home > 通信 > 『アセンション館通信』第458号:ニサルガダッタの探求の意味



━━━━☆☆☆☆━━━━━━━━━━━━━━ by paritosho ━
  ☆☆   ☆☆ 
 ☆☆     ☆☆『アセンション館通信』2013/1/13(第458号)
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☆☆      ☆★ 【気刊】――「私は在る」に導かれ♪――
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 ☆☆   ☆☆          https://www.ascensionkan.com/
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◇◇ このメルマガの趣旨 ◇◇

このメルマガはアセンション館主人 pari と称するあるパターンに
浮上している心象風景の報告です。

現象世界はすべて変化の意識であり、変化するものは永遠に変化す
るのみ、見かけの自分はその変化のなかの出来事にすぎません。

相変わらず分離感覚はありますが、まあ、これがあるがままです。

内容は人畜無害、でも読む人は相当変わっていますね。現在879名
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◇◇ もくじ ◇◇

1.ニサルガダッタの探求の意味

2.ボブさんの言葉:【力をもったどんな実体も存在しない】

3.編集後記:「私は在る」からの……リマインダー
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■ 1.ニサルガダッタの探求の意味
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物語に興味を失うこと……まずはそんなあたりが……ある種の成熟
の……目安ということなのか……。(-_-)

物語は……無限に編みだされるもの……そして気がつくと……いつ
かまた……元に戻っているもの。

他のどこに……行くことができるというのでしょう。

すべては……マインドのなかです。

何もないところに……あえて波風を立て……比較の種を捏造しでは
……そこで何者かになることを欲望する。

何者かになったら……不幸は必定です。

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 生命への執着は不幸への執着だ。
 私たちは私たちに苦痛を与えるものに執着するのだ。
 私たちの本性とはそんなものなのだ。
                     『私は在る』(p436)
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何者かとして物語のなかに住むことに……心底うんざりすることが
……そこから脱出するために……絶対不可欠なのか。(-_-;)

(*^_^*)

さて、またまた一週間が過ぎて、楽しい“アセンション噺”ならぬ
「私は在る」噺に、お付き合いいただく今がやってまいりました。

『アセンション館通信』配達人の pari です。(^^)/

みなさま固有の「私は在る」を……いかがお過ごしでしょうか?

週一で送られてくる……「私は在る」からのリマインダー……まあ
……そんな感じで行きましょう。

いやいや……元からそんなものでした。(^_-)

「探求」という言葉は……色々なニュアンスで使われるでしょうが
……マハラジの場合は……こんな感じです。

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 質問者 探求とは、欠けていること、欲していること、未完成、
     そして不完全を意味します。
 
 マハラジ
 いいや。
 それは不完全と未完成の拒絶と拒否を意味する。
 実在の探求自体が実在の動きなのだ。
 ある意味では、すべての探求は真の至福、実在の至福のためのも
 のだ。
 しかし探求ということで、私たちはマインドを超えた光としての、
 意識的存在の根本である真我の探求を意味している。
 この探求が終わることはけっしてない。
 それと同時に、それ以外のすべてへの落ち着きのない切望が終わ
 らなければならないのだ。
                     『私は在る』(p241)
------------------------------------------------------------

(-||-)

> 質問者 探求とは、欠けていること、欲していること、未完成、
>     そして不完全を意味します。

ボブさんの場合は……どちらかと言うと……「探求」という言葉を
……このニュアンスで使うような気がします。

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 探求それ自体が問題なのです。
 探求している間、人は、何らかのことをすることで、今は持って
 いないけれど、将来それを得ることができるだろうという信念を
 抱いています。
                   『ただそれだけ』(pp111)
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と。

また
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 質問者 あなたがニサルガダッタに会いに行ったとき、何が起こ
     ったのですか?
 
 ボブ
 私はニサルガダッタが指摘していることをただ理解したのです。
 
 質問者 彼が言ったことで、あなたが本当に納得したのはどんな
     ことですか?
 
 ボブ
 彼はこう言いました。
 自分が人を助ける唯一の方法は、その人をもはや助けが必要でな
 い場所へ連れて行くことだ、と。
 さて、それが本当に意味しているのは、探求の終わりということ
 ではありませんか?
                   『ただそれだけ』(pp150)
------------------------------------------------------------
と。

しかしここでマハラジは……「探求」という言葉の……また別のニ
ュアンスを……紹介してるわけですよね。

> マハラジ
> いいや。
> それは不完全と未完成の拒絶と拒否を意味する。

と。

なるほど……そう言うふうにも言葉は使える……。(-_-)

いやー。

見事ですね。(*^_^*)

> 実在の探求自体が実在の動きなのだ。

うん。

> ある意味では、すべての探求は真の至福、実在の至福のためのも
> のだ。

はい。

> しかし探求ということで、私たちはマインドを超えた光としての、
> 意識的存在の根本である真我の探求を意味している。

わかります。

> この探求が終わることはけっしてない。

そういうことになりますね。

> それと同時に、それ以外のすべてへの落ち着きのない切望が終わ
> らなければならないのだ。

まさに。(-||-)

また……実在の探求者のための“ただひとつの瞑想”について……
マハラジはこうも言っています。

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 質問者 瞑想とは何でしょうか? 何がその効用なのでしょうか?
 
 マハラジ
 あなたが初心者であるかぎり、ある形式的な瞑想、あるいは祈り
 が向いているだろう。
 しかし、実在の探求者にはただひとつの瞑想があるだけだ。
 それは思考を潜ませることへの厳格な拒絶だ。
 思考から自由になること、それ自体が瞑想だ。
 
                     『私は在る』(p242)
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> 実在の探求者にはただひとつの瞑想があるだけだ。
> それは思考を潜ませることへの厳格な拒絶だ。

と……。(-||-)

最小限の仕事をこなし……あとはただ……いそいそと「私は在る」
に戻る……そういうのも……とても単純でいいです。

まあ……マインドの“片付けの魔法”……みたいなところも……あ
りますね。

元々存在していないエゴは……消滅するのを……勝手に怖がってい
るわけですよね。

そして……存在しているような幻想を保つために……不安を掻き立
てることしか……できないわけでしょう。

エゴには……実際は……どんなパワーもありません。

ただ……努力しなければならない……という幻想だけが……エゴが
掻き立てる騒音……パワーと言えば……パワーなのでしょう。

元々……存在するものは……存在するために努力する必要はないし
……存在しないものに……存在を脅かされることもない。

だから……不要な努力を避けることは……不可欠ですよね。

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 あらゆる試みを放棄しなさい。
 ただ在りなさい。
 努力してはならない。
 闘ってはならない。
 すべての支えを手放し、存在の感覚に盲目的につかまりなさい。
 それ以外のすべてを払いのけなさい。
 それで充分だ。
                     『私は在る』(p513)
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(-||-)

現れに……興味をもつことなく……在ることに……満足して。

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 あなたは在る。
 ほかのすべては現れにすぎない。
                     『私は在る』(p421)
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はい。(-_-)

(-||-)

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 永久的なもの、それはあなた自身の存在である。
 真我として在りなさい。
 それが至福である。
 あなたはいつもそれなのである。
                    『あるがままに』(p58)
                 
------------------------------------------------------------

……。(-_-)

ありがとうございました。<(_ _)>

(-||-)

今日はこんなところで。

……。

m(_ _)m


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■ 2.ボブさんの言葉:【力をもったどんな実体も存在しない】
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今回も……ボブさんの無断翻訳を……つづけます。

『Living Reality: My Extraordinary Summer With "Sailor" Bob
 Adamson』(『生きている実在:セイラー・ボブ・アダムソンと過
ごした途方もない夏』)からの抽出翻訳です。

ボブさんご夫妻は……アメリカにきてくれて……今は著者のジェー
ムズ・ブラーハの家に滞在しています。

7月21日に行われたボブ、デル、ジェームズの会話です。

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 ボブ
 あなたの経歴は?
 
 デル 私は1972年に探求をはじめました。私はTM(超越瞑想)
    からはじめました。それから他の瞑想やたくさんのことを
    試みました。長いこと把握しようとしてきました。それで、
    その把握のプロセスに人はどう明け渡すのでしょうか?
 
 ボブ
 あなたが話しているそのあなたというのは何ですか?
 あなたはそのなかを覗いたことがありますか?
 
 デル 私は今それに働きかけています、あなたの本を読んでから。
 
 ボブ
 あなたは自分が存在することを知っています、そうですね?
 あなたはそれを否定できません。
 その自分が存在することを知っていることは、マインドをとおし
 て「私は在る」という思考として表現されます。
 あなたが自分だと思っているその人とは、単なる精神的な像なの
 です。
 それには独立した本質が何もありません。
 もしあなたが意識していなかったら、あるいは気づいていなかっ
 たら――つまりもしその知っていることがそこになかったら――
 あなたは自分自身というその精神的イメージをもつことはできな
 かったはずです。
 ですから、そのエゴ、あるいは偽りの自己中心とは、すべてがそ
 こから評価される参照点であり、それは虚構なのです。
 そしてあなたは、全人生をその虚構とともに生きてきたのです。
 分離という観念は、その「私」という観念に基づいた虚構です。
 あなたが求めているもの、あなたはすでにそれなのです。
 
 その「私」という観念がはじまるやいなや、それはつねに対極の
 ペアのなかで機能します。
 もしそれが過去、つまり記憶でなかったら、それは未来、つまり
 期待や想像です。
 その範囲内で、それは対極のペアのなかで振動しているのです。
 良い/悪い、楽しい/苦しい、嬉しい/悲しい、と。
 あらゆることがそのあなた自身というイメージから判断されます
 が、それは過去の死んだイメージなのです。
 それが有効な参照点でないのは、過去からのものだからです。
 それは死んでいます。
 あなたが求めているもの、あなたはすでにそれなのです。
 あなたはこの現在の瞬間から外に出ることはできません。
 あなたは過去を思い出すことはできますが、過去の瞬間を生きる
 ことができるでしょうか?
 もちろんできません。
 あなたは現在に過去を思い出すことができるだけです。
 あなたは未来を想像することができますが、それはこの現在しか、
 たった今しかできません。
 ですから、これこそが現実なのです――この瞬間が。
 これこそがあなたが生きられる唯一の瞬間です。
 あなたは逆戻りして、過去を思いだすことができます。
 悟りや、そういうナンセンスをすべて期待することはできます。
 私たちはそういうことを何年もやってきました。
 そしてそうするなかで私たちは疑う余地のないものを見逃してき
 たのです。
 この現在という瞬間です。
 だから、これを見ることです。
 それを調べるのです。
 あなたは、あなたがあなたであるものと、つまり純粋な存在意識
 とともに残されるのを発見するでしょう。
 
 デル 私のすべての欲望が浮上してくるのを、私はどうすれば止
    められるのでしょうか?
 
 ボブ
 誰がですか?
 もう一度見てください。
 あなたが「私はどうすれば……」と言うとき、あなたは誰のこと
 を言っていますか?
 それに目を向け、それを尋ねるのです。
 わかりますね。
 欲望とは何か?
 ひとつの思考です。
 それはひとつの思考への固着です。
 もしあなたがある想念や思いつきに固着しなかったら、その想念
 は自由に流れます。
 いいですか、その固着はエネルギーの詰まりです。
 それはあるがままに対する抵抗です。
 あるがままに対するどんな抵抗も、葛藤です。
 あなたは思考を止めることはできません。
 それはただその思考にはどんな実体も、また独立した本質もない
 ことを理解するということなのです。
 あなたのなかには、何かを止めたり何かをしたりできる何らかの
 力をもったどんな実体も存在しません。
 しかしそれを理解することが重要なのです。
 その抵抗の認識は、無抵抗の地点から起こるに違いありません。
 その無抵抗の瞬間、あなたは在るのです。
 自分が抵抗していることを、あなたは無抵抗からしか認識できま
 せん。
 例えば、もしあなたが完全に狂っていたら、あなたにそれはわか
 りません。
 正気の地点からしか、あなたは自分の狂気を認識しません。
 その無抵抗の地点からの抵抗の認識のなかで、あなたはごく微妙
 なくつろぎに気づくでしょう。
 そしてしばらくして、それがより頻繁に起こるうちに、それはも
 っとはっきりしたものになります。
 その瞬間、そこに手放しがあります。
 
 デル しかしそれをどう手放すのですか?
 
 ボブ
 あなたにはできません。
 そこに何かをするあなたはいません。
 それはただ認識するという問題です――見守り、その瞬間に気づ
 いているということです。
 「どうやって」と言ったとたん、あなたはやり方を物色している
 のですが、あなたは再びそれを自己中心に、参照点に関係させて
 いるのです。
 
 デル その認識はどこから来るのですか?
 
 ボブ 
 純粋な知性エネルギーからです。
 あなたはたった今、自分が存在していることを知っています、そ
 うですね?
 あなたにはこの部屋のあらゆるものが見えていますね?
 それをあなたはどこから認識しているのですか?
 思考ですか?
 それは思考に先だって在るのではありませんか?
 あなたが考える前に、あなたはすべてを見ているのではありませ
 んか?
 
 デル はい。
 
 ボブ
 その自然に知ること、または純粋な知性エネルギー、それが本当
 のあなたです。
 その空虚、その認識する空、知る力に満ちた、知性に満ちた空で
 す。
 だから私はそれを、「神」や「霊」といった言葉ではなく、むし
 ろ「知性エネルギー」と呼ぶのです。
 なぜなら神については誰もが違った概念をもっているからです。
 それは混乱を引き起こします。
 私が話している知性エネルギーとは、宇宙で機能しているのと同
 じ知性です。
 それは星々を軌道に保ち、潮の満ち引きを保っています。
 それがあなたの心臓を鼓動させ、あなたの食べ物を消化し、とい
 ったことをしているのです。
 あなたは自分の細胞に成長するように告げる必要はありません。
 その「私」は何もできないのに、それができると私たちが信じて
 いるのは、私たちの焦点が考えることのなかにあるからです。
 
 デル 最近六ヶ月間というもの、私はたくさんの瞑想と自己探求
    をしてきました。ラマナ・マハルシは人びとに「私は誰か?」
    と問うようにと告げました。
 
 それであなたは何かを発見しましたか?

 デル いいえ。
 
 ボブ
 そうです、なぜならそこには何もないからです!
 あなたはけっして、マインドのなかにその答を見つけることはな
 いでしょう。
 
 デル それが私が探していた場所です。私たちの過去の条件づけ
    のために、私たちは答を求めているのです。そしてそこに
    答はありません。
 
 ボブ
 そのとおりです。
 マインドは二元論です。
 それは対極のペアのなかへと振動していくのです。
 
 デル もし私たちがマインドのなかに答を見つけられないのなら、
    私たちはどこでそれを見つけられるのでしょうか?
 
 ボブ
 フルストップ。
 
 デル どこにフルストップがあるのですか?
 
 ボブ
 たった今です。
 思考がないと、あなたに見えることが停止しましたか?
 あなたに聞こえることが停止しましたか?
 
 デル いいえ。
 
 ボブ
 ただ考えるのをやめただけでは、あなたは存在をやめもしなけれ
 ば、分解することもありません。
 フルストップはマインドに先立って在ります。
 思考がなくても、あなたはまだ存在しているのです。
 
 デル あなたはどうやって思考を止めるのですか?
 
 ボブ
 あなたはそれを止めません。
 あなたにそれを止めることはできません。
 そうではなく、思考が何であるかを理解するのです。
 あなたが自分に「もし自分がそれについて何も考えなかったら、
 たった今何が間違っているのか?」と尋ねるとき、あなたはどう
 するでしょうか?
 あなたはちょっと止まって調べるでしょう。
 その一瞬の沈黙の、その瞬間には、そこに思考はありません。
 そしてそこに思考がないとき、あなたは何を認識するでしょう?
 あなたは自分が何も言えないことを知ります。
 あなたには、いいとか悪いとか、そんなことは何も言えません。
 でもあなたは分解していない。
 あなたはやはり、自分が存在するというその基本的な「知」――
 マインドに先だって在るその存在意識なのです。
 そこで、あなたは考えるマインドと実在との――その純粋な知性
 との違いを理解します。
 それはつねにそこにあるのですが、私たちはあまりにもマインド
 に焦点が合っているために、それを無視するのです。
 私たちはマインドがすべてをやっているのだと思う。
 そうではないのです。
                  『Living Reality』(p152-155)
------------------------------------------------------------

……。(-_-)

今回のボブさんも……まさに圧倒的ですね。

> 欲望とは何か?
> ひとつの思考です。
> それはひとつの思考への固着です。
> もしあなたがある想念や思いつきに固着しなかったら、その想念
> は自由に流れます。
> いいですか、その固着はエネルギーの詰まりです。
> それはあるがままに対する抵抗です。
> あるがままに対するどんな抵抗も、葛藤です。
> あなたは思考を止めることはできません。
> それはただその思考にはどんな実体も、また独立した本質もない
> ことを理解するということなのです。

……。(-_-)

> あなたのなかには、何かを止めたり何かをしたりできる何らかの
> 力をもったどんな実体も存在しません。

(-_-;)

> しかしそれを理解することが重要なのです。

そうだ……それを理解することが重要なんだ。

ボブさんはそう言う。

理解することが重要なのだ……と。

そして……ミカエル・ラングフォードは……実在を体験しなければ
ならないのだ……と。

この辺りは……同じことに対する……二つの言い方とも……言える
なぁ。(-_-)

ニサルガダッタ自身に……その二つの表現が両方ともあるわけだ。

> あなたが自分に「もし自分がそれについて何も考えなかったら、
> たった今何が間違っているのか?」と尋ねるとき、あなたはどう
> するでしょうか?
> あなたはちょっと止まって調べるでしょう。
> その一瞬の沈黙の、その瞬間には、そこに思考はありません。
> そしてそこに思考がないとき、あなたは何を認識するでしょう?
> あなたは自分が何も言えないことを知ります。
> あなたには、いいとか悪いとか、そんなことは何も言えません。
> でもあなたは分解していない。
> あなたはやはり、自分が存在するというその基本的な「知」――
> マインドに先だって在るその存在意識なのです。
> そこで、あなたは考えるマインドと実在との――その純粋な知性
> との違いを理解します。

はい。

> それはつねにそこにあるのですが、私たちはあまりにもマインド
> に焦点が合っているために、それを無視するのです。

はい。

> 私たちはマインドがすべてをやっているのだと思う。
> そうではないのです。

わかりました。

ありがとうございました。

(-||-)


       ………○…………○…………○………


『私は在る』の「目次」はここ↓に置いてあります。
https://www.ascensionkan.com/books/I_AM_THAT-index.html

ときどき「ニサルガ辞書」で遊んでみてください。
https://www.ascensionkan.com/ndic/

新しい「ラマナ・マハルシ辞書」はここです。
https://www.ascensionkan.com/rdic/

おこがましくも『アセ通』既刊号はすべてここに置いてあります。
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       ………○…………○…………○………


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るメールなど、ご自由にお書きいただければと思います。


       ………○…………○…………○………


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       ………○…………○…………○………


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■ 3.編集後記:「私は在る」からの……リマインダー
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しばらく……こんな感じでつづくかな……とも思われます。

毎週届く……「私は在る」からの……リマインダー。

いいじゃありませんか。

余計なマインドに……でしゃばらせなくても済むし。

今日は……明るいうちに終わりました。

<(_ _)>


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■ 【作者】 『アセンション資料館』主人 pari
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  → メール: pariアットマークjk2.so-net.ne.jp
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