home > 通信 > 『アセンション館通信』第472号:『意識は傍観者である』



━━━━☆☆☆☆━━━━━━━━━━━━━━ by paritosho ━
  ☆☆   ☆☆ 
 ☆☆     ☆☆『アセンション館通信』2013/4/21(第472号)
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☆☆      ☆★ 【気刊】――「私は在る」に導かれ♪――
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 ☆☆   ☆☆          https://www.ascensionkan.com/
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◇◇ このメルマガの趣旨 ◇◇

このメルマガはアセンション館主人 pari と称するあるパターンに
浮上している心象風景の報告です。

現象世界はすべて変化の意識であり、変化するものは永遠に変化す
るのみ、見かけの自分はその変化のなかの出来事にすぎません。

その自分に何かができるという誤解も、何かができる自分など存在
しないという正解も、ともに永遠の戯れの顕現に他なりません。

内容は人畜無害、でも読む人は相当変わっていますね。現在865名
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◇◇ もくじ ◇◇

1.『意識は傍観者である』

2.2.ボブさんの言葉:【欲望は諦めなくてはならないか?】

3.編集後記:自分が……やっているつもりなんだよなぁ。
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■ 1.『意識は傍観者である』
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今日はちょっと面白い試みをしています。(^^)

この文字を……十本指を使って……入力しているのです。(*^_^*)

何をバカなこと言ってるの……と思うでしょ。

今まで何本指を使って入力してたの(?_?)……と。

じつは、今までは六本指を使って……入力していたのです。

左手は五本……右手の指を一本使って。

右手の指は……小指一本を使っていました。

このメルマガを書き始めたころは……十本指を使っていたかもしれ
ません。

ある時から……どうも右手が不自由になって……ついに親指一本に
切り替えました。

二十年近く以前……バレーボールか何かをいじっていて……右手の
中指を突き指したのです。

すぐに病院か接骨院でも……行けばよかったのに……なぜかちょっ
と……ケチってしまいました。(*-_-*)

バカな判断でした。(^_-)

でも……それが映画のシナリオだったみたいで……まあ……仕方が
ないです。

それから一時……十本指に復活できたんだけど……いつからかまた
使いにくくなってきて……また右手を一本に切り替えました。

今度は……親指が内側に巻き込むものだから……小指にしました。

それでずっと……打っていたんだけど……半年くらいまえから……
どうも右肩が痛だるくなってきたんです。

寝相のせいかとか……ホルモンの関係で筋肉が落ちてきたから?と
か……いろいろ考えました。

そして今日……目覚めのときに……それが小指の一本打法のせいに
違いない(@_@)……とわかりました。

で……今日から……遅くてもいい……十本打法に戻ろうと決心した
というわけです。

映画のシナリオで……そうなっているものだから。(^_-)

まあ……こうやって打てるんだから……問題ないですね。

(*^_^*)

さて、またまた一週間が過ぎて、楽しい“アセンション噺”ならぬ
「私は在る」噺に、お付き合いいただく今がやってまいりました。

『アセンション館通信』配達人の pari です。(^^)/

みなさま固有の「私は在る」を……いかがお過ごしでしょうか?

現れはすべて……バランスで成り立っているものですね。

このごろはとんと……本を読むことが減りました。

でもやっと今日……だいぶ以前に買った『意識は傍観者である』と
いう本を読み終えました。

ノロノロ読んでおおきながら……そんなことを言うのもなんですが
……とても面白い内容の本です。

ただし『意識は傍観者である』という日本語タイトルは……ちょっ
と違反っぽい感じもあります。

違反ぽいと言っても……わたしはそのタイトルに惹かれて買ったわ
けだから……正解だったのかもしれないけど。(^^;)

原題は「Incognito」という「匿名で、変名で、偽名で、お忍びで、
身分を隠して」と言った意味の言葉(副詞・形容詞)みたいです。

脳神経学者デイヴィッド・イーグルマン博士の真意は……黒子で、
我々を演じてくれている脳……といったニュアンスかなぁ。

覚者たちが伝える“行為者はいない”という概念……まさにそのも
のを脳神経学の最先端が裏づけつつあるような内容です。

------------------------------------------------------------
 行為が必要なときには、行為は起こる。
 人は行為者ではないのだ。
                     『私は在る』(p279)
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どうやらそのように……設定されているみたいなんですよね。

ラメッシ・バルセカールの言葉を……復習しておきましょうか。

------------------------------------------------------------
 私の教えの基本は、
 「意識が存在するすべてである。
  つまり『誰』もどんな行為もしていない。
  神の意志がなければ、何ごとも起こらない」
 というものです。
 そして、私が「神」と言うとき、この現象界の内側や外側にいる、
 全能なる存在のことを言っているのではありません。
 私が「神」と言うとき、それは、源泉、意識、つまり二番目のな
 い一なるものを意味し、その中で、現象化が起こっています。
 
 仏陀は次のように言っています。
 「出来事は起こり、行為はなされるが、そこに個々の行為者はい
  ない」。
 これが基本です。
 これ以上短く、シンプルな言葉でこのことを表現できた人はいな
 いと思います。
 出来事は起こり、行為はなされるが、そこに個々の行為者はいな
 い。
 ですから、個々の行為者がいないのであれば、「誰」がそれをす
 るのか、という質問は不適切です。
 けれども、知性が質問して、答えを得なければならないというな
 ら、知性は、
 「誰の行為か?――神の行為です」
 と教えられるのです。
 
               『誰がかまうもんか?!』(p27-28)
------------------------------------------------------------

(-||-)

> 「意識が存在するすべてである。
>  つまり『誰』もどんな行為もしていない。
>  神の意志がなければ、何ごとも起こらない」

この言葉を……ただそのまま……何の留保もつけずに信頼できたら
……もうそれでいい……わけなんでしょうね。(;_;)

上の言葉を引用したのは……もう四年も前のことでした。
https://www.ascensionkan.com/mm/vol323.html#1-1

でもそのときは……その言葉を信頼するというには……ほど遠かっ
たと思います。

ではその時に比べて……今はどうなのか……。

タフネスを……失ってきたか。

やっと……お手上げになってきたか。(-_-)

「神の意志がなければ、何ごとも起こらない」……。

そうだよなぁ……それが一番楽だよなぁ……って思います。

藻掻くのも……諦めるのも……すべてわたしがやっている……わけ
ではないし……。

そうなることになっている……のだと思えてきます。

『意識は傍観者である』は……たとえば、次のよな実験の報告から
……書き起こしています。

(相変わらず長い引用をしますが……無断引用と言うよりは……
 無料宣伝とご理解いただけると……ありがたいです。m(_ _)m)

------------------------------------------------------------
 最近のある実験で、被験者の男性がさまざまな女性の顔写真を見
 て、どれくらい魅力的と思うかランクづけするように言われた。
 写真は二五センチ×二〇センチ、女性はカメラにまっすぐ顔を向
 けているか、斜め横顔を見せている。
 男性たちには知らされていなかったが、写真の半分は女性が目を
 見開いていて、残りの半分はそうしていなかった。
 すると男性は一貫して、目を見開いた女性のほうに魅力を感じた。
 注目すべきことに、彼らは自分の判断の理由をわかつていなかっ
 た。
 「こちらの写真ではこちらの写真に比べて女性の瞳孔がニミリ大
 きいことに気づきました」と言う人はいない。
 ほかの女性よりも魅力的な女性がいると感じただけで、その理由
 をはっきり指摘することはできなかった。
 それなら、選んでいたのは誰なのか? 
 私たちにとって脳の働きはその大半がアクセス不能だが、そのな
 かの何かが、女性の見開いた目は性的な興奮や期待と関連がある
 ことを知っていた。
 脳は知っていたが、被験者の男性は知らなかった――少なくとも
 明確には。
 男性たちは、美の概念や魅力を感じる感性が奥深くに生まれつき
 備わっていて、何百万年にわたる自然洵汰で形成されたプログラ
 ムによって正しい方向に舵取りされていることも、知らなかった
 だろう。
 いちばん魅力的な女性を選んでいるとき、その選択は本当は自分
 のものではなくて、何十万もの世代を経るあいだに脳の回路に深
 く焼きつけられた成功プログラムの選択であることを、彼らは知
 らなかった。
 ……
               『意識は傍観者である』(p13-14)
------------------------------------------------------------

なんと。(@_@)

これではまるで……自分で選んだと思っていたことが全部……じつ
は脳の指示に従っただけ……ということのようです。

なるほど……。(-_-;)

『意識は傍観者である』には……われわれ人間の意識と……潜在意
識というか……神の仕事についてこのような比喩で述べています。

“顕在意識=新聞の見出し”論……とでも言ったらいいのか……じ
つに秀抜な比喩です。

------------------------------------------------------------
 脳は複雑なシステムだが、だからといつて理解不能ということで
 はない。
 私たちの神経回路は、人類が進化していくなかで祖先が直面した
 問題を解決するために、自然淘汰によってつくられたものだ。
 牌臓や目と同じように、脳も進化の圧力によってつくられてきた。
 意識も同じだ。
 意識は有利だから発達したのだが、有利なのは限定的な範囲だけ
 である。
 ある国のその時々の生活や環境を明らかにするような活動につい
 て考えてみよう。
 工場が稼働し、通信ラインがうなり、企業が製品を出荷する。
 人々はひっきりなしに食べる。
 下水道は排泄物を運ぶ。
 広大な国土のいたるところで警察が犯罪者を追跡する。
 握手で取引が成立する。
 恋人たちはデートをする。
 秘書は電話をさばき、教師は教え、スポーツ選手は競い、医者は
 手術をし、バスの運転手はバスを走らせる。
 あなたは大国で起きていることをつねに知りたいかもしれないが、
 あらゆる情報を一度に手に入れることはできない。
 たとえできても役に立たないだろう。
 要約が必要だ。
 だからあなたは新聞を手に取る――《ニューヨーク・タイムズ》
 のような難しい新聞ではなく、《USAトゥデイ》のような軽い
 ものだ。
 新聞にその活動の詳細がまったく出ていなくても意外ではない。
 結局、あなたが知りたいのは結論だ。
 家計に影響する新しい税法を議会が成立させたことは知りたいが、
 法律家や企業や議事妨害がからむ細かい経緯は、新たな結論にと
 ってとくに重要ではない。
 それに、国の食料供給に関する詳細――牛がどうやつて食べてい
 て、何頭が食べられているか――をすべて知りたくはないはずで、
 狂牛病が急増した場合に警告してはしいだけだ。
 気になるのはゴミがどういうふうに出て、どういうふうにまとめ
 られるかではなく、自分の家の裏に処理場ができるかどうかだけ
 だ。
 工場の配線やインフラなどどうでもよくて、気になるのは労働者
 がストをやるかどうかだけだ。
 そういうことを新聞で読んで知る。
 意識とは、その新聞のようなものだ。
 脳は四六時中、忙しく働いていて、国と同じようにほぼあらゆる
 ことが局所的に発生する。
 小グループがたえまなく決定を下し、ほかのグループにメッセー
 ジを送りだす。
 そのような局所的な相互作用から、もつと大きい連携が生まれる。
 あなたが心のなかの大見出しを読むころには、重要な行動はすで
 に起こっていて、取引は成立している。
 あなたがアクセスできる舞台裏の事情は驚くほど少ない。
 すべての政治運動は土台から積み重ねられていて、あなたが感情
 や直感や考えとしてその気配を感じる前に、止められなくなって
 いる。
 情報を最後に聞くのはあなただ。
 
 しかし、あなたには新聞読者にしては妙なところがある。
 見出しを読んで、最初に思いついたのは自分であるかのように、
 その考えを自分の手柄にするのだ。
 あなたは大はしやぎで言う。
 「いいことを考えついた!」。
 しかし実際にはあなたにひらめきの瞬間が訪れる前に、脳が膨大
 な量の仕事をやっていたのだ。
 ひとつのアイデアが舞台裏から表に出てくるとき、あなたの神経
 回路は何時間も、何日も、あるいは何年もそれに取り組み、情報
 を集約して新たな組み合わせを試している。
 しかしあなたは舞台裏に隠れている壮大なメカニズムに驚嘆する
 こともなく、手柄を横取りする。
 
 それに、あなたが自分の手柄だと考えることを、誰が責められよ
 う。
 脳はひそかにたくらみを実行し、ものすごい魔法のようにアイデ
 アを呼びだす。
 意識的な認知力が壮大なオペレーティングシステムを探ることを
 許さない。
 脳は身分を隠して仕切っているのだ。
 ……
               『意識は傍観者である』(p15-17)
------------------------------------------------------------

……。(-_-)

> 見出しを読んで、最初に思いついたのは自分であるかのように、
> その考えを自分の手柄にするのだ。

何というか……。

参ったなぁ。

ここは……知ったかぶりで……マハラジの引用でもして……誤魔化
しますか。(*-_-*)

------------------------------------------------------------
 マハラジ
 もし顕現がすべての現実体験と体験者の総計であるなら、その合
 計のどれほどをあなたが知っていると言うのだろう?
 
 質問者 私自身に関係する感覚的な体験のいくらかです。
 
 マハラジ
 それでさえもない。
 あなたはあなたが反応することだけを知っている。
 誰が何に反応するかを知ってはいない。
 あなたは、「私は在る」に接触することであなたの存在を知るの
 だ。
 「私はこれだ」「私はあれだ」は想像なのだ。
 
                   『私は在る』(p353-354)
------------------------------------------------------------

> あなたはあなたが反応することだけを知っている。

うーむ。(-_-;)

> 「私はこれだ」「私はあれだ」は想像なのだ。

(*-_-*)

ふう……。

デイヴィッド・イーグルマン博士は……本書の最後のちかくで……
現代科学と意識の関係について……触れていきます。

------------------------------------------------------------
 一例を挙げると、量子力学の分野に「観測」の概念がある。
 観測者が光子の場所を測定すると、一瞬前には可能性が無限にあ
 った粒子の状態が、観測によって特定の位置にまとまるというの
 だ。
 観測とは何なのか? 
 人間の心は宇宙の物質と相互作用するのだろうか?
 これは科学ではまったく解決されていない問題であり、物理学と
 神経科学が交わるきわめて重要な場を提供する。
 現在ほとんどの科学者はこの二つの分野は無関係ととらえていて、
 両者のつながりを深く考察しようとする研究者は、悲しいことに、
 たいてい無視されて終わる。
 そのような探究を「量子力学は不可解で、意識も不可解なから、
 きつと同じものにちがいない」というようなことを言って、物笑
 いの種にする科学者が大勢いる。
 この軽蔑的な見方は現場のためにならない。
 はっきりさせておきたいのだが、私は量子力学と意識のあいだに
 関係があると断言しているのではない。
 関係がありうると言っているのであり、早計な放棄は科学の探求
 と進歩の精神に反すると主張しているのだ。
 人々が脳の機能は古典力学で完璧に説明できると主張する場合、
 それは単なる主張であると認識することが重要だ――どんな時代
 の科学でも、パズルのどのピースが欠けているのかを知るのは難
 しい。
              『意識は傍観者である』(p291-292)
------------------------------------------------------------
 
「私は量子力学と意識のあいだに関係があると断言しているのでは
 ない。
 関係がありうると言っている」のだ……と。

自分の専門分野でできる限りのことをしてきた科学者の……本当に
謙虚な態度だと思います。

そして本書の最後のちかくで……デイヴィッド・イーグルマン博士
は……意識と脳の関係について……言及しようとします。

題して……“脳の「ラジオ理論」”……。

じっくりと……味わってみてください。

------------------------------------------------------------
 一例として、私が脳の「ラジオ理論」と呼ぶものについて触れよ
 うと思う。
 あなたはカラハリ砂漠に住むサン人で、たまたま砂漠でトランジ
 スタラジオを見つけたとしよう。
 あなたがそれを拾い上げ、つまみをいじくると、驚いたことに突
 然その奇妙な小さい箱から声が流れ出てくる。
 もしあなたが好奇心旺盛で科学志向だったら、何が起きているの
 か理解しようとするだろう。
 裏ぶたをこじあけて、針金が小さな巣のようになっているのを発
 見するかもしれない。
 では、あなたは声の原因を注意深く科学的に調べ始めるとしよう。
 緑色の針金を引っ張り出すたびに、声が止まることに気づく。
 その針金を接点に戻すと、再び声が始まる。
 赤い針金も同じだ。
 黒い針金を引きずり出すと声がひずみ、黄色い針金を収り除くと
 声量が下がってささやきのよになる。
 あなたは慎重にすべての組み合わせを試して、明確な結論に達す
 る。
 声は回路の完全性に全面的に依存しているのだ。
 回路を変えると声が台無しになる。
 
 新しい発見を誇らしく思ったあなたは、針金の特定の配置が魔法
 の声をつくり出す方法を解明する科学の開発に一生をささげる。
 あるとき、電気信号の単純なループでどうして音楽や会話が生ま
 れるのかと若者に訊かれて、あなたはわからないと認める――が、
 自分の科学はその問題をいますぐにでも解決しそうだと主張する。
 
 あなたは電波のことも、もっと広く電磁放射についても、まった
 く何も知らないので、あなたが出す成果には限界がある。
 遠くの都市に電波塔と呼ばれる建物がある――それが目に見えな
 い波を起こし、光速で伝わる信号を送っている――という事実と
 はまったく無縁なので、あなたはそんなこととは夢にも思わない。
 電波は味わうことも、見ることも、においをかぐこともできず、
 しかもあなたには電波を空想するほど独創的になる差し迫った理
 由もない。
 そして、もしも声を運ぶ目に見えない電波のことを思いついたと
 して、あなたの仮説を誰に納得させることができるだろう?
 電波の存在を示すための技術はないので、当然のことながら、納
 得させるのはあなたの責任だと誰もが指摘する。
 そこであなたはラジオ唯物論者になる。
 針金の正しい配置がどういうわけかクラシック音楽や知的な会話
 を生み出すのだと結論づける。
 パズルの巨大なピースが欠けていることに気づかない。
 
 私は脳がラジオのようなものだ――つまり、私たちはよそからの
 信号を拾っている受信機であって、そうするためには神経回路が
 整っている必要がある――と主張しているのではなくて、その可
 能性があることを指摘しているのだ。
 現在の科学にはその可能性を排除するものはない。
 歴史上の現時点ではほとんどわかつていないのだから、賛成とも
 反対とも線引きできないアイデアをしまう大きなファイルキャビ
 ネットに、このような概念を保管しておかなくてはならない。
 このように、奇抜な仮説についての実験を設計する現役科学者が
 ほとんどいなくても、証拠がなんらかのかたちで割り込んでくる
 まで、アイデアはつねに可能性として提案され、育まれる必要が
 ある。

              『意識は傍観者である』(p292-295)
------------------------------------------------------------

“脳の「ラジオ理論」”……じつに秀抜だと思いませんか。

確かに……音が正しく聞こえるには……ラジオの内部配線は正しく
なければならない。

でも……その内部配線を完成することが……音が聞こえるというそ
の理由を……すべて説明し尽くしているわけではない。(-_-)

まったくです。

科学はいつも……すべてがわかるかのように……言い続けてきたの
ですね。

そして……つねに……あらたなるパラダイムによって……塗り替え
られてきたのですね。

デイヴィッド・イーグルマン博士は……これまで地上の科学が踏襲
してきた……“節約原理論法”に疑問をはさんでいます。

必ずしも……理解しやすいことが……正しいわけではないと。

------------------------------------------------------------
 科学者はよく節約の原理を語る(「いちばんシンプルな説明がお
 そらく正しい」と言ったり、オッカムのかみそりと呼んだりする)
 が、節約原理論法の見かけの優雅さに惑わされてはならない。
 この論法は、これまで成功した回数と同じだけ失敗している。
 たとえば、太陽が地球の周りを回っている、極微世界の原子は、
 それよりずつと大きいスケールの物体と同じ法則に従って動いて
 いる、私たちが見たり聞いたりするものは実際にそこにあるもの
 そのままだ、と仮定するほうが節約の原理にのっとっている。
 これらの立場はすべて長いあいだ節約原理論法によって擁護され
 ていたが、すべてまちがいだった。
 私の考えでは、節約原理論法は実はまったく論法になっていない
 ――一般的にはもっと興味深い議論を中断させる働きしかしない。
 歴史を手引きにするなら、私たちが科学の問題を追い込んだと仮
 定するのは決して得策ではない。
 
 歴史上の現時点では、大部分の神経科学者が唯物論と還元主義に
 同意していて、私たちは細胞と血管とホルモンとタンパク質と体
 液――すべて化学と物理学の基本法則に従つているもの――の集
 まりとして理解できるとするモデルに助け仕求める。
 毎日神経科学者は研究室に入り要素とパーツを十分に理解すれば
 全体が理解できるという前提のもとで仕事をする。
 このみじん切リアプローチは、科学が物理学、化学、そして電子
 機器のリバースエンジエアリングで用いて成功したのと同じ手法
 である。
 
 しかしこのアプローチが神経科学で奏功する現実的な保証はない。
 脳と脳の個人的で主観的な経験は、これまで私たちが取り組んで
 きた問題とはちがう。
 還元主義アプローチで問題を追い込んだと話す神経科学者はみな、
 問題の複雑さを理解していない。
 肝に銘じてほしいのだが、私たちより前のあらゆる世代は、宇宙
 を理解するための主要なツールはすべてもっているという前提で
 研究してきたが、例外なく全員がまちがっていた。
 光学を理解してもいないのに虹の理論を構築しようとすることを
 想像してほしい。
 あるいは電気の知識をもたずに稲妻を理解しようとすること、ま
 たは神経伝達物質を発見する前にパーキンソン病に取り組むこと
 を。
 私たちは幸運にも初めて完璧な世代に生まれた、つまり科学はす
 べてを包括しているという前提がついに真実である世代に生まれ
 たとするのは、妥当と思えるだろうか?
 それとも、 一〇〇年後に人々は私たちの世代を振り返って、自
 分たちが知っていることを知らないのはどんな感じだったのだろ
 うと思う可能性のほうが高いだろうか?
 
              『意識は傍観者である』(p292-295)
------------------------------------------------------------

(-||-)

覚者も……こう言っています。

------------------------------------------------------------
 科学は、単に私たちの無知の境界線を押し戻しているだけだ。
 
                     『私は在る』(p421)
------------------------------------------------------------

……と。


勝手に……大量に引用させていただきました。

この本は……とても素晴らしいです。

現れはすべて……夢だというのに……。(-_-)

なかなかそうは……生きられないものです。

いや……そのように生きられていないようで。(*-_-*)

------------------------------------------------------------
 あなたは在る。
 ほかのすべては現れにすぎない。
                     『私は在る』(p421)
------------------------------------------------------------

そうなんですよね。(;_;)

(-||-)

------------------------------------------------------------
 永久的なもの、それはあなた自身の存在である。
 真我として在りなさい。
 それが至福である。
 あなたはいつもそれなのである。
                   『あるがままに』(p58)
------------------------------------------------------------

……。(-_-)

ありがとうございました。<(_ _)>

(-||-)

今日はこんなところで。

……。

m(_ _)m


━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━
■ 2.ボブさんの言葉:【欲望は諦めなくてはならないか?】
━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━

今回も……ボブさんの無断翻訳を……つづけます。

『Living Reality: My Extraordinary Summer With "Sailor" Bob
 Adamson』
(『生きている実在:セイラー・ボブと過ごした途方もない夏』)
からの抽出翻訳です。

ボブさんご夫妻は……アメリカにきてくれて……今は著者のジェー
ムズ・ブラーハの家に滞在しています。

7月25日(日曜日)に行われた、ケリー、ジェームズ、ボブ、デル、
ジュディ、パットの会話の一部です。

------------------------------------------------------------
 【欲望は諦めなくてはならないか?】
 
 デル ニサルガダッタは「すべての欲望は諦めなければならない。
    なぜなら欲望することによって、あなたは自分の欲望の姿
    になるからだ。何の欲望も残っていなければ、あなたは自
    分の自然状態に戻る」と言います。さて、これらの欲望は
    すべてマインドから来ます。そしてマインドは私たちを面
    倒に巻き込みます。ところで、生物学的な欲望については
    どうなのでしょうか? 食べ物、セックス、そういったす
    べてです。これらはマインドに基づくものではなく、生物
    学的なものです。
 
 ボブ
 生きるためには食べなければなりません。
 その次の衝動は子供を生むことです。
 これらは自然な衝動です。
 しかしそれがマインドを支配すると、それは問題になります。
 ニサルガダッタは、欲望はひとつの考えに対するマインドの固着
 だと言います。
 犬を見てみましょう。
 セックスは犬にとっては大したことではありません。
 メスが発情期に入って匂いを送るまでは興味すらもちません。
 そのときはそれは衝動になります。
 しかしいったんメスが発情期をすぎると、犬は食べ物を狩るとか
 その他のことに戻ります。
 人間の場合、私たちはセックスに興味をもち、それに病みつきに
 なります。
 するとマインドがそれに固着するので、それは支配的になります。
 
 ジェームズ 私はこれがよくわからないのです。参照点に巻き込
       まれてさえいなければ、何かに固着することの何が
       いけないのでしょうか?
 
 ボブ
 誰がそれに固着しているのですか?
 自分ですよ、自分、自分。
 
 ジェームズ たとえば、一日に三回セックスしている人が二人い
       るとします。一人はそれに執着しており、もう一人
       は違います。執着している方の一人は、そうすべき
       ではないわけです。そしてもう一人は気にしません。
       どこに問題があるのですか?
 
 ボブ
 すべきとかすべきでないとかには何の価値もありません。
 しかしもしその人がそれに固着していたら、それは問題になるで
 しょうし、人生の他の側面の障害になるでしょう。
 
 ジェームズ それが問題にさえならなければ、回数はどうでもい
       いことではありませんか?
 
 ボブ
 その通りです。
 
 ジェームズ これに興味があるのは自然な衝動や欲望があって、
       それらには何も問題がないからです。でも二、三ヶ
       月前、私が欲望のために苦しんでいると言ったとき、
       あなたは「欲望とはマインドの固着です。ただその
       固着を捨てることです」と言いました。すると自然
       な欲望があって、それには問題がない。でも、その
       欲望が固着になる可能性があって、そのときは問題
       になるわけです。これは私にとっては重要な問題で
       す。というのは私が何かがひどく欲しくなったら、
       突然、視野から非二元論など消えてしまうからです。
       世界が幻影であろうかまわない。欲しいものは欲し
       い。
 
 ケリー なぜ私たちは何かに執着できる「自分」がいるという概
     念にのめり込むのでしょう? 固着は起こっています。
     その固着を捨てることはいつかは起こります。何が問題
     なのか?
 
 ジェームズ まったく君の言うとおりだ。そこにはただ固着とい
       う見かけがあるだけだ。いったんそれが見かけだと
       いう理解が起こったら、何かに固着すべき「自分」
       など存在しないという理解が起こったら、問題は
       雲散霧消し始める。
 
 ケリー ボブ、ジニャーニは他の誰ともまったく同じように欲望
     をもつことはありますよね。しかしもしそれが満たされ
     なければ、その人はそれが感情に何らかの深刻な影響を
     及ぼす前にそれを捨てます。でもそれだと、もし自分に
     強い欲望があると分かったら、そのときは非二元の理解
     をもっていないことを暗示するように思われます。だか
     らそこに欲望がありうるし、ある欲望が他の欲望より強
     いこともありうるのです。しかし、たとえその欲望が人
     をその実現に向けて衝き動かすほど強いものであっても、
     そこに透明性があるわけです。私は何を見逃しているの
     でしょうか?
 
 ボブ
 誰がそれを欲望と呼んでいるのですか?
 それは欲望なのか、または単に何かをしたいという衝動なのか?
 あなたはその衝動を満たすか満たさないかですが、そのどちらの
 場合でもあなたはそれとともにいることができます。
 そこに「自分」があれば、それは欲望することであり、そのとき
 それは圧倒的になります。
 そしてそれに欲望というラベルを貼るやいなや、これまで自分が
 体験した他のすべての欲望の重荷をそれに負わせているのです。
 怒りや恐れやその他のものもまったく同じです。
 もしそれがその瞬間のあるがままなら、あなたはそれに行動する
 か行動しないかだけです。
 恐れや怒りやすべてをもつことができるのは「自分」だけです。
 それが私たちがそれらに貼るラベルであり、それが苦しみを引き
 起こすものです。
 感情はただあるだけです。
 それにラベルを貼り、そこに居座るとき、私たちは苦しみ始める
 のです。
 
 何かが浮上して来るやいなや、あなたは「これは恐怖だ」と言う
 かもしれません。。
 それが恐れであると、どうやってあなたは知るのですか?
 その前にこの感情を持ったことがあるからこそ、私たちはそれに
 恐怖のラベルを貼るのです。
 そして、それを恐怖と呼ぶやいなや、あなたはそれを新鮮な新し
 いものとして見てはいません。
 あなたはそれを過去のラベルを使って見ており、それまでにあな
 たが体験した他のすべての恐れがその瞬間に入ってきます。
 過去のすべての恐れを思い出せば、それはそれまでよりも悪いも
 のになります。
 するとあなたはそれに抵抗し、それはますます大きくなります。
 私たちはそれから逃げます、一緒にいたいとは思いません。
 ラベルを貼ることで、私たちはそれから逃げ、あるがままのそれ
 と共にはいないのです。
 もし私たちがそれとともにいるだけなら、私たちはそれを新鮮に
 新たに体験し、行為するか行為しないかだけになります。
 ラベルは参照点になります。
 そのときあなたは名前に関係しているのです。
 
                 『Living Reality』(p195-197)
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(-_-)

> ボブ
> すべきとかすべきでないとかには何の価値もありません。

そうか……。

すべきとか……すべきでないとかには……何の価値もないんだ。

(-_-)

ありがとうございました。

(-||-)


       ………○…………○…………○………


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■ 3.編集後記:自分が……やっているつもりなんだよなぁ。
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今日は……寒い日でした。

いろいろ……気持ちも乱れたし。(-_-)

> 神の意志がなければ、何ごとも起こらない

(-_-;)

自分が……やっているつもりなんだよなぁ。(*-_-*)

そして……その自覚が続いているかぎり……。

恥ずかしさだけが……人生かぁ。

(-||-)

今日は……すっかり暗くなりました。

<(_ _)>


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■ 【作者】 『アセンション資料館』主人 pari
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