死についてこんなに興奮するのでしょうか?
 
 ボブ
 その通りです。
 人々はよく私のところに来て、戦争やアフリカで死んでいく人々
 についての苦情を言います。
 私は彼らにこう言います。
 「ええ、あなた方がみんなその心配をするのは、それがあなたの
  注意の焦点にもたらされたからです。
  しかしあなたたちのどれだけの人が朝刊を広げて、死亡記事を
  見るでしょう? 
  メルボルンでは毎日二千人の人が死んでいます。
  誰もそれに注意を払う人はいません」
 と。
 [注:見かけの世界では、老齢の人が平安に死んでいく死と、テ
 ロリストの攻撃で子供が爆破されるのとでは大きな違いがある。
 しかし意識、あるいは一体性の文脈の中ではそこには何の違いも
 ない。この問題に対するひとつの可能な解決は、自分が生きたい
 世界で生きると決断することだ。見かけの世界で生きたいのか、
 実在の世界で生きたいのか、を。]
 
 ジェームズ ニサルガダッタは、宇宙空間で世界が衝突している
       とき、地上の人々は、ここで起こる死の心配ばかり
       していると言いました。これまた、いまいましいあ
       の参照点です。
 
 ボブ
 自分たちが非常に重要だと私たちに思わせるのは、参照点です。
 あなたが理解をもつと、聖書の言葉が現実になりはじめます。
 「あなたの左側に千本が落ち、あなたの右側に一万本が落ちるだ
 ろう。しかしあなたのいる近くに来ることはない」と。
 あなたは、誰もが騒ぎ立てることは知っていますが、自分が興味
 をもつことはもうありません。
 それはあなたの近くには来ません。
 それはあなたには触れません。
 何か小さなことが起こっても、あなたはごく簡単に処理できます。
 その解決は湧いてきます。
 それは実際、驚くばかりです。
 世界に混沌や問題が起こりつづけるのを見てはいますが、それは
 あなたには触れません。
 
 ジェームズ 初めて空港であなたの目を見たとき、そこにどんな
       心配も見えないことに私は気づきました。それが私
       の第一印象でした。たいていの人の表情は、非常に
       多くの不安を明かしているものです。
 
 ボブ
 それで、エメットはまだ瞑想をしているのですか?
 
 ジェームズ ええ。彼はまだ瞑想が大好きで、それが解放をもた
       らすと考えています。これから数日でそれが変化す
       るとは思えません。エメットとケリーと私は、何年
       もTM(超越瞑想)を教えました。そして長い瞑想
       コースに通いました。しかし四、五年前ほどから、
       私にとって瞑想はただ落ちてしまいました。それは
       単に身体の休息という以上のどんな効果もないよう
       に思えました。そしてそれは私が求めていたもので
       はありませんでした。なかには瞑想や孤独を楽しむ
       性質の人々がいます。ある人々は洞窟で生活します
       が、私にはそれはけっしてできませんでした。
 
 ボブ
 瞑想する人はいませんし、瞑想すべきことも何もありません。
 つねに自然な瞑想がつづいています。
 目を閉じて座る必要はありません。
 それは始まることもないし、終わることもありません。
 それはつねにそこに在ります。
 
 ジェームズ それは絶えず考えたりラベルを貼ったりするのでは
       なく、自然な状態を生きることに違いありません。
 
 ボブ
 機能は起こります。
 そうすれば沈黙は自動的にやってきます。
 しかしあなたはもはやその沈黙を待ち望むことはありません。
 以前、私たちは絶えずその沈黙を懸命に求めたものですが……。
 そしてそれが起こりえないのは、それを待ち望む行為そのものが
 沈黙を不可能にするからです。
 
 ジェームズ 悟ったという人の話を読むたびに、ほとんどいつも
       何か信じられないような光景の物語を聞かされます。
       またそれは読者を、何か特別に強烈な体験を求める
       ように仕向けます。それは読者を探求させつづけま
       す。二、三週間のうちに人々があなたの話を聞きに
       来ますが、彼らの何人かはあれこれの教師のところ
       に行った人間だと保証できます。そしてあなたに会
       った後でも、彼らはさらに一団の教師たちに会いに
       行くでしょう。
 
 ボブ
 その通りです。
 
 ジェームズ 彼らは「自分に悟りを与えてくれるかもしれない悟
       った人」に会いにきているのです。問題は、理解が
       提供されたとき、相手がそれを受け取るか、です。
 
 ボブ
 その通りです。
 
 ジェームズ 彼らのある者は「いや、私は探求したい。いや、私
       は何か偉大な体験がしたい」と言うでしょう。
 
 ボブ
 [笑いながら]「いや、次の人のほうがもっと良く知っているだ
 ろう。次の人が来たらその人のところに行こう。彼のほうがもっ
 と良く知っているだろう」。
 
 ジェームズ 彼らがこれ以上多く知ることはあまりないでしょう。
       これはあまりにも単純すぎるということです。こん
       なものであるはずがない。しかしこれがそれなので
       す。私のマインドにしょっちゅう入ってくるひとつ
       の思考は目的に関するものです。私は考えるのです。
       「この全人生の目的は何なのだ? ああ、そうだ、
       目的はなかったんだ……。その目的は何だ? ああ、
       そうだった。目的はないんだ」。それはよく浮上し
       てきます。あなたは存在を何と呼んでいたんでした
       っけ――空(くう)のさざ波とか、誇大宣伝とか?
 
 ボブ
 見かけです。
 大空に雲が起こるように、空(くう)の中に見かけが起こります。
 仏教徒が使う喩えは、「空なる意識」です。
 あるいは「認識する空」です。
 おわかりのように、大空は空っぽです。
 そして太陽はその大空のなかにあります。
 太陽はそれ自体で輝いています。
 太陽は暗闇を知ることができません。
 しかしそれは、比較するものを持たないために、光も知ることが
 できません。
 それは自分で輝いており、そして私たちは自分で気づいています。
 そこには気づくべき誰もいません。
 気づきは、太陽のように、自ら輝いています。
 
 太陽が水を蒸発させて雲を形成します。
 雲が私たちの上に来ると、私たちは太陽が見えないと考えます。
 しかし太陽はけっして大空から消えたことはない。
 そしてその太陽自身が水を蒸発させたことで雲が生じたのです。
 そのとき太陽は空気を動かし、また雲を遠くに吹き上げます。
 だから、それらの雲のどれひとつとして、大空に貼りついてはい
 ないのです。
 もしあなたがそれらの思考を調べ、それらが何に貼りついている
 のかを見てみたら、それらが何にも貼りついていないことがわか
 るでしょう。
 それらはただその「空なる意識」に湧き起こり、しばらく戯れて
 それから消えるだけなのです。
 しかし人々は、それらに何か実体があるのだと信じて、それから
 それらに固着し、それらをそこに保持するのです。
 
 ジェームズ ボブ、あなたは時々無限を感じますか? あなたは
       無限を、ひとつの体験のように感じることがありま
       すか?
 
 ボブ
 それはひとつの概念でしょう。
 あなたは何が無限であるかの概念を掴まなければならない。
 たった今が無限です。
 たった今が永遠です。
 それについて何を感じたり考えたりする必要があるでしょうか?
 それはただ在るだけです。
 
 ジェームズ ということは、あなたはつねにそれをもっていると
       いうことです。
 
 ボブ
 それこそがつねに背景なのです、ええ。
 すべてのフィーリング、感覚、感情はまだそこにあります。
 それに関するかぎり、何ひとつ立ち去りません。
 理解をもつ前には、それらはロックされ、長い期間持ち歩かれた
 ものです。
 今では、それらは現れるとすぐに消え去ります。
 
                  『Living Reality』(p112-115)
------------------------------------------------------------

うーむ。

> おわかりのように、大空は空っぽです。
> そして太陽はその大空のなかにあります。
> 太陽はそれ自体で輝いています。
> 太陽は暗闇を知ることができません。
> しかしそれは、比較するものを持たないために、光も知ることが
> できません。
> それは自分で輝いており、そして私たちは自分で気づいています。

そうか……。(-_-)

> そこには気づくべき誰もいません。
> 気づきは、太陽のように、自ら輝いています。

なんと……。

> あなたは何が無限であるかの概念を掴まなければならない。

そうか……概念には……何の意味もないのか。

> たった今が無限です。
> たった今が永遠です。
> それについて何を感じたり考えたりする必要があるでしょうか?
> それはただ在るだけです。

すべては……価値観(の崩壊)に……依存するのか……。(-_-)

構築して……構築したものは……壊す……。

砂浜で遊ぶ……子供の砂の城のように……。

ありがとうございました。

(-||-)


       ………○…………○…………○………


『私は在る』の「目次」はここ↓に置いてあります。
https://www.ascensionkan.com/books/I_AM_THAT-index.html

ときどき「ニサルガ辞書」で遊んでみてください。
https://www.ascensionkan.com/ndic/

新しい「ラマナ・マハルシ辞書」はここです。
https://www.ascensionkan.com/rdic/

おこがましくも『アセ通』既刊号はすべてここに置いてあります。
https://www.ascensionkan.com/mm/


       ………○…………○…………○………


▼『アセ通』への「私は在る」関連ご意見投稿フォーム:
http://www.formzu.net/fgen.ex?ID=P48750702
というのを作らせていただきました。(^^;)

「私は在る」に関するご意見・ご感想・シェアリング、または単な
るメールなど、ご自由にお書きいただければと思います。


       ………○…………○…………○………


『アセ通』への「ご投稿・情報提供」を歓迎いたします。

▼『アセンション館通信』への情報ご投稿フォーム
http://www.formzu.net/fgen.ex?ID=P87119518


       ………○…………○…………○………


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■ 3.編集後記:ちょっと……腰を痛めたか……
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このところ……庭に増やした枕木と……格闘しています。

今日……ほぼ……片がついたんだけど……。

ちょっと……腰を痛めたか……といった感じです。

まあ……そんなこんな……です。

細かい完成という以外……まったく何の意味もないことに……結構
……熱中する質みたい。(^_-)

それが……このパターンの……あるがままです。

どうやら……これが自分にとっての本物……と思われる教えは……
すべて……この精神身体機構が楽になるとは……言わないみたい。

はは……。

何たるこった。(^_-)

今日はしばらくぶりに……晩くなりました。

おやすみなさい。

<(_ _)>


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■ 【作者】 『アセンション資料館』主人 pari
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