home > 通信 > 『アセンション館通信』第469号:至福:<気づいている空間>



━━━━☆☆☆☆━━━━━━━━━━━━━━ by paritosho ━
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 ☆☆     ☆☆『アセンション館通信』2013/3/31(第469号)
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☆☆      ☆★ 【気刊】――「私は在る」に導かれ♪――
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 ☆☆   ☆☆          https://www.ascensionkan.com/
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◇◇ このメルマガの趣旨 ◇◇

このメルマガはアセンション館主人 pari と称するあるパターンに
浮上している心象風景の報告です。

現象世界はすべて変化の意識であり、変化するものは永遠に変化す
るのみ、見かけの自分はその変化のなかの出来事にすぎません。

自分に何かができるという誤解も、何かができる自分など存在しな
いという正解も、ともに永遠の戯れの顕現に他なりません。

内容は人畜無害、でも読む人は相当変わっていますね。現在869名
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◇◇ もくじ ◇◇

1.至福:<気づいている空間>

2.ボブさんの言葉:【瞑想 と 調査】

3.編集後記:抵抗するものはすべて……誤解なのでしょう。
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■ 1.至福:<気づいている空間>
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自分にできることが何もないという観念は……その観念に含まれる
虚偽が少なければ少ないほど……まあ楽かもしれませんね。

だって……事実……できることは何もないわけですから。(^_-)

(*^_^*)

さて、またまた一週間が過ぎて、楽しい“アセンション噺”ならぬ
「私は在る」噺に、お付き合いいただく今がやってまいりました。

『アセンション館通信』配達人の pari です。(^^)/

みなさま固有の「私は在る」を……いかがお過ごしでしょうか?

“あるがまま”に対して注文が出るのは……上手く注文すれば……
望みが叶うかも……という観念があるからかもしれません。

実際……そういう観念の道をたどるマインド群……つまりそのよう
な物語を紡ぐ……人もあるようです。

ここで……そういう人もある……と言ったとたん……“自分”はそ
うではないが……という含意を表現することになります。(^_-)

言葉は……何を語っても……その言葉の拠って立つ……その場所を
表現することになります。

ぶっちゃけ……表現とは……そういうものですよね。(^^;)

じゃあ……いかなる自らの場所も表現しない……そのような表現と
いうものはあるのか? (-_-;)

でも……そんなら……何のために表現するの? (?_?)

ってことにもなります。(^_-)

マインドの常で……すぐ言葉の流れに足を取られて。(*-_-*)

要するに……表現とは自らを規定することだ……ということです。

表現するには……自らの場所を規定しなくてはならない。

それ以外に……表現のしようはありません。

すべての顕現は……見かけ上の……自己規定の集合でしょう。

その顕現に対して……何らかの感想が出てきたら……それは顕現の
集合への……参加意志の表明……ということになるでしょうね。

平たい言葉で言うなら……巻き込まれる……ということです。

顕現への興味があり……参加するためのエネルギーがつづくかぎり
……これはもう……立候補し続けるしかありません。

そこに選択の余地など……まったくありえないでしょう。

自分が参加しているという……観念が継続するかぎりは……参加し
続けるしかないと思います。

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 あなたが途方もない努力をしないかぎり、努力はあなたをどこへ
 も連れていかないと得心することはないだろう。
 自我はあまりにもうぬぼれが強いため、完全に落胆させられるま
 ではあきらめることがないからだ。
 単なる言葉の上の確信では充分ではない。
 厳しい事実だけが自己イメージの絶対的な不毛を示すことができ
 るのだ。
                     『私は在る』(p542)
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> 自我はあまりにもうぬぼれが強いため、完全に落胆させられるま
> ではあきらめることがないからだ。

(>_<)

チ・ビ・シ・イ……。(;_;)

(*^_^*)

というわけで……自分が表現しているという観念が続くかぎり……
どこまで続く泥濘(ぬかるみ)ぞ……というわけです。

でも……「巨人は永遠です」……もとへ……エゴは永遠です……と
いうわけでもありません。(-_-)    \←……(\/U)

さすがに自惚れの強いエゴにも……一瞬……これは本当に自分がし
ていることなのか……と疑念が生じることもある、うん。(-_-;)

高校生の頃……夢にある女生徒が出てきて……あれ、あの子が好き
だったっけ (?_?)……と後で不思議に思ったことがあります。

あんまり関係ないか。(*-_-*)

まあ……そういうわけで……エゴもいつか……エゴの存在に飽きる
……可能性無きにしもあらず。

でも……それもまた……ただ……起こるべきことが……起こってい
るだけ……なのでしょう。

疑念が生じても生じなくても……その疑念が追求されてもされなく
ても……すべてはただ……あるがまま……です。

見かけの中に……称賛が生じたり……批判が生じたり……している
だけなんですよね。

……。(-_-)

(@_@)

ところで……よく訪問させていただくヒロさんのサイトで……この
ところレオ・ハートンという方が……翻訳掲載されています。
http://resonanz360.com/

どれも素晴らしいのですが……その記事を辿って……過去に翻訳さ
れた……「至福は得られない」という文章に出会いました。

かなり深刻な経済状況にいて至福を求める……ある質問者への……
彼の言葉です。

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 起こっているすべてのことは、「あなた」の人生を本当に生きて
 いるものは何なのかを見るように仕向けている刺激なのです。
 もし「あなた」の思考や感情をコントロールできる「あなた」が
 実際に存在していたなら、あなたは自分で不幸な思考や感情を選
 択するでしょうか? 
 繰り返しますが、私はあなたはどうにもならないと言っているの
 ではなく、どうにもならない状態にあったりできるようなあなた
 というものは存在しないということを言っています。
 
 あなたが書いた問題は痛ましいものです。
 「あるがまま」と共にあろうという意思があればあるほど、何が
 起こるのかということに関係なく、より平安の中にあるようにな
 ります。
 あなたが探し求めている至福は、まさにその探すことによって、
 また、ものごとが異なる状態にあることを望むことによって、覆
 い隠されます。
 荘子が言った通り、幸福を得ようと努力することがなくなったと
 ころに幸福がある、ということです。
 
 私たちが物事を変えようとすればするほど、痛みは大きくなりま
 す。
 私たちはここで矛盾にぶつかるようです。
 というのは、物事が違った状態であることを望むときも、それ自
 体もまたものごとがそのようにあるということであり、それも受
 け入れられるかもしれないのです。
 
 至福はあなたが獲得できる何かではなく、本質的にあなたがそう
 であるものです。
 それは、その中で相対する痛みと喜びが生じる<気づいている空
 間>です。
 それは、万物がそこから現れ、そしてその中にまた溶解していく、
 深遠な静寂です。
 それは、原因のない喜びであり、困難に影響されることはありま
 せん。
 鏡が、映るものに影響されないのと似ています。
 あなたは<それ>であり、あなたはその中に「あなた」と現在の
 痛みが映される鏡です。
 
 このことが誰でもない誰かに認識され受け入れられたとき、そこ
 にあるのは平安です。
 相対的なレベルで、苦しみが続くかもしれませんし、出口が開か
 れるかもしれません。
 あなたの本質は至福そのものであり、それを追い求めたり獲得し
 たりできる人は存在しません。
 それはシンプルで純粋な存在です。
 あなたは<それ>なのです。
 
              至福は得られない レオ・ハートン
             http://resonanz360.com/2011/09/25/
------------------------------------------------------------

……。(;_;)

(-||-)

途中で切れなくて……思わず長い引用になってしまいましたが……
この文章……感動的ではありませんか?

> 至福はあなたが獲得できる何かではなく、本質的にあなたがそう
> であるものです。
> それは、その中で相対する痛みと喜びが生じる<気づいている空
> 間>です。

覚者が語る……至福の定義ですねぇ。

この簡潔な二行の文章ですが……その意味を理解できるマインドは
……この言葉を……否定することができないでしょう。

至福とは……あなたが獲得したり失ったりできるようなものでなく
……あなた自身が……至福なのだ、と。

たとえ……とても信じられない……と思っても……次の言葉は……
(これを読んでいる方は)どなたも……否定できないでしょう。

あなた(すなわち至福)とは……「その中で相対する痛みと喜びが
生じる<気づいている空間>です」……と。(-_-)

この至福からは……誰も抜け出られないんですよね。

抜け出ようとするかぎり……あるいは気に入った画面を手元にとど
めて置こうとするかぎり……不幸は决定です。

そんなこと……金輪際……できっこないわけだから。

でも……気にするのをやめると……見かけは……遠くチラチラ瞬く
……テレビ画面にでも……なるのかもしれません。

在っても……無くても……どうでもいいものになる。

鏡が在るがゆえに……鏡像は映る。

でも……その鏡像は……鏡に触れることすらできない。

ただ……鏡像に……自前で存在しているという……自惚れた誤解が
……起こっているだけ。

ついでに……マハラジの表現も……聞いておきましょう。

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 苦痛と快楽は、至福の海の波の頂と谷間だ。
 その底深くには完全な充足があるのだ。
                     『私は在る』(p183)
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もういっちょ。

------------------------------------------------------------
 存在の静かな状態が至福なのだ。
 乱された状態が世界として現れる。
 非二元性のなかには至福がある。
 二元性のなかには体験がある。
 来ては去っていくのは苦痛と快楽の二元性の世界だ。
 至福とは知られるものではない。
 人はつねに至福なのだ。
 しかし、けっして至福に満ちているのではない。
 至福とはひとつの属性ではないのだ。
                   『私は在る』(p124-125)
------------------------------------------------------------

……。(-_-)

至福が在るか……体験が在るか……なのか。

だったら……世界を見ているかぎり……至福はないわけだ。

> 至福とは知られるものではない。
> 人はつねに至福なのだ。

至福は……あなたの自惚れた……知覚に映るようなものではない。

あなたがその知覚の根拠……あなたがその至福なのだ……か。

そう聴いて……満足すれば……それでいいんだな。

もしそうできるなら……そうしなさい……か。(-_-)

------------------------------------------------------------
 あなたは在る。
 ほかのすべては現れにすぎない。
                     『私は在る』(p421)
------------------------------------------------------------

はい。(-_-)

(-||-)

------------------------------------------------------------
 永久的なもの、それはあなた自身の存在である。
 真我として在りなさい。
 それが至福である。
 あなたはいつもそれなのである。
                   『あるがままに』(p58)
------------------------------------------------------------

……。(-_-)

ありがとうございました。<(_ _)>

(-||-)

今日はこんなところで。

……。

m(_ _)m



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■ 2.ボブさんの言葉: 【瞑想 と 調査】
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今回も……ボブさんの無断翻訳を……つづけます。

『Living Reality: My Extraordinary Summer With "Sailor" Bob
 Adamson』(『生きている実在:セイラー・ボブ・アダムソンと過
ごした途方もない夏』)からの抽出翻訳です。

ボブさんご夫妻は……アメリカにきてくれて……今は著者のジェー
ムズ・ブラーハの家に滞在しています。

7月25日(日曜日)に行われた、ケリー、ジェームズ、ボブ、デル、
ジュディ、パットの会話です。

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 ケリー、ジェームズ、ボブ、デル、ジュディ、パット
 7月25日(日曜日)
 
 【瞑想 と 調査】

 デル 昨夜私は、もう何年も読まなかった鈴木大拙の『禅仏教』
    を読んでいました。非二元論の光の中で、この本の意味が
    ずっとわかるようになりました。
 
 ボブ
 ええ、それはこの知識を得た人々にとても良くあることです。
 突然、以前読んだことのある本が蘇るのです。
 
 ジュディ 人のエネルギーがより高いレベルで機能し始め、そこ
      では人の体験や私たちが創造するものがより美しく、
      もっと微妙で壮大になることはありえますか?
 
 ボブ
 まず、それは「あなたの」エネルギーではありません。
 それは創造として表現しているひとつの宇宙的エネルギーです。
 そしてそれはあらゆる多様性のなかで、つまりあらゆる対極のな
 かで顕現します。
 ですからそのエネルギーは、あなたが言う、高かったり低かった
 りする方法で表現できるし、またするでしょう。
 しかしそれはすべて同じエネルギーなのです。
 あなたは何であれあなたが引き寄せられる必要があるものに引き
 寄せられることになります。
 それはひとつの混沌状態ではありません。
 ときには私たちの限界のある視野からは、そう見えるかもしれま
 せんが。
 しかし百五十億光年の彼方からは、それはかなり秩序正しく見え
 ることでしょう。
 全体としては、生命は完璧に機能しています。
 
 デル ボブ、あなたは瞑想しますか?
 
 ボブ
 瞑想するような人は誰もいませんし、瞑想するようなことも何も
 ありません。
 ですから、私は瞑想の外に在ることはできません。
 それは無努力で自ずから継続する自然な瞑想です。
 そこにはどんな気を散らすものもけっしてありません。
 
 デル 私が自己探求をするとき、それは瞑想なのでしょうか?
 
 ボブ
 それは調査です。
 
 デル 瞑想と調査の違いというのは何ですか?
 
 ボブ
 瞑想はマインドを静かにさせようとしています。
 自己探求では、あなたはマインドを使って、存在するのが無心で
 あること、つまり自己中心や個人が存在しないことを見い出そう
 と調べているのです。
 
 デル あなたのニサルガダッタとのプロセスでは、あなたは自己
    探求に関わっていたのか、それともニサルガダッタからの
    「トランスミッション(伝達)」に関わっていたのですか?
 
 ボブ
 そこにはプロセスはありませんでした。
 当時私はそのことを知りませんでしたが、そこに「自分」は存在
 しませんでした。
 あったのはニサルガダッタがした指摘による解放でした。
 私はそれを理解できたのです。
 その瞬間の直接性のなかで、私はここにどんな実体も存在しない
 ことを理解しました。
 私が参照できるどんな具体物も、どんな実体も、独立した本質を
 もつ身体やマインドもありませんでした。
 しかし、それが分かっても、私は死にも分解もしませんでした。
 私はただあるがままに、その存在性あるいは存在として在るだけ
 でした。
 そしてその存在性はつねにあなたとともに在ります。
 
 もし私が、あなたが子供の頃にした何かについて尋ねたら、あな
 たは私に何かの話を聴かせるでしょう。
 もし私が「どうしてそれが分かりますか?」と聞いたら、あなた
 は「私は知っている」と言うでしょう。
 もし私が「あなたは当時今持っている身体と同じ身体を持ってい
 ましたか?」と聞いたら、あなたは「いや、その身体は変化した」
 と答えるでしょう。
 ですから、その身体はあなたではないのです。
 その身体の中のあらゆる細胞は今では置き換わっています。
 もし私が「あなたは、あなたが今持っているのと同じ自分につい
 てのイメージを持っていましたか?」と聞いたら、あなたは「い
 いや、間違いなく持っていなかった」と言うでしょう。
 それ以来、あなたのイメージは絶えず変化してきました。
 ではそのときあなただったそれは何だったのでしょうか?
 それは今あるのと同じ知識でした。
 そのなかですべてが現れては消えるそれです。
 そのエッセンス、あるいは自分が存在すると知っていることは、
 あなたに起こったどんなドラマやトラウマにもけっして汚染され
 ることはありませんでした。
 それは触れられることはありません。
 それはあなたが今在るという直接性です。
 私が言っていることをあなたが解読しようとする前に、その存在
 の感覚はつねにあなたとともにあります。
 そしてマインドにとってはそれは「無」です。
 その無を、あなたはけっして思考や概念で把握できません。
 あなたは無なのです! [笑いながら]
 
 パット その「知ること」と「在ること」という言葉は同じもの
     ですか?
 
 ボブ
 ええ。
 ヒンドゥ教徒は「サット・チット・アーナンダ」――存在・意識
 ・至福という言葉を使います。
 それらの三つのことは別のことではありません。
 それらはひとつのことの三つの側面です。
 存在は在ることです。
 意識は知ることです。
 至福とは在ることを愛することです。
 ですから、在ること、知ること、そして愛することはつねにあな
 たとともにあります。
 そのサット・チット・アーナンダは実際はあなたであるものです。
 それはあなたが達成したり取得したりしなければならないもので
 はありません。
 あなたはけっしてそれ以外であることはありません。
 ニサルガダッタはそれを別のふうに言いました。
 彼は、在ることの気づきは至福だ、と言いました。
 そうではありませんか?
 あなたは生きていることを愛しているのではありませんか?
 
 パット 「愛」という言葉についてはどうですか?
 
 ボブ
 それはあなたがどんな愛について話しているかによります。
 もしあなたが愛と憎しみの関係性について話しているのなら、そ
 れはつねに対極のペアの中にあります。
 それはマインドの事柄です。
 もしあなたが「原因のない愛」について話しているのなら、それ
 が在ることの光です。
 愛とは、光を表すもうひとつの言葉です。
 誰かが死んだときにはいつでも、人間であれ動物であれ、最初に
 起こることは、その目から光が失われることです。
 その光が愛です。
 
 デル それは私にハフィッツの詩を思い出させます。「このすべ
    ての時間の後にさえ、太陽は地球に『お前は私の恩を受け
    ている』とは言わない。そのような愛に何が起こるのかを
    見なさい。それは空をすべて明るく照らす」と。
 
 ボブ
 彼は理解したのです。
 
 パット ハフィッツのもうひとつの詩もあります。「神は4つの
     単語しか話さない。『Come dance with me.(来て、私と
     一緒に踊りなさい』」。
 
                  『Living Reality』(p189-191)
------------------------------------------------------------

> 存在は在ることです。
> 意識は知ることです。
> 至福とは在ることを愛することです。

はい。

> ですから、在ること、知ること、そして愛することはつねにあな
> たとともにあります。
> そのサット・チット・アーナンダは実際はあなたであるものです。
> それはあなたが達成したり取得したりしなければならないもので
> はありません。
> あなたはけっしてそれ以外であることはありません。

……。(-_-)

今日はどうやら……われわれが逃れられない「至福」が……テーマ
のようですね……。

ありがとうございました。

(-||-)


       ………○…………○…………○………


『私は在る』の「目次」はここ↓に置いてあります。
https://www.ascensionkan.com/books/I_AM_THAT-index.html

ときどき「ニサルガ辞書」で遊んでみてください。
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おこがましくも『アセ通』既刊号はすべてここに置いてあります。
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       ………○…………○…………○………


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というのを作らせていただきました。(^^;)

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       ………○…………○…………○………


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       ………○…………○…………○………


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■ 3.編集後記:抵抗するものはすべて……誤解なのでしょう。
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すべてを受け入れる……すべて諦める……同じことですかね。

抵抗するものはすべて……誤解なのでしょう。(^_-)

在るのは……至福のみ……かぁ。

明るいうちに……終えました。

<(_ _)>


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■ 【作者】 『アセンション資料館』主人 pari
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  → メール: pariアットマークjk2.so-net.ne.jp
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