━━━━☆☆☆☆━━━━━━━━━━━━━━ by paritosho ━
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☆☆ ☆☆『アセンション館通信』2013/3/24(第468号)
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☆☆ ☆★ 【気刊】――「私は在る」に導かれ♪――
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☆☆ ☆☆ https://www.ascensionkan.com/
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◇◇ このメルマガの趣旨 ◇◇
このメルマガはアセンション館主人 pari と称するあるパターンに
浮上している心象風景の報告です。
現象世界はすべて変化の意識であり、変化するものは永遠に変化す
るのみ、見かけの自分はその変化のなかの出来事にすぎません。
わたし(実在)が永遠の覚醒であることが真実であるため、それを
自認しないかぎり、わたしは永遠に悪夢のなかを彷徨うしかない。
内容は人畜無害、でも読む人は相当変わっていますね。現在869名
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◇◇ もくじ ◇◇
1.埴谷雄高さんと「興味」
2.ボブさんの言葉:【ラベル貼りはエネルギーを浪費する】
3.編集後記:母が亡くなってから……一年がすぎました。
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■ 1.埴谷雄高さんと「興味」
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春になると……木々の枝先に……微妙に芽吹きの色が加わります。
冬枯れていた近くの山々が……微かに色合いを変えていきます。
今日の朝の散歩では……もう道脇に……黄色の花が垂れているのを
見かけました。
山吹ですね……。
咲くものがいて……見る者がいる。
誰が咲いているんでしょうね。
そして……誰が見ているのか……。(-_-)
動くものがいて……それを見る者がいる。
“猫じゃらし”という植物がありますよね。
http://ja.wikipedia.org/wiki/猫じゃらし
(へー……エノコログサって言うのか。
犬っころ草(いぬっころくさ)が転じて……エノコログサ……に
なったんだ。)
あれを猫の前でゆすったら……まず猫は無視できない。(-_-;)
トムは……我が家で一番の瞑想家でしたが……でも猫じゃらしには
……抵抗できなかったでしょう。
猫も……人間も……同じですね。
眼前で……何やら魅力ありげなものに動かれたら……まずたいてい
の人間は……無視できません。
ほぼ全滅……と言っていいんじゃないでしょうか。
現象世界は……まあ……“人間じゃらし”ということかなぁ。
(*^_^*)
さて、またまた一週間が過ぎて、楽しい“アセンション噺”ならぬ
「私は在る」噺に、お付き合いいただく今がやってまいりました。
『アセンション館通信』配達人の pari です。(^^)/
みなさま固有の「私は在る」を……いかがお過ごしでしょうか?
大昔のことを……思い出しました。
「自立学校」……なんて言っても……知っている方はあまりいない
かもしれないけど……遠くから何度か通ったことがありました。
いえ……今言うところの「自立学校」ではありません。
大昔……早稲田大学近辺で開かれた……「自立学校」です。
吉本隆明と谷川雁が創設した……不定期夜間開講の……いうなれば
一種の“運動塾”みたいなものでした。
会場は……どなたの家なのか……普通の民家でしたね。
毎回……講師が変わるんですよね。
吉本さんは主宰者として……律儀に毎回出席されていましたけど。
谷川さんは三池闘争で忙しくて……滅多に顔を見せませんでした。
たまに出席すると……何かド迫力を発揮して……聴講者たち都会の
学生など……吹き飛ばされるような感じでしたね。(*^_^*)
もっとも……地方出身の学生が……多かったかもしれませんが。
わたしが一番楽しみにしていた講師は……埴谷雄高さんでした。
『死霊』の著者が……眼の前に座るわけですから
で……なんでこんなことを思い出したのか……。
あるとき四、五十人いた聴講者の誰かが……「埴谷さんは、興味と
いうことをどう考えますか?」……みたいなことを聞いたんです。
当時たくさんの質問があっただろうに……いま思い出せるのは……
この質問だけですから……よほど印象が強かったのでしょう。
と言っても正確には……質問自体の印象が強かったのではない。
むしろ……その質問に対する……埴谷さんの反応で……その質問が
記憶に残ったのだと思います。
というのは……そのとき埴谷さんが答えた具体的内容も……じつは
まったく覚えていませんから。
ただ……覚えているのは……この質問を受けた時の……埴谷さんの
反応だけです。
一瞬、間があって……「これは大きな問題が出てきましたね」……
とまず言葉にしたんです。
当時のわたしなどは……その返答を聞いて……“興味がどうしてそ
んなに大きな問題なのかな”……と不思議に感じたものです。
興味は……ただの興味なのに、と。
マインドの発達具合が……その程度だったのでしょうね。(^^;)
そのとき感じた違和感が……こうして今頃……こんなことを思い出
すきっかけになる……印象を形成したのでしょう。
そのとき質問した方も……もしかしたら……この埴谷さんの反応が
……ちょっと意外だったかもしれません。
そして……埴谷さんからこんな反応を引き出した自分が……ちょっ
と誇らしかったのではないでしょうか。
それはともかく……埴谷さんはそのとき……問題があまり大きいの
で、ちょっと宿題にさせてください……とまず応じました。
とは言え……目の前に大勢の聴講者が聞き耳を立てているので……
今考えられるのは……と色々誠実に答えていらっしゃいましたね。
そして……案の定……そのとき聞いたはずの言葉の方は……まった
く思い出せない……というわけです。
でも……埴谷さんの論理的感性は……「興味」というものが重大な
何かに……つながる可能性を感知した。
それだけは……間違いありません。
だから……あのように応答したのでしょう。
そして……聴講者のひとりだったわたしに……埴谷さんが感じてい
た何かが……こうして伝わったのでしょう。
そもそも……人はなぜ何かに……興味をもつのか?
しかし……そもそも……こんなことは……考えることで結論を……
ひねり出せるようなことなのか。
セイラー・ボブさんではありませんが……こういうテーマでは……
答えはマインドの中には……無いのでしょう。
あるいは……洞察は……マインドが捏造できるものではない。
洞察は……明晰さから……降ってくるものでしょう。
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あなたは時間のなかに広がるマインドをもっている。
つぎつぎとあらゆることがあなたに起こり、そしてその記憶が残
る。
それには何の誤りもない。
ただ、すべての有機的生命にとって本質的である過去の苦痛や快
楽の記憶が、ひとつの反射的作用、支配的行動として残るとき問
題が起こるのだ。
この反射作用が「私」という形を取り、身体とマインドをいつも
快楽の追求、苦痛からの逃避という目的のために使うのだ。
あなたが「私」を、ひと塊(かたまり)の欲望と恐れとして、
「私のもの」を、苦痛を避け快楽を確保するためにものごとや人
びとを抱擁するものとしてあるがままに認識したとき、「私」と
「私のもの」は、実在のなかに何の基盤ももたない偽りの観念だ
ということが理解できるだろう。
マインドによってつくられながらも、マインドがそれらを真実だ
と見なすかぎり、そのつくり出した者を支配する。
それが疑われた瞬間、それらは消え去るのだ。
『私は在る』(p404)
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(-||-)
マインドの領域内では……興味は……興味です。
どう理屈をつけてみても……マインドの理屈は……興味が湧くこと
自体を……どうすることもできない。
マインドはマインドの中で……何とか帳尻を合わせようとする。
何とかマインドの堂々巡りで……誤魔化そうとする。
そして意識のなかに……閉じ込めておこうとするのでしょう。
意識として死ぬことが……存在の消滅だと誤解して。
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何にもまして、私たちは意識しつづけていたい。
あらゆる苦しみや屈辱を耐えてでも、意識しつづけることを望む
のだ。
この体験への欲望に逆らって、顕現すべてを手放さないかぎり、
解放はありえない。
私たちは罠にはまったままなのだ。
『私は在る』(p346)
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(;_;)
> 何にもまして、私たちは意識しつづけていたい。
それは……確かです。
でも……永遠に“罠にはまったまま”でいなければならない……と
いうことではない。(-_-)
なぜなら……、
> 解放への道には何も立ちはだかっていない。
のだから。
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そしそしてそれは今ここで起こることができる。
だが、あなたはほかのことにもっと興味がある。
そしてあなたはその興味と闘うことはできないのだ。
あなたはそれとともに行き、それを見抜き、それが単に判断と賞
賛の誤りであることを、それ自体が自ら暴くのを見守らなければ
ならないのだ。
『私は在る』(p475)
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(-||-)
> そしてあなたはその興味と闘うことはできないのだ。
思うに……わたしという夢のなかで……最初に「興味」という言葉
が印象に残ったのは……埴谷さんの過剰なためらいが契機でした。
これが人間を引きずり回す……鼻輪だったとは。
> あなたはそれとともに行き、それを見抜き、それが単に判断と賞
> 賛の誤りであることを、それ自体が自ら暴くのを見守らなければ
> ならないのだ。
“猫じゃらし”ならぬ“人間じゃらし”とは……意識のなかにある
……現象世界そのもののことです。
果たして……現象世界に注目することで……そのこと自体の判断と
賞賛の誤りを……見抜くまでに至れるかどうか。(-_-;)
難しいところです。
語法は違いますが……マイケル・ラングフォード師は……その辺り
を……次のように短縮して処理します。
『永遠の至福への最も直接の手段』は次のように書き出されます。
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1. 以下は本書で用いられるエゴ、自己、思考という言葉の定義
だ。
2. 思考:思考とはあなたのマインドのなかのあなたの言語の言
葉だ。
3. もしあなたの母国語が英語で、あなたが英語で書き、英語を
話すなら、あなたのマインドのなかのそれらの同じ英語の言
葉が思考だ。
4. ある人々はひとつ以上の言語で話し、書き、考えるかもしれ
ない。
5. エゴ:エゴとは私という思考だ。
6. エゴとはその「私思考」だ。
7. 「私は幸福だ」。「私は悲しい」。「私はこれだ」。「私は
あれだ」。
思考のなかにはその「私」という言葉を含む非常に多くの文
章がある。
それらの文章ひとつ一つのなかのその「私」という思考がエ
ゴだ。
8. エゴこそが分離した個人的アイデンティティという観念だ。
9. エゴは身体や思考と自己同一化し、その身体や思考を「私」
と呼ぶ。
10. エゴとは思考だ。
11. エゴとは考えることだ。
12. 自己:自己とは無限で−永遠の−気づき−愛−至福だ。
これらはひとつの気づきを指し示す五つの言葉だ。
気づき−愛−至福は三つではない。それらはひとつだ。
13. 自己とは気づきである背景だ。
14. ほとんどすべての人間が外側の思考、身体、世界、人々、場
所、物事などに目を向ける習性であるため、あたかもその気
づきという背景(自己)が朝目覚めて夜眠りに就くように見
える。
15. もしあなたが自分の注意をその気づきという背景に向けるな
ら、最終的にはあなたはその気づきという背景が継続してい
ることを発見するだろう。
16. ほとんどすべての人間が外側の思考、身体、世界、人々、場
所、物事などに目を向ける習性であるため、あたかもその気
づきという背景に限界があるように見える。
17. もしあなたが自分の注意を、人々、場所、物事、思考などに
向けるのではなく、朝目覚める気づきに向けるなら、最後に
はあなたはその気づきが無限で−永遠の−気づき−愛−至福
であることを発見するだろう。
18. 朝目覚める気づきという背景は、人が夜眠りに就くまでのす
べての目覚めの時間にそこにある。
19. 思考は現れては消えるが、その思考に気づいている気づきと
いう背景は目覚めている時間すべてにわたってそこにあり、
現れたり消えたりはしない。
20. 気づきというその背景こそが真の自己だ。
28. あなたの思考となったその言語をあなたが学ぶ前にあなたが
存在していたという事実は、あなたの真の自己とその詐称者
との違いを暴露するのに役立つ。
29. あなたが今考える思考を産んだその言語をあなたが学ぶ前に、
気づきという背景としてあなたが存在していたのだから、そ
の「私」という思考が詐称者であることをあなたはたやすく
理解できる。
30. すべての思考はあなたの真の本質に反対している。
31. あなたはそれらを学習しなければならなかったのだから、あ
なたにはそれらの思考が自分の真の本質の一部ではないこと
がわかる。
32. あなたが二百もの異なる言語で流暢に話したり書いたり考え
たりできないのはそのためだ。
それはあなたがそれらの言語を獲得していないからだ。
33. あなたはその同じプロセスを幼児で観察することができる。
34. どんな言語も学習しないうちから、幼児が意識していること
をあなたは見てとることができる。
35. あなたはその子が成長しながら言語を学んでいくのを観察す
ることができる。
36. あなたはその子がいつ「私」という言葉を学び、その子がい
つ「私」という言葉を言い始めたかを観察することができる。
37. 自分のなかにどのようにその詐称者が生じ、またあらゆる人
間の幼児と子供のなかにどのようにその詐称者が生じるかを
理解できることは、非常に重要なツールだ。
38. それが非常に重要なツールである理由は、エゴが後天的な詐
称者であると自分に告げるためにあなたは他の誰にも頼る必
要がないことだ。
39. あなたはこれを自分自身で観察できる。
40. 思考は真の自己とは無縁の、異質な何かだ。
41. 思考は自己であるふりをする。
42. 思考は自己ではない。
43. 思考は詐称者だ。
44. 思考は思考が真の実体だと信じており、また思考は思考が真
の自己だと信じている。
45. 思考は真の実体ではなく、また思考は自己ではない。
46. 真の気づきから生きずに、思考から生きることがすべての人
間の苦しみの原因だ。
47. 詐称者(思考−エゴ)がすべての人間の問題、悲しみ、苦し
みの原因だ。
48. 気づきという背景こそが真の自己だ。
『The Most Direct Means to Eternal Bliss』(p8-12)
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と……。(-_-)
そして……その“気づきという背景”に……可能なかぎりの時間を
……焦点を合わせ続ける以外に……本質的方法はない、と。
それだけが……永遠の至福……だと。
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あなたは在る。
ほかのすべては現れにすぎない。
『私は在る』(p421)
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はい。(-_-)
(-||-)
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永久的なもの、それはあなた自身の存在である。
真我として在りなさい。
それが至福である。
あなたはいつもそれなのである。
『あるがままに』(p58)
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……。(-_-)
ありがとうございました。<(_ _)>
(-||-)
今日はこんなところで。
……。
m(_ _)m
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■ 2.ボブさんの言葉: 【ラベル貼りはエネルギーを浪費する】
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今回も……ボブさんの無断翻訳を……つづけます。
『Living Reality: My Extraordinary Summer With "Sailor" Bob
Adamson』(『生きている実在:セイラー・ボブ・アダムソンと過
ごした途方もない夏』)からの抽出翻訳です。
ボブさんご夫妻は……アメリカにきてくれて……今は著者のジェー
ムズ・ブラーハの家に滞在しています。
7月24日(土曜)夜に行われた、ボブ、ケリー、デル、エメット、
マーティン、バーブ、ジェームズの会話の続きです。
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【ラベル貼りはエネルギーを浪費する】
デル 私は理解しようとすることが緊張の原因になるのがわかり
ました。もし私がすべての努力を手放し、物事をただある
がままにしたら、すべてが納まるべきところに納まります。
テーブルはただテーブルで、ヘビはただヘビであるだけで
す。これを把握しようとするのは邪魔なだけです。
ボブ
あなたは試みたり試みなかったりすることはできません。
あなたにできるのは、ただ自分の抵抗を認識することだけです。
そしてその認識は非抵抗のポイントからしか起こりません。
もしあなたが完全に抵抗していたら、あなたにはそれはわかりま
せん。
あなたが抵抗を認識できるのは、非抵抗のポイントからだけです。
そしてそれは独りでに起きます。
あなたは微かなくつろぎに気づくでしょう。
それはますます多く起きるようになります。
デル そしてそれからフルストップ(ピリオド)に達する。
マーティン ちょっと質問したくなったことがひとつあります。
参照点を信じるのをやめると、そこにエネルギーの
新しい源泉が現れるというか、そこに拡大が起こる
ような気がするのですが。
ボブ
新しいエネルギーの源泉というのはありません。
しかし私たちのエネルギーの大部分は一日中思考過程に夢中にな
っていて、聞くこと、見ること、触ることなどには流れません。
考えることに注ぐのと同じほどのエネルギーを感じることに与え
るには、そこに全般的な開放性が在ることが必要です。
エネルギーが絶えず精神的お喋りや心配に流れて、感覚から取り
上げられるのではなく、均等に広がる必要があるのです。
マーティン 絶えずマインドのなかで行き詰まっていて、実際に
起こっていることに気づかないでいるより、そのほ
うがより生き生きとした経験だろうと想像します。
ボブ
人々があらゆるものにラベルを貼るのをやめると、物事が非常に
違って見え始めることがよくあります。
ラベル貼りはエネルギーの浪費なのです。
何かに対するどんな固着や執着も、また精神的なお喋りもエネル
ギーの浪費です。
そこに抵抗があると、エネルギーがエネルギーと葛藤しています。
「私はこれが好きじゃない」と言うとき、それはあるがままに対
する抵抗です。
それがエネルギーの流れを止めます。
マーティン ではすべての創造が見かけだと理解すれば、または
認識すれば充分なのですか? あなた自身は見かけ
が本当に実在かどうかは気にしないのですか? あ
なたはそれが見かけであると同時に実在でもあると
受け入れるのですか?
ボブ
それは本質において実在ですが、見かけにおいてではありません。
それは多数として現れているひとつの本質です。
問題は人々が見かけを鏡像と見なしても、自分自身を鏡像と見な
せないことです。
自分さえも鏡像であると理解すると、ひとつの鏡像が別の鏡像を
知ろうとしているようなものだということがわかります。
もし鏡が[つまり、絶対不可欠の一なるもの]なかったら、いか
なる鏡像もそこにはなかったでしょう。
マーティン ではあなたは見かけが見かけであることを罵ること
はないのですか?
ボブ
ありません。
マーティン 西洋には、というかギリシャ劇には、束の間のもの
には価値がないというメッセージがありました。何
らかの価値をもつためには、そこに永遠または不変
の実在という側面がなければなりませんでした。キ
リスト教には、肉体が腐敗または崩壊することに同
じような意味合いがあります。あなたのメッセージ
は違います。あなたは私たちが見かけと実在を混同
すべきではないと言っているようです。でもあなた
は見かけを罵らない。
ボブ
ええ、なぜならあらゆるものがすべてを包含するようになるから
です。
こういう言葉があります。
「最初、山があり川がある。
それから山と川は消える。
そして再び山と川が現れる」
と。
それは再びすべてを包含するのです。
エメット それが古いドノヴァンの歌です。
「最初山がある、それから山はない、そしてまたある」
『Living Reality』(p188-189)
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ドノヴァンというのは……わたしは知りませんでしたが……有名な
ロックシンガーだそうですね。
http://ja.wikipedia.org/wiki/ドノヴァン
> それは本質において実在ですが、見かけにおいてではありません。
> それは多数として現れているひとつの本質です。
ボブさんは……知的理解を……ここまで落とし込んだ。
それだけの必然性が……ボブさんというパターンにはあったという
ことでしょう。
> 問題は人々が見かけを鏡像と見なしても、自分自身を鏡像と見な
> せないことです。
知的理解から……“自分自身を鏡像と見な”すところまで……落と
し込めるかどうかは……御心のままに……かなぁ。
> 自分さえも鏡像であると理解すると、ひとつの鏡像が別の鏡像を
> 知ろうとしているようなものだということがわかります。
それはまさに……そうなんですよね。
> もし鏡が[つまり、絶対不可欠の一なるもの]なかったら、いか
> なる鏡像もそこにはなかったでしょう。
ですよねぇ。(-_-)
ありがとうございました。
(-||-)
………○…………○…………○………
『私は在る』の「目次」はここ↓に置いてあります。
https://www.ascensionkan.com/books/I_AM_THAT-index.html
ときどき「ニサルガ辞書」で遊んでみてください。
https://www.ascensionkan.com/ndic/
新しい「ラマナ・マハルシ辞書」はここです。
https://www.ascensionkan.com/rdic/
おこがましくも『アセ通』既刊号はすべてここに置いてあります。
https://www.ascensionkan.com/mm/
………○…………○…………○………
▼『アセ通』への「私は在る」関連ご意見投稿フォーム:
http://www.formzu.net/fgen.ex?ID=P48750702
というのを作らせていただきました。(^^;)
「私は在る」に関するご意見・ご感想・シェアリング、または単な
るメールなど、ご自由にお書きいただければと思います。
………○…………○…………○………
『アセンション館通信』への「ご投稿・情報提供」を歓迎いたします。
▼『アセンション館通信』への情報ご投稿フォーム
http://www.formzu.net/fgen.ex?ID=P87119518
………○…………○…………○………
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■ 3.編集後記:母が亡くなってから……一年がすぎました。
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起こることが……起こっています。
それしか……ありえないので。
母が亡くなってから……一年がすぎました。
マイケル・ラングフォード師に出会ったのは(もちろん本のことで
すけど)……去年の暮ですね。
起こるべきことが……起こっているのだな……とも思います。
すべては……鏡のなかで……鏡像として。
明るいうちに……終えました。
<(_ _)>
━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━
■ 【作者】 『アセンション資料館』主人 pari
━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━
→ メール: pariアットマークjk2.so-net.ne.jp
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