home > 通信 >『アセンション館通信』第506号:個人幻想は役に立たない



━━━━☆☆☆☆━━━━━━━━━━━━━━ by paritosho ━
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 ☆☆     ☆☆『アセンション館通信』2013/12/15(第506号)
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☆☆      ☆★ 【気刊】――「私は在る」に導かれ♪――
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 ☆☆   ☆☆          https://www.ascensionkan.com/
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◇◇ このメルマガの趣旨 ◇◇

このメルマガはアセンション館主人 pari と称するあるパターンに
浮上している心象風景の報告です。

実在するのはただ不垢不浄不増不減の永遠の<今・ここ>のみ。

問題はすべて概念上のものにすぎない。問題を作っている“自分”
という実体は存在しない。ただ物語への執着があるだけ。

内容は人畜無害、でも読む人は相当変わっていますね。現在858名
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◇◇ もくじ ◇◇

1.個人幻想は役に立たない

2.ボブさんの言葉:【マインドを理解する】

3.編集後記:コンピュータを直してきました。
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■ 1.個人幻想は役に立たない
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目を閉じれば、ある気分があります。

目を開ければ、外から初冬の光が入ってきます。

どちらも、実在を背景にしてただ起こっていること。

誰が起こしているわけでもない。

少なくとも、仮想された“自分”が、それを工夫し起こしいるとい
う実感はありません。

またそれを起こしている誰かを想定するのは、概念化によってしか
できないことでしょう。

つまりは、単なる想像ということです。

わたしに起こる問題は、すべて概念化を通じてしか発生しえない。

想像しなければ、問題というものは何もない。

ならば、何のために概念化するのか。

ただ習慣と、そこで紡がれる物語への興味のためです。

その興味もだんだん薄れつつある。

ふ。(-_-)

(*^_^*)

さて、またまた一週間が過ぎて、楽しい“アセンション噺”ならぬ
「私は在る」噺に、お付き合いいただく今がやってまいりました。

『アセンション館通信』配達人の pari です。(^^)/

みなさま固有の「私は在る」を、いかがお過ごしでしょうか?

身体過程とそこで発生する想念に関連して、“自分”という実体が
存在するかのような感覚は、なかなか消え去らないものです。

しかし、現象世界に織り込まれた精神身体過程はありますが、独立
した“自分”という実体が存在するかどうかは要確認です。

ひとつには、この身体の内側に“自分”という実体の中核を見つけ
ることができないことです。

もうひとつには、たとえその仮想された“自分”があったとしても、
それは自分の精神身体過程をコントロールできないことです。

“自分”の心臓をどう動かし、食べたものをどう消化し、髪の毛は
どうやって伸ばすのか、そんなことを考えたことすらありません。

ということは、その“考えたこと”を“自分”だと想定しているは
ずですが、その“考え”自体もコントロールできません。

それはとても単純なテストで確認できます。

もし“自分”が“考え”をコントロールできるのなら、考えないこ
ともできるはずですが、これが一向にできない。(*^_^*)

“考えないこと”がまったくできないのは、誰でも知っています。

十分とは言わず、一分すらおぼつかない。

つまり、思考過程も身体過程と同じように、どこからかは知らず、
無償で自動的に供給されているわけです。

われわれが自分が考えていると思っている思考は、無償かつ自動で
供給されている想念に、ただ焦点を合わせているだけのことです。

ニサルガダッタはこのことを「配達を受け取る」と表現しました。

無償・自動で供給されている精神身体過程に乗っかって、われわれ
は勝手に“自分”を夢想しているというわけです。

こうして無償・自動で供給される精神身体過程を実在と思って焦点
を合わせることを、無知とも愚かとも言えるかもしれません。

しかし、ある意味では、われわれが愚かなわけでも、自惚れている
わけでもない。

それはただ、あるがままの一部として現象しているだけです。

“自分”に関連して起こる現象を、自慢したり、卑下したり、恨ん
だり、恥ずかしがったりするのも、あるがままの一部です。

いや、一部ということ自体、概念化です。

実際は、ただそのように起こっている、ということです。

あらゆる評価、あらゆる定義は、概念化であり、想像です。

別にそのように評価しても、定義してもかまわない。

実際、現象世界では、誰もがそうしているわけですから。

ただ、“自分”を苦しめる評価・判断・定義に懸命に焦点を合わせ
つづけることは“愚かしい”とも言えるかもしれません。

何もそこまでして苦しまなくても、とも言えるでしょう。

もちろん、今そのように言う評価・判断・定義自体も、ある意味で
は、単なる概念化にすぎないわけです。

身体過程に付随する避けられない苦痛というものは、現象世界にこ
だわるかぎり、厳然としてあるでしょう。

それは現象世界の自然過程の一部です。

現象世界にこだわるなら、無償・自動で供給される精神身体過程は
避けられません。

ただ身体過程と精神過程には、若干の違いがあるかもしれません。

身体過程にはある程度の自然の枠組みがあって、想像の適用範囲が
かぎられている。

コンピュータのハードウェアのようなものでしょうか。

それに対して、精神過程では展開されているパターンがあまりにも
多様なので、一見想像の適用範囲に限りが無いようにみえる。

コンピュータのソフトウェアのようなものでしょうか。

とはいえ、その多様な展開パターンを、見かけ上の個々の“自分”
が展開しているわけではない。

見かけ上の個々の“自分”はただ「配達を受け取って」いるだけ。

つまり見かけ上の個々の“自分”は、じつに多様な展開パターンを
演じさせられているわけです。

しかしまた、演じさせられている個々の個人という実体が存在する
わけでもありません。

すべての個人とはシンフォニーのひとつのパート、あるいはひとつ
の音色のようなものでしょうか。

音楽はある。

だから作曲家も指揮者も演奏者も聴衆もいるのでしょう。

しかし、そのような個々の独立した実体が存在するわけではない。

そして、演じさせている誰かがいるわけでもない。

浮上する様々な概念化のどれかを特別に重要視しないかぎりは、そ
れらの解釈はただあるがままの表現の一部であるにすぎません。

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 宇宙は行為であふれている。
 だが、そこに行為する者はいないのだ。
 そこには自己同一化によって行為していると想像している無数の
 小さな、そして大きな、そしてとても大きな個人たちがいる。
 だが、それが行為の世界(マハーダカーシュ)はすべてに依存し、
 すべてに影響する単一の統一体だという事実を変えることはない。
 星たちは私たちに深く影響を与え、私たちも星たちに影響を与え
 る。
 行為から意識へと一歩退き、行為は身体とマインドにまかせなさ
 い。
 行為はそれらの領域なのだ。
 観照者さえも至高なるもののなかに消え去るまで、純粋な観照者
 としてとどまりなさい。
                     『私は在る』(p418)
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(-||-)

現象世界のなかに独立した個人というものは存在できません。

“自分”は独立した個人だという想像が、ありのままのなかに様々
のレベルで現象しているだけでしょう。

あたかもコンピュータのなかの個々のソフトが、あるいはシステム
のOSが、自らその役割を演じていると想像するかのように。

意識のなかでは、様々の思い込みが現象しているようです。

様々な疑問が浮上し、またその解答が浮上して飽きることがない。

現象が好き、解釈が好き、意識の中での想像(創造)が好きで好き
で仕方がないようです。

それもまた、あるがままの表現の一部です。

解釈し、判断し、比較して、そして傷つく。

傷つくことによって、想像を実体化する……。

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 何にもまして、私たちは意識しつづけていたい。
 あらゆる苦しみや屈辱を耐えてでも、意識しつづけることを望む
 のだ。
 この体験への欲望に逆らって、顕現すべてを手放さないかぎり、
 解放はありえない。
 私たちは罠にはまったままなのだ。
                     『私は在る』(p346)
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(-||-)

たしかに、われわれは個人幻想を持つことができます。

どういうわけか、そのようになっている。

しかし、その個人幻想はよくよく調べてみれば、じつは誰のために
も、何の役にも立っていないようです。

なぜなら元々その個人は単なる幻想すぎず、そこにはどんな独立し
た実体も存在していないのですから。

幻想の中には、幻想から独立した実体も、幻想を制御できる実体も、
幻想に抵抗できる実体も存在しない。

ただ全幻想を浮かべている実体が実在するだけ。

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 あなたは在る。
 ほかのすべては現れにすぎない。
                     『私は在る』(p421)
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はい。

(-||-)

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 永久的なもの、それはあなた自身の存在である。
 真我として在りなさい。
 それが至福である。
 あなたはいつもそれなのである。
                   『あるがままに』(p58)
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……。(-_-)

ありがとうございました。<(_ _)>

(-||-)

今日はこんなところで。

……。

m(_ _)m


       ………○…………○…………○………


『私は在る』の「目次」はここ↓に置いてあります。
https://www.ascensionkan.com/books/I_AM_THAT-index.html

ときどき「ニサルガ辞書」で遊んでみてください。
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おこがましくも『アセ通』既刊号はすべてここに置いてあります。
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■ 2.ボブさんの言葉:【マインドを理解する】
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今回も……ボブさんの無断翻訳を……つづけます。

『Living Reality: My Extraordinary Summer With "Sailor" Bob
 Adamson』
(『生きている実在:セイラー・ボブと過ごした途方もない夏』)
からの抽出翻訳です。

ボブさんご夫妻は……アメリカにきてくれて……今は著者のジェー
ムズ・ブラーハの家に滞在しています。

7月30日に行われた公開討論のあと、この日、メリルとジャックとい
う新しいメンバーが到着します。

といっても、メリルはジェームス・ブラハにセイラー・ボブの存在
を伝えた当人であり、ジャックはメリルに伝えた当人です。

とは言え、この二人の理解がジェームスたちよりも深いというわけ
ではなく、以下の抜粋討論の中で、一件落着するようです。

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 【マインドを理解する】
 
 メリル マインドは動きつづけるばかりです。止まりません。
 
 ボブ
 マインドはつねに動きつづけるでしょう。
 多くの探求者が、マインドは止まらなければならないと思ってい
 ます。
 身体をもっているかぎり、マインドは対極のペアの中で機能しつ
 つづけます。
 しかしマインドを洞察すれば、あなたはそれによって拘束されま
 せん。
 もし私があなたに、海に行って青い水を持ってきてくれと言った
 ら、あなたはどうするでしょうか?
 
 メリル それは不可能です。
 
 ボブ
 その通りです。
 あなたには青い水が見えますが、あなたがそれによって拘束され
 ることはありません。
 あなたはそれを理解しました。
 これはそれと同じことです。
 あなたはもうこれ以上、マインドの中の概念によって拘束される
 ことはないのです。
 それらはまだ起こります。
 ちょうど海の水がやっぱり青く見えるように。
 しかし今ではあなたは真実を知っています。
 「真実を知りなさい、そうすれば真実があなたを解放する」と、
 聖書が言うように。
 あなたは自己という仮想の隷属から解放されています。
 これが意味するのはそれだけのことです。
 
 ジャック 誰にも真理を語ることはできません。なぜなら何かを
      言えばいつでも、そこにはポジティブとネガティブの
      両面があるからです。
 
 ボブ
 口を開くやいなや、私たちは概念化しています。
 しかし私たちは概念を使って真理を指し示すことができます。
 私たちにできるのはそれだけです。
 私はあなたに何も教えることはできません。
 私ができるのは指し示すことだけです。
 
 ジャック 結局のところ、いつであれ私たちが話すとき、それは
      信念体系なのです。
 
 ボブ
 信念体系は参照点になります。
 信念はけっしてそのものではありません。
 ですから私たちはまたもや根拠のない参照点をもちます。
 それには何の価値もありません。
 あなたであるものとは、時間がなく、空間がなく、身体がなく、
 マインドがなく、誕生せず、死ぬこともない、純粋な存在の気づ
 き、ただこれであり、それ以外ではありません。
 
 ジャック しかしそれはもうひとつの信念です。
 
 ボブ
 それは概念です。
 
 ジャック それが問題なのです。どれほど遠くまで戻ろうと、そ
      れは信念です。私たちは現象世界を超えては何ひとつ
      知ることができないのです。
 
 ボブ
 ええ、そしてあなたにその必要はありません。
 事実は、たった今私たちは、自分が知っているということを否定
 できないということです。
 それこそが私たちが知っている唯一の事実です。
 そして概念化していないかぎり、たった今以外の時というものは
 ありません。
 私たちは自分がいない時があったと言うことはできません。
 なぜならそれをするには、概念化しなければらなないからです。
 また私たちは、概念化をしないかぎり、自分が存在しなくなる時
 があるだろうと言うこともできません。
 
 ジャック オーケー。一件落着です。[長い中断]
 
                 『Living Reality』(p267-268)
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(-||-)

ジェームス・ブラハによると、ここで抜粋収録されたこの会話は、
間違いなくこの夏で最も強力な会話の一つだったそうです。

メリルとジャックの探求は、この夏で一件落着したそうです。

実際、ここで伝えられたのは凝縮されたエッセンスです。

> あなたには青い水が見えますが、あなたがそれによって拘束され
> ることはありません。
> あなたはそれを理解しました。
> これはそれと同じことです。
> あなたはもうこれ以上、マインドの中の概念によって拘束される
> ことはないのです。
> それらはまだ起こります。
> ちょうど海の水がやっぱり青く見えるように。
> しかし今ではあなたは真実を知っています。
> 「真実を知りなさい、そうすれば真実があなたを解放する」と、
> 聖書が言うように。
> あなたは自己という仮想の隷属から解放されています。
> これが意味するのはそれだけのことです。

(-||-)

まだマインドが想像する概念によって拘束されたいかどうか、ただ
それだけのことですね。

“自分”がいるというのなら、これはその“自分”が決めるしかな
いでしょうね。(^_-)

自己という仮想の隷属に拘束されたいかどうかを。

(-||-)


       ………○…………○…………○………


▼『アセ通』への「私は在る」関連ご意見投稿フォーム:
http://www.formzu.net/fgen.ex?ID=P48750702
というのを作らせていただきました。(^^;)

「私は在る」に関するご意見・ご感想・シェアリング、または単な
るメールなど、ご自由にお書きいただければと思います。


       ………○…………○…………○………


『アセンション館通信』への「ご投稿・情報提供」を歓迎いたします。

▼『アセンション館通信』への情報ご投稿フォーム
http://www.formzu.net/fgen.ex?ID=P87119518


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■ 3.編集後記:コンピュータを直してきました。
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コンピュータを直してきました。

まあ、だからこうして配信できるのですが。(^^;)

ハードディスクがイカれていたみたいです。

その前にはスイッチ部分がおかしくて直しに行って、今度はハード
ディスクでした。

短い間に二回も、田舎から都会に持ち込みで直しに行きました。

システムをインストールしてもらったら、エライ高いこと言われて
しまった。(>_<)

自分でシステムのインストールもできないと思われたんですね。

こっちの自信無げな態度が悪かった。

自業自得なので、仕方ないです。(;_;)

まあ、でもありがたいです。

こうしてまたメルマガも書けているわけだし。

今日は早く書き終わったのに、もう暗くなっちゃった。

<(_ _)>


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■ 【作者】 『アセンション資料館』主人 pari
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  → メール: pariアットマークjk2.so-net.ne.jp
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