home > 通信 > 『アセンション館通信』第501号:移りゆくのはただ景色だけ



━━━━☆☆☆☆━━━━━━━━━━━━━━ by paritosho ━
  ☆☆   ☆☆ 
 ☆☆     ☆☆『アセンション館通信』2013/11/10(第501号)
☆☆   ☆   ☆☆
☆☆      ☆★ 【気刊】――「私は在る」に導かれ♪――
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 ☆☆   ☆☆          https://www.ascensionkan.com/
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このメルマガはアセンション館主人 pari と称するあるパターンに
浮上している心象風景の報告です。

実在するのはただ不垢不浄不増不減の永遠の<今・ここ>のみ。

想念は起こっている、身体と同じように。だが想念は自分が存在し
ていると誤解して、滅ぶことを心配している。わたしは在るか。

内容は人畜無害、でも読む人は相当変わっていますね。現在866名
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◇◇ もくじ ◇◇

1.移りゆくのはただ景色だけ

2.ボブさんの言葉:
        【選択はなされるだろうが、誰によるものでもない】

3.編集後記:恥ずかしくても……恥ずかしくても……。
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■ 1.移りゆくのはただ景色だけ
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マインドは問題を作りつづけます。

だから、マインドに焦点を合わせれば、いつでも問題はあります。

そんなことは分かっていても、それでもマインドは動くものには、
焦点を合わせざるをえない。(*^_^*)

そうやって、これまでずっとやってきたわけですから。

それ自体振動している想念(=マインド)が、振動している見かけ
(=マインド)に焦点を合わせる……。

これで安らぎを求めるなんて、それはどだい無理な話です。

待てよ、でも……、この話は本当なのか? (?_?)

この……「それ自体振動している想念(=マインド)が、振動して
いる見かけ(=マインド)に焦点を合わせる」、という話は。

マインドが何かに、焦点を合わせたりできるものなんだろうか?

いや……、嘘だなこれは……たぶん。(-_-;)

これは、今配達されたマインドに仕掛けられた冗談だ。

マインドが、何かに焦点を合わせることなんかできないよ。

何かに焦点を合わせたマインドが、配達されるだけだ。

もちろん。

ということは、今この文字を観ているのは、【それ】なんだ。

今この文字やその想念を観ているのは……、【それ】なんだ。

マインドを観ているのは、【それ】なんだ。

マインドを観ているのは、マインドじゃない。

そうなんだ……。(-_-;)

……。

(*^_^*)

さて、またまた一週間が過ぎて、楽しい“アセンション噺”ならぬ
「私は在る」噺に、お付き合いいただく今がやってまいりました。

『アセンション館通信』配達人の pari です。(^^)/

みなさま固有の「私は在る」を、いかがお過ごしでしょうか?

覚者たちの話法は、それぞれ異なります。

色々な話法に興味をもつことは、意味がないようでもあり、意味が
あるようでもあり……。

でも結局は、起こったことが起こるべきことだったとしか言えない
でしょう。

その他にの起こり方は、しなかったわけです。

なぜなら、見かけの世界の全体の都合で、起こったのはそのことだ
ったのですから。

ただ、見かけに興味を持ち、見かけの世界に焦点を合わせているか
ぎり、仮想された個人は、欲望し、恐れなければならない。

そして、つかの間の架空の喜びを追いかけながら、苦しみつづけな
ければならないのでしょうね。

もちろん、“旬の人生”みたいなものもあるでしょう。

でもそれは、テレビを眺めるたくさんの老人たちの前で、美男美女
の物語が映っているみたいなものかもしれません。^^;;

じつはただ、夢を観ているたった一人がいるだけかもしれません。

しかもその夢のなかで、その物語はだんだん魅力を失っていく。

もちろん、身体を生かしておくために、夢のなかでも色々努力をし
なければならないようでもありますが。

でも、その物語にも、かつてほどの魅力はない。

世の中には、魅力のある話もたくさんあるはずです。

でもなぜか、それに魅力を感じる“自分”がいなくなっている。

あるいは、若い身体と若い心がなくなっている。

にもかかわらず、まだ身体を維持しなければならないという一種の
リアリティだけはつづいている……。

そんなとき、ふと、いつも無条件で待っていてくれる【真我】の話
を思い出すのです。

そうだ、「真我」の“ラッピング”に夢中になって、なかの贈り物、
「真我」そのもののことを忘れていただけだった、と。

真我は真我だから、真我の興味以上の押し付けがましさで、真我の
興味を占領することは、ないんですよね……。(*-_-*)

聴く耳が現れれば、それに応じて語る口も現れます。

覚者のもとを離れて、生活空間に帰ろうとする女性の必死の思いに
応えて、ラマナ・マハルシは次のように語ります。

------------------------------------------------------------
 質問者 どうすれば真我に達することができるのでしょうか?
 
 マハルシ
 真我に達するというようなことはないのです。
 もし真我が達せられるようなものなら、それは今ここには存在せ
 ず、新たに獲得されるものということです。
 新たに獲得されたものは、やがて失われるでしょう。
 それはつまり一時的なはかないものだということです。
 永遠なるものでなければ、努力して得るだけの価値もありません。
 だからこそ、私は真我に達するということはないと言うのです。
 あなたは真我です。
 あなたはすでに「それ」なのです。
 事実は、あなたは自分の至福に満ちた状態に無知だということで
 す。
 無知が起こり、純粋な至福の上に覆いを被せてしまったのです。
 私たちが試みるべきことは、この無知を取り除くことだけです。
 この無知は誤った知識で成り立っています。
 誤った知識は真我を身体や心と同一視することで成り立っていま
 す。
 この偽りの自己同一化が取り除かれなければなりません。
 そのとき、そこに真我が残るのです。
 
 質問者 それはどのようにして起こるのでしょうか?
 
 マハルシ
 真我を探究することによってです。
 
 質問者 それが難しいのです。私は真我を実現できるでしょうか?
     マハーラージ、どうかお教えください。それはあまりに
     も難しく見えます。
 
 マハルシ
 あなたはすでに真我なのです。
 それゆえ、実現はすべての人にとって共通のものです。
 実現に関しては、それを熱望する人の間にいかなる違いも差もあ
 りません。
 「私は実現できるだろうか?」という疑いや「私はまだ実現して
 いない」という感覚自体が障害なのです。
 それらからも自由になりなさい。
 
 質問者 しかし体験があるべきです。体験を得ないかぎり、どう
     してそのような悩みから自由になれると言うのでしょう?
 
 マハルシ
 それもまた心の中にあります。
 あなたが自分を身体と同一視したためにそのような悩みは起こる
 のです。
 この偽りの自己同一化が落とされ無知が消え去れば、真理は顕わ
 になるでしょう。
 
 質問者 私にはそれが困難に感じられるのです。バガヴァーンの
     弟子の中には、何の困難もなく恩寵を受け、真我実現を
     達成した人たちがいます。私もその恩寵を願っています。
     一人の女性として遠く離れたところで暮らす私には、自
     分の望むようにマハルシの聖なるサットサンガに加わる
     ことができません。二度とここに戻ることさえできない
     かもしれないのです。バガヴァーンの恩寵を願っていま
     す。私がラクナウに帰ったときもバガヴアーンを覚えて
     いたいのです。どうぞ私の祈りをかなえてくださいます
     ように。
 
 マハルシ
 あなたはどこに行くと言うのですか?
 どこへも行きはしないのです。
 たとえあなたが身体であると考えたとしても、あなたの身体がラ
 クナウからティルヴアンナーマライまで来たのでしょうか?
 あなたはただ車、あるいは何か他の乗り物に座って運ばれてきた
 だけです。
 そして、ついにあなに到着したと言うのです。
 しかし事実は、あなたは身体ではありません。
 真我が動くことはありません。世界が真我の中で動くのであって、
 あなたはただ「あるがまま」なのです。
 あなたの中には何の変化もありません。
 それゆえ、この場所を離れた後でも、あなたはここに、そこに、
 そしてすべての場所に存在しています。
 移りゆくのはただ景色だけなのです。
 
 そして恩寵についてですが、それはあなたの内に在ります。
 恩寵が外側に在るとすれば、それは無益なものでしょう。
 しかし恩寵とは真我なのです。
 あなたが恩寵の影響から外へ出ることはありえません。
 恩寵は常にそこに在るのです。(p414-416) 
 
             『ラマナ・マハルシとの対話 第1巻』 
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(-_-)

> 真我に達するというようなことはないのです。
> もし真我が達せられるようなものなら、それは今ここには存在せ
> ず、新たに獲得されるものということです。

何度も聞いた言葉ですが、あらためて、これは絶対です。

> 新たに獲得されたものは、やがて失われるでしょう。
> それはつまり一時的なはかないものだということです。
> 永遠なるものでなければ、努力して得るだけの価値もありません。

完璧ですね。

> だからこそ、私は真我に達するということはないと言うのです。
> あなたは真我です。
> あなたはすでに「それ」なのです。

はい。(-||-)

> 事実は、あなたは自分の至福に満ちた状態に無知だということで
> す。

まったく。(;_;)

> 無知が起こり、純粋な至福の上に覆いを被せてしまったのです。
> 私たちが試みるべきことは、この無知を取り除くことだけです。

はい。

> この無知は誤った知識で成り立っています。
> 誤った知識は真我を身体や心と同一視することで成り立っていま
> す。
> この偽りの自己同一化が取り除かれなければなりません。
> そのとき、そこに真我が残るのです。

そうか。

> 質問者 それはどのようにして起こるのでしょうか?

そう。

> マハルシ
> 真我を探究することによってです。

……。(>_<)

> 質問者 それが難しいのです。私は真我を実現できるでしょうか?
>     マハーラージ、どうかお教えください。それはあまりに
>     も難しく見えます。

うん。

> マハルシ
> あなたはすでに真我なのです。
> それゆえ、実現はすべての人にとって共通のものです。
> 実現に関しては、それを熱望する人の間にいかなる違いも差もあ
> りません。

わかりました。

> 「私は実現できるだろうか?」という疑いや「私はまだ実現して
> いない」という感覚自体が障害なのです。
> それらからも自由になりなさい。

ええ。

> 質問者 しかし体験があるべきです。体験を得ないかぎり、どう
>     してそのような悩みから自由になれると言うのでしょう?

確かに。

> マハルシ
> それもまた心の中にあります。

そうか……。

体験とは、これもまた夢のなかの物語。

> あなたが自分を身体と同一視したためにそのような悩みは起こる
> のです。

わかります。

> この偽りの自己同一化が落とされ無知が消え去れば、真理は顕わ
> になるでしょう。

現れは夢……、夢は夢……。(-_-)

> 質問者 私にはそれが困難に感じられるのです。バガヴァーンの
>     弟子の中には、何の困難もなく恩寵を受け、真我実現を
>     達成した人たちがいます。私もその恩寵を願っています。
>     一人の女性として遠く離れたところで暮らす私には、自
>     分の望むようにマハルシの聖なるサットサンガに加わる
>     ことができません。二度とここに戻ることさえできない
>     かもしれないのです。バガヴァーンの恩寵を願っていま
>     す。私がラクナウに帰ったときもバガヴアーンを覚えて
>     いたいのです。どうぞ私の祈りをかなえてくださいます
>     ように。

あなたは、わたし……。

> マハルシ
> あなたはどこに行くと言うのですか?
> どこへも行きはしないのです。

おお……。

> たとえあなたが身体であると考えたとしても、あなたの身体がラ
> クナウからティルヴアンナーマライまで来たのでしょうか?
> あなたはただ車、あるいは何か他の乗り物に座って運ばれてきた
> だけです。

ええ。

> そして、ついにあなに到着したと言うのです。

はい。

> しかし事実は、あなたは身体ではありません。

確かに。

身体はわたしの夢のなかに見えていますから。

> 真我が動くことはありません。世界が真我の中で動くのであって、
> あなたはただ「あるがまま」なのです。

はい。

> あなたの中には何の変化もありません。
> それゆえ、この場所を離れた後でも、あなたはここに、そこに、
> そしてすべての場所に存在しています。

はい。

> 移りゆくのはただ景色だけなのです。

……。(-||-)

> そして恩寵についてですが、それはあなたの内に在ります。
> 恩寵が外側に在るとすれば、それは無益なものでしょう。

あ、確かに。(@_@)

「恩寵が外側に在るとすれば、それは無益なもの」……。(-||-)

> しかし恩寵とは真我なのです。

そうか。

それしかありえません。

> あなたが恩寵の影響から外へ出ることはありえません。

はい。

> 恩寵は常にそこに在るのです。(p414-416) 

ありがとうございました。

------------------------------------------------------------
 あなたは在る。
 ほかのすべては現れにすぎない。
                     『私は在る』(p421)
------------------------------------------------------------

はい。

(-||-)

------------------------------------------------------------
 永久的なもの、それはあなた自身の存在である。
 真我として在りなさい。
 それが至福である。
 あなたはいつもそれなのである。
                   『あるがままに』(p58)
------------------------------------------------------------

……。(-_-)

ありがとうございました。<(_ _)>

(-||-)

今日はこんなところで。

……。

m(_ _)m


       ………○…………○…………○………


『私は在る』の「目次」はここ↓に置いてあります。
https://www.ascensionkan.com/books/I_AM_THAT-index.html

ときどき「ニサルガ辞書」で遊んでみてください。
https://www.ascensionkan.com/ndic/

新しい「ラマナ・マハルシ辞書」はここです。
https://www.ascensionkan.com/rdic/

おこがましくも『アセ通』既刊号はすべてここに置いてあります。
https://www.ascensionkan.com/mm/


       ………○…………○…………○………


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■ 2.ボブさんの言葉:
      【選択はなされるだろうが、誰によるものでもない】
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今回も……ボブさんの無断翻訳を……つづけます。

『Living Reality: My Extraordinary Summer With "Sailor" Bob
 Adamson』
(『生きている実在:セイラー・ボブと過ごした途方もない夏』)
からの抽出翻訳です。

ボブさんご夫妻は……アメリカにきてくれて……今は著者のジェー
ムズ・ブラーハの家に滞在しています。

7月30日に行われた、ボブ、アン、ヴァスティ、ジェームス、ケリー、
エメット、デルの会話の一部です。

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 【選択はなされるだろうが、誰によるものでもない】
 
 アン ボブ、私は強烈な政治的関心をもっています。ではこれか
    ら私は、それらをただの思考として見るのでしょうか?
 
 ボブ
 あなたはそこで積極的活動をしていたかもしれません。
 しかし誰がそれをしているのでしょうか?
 そこにそれらをしている「あなた」がいますか?
 それはただ、その働きがそのように起こったのです。
 
 アン でも私が選択しているように思えます。
 
 ボブ
 選択はなされるでしょう。
 好みはあるでしょう。
 参照点は浮上してきます。
 しかしそれらが起こりうる(対象の)どんな実体も存在しません。
 私たちはここに実体があると信じてきただけなのです。
 その「私」は選択するどんな能力をもっているでしょうか?
 その「私」はただの思考です。
 それはどんな力も、どんな独立した本質ももっていません。
 それは無力です。
 気づきの存在がなければ、それは存在もしなかったでしょう。
 思考とは単なるエネルギーのパターンです。
 あなたこそが生命そのものなのです。
 知性エネルギーから何ひとつ取り去ることはできません。
 それは完成そのものです。
 それ以外はすべて見かけです。
 
 アン 私が言いたいのは、このことすべてについて私は考えなけ
    ればならないということです。[みんな笑う]
 
 ボブ
 [笑いながら]マインドの中にその解答はけっして見つからない
 でしょう。
 
 アン 見つかりません。
 
 ケリー 誰かの性質がどうして政治的になるのか、僕にははっき
     り理解できます。同時に、対極のペアが互いに不可欠だ
     ということを理解するのは本当に重要です。善がなくて
     は悪はありえない。それらは相互に定義しあっています。
     それらは同じ棒の両端であり、片方の端しかない杖を持
     つことはできない。つまり、ある意味で、悪を防ぐガー
     ドレールがどこにあるのか?です。「これはあるべきで
     ない。私たちはそれを撲滅すべきだ」と言う元気が少し
     なくなります。何一つ排除できません。すると非二元性
     の理解で、どんなことについても自分の感じを言う元気
     がなくなってしまうのです。
 
 ジェームス それなのに、戦争を止めるとか、小児麻痺を治すと
       か、何か明らかな問題を解決するとか、たくさんの
       能力があるんです。それはただの楽しみです。それ
       には意味はない、でも楽しみなんです。
 
 ケリー まさにそう。僕は政治に関心がないけど、でも他の誰か
     は理解がありながら、それでも政治的性質をもつことも
     ありうる。
 
 バーバラ オーストラリアで、電話ボックスからボブと非二元に
      ついて話した人がいたの。でボブが言うことを聞いて
      彼は「もしどんなことにも何の意味もなく、すべてが
      幻想だというなら、私は何もしない」と言ったの。そ
      したらボブが「これから三十年その電話ボックスにい
      てごらんなさい」って。[みんな笑う]
 
 ボブ
 考えることは本当にたくさんの問題を引き起こすことができます。
 動物の群れなら、ライオンが群れを追ってついに一頭を捕まえた
 ら、その群れはしばらく走ってやがて止まります。
 群れはまた草を食べるか何かして、過去のことは忘れます。
 もしそれが我々に起こったら、我々は「彼はまだそこにいるか?
 まだ我々の後を追っているか?」としょっちゅう心配して、振り
 返りつづけるでしょう。
 人生に取り組むのではなく、頭のなかの問題ばかりがずっとつづ
 くことになります。
 
 デル 私は家の中でゴキブリを見つけたらいつでも、彼のために
    祈ってからそれを殺すんです。[みんな笑う] ある日、
    1匹捕まえて、生きられるように外に出したんです。1秒
    か2秒のうちに、トカゲが出てきてそれを食べましたよ!
 
 ボブ
 それはトカゲにとってはいいことで、ゴキブリにとっては悪いこ
 とでした。
 インドに行ったら、自分が一人の乞食には金をやって、別の乞食
 には、失せろ!と言っているのに気づきます。
 なぜか?
 それが起こったこと、というだけです。
 
 アン 昨日デルが、あることで取り乱してから、その問題が自分
    の育ちと関係があるかもしれないと気づいたと言いました。
    その出来事が彼に過去の記憶を思い出させたのです。その
    認識があれば、これからあまり取り乱さなくなるのでしょ
    うか?
 
 ボブ
 もちろんです。
 より早く自分を取り戻すでしょう。
 
 アン もし私がある問題についてそれほど夢中にならないか、あ
    るいはそれを面白がるようになれば、私はそれをゲームと
    見なして、それが問題ではなくなるんですね。
 
 バーバラ 非二元の知識は、人生をずっと容易にします。いずれ
      にせよけっして成果をもたらさない未来の問題につい
      て心配するのを止めるのは簡単です。
 
 ケリー 時々全体の単なる側面としてものごとが起こります。た
     とえば、ときどき私が腹を立てるとき、それはただ感情
     が起こっているだけです。それは自分のものとは感じら
     れません。それは私といっしょにいる誰もが感じるただ
     の一つの出来事です。
 
                 『Living Reality』(p258-260)
------------------------------------------------------------

なるほど。

> アン でも私が選択しているように思えます。

そう思えますよね。

というか、だんだん思えなくなりつつあるけど。(^^;)

> ボブ
> 選択はなされるでしょう。
> 好みはあるでしょう。
> 参照点は浮上してきます。

間違いなく。

> しかしそれらが起こりうる(対象の)どんな実体も存在しません。

“自分”があるという感覚が、ラメッシ・バルセカールが言うとこ
ろの「聖なる催眠」ですよねぇ。

でも、この身体過程も、想念も、全体に織り込まれた波動として、
一瞬現象しているだけ。

それも確かなんだよなぁ。

> 私たちはここに実体があると信じてきただけなのです。

そうなんだなぁ。

> その「私」は選択するどんな能力をもっているでしょうか?
> その「私」はただの思考です。

そう、一瞬現れている思考です。

“私”が気づいているのではなく、気づきの中に“私”という想念
が浮上してきただけ。

> それはどんな力も、どんな独立した本質ももっていません。
> それは無力です。

一瞬浮上した想念に、どんな力もない。

> 気づきの存在がなければ、それは存在もしなかったでしょう。

はい。

> 思考とは単なるエネルギーのパターンです。

わかります。

> あなたこそが生命そのものなのです。

はい。

もし、この気づいているのが、わたしならば。

> 知性エネルギーから何ひとつ取り去ることはできません。
> それは完成そのものです。
> それ以外はすべて見かけです。

(-||-)

……。

ありがとうございました。

(-||-)


       ………○…………○…………○………


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というのを作らせていただきました。(^^;)

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るメールなど、ご自由にお書きいただければと思います。


       ………○…………○…………○………


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■ 3.編集後記:こんなことでも、何年もつづけていたら、
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毎回毎回、同じようなことを書いています。

でも、こんなことでも、何年もつづけていたら、もしかしたら何枚
かの薄紙が剥がれているのかもしれない。

まあ、それくらいが気休めでしょうか。

おやすみなさい。

<(_ _)>


━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━
■ 【作者】 『アセンション資料館』主人 pari
━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━
  → メール: pariアットマークjk2.so-net.ne.jp
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