━━━━☆☆☆☆━━━━━━━━━━━━━━ by paritosho ━
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☆☆ ☆☆『アセンション館通信』2014/1/19(第511号)
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☆☆ ☆★ 【気刊】――「私は在る」に導かれ♪――
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☆☆ ☆☆ https://www.ascensionkan.com/
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◇◇ このメルマガの趣旨 ◇◇
このメルマガはアセンション館主人 pari と称するあるパターンに
浮上している心象風景の報告です。
実在するのはただ不垢不浄不増不減の永遠の<今・ここ>のみ。
問題はすべて概念上のものにすぎない。問題を創造する“自分”と
いう実体の不在も、物語への執着も、ただあるがままあるがまま。
内容は人畜無害、でも読む人は相当変わっていますね。現在856名
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◇◇ もくじ ◇◇
1.『わかっちゃった人たち』
2.ボブさんの言葉:
【あなたが知る必要があるのは「自分」が偽りであることだけ】
3.編集後記:源が気にしていないのだから
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■ 1.『わかっちゃった人たち』
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それが自然のものであれ、マインドが捏造したものであれ、起こっ
ていることはすべて、あるがままなのでしょう。
もちろん、マインドは“あるがまま”以外を望んだりはします。
でも、それも源から流れ出しているのは確かなので、改めてマイン
ドの言葉に翻訳するなら、それも源が望んだことになります。
たえず、あるがまま以外であることを望むんでいるマインドの煙に
巻き込まれている、この状態も……。(-_-)
でも、どうなのかしら。
そんな不毛な努力を、いつまでも続けていられるものかなぁ。
回りに起こっている出来事を“自分”が起こしているわけじゃない
ことがわかったら、別のことを望むのも難しくなるのでは?
あ、でもそんなに単純でもないんだ。
“自分”が努力したから現在のこの結果がある、と幻想することは
たしかに可能だものなぁ。
いったい誰が、そんな努力を望んでいるのか?
その努力を望んでいるのは、いったい誰なのか? (-_-;)
(@_@)
(*^_^*)
さて、またまた一週間が過ぎて、楽しい“アセンション噺”ならぬ
「私は在る」噺に、お付き合いいただく今がやってまいりました。
『アセンション館通信』配達人の pari です。(^^)/
みなさま固有の「私は在る」を、いかがお過ごしでしょうか?
カルマって言うんですか、その身体が生まれたときに持ってきてい
る運命というか、エネルギーというのか……。
この身体はずいぶんたくさんの“お喋りエネルギー”をもって生ま
れてきたみたいなんですけど。
それが少し途切れがちになってきているかも、という感じがしない
でもありません。
もしかしたら、今こういう感懐が湧いてきたのは、今読んだばかり
の本のせいかもしれません。
じつは「resonanz360.com」のヒロさんに『わかっちゃった人たち』
という本を贈っていただいたんです。
というか実際は、知り合いの方で欲しい人は手を挙げて、みたいな
告示があって、厚かましくもオネダリしてしまいました。(^^;)
ヒロさんにはお会いしたこともないんですけどね。(*-_-*)
でも、とても読みたかったんです。
贈っていただいて、実際、あっという間に読み終えました。
「悟り」って、昔だったらめったに起こるようなことじゃないです
よね。
(まあ、昔なんてものはない、という話はなしとして。(^_-))
でもいろいろの本で言われているとおり、折り返し点に当たるらし
い今の時点では、あちこちで「悟り」が起こっているようです。
その内どなたかが『江分利満氏の優雅な悟り』といったタイトルの
本を書いて、芥川賞を受賞しないものでもないような勢いです。
宇宙の摂理として、ラメッシ・バルセカールの言う「聖なる催眠」
が、大盤振る舞いで解けるタイミングがあるのでしょうか。
そうしたら、それが解けたところでは、これが主催者のいない夢の
映画館であることが自明になってしまうのでしょうか。
『わかっちゃった人たち』の概要については、翻訳者のヒロさんが
最近、発売告知に書かれているので、ご参照ください。
http://resonanz360.com/2014/01/17/
「悟り」が起こった後も、普通の生活をつづけている7人の方々の
インタビューからなる本です。
読み終えたばかりなので、どういう印象が自分の中に広がっていく
のか、まだちょっとわからない感じもあります。
ただ読んだ直後の今でも言えるのは、やはりいわゆるスピリチュア
ル教師たちが書いた本とは明らかに印象が違うことです。
たとえば、ここでいつも取り上げているボブさんも、まったく特別
を装わない方ですよね。
それでも自分からそのような話題を話し、周りに集まる方々が認め
るアドヴァイタの教師です。
でもこの『わかっちゃった人たち』のなかで話している七人の方々
は、いわゆる市井の、普通の生活をつづけている人たちです。
おそらく、ごく身近な方以外には、いわゆる悟った方とも認知され
ていないでしょう。
本人が特に隠しているわけでなくても、そんなことに興味のある人
などまずほとんどいないでしょうから。
普通の話題としては、話すタイミングがないのが当たり前です。
だからかえって、いわゆる覚者方の本にはない、普通に人格にハマ
っている周囲の人たちとの距離感が際立つ場面もあるようです。
小説なら、そちらのほうが面白いかもしれませんよね。(^_-)
どの人にも、とても自然なその人らしさがあります。
同じフィクションでも、人間が創ったフィクションと、源から流れ
だしたフィクションの違いかもしれません。
もちろん、ヒロさんの卓越した英語力の貢献が大きいと思います。
ヒロさんは人格の違いを特に演出してはいませんが、とても自然に
それぞれの人格が滲み出していますから。
買って読んだら、もしかして自分に似たようなタイプの人格の人が
なかに見つかるかもしれませんよ。
悟ったって、人格の実体が存在しないことが自明になるだけで、そ
の人格がその人格でなくなるわけじゃないので。
↑
ナンノコッチャ。(^_-)
わたしの場合は、第六章の「豆を数える人」のT・Fさんという方
にとても親近感を感じました。
この方が使う言葉が、なんだか自分が使いそうな言葉のように感じ
てしまって。(^^;)
いえ、そういうことを思ってもいいような雰囲気、つまりそれくら
い“これ”がただのお芝居だという雰囲気に飲み込まれるんです。
もちろん、今の自分が言うとすれば格好が良すぎて、感じが似てる
なんて到底言えるわけもない言葉ですが。
たとえば、こんな感じです。
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そういう人たちに話しかけられて、友だちになったりもします。
教えみたいなものが出てきたりもします。
でも最近はそうでもないですね。
そういう人たちの物語を「僕」という人間の観点から見るような
形に作り変えなくてもいいからです。
自分の物語にはまってる人たちと、そのままただ接していたって
いいんですから。
『わかっちゃった人たち』(p152)
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これから、こういう方たちが増えてくるんでしょうかねぇ。
7人の覚醒者(というんでしょうか)、人間の夢から覚めてしまっ
た意識の位置が、ごく自然な人格的表現を展開しています。
ある意味では霊的教師の表現より、このような方たちの表現のほう
が、ある種のリアリティを示しうる場合がありますよね。
そしてこうして色々なパターンを眺めてみると、どれひとつとして
同じパターンはないわけですから、ある意味、とても気楽です。
覚醒者が取るべき類型などというものがありえないこと、お手本な
んか存在しえないことが自明になる感じです。
“悟り”も“迷い”も、すべて等しく源から流れだしている束の間
の表現であることが、とても普通に感じられてしまいます。
マインドの言葉に強いて翻訳するなら、源は“表現も可能な道”を
選んだということでしょうか。
だから、そこから流れ出す表現のなかには、“俺は表現なんてまっ
たく無用だったと思ってるんだ”という表現もあるわけです。
まあ、どっちかと言えば、わたしもそっちのほうかなぁ。
でもそんなものはすべて、意識の中の束の間の表現にすぎません。
実際、源は表現可能な道を選んだ。
少なくとも、源の根拠のなかで、現象は起こっているわけです。
そしてわたしは、自分が源とは異なると想像して、色々な感想を抱
えたりしてるわけです。
またT・Fさんの言葉を引用しますが、なかでこんなことをおっし
ゃっています。
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たった今も、それと同じことが起こっています。
何かが出てきて、それが、これはもうぴったりこなくなったよと
言ってるんです。
ここでこうやって座って話してると、マインドを使いますよね。
それが仕組みなんです。
この対話ではマインドや記憶を使っていて、言葉を使って明確に
表現しようとしてます。
でも教えが指し示しているのはここで展開していることとは違い
ます。
教えが指し示しているのは、そういうことすべてがその中で起こ
っている何かなんです。
それは、録音するのを止めてから部屋を出てからここにあるもの
で、あなたがエレベーターで下に降りて扉を出たときにここにあ
るものです。
『わかっちゃった人たち』(p154)
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(-||-)
もう、何をか言わんや、ですよね。
是非、一度読んでみられるといいんじゃないでしょうか。
ヒロさん、いい本を翻訳されましたね。
とても面白かったです。
これからも、たぶん何度も読むと思います。
ありがとうございました。<(_ _)>
(-||-)
今日はこんなところで。
……。
m(_ _)m
………○…………○…………○………
『私は在る』の「目次」はここ↓に置いてあります。
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ときどき「ニサルガ辞書」で遊んでみてください。
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■ 2.ボブさんの言葉:
【あなたが知る必要があるのは「自分」が偽りであることだけ】
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今回も……ボブさんの無断翻訳を……つづけます。
『Living Reality: My Extraordinary Summer With "Sailor" Bob
Adamson』
(『生きている実在:セイラー・ボブと過ごした途方もない夏』)
からの抽出翻訳です。
ボブさんご夫妻は……アメリカにきてくれて……今は著者のジェー
ムズ・ブラーハの家に滞在しています。
以下は第六章に集められている週末トークからの翻訳です。
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【あなたが知る必要があるのは「自分」が偽りであることだけ】
ジェームズ 私が大好きなニサルガダッタの言葉に「解放とは獲
得ではなく勇気の問題だ。あなたがつねに自由であ
るという信仰と確信の問題であり、この確信にした
がって行為する勇気の問題だ」というのがあります。
面白いのはその勇気という部分です。じつに多くの
探求者が「私は『自分』が偽りであることを理解し
たが、知的に知っているだけだ」と言います。人々
は海の水が青いこと(ママ)は確実に知っているが、
しかし「自分」が偽りであることは、知的に知って
いるだけだと言うのです。どういうわけか、それは
勇気を出すことのようです。ただ「自分」が偽りだ
と言うだけに、人々には何か特別の信仰や確信が必
要らしい。ピリオド。もしそれを知っているのなら、
それを知っているのです。ただそれを言う勇気と確
信を持てばいいだけです。
メリル それは非常に大きな損失です。
ジェームズ まさしく。とても大きな損失です。そして実際に障
害になっているのは、解放とか覚醒がどんななもの
かについて我々がもっているイメージなんです。そ
れはまるで空全体が溶け出すようなものだと思われ
ている。そうでばなく、それは無です、非物性です。
それはそのイメージに適合しない。だから人々は死
ぬまで探求して、見つけることがないのです。
スティーブ まあ、それが私がここに来た理由なんだけど──イ
ンスピレーションを求めて。そしてどうすればこの
知識を本物にできるかを発見するために。私は本は
すべて読んだけど、まだ充分じゃないみたいで。
ジェームズ 私にとってそれを本物にしたのは2週間ボブと交流
したことでした。聞いてもいいですか。あなたは
「自分」が偽りだと知っていますか?
スティーブ はい。
ジェームズ あなたが知る必要があるのはそれだけです。ところ
で、それはあなたがもう反応したり、参照点に捕ま
ったりしない、ということじゃありません。誰かが
あなたは好きじゃないと言ったり、何か危害を加え
たりしても、あなたが「痛い!」と言わないという
意味じゃないのです。あなたは多分そうするでしょ
う。でも10秒か20秒、または2分もしたら、あ
なたは自分に「待てよ、誰のことをあの人は言って
たんだ? そもそも、ここには「自分」なんていな
いじゃないか。彼が話していたのは偽物の「自分」
のことだ。彼が話していたのは見かけについてだ」
と言うことでしょう。この二、三週間、僕たちの
多くがボブに、質的変化が起こる時というのは来る
のかと尋ねてきました。もう二度と再び参照点に捕
まらないときというのは来るのか、と。するとその
答は、参照点が偽物なのだから、時々それに捕まる
かどうかはどうでもいいことだ、というものでした。
身体があるかぎり、明らかな好みや、見かけの選択
はあるでしょう。でもそれらは見かけにすぎません。
実際の質的変化というものはありません。見かけの
質的変化があるだけです。私たち全員がそれなんで
す、私たちがそれを理解していようといまいと。
スティーブ それを聞いて、助かりました。ときとして、何かに
ついて疚しく感じたり、嫌な感じになったりするの
ですが、でも結局はそれは消えていきます。という
ことは、どんなに悪いことが起こっても、私が理解
していないということではなく、また最初からやり
直さなければならないない、わけでもないんですね。
それは元気がでます。
ジェームズ 私はボブの教えを彼の本やCDで知っていましたが、
でも実際には、あまり違いは起こりませんでした。
それから彼が到着して、何かが起こりました。ボブ
は私に圧力をかけました。私が「自分」は存在しな
いことを知的に知っているとか、「ええ、でも…」
とか言うと、彼は必ず「ちょっと待って。あなたは
それを知っているのですか、知らないのですか?
イエスですか、ノーですか?」と聞くんです。そう
なると、私はイエスと言わざるをえませんでした。
だから、ある時点で、あなたは打席に入って、その
「自分」が真実かそうでないのかを決めなくてはな
りません。それからは、あなたはそれを生きなくて
はならない。そしてそれがニサルガダッタが言った
ことだと私は思います。彼が、解放とは自分がつね
に自由であるという信仰と確信の問題であり、その
確信に基づいて行為する勇気の問題だ、と言ったと
きの。だからこそ私はボブと会うことが必要だと感
じたのです。私は彼が本物かどうか知りたかった。
ボブは誰とも同じく普通で自然に見えます。でもこ
れまで二週間の間に、ある問題が起こって、エゴが
燃え上がることがあったとき、突然彼が参照点から
行為しているのではないことが明白になることがあ
りました。それこそが私がどうしても見る必要があ
ったものでした。そのとき私はその教えと、特にこ
の「あなたが求めているもの、あなたはすでにそれ
です」という言明を受け入れることができたときで
した。
ボブ
それを理解するなかで、探求は停止しなければなりません。
あなたをそれから分離させているのは探求そのものです。
あなたがジェームズが触れたシンプルな言葉を理解したら、探求
する誰がいるでしょうか、また探求する何があるでしょうか?
そこにあるのは完全な停止することです。
その理解が明確になるのを許すのです、あなたであるものが。
探求はあなたを再び時間のなかに連れ戻します。
時間は、たった今あなたが持っていない何かがあることを暗示し
ます。
未来というものはありません。
遍在とは存在するものすべてです。
何かを手に入れようとするのではなく、あなたがしなければなら
ないことは、湧いている雲を理解し、そのままにしておくことだ
けです。
その雲に固着する必要はないのです。
『Living Reality』(p280-282)
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(-||-)
なんか……すごいですね。(-_-)
ジェームズはここで、ホストとしての役割を果たしましたね。
いつまでも“知的には理解した”なんて言ってちゃいけないんだ。
それ以上、マインドの中でどんな真理を求めるというのか? (-_-)
求めることがやんだら、あとは自然に起こることが起こる。
少なくとも、主要な邪魔が消えるわけだから。
「あなたが求めているもの、あなたはすでにそれです」
そういう意味だったんですね。
ありがとうございました。<(_ _)>
(-||-)
………○…………○…………○………
▼『アセ通』への「私は在る」関連ご意見投稿フォーム:
http://www.formzu.net/fgen.ex?ID=P48750702
というのを作らせていただきました。(^^;)
「私は在る」に関するご意見・ご感想・シェアリング、または単な
るメールなど、ご自由にお書きいただければと思います。
………○…………○…………○………
『アセンション館通信』への「ご投稿・情報提供」を歓迎いたします。
▼『アセンション館通信』への情報ご投稿フォーム
http://www.formzu.net/fgen.ex?ID=P87119518
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■ 3.編集後記:源が気にしていないのだから
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久しぶりに、とても楽しい読書体験でした。
7人の人が、それぞれとても自然に独自の人格を展開していて。
彼ら(という表現)が何かによって演じられているのだとしたら、
自分(という表現)もまた演じられているのは明らかです。
源が気にしていないのだから、わたしもこんな表現のことを気にす
る必要はないんですよね。
今日は晩くなりました。
おやすみなさい。
<(_ _)>
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■ 【作者】 『アセンション資料館』主人 pari
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→ メール: pariアットマークjk2.so-net.ne.jp
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