home > 通信 >『アセンション館通信』第512号:船井幸雄さんがお亡くなりに



━━━━☆☆☆☆━━━━━━━━━━━━━━ by paritosho ━
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 ☆☆     ☆☆『アセンション館通信』2014/1/26(第512号)
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☆☆      ☆★ 【気刊】――「私は在る」に導かれ♪――
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 ☆☆   ☆☆          https://www.ascensionkan.com/
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◇◇ このメルマガの趣旨 ◇◇

このメルマガはアセンション館主人 pari と称するあるパターンに
浮上している心象風景の報告です。

実在するのはただ不垢不浄不増不減の永遠の<今・ここ>のみ。

今この瞬間が永遠の動画の一画面を映し、そしてそれを観ている。
その動画の一画面にこの身体も映っている。ただあるがまま。

内容は人畜無害、でも読む人は相当変わっていますね。現在859名
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◇◇ もくじ ◇◇

1.船井幸雄さんがお亡くなりに

2.ボブさんの言葉:
      【内容ではなく、空間に焦点を合わせなさい】
      【人は理解に入ったり、そこから出たりできるか?】

3.編集後記:外の寒さが歯にしみました。
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■ 1.船井幸雄さんがお亡くなりに
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ちょっと熱いものが歯にしみるようになっています。

歯医者さんに電話をするのですが、いま予約がいっぱいで空きがな
いというのです。

こっちも何とか潜り込もうとするのですが、一週間先も、二週間先
もいっぱいで予約が詰まっているらしい。

それでも待つとこっちが粘ると、しみるようになっているのなら、
あまり長くも待てないと思うので……、といった口ぶりです。

もちろん、電話口で先生に聞いてみてはくれているのですが、どう
もはかばかしい答を得られないらしい。

明らかに他の歯医者さんに行ってほしいような感じ。

どうも患者を増やしたくないらしいんですよね。

一応、キャンセルがあったら連絡してくれるということにはなった
のですが、どうもまず無理ですね。

別の歯医者に行かなくてはならないでしょう。

田舎に住んでいると、それがけっこう遠いんですよね。

まあ、仕方ないです。(^^;)

『東京物語』の紀子さんの言い方で「本当に、嫌なことばっかり」
と言いたいですね。(-_-)
   ↑
   └─なんで『東京物語』の紀子さんの言い方やねん。(^_-)

まあ、固いことはなしにして。(-_-)

(*^_^*)

さて、またまた一週間が過ぎて、楽しい“アセンション噺”ならぬ
「私は在る」噺に、お付き合いいただく今がやってまいりました。

『アセンション館通信』配達人の pari です。(^^)/

みなさま固有の「私は在る」を、いかがお過ごしでしょうか?

船井幸雄さんが亡くなられましたね。

ひと頃、とても熱心に船井さんの本を読んでいたことがあります。

だから友人の努力で初めて自分の本を出せたときも、恐る恐るその
本をを船井さんにお贈りしたのでした。

『21世紀への指導原理―OSHO』という本です。

送り先がわからず、当時もっていた船井さんの本の奥書にあった、
船井総研大阪支社に送りました。

ところが一週間も経たないうちに、船井さんご本人から当時住んで
いた藤沢の自宅に電話があって、驚いたことがあります。

「本を贈っていただいて、ありがとうございました。
 面白く読ませていただきました。
 大阪支社にはめったに来ないので、今度私に連絡があるときは、
 こちらにしてください」
とおっしゃって、連絡先を教えていただきました。

こんなふうに誰にでも気軽に電話をかけるのか、と驚きましたね。

当時は船井さんを日本のある種の司令塔だと思っていて、そういう
手紙をつけたので、直接お電話いただいたのかもしれません。

『火水伝文(ひみつつたえふみ)』の流れに関係していくような、
自分にそういうエネルギーが横溢していた時代でした。

その船井幸雄さんが亡くなられても、もちろん、何ごともなかった
かのように、日本は相変わらずこんな状態です。

括りこそ違え、船井さんも日本も現れのなかのいっときの括りであ
ることは、このpariパターンと同じです。

生命現象のなかのあるパターンの括りを、pariと言ったり、日本と
言ったり、地球と言ったり、銀河と言ったりするのでしょう。

まるでお誂えのように、マハラジのこんな言葉があります。

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 他者について思い煩うことはやめなさい。
 あなた自身のマインドを最初に扱いなさい。
 あなたのマインドもまた、自然の一部分であることを自覚すれば、
 二元性は消え去る。

 『私は在る』(p204)
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わたしのマインドが自然の一部であることには、まったく異存はな
いのだけれど、それで二元性は消え去るのだろうか。(-_-;)

そうか、その線を調べるということもあるんだな。

わたしの身体……と言っているこの身体が、さまざまな微小生物の
棲家というか、集合体であることは間違いないでしょうね。

その微小生物たちの編成がちょっと変わっただけでも、いわゆる、
わたしの身体は内部崩壊を起こしてしまうでしょう。

それが“わたし”というpariパターンの終焉につながったりもする
わけです。

誰も困らない。

その“わたし”という幻想の自己意識以外には。

そしてその幻想の自己以外には、崩壊するものもない。

それでなくても、あらゆる瞬間にすべての現象世界は創造と崩壊と
再生を同時に演じているわけですから。

pariパターンが概念上の括りであるように、日本も、地球も、銀河
も、腸内細胞も、素粒子も、すべて概念上の括りにすぎない。

思考のなかにだけ一瞬浮上するもの、実在するものではない。

実在するものと意識上に現れるものに、“容積比”の比喩を当てる
こともできるかもしれません。

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 原子を構成している素粒子の世界たるや、『踊る物理学者たち』
 の著者ゲイリー・ズーカフ氏の比喩を借りれば、十四階建てのビ
 ルほどの直径があるサンピエトロ大聖堂のドームの真ん中に塩を
 一粒置いたような原子核を中心にして、ドームの外周をその原子
 核の数千分の一の質量であるほこりの粒のような電子が回ってい
 る、といったような案配のものであるらしい。

 いくら物質が生きていると考えたくても、その広大なサンピエト
 ロ大聖堂のドームの外周を、まさかその在るか無きかのほこりの
 粒が自らの意志で飛び回っていると思う者はいないはずだ。
 しかも、素粒子はほこりの粒というような「もの」ですらなく、
 もともと物体としてイメージすることすらできないものだという。
 それならむしろ、物質を構成している原子とは、「真空」の海の
 中で物理次元というある種の“確かさ”の中に出現しようとする
 「傾向」、一種の「意志」、「兆し」のようなものだ、とでも言
 った方がましではないのか。
 つまり、どんなに頑固な唯物論者も、物質そのものの中に排他的
 に独立した生命の根拠を見つけることはできないだろうというこ
 とだ。
 
 『21世紀への指導原理 OSHO』(p247-252)
 https://www.ascensionkan.com/work/06eien_05dome.html
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実在(つまり虚空)の容積を「サンピエトロ大聖堂のドーム」とす
れば、現象(つまり見かけ)の容積は「塩粒」に当たる、と。

「実在」と「現象」の概念上の容積比は、「無限:1」、あるいは、
「1:0」とでも言うべきでしょうか。

明らかに、pariパターンの身体のなかで生きているのは、現象して
いる“見かけ”ではなく、空間なのです。

つまり、pariパターンのなかで気づいているのは、大聖堂のなかの
塩粒とホコリではなく、大聖堂を満たしてる空間の方でしょう。

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 気づきは根本的なものだ。
 それは根元的状態であり、はじまりがなく、終わりもない。
 原因がなく、支えがなく、部分も、変化もない。
 意識は表層の反映と関連しており、二元的な状態だ。
 気づきなしに意識は在りえない。
 しかし深い眠りのように、意識がなくても気づきは存在しうる。
 気づきは絶対的だ。
 意識はつねに何かに属し、その内容との相関関係にある。
 意識は部分的であり、変化するもの。
 気づきは完全で、不変であり、静かで沈黙の内にある。
 そして、それはあらゆる経験の共通の母体なのだ。
 
 『私は在る』(p49-50)
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> 意識は表層の反映と関連しており、二元的な状態だ。

わかります。

> 気づきなしに意識は在りえない。

はい。

> しかし深い眠りのように、意識がなくても気づきは存在しうる。
> 気づきは絶対的だ。

(-_-)

> 意識はつねに何かに属し、その内容との相関関係にある。

そういうことだ。

> 意識は部分的であり、変化するもの。

はい。

> 気づきは完全で、不変であり、静かで沈黙の内にある。

(-_-;)

> そして、それはあらゆる経験の共通の母体なのだ。

(-||-)

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 太陽が暗闇を知らないように、自己は非自己を知らない。
 他者を知ることで他者に成ってしまうのはマインドなのだ。
 それにもかかわらず、マインドこそがほかでもない自己なのだ。
 自己は他者、非自己になり、しかも自己として残る。
 それ以外のすべては見せかけにすぎない。
 雲が太陽に影響を与えることなく太陽を覆(おお)い隠してしま
 うように、見せかけは実在を破壊することなしに実在を隠してし
 まう。
 実在の破壊という観念自体、道理に合わない。
 破壊者はつねに破壊されたものよりもリアルなのだ。
 実在は究極の破壊者だ。
 すべての分離、あらゆる疎遠や疎外は偽りだ。
 すべてはひとつだ――これがあらゆる衝突の最終的な解決法なの
 だ。
 
 『私は在る』(p222)
------------------------------------

(@_@)

(-_-)

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 あなたが見ているものは、ほかでもないあなたの自己なのだ。
 あなたの好きなようにそれを呼ぶがいい。
 それが事実を変えることはない。
 運命のフィルムを通して、あなた自身の光がスクリーン上に絵を
 描いていく。
 あなたはそれを鑑賞する人であり、光であり、絵であり、スクリ
 ーンでもあるのだ。
 運命のフィルムさえも自ら選択され、自らに課されたものだ。
 その精神は障害を乗り越えることを楽しむひとつの競技だ。
 その努めが困難なほど、真我の実現はより深く広いものとなるの
 だ。
 
 『私は在る』(p498)
------------------------------------

> その精神は障害を乗り越えることを楽しむひとつの競技だ。
> その努めが困難なほど、真我の実現はより深く広いものとなるの
> だ。

なんてこった。(>_<)

マハラジが、こんなサイケデリックなことを言うなんて。

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 あなたは在る。
 ほかのすべては現れにすぎない。
 
 『私は在る』(p421)
------------------------------------

はい。

(-||-)

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 永久的なもの、それはあなた自身の存在である。
 真我として在りなさい。
 それが至福である。
 あなたはいつもそれなのである。
 
 『あるがままに』(p58) 
------------------------------------

……。(-_-)

ありがとうございました。<(_ _)>

(-||-)

今日はこんなところで。

……。

m(_ _)m


       ………○…………○…………○………


『私は在る』の「目次」はここ↓に置いてあります。
https://www.ascensionkan.com/books/I_AM_THAT-index.html

ときどき「ニサルガ辞書」で遊んでみてください。
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おこがましくも『アセ通』既刊号はすべてここに置いてあります。
https://www.ascensionkan.com/mm/


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■ 2.ボブさんの言葉:
      【内容ではなく、空間に焦点を合わせなさい】
      【人は理解に入ったり、そこから出たりできるか?】
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今回も……ボブさんの無断翻訳を……つづけます。

『Living Reality: My Extraordinary Summer With "Sailor" Bob
 Adamson』
(『生きている実在:セイラー・ボブと過ごした途方もない夏』)
からの抽出翻訳です。

ボブさんご夫妻は……アメリカにきてくれて……今は著者のジェー
ムズ・ブラーハの家に滞在しています。

以下は第六章に集められている週末トークからの翻訳です。

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 【内容ではなく、空間に焦点を合わせなさい】
 
 ボブ
 非二元の知識を得たのち、人々がよく聞くことのひとつは「私は
 人生をどのように生きるようになりますか?」というものです。
 あなたにそれを告げられる人は誰もいません。
 今まで自分がどのように人生を生きてきたのか、あなたは知って
 いましたか?
 それともそれはすべてただ自然に展開したのでしょうか?
 高さも、低さも、良いも、悪いも、すべてはなるようになってき
 たのです。
 そしてそれはそのようにつづくでしょう。
 それでは、何か質問がありますか?
 
 アン 先週私がここを離れたとき、私は何かが変わったように感
    じました。それで、私のマインドがただすべてをでっち上
    げていたとしたら、それでも私は探求が終わったのだと言
    ってもいいのでしょうか?
 
 ボブ
 あなたは思考と観念がすべて発生しているのに気づいていますね?
 それらは気づきのなかの内容つまり見かけではありませんか?
 それらは物事です。
 そしてあなたは物事ではありません。
 あなたが把握でき、これが自分だと言えるものは何もありません。
 変化するものはけっしてあなたではありえません。
 
 アン それでは個人はこれを理解できないです。そうなのですか?
 
 ボブ
 ええ。
 物事は物事でないものを把握できません。
 
 アン なぜ私は自分をサポートするあなたを必要としつづけるの
    でしょう?
 
 ボブ
 それはフォーカスがまだ物事の方に向かっているからです。
 私が人々に「こちらを見てください。あなたに最初に見えるもの
 は何ですか?」と言うと、たいていの人は壁や明かりや人が見え
 ると言います。
 誰も空間や空虚とは言いません──それが最初に見えているもの
 なのにです。
 焦点は、すべてがそのなかに現れているものにではなく、ただち
 に内容物へと向かいます、。
 もし空間がなかったら、どんな内容もありえなかったでしょう。
 それは気づきでも同じです。
 焦点はただちに気づきそのものではなく、気づきのなかで起こっ
 ている内容物に向かいます。
 
 今度は、それが起こっている場所に戻すのです。
 あなたは目をいくつ持っていますか?
 私が尋ねているのは、あなたの現在の証拠から──あなたに実際
 に見えているものからです。
 
 アン ひとつも。私には目はひとつも見えません。
 
 ボブ
 そのとおりです。
 そこには目はありません、しかしそこには空間があります。
 ですからそれは開いた窓なのです。
 その開いた窓のなかには、いくつの思考がありますか?
 その空間のなかに、あなたはかつて思考を見たことがありますか?
 
 アン いいえ。
 
 ボブ
 それはつねに透明で空っぽです。
 事実、あなたは自分の頭すら見ることができません。
 しかし見ることは起こっています。
 あなたはあなたの耳を見ることはできませんが、しかし聞くこと
 は起こっています。
 これは認識する空なのです。
 
 ジャック あなた自身の旅について、そしてあなたがどのように
      ニサルガダッタに到達したのか話していただけますか?
      そしてニサルガダッタがどんなふうだったかなど話し
      ていただけますか?
 
 ボブ
 私はすべての物語を詳細に述べることもできますが、それをして
 何の価値があるでしょうか?
 
 ジャック おそらく人々が言っている他のことと同じくらいには
      重要でしょう。
 
 ボブ
 [笑いながら]私たちがここでしていることは、あなたの下から
 すべてを蹴りだし、あなたを「それ」のもとに残すことです。
 もし私が物語を始めれば、そはひと束の物語でしかない。
 私の物語は他の誰かの物語よりいいかもしれません。
 だから何だというのでしょう?
 そしてそれこそがじつに多くのグループや運動のなかで続いてい
 ることです。
 誰もが自分の体験について話します。
 「僕の体験は君の体験よりいい。これが起こった、あれが起こっ
 た」と。
 これが、私たち全員がその自然状態のなかに住んでいることを、
 人々が理解するのを妨げつづけるのです。
 
 ジャック ピリオド!
 
 ボブ
 ピリオド。
 
 ウェイン 幻想で苦しむ他人を助けようとするあなたの人を動か
      さずにはおかない性質をどのように説明しますか?
 
 ボブ
 それに何か説明が必要ですか?
 それは独りでに発生します。
 それはまさに自然に起こったものです。
 そこには抵抗しがたいパワーがあるかもしれませんが、なぜそれ
 を物語にするのでしょう?
 そういうものはすべて概念的です。
 ただそのままにしておくことです。
 それに反響させておきましょう。
 
 【人は理解に入ったり、そこから出たりできるか?】
 
 コリー 私は理解に入ったり、理解から出たりするようなんです。
     理解に入ると、私は「分かった」と言いがちです。する
     と私はたちまち外に引き出されます。まるで私が自分の
     体験をサボタージュしているみたいなんです。
 
 ボブ
 「私」はその中に入ったり、そこから出たりできるでしょうか?
 「私」とは単なる思考です。
 存在感覚は、その「私」という思考に先立ってあります。
 それは存在がマインドを介してする翻訳方法です──「私は在る」
 というのは。
 ですから、「私はそれに入ったり、そこから出たりする」という
 思考は、気づきのなかの見かけです。
 気づきが、それ自身の中に入ったりそこから出たりしますか?
 根本的な次の事実から始めることです。
 あなたはあなたの存在を否定できません。
 その「知っていること」、つまり存在意識は、いつもそこにある
 のです。
 
 コリー わかりました。他のすべては仮定です。
 
 ボブ
 では、あなたであるその「知っていること」は、それ自身に入っ
 たり出たりしますか?
 
 コリー いいえ。
 
 ボブ
 そのとおりです。
 概念は発生するかもしれません……。
 「私」という思考は、見かけ上現れたり、動きまわったりするか
 もしれませんが、気づき自身は入ったり出たりはしません。
 ですから、あなたは自分が気づきに入ったり、そこから出たりす
 るという、嘘を自分についているのです。
 
 ウェイン 賢者ルーミーは言いました。「正誤という考えの外に
      その場はある。私はそこであなたと会おう」と。
 
『Living Reality』(p282-285)
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(-_-)

眼前に現象する世界はすべて分離幻想を継続させるための仕掛け、
と理解するのが一番手っ取り早いのでしょうね。

それを理解した方々は、どんな物語もつくろうとしない。

そういうことですね。

ありがとうございました。<(_ _)>

(-||-)


       ………○…………○…………○………


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というのを作らせていただきました。(^^;)

「私は在る」に関するご意見・ご感想・シェアリング、または単な
るメールなど、ご自由にお書きいただければと思います。


       ………○…………○…………○………


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■ 3.編集後記:外の寒さが歯にしみました。
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いつもの散歩をすると、外の寒さが歯にしみました。

これはいかんですね。(>_<)

こんなものに執着する理由はまったくないのになぁ。

それでも、動くものにはすぐに興味を持ってしまう。

困ったものです。

この現象がすべて根拠をおいている存在の感覚にだけ焦点を合わせ
ていればいいんだろうけど。

すぐにフラフラ漂いだして。

今日はもう晩くなりました。

おやすみなさい。

<(_ _)>


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■ 【作者】 『アセンション資料館』主人 pari
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  → メール: pariアットマークjk2.so-net.ne.jp
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