home > 通信 > 『アセンション館通信』第480号:運命と完全な自由



━━━━☆☆☆☆━━━━━━━━━━━━━━ by paritosho ━
  ☆☆   ☆☆ 
 ☆☆     ☆☆『アセンション館通信』2013/6/16(第480号)
☆☆   ☆   ☆☆
☆☆      ☆★ 【気刊】――「私は在る」に導かれ♪――
-☆☆---------☆☆------------------------------------------
 ☆☆   ☆☆          https://www.ascensionkan.com/
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◇◇ このメルマガの趣旨 ◇◇

このメルマガはアセンション館主人 pari と称するあるパターンに
浮上している心象風景の報告です。

実在するのはただ増えも減りもしない永遠の<今・ここ>のみ。

知覚できる変化の相に何も期待することなく、ただ永遠の<在る>
に満足するのが裏切られることのない幸せなのだと教わりました。

内容は人畜無害、でも読む人は相当変わっていますね。現在862名
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◇◇ もくじ ◇◇

1.運命と完全な自由

2.ボブさんの言葉:【エメットが得悟の瞬間を探求する】

3.いただいたお手紙から:コウジさん

4.編集後記:それは身体の死を待たずとも、今でさえ……
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■ 1.運命と完全な自由
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このところ……湿度が高いですね。

朝の散歩でも……暑くもないのに……何となく汗ばむような感じ。

霧雨が降っているわけでもないのに……何か光景が滲んでいる。

だからと言って……どうというわけでもないですが。(^^;)

人間種の有機体は……あるがまま(の<今>の現れ)を……何かと
マインド上の結論に……落としこみたがるんですよね、

自分が……何かを……理解するつもりで。

ニサルガダッタはそれを……“配達を受け取る”……と表現したよ
うですが……。

配達を受け取らない手も……あるわけだよなぁ。(-_-)

(*^_^*)

さて、またまた一週間が過ぎて、楽しい“アセンション噺”ならぬ
「私は在る」噺に、お付き合いいただく今がやってまいりました。

『アセンション館通信』配達人の pari です。(^^)/

みなさま固有の「私は在る」を……いかがお過ごしでしょうか?

特に何も書くことはないのに……という思考の配達を受けながらも
……相も変わらず……またこうしてコンピュータに向かいます。

ただただ……「ただ在る」ことを……避けるためにでしょうね。

マイケル・ラングフォード師がおっしゃる……「エゴの維持戦略」
ということだと思います。

でも……これもまた……あるがまま……です。

いろんな感想は浮かぶし……一瞬一瞬……思考の配達は受けるので
すが……このメルマガを書くことを……全体が選ぶようです。

この有機体が……現象全体に……逆らうことなどできません。

身体は……生まれついた運命を……生きなければならない。

すでにプリントされている……映画の画面は……上映されなければ
なりません。

そして……その有機体に配達される思考を眺めながら……夢を観て
いる者が……その夢から醒める……ゲームをしている……のか。

この有機体に……まったく……自由はありません。

しかし……夢を観ている者は……たった今も……自由なのです。

マハラジの以下の言葉が……どうもスッキリ収まりませんでした。

------------------------------------------------------------
 あなたはすべての人の運命が誕生時に完全に決定されていると言
 いたいのかね?
 何と奇妙な考えだろう。
 もしそうならば、その決定をする力が誰も苦しまないようにする
 だろう。
                     『私は在る』(p133)
------------------------------------------------------------

この言葉が……論理的に納得しがたい……わけではありません。

むしろこの言葉は……従来のpariパターンには……最も了解しやす
い類の言葉です。

ただアドヴァイタを噛りはじめたpariパターンには……マハラジの
この表現は……とても“据わり”が悪くなったわけです。

なぜなら……一方でわれわれは……ラマナ・マハルシの……次のよ
うな言葉も……聞かされているからです。

------------------------------------------------------------
 質問者 人の人生において、彼の国、国民、家族、仕事、職業、
     結婚、死などにおける顕著な出来事が、彼のカルマによ
     ってすべて宿命づけられていることは理解できますが、
     しかし彼の人生の詳細すべてに至るまで、取るに足らな
     いことまで、すでに決定されているのでしょうか? 
     例えば、今私は手のなかの扇を床の上に置きました。
     これはこの日、この時間に、私がこのように扇を動かし、
     このようにここに置くということまで、すでに決定され
     ているということなのでしょうか?

 マハルシ
 もちろんだ。
 何であれこの身体がすること、そして何であれそれが通り抜ける
 体験は、その身体が存在を現したときにすでに決定されているの
 である。
 
     『あるがままに―ラマナ・マハルシの教え』(p388-389)
                  http://tinyurl.com/yzbe26
------------------------------------------------------------

このマハルシの言葉は……読む者に……非常に強烈な印象を与える
……表現だと思います。

もしそんな細部まで……完全に決まっているのなら……それはまさ
に“映画”としか言えない……と思われるからです。

と同時に……では……悟りを求めること自体が……まったくのナン
センスなのか……という感じも起こってきます。

ラメッシ・バルセカールは……まさにこのラマナ・マハルシの教え
に沿って……自分の教えを展開しているようです。

このようなマハラジの表現と……マハルシの表現を……どう理解し
て……ひとつの真実として納得できるのか……と思っていました。

賢者の言葉が……一瞬一瞬の状況に対する応答であり……質問者の
必要に応じて発現する……ということは聞いています。

だから上に引用した二つの表現が……ドグマでないことは分かって
いましたが……自分なりの落とし所を求めてもいたわけです。

ところが……そんな引っ掛かりを……やっと解いてもらえるところ
まで……どうやらきていたようです。

------------------------------------------------------------
 質問者 ……ある人は、運命は変えられないもので、あらゆる瞬
     間があらかじめ決定されていると言います。ほかの人た
     ちは、純粋な偶然がすべてを決定するのだと言います。
 
 マハラジ
 あなたの好きなように受け取るがいい。
 人生のなかにひとつのパターンを判別することはできるだろうし、
 単なる偶然の連鎖を見ることもできる。
 説明とはマインドを喜ばせるためにあるのだ。
 それらが真実である必要はない。
 実在は定義不可能であり、描写不可能なものだ。
 
                     『私は在る』(p305)
------------------------------------------------------------

じつに……簡単でした。

> 説明とはマインドを喜ばせるためにあるのだ。

(*_*) ⌒★?

> それらが真実である必要はない。
> 実在は定義不可能であり、描写不可能なものだ。

そういうことだったんだ……。(-_-)

マインドが勝手に捏造した疑問の解決を……マインドのなかに求め
ること自体……無意味なことだったのです。

マインドは……どこまでも連想し……創造するだけです。

> それらが真実である必要はない。

まったくです。

いったんそう納得して……改めてマハラジの運命に関する表現に触
れてみると……それはごく普通の言葉に聞こえてきました。

------------------------------------------------------------
 運命は名前と形にのみ関係する。
 あなたは身体でもマインドでもないのだから、運命があなたをコ
 ントロールすることはできない。
 あなたは完全に自由だ。
 コップは形、材質、利用法などに条件づけられている。
 だが、コップのなかの空間は解放されている。
 それはコップに関連して見られたときにだけ、コップのなかにあ
 ると見なされる。
 そうでなければ、それはただの空間だ。
 身体があるかぎり、あなたは肉体化されたかのように見える。
 身体がなくなっても、あなたは肉体から分離されたのではない。
 あなたはただ在る。
 
 運命さえもただの概念にすぎない。
                     『私は在る』(p242)
------------------------------------------------------------

> 運命は名前と形にのみ関係する。

はい。

> あなたは身体でもマインドでもないのだから、運命があなたをコ
> ントロールすることはできない。

あ。(@_@)

> あなたは完全に自由だ。

「あなたは完全に自由」とは……そういう意味だったのか。(-_-)

完全に自由な存在が……自分を人間だと思い込んで……拘束されて
いるという……夢を観ているだけなのか……。

> コップは形、材質、利用法などに条件づけられている。

はい。

> だが、コップのなかの空間は解放されている。

なるほど。

> それはコップに関連して見られたときにだけ、コップのなかにあ
> ると見なされる。
> そうでなければ、それはただの空間だ。

わかりました。

> 身体があるかぎり、あなたは肉体化されたかのように見える。

確かに。

> 身体がなくなっても、あなたは肉体から分離されたのではない。
> あなたはただ在る。

ああ……。(@_@)

> 運命さえもただの概念にすぎない。

おっしゃるとおりです。

だから……、

------------------------------------------------------------
 運命とは自分を個人だと想像する人の義務なのだ。
 その人とは誰なのかを見いだしなさい。
 そうすれば想像された個人は消え去るだろう。
 
                     『私は在る』(p459)
------------------------------------------------------------

というわけなんですね。

わたしは今……夢を観ていて……その夢に飲み込まれている。

------------------------------------------------------------
 身体が誕生するとき、あらゆることが自由に起こる。
 そしてあなたは自分を身体だと見なして、それらに関わっていく。
 あなたは映画館でずっと席に座っていて、画像が光の戯(たわむ)
 れにすぎないのをよく知っているにもかかわらず、画面を見て笑
 ったり泣いたりしている人のようなものだ。
 その魔力を破るには、スクリーンから自分自身へと注意を移行さ
 せるだけで充分なのだ。
 身体が死ぬとき、あなたが現在生きている身体的、精神的出来事
 の連鎖である人生は終わりを迎える。
 それは身体の死を待たずとも、今でさえ終わらせることができる。
 注意を真我に移行し、そこにとどめておくだけで充分なのだ。
 あたかもそこに、すべてを創造し、動かす神秘の力があるように。
 すべては起こるのだ。
 あなたは動かす人ではなく、ただの観察者なのだということを自
 覚しなさい。
 そうすれば、あなたは平和の内にあることだろう。
 
                     『私は在る』(p407)
------------------------------------------------------------

> その魔力を破るには、スクリーンから自分自身へと注意を移行さ
> せるだけで充分なのだ。

……。(-_-)

> 身体が死ぬとき、あなたが現在生きている身体的、精神的出来事
> の連鎖である人生は終わりを迎える。

確かに。

> それは身体の死を待たずとも、今でさえ終わらせることができる。

(@_@)

そうか。(-_-;)

> 注意を真我に移行し、そこにとどめておくだけで充分なのだ。

わかりました。

(-||-)

------------------------------------------------------------
 あなたは在る。
 ほかのすべては現れにすぎない。
                     『私は在る』(p421)
------------------------------------------------------------

はい。

(-||-)

------------------------------------------------------------
 永久的なもの、それはあなた自身の存在である。
 真我として在りなさい。
 それが至福である。
 あなたはいつもそれなのである。
                   『あるがままに』(p58)
------------------------------------------------------------

……。(-_-)

ありがとうございました。<(_ _)>

(-||-)

今日はこんなところで。

……。

m(_ _)m


━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━
■ 2.ボブさんの言葉:【エメットが得悟の瞬間を探求する】
━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━

今回も……ボブさんの無断翻訳を……つづけます。

『Living Reality: My Extraordinary Summer With "Sailor" Bob
 Adamson』
(『生きている実在:セイラー・ボブと過ごした途方もない夏』)
からの抽出翻訳です。

ボブさんご夫妻は……アメリカにきてくれて……今は著者のジェー
ムズ・ブラーハの家に滞在しています。

7月26日(月曜日)に行われた、ボブ、ケリー、ジェームズ、デル、
エメットの会話の一部です。

------------------------------------------------------------
 【エメットが得悟の瞬間を探求する】

 エメット ニサルガダッタのところにいたとき、あなたが「それ
      を掴んだ」特定の時点があった。これは間違いありま
      せんか?
 
 ボブ
 彼は私が身体やマインドではないということを指摘しました。
 そして私はそれを理解したのです。
 しかし、それが起こった特定の「時点」があったと言えるでしょ
 うか?
 それではまた時間に戻ってしまいます。
 見かけの観点からは、それは私が初めて彼に会ったときだと言っ
 てもいいでしょう。
 私は彼の言うことが聞こえるほどには心を開いていました。
 しかし、もしそれに私がいつ得悟したかといった意味合いを付与
 したら、あなたは時間のなかに戻ってしまいます。
 そうしたらあなたはそれを概念化しはじめ、「そこに行けるため
 には、これこれのことがなくてはならない」と考えはじめます。
 彼が言っていることを私が理解したとき、私は自分がそれでなか
 ったことなど一瞬もなかったことを理解したのです。
 もちろん、古い習慣は即座には落ちませんでした、。
 しかし何かが偽りであることが分かったら、再びそれを信じるこ
 とは決してできません。
 それらは二度と再び同じ強烈さをもつことはできません。
 古い思考が浮上してきたら、それは直ちにガラクタと見なされ、
 私はそれを捨てるでしょう。
 私はそれらを手放すでしょう。
 それに対するどんな固着も執着もありません。
 
 またそれに対する抵抗もなければ、「私はこうあるべきではない。
 特定の状態にいなければならない」ということもありません。
 自分がどうあるべきかというイメージは、ありませんでした。
 思考や習慣を変えようとか、別のものにしようとか、修正しよう
 とかはありません。
 それでは「あるがまま」を思考と交換することになるでしょう。
 それらの習慣的パターンが浮上したら、それがあるがままです。
 何であれそれを変えようとすれば、それについての思考によるし
 か方法はありませんから。
 もし何も抵抗することなく、それを自然の状態のままに放ってお
 けば、それはひとりでに消えます。
 未だかつて空に貼りついた雲はありません。
 思考はあなたのなかのどこにも貼りついていません。
 
 エメット 私たちは毎日ここであなたの話を聞きながら、その偽
      りを常に見抜くその能力を得ようとしています。しか
      し偽りは再起しつづけるのです。もちろん、私たちは
      つねにその偽りに気づき、本質に戻ろうとするでしょ
      う。しかし、いつかそれが消えるときが……。
 
 ボブ
 時間はありません!
 あなたは時間をでっち上げようとしています。
 
 エメット 時間に行きづまり、見かけに行きづまるこの傾向が、
      いつか落ちる量子的「脱落」とか[喪失」があるので
      しょうか? それともそれは徐々に、徐々に、徐々に
      なのですか?
 
 ボブ
 今これを聞きなさい!
 もしあなたがそれについて考えなければ、たった今何が間違って
 いますか?
 
 エメット 何もありません。しかも事実は、私たちはそれについ
      て考えつづけるのです!
 
 ボブ
 何の思考もないその一瞬のなかに、あなたが探しているものがあ
 ります。
 何も間違っていない、つまり正しいその瞬間のなかでは、それは
 ただあるがままなのです。
 
 エメット そして、私たちは……。
 
 ボブ
 そしてその「そして」があなたを再びそのなかに連れ戻すのです!
 思考のないその休止のなかでは、すべてはただあるがままです。
 良い/悪い、正しい/間違っている、何であれそういうものは、
 ラベルのなかにしかありえません。
 それがなければ、すべてはただあるがままです。
 あなたは自然に、あなたが在ることを知っています。
 
 エメット しかし私たちは、すぐその気づきから連れだされるほ
      ど見かけに対して無防備な状態にいます。もう見かけ
      には掴まらない、実在のなかのコンクリートのように
      二度とそこから連れだされないようなときが来るもの
      でしょうか?
 
 ボブ
 あなたはその分離の感覚を、あなたが二歳のとき、自分が個人だと
 教わったときに身につけたのです。
 あなたはその「自分」への信念を問い質さなくてはなりません。
 あなたがその「自分」を信じているかぎり、あなたは傷つきやす
 く不安なままでしょう。
 
 エメット しかし、あるとき突然それを完璧に把握して、それを
      最後に、すべて整った時があったのでしょうか?
 
 ボブ
 個人という実体が存在しないことを理解するのに、それを徐々に
 あるいは突然掴む誰がいるというのですか?
 それはただそうなのです。
 そしてそれは常にそうだったのです。
 
 デル ニサルガダッタは自己探求を三年間行って、最後にそれを
    得たと言っています。
 
 ボブ
 私はそれにある時間を言うこともできますが、ただ私はあなたに
 時間はないと伝えています。
 ニサルガダッタは「私は在る」にとどまりなさいと言いました。
 その「私は在る」とは、存在の感覚の翻訳です。
 たった今、あなたは存在していることに気づいています。
 それは裏返すなら、気づきが存在するということです。
 それらは二つではありません。
 そしてそれこそが私たち全員の直接性です。
 もしそれがなかったら、私たちはいかなる見かけも持てなかった
 でしょう。
 見かけには独立した本質はありません。
 それは存在に依拠しています。
 「私は在る」にとどまれば、あなたはそれを理解せずにはいられ
 ません。
 
 ジェームズ 私の理解では、覚醒は多様な人々に多様な現れ方を
       します。ある人にとってはそれは段階的であり、あ
       る人にとっては突然です。われわれが読んだ多くの
       本は、それがその人に突然起こったために、私たち
       にそれが突然でなければならないと考えさせます。
       例えば、エックハルト・トール[『さとりをひらく
       と人生はシンプルで楽になる』の著者]のように。
       しかしニサルガダッタはしばしば人々に、当人の理
       解が突然来たのか段階的だったのかと尋ねていたこ
       とを思い出すといい。
 
 ボブ
 その通りです。
                 『Living Reality』(p211-214)
------------------------------------------------------------

(-||-)

このエメットの質問は……ある意味で……とても重要です。

何かがカチッと言った……そういう瞬間があったのか、と。

ボブさんのように……自分には特別な瞬間などなかった……とおっ
しゃっている方には……是非とも尋ねてみたかったはずです。

あなたが悟った……その瞬間はあったんですよね、と。

それに対するボブさんの回答は……これまで他の誰ひとり……明確
に言語化しなかったようなことでした。

> しかし、もしそれに私がいつ得悟したかといった意味合いを付与
> したら、あなたは時間のなかに戻ってしまいます。
> そうしたらあなたはそれを概念化しはじめ、「そこに行けるため
> には、これこれのことがなくてはならない」と考えはじめます。

まったく……そうだと思います。

> 彼が言っていることを私が理解したとき、私は自分がそれでなか
> ったことなど一瞬もなかったことを理解したのです。

ごく当たり前の表現に聞こえますが……これはこれまで他の誰にも
……なかなか言えなかった台詞です。

まあ……ボブさんが偉いとか……そういうことではなく……ボブさ
んを通して現れた……表現ですよね。(-_-)

ありがとうございました。

(-||-)


       ………○…………○…………○………


『私は在る』の「目次」はここ↓に置いてあります。
https://www.ascensionkan.com/books/I_AM_THAT-index.html

ときどき「ニサルガ辞書」で遊んでみてください。
https://www.ascensionkan.com/ndic/

新しい「ラマナ・マハルシ辞書」はここです。
https://www.ascensionkan.com/rdic/

おこがましくも『アセ通』既刊号はすべてここに置いてあります。
https://www.ascensionkan.com/mm/


       ………○…………○…………○………


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■ 3.いただいたお手紙から:コウジさん
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▼『アセ通』への「私は在る」関連ご意見投稿フォーム:
http://www.formzu.net/fgen.ex?ID=P48750702
というのを作らせていただきました。(^^;)

「私は在る」に関するご意見・ご感想・シェアリング、または単な
るメールなど、ご自由にお書きいただければと思います。


       ………○…………○…………○………


今回……コウジさんとおっしゃる方から……はじめてのメールを
いただきました。

早速ご紹介します。

【件名】: pariさん、はじめまして
------------------------------------------------------------
 pariさん、はじめまして
 コウジともうします。
 毎週興味深く読ませていただいています。
 
 ちょっと気づきがありましたのでご報告を。
 
 この世界は幻でそもそも属性をもっていないってよく言われます
 よね。
 創造主であるあなたが意味付けをするのだ・・みたいな。
 
 で私たちは、単なる経験に伴う思考や、感情や、記憶をもとに
 この実体のない幻の世界に「いやな所」pariさんの表現でいうな
 ら「悪夢のドリームランド」って属性あたえてしまったんじゃな
 いですかねえ。
 
 以降、世界はその属性の通りにふるまってくれている
 自分でつくったとも気づかず・・
 
 私たちはこの世界が不快で仕方がないですよね、
 なぜなら「悪夢のドリームランド」だからです。
 (そう自分でそう意味付けしたから)
 
 「悪夢のドリームランド」から逃れられさえすれば幸福になれる
 のにってことで、聖者の意見に耳を傾けだしたんですよね、おそ
 らく。
 
 で聖者はいうんですよね、本当にごもっとな意見を
 
 この「悪夢のドリームランド」からに興味をなくせばいい
 ⇒あたりまえですよね、興味をもつことによって維持されてます
 から
 
 たんなる源からの映像だから放っておけばいい
 ⇒この源ってハイヤーセルフとか神とかのどっかのよそ事ではな
 く私たちの世界にたいする認識が映像として表れているというこ
 とですよね
 
 真我としてあればいい
 ⇒自作自演なので関わるなってことでしょう
 
 って感じで自分がつくった怪物からのがれて幸せになるために
 あれやこれや読んだり悩んだり落ち込んだりしてるんじゃないで
 すかね。
 
 そして解放というのは、「悪夢のドリームランド」をつくってい
 たのは実は私だったんだって、「悪夢のドリームランド」ってラ
 ベルをはることによって
 (高次の存在とか、真我とかそういったややこしい話ではなく)
 ありもしない世界から逃れようと頑張ることによってその世界を
 維持していたという気づきじゃないですかね。
 
 存在しないものから逃れる必要なんかなかったじゃんってことじ
 ゃないですかね。
 
 下手な文章で失礼いたしました。
------------------------------------------------------------

コウジさん……ご投稿、ありがとうございました。

> pariさん、はじめまして
> コウジともうします。

はじめまして。

> 毎週興味深く読ませていただいています。

ありがとうございます。

> ちょっと気づきがありましたのでご報告を。

はい。

> この世界は幻でそもそも属性をもっていないってよく言われます
> よね。

というか……存在していない……とか……存在を持っていない……
という言い方がされるように思います。

属性を持っていないのは……実在の方かもしれませんね。

世界はマインドですから……マインドの定義である……属性はもつ
のではないでしょうか。

> 創造主であるあなたが意味付けをするのだ・・みたいな。

ええ……そういう言い方をする……スピリチュアル本は多いですね。

> で私たちは、単なる経験に伴う思考や、感情や、記憶をもとに
> この実体のない幻の世界に「いやな所」pariさんの表現でいうな
> ら「悪夢のドリームランド」って属性あたえてしまったんじゃな
> いですかねえ。

「いい所」も「いやな所」も……それはその通りでしょうね。(^^;)

観念は……全部そうですものね。

> 以降、世界はその属性の通りにふるまってくれている
> 自分でつくったとも気づかず・・

ええ……そういう言い方ができる……面はありますね。

ただ……浮上してくる思いを……自分が“作った”かどうか。(^_-)

> 私たちはこの世界が不快で仕方がないですよね、
> なぜなら「悪夢のドリームランド」だからです。
> (そう自分でそう意味付けしたから)

まったくです。(^^;)

> 「悪夢のドリームランド」から逃れられさえすれば幸福になれる
> のにってことで、聖者の意見に耳を傾けだしたんですよね、おそ
> らく。

まあ……人間の側に何らかの実体があるなら……まさに……そうい
うことになるでしょうね。

> で聖者はいうんですよね、本当にごもっとな意見を
> 
> この「悪夢のドリームランド」からに興味をなくせばいい
> ⇒あたりまえですよね、興味をもつことによって維持されてます
> から
> 
> たんなる源からの映像だから放っておけばいい
> ⇒この源ってハイヤーセルフとか神とかのどっかのよそ事ではな
> く私たちの世界にたいする認識が映像として表れているというこ
> とですよね

うーんと……この辺はとても……微妙なところだと思います。

ただ……少なくともマハラジは……そういう言い方はしていないよ
うに思います。

現れの世界に関しては……例えばこんなふうに言っています。

------------------------------------------------------------
 何ひとつあなたによるものではなく、あなたのためのものでもな
 い。
 すべては映画のスクリーン上に現れる画像の中にある。
 光のなかには何もない、あなたがあなただと思っている個人も含
 めて。
 あなたはただの光なのだ。
                     『私は在る』(p500)
------------------------------------------------------------

あるいは……こんな感じです。

------------------------------------------------------------
 あなたのものとは知覚の力であり、あなたが知覚しているもので
 はない。
 意識を人の全体像として見なすのは間違いだ。
 人は無意識であり、意識であり、超意識だ。
 だが、あなたは人ではないのだ。
 あなたのものとは映画のスクリーン、光、そして見る力だ。
 だが、映像はあなたではない。
                     『私は在る』(p463)
------------------------------------------------------------

つまり……これらの表現から分かることは……現れの世界の一切は
……実在とは無縁だ……ということではないでしょうか。

言葉というものの限界から……賢者の言葉は……常に誤解の危険に
晒されているのでしょうね。

> 真我としてあればいい
> ⇒自作自演なので関わるなってことでしょう

というわけで……現象世界は実在とは無縁で……実在の自作自演で
はないと思います。

また……この身体に自己同化した意識……つまり人間の自作自演か
どうかについては……コウジさんはどう思いますか?

pariパターンに関しては……自作自演の自覚がありません。

> って感じで自分がつくった怪物からのがれて幸せになるために
> あれやこれや読んだり悩んだり落ち込んだりしてるんじゃないで
> すかね。
> 
> そして解放というのは、「悪夢のドリームランド」をつくってい
> たのは実は私だったんだって、「悪夢のドリームランド」ってラ
> ベルをはることによって
> (高次の存在とか、真我とかそういったややこしい話ではなく)
> ありもしない世界から逃れようと頑張ることによってその世界を
> 維持していたという気づきじゃないですかね。
> 
> 存在しないものから逃れる必要なんかなかったじゃんってことじ
> ゃないですかね。

そうですねぇ。(-_-)

『“それ”は在る』の「ある御方」もそんなことをおっしゃってい
たし……「引き寄せの法則」はみんなそんな感じですが……。

コウジさんは……誤解の「悪夢のドリームランド」から……正解の
「夢のドリームランド」に行ければ……それでOKですか?

わたしが「悪夢のドリームランド」と表現したのは……その内部に
自分が組み込まれている世界……というニュアンスでした。

有機体としては……むろん……快適なほうがいいのは事実です。

でも不快な「悪夢のドリームランド」から……快適な「夢のドリー
ムランド」に移行したい……という意味ではありませんでした。

そこで(属性を持った)何者かとして存在するという幻想……その
幻想で成り立つ……「悪夢のドリームランド」のつもりでした。

つまり……個人を背負って彷徨い歩く……現象世界そのものです。

> 下手な文章で失礼いたしました。

いえ……こちらこそ……誤解を招く……表現でしたね。

コウジさん、ありがとうございました。

<(_ _)>



       ………○…………○…………○………


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      …………○…………○…………○…………



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■ 4.編集後記:それは身体の死を待たずとも、今でさえ……
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雨は上がって……小鳥たちが飛び交っています。

上には雲の蓋が被さっているけれど……南の山の端に……黄昏時の
青空が見えています。

今日はこの山里は……そんなに暑くもなかったです。

今回……何が運命の桎梏を負い……何が完全に自由なのかが……と
ても単純に……腑に落ちました。

どうも……いつまでも“人生嫌悪症”が癒えないpariパターンです
が……今回……今までになく……、

> 身体が死ぬとき、あなたが現在生きている身体的、精神的出来事
> の連鎖である人生は終わりを迎える。
> それは身体の死を待たずとも、今でさえ終わらせることができる。
> 注意を真我に移行し、そこにとどめておくだけで充分なのだ。

この表現が浸透してきたようです。

「それは身体の死を待たずとも、今でさえ終わらせることができる」

なんだ……そうだったのか。(@_@)

という感じです。

明るいうちに終えました。

<(_ _)>


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■ 【作者】 『アセンション資料館』主人 pari
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