home > 通信 > 『アセンション館通信』第450号:釈迦牟尼佛が語る四苦八苦



━━━━☆☆☆☆━━━━━━━━━━━━━━ by paritosho ━
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 ☆☆     ☆☆『アセンション館通信』2012/11/18(第450号)
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☆☆      ☆★ 【気刊】――「私は在る」に導かれ♪――
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 ☆☆   ☆☆          https://www.ascensionkan.com/
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◇◇ このメルマガの趣旨 ◇◇

このメルマガはアセンション館主人 pari と称するあるパターンに
浮上している心象風景の報告です。

現象世界はすべて変化の意識であり、変化するものは永遠に変化す
るのみ、見かけの自分はその変化のなかの出来事にすぎません。

相変わらず分離感覚はありますが、まあ、これがあるがままです。

内容は人畜無害、でも読む人は相当変わっていますね。現在883名
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◇◇ もくじ ◇◇

1.釈迦牟尼佛が語る四苦八苦

2.ボブさんの言葉:心配、恐怖、存在することへの愛

3.編集後記:今も……雨の音が……聞こえています。
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■ 1.釈迦牟尼佛が語る四苦八苦
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昨日は……雲ひとつない秋晴れの……素晴らし天気でした。

お隣のご主人の友人に……木工名人の方がいて……昨日はその方が
……お隣の古くなった庭の柵を……作りに来られたんです。

そのついでに……午前中いっぱいかけて……我家の庭に……長椅子
を二つ……作ってくださいました。

チェーンソウを操って……焼け残った太い杉丸太を……縦に真っ二
つに切り裂く……名人芸を見ました。

それから電動カンナをかけ……その上に電動ヤスリまでかけて……
アッというまに……美麗な二脚の長椅子ができました。

とても……買って手に入るという代物では……ないと思います。

午後はお隣の庭の柵を作ったのですが……その作業の手際には……
見惚れました。

手伝いのわれわれ三人は……指示されるままに動くだけで。(^_-)

これが世の中のテンポというものなのかと……感嘆しました。

もっとも作業が終わって……皆さんがお帰りになると……夕食前に
……ちょっと寝床に入って一休みしました。

やっぱり……普段の何倍も動いたんでしょうね。

そして……次の日の今日……。

何もしなくていいこのシトシト雨も……またとてもいいです。(-_-)

現れの表面では……色々なことが起こります。

現れの一部である……この精神身体機構は……その否応ない変化の
なかで……ただ流されていく。

たとえ……そのなかに自分がいるような……幻想があったとしても
……それもまたこの現れの一部です。

すべてを織り込んで……永遠の変化……顕現世界は流れていく。

眼前の美しい……楓の紅葉は……誰がデザインして……このような
色に……なっているのか……。(-_-)

(*^_^*)

さて、またまた一週間が過ぎて、楽しい“アセンション噺”ならぬ
「私は在る」噺に、お付き合いいただく今がやってまいりました。

『アセンション館通信』配達人の pari です。(^^)/

みなさま固有の「私は在る」を……いかがお過ごしでしょうか?

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 あなたの幸福への探求自体が、あなたを惨めに感じさせているの
 がわからないだろうか?
 ほかの方法を試してみなさい。
 苦痛と快楽に無関心でありなさい。
 求めず、拒まず、永遠に存在する「私は在る」のレベルに、あな
 たのすべての注意を払いなさい。
 すぐにあなたは平和と幸福があなたの本性そのものであることを
 悟るだろう。
 何か特定の経路を通してそれを探しだそうとすることがあなたを
 かき乱すのだ。
 障害を避けなさい。
 ただそれだけだ。
 探す必要はないのだ。
 すでにもっているものを探すことはない。
                     『私は在る』(p258)
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こういう言葉が……本当に真実なんだと……理解されてきます。

にもかかわらず……この言葉が指し示す真理が……自ずから輝き出
すには……所定の時間が……流れなければならないのでしょう。

むろん……幻想のなかで……。

「私は在る」は……真実です。

でも……一切の顕現がなければ……「私は在る」は……無に等しい
わけです。

そうか……。(@_@)

     <何故にすべては始まってしまったのか?>

という問が……このパターンの……違和の表現でした。

なぜすべては……無ではなかったのか……なぜこんなものが始まっ
てしまったのか……と……このパターンは問うたわけです……。

でもじつは……何も始まってなど……いなかった……。(-_-)

つまり……すべては……「無」……なんですね。

すべてが「無」だと……心底納得がいったら……はじめて……すべ
ては整うのです……。

そして……実際に……すべての顕現は……「無」なのです。

そうでなければ……すべての「苦」が……実在になる。

釈迦牟尼佛が……「生きることは苦だ」……と言ったその生命現象
すべてが……実在だということになる。

でも……「楽」も「苦」も……じつは……変化のなか……「現れ」
のなかにしか存在しない。

それは一瞬の現実(リアリティ)ではあっても……永遠の実在(リ
アリティ)ではない。

現れることはあっても……存在はしていない。

つまり……それは……“見かけ”のなかにしか……存在しない。

永遠の実在は……じつは……「無」……なのです。

最初から……すべてが「無」だったら……どんなに良かったことか
と……思ったものだけれど……。

そうか……じつは……最初から……すべては「無」だったんだ。

でも……その「無」は……存在しないという……わけではない。

それどころか……無限大の無限という……可能性をもって……実在
しているわけです。

でも……その無限大の無限の可能性を……実現したら……すべては
……苦味になってしまう。

苦味になる……という可能性も……実現する。

なぜなら……それはすべて……じつは“見かけ”でしかないから。

在るものはすべて……“見かけ”を含めて……実在です。

でも……その“見かけ”という構造物を……実体と取りちがえたら
……その“見かけ”の構造物のなかで……迷子になります。

現れは……「二元性の原理」のもとでしか……顕現しえないから。

現れのなかの幸福は……“見かけ”の構造物の拘束下での“幸福”
……つまり……“不幸”の反対物でしか……ありえないから。

現れのなかの“幸福”は……現れのなかの“不幸”を……参照せず
には……存在できない。

現れのなかで“幸福”を……掴んだら……現れのなかの“不幸”も
……掴まざるをえない。

釈迦牟尼佛が語る……四苦八苦を……掴まざるをえない。

「生・老・病・死」の四苦と……「愛別離苦・怨憎会苦・求不得苦
・五蘊盛苦」の……合わせて八苦を……掴まざるをえない。

愛別離苦(あいべつりく)……愛着するものを掴んだら……いつか
は必ず……それと離れなくてはならない。

怨憎会苦(おんぞうえく)……何かを憎み嫌ったら……いつかは必
ず……それと会わなくてはならない。

求不得苦(ぐふとくく)……何かを求めたら……手に入らないこと
は……必ずある。

五蘊盛苦(ごうんじょうく)……五感が与えるものに影響されたら
……必ず執着が生まれる。

これは……まったく……完璧に……自明なことです。

現れのなかの“幸福”を……願うかぎり……絶対に……避けられな
いことです。

……。(-_-)

こんなに……単純なことだったんですね。

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 私はただ、不変なるものと至福に満ちたものを見いだすには、変
 化するものと苦痛に満ちたものへのあなたの執着を放棄しなけれ
 ばならないと言っているだけだ。
 あなたは、あなた自身の幸福に関心がある。
 そして私は、そんなものはないと言っているのだ。
 幸福はけっしてあなた自身のものではない。
 それは「私」がないときにあるのだ。
 私はそれがあなたの手に届かないところにあると言っているので
 はない。
 あなたはただ、あなた自身の彼方に手を差しださなければならな
 いのだ。
 そうすればそれを見いだすだろう。
                     『私は在る』(p457)
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> あなたは、あなた自身の幸福に関心がある。
> そして私は、そんなものはないと言っているのだ。

(-_-)

この言葉の意味が……これほどはっきり伝わったことは……これま
で……ありませんでした。(-||-)

> 幸福はけっしてあなた自身のものではない。
> それは「私」がないときにあるのだ。

ああ……。

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 あなたの非依存性を自覚し、幸せでありなさい。
 あなたに言おう。
 これが幸福の秘密なのだ。
 あなたの幸せがものごとや人びとに依存すると信じることは、自
 己の真の本性に関するあなたの無知によるものなのだ。
 自己知識を除いては、幸せとなるために必要なものは何もないと
 知ることが智慧なのだ。
                     『私は在る』(p523)
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……。(-_-)

わかりました。

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 あれやこれに成ろうとするのではなく、在ることに幸せでありな
 さい。
 あなたは意識界に完全に気づいている観照者として在るだろう。
 だが、あなたと意識界の間には、いかなる感情も観念も立ちはだ
 かるべきではない。
                     『私は在る』(p233)
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はい。(-_-)

わかりました。

------------------------------------------------------------
 あなたは在る。
 ほかのすべては現れにすぎない。
                     『私は在る』(p421)
------------------------------------------------------------

はい。(-_-)

(-||-)

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 永久的なもの、それはあなた自身の存在である。
 真我として在りなさい。
 それが至福である。
 あなたはいつもそれなのである。
                    『あるがままに』(p58)
                 
------------------------------------------------------------

……。(-_-)

ありがとうございました。<(_ _)>

(-||-)

今日はこんなところで。

……。

m(_ _)m


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■ 2.ボブさんの言葉:【心配、恐怖、存在することへの愛】
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今回も……ボブさんの無断翻訳を……つづけます。

『Living Reality: My Extraordinary Summer With "Sailor" Bob
 Adamson』(http://tinyurl.com/88zpf7p )
(『生きている実在:セイラー・ボブと過ごした途方もない夏』)
からの抽出翻訳です。

ボブさんご夫妻は……アメリカにきてくれて……今は著者のジェー
ムズ・ブラーハの家に滞在しています。

土曜の夜の会話の続きで……スーザンとマーティンが質問します。

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 【心配、恐怖、存在することへの愛】
 
 スーザン あなたがこの理解に至ったとき、あなたが感じたのは
      希望でしたか、それとも絶望だったでしょうか?
 
 ボブ
 私は自己の束縛からの自由を感じました。
 私はもはや、この痛みや不安、怖れや自己憐憫、罪の意識や後悔
 に満ちた、この存在に束縛されてはいなかった。
 これがわかると、私は「もう二度とマインドには捕まらないぞ」
 と言いました。
 それから[ニサルガダッタのフラットの]戸口から外に出ると、
 当然ながら、私はすぐに捕まっていました。
 それが習慣になっていたからです。
 しかしこのことがわかっているので、けっして二度と同じではあ
 りませんでした。
 一度何かが偽りだとわかると、二度と再びそれを信じることはで
 きません。
 
 スーザン あなたは心配することはあるのですか?
 
 ボブ
 思考は浮上してきます。
 そこにはまだ感情やフィーリングはあります。
 しかし以前それは坂道を転げ落ちる雪だるまのように、ますます
 心配や苦しみや恐れを集めたものでしたが、今それらは現れて、
 しばらくの間戯れ、それから散らばり――ただあるがままです。
 代替されたり、変更されたり、訂正されることはありません。
 それが意識の、気づきの、知性エネルギーの働きの戯れです。
 まさに雲が空のどこにも固定されていないように、これらの思考
 は[自分の胸を指して]ここに固定されてはいません。
 
 マーティン もしあなたが緊急事態に陥って、誰かがあなたを襲
       ったら、あなたはどう反応するでしょうか?
 
 ボブ
 わかりません、そのときが来てみないと……。
 当然、私は自分を護ろうとするでしょう。
 逃げだそうとするかもしれません。
 何かの反応が起こるでしょう、もちろん。
 
 マーティン なぜ自分を守るのでしょうか? 私は、禅の導師が
       危険な状況で普通の反応を起こし、弟子が失望した
       話を読んだことがあります。彼らは、導師はすべて
       を超越しているはずだと考えています。もちろん、
       その瞬間になればそれは当然のことであり、何が起
       こってもいいのでしょう。しかし一方で、もしこの
       幻想を超越しているのなら、事態は異なるはずだと
       も思われるのですが。
 
 ボブ
 ええ、しかし誰にでしょう?
 もしそこに無関心な誰かがいたら、彼は再び自己中心に戻ってい
 ます。
 それは無関心であるということではないのです。
 どんな行動が起こるにせよ、それはこのイメージによって、つま
 り精神身体組織あるいはこのエネルギー・パターンによって起こ
 っています。
 そのエネルギーのパターンは攻撃することもありえます。
 それは破壊される可能性もあります。
 それは何であれ起こっている機能を実行する可能性があります。
 人々は、ただあるがままを見るのではなく、いわゆる導師がどの
 ように行動すべきかという、考えやイメージをもつのです。
 
 マーティン 私の観点、あるいはその禅の導師の弟子の観点から
       は、自己防衛の試みはその教師がただ知的な理解を
       もっているだけで、自分を守るということに捕われ
       ているうに思えるのです。それはその教師が自己の
       感覚をもっていることを示唆しているように思えま
       す。しかしもし私があなたのおっしゃることを理解
       しているなら、そこに自己は存在しないのですね。
 
 ボブ
 どんな自己もいません。
 前にも言いましたが、そこに在るのは誰もがもっている「存在す
 ることへの愛」です。
 もし「なぜ自分を守るのか?」という態度をとるのなら、それは
 「あなたはなぜ食べるのか? いったい、なぜ命を継続させるの
 か?」と拡張するでしょう。
 それはただ、自然の本能が継続しているだけです。
 自然を見てください。
 なぜ動物はライオンから逃げるのでしょう?
 なぜならそれは存在したいからです。
 それは生きたいのです。
 
 マーティン では、恐れについてはどうですか?
 
 ボブ
 それはただ現れてくるフィーリングや感情です。
 しばしば私たちは、実際には恐怖ではないのに、似た体験に過去
 からの恐れというラベルを貼ります。
 私たちがそれに恐れ、怒り、不安といったラベルを貼るやいなや、
 それに過去の物事という重荷を乗せて、実際以上に事態を悪くし
 ているのです。
 今もし私があなたの足元に蛇を落としたら、あなたは飛び上がっ
 て、たぶん即座にこの部屋から出ていくでしょう。
 部屋から出たら、アドレナリンが分泌し、鳥肌が立って、あなた
 は「ああ、驚いた」と言うでしょう。
 しかしそれはただ、特定の状況からあなたに起きた感情や反応に
 すぎません。
 あなたはそれを恐怖と名づけ、そのラベルの重荷を負います。
 あるがままを見る代わりに、私たちはすぐにそれにラベルを貼り、
 過去の出来事という重荷を負います。
 そして、事態を実際よりずっと悪くしているのです。
 ラベルを貼ることこそが、あらゆる種類の問題の原因です。
 
 エメット 存在することへの愛があり、それが反応を引き起こし、
      私たちはそれにラベルを貼り、ところがそれは実際の
      現実とは何の関係もない。動物のようですね。動物に
      は恐怖はありません。動物にはただ状況に応じた適切
      な対応があるだけです。
 
 ボブ
 動物がどのように行動するか見てください。
 ライオンがアンテロープの群れを追いかけ、そのなかの1頭を捕
 まえます。
 そこから50フィートも逃げると、アンテロープたちは立ち止ま
 って、普段の生活つまり元の食事に戻ります。
 もしこれが私たちだったら「彼はもう追いかけてきていないか?
 もう行ってしまったか?」と一日中後ろを振り返るでしょう。
 私たちならすぐに普段の生活に戻る代わりに、一日中それを心配
 することでしょう。
 物事は現れますが、あなたが何事にもラベルを貼らなくなったら、
 それは消えていきます。
 たくさんの物事が、ラベルを貼られずに起こります。
 車の衝突事故で誰かが動けなくなって、犠牲者を救出するために
 誰かがその車を持ち上げた話を聞いたことがあるでしょう。
 「どうやってそんなことができたんですか?」と彼は訊かれます。
 「私にはわからない」と彼らは言います。
 「なぜそんなことをしたんですか?」とあなたは聞きます。
 「わかりません」と彼らは答えます。
 私はドキュメンタリー番組をたくさん見ます。
 あるとき野犬の群れに一頭のアンテロープが追われるのを見まし
 た。
 すると突然、その群れがアンテロープ一頭を残して、そのまま逸
 れて行ったのです。
 そこには間違いなく彼らの食糧があったのに、彼らはただやめて
 しまった。
 なぜでしょうか?
 生来の知性が彼らを導いたのです。
 そういう類のことは、つねに起こっています。
 
 非二元の理解によって多くの聖典の言葉が真実になり始めます。
 「千本があなたの左側に落ち、一万本があなたの右側に落ちる。
  しかしあなたがいる近くには落ちてこない」
 というようなことです。
 世界の出来事の多くがこの近くには来ません。
 外に出ると、世界の混沌や狂気のすべてが絶えず続いているのを
 見ますが、どういうわけかそれはここには来ない。
 もうひとつ、こういうのもあります。
 「あらゆる方法で神を承認せよ、そうすれば彼は汝の道を示すで
  あろう」と。
 ただ自分を開いてその内なる本質に耳を傾ければ、あなたはあな
 た自身がここにも、そこにも、いたるところにいて、なすべきこ
 とを何の努力もなくしているのを見出すでしょう。
 私はそれを無努力の人生と呼びます。
 しかもなお、あなたはこの精神身体がときには途方もない努力を
 するのを見るでしょう。
 しかしその結果は、じつにたやすく無努力でその場所に落ち着く
 のです。
 
 ラベル貼りに関しては、15世紀か16世紀の盤珪(ばんけい)
 という日本の禅僧がきわめて単純に言っています。
 彼は根源の空を「不生の仏心」と呼びました。
 そして彼は「すべては不生のなかで完璧に完結されている。なぜ
 その不生を思考と取り替える必要があるのか?」と言いました。
 そしてそれこそが私たちがしていることです。
 私たちの観点、つまり私たちの無効な参照点からすれば、宇宙で
 起こっていることは混沌に見えるかもしれません。
 しかし遥か遠く、何百万光年の彼方から見るなら、それが実際に
 は非常に秩序だった混沌であることがわかるでしょう。
 それはすべて参照点次第なのです。
 そしてもし、あなたが参照点が誤りだと理解したのなら、なぜそ
 れをもつ必要があるのですか?
 
                  『Living Reality』(p131-134)
------------------------------------------------------------

……。(-_-)

ニサルガダッタの言葉の意味を理解したとき……ボブさんに起こっ
たのは……次のことだったと言います。

> 私は自己の束縛からの自由を感じました。
> 私はもはや、この痛みや不安、怖れや自己憐憫、罪の意識や後悔
> に満ちた、この存在に束縛されてはいなかった。

と。

これは理解です……どんな特殊な体験でもありません。

> これがわかると、私は「もう二度とマインドには捕まらないぞ」
> と言いました。
> それから[ニサルガダッタのフラットの]戸口から外に出ると、
> 当然ながら、私はすぐに捕まっていました。
> それが習慣になっていたからです。

とおっしゃっているので……いわゆる「シフト」と呼ばれるような
……特殊な体験でも……なかったようです。

つまり……われわれが……このボブさんの言葉を……一生懸命……
マインドで理解したのと……何も違わない状態だと思います。

要は……この理解を……絶対に手放したくない状況が……そこにあ
るかどうか……それだけのことではないか。

それもまた……存在しない個人の状況……などではないけれど。

> しかしこのことがわかっているので、けっして二度と同じではあ
> りませんでした。
> 一度何かが偽りだとわかると、二度と再びそれを信じることはで
> きません。

そう……。

一度何かが偽りだとわかったら……二度と再び……それを信じるこ
とはできない……。

真実を表す言葉が……いちど聴き取られたら……。

賢者の言葉の波動が……いちど有機体に浸透したら……その波動は
もう二度と再び……それ以前の波動には……戻れない。

マハラジも

> 真理の証拠は聞き手への影響のなかにあるのだ。

と……保証しています。

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 影響がかならずしも体験である必要はない。
 それは人格、動機、人々との、そして自己との関係性における変
 化でもありうる。
 言葉や薬物、あるいはほかのいかなる感覚的、精神的方法で誘導
 された超越状態や幻想も一時的なもので、決定的とは言えない。
 ここで語られた真理は不動の、永遠のものだ。
 そしてその証拠は聞き手のなかに、彼の存在全体における深い永
 続的な変化のなかにあるのだ。
 彼自身の自己の存在を疑わないかぎり、その証拠は彼が疑えるよ
 うなものではない。
 わたしの体験があなた自身の体験となったとき、それ以上の証拠
 をあなたは求めるだろうか?
                     『私は在る』(p376)
------------------------------------------------------------

いえ……求めません。(-_-)

そうか……すでに真理の言葉は……聴き取られたのだ……。

だから……ボブさんの次の言葉、

> どんな自己もいません。
> 前にも言いましたが、そこに在るのは誰もがもっている「存在す
> ることへの愛」です。

も……理解できます。

> もし「なぜ自分を守るのか?」という態度をとるのなら、それは
> 「あなたはなぜ食べるのか? いったい、なぜ命を継続させるの
> か?」と拡張するでしょう。
> それはただ、自然の本能が継続しているだけです。

じつに……納得しました。

間違いなく……そこに“誰か”は……いません。

ありがとうございました。

(-||-)


       ………○…………○…………○………


『私は在る』の「目次」はここ↓に置いてあります。
https://www.ascensionkan.com/books/I_AM_THAT-index.html

ときどき「ニサルガ辞書」で遊んでみてください。
https://www.ascensionkan.com/ndic/

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https://www.ascensionkan.com/rdic/

おこがましくも『アセ通』既刊号はすべてここに置いてあります。
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るメールなど、ご自由にお書きいただければと思います。


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       ………○…………○…………○………


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■ 3.編集後記:今も……雨の音が……聞こえています。
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今日は一日……雨ですね。

とても寒い日……でもありました。

今も……雨の音が……聞こえています。

昏くなるのが早くなったので……もう山里は真っ暗です。

これから……夕食です。

おやすみなさい。

<(_ _)>


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■ 【作者】 『アセンション資料館』主人 pari
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  → メール: pariアットマークjk2.so-net.ne.jp
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