━━━━☆☆☆☆━━━━━━━━━━━━━━ by paritosho ━
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☆☆ ☆☆『アセンション館通信』2013/5/12(第475号)
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☆☆ ☆★ 【気刊】――「私は在る」に導かれ♪――
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☆☆ ☆☆ https://www.ascensionkan.com/
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◇◇ このメルマガの趣旨 ◇◇
このメルマガはアセンション館主人 pari と称するあるパターンに
浮上している心象風景の報告です。
存在するのはただ増えも減りもしない永遠の<今・ここ>のみ。
現れは束の間の風景、見かけの自分は変化のなかの一点景です。
内容は人畜無害、でも読む人は相当変わっていますね。現在851名
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◇◇ もくじ ◇◇
1.意識は対極に魅せられている
2.ボブさんの言葉:【エメット、マインドに取り組む】
3.編集後記:考えるということが……トースターが電気を
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■ 1.意識は対極に魅せられている
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久しぶりの雨もいいですね。
目の前の緑が水を含んで……とてもたっぷりとしています。
鹿留の金網の……十センチ角の横桟に……水滴が並んで。
風がないので……樹の枝がほとんど……動いていません。
(*^_^*)
さて、またまた一週間が過ぎて、楽しい“アセンション噺”ならぬ
「私は在る」噺に、お付き合いいただく今がやってまいりました。
『アセンション館通信』配達人の pari です。(^^)/
みなさま固有の「私は在る」を……いかがお過ごしでしょうか?
自分は何をしているんだろう……と問うた場合……その自分という
のは……湧いてきたマインドのことですよね。
そのマインドの願いが……消えたいことだ……というのです。
変ですよね。(^_-)
在りえない。
マインドは……消えたくないに決まっています。
だって……放っておいたら……消えてしまうんだから。
何もしなければ……つまり思考を追わなければ……マインドは消え
てしまう。
でも……マインドを消したい……と思えば……そのマインドは健在
です。
ふ……変な話。
でも……マインドが消えないことには……幸せが在りえないことも
……また間違いない。
それで……そのマインドが……一瞬……戸惑ったのでしょう。
自分は……何をしているんだろう……って。
ここでもし……理屈を言うならば……マインドは湧いてくるだけな
んだけど……注目が得られるなら……元気になるのでしょう。
元気になって……自分の足場を固めようと……するんでしょうね。
そして……マインド間に仮想された……ネットワークを使って……
自分の根拠を……築こうとするんだと思います。
それが……両端戦略です。
一本足よりは……二本足のほうが……安定できるからでしょう。
そして……二本足よりは……三本足のほうが……三本足よりは……
無限足のほうが……安定できるのでしょう。
つまり……意識は……対極に魅せられているわけです。
あっちもあれば……こっちもあるぞ……ってわけです。
そして……オレは全部知ってるんだぞ……って。
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私たちは多様性を、苦痛と快楽の劇を愛している。
私たちは対比によって魅せられているのだ。
このために対立するものと、それらの表面上の分裂を必要として
いる。
しばらくの間それらを楽しみ、それから退屈して、純粋な存在の
平和と沈黙を切望するのだ。
『私は在る』(p434)
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マインドが湧いてくる……。
これは……何もしなくても……自然に湧いてきます。
無給の……勤勉な労働者です。
でも……その無給労働の成果に……あまり注目すると……後で結構
高い労賃を……請求されるかもしれない。
だから……あまり真面目に……注目しないほうがいいかも。
放っておいたら……マインドも……そのいい加減でお粗末な大道芸
に……恥ずかしくなるかもしれない。
マインドのタイプにも……よるのかもしれないけど……たいていは
……何かの心配ですよね。
そのマインドの……安定的な継続基盤が……継続しなくなるかもし
れない心配。
いつもその同じ種から……新たな情報を……作り出す。
情報と……解釈と……欲望の無限連鎖だから……いくらでも作れる
んですよね。
全部単なる思いつき……全部デマカセにすぎないけど……。
情報を作っている「個人」……というのは……いませんよね。
意識のなかで……情報の玉突きが……起こっているだけ。
誰がしているとも……言えないんでしょうけど。
まあ……真我しか存在しないのなら……源はすべて……真我にある
わけでしょう。
創造は……根本的無責任体制ですから……特に意味というのはあり
ません。
すべては見かけ……だけですよね。
見かけの中に住んだら……平安はないけど……変化はあります。
変化に追い立てられると……どうしてこんな無意味な変化に……俺
が付き合わなくちゃならないんだと……文句が出るんでしょう。
でもそれはすべて……意識のなかの……その側面だから……。
意識という……言葉の使い方にもよるけど。
顕現と……非顕現というのは……まあ……一つのものの……二つの
側面なのでしょう。
そうでないと……顕現と非顕現という……二つのものが在ることに
……なってしまう。
顕現が……非顕現なしに……存在できるでしょうか。
言葉にはすべて……それなりの語弊があるでしょうけど。
超微粒子の埃が……背景の無限の暗黒という光がなくて……顕現で
きるだろうか……とか言ってもいいかもしれません。
あるいは単に……見る者がいなくて……見られるものが……存在で
きるだろうか……とか言ってもいいかもしれません。
そうしたら……覚者からのこんな言葉が……聞こえてくるわけです。
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ただ、見ることだけが在る。
そのなかに見る者も、見られるものも含まれるのだ。
区別のないところに区別をつくり出してはならない。
『私は在る』(p285)
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……。(-_-)
見る者と見られるもの……という区別さえ……想像なんですねぇ。
いや……これこそが……最初の二元論なのかなぁ。
そこから……いろんな区別が……派生してくるんでしょう。
マインドはとても創造力に富んでいて……思い込みが激しいから。
すぐにいろいろ想像しては……勝手に苦しむんですよね。
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人間はいったい、いつになったら
ひとつのことを別のことに対立させるのをやめるのか?
『アシュターヴァクラ・ギーター』(p78)
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ああ……。
「ひとつのことを別のことに対立させる」……。
物心ついてからというもの……それ以外のことは……何もしなかっ
たのかも。
(*-_-*)
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師や聖者や探求者たち
彼らはみな違ったことを言う
誰であれ、これを知る人は
無執着とともに、静かになる
真の師は冷静に考え
すべてはひとつだと見なす
彼はものごとの本性
覚醒の本質を理解したのだ
彼がふたたび生まれ変わることはない
『アシュターヴァクラ・ギーター』(p78)
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> 師や聖者や探求者たち
> 彼らはみな違ったことを言う
これは……ホントですよね……。
覚者たちと言えども……誰ひとり同じことは言いません、
だって創造が……新しい探求を……送り込んでくるんだから。
> 誰であれ、これを知る人は
> 無執着とともに、静かになる
誰であれ……って……そんな人……滅多にいないけど。
> 真の師は冷静に考え
> すべてはひとつだと見なす
そうか……。
それしか……止まる手はないよなぁ。
フルストップ!
唯一否定できないのは……「私は在る」ということだけ。
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あれやこれに成ろうとするのではなく、在ることに幸せでありな
さい。
『私は在る』(p233)
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はい。
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あなたは在る。
ほかのすべては現れにすぎない。
『私は在る』(p421)
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はい。
(-||-)
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永久的なもの、それはあなた自身の存在である。
真我として在りなさい。
それが至福である。
あなたはいつもそれなのである。
『あるがままに』(p58)
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……。(-_-)
ありがとうございました。<(_ _)>
(-||-)
今日はこんなところで。
……。
m(_ _)m
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■ 2.ボブさんの言葉:【エメット、マインドに取り組む】
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今回も……ボブさんの無断翻訳を……つづけます。
『Living Reality: My Extraordinary Summer With "Sailor" Bob
Adamson』
(『生きている実在:セイラー・ボブと過ごした途方もない夏』)
からの抽出翻訳です。
ボブさんご夫妻は……アメリカにきてくれて……今は著者のジェー
ムズ・ブラーハの家に滞在しています。
7月25日(日曜日)に行われた、ケリー、ジェームズ、ボブ、デル、
ジュディ、パットの会話の一部です。
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【エメット、マインドに取り組む】
エメット 創造は存在しないのですから、私たちはどうやって何
かについて話すのでしょうね?
ボブ
話すことは起こっています。
エメット しかしあなたが言うように、じつはそれは存在しない。
ボブ
その通りです。
それはただの見かけです。
その本質は知性エネルギーです。
エメット そしてこの知性の性質はこの架空の存在を顕現するこ
となのです。
ボブ
そうです。
この顕現にはいかなる実体も独立した本質もありません。
それは多様なパターンへと波動していきます。
ちょうど海の上に小さな波や大きな波が現れるようなものですが
――それらはやはり水でしかありません。
エメット 私はこれをすべてマインドで理解しようとしています。
ところがマインドは存在すらしていないのです。
ボブ
マインドは単なる見かけなのに、それがその見かけに対する答え
を見つけようとしているんです。
ケリー [冗談で]まさに電気を理解しようとしているトースタ
ーですね。
ボブ
[笑いながら]うまい、ケリー。
いつかそれを拝借するかもしれません。
創造の架空の性質を理解するのは難しいときがあるので、そのと
きはそれを手放すのです。
しかしそれを手放しても、自分が分解もしなければ消えもしない
ことが分かります。
エメット あなたやニサルガダッタは、この実在の体験について、
あたかも我々が今はすべてを放っておいて、ただ「そ
れを理解」できるかのように話します。あなたはあた
かもそれがごく簡単なことのように、「これはたった
今にも起こることができます、ただ手放しなさい。そ
れはとても簡単で自然なことです」と言います。しか
しあなたは自分が私たちのようだったとき、自分にそ
れがわからなかったときのことを思い出せますよね。
聖典類に絶えず書かれているように思われることの一
つは、至福に満ちた体験と歓喜の波という考えです。
それは実に多くの霊的文献に一貫して繰り返されてい
ます。しかしあなたはそれらの体験について、あたか
も大したことではないかのように、ほかの体験と同じ
体験でしかないかのように話します。私の感じでは、
もし非二元の理解をもち、しかもつねに至福をもつこ
とができるなら、ずっと望ましいことのように思うの
ですが。
ボブ
どんな歓喜の状態もひとつの体験です。
どんな体験も現れては消えていきます。
誰ひとり年がら年中その状態の中にいることはできません。
それでは彼らはすぐに燃え尽きてしまうでしょう。
あなたはその一瞥をもつことができます。
しかしそれはあなたが求めているものではありません。
ヒンドゥ教徒は「サット・チット・アーナンダ」――存在・意識
・至福という言葉を使います。
至福の特徴は「存在することを愛する」ことです。
エメット あなたは間違いなく非常に上機嫌に見えます。しかし
あなたはまた何事にも非常に無関心でもあります。
ニサルガダッタも無関心で、無味乾燥にさえ見えます。
彼の著作には喜びという見かけがありません。
ケリー 私が聞いたのは、至福とは何かを欲望すること、あるい
は期待することの欠如です。
ボブ
その通りです。
ニサルガダッタには、関心の欠如があります。
それが無関心な感じです。
しかしそこには自然な慈悲も起こっています。
味気なくなるのではなく、すべてを無視するのでもありません。
ニサルガダッタはよく「もはや何も間違っていることがない」と
言ったものでした。
彼はまた「私の空虚は満たされている」とも言いました。
至福に満ちていると翻訳してもいい多くの表現を彼はしています。
それは無味乾燥で無関心に見えるかもしれませんが、しかし本質
は活気に満ちており、存在の愛なのです。
エメット それはニサルガダッタの話の中だけではなく、あなた
の中にも明らかです――特にあなたの慈愛において。
あなたは人々からの同じ質問を何度も何度も受け続け
ています。またあなたにけっして誰も判断しない無限
の忍耐を持っているように見えます。『私は在る』を
読んだとき、私はどうしてニサルガダッタはいつも彼
に挑んでくるじつに多くの人々の言葉を聞くことがで
きたのだろうと、不思議で仕方がありませんでした。
ケリー 実際は、ニサルガダッタにはいくぶん激しく怒りっぽい
いところがありました。慈愛はありましたが、イライラ
することもありました。彼はよく人々に「どうしてあな
たはまた同じ質問ができるのか? あなたはここに六日
間いるのに」などと言ったものです。
ジェームズ ニサルガダッタのビデオ「Awaken to the Etarnal」
で、ステファン・ウォリンスキーはニサルガダッタ
が最初に彼に「あなたは7日間でこれを理解できる
はずだ。それぐらいはいられるのかね?」と聞いた
と話しています。で、その7日目に、ウォリンスキ
ーがある質問をすると、ニサルガダッタは苛立って
「あなたはここに充分に長くいる。今頃はそれぐら
い分かっているはずだ」と答えました。そして彼は
彼に立ち去るように告げました。帰りの列車の中で、
ウォリンスキーはそれが彼のあそこでの7日目だっ
たことに気づきました。私は彼がほとんど理解した
と推測します。彼は『I Am That I AM』という素敵
な本を書きました。
ボブ
私は、この理解以前にここに慈悲はなかったと保証できます。
私は簡単に苛立ちました。
エメット あなたは手放すという考えについて話していました。
たった今ここで、私たちがどうすれば理解を得られる
のかについて。
ボブ
手放しについてはこんなジョークがあります。
あるとき一人の男が崖から落ちて、墜落しながら枝か岩をつかむ
のです。
必死につかまりながら、「助けてー、助けてー。上に誰かいない
かー?」と絶叫しはじめます。
突然、響きわたる神の声がして「イエス。私はここにいる」と答
えるのです。
そこでその男は「どうすればいいですか?」と言います。
すると神はゆっくり「手放しなさい」と言います。
男は少し考えて、「上に他に誰かいないかー?」と言うんです。
[みんな笑う]
ジェームズ 私のお気に入りジョークはウェイン・リカーマンが
著書の『Acceptance of What Is』の中で言っているものです。
それはユダヤ教の寺院のなかでの出来事です。
寺院では、彼らは自分たちユダヤ教徒が土曜日にはできない毎日
の仕事をさせるのに常に非ユダヤ教徒の守衛を置いていました。
で、ある日その守衛が寺院に入ると、ラビのひとりがトーラー、
つまり聖典の前で床にうつ伏せになっていました。そしてラビは
繰り返し繰り返し「おお神よ、私は無です。私は無です」と唱え
ています。守衛はこれに興味をそそられます。すると見ていると、
もう一人のラビが入ってきて跪き、「おお神よ、私は無です。私
は無です」と同じことを言います。そこで守衛はとても感動して、
自分もやってみる決心をします。そこで彼は前に出て「おお神よ、
私は無です、私は無です」と唱えはじめます。すると突然、ラビ
のひとりがもう一人に「おい、誰が無なんて言ってると思う」と
言うんです。[笑い]
『Living Reality』(p200-203)
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(*^_^*)
> 男は少し考えて、「上に他に誰かいないかー?」と言うんです。
これって……。
確かにおかしいけど……われわれのことですよね。
存在しない……われわれの。
疑問と……不平でいっぱいの。
ところで……なかでエメットが……ニサルガダッタは無関心で……
無味乾燥にさえ見える……と言ってますね。
> 彼の著作には喜びという見かけがありません。
とまで。
確かにそうだと思うんです。
でも……これが結構……好きなんですよね。
> どんな歓喜の状態もひとつの体験です。
> どんな体験も現れては消えていきます。
はい。
> 誰ひとり年がら年中その状態の中にいることはできません。
> それでは彼らはすぐに燃え尽きてしまうでしょう。
わかりました。
> あなたはその一瞥をもつことができます。
> しかしそれはあなたが求めているものではありません。
そうなんですね。
> ヒンドゥ教徒は「サット・チット・アーナンダ」――存在・意識
> ・至福という言葉を使います。
> 至福の特徴は「存在することを愛する」ことです。
至福の特徴とは……「存在することを愛する」こと……。
わかりました。(-_-)
ありがとうございました。
(-||-)
………○…………○…………○………
『私は在る』の「目次」はここ↓に置いてあります。
https://www.ascensionkan.com/books/I_AM_THAT-index.html
ときどき「ニサルガ辞書」で遊んでみてください。
https://www.ascensionkan.com/ndic/
新しい「ラマナ・マハルシ辞書」はここです。
https://www.ascensionkan.com/rdic/
おこがましくも『アセ通』既刊号はすべてここに置いてあります。
https://www.ascensionkan.com/mm/
………○…………○…………○………
▼『アセ通』への「私は在る」関連ご意見投稿フォーム:
http://www.formzu.net/fgen.ex?ID=P48750702
というのを作らせていただきました。(^^;)
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………○…………○…………○………
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………○…………○…………○………
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■ 3.編集後記:考えるということが……トースターが電気を
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午前中は……煙るような雨だったけれど。
やはり午後になって……本格的な降りになって来ました。
考えるということが……トースターが……電気を理解しようとする
ような……ことだとしたら……。
ふ。
そう頑張ることもできないし。
とっても早く終えました。
<(_ _)>
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■ 【作者】 『アセンション資料館』主人 pari
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→ メール: pariアットマークjk2.so-net.ne.jp
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