home > 通信 > 『アセンション館通信』第500号:多様性のなかに自分はいるか?



━━━━☆☆☆☆━━━━━━━━━━━━━━ by paritosho ━
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 ☆☆     ☆☆『アセンション館通信』2013/11/3(第500号)
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☆☆      ☆★ 【気刊】――「私は在る」に導かれ♪――
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 ☆☆   ☆☆          https://www.ascensionkan.com/
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このメルマガはアセンション館主人 pari と称するあるパターンに
浮上している心象風景の報告です。

実在するのはただ不垢不浄不増不減の永遠の<今・ここ>のみ。

織り出されたエネルギーパターンは、そのエネルギーが尽きるまで
は、何らかの形を取らざるをえません。

内容は人畜無害、でも読む人は相当変わっていますね。現在867名
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◇◇ もくじ ◇◇

1.多様性のなかに自分はいるか?

2.ボブさんの言葉:【マインドがマインドと葛藤している】

3.編集後記:恥ずかしくても……恥ずかしくても……。
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■ 1.多様性のなかに自分はいるか?
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何も問題はない。

問題というものは何も実在しない。

問題というものは、ただ思考とか想念といった肉体にまつわる知覚
可能な現象のなかで、つかの間<今・ここ>に浮上するのみ。

知覚可能な現象は、身体的原理に基づいてしか顕現できない。

身体的原理とはすなわち、感覚的多様性と、その多様性の中に発生
する“個体”幻想を、ともに維持するための原理だ。

現象のなかに主体と客体を発生させ、その主体の観点から現象世界
を識別、分別、判断させ、多様性を生じさせるための。

他の言い方をするなら、知覚可能な現象は“二元性の原理”のもと
でしか顕現できない。

だが人間の身体と、その他の動物の身体はどうも少し違うらしい。

他の動物の身体も、感覚的多様性とその多様性のなかの個体幻想を
支えるようだが、どうやらその個体幻想は微睡んでいるらしい。

その点では、人間種の個体幻想はとても進化しているようだ。

もっとも、スピリチュアル系の物語のなかでは、それは蝶に羽化す
る前の蛹の最終段階とも、言われるのかもしれない。

だが『神との対話』で語られるHEB(highly evolved being)、高度
に進化した存在の世界にも、問題がないとは言えないのだろう。

いわゆる地球と呼ばれる惑星の問題にまで関わってくるのだから。

ならば、HEBもまた、人間の一種なのだろう。

つまり、身体的原理すなわち、感覚的多様性とその多様性のなかに
存在する“個体”幻想を維持する原理のなかで顕現するのだろう。

「二元性の原理」のなかで……。

それは現れの世界であり、現れの世界のなかにまったく問題が現れ
ないことはできないだろう。

問題が現れ、葛藤が現れなければ、現象世界は早晩、顕現できなく
なるだろうから。

多様性、個体幻想、問題……、マインドに現れる知覚可能な現実の
なかで、マインドは如何にして自縄自縛に陥るのか……。(-_-;)

そうか、問題を問題にするかぎり、問題は現れるのか。(-_-)

(@_@)

(*^_^*)

さて、またまた一週間が過ぎて、楽しい“アセンション噺”ならぬ
「私は在る」噺に、お付き合いいただく今がやってまいりました。

『アセンション館通信』配達人の pari です。(^^)/

みなさま固有の「私は在る」を、いかがお過ごしでしょうか?

論理的納得は、単純化のなかでしか起こりえないでしょう。

問題は、感覚的現実のなかに発生します。

問題というものは、感覚的現実のなかで発生する多様性と個体幻想
に関わりがあるようです。

感覚対象の“断捨離”が気持ちの整理に役立つなら、論理の整理
には論理対象の“断捨離”が役立つかもしれません。

どのみち論理が何かを理解できるはずもないのですが。

コンピュータが「コンピュータを創った人間の気持ちが分かった」
と言ったら、人間は理解された気持ちになるだろうか? (^_-)

とは言え、多分論理的“断捨離”は、論理的納得に役立でしょう。

というわけで、何か落ち着かない気持ちがあるとき、何が起こって
いるのか整理するのは、役に立つかもしれません。

感覚的現象世界は、ある種の知覚主体のようなものに対する(ある
いはその知覚主体のなかの)変化として顕現します。

現象世界とは、現象している世界のことであり、つまり変化してい
る世界のことです。

その感覚的現象世界には、かならず多様性があります。

なぜなら多様性がなくては、知覚対象にはなりえないからです。

100パーセントの暗黒だけでも、100パーセントの光だけでも、そこ
に視覚は起こりえないでしょう。

さて、ある種の知覚可能主体に対して(あるいはそのなかで)、あ
る種の変化が起こり、何かが確認される。

「私は在る」の発生です。

そのある種の変化に即応して知覚可能主体のなかに知覚が生成され、
ある種の変化なかのパターンが知覚される。

つまり、マインドの発生です。

そして知覚された現象のなかにパターンが知覚され、多様性の知覚
が発生する。

多様性が知覚されるということは、つまり多様性が発生するという
ことです。

そして最後に、その多様性のなかのあるパターンに対する自己同化
が発生する。

いったい何が「自己同化」するのか? (?_?)

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 マインドとは誤解するものだ。
 誤解がその本性そのものなのだ。
                     『私は在る』(p540)
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マハラジのこの言葉は、マインドが自分の存在を確信する、という
ことを意味しているのかもしれません。

部品に分解するような説明をするなら、知覚可能主体のなかに自動
生成される知覚が、知覚対象に「自己同化」するとも言える。

つまり知覚対象である多様性のなかのあるパターンへの依怙贔屓、
一種の偏見、あるいは、その「核」のようなものが生成される。

つまり、エゴ(=自我=個体幻想)の発生です。

この個体幻想が、生成され変転する多様性のパターンを、いろいろ
な思いつきで解釈する。

これが、世界の発生でしょう。

世界とは、知覚対象である多様なパターンに対する解釈です。

世界が発生するために、多様性の発現は必要条件ですが、充分条件
ではない。

二歳までの幼児は、生成され変転する多様性のパターンを見てはい
ても、知覚してはいない、認識してはいない。

知覚し、認識するための、記憶を準備しているのでしょう。

言い換えれば、世界を解釈するための文脈を準備しているのです。

もちろん、その文脈は、すべて外側から提供されたものです。

つまり、すべては聞いた話です。

映画のスクリーン上に、問題はあるでしょうか?

スクリーン上に点滅するパターンのなかに、問題はあるか?

まさか“スクリーン上に点滅するパターン”自体のなかに物語が、
心理的“問題”が存在できる、と言う方はいないでしょう。

もちろん、心理的“問題”は、その映画を観ている者のなかにしか
ありえません。

そしてその上で、問題はあるとも言えるし、ないとも言える。

映写機からスクリーン上に投影されるパターンのなかに、ある物語
を想像できれば、その物語に応じた問題はあるかもしれない。

しかし二歳以前の幼児をそこに連れて行っても、その子にとっては
映画のスクリーン上に問題は存在しない。

また二歳から幼稚園児くらいまでの幼児には、映画の世界に対する
開発程度に応じて、ある程度の問題は発生するかもしれない。

またもちろん、観客がいなければ、たとえそこで映画が上映されて
いたとしても、スクリーン上に問題は存在しない。

その映画は映写技師の記憶のなかにしか存在しない。

もし映写技師もそこにいなかったのなら、そもそもその映画は現象
していなかった、ということでしょう。

要するに、現象世界の問題というのはすべて、その現れのパターン
に対する解釈(=心的現象)のなかにしか存在しない。

したがって、もしその現れのパターンを解釈する当人が存在するな
ら、問題はその人間のなかにしか存在しないことになる。

だがもし、その現れのパターンを解釈する当人という実体が存在し
なかったら、問題というものは存在できないことになる。

存在できないので、現象としてもとどまれないでしょう。

論理的納得には、論理的“断捨離”が必要だ、という前提で書きは
じめました。

煎じ詰めたところ、問題の存在には、比較のための多様性と、その
多様性のなかのあるパターンへの自己同化が必要です。

図式化するなら、

【多様性】+【その一部への自己同化】=【物語(=問題)】

でしょうか。

単純化するなら、

【多様性】+【自己同化】=【問題)】

です。

そしてこの【自己同化】は、【多様性】のなかに【自己(個人)】
が存在できる、という「幻想」に基いています。

ここでもまた、論点を煎じ詰めます。

【多様性】のなかに【自己】は存在するか? です。

この論点は、映画のスクリーン上に自分はいるか? というテーマ
とまったく同じであることがわかります。

映画の主人公の立場に感情移入して、そこで一喜一憂することはで
きます。

しかし、映画の観客である“自分”は、映画のスクリーン上には、
存在しません。

そのことは、自明です。

スクリーン上に展開されている世界は、観客である“自分”が観て
いる世界です。

見られている世界に、観ている自分は所属できない。

観客の自分は、映画のなかのパターンに感情移入できるだけです。

映画が終わって、館内に明かりがつけば夢は終わりです。

この身体の寿命が来れば、この人生は終わります。

しかし、映画館のなかに上映中にも眠っている観客もいる。

その観客には、映画は存在しない。

ときどき目を覚まして、また笑ったり、また寝入ったりする。

われわれも毎日何時間かは、眠ってこの世界から休みます。

お休みなさい、とか言って人にも勧めて。(^_-)

見られた世界には【多様性】が現れる。

しかし、【多様性】のなかに【自己】は存在できるだろうか?

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 時間はマインドのなかに在る。
 空間はマインドのなかに在る。
 因果律もまた、ひとつの考え方なのだ。
 実際には、すべては今ここに在り、すべてはひとつなのだ。
 多様性や多彩性もマインドのなかにのみ在る。

                     『私は在る』(p133)
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(-||-)

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 あなたは在る。
 ほかのすべては現れにすぎない。
                     『私は在る』(p421)
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はい。

(-||-)

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 永久的なもの、それはあなた自身の存在である。
 真我として在りなさい。
 それが至福である。
 あなたはいつもそれなのである。
                   『あるがままに』(p58)
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……。(-_-)

ありがとうございました。<(_ _)>

(-||-)

今日はこんなところで。

……。

m(_ _)m


       ………○…………○…………○………


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■ 2.ボブさんの言葉:【マインドがマインドと葛藤している】
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今回も……ボブさんの無断翻訳を……つづけます。

『Living Reality: My Extraordinary Summer With "Sailor" Bob
 Adamson』
(『生きている実在:セイラー・ボブと過ごした途方もない夏』)
からの抽出翻訳です。

ボブさんご夫妻は……アメリカにきてくれて……今は著者のジェー
ムズ・ブラーハの家に滞在しています。

7月30日に行われた、ボブ、アン、ヴァスティ、ジェームス、ケリー、
エメット、デルの会話の一部です。

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 ボブ、アン、ヴァスティ、ジェームス、ケリー、エメット、デル
             7月30日

 【マインドがマインドと葛藤している】

 ボブ
 存在意識、あるいは存在の気づきが、あなたであるものです。
 フルストップ(そこで停止)。

 アン でも私はまだエゴの思考を持っています。

 ボブ
 誰がですか?
 あなたがそう言うとき、あなたはそれをその「私」という思考に
 帰属させているのですが、それが出来事や情況に追加されて精神
 的像が形成されたのです。
 つまり、あなたが「私はまだエゴの思考をもっています」と言う
 とき、その「私」自体が思考なのです。
 ですから思考が、自分が思考をもっていると信じている、それが
 葛藤です。
 そういう思考が好きでないか、または別の思考が欲しいために、
 それはそれらの思考を排除したい。
 ですからそれは、マインドがマインドと葛藤しているのです。
 そんなことをしても苦しむだけで、けっしてどこへも行きません。

 アン 私が尋ねる質問はすべて、基本的に存在意識の上にかかっ
    た「雲」なんですね。

 ボブ
 そのとおりです。

 エメット 私が初めてこの知識を聞いたとき、私はその雲[思考]
      は悪いのだと思いました。あたかもわれわれがそれを
      排除すべきであるかのように。

 ボブ
 人々はマインドを排除しなければならないと思っています。
 マインドは敵ではありません。
 それは正しく使われるなら素晴らしい道具です。

 エメット 絶対的観点からするなら、人間の気づきのほうが犬の
      気づきよりましだというようなことはありません。

 ボブ
 そうです。

 エメット 宗教は私たちに、私たちは動物より優れていると教え
      てきました。私たちはより高い進化の形態であり、そ
      れゆえより優れていると。それはすべてマインドです。
      犬は、私たちと同じだけ、存在意識を生きています。
      宗教は私たちに、他の参照点をすべて統合するための
      参照点を与えるのです。

 ジェームス 僕がある友人に、君が顔を洗うとき君は何千という
       微生物を殺しているのだと言ったら、彼は「人間は
       進化の最高形態だから、そんなのはお門違いだ」と
       言ってたけどね。[みんなが笑う]

 ケリー たいていの場合、よく世話された犬はその所有者よりも
     幸せだよ。犬に必要なのは食べ物と、住む場所と、いく
     らかの愛だけだから。僕らの必要リストを見るといい。
     愛、金、権力、評判、なにやかや、終わりがないよ。

                 『Living Reality』(p257-258)
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まったく。

自惚れの塊になることが、必要なんだろうなぁ。

> つまり、あなたが「私はまだエゴの思考をもっています」と言う
> とき、その「私」自体が思考なのです。

了解です。

> ですから思考が、自分が思考をもっていると信じている、それが
> 葛藤です。

わかります。

> そういう思考が好きでないか、または別の思考が欲しいために、
> それはそれらの思考を排除したい。

そういうことかぁ……。

> ですからそれは、マインドがマインドと葛藤しているのです。

はい。

> そんなことをしても苦しむだけで、けっしてどこへも行きません。

ですねぇ。(-_-)

……。

ありがとうございました。

(-||-)


       ………○…………○…………○………


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というのを作らせていただきました。(^^;)

「私は在る」に関するご意見・ご感想・シェアリング、または単な
るメールなど、ご自由にお書きいただければと思います。


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■ 3.編集後記:恥ずかしくても……恥ずかしくても……。
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愚かな自分……というような者はいない。

愚かな自分……という想念があるだけだ。

途方もなく理解が遅い自分……というような者もいない。

途方もなく理解が遅い自分……という想念が一瞬現れただけだ。

恥ずかしくても……恥ずかしくても……恥ずかしい自分というよう
な実体が……存在するわけじゃない。

恥ずかしくても……恥ずかしくても……という想念が現れただけだ。

恥ずかしくても……恥ずかしくても……。

カルマのエネルギーが尽きるまでは。

おやすみなさい。

<(_ _)>


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■ 【作者】 『アセンション資料館』主人 pari
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  → メール: pariアットマークjk2.so-net.ne.jp
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