home > 通信 > 『アセンション館通信』第498号:死ぬものは何か?



━━━━☆☆☆☆━━━━━━━━━━━━━━ by paritosho ━
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 ☆☆     ☆☆『アセンション館通信』2013/10/20(第498号)
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☆☆      ☆★ 【気刊】――「私は在る」に導かれ♪――
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このメルマガはアセンション館主人 pari と称するあるパターンに
浮上している心象風景の報告です。

実在するのはただ不垢不浄不増不減の永遠の<今・ここ>のみ。

今回のボブさんの言葉を聴いて、不幸になるべき「自分」が存在し
ないことを、実際に調べることが決定的に重要だと納得しました。

内容は人畜無害、でも読む人は相当変わっていますね。現在868名
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◇◇ もくじ ◇◇

1.死ぬものは何か?

2.ボブさんの言葉:【動揺する「自分」はいない】

3.編集後記:これがもし釣りなら……やっとアタリが
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■ 1.死ぬものは何か?
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このところ……どんよりした天気がつづきますね。

“陰”が……極まろうとしているのかもしれません。

そのうち……そういう風景も……変わるのでしょう。

でも……そういうのは……単なる現れの世界の話です。

単なる……“見かけ”の風景……言わば“壁紙”の話です。

“見かけ”を見ている……その見ることは起こっている。

でも見ている“自分”という……個別の実体が……本当に存在する
のかどうか……。

ダグラス・ハーディング風の言い方をすれば……目の後ろから見て
いる自分と……見えている胸から下は……同じじゃない。

鏡に映る自分と……それを見ている自分は……同じじゃない。

首から下の見える身体は……つかの間の風景の部分。

それを見ているものは……変化の相を……映す鏡。

現れに……興味をもっているのでしょう。(^_-)

(*^_^*)

さて、またまた一週間が過ぎて、楽しい“アセンション噺”ならぬ
「私は在る」噺に、お付き合いいただく今がやってまいりました。

『アセンション館通信』配達人の pari です。(^^)/

みなさま固有の「私は在る」を……いかがお過ごしでしょうか?

マインドは……平安を求めたりするものです。

でも……空中を舞うホコリが平安を求めても……それは難しい。

どうしよう……どうしよう……と散乱するのが……空中に舞った
ホコリの本性だから。

親切な人は……ホコリさん静かにしたら……なんて言うかもしれな
いけれど……それがホコリさんに聞こえるかどうか。(-_-;)

いや……もしかして……ホコリさんには何も聞こえないのかも。

誰が……ホコリを舞い上がらせているんだろう?

ホコリが……ホコリを舞い上がらせることなんて……できるものだ
ろうか?

生まれたものは……死ななければならない……と聞いたことがあり
ます。

そして……死ぬものは……もともと生きてはいない……とも。

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 その一方、よく理解しなさい、生きる者ではなく、ただ死ぬ者だ
 けが死ぬことができる。
 あなたのなかで生きているもの、それは不死なのだ。
 
                     『私は在る』(p425)
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これは……分かる気がするんだよなぁ。

「あなたのなかで」……つまりこの身体のなかで……「生きている
もの」……つまり今見ている者……「それは不死なのだ」。

この不死のものが……視覚(意識の一形態)と関わっているかどう
か……そんなことは瑣末なことなんだ。

深い眠りのなかでは……いっさいの意識と関わらない。

夢見の眠りのなかでは……ある種の意識と関わっている。

目覚めの眠りのなかでは……心配という意識と関わっている。(^_-)

なぜなら……元々存在していないものが……存在している振りをし
て……その存続を画策しているらしいから。

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 質問者 死において、死ぬものは何でしょうか?
 
 マハラジ
 「私は身体だ」という観念が死ぬのだ。
 観照者が死ぬことはない。
                       『私は在る』(p174)
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それだけのことかぁ。(-_-)

同じことを……ボブさんは……こう表現している。

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 ケリー 死について話しましょう。
 
 ボブ
 それは一度も起こったことがありません。
 生命は絶えず生命を食べて生きています。
 生まれたのは「私は在る」という思考だけです。
 「自分」です。
 そしてそれが死ぬものです。
 だからこそマインドは絶えず分割し、お喋りしているのです。
 マインドは死にたくないのです。
 いずれにせよ、それはどんな生命ももったことはありません。
 それはヒルのようなもので、純粋な知性エネルギーにしがみつい
 ているのです。
 自分が何らかのパワーをもっていると信じながら。
 
                 『Living Reality』(p177-180)
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ぷ。(>_<)

それはヒルのようなもの。

> 生まれたのは「私は在る」という思考だけです。

そういうことなんだ。

> 「自分」です。
> そしてそれが死ぬものです。

なるほど。(-_-)

> だからこそマインドは絶えず分割し、お喋りしているのです。

ああ……。

> マインドは死にたくないのです。

わかります。

> いずれにせよ、それはどんな生命ももったことはありません。
> それはヒルのようなもので、純粋な知性エネルギーにしがみつい
> ているのです。
> 自分が何らかのパワーをもっていると信じながら。

うーむ。

(-||-)

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 要点をつかみなさい。
 世界と自分はひとつであり、完全なのだということを。
 誤りはあなたの姿勢にあり、そこに再調整の必要があるのだ。
 
                       『私は在る』(p158)
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(*-_-*)

そうなのか……。

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 質問者 夢は考えることによって起こるのでしょうか?
 
 マハラジ
 すべては観念の戯(たわむれ)れだ。
 観念化から自由になった状態(ニルヴィカルパ・サマーディ)の
 なかでは、何も知覚されはしない。
 その根本となる観念が「私は在る」だ。
 それが純粋意識の状態を打ち破る。
 すると無数の感覚、知覚、感情、観念がその後に続いていく。
 それらの全体性が神であり、その世界なのだ。
 「私は在る」は観照者として残る。
 しかし、すべては神の意志で起こるのだ。
 
 質問者 私の意志で、ではないのでしょうか?
 
 マハラジ
 またしても、あなたはあなた自身を神と観照者に分割した。
 それらはひとつなのだ。
                     『私は在る』(p136)
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> すべては観念の戯(たわむれ)れだ。

「すべては観念の戯れ」……。

> 観念化から自由になった状態(ニルヴィカルパ・サマーディ)の
> なかでは、何も知覚されはしない。

観念化の過程に……興味を失いさえすればいいんだ……。

そうか……現れは実際に現れている。

ただ……それにまつわる物語は……観念の戯れ……想像にすぎない。

> その根本となる観念が「私は在る」だ。

だから……存在のなかに……本当に個別の“自分”というものがい
るかどうかを……調べなくてはならないんだ。

(-||-)

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 あなたは在る。
 ほかのすべては現れにすぎない。
                     『私は在る』(p421)
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はい。

(-||-)

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 永久的なもの、それはあなた自身の存在である。
 真我として在りなさい。
 それが至福である。
 あなたはいつもそれなのである。
                   『あるがままに』(p58)
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……。(-_-)

ありがとうございました。<(_ _)>

(-||-)

今日はこんなところで。

……。

m(_ _)m


       ………○…………○…………○………


『私は在る』の「目次」はここ↓に置いてあります。
https://www.ascensionkan.com/books/I_AM_THAT-index.html

ときどき「ニサルガ辞書」で遊んでみてください。
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おこがましくも『アセ通』既刊号はすべてここに置いてあります。
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       ………○…………○…………○………


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■ 2.ボブさんの言葉:【動揺する「自分」はいない】
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今回も……ボブさんの無断翻訳を……つづけます。

『Living Reality: My Extraordinary Summer With "Sailor" Bob
 Adamson』
(『生きている実在:セイラー・ボブと過ごした途方もない夏』)
からの抽出翻訳です。

ボブさんご夫妻は……アメリカにきてくれて……今は著者のジェー
ムズ・ブラーハの家に滞在しています。

7月29日に行われた、ボブ、ケリー、エメット、ジェームズ、バー
バラ、の会話の一部です。

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 【動揺する「自分」はいない】
 
 ジェームズ ボブ、あなたは心が動揺したらいつでも「自分」が
       偽りであることを調べるようにと言います。自分で
       やってみて、それが強力だと分かりました。しかし
       ときには動揺があまりに激しく、消えるのにしばら
       くかかることがあります。
 
 ボブ
 一度マインドが何かのなかに入ったら、それを止めるのは難しい
 です。
 しかしあなたは、ただ「『自分』は存在しない」と言っているの
 ですか、それとも実際に調べていますか?
 それを言うのではなく、それを見るのです。
 それを言うのは、単なる概念です。
 
 ジェームズ 最初は「『自分』はいない。ジェームズはいない」
       と言っていたかもしれません。しかし変化はありま
       せんでした。それから私は実際に「自分」を見つけ
       ようとしはじめました。私は「これは誰に起こって
       いるのか?」と尋ねます。
 
 ボブ
 誰かを見つけることはできますか?
 
 ジェームズ いいえ。ここには誰もいません。内側に誰もいない
       ことが明確になります。
 
 ボブ
 そのとおりです。
 そこにどんな実体も存在しないことが明白になります。
 そしてあなたはそれを何度も何度も何度も見ます。
 しばらくの間、あなたはそれを何度も何度も見つづけます。
 「自分」がいないという概念を思い出そうとするのは役に立ちま
 せん。
 何か心の動揺が起こるたびに、自分で調査しなくてはなりません。
 その調査はもっともっと頻繁に起こるようになるでしょう。
 するとそれ以後は、それは独りでに起こってきます。
 2足す2は4だと分かるのと同じです。
 
 ジェームズ それが今起こっています。「なぜこれが私を動揺さ
       せているのか?」と自問して、そこに「自分」がい
       るかどうかを調べるのですが、もちろん、そこには
       誰もいません。
 
 ボブ
 「なぜこれが自分を動揺させているのか?」とも聞かないことで
 す。
 それは「自分」に、見かけの現実性を与えるからです。
 もし「自分」がいないのなら、誰が動揺しているのですか?
 そこに「自分」という観念がなければ、動揺も起こらないでしょ
 う。
 
 ジェームズ 「動揺は起こっているか?」とは言えますか?
 
 ボブ
 もし動揺する「自分」がいないのなら、それはあるはずがない。
 ただ起こっていることを見守り、調べ、それが起こる「自分」が
 いないことを理解するだけです。
 
 ジェームズ では、良くない感じの何かが起こっているとき……。
 
 ボブ
 それは、ただあるがままです。
 代替不能、変更不能、修正不能の。
 それは出来事です。
 もし参照点がなかったら、その動揺はどこにとどまれますか?
 それはしばらく遊び回って、それから消えていきます。
 あなたが「自分」を参照しつづけないかぎり、そうならざるをえ
 ません。
 
 そろそろ「自分」を手放すときです。
 それは一度も存在したことがありません。
 あなたは無です、つまり空っぽなのです。
 あなたはそれを理解しています。
 あなたはそれを確信しています。
 
 ジェームズ 私はときどき自分が動揺すべきではないという概念
       をもちます。
 
 ボブ
 あなたはけっして動揺したことがありません。
 もし「自分」が存在しないのなら、これまで動揺したというそれ
 は何でしょうか?
 エネルギーのパターンが現れ、エネルギーのパターンが消えるの
 です。
 これまで何かをしたそれとは何でしょうか?
 ひとたび「自分」が存在しないことを知ったら、調べる必要もあ
 りません。
 それは即座です。
 
                 『Living Reality』(p254-256)
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ふーむ。

> しかしあなたは、ただ「『自分』は存在しない」と言っているの
> ですか、それとも実際に調べていますか?
> それを言うのではなく、それを見るのです。
> それを言うのは、単なる概念です。

これ……ボブさんというパターン……ボブさんという方便から流露
する……肝心要のメッセージでしようねぇ。

菩提達磨が……慧可に伝えたのも……同じメッセージでしょうか。

「自分」というのが概念である……というその意味が……そのとお
りに……実際に伝わるかどうか……そういうことですね。

例えばpariパターンに……心配(というマインド)が起こったとき
……その心配は……誰に起こっているのか?

心配が起こっているという……その当人は実際に存在するのか?

その吟味作業が……実際に必要だということですね。

これは……pariパターンのような理屈マインドには……逃げ道のな
いメッセージです。

感覚的に納得がいかないとか……そういうことではない。

「自分」というものに……概念以外の……実際の実体が存在するか
どうかを……調べるということだから。

もちろん……心配が起こったときに……この身体である自分に起こ
っている……という感覚が起こるのは当然です。

でもそれは……“この身体である自分”という……二歳までに教え
られた話にすぎない。

教わった話……頭で考えた物語です。

“聞いた話”……“想像した物語”……それこそがまさに……概念
の定義です。

でも……実際に……この身体のなかに……その心配という想念以外
に……それが起こった自分という「実体」が存在するのか?

それは……調べてみないことには……わからない。

もしかしたら……その心配という想念以外には……その想念が起こ
った「自分」という実体など……見つからないかもしれない。

それは……ちゃんと……調べてみなければわからない。

この手間暇を……省くことはできない。

これは……知ってるふりはしないで……ちゃんと確認しないと。

わかりました。

ありがとうございました。

(-||-)


       ………○…………○…………○………


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というのを作らせていただきました。(^^;)

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るメールなど、ご自由にお書きいただければと思います。


       ………○…………○…………○………


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■ 3.編集後記:これがもし釣りなら……やっとアタリが
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もう暗くなりました。

なんか……これがもし釣りなら……やっとアタリがきたのかも。

慌てないで……焦らないで……ゆっくり手繰りよせなくては。

ブラーハさんも……とば口まで……来たみたいだし。

> そろそろ「自分」を手放すときです。

はい。

> それは一度も存在したことがありません。
> あなたは無です、つまり空っぽなのです。

(-||-)

もう……夕食みたいです。

おやすみなさい。

<(_ _)>


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■ 【作者】 『アセンション資料館』主人 pari
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  → メール: pariアットマークjk2.so-net.ne.jp
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