home > 通信 > 『アセンション館通信』第463号:情緒の配達を受け取る



━━━━☆☆☆☆━━━━━━━━━━━━━━ by paritosho ━
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 ☆☆     ☆☆『アセンション館通信』2013/2/17(第463号)
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☆☆      ☆★ 【気刊】――「私は在る」に導かれ♪――
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 ☆☆   ☆☆          https://www.ascensionkan.com/
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◇◇ このメルマガの趣旨 ◇◇

このメルマガはアセンション館主人 pari と称するあるパターンに
浮上している心象風景の報告です。

現象世界はすべて変化の意識であり、変化するものは永遠に変化す
るのみ、見かけの自分はその変化のなかの出来事にすぎません。

現象世界の一部が自分だと想像した、その想像の解体が夢の出口。

内容は人畜無害、でも読む人は相当変わっていますね。現在871名
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◇◇ もくじ ◇◇

1.情緒の配達を受け取る

2.ボブさんの言葉:【私は誰か(後半)】

3.編集後記:さあ……また焦点は……絞りましょう。
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■ 1.情緒の配達を受け取る
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悲しみ……という言葉があります。

この言葉で表わされるような情緒にも……色々なニュアンスがある
でしょうね。

いろんな情調が……浮上してくるんですが……それは……その背景
に……なんらかの自己同化が……あるからなんでしょうか。(-_-)

それとも……自己同化があろうがなかろうが……否が応でも……そ
れなりの情調は……浮上してくるものなんでしょうか。

自己同化自体も……別にわたしなどという……架空の人格が捏造し
たもの……でもないわけだし……。

起こるものは……起こる。

そこに何らかの解釈が……付随してもしなくても……その付随して
浮上してくる解釈も含めて……すべてはただ起こっているだけ。

誰が悪いわけでも……誰に責任があるわけでもない。

悲しい気持ちも……嫌悪感も……ただ……起こっているだけ。

事実を否定できる……誰かが……いるわけでもあるまいし。

けっして他にはありえない……あるがままとして……すべてはただ
起こっているだけ。(-_-)

(*^_^*)

さて、またまた一週間が過ぎて、楽しい“アセンション噺”ならぬ
「私は在る」噺に、お付き合いいただく今がやってまいりました。

『アセンション館通信』配達人の pari です。(^^)/

みなさま固有の「私は在る」を……いかがお過ごしでしょうか?

自慢じゃないですが……最近……とっても悲しいです。(-_-)

でも……ニサルガダッタは……教えてくれました。

誰が……その悲しさの……配達を受け取るのか……と。

その配達を受け取る……あなたとは……いったい誰か?

あなたは……本当に……存在するのか?

なるほどなぁ……。(-_-)

間違いなく……悲しさは……浮上してくる。

でも……その悲しさという情調は……存在しているわけではない。

目の前の空間に……ピンで止められているわけでもない。

悲しさに共振して……それに注意を払わなければ……その悲しさは
……一瞬現れて……消えていくだけ。

わたしは……在る……。

在るのは……いかなる個人性もない……存在の気づきだけ。

悲しさや……嫌悪感は……存在の気づきのなかに浮上してくる。

でも……存在の気づきは……それをどうすることもできない。

でも……注目しないことは……できる。

悲しさの配達を……受け取らないことは……できる。

……。

画商を生業にしていた……ある友人がいました。

彼は……展覧会場に入るときは……プロは……無防備に自分の感覚
を……全開してはいないものだ……と言っていました。

そんなことをすれば……すぐに感覚が麻痺してしまうから……と。

自分にとっての貴重な財産……自分の感覚は……閉じて入っていく
のだそうです。

そして……展覧会場の……メインの大広間の……中央に立つ。

そして……そこから……感覚を開いて……まわりを見渡す。

そうすれば……もしその会場に……ひときわ高いエネルギーを放っ
ている絵があれば……その絵が……自分を呼んでくれる。

そうしたら……まっすぐその絵に近づいて……絵の真ん前に立って
……自分の感覚を……全開にするのだと。

ひとつの展覧会で……そんなひとつの出逢いがあれば……もう充分
以上なのだと……そう彼は……言っていましたね。

後はひと通り……他の部屋も……さらっと眺めるだけだと。

感覚の世界ですら……そうなんですねぇ。

われわれはいかに無防備に……自分を感覚に晒して……自らのパワ
ーを手放し……現象世界に絡め取られてしまうことか。(-_-;)

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 解放への道には何も立ちはだかっていない。
 そしそしてそれは今ここで起こることができる。
 だが、あなたはほかのことにもっと興味がある。
 そしてあなたはその興味と闘うことはできないのだ。
 あなたはそれとともに行き、それを見抜き、それが単に判断と賞
 賛の誤りであることを、それ自体が自ら暴くのを見守らなければ
 ならないのだ。
                     『私は在る』(p475)
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……。(-||-)

最近……ヒロさんのサイトで……彼が過去に翻訳したジョーン・ト
リフソンの文章の……インデックスをまとめておられます。

http://resonanz360.com/2013/02/13/
ここにまとめて掲載されている文章は……素晴らしいです。

わたしは……なかでも「止まるということ」という文章から……か
つてない大きな安堵を……受け取りました。

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 私は長年にわたって、瞑想をしたり、目覚めを経験したり、非二
 元についての本を書いたりミーティングをしたりしてきた。
 だがそれでも、この瞬間に起こっていることに対して抵抗し、不
 快さ、心配、落ち着かなさ、不満足、不安、寂しさ、憂鬱、疑い、
 むなしさ、どのように表現してもいいのだが、そういう根本的な
 感覚から逃避しようとしていることが時々ある。
 突然、私は、無意味な虚空にただ独りでいるのだとか、自分の人
 生をめちゃめちゃにしてしまった、といったようなストーリーの
 説明に飲み込まれてしまう。
 なにかぞっとするほど気分の悪い状態の中に自分が溺れつつある
 という、不確かで心をかき乱すような感覚が生じる。
 私は本棚に駆け寄って役立ちそうなスピリチュアルの本を探すか、
 テレビをつけて無分別にいろいろなチャンネルを見て回るか、イ
 ンターネットで関心もないようなことについての記事を読み始め
 る。
 あるいは、衝動的に指を噛みながら、指を噛むのを止めたいとい
 う強い欲求と、噛み続けたいという抗しがたい衝動との間の葛藤
 の内側にますますきつく縛り付けられてしまったように感じる。
 身動きできないように感じ、逃げ道を必死に探しながらも、逃げ
 ることの出来ないうんざりする癖の中にはまりこんでしまったと
 感じる。……
             http://resonanz360.com/2012/07/12/
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どうです?

こんなことを書く覚者って……滅多にいないでしょ。(^_-)

自分がまた気分の配達を受け取ったら……トリフソンが定着してく
ださったこの理解に……また戻ってくるだろうと思います。

ジョーン・トリフソンのような方さえ……このように気分の配達を
……受け取るときがあるのです。

そう知ることが……どれほど大きな安堵を定着してくれることか。

それはただ……浮上する情緒の……配達を無防備に受け取ったため
に……起ったにすぎないこと……。

届けられた情緒は……受け取らなければ……ただ消えていく。

そして……いずれにせよ……わたしは在る。

在るのは……わたしだけ……。

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 今、深く内側に入っていきなさい。
 目覚めた眠りと言える状態のなかへ入っていきなさい。
 世界に気づくのではなく、自分自身に気づいている状態のなかへ
 と入っていきなさい。
 その状態のなかで、あなたは疑いの余地もなく、存在の根底では
 自由で幸福なのだと知るだろう。
 唯一の困難は、あなたが体験に耽溺(たんでき)し、記憶を大切
 そうに抱えていることだ。
 実際には、その反対なのだ。
 思い出されたことは、けっして実在ではなく、実在は今あるのだ。
 
                     『私は在る』(p442)
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……。(-||-)

現れに……興味をもつことなく……在ることに……満足して。

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 あなたは在る。
 ほかのすべては現れにすぎない。
                     『私は在る』(p421)
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はい。(-_-)

(-||-)

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 永久的なもの、それはあなた自身の存在である。
 真我として在りなさい。
 それが至福である。
 あなたはいつもそれなのである。
                    『あるがままに』(p58)
                 
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……。(-_-)

ありがとうございました。<(_ _)>

(-||-)

今日はこんなところで。

……。

m(_ _)m


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■ 2.ボブさんの言葉:【私は誰か(後半)】
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今回も……ボブさんの無断翻訳を……つづけます。

『Living Reality: My Extraordinary Summer With "Sailor" Bob
 Adamson』(『生きている実在:セイラー・ボブ・アダムソンと過
ごした途方もない夏』)からの抽出翻訳です。

ボブさんご夫妻は……アメリカにきてくれて……今は著者のジェー
ムズ・ブラーハの家に滞在しています。

2004年7月23日に行われた、ケリー、ボブ、バーブ、ジェームズの
会話の続きです。

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 【私は誰か(後半)】
 
 ジェームズ 非概念的、永遠に新鮮、自ら輝くもの、まさにこれ
       であり、それ以外の何ものでもない。でもある人々
       はこの教えを聞いたら「ええ、しかし私はその体験
       をしていない。私は解放が与えるはずのその感覚を
       持っていないのです」と言うでしょう。
 
 ケリー そう、本当はそれがまさに、それらの期待と概念そのも
     のから剥ぎ取られた上辺でしかないからだけど。
 
 ボブ
 その人たちはあらゆる素晴らしい体験について自分が読んだこと
 をすべて信じて、自分もそれを体験しなくてはと信じるのです。
 私はあらゆる類の体験をしました――ビジョンやヨガのクリアや
 見当もつかないようことを。
 
 ジェームズ われわれに話してもらえますか?
 
 ケリー いや、そういうものは聞きたくありません。自分を悩ま
     すだけなので、そういうことは聞きたくありません。そ
     ういう信念を持つことによるダメージを受けたからです。
     ジェームズは私にパタンジャリの本を見せてくれて、ク
     リシュナとかそういうあらゆる類の奇跡を見ることにつ
     いて話してくれました。私はすぐにその本を置きました。
     そういうのには腹がたちます。
 
 ボブ
 ええ、ジェームズは私にその本を見せました。
 私はチラッと見ただけですが、奇跡の話はすべてゴミです。
 無用なものです。
 
 ケリー ただゴミというだけではなく、それを読む学生には害に
     なるガラクタです。それは人を理解からさらに遠ざかっ
     た感じにさせるだけです。

 ボブ
 そして当人にもっと大きなもっとすごい体験を求めさせつづける
 のです。
 
 ケリー そしてそれがないと「私にはそれがない、私は充分じゃ
     ない」と考えるのです。

 ジェームズ そう、君が言っていることは本当だ。でも同時に、
       もし私がああいう本を読んでいなかったら、今ここ
       に座っていなかっただろうな。私はアドヴァイタを
       パパジの本[『Meeting Papaji』と『Nothing Ever
       Happened』というパパジの三冊の伝記]で読み始め
       た。非二元の教えはそれらの本の中にあった。もっ
       とも大部分は彼の奇跡のオンパレードだったけど。
 
 ケリー ジェームズと私は一時期アンディ・ライマーという先生
     のところで学んだんです。彼は悟りを二つの段階、目覚
     めと解放に分けていました。目覚めとは自分が身体やマ
     インドではないと理解するときです。解放とは安定した
     ときです。私はそれをもう二度と参照点、「自分」には
     捕まらない、という意味だと思います。
 
 ジェームズ 私は彼の悟りの定義に驚いたのを覚えています。彼
       は、それは自分の見かけや他人が自分だと考えてい
       るものではないということを、絶対の確実さで知る
       ときだと言いました。それは非二元の理解に似た感
       じでした。それはビジョンとか、パワーとか、サマ
       ーディとか、欲望の欠如といったこととは無関係で
       す。私は驚きました。しかし今は意味がわかります。
 
 ケリー ボブ、あなたはインドのグルたちが行うと思われている
     ああいうすべての奇跡の物語をどう思いますか? それ
     から悟った聖者が「故郷に帰る」準備ができた印に自分
     を壁で洞窟のなかに塗り込めるというような話を。
 
 ボブ
 それはすべて顕現のなかにあります。
 あなたであるその本質は、けっして生まれたことも死ぬこともあ
 りません。
 それはけっして変化しません。
 それは物ではありません。
 そして誰であれ、いかに偉大な賢人や見者であっても、彼らはそ
 の「no thing(物ではない)」もの以上に遠くに行くことはでき
 ないのです。
 彼らが現れているのは「no thing(無)」の上です。
 
 ケリー 私はその「no thing(物ではない)」という言い回しが
     大好きです。私がいつも一番明確に自分の手元にもって
     いる体験――本当はいつもそこにフォーカスしているわ
     けではないですが――しかしあなたがその「no thing」
     に焦点を合わせるやいなや、それこそが実在なのです。
     ここには何もありません。それは明らかです。明らかに
     肉体はありますし、物理的世界はあります。しかしそれ
     はすべてひとつであり、そのひとつのものは物ではない
     のです。人はそれを体験と呼ぶことはできない。それは
     何か活気ある洞察とでもいったようなものです。
 
 ボブ
 人々を二元性へと押しやるもののひとつは、これらの伝統の書物
 です。
 それはひとつの罠です。
 すべての伝統が存在は一体性だと――二番目のない一なるものだ
 と言っています。
 しかしその後で彼らは、それについて書くことによって二元性に
 入るのです。
 
 ケリー 私はどこかで、仏陀がそれは二番目のない一つだと言っ
     てから、その上に一万偈の詩句を書いたと読みました。
 
 ボブ
 仏陀は、あらゆる知覚ある存在はあなたの父であり、あなたの母
 だと言いました。
 ということは、仏陀、キリスト、そういったすべての人たちは、
 あなたの親だということです。
 そしてあなたは彼らの親だったのです。
 
 ケリー 彼はそれでどういうことを意味したのですか?
 
 ボブ
 波動する生命エネルギーがあらゆるものとして顕現してきました。
 本質において、すべてはその同じエネルギーです。
 
 別の題材で、聖書では神は自分の似姿に合わせて人間を作ったと
 言われています。
 人々はそれを、神は私たちのような姿をしているという意味だと
 考えます。
 しかしそのイメージは純粋な知性エネルギーなのです。
 
 ケリー その「no thing(物ではない)」です。
 
 ジェームズ [ふざけて]神は僕には似ていないって意味?

 ボブ
 本質において、彼はあなたです。
 
 ケリー 人々の多様な神のビジョンや体験の話しを聞くと、本人
     にとっては非常に本物で、ときには当人を覚醒に導くこ
     ともあるのですが、彼らはつねに自分が信じている神を
     見るんです。キリスト教徒はマリアとイエスを見るし、
     ヒンドゥ教徒はクリシュナとシヴァを見ます。ユダヤ教
     徒に誰か見る人がいるとは思いませんが。
 
 ジェームズ 燃えているのに燃え尽きないシバ。
       (旧約聖書の出エジプト記より)
 
 ケリー 聖書では、モーゼは「私は私であるものである」と言い
     ます。どれだけ多くの聖書学者がこの声明の真の意図に
     ついて何かの考えをもっているでしょうか? あるいは
     それがいかに完全であるかについて。
 
 ボブ
 私が講話をするとき「私は誰に向かって話しているのでもありま
 せん」と言います。
 私にそれができないのは、身体には独立した本質がないからです。
 もし身体のなかに生命力がなかったら、それは屍体です。
 また私はマインドに話してもいません。
 マインドは見ることも聞くこともできません。
 私はマインドを通じて「私は在る」という思考として表れている
 存在感覚に対して話しているのです。
 その存在の感覚は存在の意識、あるいは意識の存在です。
 それらは二つではありません。
 「まさにこれ、そしてそれ以外ではない」。
 そしてそれこそが自然状態の直接の表明です。
 あなたはそれと共にあり――それがあなたです。

                  『Living Reality』(p175-177)
------------------------------------------------------------

(-||-)

ボブさんが……いろんな体験をしたと言った時の……二人の聞き手
の反応の違いが……面白かったですね。

> ジェームズ われわれに話してもらえますか?
> 
> ケリー いや、そういうものは聞きたくありません。自分を悩ま
>     すだけなので、そういうことは聞きたくありません。そ
>     ういう信念を持つことによるダメージを受けたからです。
>     ジェームズは私にパタンジャリの本を見せてくれて、ク
>     リシュナとかそういうあらゆる類の奇跡を見ることにつ
>     いて話してくれました。私はすぐにその本を置きました。
>     そういうのには腹がたちます。

全体がそう現れているのだから……仕方がないですよね。

もう何度も聞いた……ボブさんのこの言葉ですが……、

> 私が講話をするとき「私は誰に向かって話しているのでもありま
> せん」と言います。
> 私にそれができないのは、身体には独立した本質がないからです。
> もし身体のなかに生命力がなかったら、それは屍体です。
> また私はマインドに話してもいません。
> マインドは見ることも聞くこともできません。
> 私はマインドを通じて「私は在る」という思考として表れている
> 存在感覚に対して話しているのです。
> その存在の感覚は存在の意識、あるいは意識の存在です。
> それらは二つではありません。
> 「まさにこれ、そしてそれ以外ではない」。
> そしてそれこそが自然状態の直接の表明です。
> あなたはそれと共にあり――それがあなたです。

本当に……そうですよね。

そうとしか……言いようはありません。

われわれが……自分という実体があるかのように……勘違いしてい
るだけで。

そして……その勘違いすらも……別にわれわれ個人がでっち上げた
わけではないのだし……。

本当に……あるがままです。

ありがとうございました。

(-||-)


       ………○…………○…………○………


『私は在る』の「目次」はここ↓に置いてあります。
https://www.ascensionkan.com/books/I_AM_THAT-index.html

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       ………○…………○…………○………


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       ………○…………○…………○………


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■ 3.編集後記:さあ……また焦点は……絞りましょう。
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天気のいい日でしたね。

さあ……また焦点は……絞りましょう。

注意力を……垂れ流す必要もないので。

今日は外に出ると……とっても寒い日ですね。

明るいうちに終えました。

<(_ _)>


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■ 【作者】 『アセンション資料館』主人 pari
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  → メール: pariアットマークjk2.so-net.ne.jp
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