━━━━☆☆☆☆━━━━━━━━━━━━━━ by paritosho ━
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☆☆ ☆☆『アセンション館通信』2013/11/17(第502号)
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☆☆ ☆★ 【気刊】――「私は在る」に導かれ♪――
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このメルマガはアセンション館主人 pari と称するあるパターンに
浮上している心象風景の報告です。
実在するのはただ不垢不浄不増不減の永遠の<今・ここ>のみ。
想念は身体と同じく起こっていても、存在してはいない。ただ想念
は存在していると誤解して、滅ぶことを心配しているだけ。
内容は人畜無害、でも読む人は相当変わっていますね。現在864名
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◇◇ もくじ ◇◇
1.思考であるあなたが
2.ボブさんの言葉:
【アドヴァイタは良くなるための処方箋ではない】
3.編集後記:メルマガを書いているのは“自分”じゃないと
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■ 1.思考であるあなたが
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今日の前半は、雲ひとつない秋晴れでした。
気持ちの良い秋晴れの午前中を、本を読んで過ごしました。
> 努力しようと休もうと
>
> 得るものも失うものもない (『Ashtavakra Gita』(p95) )
という言葉が、ありがたいです。
(*^_^*)
さて、またまた一週間が過ぎて、楽しい“アセンション噺”ならぬ
「私は在る」噺に、お付き合いいただく今がやってまいりました。
『アセンション館通信』配達人の pari です。(^^)/
みなさま固有の「私は在る」を、いかがお過ごしでしょうか?
マハラジの語法で、「意識」と「実在」が区別されるのは、ご存知
だと思います。
「意識」はコンテンツを表現する変化の相として、「実在」のなか
にホコリのように浮かんでいるようなイメージでしょうか。
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光線がほこりの微少片にさえぎられないかぎり目に見えないよう
に、至高なるものもすべてを既知にしながら、それ自身は未知と
してとどまるのだ。
『私は在る』(p85)
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と……。(-_-)
上の文章は「世界」と「至高なるもの」を描写したもので、文字ど
おりに「意識」と「実在」を識別したものではありませんが。
「意識」と「実在」の区別については次のような表現があります。
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私にとってたったひとつ明白なことは、存在するすべて、生きる
もの、動くものすべては、意識のなかにその存在をもつというこ
とだ。
そして、私は意識のなかに、そしてその彼方に在る。
私は観照者としてはそのなかに在り、実在としてはその彼方に在
るのだ。
『私は在る』(p110)
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と。
つまり、マハラジという在り方は、意識と実在の両方にまたがって
いると言っているようです。
> 私は観照者としてはそのなかに在り、実在としてはその彼方に在
> るのだ。
この文章は、本質的には万人に該当するのでしょうね。
ただわれわれの場合は、観照者であるよりは現象に自己同化してい
るでしょうし、また実在について無知なのでしょう。
そして意識に焦点を合わせているかぎり、苦しみは避けられないの
だと思います。
なぜなら、
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意識がそこにあるかぎり、苦痛と快楽は避けられない。
対極のものと自己同一化することが、意識の、「私は在る」の本
性なのだ。
『私は在る』(p182)
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と。
なので、舞っているホコリ、つまり現象世界に焦点を合わせるかぎ
りは、何が起こっているかを知覚する識別作用は回避できない。
細部に焦点を合わせれば合わせるほど、対象は分裂するでしょうし、
分裂した意味が展開されることになるでしょう。
つまり、二元性は避けられないわけです。
で、われわれの本質が「意識」なのか「実在」なのかについては、
マハラジはこんな表現をしています。
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あなたがどこへ行こうと、今、ここという感覚はつねにあなたと
ともにある。
それはつまり、あなたは時間と空間に依存していないということ
だ。
時間と空間はあなたのなかにあり、あなたがそれらのなかにある
のではない。
時間と空間に限定された身体との自己同一化が、あなたに有限の
感覚を与えるのだ。
実際には、あなたは無限で永遠なのだ。
『私は在る』(p535)
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……と。
なるほど。(-_-)
煎じ詰めたところ、
> 実際には、あなたは無限で永遠なのだ。
ということですよね。
で、そうすると、現れ、つまり意識の諸相を見ているのは、明らか
に観照者としての実在のようでもあります。
というか、むしろ頭の理解としては、ホコリにホコリを見る能力が
あるわけがない、とも思えるので。
でもまた、ラマナ・マハルシからの耳学問で、
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「見られているもの」である世界が
ぬぐい去られたとき、
「見る者」である
真我の実現がやってくるだろう。
見る者と、見られている対象物とは、
ロープと蛇のようなものである。
蛇という間違った知識が消えないかぎり、
実体であるロープという知識はやってこない。
同じように、実在するものとしての真我の実現は、
世界が実在するという信念が消えてしまわないかぎりは、
得られないだろう。
『静寂の瞬間』(p21)
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こんな言葉も、聞いたことがあるわけです。
そうすると、世界と実在は同時には存在できないようでもある。
いったい世界を見ているのが誰なのか、あるいは何なのか、という
のがいまいちスッキリしない。
マハルシにはこんな言葉もあります。
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実際には、真我が世界の目撃者としてあるという観念は心のなか
にだけ存在している。
それは真我における絶対的な真実ではない。
目撃者は目撃されている対象と相対的関係にある。
目撃者と目撃されるものはともに思考の産物なのである。
『あるがままに』(p27-28)
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なるほど、これは理解できるような感じがします。
世界を観照(=目撃)しているのが実在だという観念は、マインド
(現れの側)だけにある、というわけです。
実在の方では、そんなことを知る必要もない。
どんなものにも自己同化せずに、絶対に自由なのが実在ですから。
あらゆる顕現への自己同化を外さなくてはならない。
いった誰が、あるいは何がその自己同化を外すのか……。
そんなあたりの叙述がありました。
いつかご紹介したことのあるヘルメス・J・シャンブという方の、
『“それ”は在る』という本です。
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「何も難しく考えることはない。
現在、あなたにはまだ思考が自分である、という同一化が起き
ている。
あれこれ悩んでいるのも、思考ではないかね?」
「ええ」
「あなたは、『自分が悩んでおり、わからないのです』と言って
いる」
「ええ」
「それでいいのだ。あなたは現在、思考である。
思考と同一化している。
だから、思考であるあなたが、『手放す』と言い、
今後、同一化しないようにすればいいのだ。
あなたは、表面的に『私は思考ではない』と言うことはできる。
だが、『私は思考である』という観念はそう簡単には変わらな
い。
あなたは、まったく無意識に、『思考とは私である』と思い込
み続けている。
今もだ。
だから意識はしていても、すぐに思考に巻き込まれ、すぐに同
一化が起きる。
あなたにその観念が根深くあるからだ。
でも、それが悪いということではない。
それでいいのだ。
全ての聖典経典らはその事実 - つまり我々は思考であり身体
である - をもとに、
あらゆる(教え)を説いている。
誰もがそこからスタートしなければならない。
だから、思考や想念であるあなたが、これから選択し続ければ
いいのた。
後は、未知なる存在の手に委ねるがいい。
実際にあなたから観念を無くすのは、あなたではなく、未知な
る存在なのだから。
それが恩寵と言われるものだ。
あなたに『私は思考である』という観念がなくなるまでは、あ
なたは思考であり、
思考であるあなたが放棄を続けるのだ」
探求者は今ひとつ理解できないようだった。
まだ霧が晴れていないように、探求者は言った。
「はい、でも……、私は思考ではありません」
「そうだ、そのように言っているのが思考である」
「確かに。そうです」
ある御方は言った。
「この話はまったく混乱するように見えるが、
実は何も混乱することではない。
あなたは、『私は思考ではない』という知識すら、
もう手放して、ただ(在る)だけを選択するのだ」
「…‥師よ、また混乱してきました」
ある御方は冗談めかして言った。
「気が狂いそうなら、狂っても構わないのだよ」
「そんなあ……」探求者は笑った。
「ジョークだ、まったくジョークだ、
ジョークとはなんて素晴らしいものだろう。
まったく神に感謝すべきだ」
探求者は呆れるように言った。
「…‥はあ、まったく、そうですね…‥」
ある御方は話を続けた。
「いいかね、
だから、この老人は、ずっと言い続けてきたのだ。
『最後には、教えそのものも放棄しなさい』と。
『一切の知識を、放棄しなさい』と。
いいかね、
よく聴くがいい。
あなたが、いくら頭で、『私は(真我)である』とか『(神の子)
である』とか、
『私は思考でも身体でもない』とか、
そのようなことを言ってもまったく無意味なのである。
これは探求者が陥る自我のトリックだ。
あなたが、『私は(神の子)です。それが真実です』と言っても、
まったく真実ではない!
ただのガラクタの知識なのである」
探求者は、ようやく目が覚める思いだった。
ある御方は言った。
「今!
この瞬間!
ただ、全てを手放しなさい。
『私は、思考を放棄する』と思考に言わせて、
つまりあなたが言って!
それから(在る)を選択しなさい。
そこからは、ただ在り続けるのだ!
いかなる思考が浮かんできても、
ただ完全に見守るだけにするのだ!
いかなる考えも放棄して、ただ流れるままにさせるがいい。
仮に、いつの間にか、知らず知らずに思考に捕らわれてしまっ
ており、
幻想に捕らわれてしまっていても構わない。
気づいた時、
またあなたが『思考を手放す』と言って、それからまた在り続
けなさい。
もしも教えのことを考え続けて、
私があれこれ考えている、という感覚があるならば、
それは、単に思考と同一化していることに他ならないのである。
いかなる教えも、知識も、意味がない!
(p448-453)
『“それ”は在る』
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……。(-_-)
まったく……。
思考はどこまでも権力を手放したくない。
でも、その思考が、手放さなくてはならないんですね。
意識への関心を手放せば、あとはただ自由だけがある。
そういうわけなのでしょうか……。
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あなたは在る。
ほかのすべては現れにすぎない。
『私は在る』(p421)
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はい。
(-||-)
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永久的なもの、それはあなた自身の存在である。
真我として在りなさい。
それが至福である。
あなたはいつもそれなのである。
『あるがままに』(p58)
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……。(-_-)
ありがとうございました。<(_ _)>
(-||-)
今日はこんなところで。
……。
m(_ _)m
………○…………○…………○………
『私は在る』の「目次」はここ↓に置いてあります。
https://www.ascensionkan.com/books/I_AM_THAT-index.html
ときどき「ニサルガ辞書」で遊んでみてください。
https://www.ascensionkan.com/ndic/
新しい「ラマナ・マハルシ辞書」はここです。
https://www.ascensionkan.com/rdic/
おこがましくも『アセ通』既刊号はすべてここに置いてあります。
https://www.ascensionkan.com/mm/
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■ 2.ボブさんの言葉:
【アドヴァイタは良くなるための処方箋ではない】
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今回も……ボブさんの無断翻訳を……つづけます。
『Living Reality: My Extraordinary Summer With "Sailor" Bob
Adamson』
(『生きている実在:セイラー・ボブと過ごした途方もない夏』)
からの抽出翻訳です。
ボブさんご夫妻は……アメリカにきてくれて……今は著者のジェー
ムズ・ブラーハの家に滞在しています。
7月30日に行われた、ボブ、アン、ヴァスティ、ジェームス、ケリー、
エメット、デルの会話の一部です。
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【アドヴァイタは良くなるための処方箋ではない】
ボブ
ブラーハ委員会は、今朝はかなり静かなのかな?
ジェームズ [ふざけて]私は今日は何も配達を受け取っていな
いんです。[みんな笑う]
デル 君の参照点は迷子なの?
ジェームズ まあ、じきに戻ると思うけど。
ボブ
これまで持っていたことがあるんですか?
ジェームズ 「想像上の」参照点が浮上してくるんです。
ボブ
[笑いながら]その方がいい。
ジェームズ アン、政治についてだけど、ある人に私は非二元に
ついて話していたんですが、彼女はかなり上手にそ
れをわかってくれていました。私は、そこには誰も
いないのだから、誰にも責任も罪もないということ
を説明していました。それは全部仮想された「私」
だと。すべて上手くいっていたんですが、でも私が
「戦争のことでジョージ・ブッシュを責める必要も
ないんですよ。その思考が彼の頭の中で起こってい
て彼はそれに従ってるんです」と言うまででした。
その会話はそれで終わりでした。[みんな笑う]
アドヴァイタの話はそれで終わりました。
エメット 誰にもその人の限界があるよね。
ケリー たいていの人にはある。僕の妻の場合はそれが児童虐待
者なんだ。僕たちは行為者がいないことについて一時間
も話すことができるけど、僕が児童虐待者について触れ
たら、それで一巻の終わりなんだ。
アン では、どうしても誰かを間違っていると言いたくなる私の
気持ちは、あってもいいわけね?
ジェームズ 何があったっていいんです。誰にだってその人自身
の条件づけや性格特性があります。自分の性格と条
件づけに基づいて、特定の思考が持ち上がるんです。
でも非二元の知識については、それらの思考が自分
のものじゃないことをあなたは理解し始めています。
それらはエネルギーのパターンにすぎません。
あなたがもしアドヴァイタを人生を良くするための
「処方箋」とみなしているなら、それはあまりいい
考えではないと思います。これは良くなるというこ
ととは関わりありません。それはあるがままの人生
を受け容れるということ、そして幻影とみなすとい
うことに関わるものです。もし人生を良くする方法
としてこれを使ったら、あなたはまだ快楽を追求し
て苦痛を避ける状態の中にいるわけです。そしてそ
れには終わりがありません。それはまったくキリが
ないんですよ。それに、もしあなたがアドヴァイタ
を処方箋にすると、限界がででくるでしょう。あな
たは「私が『捕われてる』る以外は、申し分ない」
とか「申し分なし、私が酷い目に遭った以外はね」
とか言うことになります。まあ、誰もが何か大きな
問題が生じる所までいくことになります。もし非二
元を理解したら、動揺や問題がどれほど大きいか小
さいかは問題にならなくなります。その問題が誰に
起こっているのかを調べ始めるのです。でもそれを
処方箋としてするのではありません。もしそれをそ
のようにしたら、何が何だかわからなくなります。
私が言っているのは、何ごともすべてを許さなけれ
ばならないということです。なぜなら創造とは二元
性であり、どんなことでもありうるからです。誰か
がここに入ってきて、われわれ全員をマシンガンで
撃つことだってありうるわけです。
エメット [ふざけて]われわれはいない。
ジェームズ もしこれを処方箋にしたら、あなたは「ああ、まだ
私は本当に分かっていなかった」症候群に陥ります。
「二、三週間いい気分だったけど、今は悪い気分だ。
ああ、私は分かってない」と言うことになります。
そう、なぜあなたはいい気分を期待できるんでしょ
う? あなたがいい気分や、幸せや、すばらしさを
感じられるのは、そこに悲しさや最低な気分を感じ
る能力があるからです。そこにはあらゆるものが入
れる余地がなくてはならない。時には悪い気分にも
なるのでなかったら、良い気分を感じることはでき
ません。それに本当にクソ忌々しい気分になること
もあります。それでもいいんです。本当にクソ忌々
しいときは、ただどこかで「私は気分が悪い。誰が
悪い気分を感じているのか?」と言うのを思い出す
ことです。あるいは、「私は気分が悪い。よし、私
は悪い気分でいよう」でもいい。ただそれが消える
まで悪い気分を感じることです。でもそれに抵抗し
てはいけない。
アン 私なんかその中で迷子になってしまうかもしれない。
ジェームズ ええ、でもそこで迷子になって何がいけないんです
か? 創造のなかで、我々みんなここで迷子になっ
てるんです。なかには答を見つけている人もいる。
迷子のままの人もいます。迷子になったり答を得た
り、また迷子になったりの人もいる。人生は続いて
いきます。何でもありなんです。
あそこで、私の酷評が待ってます。ボブがとても静
かに私の方を見ていますよ。
ボブ
とても良かったよ。
アン ありがとう。私にはそれが必要でした。
バーバラ 良かったわ。[笑いながら]ジェームズが遠慮してた。
ジェームズ ボブが私を困らせる前に、何かを言わなくちゃなら
なかったんです。彼が私の方を見つめているのを知
ってたから。
デル さて、彼が「f」語を二回も言ったからテープを編集しな
くちゃ。
ボブ
それがテープを作っている。そのままがいい。[笑いながら]
ケリー まったく。ここにいるアメリカ人なんだから。
バーバラ 面白かったわ。あなたが言っていることに私は本当に
夢中になっていた。私は汚い言葉が本当に嫌いなの。
それなのにあなたがそれを言っているのに気がつかな
かった。
ボブ
[ふざけて]君は聞いてなかったよ、バーバラ。
バーバラ 私が聞いていたのは内容よ、飾りのほうじゃなくて。
ジェームズ この「f」語は単にもう一つの境界ですよ。私たち
には本当にたくさんの境界がある。
『Living Reality』(p260-262)
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今回は、ジェームズの理解が開陳されました。
みんなDNAも条件づけも違うんだということ。。
誰もがそうしか振る舞えないんだということ。
その人間がそう振るまうのは本人が自由にできることじゃない、と
いうその理解を、ここでジェームズが語ったわけですよね。
(-||-)
………○…………○…………○………
▼『アセ通』への「私は在る」関連ご意見投稿フォーム:
http://www.formzu.net/fgen.ex?ID=P48750702
というのを作らせていただきました。(^^;)
「私は在る」に関するご意見・ご感想・シェアリング、または単な
るメールなど、ご自由にお書きいただければと思います。
………○…………○…………○………
『アセンション館通信』への「ご投稿・情報提供」を歓迎いたします。
▼『アセンション館通信』への情報ご投稿フォーム
http://www.formzu.net/fgen.ex?ID=P87119518
………○…………○…………○………
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■ 3.編集後記:メルマガを書いているのは“自分”じゃないと
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毎回毎回、同じようなことを書いています。
実際、土曜日にこのメルマガを書いているのは“自分”じゃないと
思うと、だんだん書けなくなっていくんですよね。(*-_-*)
まあ、どんなふうに寿命が尽きるのか。
それを確かめるみたいな気分はあります。
おやすみなさい。
<(_ _)>
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■ 【作者】 『アセンション資料館』主人 pari
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→ メール: pariアットマークjk2.so-net.ne.jp
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