━━━━☆☆☆☆━━━━━━━━━━━━━━ by paritosho ━
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☆☆ ☆☆『アセンション館通信』2014/1/5(第509号)
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☆☆ ☆★ 【気刊】――「私は在る」に導かれ♪――
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◇◇ このメルマガの趣旨 ◇◇
このメルマガはアセンション館主人 pari と称するあるパターンに
浮上している心象風景の報告です。
実在するのはただ不垢不浄不増不減の永遠の<今・ここ>のみ。
問題はすべて概念上のものにすぎない。問題を創造する“自分”と
いう実体の不在も、物語への執着も、ただあるがままあるがまま。
内容は人畜無害、でも読む人は相当変わっていますね。現在856名
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◇◇ もくじ ◇◇
1.<今>からは逃げられない
2.ボブさんの言葉:【探求は時間の無駄か?】
3.編集後記:身体がある<今>も同じだと思います。
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■ 1.<今>からは逃げられない
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現れはいつも新しく、現れを見ているものは永遠の不動です。
現れは新しい年を迎えましたね。
でも、もちろん、「私は在る」噺は同じです。(^_-)
(*^_^*)
さて、またまた一週間が過ぎて、楽しい“アセンション噺”ならぬ
「私は在る」噺に、お付き合いいただく今がやってまいりました。
『アセンション館通信』配達人の pari です。(^^)/
みなさま固有の「私は在る」を、いかがお過ごしでしょうか?
思うに、わたしはいつも<今>から逃げようとしていたんだな、と
いう感じがします。
pariパターンとして現象しているマインドは、そういう組み合わせ
だったようです。
哲学マインドとでも言うのか……。
まあ、エゴの純度を上げていくような役割を、演じられていたわけ
でしょうね。
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質問者 知性(ブッディ)とは何でしょうか?
マハルシ
思考あるいは識別の機能です。
それらは単なる名前でしかありません。
自我、心、知性、それらはみな同じものです。
誰の心でしょう?
誰の知性だと言うのでしょう?
自我のです。
自我は実在でしょうか?
いいえ。
私たちは自我を取り違えて知性や心と呼ぶのです。
『ラマナ・マハルシとの対話 第1巻』 (p379)
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エゴも知性も思考も識別も、同じものらしいですけどね。(^_-)
細かい識別をすれば、意気揚々のアウトワードジャーニー(行きの
旅)ではなかったような気がします。
まあ、苦渋のリターンジャーニー(帰りの旅)だったでしょうね。
どういう旅路だったにせよ、源から流れだしたエゴの旅であること
は間違いないけど。
意識に興味を持ち、しかも意識することの苦渋に対する感受性だけ
が発達している。
まあ、厄介な「死に至る病」です。(^_-)
意識することの究極の“歩留まり”を知りたいのだけれど、それを
意識の中で探求しようとする。
意識とは“顕れ”、意識とは“定義”、意識とは“物語”。
意識とは、無限の物語を紡ぎだすための仕組み。
意識の紡ぎだす物語(=世界)の中で“何者か”であるとは、他者
たちのなかで迷子になること。
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すべての意識は限定され、そしてそれゆえ苦痛に満ちているのだ。
意識の根底には体験への衝動という欲望が横たわっている。
『私は在る』(p182)
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だからこそ、仏陀はドゥッカ(苦)を説かれたのでしょうね。
意識すること自体が「苦」だという理解を「苦諦」と言われたので
しょう。
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彼(仏陀)はすべての意識が苦痛に満ちたものだと意味していた
のだ。
それは明白だ。
『私は在る』(p400)
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だから、意識する者たちは意識することから逃れたい。
ただその衝動を、ある意識状態から別の意識状態へと移動すること
として理解(つまり誤解)したわけでしょう。
だから、つねに“この現実”から逃れたいと思った。
“この現実”とは、“自分”がハマっている物語の“この状態”の
ことです。
だから、いつでも<今>というこの現状から逃れたい、ということ
になる。
ところが、これは不可能な望みです。
なぜなら、あらゆる生き物、あらゆる存在は、<今>から逃れるこ
とはできないから。
なにしろ、すべての“現れ”は<今>の上に、<今>を根拠にして
現れているのだから。
<今>とは何か?
この「存在の気づき」、つまり「存在感」です。
別の言葉で言うなら、「(私は)在る」というこの感覚です。
すべての現れ、森羅万象はこの「存在感」に対し、この「存在感」
に依拠して、現れている。
誰一人として、何ひとつとして、自分が存在するという「存在感」
なしに、この「存在感」に依拠せずに、現れることはできない。
どんな夢も、この「存在感」なしには、現象することができない。
というか、すべてはこの「存在感」に対して現れている“見かけ”
にすぎない。
“存在するもの”、それをもし“現れているもの”の意味だとする
なら、“存在するもの”はすべてこの存在感の“見かけ”です。
この“見かけ”は、永遠に変化をつづけなければならない。
なぜなら、変化しないかぎり、認識されることはないから。
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変化しないものを意識することはできない。
意識とはすべて、変化の意識なのだ。
だが、変化を知覚すること自体が、そこに不変の背景のあること
を余儀なくしているのではないだろうか?
『私は在る』(p535)
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実在するのは、永遠に不動のこの「存在感」。
「私は在る」というこの感覚。
われわれが存在すると誤解してきたすべての形あるものは、絶えず
形を変えて消失し、この無形の「存在感」だけが永遠にとどまる。
それだけが、唯一の、永遠不動の「(私は)在る」……。
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「私は在る」に気づきの焦点を合わせつづけなさい。
あなたが在ることを覚えておきなさい。
あなた自身を絶え間なく見守りなさい。
そうすれば、あなたの努力なしに無意識は意識のなかに流れてく
るだろう。
誤った欲望や恐れ、偽りの観念、社会的抑制は意識との自由な相
互作用を阻止し妨げる。
ひとたび意識と無意識が自由に混ざりあえば、二つはひとつなり、
ひとつはすべてとなる。
個人は観照者のなかに溶け、観照者は気づきのなかに、気づきは
純粋な存在のなかに溶ける。
しかし、それでもアイデンティティは失われない。
ただその限界が失われ変容されて、真我、サットグル(真の師)、
永遠の友だち、そして導き手となるのだ。
『私は在る』(p465)
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(-||-)
われわれは、どうあがいても<今>からは逃げられない。
なぜなら、われわれとは、じつは<今>のことだから。
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あなたは在る。
ほかのすべては現れにすぎない。
『私は在る』(p421)
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はい。
(-||-)
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永久的なもの、それはあなた自身の存在である。
真我として在りなさい。
それが至福である。
あなたはいつもそれなのである。
『あるがままに』(p58)
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……。(-_-)
ありがとうございました。<(_ _)>
(-||-)
今日はこんなところで。
……。
m(_ _)m
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『私は在る』の「目次」はここ↓に置いてあります。
https://www.ascensionkan.com/books/I_AM_THAT-index.html
ときどき「ニサルガ辞書」で遊んでみてください。
https://www.ascensionkan.com/ndic/
新しい「ラマナ・マハルシ辞書」はここです。
https://www.ascensionkan.com/rdic/
おこがましくも『アセ通』既刊号はすべてここに置いてあります。
https://www.ascensionkan.com/mm/
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■ 2.ボブさんの言葉:【探求は時間の無駄か?】
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今回も……ボブさんの無断翻訳を……つづけます。
『Living Reality: My Extraordinary Summer With "Sailor" Bob
Adamson』
(『生きている実在:セイラー・ボブと過ごした途方もない夏』)
からの抽出翻訳です。
ボブさんご夫妻は……アメリカにきてくれて……今は著者のジェー
ムズ・ブラーハの家に滞在しています。
7月30日に行われた公開討論のあとの、メリルとジャックという新
しいメンバーを加えた夜の会話の続きです。
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【探求は時間の無駄か?】
ジャック これはニサルガダッタが「私は在る」にとどまるよう
にと言っているのに似ていますね。
ボブ
彼の意図は、存在の気づきにとどまるようにということです。
調べてみれば、あなたは自分がそこから出られないことが分かる
でしょう。
あなたは過去の中へも未来の中へも入ることはできません。
あなたはマインドの中ではそこへ行けますが、しかしそれをする
とき、それもやはり現在なのです。
「今」から出ようとしてごらんなさい。
それは不可能です。
自分がけっして現在から出ることができないことを理解したら、
心配は消えます。
ジャック 何年か前、私は「今」という言葉さえ的確ではないと
いうことを読みました。
ボブ
今というようなものはありません。
今とは、過去、現在、未来と同様の微妙な時間の概念です。
しかし私は、束の間の存在を示すためにこの言葉を使います。
私たちは、真理を指し示すために言葉、つまり概念を使わなくて
はなりません。
ジャック この最も単純なことを発見するのに、40年もの間、
本を読まなければならなかったとは恥ずかしいです。
ボブ
私たちはみんなそれを言いますが、しかしあなたが探求していた
ときに戻るなら、それは実際は今でした。
この今が今であるのと、まったく同じです。
存在するすべてが今であることが分かると、過去は消えます。
私自身16年間探求していました。
そして真実を理解したとき、私はその16年間が無駄だったと思
いました。
しかし何ひとつ無駄ではありませんでした。
それはすべて、ただあるがままです。
そしてたとえ探求していたとき、あなたがそれを知らなかったと
しても、いずれにせよあなたは「それ」だったのです。
そしてもしそのドラマやトラウマが一切起こらなかったとしたら、
私は今ここに座って皆さんに話してはいなかったでしょう。
たった今そうであるのと同じように、そのときも私たちは生きら
れていたのです。
もし私が行為者であったとしたら、私は次の呼吸や鼓動について
心配していたことでしょう。
しかしそれは、私たちの自然な状態なのです。
ジャック 私にはここでもうひとつの「でも」があります。もし
私が人々に自分は行為者ではないと言ったら、人々は
私を精神病だと思うでしょう。
ボブ
ええ、もしあなたが自分が行為者でないと分かったのなら、また
それを確信しているのなら、他の人たちがどう考えるかは問題で
はありません。
彼らには彼らの見かけの拘束の中にとどまってもらいましょう。
今朝ある人と話しましたが、その人は「私はこれを今は理解しま
すが、しかしまた世間に戻ったら、私はまた忘れてそれに捕まる
でしょう」と言いました。
世間の99パーセントの人は偽りの自己中心を信じていますから、
それは時にはきっと起こります。
もし彼らの言うことを聞けば、あなたはまた捕まるかもしれませ
ん。
しかしもし自分で吟味しつづけるなら、あなたが彼らに引きづり
出されるのではなく、あなたが彼らを引き入れ始めるでしょう。
あなたは真理を知っており、その真理の中であなたは解放されて
いるのです。
ジャック わかりました。それで、ここはいかがですか? 以前
アメリカにはいらしたことがありますか?
ボブ
バーバラは以前来たことがありますが、私は初めて来ました。
素晴らしい時間を過ごしています。
彼らは私を甘やかしてダメにしています。
ジェームズ われわれをダメにしているのは彼ですよ! 私はこ
の知識を手に入れつつあります。
ボブ
[ふざけて]その「手に入れつつある」というのは何
ですか?[みんな笑う]
あなたは何ですか?
ジェームズ 非概念的、永遠に新鮮、自ら輝く存在の気づき。
まさにこれであり、他の何ものでもない。
ジャック 彼はラップ(音楽)を手に入れた。
バーバラ あなたは無なのよ。
ジェームズ 私は無です。おお、神よ。私は無です。
ボブ
見ろ、誰が「私は無だ」なんて言ってると思う?[みんな笑う]
あなたはこれを手に入れつつあるのではありません。
あなたは「それ」です。
「それ」以外に何かありますか?
ジェームズ いいえ。
ボブ
二番目のない一(いつ)なるもの。
だから、あなたはそれでなければなりません。
「それ」を手に入れつつある、というようなことはありません。
あなたは「それ」なのです。
ジェームズ ほんの三月ほど前あなたと電話していたとき、自分
が「自分」、つまり偽りの参照点ではないと本当に知っていると
いような地点にまで行けるものだろうと思っていました。今、私
はもうそのことに疑問を持っていません。ときには捕まりますが、
すぐに調べて「自分」が偽りであることを理解します。ここには
自己中心が存在しないことが分かります。まったく何もありませ
ん。私は自分がどこかに到達しなければならないとは感じません。
それについては、私は永遠に感謝します。しかも不思議なのは、
どうやって自分がここに辿り着いたのかわからないんです。
ボブ
あなたはいつもそこにいました。
もし「それ」しかないなら、あなたはいつもそこにいたはずです。
メリル 感情とか恐れとかいったものについてはどうですか?
ボブ
それは自然の働きです。
思考、フィーリング、感情というのは、同じひとつのものです。
それがなかったら、あなたは生きられなかったでしょう。
しかしそれにしがみついたり、抵抗したりするのではなく、私た
ちはそれが往き来するのに任せます。
肝心なことは、あらゆることを取り替えたり、変更したり、訂正
したりする代わりに、放っておくことです。
だから、もし「この想念や感じは好きではないな」という思いが
来たら、それが立ち去るまでただ放っておきます。
そこにはあるがままの中で受容もなく、拒否もなく、執着もなく、
無関心もありません。
執着が浮上してくるかもしれません。
それを取り替えず、変更せず、訂正せずに放っておきます。
そうすることが、それに動き続けるチャンスを与えます。
もし何かに対する固着があったら、それは流れを止めます。
エネルギーのどんな閉塞も葛藤です。
もういいですか?
ジェームズ 明日は大きな一日になります。公開講話が始まります。
バーバラ どのくらいの人が来るんですか?
ジェームズ おそらく10人から15人くらい。しかし真面目な
探求者たちです。大部分が外国から飛行機で来ます。
『Living Reality』(p272-275)
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(-||-)
> ジャック この最も単純なことを発見するのに、40年もの間、
> 本を読まなければならなかったとは恥ずかしいです。
思い方は違いますが、pariパターンも“恥ずかしい病”患者です。
> ボブ
> 私たちはみんなそれを言いますが、しかしあなたが探求していた
> ときに戻るなら、それは実際は今でした。
> この今が今であるのと、まったく同じです。
> 存在するすべてが今であることが分かると、過去は消えます。
> 私自身16年間探求していました。
> そして真実を理解したとき、私はその16年間が無駄だったと思
> いました。
> しかし何ひとつ無駄ではありませんでした。
> それはすべて、ただあるがままです。
まさに、そうですねぇ。
> そしてたとえ探求していたとき、あなたがそれを知らなかったと
> しても、いずれにせよあなたは「それ」だったのです。
おっしゃるとおりです。
> そしてもしそのドラマやトラウマが一切起こらなかったとしたら、
> 私は今ここに座って皆さんに話してはいなかったでしょう。
> たった今そうであるのと同じように、そのときも私たちは生きら
> れていたのです。
まさに。(-_-)
> もし私が行為者であったとしたら、私は次の呼吸や鼓動について
> 心配していたことでしょう。
> しかしそれは、私たちの自然な状態なのです。
はい。
ありがとうございました。<(_ _)>
(-||-)
………○…………○…………○………
▼『アセ通』への「私は在る」関連ご意見投稿フォーム:
http://www.formzu.net/fgen.ex?ID=P48750702
というのを作らせていただきました。(^^;)
「私は在る」に関するご意見・ご感想・シェアリング、または単な
るメールなど、ご自由にお書きいただければと思います。
………○…………○…………○………
『アセンション館通信』への「ご投稿・情報提供」を歓迎いたします。
▼『アセンション館通信』への情報ご投稿フォーム
http://www.formzu.net/fgen.ex?ID=P87119518
………○…………○…………○………
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■ 3.編集後記:身体がある<今>も同じだと思います。
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> 自分がけっして現在から出ることができないことを理解したら、
> 心配は消えます。
たぶん、この言葉↑が頭のなかで反響していたのでしょう。
pariパターンの場合は、自分がずっと今から脱出しようとしていた
ような気がしました。
今から逃げないで、今を生きなさい、と言われても、pariパターン
のマインドは素直にはついていけませんでした。
でも、あなたはどうあがいても、今から脱出することはできない、
と言われたら、これは諦めざるをえません。(-_-)
だって、事実だから。
事実に逆らうわけにはいかない。
いわゆる身体の崩壊を迎えたら、どうなるのかは知りません。
でも、おそらく、まったくの空無には帰さないでしょう。
そうなったところで、まったく不満はありませんが。
身体という自己同化の根拠は失っても、永遠不動の知性エネルギー
であることに変わりはないのではないでしょうか。
それなら現象に興味があるかぎり、また身体を持ちたいという欲望
に晒されるかもしれませんね。
だから、その意味では、身体がある<今>も同じだと思います。
<今>に括りつけられ、現象に晒されても、必ずしも現象にフォー
カスしつづけなければならないというわけではない。
その反対のベクトル、
> 「私は在る」に気づきの焦点を合わせつづけなさい。
> あなたが在ることを覚えておきなさい。
> あなた自身を絶え間なく見守りなさい。
そういう手もあるんですよね。
日没が早いので、今日も昏くなったようです。
おやすみなさい。
<(_ _)>
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■ 【作者】 『アセンション資料館』主人 pari
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→ メール: pariアットマークjk2.so-net.ne.jp
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