home > 通信 > 『アセンション館通信』第473号:あなたは神の演技



━━━━☆☆☆☆━━━━━━━━━━━━━━ by paritosho ━
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 ☆☆     ☆☆『アセンション館通信』2013/4/28(第473号)
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☆☆      ☆★ 【気刊】――「私は在る」に導かれ♪――
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 ☆☆   ☆☆          https://www.ascensionkan.com/
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◇◇ このメルマガの趣旨 ◇◇

このメルマガはアセンション館主人 pari と称するあるパターンに
浮上している心象風景の報告です。

現象世界はすべて変化の意識であり、変化するものは永遠に変化す
るのみ、見かけの自分はその変化のなかの出来事にすぎません。

あなたは神の演技、神に注文をつける神の演技です。(*^_^*)

内容は人畜無害、でも読む人は相当変わっていますね。現在850名
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◇◇ もくじ ◇◇

1.あなたは神の演技

2.2.ボブさんの言葉:【欲望は諦めなくてはならないか?(2)】

3.編集後記:本心から……すべてが面倒になれば……
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■ 1.あなたは神の演技
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つくづく……思っちゃったんですけど……。(*^_^*)

文字を綴るって……その文字のなかにか……またはその行為のなか
に……固有の意味を感じなければ……できないことですよね。

言葉を換えると……マインドに起こるある振動に……固有の意味を
感じなければ……できにくいことのはずです。

でも……ここで書いている文章は……マインドに起こっている振動
が……自らの非在性に気づくための文章です。

ちょっと……変ですよね。

まあ……架空の存在であるエゴが……自らが破壊されるプロセスを
……報告しているんだと言えば……格好が良すぎるかな。(^_-)

(*^_^*)

さて、またまた一週間が過ぎて、楽しい“アセンション噺”ならぬ
「私は在る」噺に、お付き合いいただく今がやってまいりました。

『アセンション館通信』配達人の pari です。(^^)/

みなさま固有の「私は在る」を……いかがお過ごしでしょうか?

先日……今年はじめての……家の草刈りをしました。

去年の暮に……最後にもう一度草刈りしようと思って……しなかっ
たものだから……もう敷地の草が伸び加減になっていました。

半年ぶりに……かかりにくい草刈機のエンジンを……やっと起動し
て……家の西側からはじめました。

以前は長いこと……鉄の円盤型の草刈り刃を……使っていました。

よく切れるんですが……ただ草の下に隠れている……標識のコンク
リートなどには……気をつけなければなりません。

鉄の円盤の刃は……一枚欠けると……その後はけっこう早いんです
……駄目になるのが。

もう何枚も……駄目にしていました。

でも……三年ほど前に……ナイロン繊維(の刃)を……使うことを
教わりました。

しばらく使ったんですが……やっぱりそれだと……急速回転ロープ
(三本)で薙ぎ倒すだけなので……切れは良くありません。

刈ると言うよりは……弾くという感じでもあります。

特に小石は……ほんとに弾きます。

それで去年……円盤型とナイロン線の中間の……ナイロンブレード
(三本)というのを……手に入れました。

これは……なかなか……具合がいいです。

草の切れ端を飛ばしながら……刈っているうちに……まわりに草の
匂いが立ちのぼってきます。

全身に草の切れ端を浴びながら……2サイクルエンジンの騒音のな
かで刈っていると……まあ……環境の一部になりますよね。

蕗をよけ……一面の緑の地面を舐めるように……なかば無心で草を
刈っていると……ふと……こんな言葉が浮上しました。

「ここは……神の庭」

友人の……デヴァ・ナンダンの……名前なんです。

なるほど……ここは神の庭か……神の庭のなかで……こうして迷っ
ているわけか……。

草刈りしながら……ずいぶん殊勝な想いが湧くもんだと……思わず
口を開けてニヤニヤ。

これじゃまるで「虔十公園林」の虔十だ……なんて思いながら……
でもこうして……余計な思いが湧くよなぁ……と思うと今度は、

「あなたは……神の演技」

という言葉が……湧いて来ました。

その途中にも……いろいろ連想系が……あったのかもしれませんが
……まあ結果として……思い出せるのは……それだけです。

「ここは神の庭……あなたは神の演技」

まあ……pariパターンという……エゴの立場から言えば……これは
とても……理に適ったお話です。

じつはここには……神の姿しかない。

その神の庭のなかで……迷いに迷い……分離の幻想に苦しんでいる
あなたは……まさにその神の演技……というのですから。

これは……ある意味で……きわめて論理的メッセージ……とも言え
るものでした。

とは言え……普通の意味で……論理的というのではないかもしれま
せんが。

少なくとも……合理的ではないですよね。

でも……とても包括的で……論理的な……観念ではあります。

(もちろん……観念は……観念でしかありませんが。)

ここに現れているのは……じつはすべて神の姿でしかない。

なぜなら……神以外に……何ひとつ存在していないのだから、と。

すべては……神の“見かけ”だというのです。

何の“見かけ”もないのでは……寂しいじゃないか……と神が言っ
たかどうか……そんなことは単なるお話……物語にすぎません。

でも……実際に“見かけ”がある……というのは事実です。

そして……その見かけに実体がある……と信じたとたん……すべて
の“地獄”は……実体を帯びてくる……というわけです。

なぜなら……二元性なくして……いかなる顕現もありえないし……
その上……分離幻想なしには……世界は存続しえないからです。

だから……“見かけ”を実体と信じたら……地獄は必定です。

では……いったい誰が……“見かけ”を実体と信じるのか?

“見かけ”を実体と信じるのは……いったい誰なのか?

神以外に……何も存在しない……はずではないのか?

不安を感じ……迷いに迷っている……「私」とは……「エゴ」とは
……いったい何なのか?

「あなたは……神の演技」(^_-)

(@_@) ⌒★?

……。(-_-;)

まあ……なんかわかりませんが……そのあと草刈りの間中……アホ
みたいに……ニヤニヤしてました。

そのアホ状態が……いつまでもつづく……わけでもありませんが。

神が多数として現れ……互いにその見事な演技を競いあえば……確
かに……この地獄のような世界が……現出するでしょうね。

あらゆる比喩は……一定の限度を超えれば……その有効性を失うの
は……当然です。

神は……神の演技を知っているのか……などと問えば……この比喩
は……たちまち破綻するでしょうね。

でも……永遠に飽きることなく……次々に生まれてくる……多様な
パターンが……神の演技だとは……シュールではあります。

世界を見ているのは……「エゴ眼鏡」をかけた……神以外には……
いないでしょうから。

とすると……われわれは「エゴ眼鏡」の方なのか……それとも……
「エゴ眼鏡」をかけた神なのか……なんて聞きっこなし。(^_-)

マインドが紡ぐ……言葉に……意味を感じられなく……なってきて
いるんですよね。(;_;)

覚者の言葉を……聴きましょう。

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 ラメッシ
 ですから、真の要点は、源泉がエゴを創造し、そして、ある特定
 の肉体精神機構において、源泉はそれを破壊するプロセスの最中
 だということです。
 それゆえエゴは、それとはまったく無関係なのです。
 エゴは破壊されている最中です。
 それを受け入れることが重要です。
 そのように、もしエゴが破壊されている最中であるとしたら、で
 は、エゴはどうして自分自身の破壊を求めることができるのでし
 ょうか?
 そして、それが起こっていることではありませんか?――二十五
 年間、エゴは、そのことも知らずに自分自身の破壊を求めてきま
 した。
 もしどんなときにも、エゴが本当に、自分が自分自身の破壊を求
 めていることに気づいたなら、それが二十五年間も続いたとあな
 たは思いますか?
 肝心なのは、エゴは自分自身を破壊するつもりはない、というこ
 とです。
 しかし、エゴは破壊されつつあるのです。
 そして、覚えておくべき言葉は、ラマナ・マハルシの、「もう逃
 げることはできません」というものです。
 探求は源泉によって始められ、源泉の意志に従つて、それ自身の
 ペースで進行するでしょう。
 ですから、理解すべき唯一の点は、神の意志、源泉の意志でない
 かぎり、何も起きないということです。

              『誰がかまうもんか?!』(p186-187)
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われわれは「エゴ眼鏡」の方なのか……それとも……「エゴ眼鏡」
をかけた神なのか? (-_-;)

やっぱり……わかりませんね。(^_-)

でも……肝心なのは……このメッセージ↓ですね。

「神の意志、源泉の意志でないかぎり、何も起きない」……。

(-||-)

まだまだ……確信はしていないかもしれません。

でも……浸透してきています。

リーラ……神の遊戯……それに得心がいったら……他にどんな問題
がありうるというのか。

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 ラメッシ
 最小のことから最大の出来事まで、あらゆることに神の意志が実
 際に行きわたつています。
 これが私の考えです。
 昨日、オーストラリアの宣教師と彼の二人の子供が車の中で焼き
 殺されました。
 皆さんは、その未亡人の発言を読みましたか?
 彼女の言葉は私を感動させました。
 彼女は言いました。
 「あらゆる人には神から与えられた寿命があり、誰もそれを変え
  ることができません」。
 しかも彼女は、誰か他の人に起こったときではなく、自分自身の
 夫と二人の子供に起こったときに、このことを言ったのです。
 私は彼女のハートからの理解の深さにたいへん驚きました。
 彼女が述べているのは、一つ一つの肉体精神機構の寿命は神が与
 えたものであり、誰もそれを変えることはできないということで
 す。
 
 そのように、私が言っているのは、最も小さいことから、最も大
 きな出来事に至るまで、神の意志が行きわたっているということ
 です。
 現象が起こるとき、神の意志が行きわたりました。
 そして、現象が無へと消えていくときも、また神の意志なのです。
 
              『誰がかまうもんか?!』(p149-150)
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「最も小さいことから、最も大きな出来事に至るまで、神の意志が
 行きわたっている」……。
 
わたしの頭に不安がよぎるとき……神の意志が行きわたっている。

頭から不安が消えるとき……神の意志が行きわたっている。

(-||-)

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 あなたは在る。
 ほかのすべては現れにすぎない。
                     『私は在る』(p421)
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はい。

(-||-)

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 永久的なもの、それはあなた自身の存在である。
 真我として在りなさい。
 それが至福である。
 あなたはいつもそれなのである。
                   『あるがままに』(p58)
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……。(-_-)

ありがとうございました。<(_ _)>

(-||-)

今日はこんなところで。

……。

m(_ _)m


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■ 2.ボブさんの言葉:【欲望は諦めなくてはならないか?(2)】
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今回も……ボブさんの無断翻訳を……つづけます。

『Living Reality: My Extraordinary Summer With "Sailor" Bob
 Adamson』
(『生きている実在:セイラー・ボブと過ごした途方もない夏』)
からの抽出翻訳です。

ボブさんご夫妻は……アメリカにきてくれて……今は著者のジェー
ムズ・ブラーハの家に滞在しています。

7月25日(日曜日)に行われた、ケリー、ジェームズ、ボブ、デル、
ジュディ、パットの会話の一部です。

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 【欲望は諦めなくてはならないか?(2)】
 
 ケリー ラベルを貼らなければ、ある欲望をあれこれ言うことは
     できません。それが問題になるのは、「私はこの欲望を
     持つべきではない」とか「この欲望は強すぎる」とか
     「私はニサルガダッタのこの概念を記憶してこの欲望を
     捨てるつもりだ……」と言うときです。それが自然なも
     のでありそれに巻き込まれていなければ、それについて
     言うことは何もありません。

 ボブ
 その通りです。
 ただその欲望を満たすか、あるいは満たさないかだけです。
 
 ケリー そしてそれぞれの欲望は、個別の思考が別々に生じるも
     のです。一つの思考に「まあ、これは現実的じゃない」
     という思考が続くかもしれません。そしてそれを捨てま
     す。あるいは「これが欲しい。欲しい。欲しい」という
     ものかもしれません。でもそれらに巻き込まれることな
     く、すべて個々に新たに発生することもありえます。
 
 ボブ
 ええ、それは全部そうです。
 ただ「自分」という参照点に関係づけると、それは過去の出来事
 や体験から判断されるのです。
 それが「自分」を構成するものです。
 過去の出来事と体験と条件づけです。
 するとすべてがそこから、良いとか悪いとか、嬉しいとか苦しい
 とか、それが欲しいとか要らないとか判断されるのです。
 私はこれを前に持っていた、もっと欲しい、などと。
 
 ケリー 霊的な探求者たちにとってこれを複雑にしているのは、
     そこに欲望があるだけでなく、その欲望にかぶせて、
     「私は欲望をもつべきではない。欲望があるようなら
     私は悟っていない」と言う声があるからです。そこで
     その人は巻き込まれて、「自分」を参照し直す何かを
     掴んでしまう。だから今や二重に大変なのです。
 
 デル 罪の意識が入ってくる。
 
 ボブ
 たいていの霊的な教えは、私たちが欲望や恐れを除去しなければ
 ならないと言います。
 だからそういう感情にラベルを貼ったとたん、私たちはそれをも
 っているべきではないと考えるわけです。
 すると疚しさが入ってきます。
 問題はラベルを貼ること、つまり固着することにあるのです。
 
 ジェームズ だから非常に多くのいわゆる悟った賢者は、覚醒し
       ても人生は変わらないという言うわけですね。彼ら
       もやっぱり良い気分や悪い気分になる。私にはそれ
       がどうしても理解できませんでした。一方ではノン
       ストップの至福と平安について書きながら、その同
       じ口で彼らは、他の誰とも同じような良い感じや悪
       い感情をもつと言うのです。それなら他の人と何も
       違っていないはずなのに、彼らはどんなことにもラ
       ベルを貼ったり固着したりする狂気には走らない。
       ただやって来ることを受け入れるだけです。私は彼
       らが至福や奇跡や無努力の人生について言うことは
       信じてきましたが、彼らもやっぱり他の普通の人と
       まったく同じく、上がりも下がりもすれば悪い感情
       ももつと言うのは、けっして真に受けなかったと思
       います。
 
 デル 覚者と他の人間に何の違いもなくなる。
 
 ケリー 口を開けるたびに、われわれは概念を話しています。
     しかしあなた[ボブ]や他の賢者が言うある種の言葉は
     体験から、(つまり「ここには自己中心はありません、
     『自分』とは単なる精神的な創造物です」などといった
     こと)から話されています。しかし賢者たちが見かけの
     なかの事柄について話すとき、彼らはどんな認識や体験
     から話しているのでもない。彼らは自分自身の概念から
     話しているのです。
 
 ボブ
 口を開くやいなや、人は概念化しているのです。
 
 ケリー 探求者たちには、グルが話すとき彼らが話すことはすべ
     て真実だと考える傾向があります。しかしそんなことは
     真実ではありえない。
 
 ジェームズ いくつかの霊的運動に参加していたとき、私を狂わ
       せせたのがそれだった。六人のグルがいたんだけど、
       彼らは皆んな、自分の方法が最善で、解放のための
       最速のテクニックだと言っていた。それぞれがただ
       当人が受け入れた考えや伝統を薦めていただけなん
       だ。しかし弟子はグルの唇から漏れた言葉は何でも
       神の言葉だと確信する。まるで彼らが話すことはす
       べて真理であるかのように。何というバカげたこと
       か。
 
 ボブ
 その通りです。
 
                 『Living Reality』(p197-199)
------------------------------------------------------------

(-_-)

> ボブ
> 口を開くやいなや、人は概念化しているのです。

そういうことですよね。

まあ……ある意味では……言葉が発達しすぎたわけだよなぁ。

(-_-)

ありがとうございました。

(-||-)


       ………○…………○…………○………


『私は在る』の「目次」はここ↓に置いてあります。
https://www.ascensionkan.com/books/I_AM_THAT-index.html

ときどき「ニサルガ辞書」で遊んでみてください。
https://www.ascensionkan.com/ndic/

新しい「ラマナ・マハルシ辞書」はここです。
https://www.ascensionkan.com/rdic/

おこがましくも『アセ通』既刊号はすべてここに置いてあります。
https://www.ascensionkan.com/mm/


       ………○…………○…………○………


▼『アセ通』への「私は在る」関連ご意見投稿フォーム:
http://www.formzu.net/fgen.ex?ID=P48750702
というのを作らせていただきました。(^^;)

「私は在る」に関するご意見・ご感想・シェアリング、または単な
るメールなど、ご自由にお書きいただければと思います。


       ………○…………○…………○………


『アセンション館通信』への「ご投稿・情報提供」を歓迎いたします。

▼『アセンション館通信』への情報ご投稿フォーム
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       ………○…………○…………○………


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■ 3.編集後記:本心から……すべてが面倒になれば……
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思い煩うことが……なくなればいいですよね。

この瞬間このような思いが湧いて……こう書いていること自体……
神の意志が行きわたっている……ということなんですね。

つまり……本心から……すべてが面倒になれば……。

「誰が気にする?(Who cares?)」……としか……言えないんじゃ
ないでしょうか。

神の演技が……そういう領域に入ってきたというのか……。

今日は……まだ明るいうちに終えました。

<(_ _)>


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■ 【作者】 『アセンション資料館』主人 pari
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  → メール: pariアットマークjk2.so-net.ne.jp
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