home > 通信 >『アセンション館通信』第504号:自分が何であるかを理解する



━━━━☆☆☆☆━━━━━━━━━━━━━━ by paritosho ━
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 ☆☆     ☆☆『アセンション館通信』2013/12/01(第504号)
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☆☆      ☆★ 【気刊】――「私は在る」に導かれ♪――
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 ☆☆   ☆☆          https://www.ascensionkan.com/
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◇◇ このメルマガの趣旨 ◇◇

このメルマガはアセンション館主人 pari と称するあるパターンに
浮上している心象風景の報告です。

実在するのはただ不垢不浄不増不減の永遠の<今・ここ>のみ。

参照点による関係性妄想以外に困難をもたらすものは何もない。
為すべきこともなく、為すその人もなく、すべてはつかの間の夢。

内容は人畜無害、でも読む人は相当変わっていますね。現在863名
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◇◇ もくじ ◇◇

1.自分が何であるかを理解する

2.ボブさんの言葉:【至福や奇跡を期待する】

3.編集後記:非顕現とは、顕現あっての概念
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「世の中に 寝るほど楽は なかりけり 浮世の馬鹿は 起きて働く」
という句があるようです。

まあ、元々の意味はともかく、この句にある種の真実を感じたこと
がある人は少なくないかもしれません。

pariパターンなどは、この句の本歌は、

「世の中に 死ぬほど楽は なかりけり 浮世の馬鹿は 生きて働く」

ではないのかと、思ってみたりすることがあります。(^^;)

まあ、何も無かったほうが、確かにましだったかもしれませんね。

でもまた、何も無くては、実在は存在していることを知ることがで
きなかったのかもしれませんし。

いずれにしろ、実在は夢を見ることで、存在を確かめたようでもあ
ります。

でもそれもまた、ただそのような思いが湧いているだけなんだな、
という思いが湧いてくるようです。

はは、なんのこっちゃ。(^_-)

(*^_^*)

さて、またまた一週間が過ぎて、楽しい“アセンション噺”ならぬ
「私は在る」噺に、お付き合いいただく今がやってまいりました。

『アセンション館通信』配達人の pari です。(^^)/

みなさま固有の「私は在る」を、いかがお過ごしでしょうか?

マハラジに次のような言葉があります。

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 真理の証拠は聞き手への影響のなかにあるのだ。
 
 影響がかならずしも体験である必要はない。
 それは人格、動機、人々との、そして自己との関係性における変
 化でもありうる。
 言葉や薬物、あるいはほかのいかなる感覚的、精神的方法で誘導
 された超越状態や幻想も一時的なもので、決定的とは言えない。
 ここで語られた真理は不動の、永遠のものだ。
 そしてその証拠は聞き手のなかに、彼の存在全体における深い永
 続的な変化のなかにあるのだ。
 彼自身の自己の存在を疑わないかぎり、その証拠は彼が疑えるよ
 うなものではない。
 わたしの体験があなた自身の体験となったとき、それ以上の証拠
 をあなたは求めるだろうか?
                     『私は在る』(p376)
------------------------------------------------------------

(-||-)

折にふれ何度も再訪したメッセージですが、こんなことが語られて
いたわけですよね。

こういう言葉が、いつも後押ししてくれていたように思います。

> 真理の証拠は聞き手への影響のなかにあるのだ。

これなら、どんな体験にも頼る必要がないわけです。

> 影響がかならずしも体験である必要はない。

そう、わたしなんかの場合は、この↑言葉が頼りなんですよ。

> それは人格、動機、人々との、そして自己との関係性における変
> 化でもありうる。

うーむ。(-_-;)

> 言葉や薬物、あるいはほかのいかなる感覚的、精神的方法で誘導
> された超越状態や幻想も一時的なもので、決定的とは言えない。

そう、頭が吹き飛ぶような体験をした後にも、いつの間にかまた、
いつもどおりのエゴが舞い戻っていることもありうるわけです。

> ここで語られた真理は不動の、永遠のものだ。

この力強さ。(-||-)

> そしてその証拠は聞き手のなかに、彼の存在全体における深い永
> 続的な変化のなかにあるのだ。

はい。

> 彼自身の自己の存在を疑わないかぎり、その証拠は彼が疑えるよ
> うなものではない。

己自身の存在を疑うことは、誰にもできません。

己の存在を疑うこと自体が、その存在を確証しているのですから。

> わたしの体験があなた自身の体験となったとき、それ以上の証拠
> をあなたは求めるだろうか?

求めません。(-_-)

理解には、何か累積的慣性のようなものが働く気がします。

こんな“覚者の受け売り”を何年も続けていると、いつの間にか、
不可逆的ポイントを超えてしまうようなことがあるというか。

今調べてみたら、このメルマガに『私は在る』が最初に登場したの
は、なんと八年前でした。
https://www.ascensionkan.com/mm/vol088.html

八年間も、ひたすらマインドのラケットで、マハラジのメッセージ
を撥ね退け、打ち返してきたわけですよね。

でも、タフなマインドも、十本に一本は受け損ねます。

それを八年も続けていたら、いつの間にやら返しそこねたボールが
自陣にゴロゴロ溜まっていた、なんてことがあるかもしれない。

それに、ずいぶんタフだったマインドも、もうよれよれです。

もう相手からきたボールだったか、自分が打ったボールだったか、
そんなことすら、わからなくなってくる。

要するに、ただある種の理解、ある種の見解が、飛び交っていただ
けです。

そしたら、向こうが倒れないものだから、いつの間にかこっち側に
まで「不動の、永遠の真理」が溜まってしまった。(*^_^*)

エゴに勝ち目はないわけです。

なにしろ向こうは「不動の、永遠の真理」なのに、こっちときては
つかの間の“心配想念”にすぎませんから。

だから、心配能力が確実に低下してきています。

“心配”が一瞬の現れ、つかの間の想念にすぎないことは自明で、
それに現れを変化させるパワーなどあるわけがありません。

想念も身体も、一瞬の心配(想念)が想像することもできないよう
な全体構造のなかに織り込まれ、そこで振動しているのでしょう。

つぎのボブさんの言葉を聴いてみましょう。

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 質問者 おしゃべりや考え事に心の焦点を合わせることで、私た
     ちの本質である真実在が覆い隠されるのですね?
 
 ボブ
 もし、考え事に心の焦点が向けられていなければ、そのとき思考
 は他のあらゆることと同じく、ただ現れるだけです。
 心の大元にある本質は思考によって覆い隠されるでしょうか?
 思考がその活動するままに放っておかれるなら、それは他のあら
 ゆることと同じく、ただ現れているだけです。
 そのとき、覆い隠される何かがあるでしょうか?
 
 質問者 どうやって考え事を止めるのですか? 思考はやむこと
     のない車の流れのように思えますが。
 
 ボブ
 もし思考が何の中で起こっているかが理解されるなら、思考を止
 める必要がありますか?
 雲は何の中で起こっているのでしょうか?
 雲は空間の中にあるのではないでしょうか?
 あなたは空間を認識するために雲を止めなければならないでしょ
 うか?
 それとも、空間はいつもあり、雲が現れる背景であることを理解
 するでしょうか?
 重要なのは、考え事を止めようとすることではありません――大
 事なのはただ、自分が本当は何であるかを理解することです。
 あなたは本質そのものであって、その上に現れる思考や観念など
 ではないのです。
                 『ただそれだけ』(p136-p137)
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> 重要なのは、考え事を止めようとすることではありません――大
> 事なのはただ、自分が本当は何であるかを理解することです。

「大事なのはただ、自分が本当は何であるかを理解すること」

> あなたは本質そのものであって、その上に現れる思考や観念など
> ではないのです。

ボブさんは、いつも空間を見ているのかもしれませんね。(-_-)

覚者の悟り方というのは、千差万別です。

どのパターンひとつとっても、同じパターンがまた繰り返されると
いうことはない。

まあ、宇宙はただ遊んでいるのだと言われるわけです。

カルマが燃え尽きるまでは、という表現があるようです。

カルマが燃え尽きるまでは、現れの中でのそのパターンの表現に、
そのエネルギー自体の運命に興味がつづくのでしょうね。

一つの有機体のなかで、存在が、サット・チット・アーナンダが、
現れに何らかの興味をもっている間は。

(-||-)

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 あなたは在る。
 ほかのすべては現れにすぎない。
                     『私は在る』(p421)
------------------------------------------------------------

はい。

(-||-)

------------------------------------------------------------
 永久的なもの、それはあなた自身の存在である。
 真我として在りなさい。
 それが至福である。
 あなたはいつもそれなのである。
                   『あるがままに』(p58)
------------------------------------------------------------

……。(-_-)

ありがとうございました。<(_ _)>

(-||-)

今日はこんなところで。

……。

m(_ _)m


       ………○…………○…………○………


『私は在る』の「目次」はここ↓に置いてあります。
https://www.ascensionkan.com/books/I_AM_THAT-index.html

ときどき「ニサルガ辞書」で遊んでみてください。
https://www.ascensionkan.com/ndic/

新しい「ラマナ・マハルシ辞書」はここです。
https://www.ascensionkan.com/rdic/

おこがましくも『アセ通』既刊号はすべてここに置いてあります。
https://www.ascensionkan.com/mm/


       ………○…………○…………○………


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■ 2.ボブさんの言葉:【至福や奇跡を期待する】
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今回も……ボブさんの無断翻訳を……つづけます。

『Living Reality: My Extraordinary Summer With "Sailor" Bob
 Adamson』
(『生きている実在:セイラー・ボブと過ごした途方もない夏』)
からの抽出翻訳です。

ボブさんご夫妻は……アメリカにきてくれて……今は著者のジェー
ムズ・ブラーハの家に滞在しています。

7月30日に行われた、ボブ、アン、ヴァスティ、ジェームス、ケリー、
エメット、デルの会話の一部です。

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 【至福や奇跡を期待する】
 
 アン 私は自分がこの知識を得たら、何か特別なことが起こるに
    違いないと思っていました。心を読めるとか何かそんなこ
    とができるようになるはずでした。
 
 ボブ
 で、どこからそんな概念が来たのですか、読書からですか?
 
 アン はい。
 
 ヴァシティ 私は、バラの花びらの香りに包まれて生きられるよ
       うになるのだと思っていました。十三歳のとき[パ
       ラマハンサ・ヨガナンダの]『あるヨギの自叙伝』
       (http://p.tl/Ksku)を読んで以来、それが自分に
       可能なのだという思いが常にありました。
 
 ボブ
 ええ、しかし彼本人はバラの香りに包まれて生きていましたか?
 彼は他の誰かついて話していたのです。
 他の人たちができると彼が言っていたことを、彼は実行する能力
 をもっていましたか?
 
 ケリー 彼は夕食中に心臓発作で死にました。
 
 デル 彼の弟子たちによれば、それは計画された変容でした。
 
 エメット そういう奇跡はすべて幻想の領域で起こっています。
      必ずしも騙しの幻想ではありませんが。存在の中には
      あらゆる類の自然の法則があります。私たちにはそれ
      らのことがありえないとは言えません。しかし奇跡は
      単にもう一つの経験でしかありません。それは未解決
      の問題です。それはエゴの体験を楽しんでいる偽りの
      自己に違いない。その人は「スゴイ、人々は私がバラ
      の香りに包まれて生きていることを知るだろう」とか、
      「私は食べずに生きてきた」といったようなことです。
      それはエゴの材料にすぎない。
 
 ボブ
 それはすべて見かけであり、またありうることです。
 見かけは、そのように見えるだけです。
 本質においては、それもやはりひとつである実在です。
 
 エメット 私は長いことそういうものに騙されるのはマヌケだか
      らだと感じていて、そういうものを信じる誰かがいる
      のだという可能性しか見ていませんでした。しかしそ
      れは騙しではありません。それはただ、気づきのもう
      一つのレベルであるだけです。
 
 ボブ
 騙しとかマヌケだというその感じは、単にもう一つの精神的なイ
 メージです。
 そういうことも起こるに違いありません。
 いずれにせよ、あなたはつねにそのひとつの実在だったのです。
 
 エメット 無邪気な騙しだけなら私には苦になりません。それら
      のグルが全部ペテンで詐欺師だと思ったら、それは私
      からたくさんのエネルギーを奪うでしょう。
 
 ケリー アン、あなたがもっていた奇跡やパワーに対する期待は、
     この話に加わったほとんど全員が同じです。そういうも
     のを持たない人はおそらく百人に一人でしょう。
 
 アン それで、ボブの本を読んで、また彼と話した後で、昨日は
    私は分かったような感じがしてここを立ち去ったんです。
    でもそれから一日中私は「これがそれであるはずがない。
    至福はどこにあるの?」と考えていました。それはネガテ
    ィブなことではなかったけど、でも私には自分が理解を得
    たら何が起こるかについての物語があったんです。
 
 ボブ
 その物語があなたの参照点になったのです。
 あなたは自分の体験を、起こると期待しているものの信念に参照
 していたのです。
 すべてがはその参照点から判断されます。
 だから、あなたはその参照点を調べて、それが偽りであることを
 理解しなくてはならないのです。
 それはただ一束の思考であり、それにはどんな実体もなければ、
 パワーもなく、独立した本質もありません。
 
 アン 子供の時、なぜあんなにわずかの人しか、いわゆる選ばれ
    た人、覚醒した人ではないのかと不思議でした。
 
 ボブ
 誰ひとり選ばれていません、実際の実体など何もないからです。
 ただ人々に見える一束のエネルギーパターンがあるだけです。
 
                 『Living Reality』(p264-265)
------------------------------------------------------------

(-||-)

『あるヨギの自叙伝』って、これまでずっと機会がなくて読んでい
ませんでしたが、どうやら読まなくても良さそう。(*^_^*)

【至福や奇跡を期待する】かぁ……。

そうですねぇ。(-_-)

わたしは、柄から言って、あまり奇跡を期待するタイプじゃありま
せんでしたが、でも「至福」というのは、あると思っていました。

でも、いまでは、それは「心配がない」という言葉が指し示してい
るもののすべてだと思っています。

現れとして起こりうることには、特段の意味はない。

それはただ、あるがままの一瞬の風景だと思っています。

まあ、なんか興冷めの見解ではあるかもしれませんが。

> 誰ひとり選ばれていません、実際の実体など何もないからです。
> ただ人々に見える一束のエネルギーパターンがあるだけです。

はい。(-_-)

(-||-)


       ………○…………○…………○………


▼『アセ通』への「私は在る」関連ご意見投稿フォーム:
http://www.formzu.net/fgen.ex?ID=P48750702
というのを作らせていただきました。(^^;)

「私は在る」に関するご意見・ご感想・シェアリング、または単な
るメールなど、ご自由にお書きいただければと思います。


       ………○…………○…………○………


『アセンション館通信』への「ご投稿・情報提供」を歓迎いたします。

▼『アセンション館通信』への情報ご投稿フォーム
http://www.formzu.net/fgen.ex?ID=P87119518


       ………○…………○…………○………


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■ 3.編集後記:非顕現とは、顕現あっての概念
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われながら、あまりマインドが静かにならないなと思っています。

でも、着実に“心配能力”が低下しているような感じはあります。

それだけでいいんです。

求めていたのも、たぶん、それだけだし。

今日は改めて、ボブさんが敢えて“考え事を止めようとする”必要
もない、と言ってくれている文章を呼び出したのかもしれません。

> 重要なのは、考え事を止めようとすることではありません――大
> 事なのはただ、自分が本当は何であるかを理解することです。
> あなたは本質そのものであって、その上に現れる思考や観念など
> ではないのです。

このこと自体は、随分以前から理解していたように思います。

たとえば、変化の相を担う媒体、意識のコンテンツを担う素粒子が、
気づきの実体ではありえない、というような理解ですが。

顕現を見ているのは、非顕現でしかありえない。

でも、非顕現とは、顕現あっての概念でしかありえない。

つまりは、すべてはひとつなのです。

そして、すべてはただ起こっている。

おやすみなさい。

<(_ _)>


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■ 【作者】 『アセンション資料館』主人 pari
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  → メール: pariアットマークjk2.so-net.ne.jp
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