home > 通信 >『アセンション館通信』第516号:すべてはあるようにある



━━━━☆☆☆☆━━━━━━━━━━━━━━ by paritosho ━
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 ☆☆     ☆☆『アセンション館通信』2014/2/23(第516号)
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☆☆      ☆★ 【気刊】――「私は在る」に導かれ♪――
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 ☆☆   ☆☆          https://www.ascensionkan.com/
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◇◇ このメルマガの趣旨 ◇◇

このメルマガはアセンション館主人 pari と称するあるパターンに
浮上している心象風景の報告です。

実在は概念ではなく、概念の顕現でもない。概念は実在しない。
概念はただ“見かけ”の解釈のなかにのみ現れる。

実在は、“見かけ”の発現を可能にし、解釈の発現を可能にする。
“見かけ”と解釈のなかで迷子になると、苦楽の海に溺れる。

内容は人畜無害、でも読む人は相当変わっていますね。現在862名
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◇◇ もくじ ◇◇

1.すべてはあるようにある

2.ボブさんの言葉:【意識は物のように分割できない】

3.編集後記:出口を探すのはやめなさい。
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■ 1.すべてはあるようにある
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どうもこの前の雪かきでは結果的に無理をしたようです。

その翌日ではなく翌々日から右下の歯茎が腫れました。

無事平穏を望むエゴに対するとてもいい目覚ましなのかもしれませ
んが、エゴの立場としては困ったことです。(^_-)

来週は抜歯しなければならないようです。

まあ、仕方ありません。(;_;)

でも「二元性の原理」が支配する世界なので、もちろん、いいこと
もあります。(^^;)

その間、いかなる意味でも“自分”にできることは何もなかった、
ということが、終始一貫、誇示されていたことです。(^_-)

意識の大海、見かけの宇宙のなかでの“自分”の役割は、ここでこ
のようなエネルギーとして顕現することなのでしょう。

それをそれ以外の状態に向けて、変更、修正、代替できる実体など
どこにも存在していないのですから。

(*^_^*)

さて、またまた一週間が過ぎて、楽しい“アセンション噺”ならぬ
「私は在る」噺に、お付き合いいただく今がやってまいりました。

『アセンション館通信』配達人の pari です。(^^)/

みなさま固有の「私は在る」を、いかがお過ごしでしょうか?

実在の反映としてのわれわれが、物語中毒に陥っていることは間違
いありません。

“見かけ”の解釈のなかに現れる“幸福”や“ハッピーエンド”を
願うという、まことに厄介なゲームに耽溺しています。

しかし、現象世界が「二元性の原理」によって支配されていること
は自明です。

その「二元性」の根拠をなすのが“知る者”と“知られるもの”と
いう観念的な分割でしょう。

“知る者”が存在し、その前に“知られるもの”である世界が存在
している、という観念です。

存在意識としてのわれわれは、自己の存在を否定できませんから、
“知る者”が存在しないと言うことはできません。

厄介なのは、目の前に現れている“知られるもの”である現象世界
のほうです。

これははっきりこうして現れている以上、存在しないとは言えない
ように見える。

と同時に、“現れる”ということ自体のなかに“変化の不可避性”
が隠れているらしい、ということも理解できます。

(もちろん、“知る者”は理解できる、という意味です。)

どうやら変化するからこそ認識できるらしい。

つまり、変化しないものは認識すらできないらしい。

また、“知られるもの”が現れることができるのは、“知る者”が
それを認識している間だけであるらしい。

“知られるもの”とは“変化するもの”であり、不動の“知る者”
が認識するときのみ、現れることができるというのです。

つまり、わたしやあなたが“動くもの”“現れるもの”に興味をも
ち、それを認識するから“知られるもの”はある。

そうでなければ、“知られるもの”は無いわけです。

“知られるもの”の側に存在意識はありません。

「あなたに見られないので寂しい」などと、見られる世界が訴えて
くることはないわけです。(*^_^*)

その意味では、“知られるもの”にストーカー趣味はない。

むしろストーカー趣味があるのは、“知る者”、つまり実在の反映
のほうだということになる。

にもかかわらず、そういう気分、情緒、感情など、識別可能なもの
はすべて“知られるもの”の中身でしかないわけです。

厄介ですね。(>_<)

識別可能な“知られるもの”の中身は、すべて「形」と「名前」で
あり、「二元性の原理」によって支配されています。

つまり、この現象宇宙の構造はどうなっているのか、というような
話題は物理的であれ精神的であれ、すべては二元論の一部です。

ボブさんがいつも言うように、意識エネルギーが対極のペアのなか
へ振動することでしか“見かけ”の解釈は紡げないからです。

その意味では、すべての「創造」は想像であり、クリエイションも
クリエイターもTSUTAYAの商品や作家たちと同じことです。

すべては作り物だということです。

この宇宙の構造はどうなっているのか、誰がデザインしたのか?

それが“知られるもの”の構造内の話であるかぎり、きっと自由に
創造した人など誰もいないでしょう。

すべての作家たちがそうであるように、みんな、それなりの事情に
強制されて、その作品を期日内に仕上げたのでしょう。(*^_^*)

“知られるもの”のなかに自由というものはありえないですから。

例のヒロさんのサイト「resonanz360」に、ジョーン・トリフソンの
「依存症について」とい文章が翻訳されています。

その最後の部分「依存症について (6)」のはじめ近くに、次のよう
な文章があります。

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 何であれ、瞬間瞬間に起こっていることは、無数の原因と条件付
 けの結果だ。
 すべてはあるようにある。
 なぜなら、宇宙全体があるようにあるからだ。
 ある身体・精神は、別の身体・精神よりも荒天であることが多い。
 それは、都市によって気象条件が異なるのと同じだ。
 私たちのそれぞれが、宇宙全体を包含している。
 聖人と罪人とを。
 依存症と依存症からの解放は個人的な欠陥や達成ではないこと、
 そして、生じていることが何であっても、この瞬間にそれはまっ
 たくそのようにあること以外の可能性はないということを認識す
 ることによって、本当に大いなる自由がもたらされる。
 これは、原理主義的な非二元論と最先端の神経科学の双方が一致
 している認識だ。
 どこにも分離はなく、コントロールしている独立した自己という
 ものもないということが本当に分かると、起こることを個人とし
 て受け止めることは一切なくなる。
 これはとてつもない解放だ。
 
 http://resonanz360.com/2012/12/10/
------------------------------------

(-||-)

> 依存症と依存症からの解放は個人的な欠陥や達成ではないこと、

なんという安らぎでしょう。(-_-)

依存症にハマる個人もいなければ、依存症から脱出できる個人もい
ない。

> そして、生じていることが何であっても、この瞬間にそれはまっ
> たくそのようにあること以外の可能性はないということを認識す
> ることによって、本当に大いなる自由がもたらされる。

幻想上の“誰か”の見かけの依存行為は、見かけの宇宙全体のバラ
ンスの帳尻として発現しているにすぎない。

> これは、原理主義的な非二元論と最先端の神経科学の双方が一致
> している認識だ。

ジョーン・トリフソンに教えられて読んだ『投影された宇宙』は、
とんでもなく面白い本でした。(http://p.tl/XMa2)

> どこにも分離はなく、コントロールしている独立した自己という
> ものもないということが本当に分かると、起こることを個人とし
> て受け止めることは一切なくなる。

まだ物語に入ることができるのは、“独立した自己”という幻想の
残滓が払拭されていないからにすぎませんよね。

たんなる古くからの癖です。

しばらくは残りますよね。

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 もし実在が出現するのを待っているなら、あなたは永遠に待たな
 ければならないだろう。
 なぜなら、実在は来ることも去ることもないからだ。
 
 『私は在る』(p206-209)
------------------------------------

はい。

(-||-)

------------------------------------
 永久的なもの、それはあなた自身の存在である。
 真我として在りなさい。
 それが至福である。
 あなたはいつもそれなのである。
 
 『あるがままに』(p58) 
------------------------------------

……。(-_-)

ありがとうございました。<(_ _)>

(-||-)

今日はこんなところで。

……。

m(_ _)m


       ………○…………○…………○………


『私は在る』の「目次」はここ↓に置いてあります。
https://www.ascensionkan.com/books/I_AM_THAT-index.html

ときどき「ニサルガ辞書」で遊んでみてください。
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おこがましくも『アセ通』既刊号はすべてここに置いてあります。
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       ………○…………○…………○………


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■ 2.ボブさんの言葉:【意識は物のように分割できない】
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今回も……ボブさんの無断翻訳を……つづけます。

『Living Reality: My Extraordinary Summer With "Sailor" Bob
 Adamson』
(『生きている実在:セイラー・ボブと過ごした途方もない夏』)
からの抽出翻訳です。

ボブさんご夫妻は……アメリカにきてくれて……今は著者のジェー
ムズ・ブラーハの家に滞在しています。

以下は第六章に集められている週末トークからの翻訳です。

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            日曜日
 
 【意識は物のように分割できない】
 
 訪問者 私たちはいくらかは自分の人生を制御しているのでしょ
     うか?
 
 ボブ
 実体としては、していません。
 
 訪問者 では私たちには自分がすることに責任はないのですね?
 
 ボブ
 ありません。
 
 訪問者 ではなぜ犯罪者を罰するのでしょう? 彼らはただエネ
     ルギーを表現しているだけです。
 
 ボブ
 犯罪者に宣告をくだす判事もまた、ただエネルギーを表現してい
 るだけです。
 犯罪者に宣告をくだした判事に責任はありません。
 二元性の世界では対極のペアがつねに機能しています。
 しかしそれはすべて見かけにすぎません。
 本質そのものはけっして触れられません。
 生命は生命を食べて生きています。
 それは死を知ることができません。
 
 訪問者 もし顕現世界が単なる見かけであるなら、なぜ私たちは
     ここにいるのですか? これの意味は何ですか? 私の
     目的は何なのでしょう?
 
 聴衆から 意味はありませんよ。なんの意味もありません。私た
      ちはここに存在してもいません。これはただ夢のよう
      なものです。それは起こります、そして目が覚めたら、
      それがけっして起こっていなかったことが分かります。
 
 ボブ
 存在にどんな意味があるのか、なぜ私たちがここにいるのか、私
 たちの目的が何なのかと尋ねることで、あなたは意識を物のよう
 に分割しようと試みているのです。
 それは海の一滴の水が自分自身を分離して、海は何をしているの
 かと尋ねようとしているようなものです。
 海の水は波や水しぶきとして現れますが、しかしそれもやはり海
 でしかありません。
 
 聴衆から [訪問者に]意識について話そうとすると、脳が邪魔
      します。それを体験することがそれを知ることです。
 
 ボブ
 けっしてマインドのなかに答は見つかることはないでしょう。
 マインドは物です。
 私たちであるものは、本質的に、物ではありません。
 私たちは非顕現です。
 物は物でないものをけっして掴めません。
 私たちは答をマインドのなかに、それがけっして見つからないと
 ころで探すのです。
 そして完全に停止すること以外に、マインドから出る方法はあり
 ません。
 その完全停止のなかで、あなたの思考は止まりますが、あなたは
 それでも気づいています。
 そこに思考と純粋な知性との違いがあります。
 いつであれあなたが、たとえほんの一瞬でも、考えずに存在して
 いるとき、あなたは思考を超えているのです。
 人々は思考を越えようとして何年も費やします。
 しかし実際は、それはシンプルです。
 
 訪問者 社会が非二元を理解すれば、じつに多くの法律や文化が
     変化するでしょう。社会は男性は一人の女性だけを愛す
     べきだと言います。もし私たちがすべて一体であるなら、
     一人の男性が一人の女性を愛すれば、彼はすべての女性
     を愛しているのです。[皆んな笑う] そして子どもた
     ちは全員に属していることを教えられることでしょう。
     そして私の家はあなたの家になるでしょう。
 
 ボブ
 顕現は対極のペアのなかへと振動します。
 しかし何が起ころうとも──宣言や祈り、戦争、または何であれ
 ──生命は実際は影響を受けません。
 無数の生命形態が継続していきます。
 それらが死ぬと、他の何かがそれに代わります。
 いわゆる死んだ生命形態の灰のなかから、より多くの生命が展開
 します。
 生命にはけっしていかなる始まりもありませんでした。
 それはけっして終わることがありません。
 あなたであるものとは、実際は不生、不死、無形、無時間、無心
 であるものです。
 知性はあらゆる種類の姿と形のなかに表現されますが、でも実際
 はけっして何ひとつ起こってはいません。
 もし地球が今晩吹き飛ばされたら、全粒子は空中に雲散霧消する
 でしょう。
 一つの粒子といえども失われることはありません。
 しかしあなたは二度とそれを地球と呼ぶことはできないでしょう。
 
 訪問者 一体性はあまりにも簡単です。
 
 ボブ
 それはとてもシンプルです、私たちはそれを見逃しているのです。
 古の人々は何世紀にもわたってこれを言ってきています。
 
『Living Reality』(p289-291)
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(-||-)

> 存在にどんな意味があるのか、なぜ私たちがここにいるのか、私
> たちの目的が何なのかと尋ねることで、あなたは意識を物のよう
> に分割しようと試みているのです。

なるほどなぁ。

> それは海の一滴の水が自分自身を分離して、海は何をしているの
> かと尋ねようとしているようなものです。

そういうことかぁ。そういうことだなぁ。

> 海の水は波や水しぶきとして現れますが、しかしそれもやはり海
> でしかありません。

元々ひとつでしかないものを観念のなかで分離して、それから好み
の一方の立場を装って、文句を言うということか。(*-_-*)

ありがとうございました。<(_ _)>

(-||-)


       ………○…………○…………○………

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http://www.formzu.net/fgen.ex?ID=P48750702
というのを作らせていただきました。(^^;)

「私は在る」に関するご意見・ご感想・シェアリング、または単な
るメールなど、ご自由にお書きいただければと思います。


       ………○…………○…………○………


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       ………○…………○…………○………


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■ 3.編集後記:出口を探すのはやめなさい。
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皆さんのところは、雪はどうですか?

我が家の前から下の県道までの曲がった急坂で、積もった雪にわず
か一本の道を通すだけでもあれほど疲れるのですからね。

雪国の方、北国の方のご苦労がどれほどのものか……。

それは身体の疲れであってわたしのではない、と言えたら、確かに
痛快でしょうね。(^_-)

でも、起こっていることはすべて、顕現構造体のなかの宇宙的バラ
ンスのなかで必然的・不可避的に起こっているのだと思います。

責任者も、被害者も、加害者も、実体としては存在しない。

“見かけ”も、その“見かけ”の解釈も、取替え不能、変更不能、
修正不能のものとして、ただありのままに起こっている。

どんな逃げ道も存在しない。

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 どこであろうと、それが導くところ、それは夢だ。
 夢を超えていこうとする考えそのものが幻想なのだ。
 なぜどこかへ行かなければならないのか?
 あなたはただ世界という夢を見ているのだ、ということを悟りな
 さい。
 そして、出口を探すのはやめなさい。
 夢があなたの問題なのではない。
 問題は、あなたが夢のなかのある部分が好きで、別の部分が嫌い
 だということだ。
 すべてを愛すがいい。
 あるいは何も愛さないことだ。
 そして不平を言うのはやめなさい。
 あなたが夢を夢として見たとき、為(な)すべきことはすべて為
 し終えたのだ。(p135)
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(-||-)

今日はまだ明るいようです。

<(_ _)>


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■ 【作者】 『アセンション資料館』主人 pari
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  → メール: pariアットマークjk2.so-net.ne.jp
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