home > 通信 > 『アセンション館通信』第457号:気づきを見守りなさい



━━━━☆☆☆☆━━━━━━━━━━━━━━ by paritosho ━
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 ☆☆     ☆☆『アセンション館通信』2013/1/6(第457号)
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☆☆      ☆★ 【気刊】――「私は在る」に導かれ♪――
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 ☆☆   ☆☆          https://www.ascensionkan.com/
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◇◇ このメルマガの趣旨 ◇◇

このメルマガはアセンション館主人 pari と称するあるパターンに
浮上している心象風景の報告です。

現象世界はすべて変化の意識であり、変化するものは永遠に変化す
るのみ、見かけの自分はその変化のなかの出来事にすぎません。

相変わらず分離感覚はありますが、まあ、これがあるがままです。

内容は人畜無害、でも読む人は相当変わっていますね。現在885名
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◇◇ もくじ ◇◇

1.気づきを見守りなさい

2.ボブさんの言葉:【覚醒した人々は眠りのなかでも……】

3.編集後記:いずれにせよ……油を売っているのに
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■ 1.気づきを見守りなさい
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みなさま……明けましておめでとうございます。

年が改まって……見晴らしが良くなってしまったのか……。

じつはスピリチュアルとは……現れの世界とまったく無縁になるこ
とだ……と言い切ってしまえば……話はとても単純ですね。

そう断定して……例えばラマナ・マハルシのほうを見れば……彼の
言葉は……いつも……ただそれだけを指していたようです。

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 木陰からわざわざ出て猛暑のなかを行き、それからまた木陰に戻
 ってくるのは愚かなことである。
 賢い人はずっと木陰にとどまっているだろう。
 同じように、真理を知る人は、ブラフマンを離れることはない。
 その反対に、無知な人の心は、悲惨を味わいながら世界をさ迷い
 歩き、つかの間の幸福を味わうためにブラフマンに戻ってくる。
 実際には、世界と呼ばれているものはただの想念にすぎない。
 世界が消え去ったとき、つまり想念が存在しないとき、心は平和
 を体験する。
 世界が現れると、不幸を味わうのである。
 
                 『あるがままに』(p404-405)
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なんと……。(@_@)

だんだんこのメルマガも……何をか言わんやの境域に……入ってき
たようです。(-_-)

(*^_^*)

さて、またまた一週間が過ぎて、楽しい“アセンション噺”ならぬ
「私は在る」噺に、お付き合いいただく今がやってまいりました。

『アセンション館通信』配達人の pari です。(^^)/

みなさま固有の「私は在る」を……いかがお過ごしでしょうか?

古くからお付き合いいただいた方は……このメルマガが……ひたす
らエンタテイメントを心がけてきたことを……ご存知でしょう。

まずは落語調で語る……アセンション噺……を心がけたのでした。

言葉による……エンタテイメント……。

そのスタイルで……あるかなきかの真理を……探りたかったのでし
ょうね。

まるで……どこかからその真理を……言葉で掘り出すことが……で
きるかのように。

あるいはまた……向こうから……その真理が……強引に訪れてくる
ことがあるかのように。

でもそれは……蜃気楼を追い求める……ようなものだと……教わり
ました。

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 変化するものは変化しつづける。
 その間、不変なるものは待ちつづけているのだ。
 変化するものが不変なるものへとあなたを連れていくと、期待し
 てはならない。
 それはけっして起こらない。
 変化という観念自体が偽りとし見られ、放棄されたときにのみ、
 不変なるものがおのずと現れるのだ。
                     『私は在る』(p541)
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(-||-)

そういう探求を……わたしがした……とは言いません。

このpariというパターンが……そう生きられるパターンだったとは
……言えるかもしれません。

その探求の結果……今やついに……その真理が……どこにあるかが
……わかったわけです。

真理は……このお喋りの……背景そのものとして……このお喋りに
……覆い隠されながら……つねに存在していたことが。

そして今も……存在していることが。

小林秀雄の言葉を借りるなら……お喋りとはすべて……真理を覆い
隠す煙幕の……「様々なる意匠」でしかないようです。

真理が何であるかがわかった今……このお喋りは……ただ蒸発して
……消えるべきものかもしれません。

埴谷雄高の『死霊』の登場人物……首猛夫は……“お喋り”による
“死のう団”を……組織しようとしたのかもしれません。

でも……それもこれも……すべては夢のなかの物語ですね。

> 実際には、世界と呼ばれているものはただの想念にすぎない。

のですから……。

すべての物語は……過去の記憶と……未来の想像のなかにしか……
ありえない。(-_-;)

物語とは……仮想空間に搖動する……抽象世界でしかない。

物語には何の実体もなく……つまり……存在してはいないのです。

でも……その物語が……リアルな苦しみを……生み出すことができ
る……いや……そのような幻想を……生み出すことができる。

……。(-_-)

このメルマガに……もしまだ余命があるなら……今しばらくは……
沈黙への……至福への……招待状を……綴れるでしょうか。

このメルマガで……ミカエル・ラングフォード師の言葉を……細切
れにでも……お伝えできればいいかな……とも思いました。

でもそれは……ラングフォード師の貢献で誕生した……貴重なツー
ルを……毀損する恐れがあることにも……気づきました。

これはやはり……本来の完全な形で……お渡しできたら……そのほ
うがいいと……思いました。

それほど厚い本でも……ないわけだし。

本当に……凝縮された……本です。

なにしろ……ラングフォード師はこの本を……「公式」「処方」を
表す……「formula」という言葉で表現していますから。

ニサルガダッタの『私は在る』に出会って……というかナンダンか
ら譲られて……この先ほかに本は必要ない……と思っていました。

にもかかわらず……『私は在る』だけでは……マインド圏から脱出
できなかった。(-_-;)

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 あなたが知覚可能、想像可能なものは何ひとつあなたではありえ
 ず、何であれ、意識の領域に現れるものは自己ではないとひとた
 び理解したなら、より深い自己実現への唯一の方法として、すべ
 ての自己同一化を断ち切ることだろう。
 否定することによって、文字どおりあなたは、まさにロケットの
 ように進歩するのだ。
 あなたが身体のなかにもマインドのなかにも存在せず、しかもそ
 の両方に気づいていると知ることは、すでに自己知識なのだ。
 
                     『私は在る』(p537)
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ということを知的に理解しながら……それが「まさにロケットのよ
うに進歩する」ことに……つながらなかった。(*-_-*)

ラングフォード師ふうの言い方をするなら……言葉の上での理解を
エゴに処理され……ロケットの燃料に……ならなかったわけです。

ニサルガダッタは……「私は在る」という感覚に集中しなさい……
という師の言葉に……従うだけの誠実さがあった。

まあ……それだけ……成熟していたという……言い方もあります。

ボブさんは……ニサルガダッタの許で……自分が信じていた自分に
……何の実体もないことを知って……もう元には戻らなかった。

ボブさんが……もう元に戻らなかったのは……その理解がマインド
の層を突破して……沈んだからとも言えるでしょう。

でも通常は……知的な理解は……なかなかそれだけの破壊力は……
もてないものです。

知的な理解……つまり“概念や信念や結論”に関連して……ラング
フォード師が語るところを……ご紹介しておきます。

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 22. 概念、信念、結論は、真に重要ではない。
   真に重要なのは直接の体験だ。
 
 23. あなたの思考、思いつき、信念、意見に気づき、それらがエ
   ゴに仕えていることを理解しなさい。
 
 24. エゴと真の自己の違いを明確にするには、第一章を見なさい。
 
 25. 本書は直接の体験への実践的ガイドであって、知的な娯楽の
   ための理論ではない。
 
 26. エゴが終焉を恐れているために、エゴが指図して、エゴが本
   物であるという幻想が継続するのに役立つであろう、またエ
   ゴが終焉させられるのを妨害するであろう、思考、思いつき、
   概念、信念、意見を創造するのだ。
 
 27. それらの概念はエゴの保存戦略だ。
   それらの概念はエゴの詐術なのだ。
 
 28. 思考は何兆とおりにも組み合わせることができるため、エゴ
   は何兆とおりもの保存戦略を創りだすことができる。

     『The Most Direct Means to Eternal Bliss』(p20)
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……。(-_-;)

だから……しなければならない最小限度のことをすませ……最大限
の時間を作り……実際に……サーダナを実践しなさいと。

例えば……こんなふうにです。

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 74. 記述A:目を閉じなさい。
   あなたの気づきに注目しなさい。
   あなたの気づきを観察しなさい。
   あなたの注意を世界や身体や思考から外して、気づきを見守
   る気づきのほうに振り向けなさい。
   自分が考えていることに気づくたびに、あなたの注意を思考
   から離し、気づきを見守る気づきのほうに戻しなさい。
   あなたの思考ではなく、あなたの気づきを見守りなさい。

       『The Most Direct Means to Eternal Bliss』(p82)
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(-||-)

色々なマインドのタイプに合わせた……実践指示の多様な「記述」
が……用意されています。

頭で理解することの……ほとんどすべては……エゴの保存戦略とし
て……歪曲されてしまうようです。

サーダナとは……理解することではなく……実際にエゴの支配領域
である……マインド圏の外にいることのようです。

想像ではなく……「私は在る」である……実在として。

現れに……興味をもつことなく……在ることに……満足して。

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 あなたは在る。
 ほかのすべては現れにすぎない。
                     『私は在る』(p421)
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はい。(-_-)

(-||-)

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 永久的なもの、それはあなた自身の存在である。
 真我として在りなさい。
 それが至福である。
 あなたはいつもそれなのである。
                    『あるがままに』(p58)
                 
------------------------------------------------------------

……。(-_-)

ありがとうございました。<(_ _)>

(-||-)

今日はこんなところで。

……。

m(_ _)m


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■ 2.ボブさんの言葉:【覚醒した人々は眠りのなかでも】
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今回も……ボブさんの無断翻訳を……つづけます。

『Living Reality: My Extraordinary Summer With "Sailor" Bob
 Adamson』(『生きている実在:セイラー・ボブ・アダムソンと過
ごした途方もない夏』)からの抽出翻訳です。

ボブさんご夫妻は……アメリカにきてくれて……今は著者のジェー
ムズ・ブラーハの家に滞在しています。

7月18日に行われたボブとジェームズの二人の会話の続きです。

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 ジェームズ 私が聞いた理由は、幻影はただ「私は在る」のゆえ
       に存在するとニサルガダッタが言ったからです。 
 
 ボブ
 その存在の感覚――その知ることのゆえにです。
 
 ジェームズ なぜ彼は見かけの世界について語っていたのでしょ
       うか? そんなものは存在すらしていないのに! 
       彼は私を混乱させました。 
 
 ボブ
 彼にそうさせなければいいのです。
 彼のことは放っておきなさい。
 究極的には、世界は存在しない。
 鏡のなかの鏡像のようなものです。
 鏡のなかに椅子の鏡像が見えます、しかしそこにその椅子はあり
 ますか?
 それがないとは、あなたには言えません、言えますか?
 それはそこにあるように見える。
 しかし、その椅子に触ろうとすると、そこには何もない。
 あなたにはそれがあるとも、ないとも言えないのです。
 
 ジェームズ わかりました。
 
 ボブ
 それがそれ自身を無効にするのです。
 それはあるのでもないし、ないのでもない。
 
 ジェームズ 創造と同じですね。
 
 ボブ
 そのとおり。
 
 ジェームズ 結局、いったん口を開いたら、それはゴミです――
       それは二元性です。 
 
 ボブ
 そのとおり。
 彼には指し示すことしかできません。
 ニサルガダッタが口を開くやいなや、それはゴミです。
 また私が口を開くやいなや、それはゴミです。
 それは概念でしかないのですから。
 
 ジェームズ しかしあなたがたは道を指し示すことができます。
 
 ボブ
 マインドは何でも部分に引き裂くことができます。
 マインドはただ分割しつづけるだけです。
 それは永遠に分割できます。
 非常に知的なタイプの人には、時としてそれが問題なのです。
 彼らは要点を見逃します。
 それは彼らの損失ですね。
 
 ジェームズ 素朴な人であればあるほど、これを手に入れるのは
       簡単です。私の場合、私の習慣は自分の参照点から
       質問をし続けることです。参照点は偽りですから、
       私が尋ねるたくさんの質問はバカげています。自分
       がそれを理解するのにいかに長い時間がかかるかは
       驚くばかりです。
 
 ボブ
 しかしあなたはそれを理解しつつあります。
 より多くの参照点が現れ、私がそれをあなたの下から蹴り出せば
 出すほど、それだけあなたはそれを理解するでしょう。
 そして今度はあなたが自分でそれを自分の下から蹴り出しはじめ
 るでしょう。
 
 ジェームズ ええ、あなたは確かにかなりうまく私の下から蹴り
       出してますよ。ニサルガダッタは最初のうちは瞑想
       が役立ちうると言いました。それはマインドをゆる
       めます。 
 
 ボブ
 非二元論にたどり着く大部分の人は、すでにそれを通り抜けてき
 ています。
 
 ジェームズ なかには何も瞑想をしたりスピリチュアル本を読ん
       だりしたことがないのに、それでもこの教えに対し
       て成熟している人々もいます。
 
 ボブ
 まさにそのとおりです。
 ニサルガダッタは、彼には六、七回会えばそれで充分だと感じて
 いました。
 私も同じように感じます。
 それは本当にシンプルなのです。
 
 ジェームズ ええ、しかし長いことスピリチュアルな動きのなか
       にいた人々には、解体しなければならないことが、
       恐ろしくたくさんあります。こういう教師たちは、
       何年も何年も、至福や完全な健康、完全な関係性、
       どんな欲望もないこと、どんなことにも反応しない
       こと、などといったことを私たちに教えてきました。
       あなたはここに来て、そういうものは単なる経験で、
       それは無用なことだと言う……。それはかなり驚異
       なんですよ。
 
 ボブ
 もし人々がただ私の本のタイトルについて考えてくたら、それで
 充分なのです。
 『あなたがそれについて考えなければ、たった今何が間違ってい
  るのか?』と。
 あなたは停止して、考えるのをやめなければならない。
 そして、ただ考えるのをやめただけでは、自分が分解もしなけれ
 ば消失もしないことを、あなたは理解します。
 生きることを、私たちはあまりに思考に依存してきました。
 しかし生きることは、思考がなくても継続するのです。
 
 ジェームズ ニサルガダッタはスティーブン・ウォリンスキー
       [『私は私であるものである』の著者]に、六日か
       七日ほどでその教えを手に入れることができるはず
       だと告げました。それから一週間が過ぎると、ニサ
       ルガダッタは彼に立ち去るように告げたのです。

 ボブ
 そのとおりです。
 
 ジェームズ ボブ、誰かが私に「最終的覚醒」と「部分的覚醒」
       に関するあるスピリチュアル教師のメールを送って
       来ました。その教師は、最終的覚醒というようなも
       のを自分は認めないし認識しないと言います。覚醒
       がないか、最終的覚醒かのどちらかの可能性しかな
       いと。これは意味をなしますか?
 
 ボブ
 いいえ。
 というのも、どんな覚醒もありえないからです。
 誰が覚醒するのですか?
 それはただ、そこに探求者がいないことを理解するという問題で
 す。
 それは探求者が偽りであることを、理解することなのです。
 
 ジェームズ 探求者の虚偽性を、誰かが最終的に見抜くことがで
       きるものでしょうか?
 
 ボブ
 あなたはそれをいつでも見抜くことができます。
 ほんのちょっとの探求によって。
 それに関して最終的なものなどありません。
 
 ジェームズ 私は、彼が言っているのは自分が覚醒を得て、それ
       からそれが消えてしまったと言っている人たちにつ
       いてだと思います。彼らは無意味なことを言ってい
       るという彼は正しいのです。でも最終的覚醒という
       ようなものがあると言うのも、ゴミのようですが。
 
 ボブ
 もし彼が、そこにはそれを獲得するプロセスがあり、それからそ
 のプロセスが終わったと言っているのなら、これは偽りです。
 そこにプロセスはけっしてありませんでした。
 その見かけ上のプロセスは誤った信念だったのです。
 
 ジェームズ ええ。ボブ、あなたの眠りはどのようなものですか?
       それは私の眠りや他の誰かの眠りと何か違うのでし
       ょうか?
 
 ボブ
 私はそうは思いません。
 
 ジェームズ 私が訊くのは、覚醒した人々は眠りのなかでも目覚
       めているという観念を聞いたことがあるからです。
 
 ボブ
 そういうものは単なる体験です。
 そういうことは覚醒とは何の関係もありません。
 モリー[ジェームズの隣人のひとり]が言っていたことに注目し
 てください。
 彼女は病院で意識を失い、突然部屋のなかにあるすべてに気づき
 ました。
 
 ジェームズ ええ、彼女は意識を失っていました。彼女の目は開
       いてすらいませんでした。ですから、何がその見る
       ことをしていたのか?
 
 ボブ
 ただその見ること自体です。
 いずれにせよ、両目は見ることはできません。
 
 ジェームズ 目は見ることができないのですか?
 
 ボブ
 できません。
 もし生命力があなたから離れたら、あなたの目は何ひとつ見るこ
 とはないでしょう。
 
 ジェームズ では、目は一度も見てはいないのですね。
 
 ボブ
 見ていません。
                  『Living Reality』(p149-152)
------------------------------------------------------------

……。(-_-)

> ボブ
> もし彼が、そこにはそれを獲得するプロセスがあり、それからそ
> のプロセスが終わったと言っているのなら、これは偽りです。
> そこにプロセスはけっしてありませんでした。
> その見かけ上のプロセスは誤った信念だったのです。

「その見かけ上のプロセスは誤った信念だった」……。

これ……ホントですね。(-_-)

そこにそういうことを探求している……探求者が……いるのだと思
っていた。

でも……それはただの「誤った信念」だったわけです。

それから……“眠りのなかでも目覚めている”という話……。

> ジェームズ ええ。ボブ、あなたの眠りはどのようなものですか?
>       それは私の眠りや他の誰かの眠りと何か違うのでし
>       ょうか?
> 
> ボブ
> 私はそうは思いません。

まあ……こういうことを言ってくださると……助かるけど。(^_-)

> ジェームズ 私が訊くのは、覚醒した人々は眠りのなかでも目覚
>       めているという観念を聞いたことがあるからです。
> 
> ボブ
> そういうものは単なる体験です。
> そういうことは覚醒とは何の関係もありません。

ふふ。

こうだからなぁ。(^^;)

物語の……いかなる所有者もいない……ただ……それだけですね。

結局……世界というのは……記憶と想像のなかに……幻影のように
……浮かんでいるものなんですね。

結局……そこには……何もない。

山川草木悉皆成仏……。

ということなんでしょうね。

でも……それが生きられた事実でなければ……。

> 実際には、世界と呼ばれているものはただの想念にすぎない。

はい。(-_-)

> 世界が消え去ったとき、つまり想念が存在しないとき、心は平和
> を体験する。

……。(-_-)

> 世界が現れると、不幸を味わうのである。

わかりました。

ありがとうございました。

(-||-)


       ………○…………○…………○………


『私は在る』の「目次」はここ↓に置いてあります。
https://www.ascensionkan.com/books/I_AM_THAT-index.html

ときどき「ニサルガ辞書」で遊んでみてください。
https://www.ascensionkan.com/ndic/

新しい「ラマナ・マハルシ辞書」はここです。
https://www.ascensionkan.com/rdic/

おこがましくも『アセ通』既刊号はすべてここに置いてあります。
https://www.ascensionkan.com/mm/


       ………○…………○…………○………


▼『アセ通』への「私は在る」関連ご意見投稿フォーム:
http://www.formzu.net/fgen.ex?ID=P48750702
というのを作らせていただきました。(^^;)

「私は在る」に関するご意見・ご感想・シェアリング、または単な
るメールなど、ご自由にお書きいただければと思います。


       ………○…………○…………○………


『アセ通』への「ご投稿・情報提供」を歓迎いたします。

▼『アセンション館通信』への情報ご投稿フォーム
http://www.formzu.net/fgen.ex?ID=P87119518


       ………○…………○…………○………


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■ 3.編集後記:いずれにせよ……油を売っているのに
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これから……どんな形で……つづけられるかは……わかりません。

マハルシも……マハラジも……ラングフォード師も……メルマガを
書くことなど……勧めはしないでしょう。

分秒を惜しむようになれば……できることではありません。

いずれにせよ……油を売っているのに……間違いはないのだから。

また顔を出したら……あ……まだやってる……と笑ってください。

今日はなかなか……寒いですね。

風邪など引かないように……お気をつけください。

昏くなりました。

<(_ _)>


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■ 【作者】 『アセンション資料館』主人 pari
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  → メール: pariアットマークjk2.so-net.ne.jp
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