━━━━☆☆☆☆━━━━━━━━━━━━━━ by paritosho ━
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☆☆ ☆☆『アセンション館通信』2014/03/02(第517号)
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☆☆ ☆★ 【気刊】――「私は在る」に導かれ♪――
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☆☆ ☆☆ https://www.ascensionkan.com/
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◇◇ このメルマガの趣旨 ◇◇
このメルマガはアセンション館主人 pari と称するあるパターンに
浮上している心象風景の報告です。
実在は概念ではなく、概念の顕現でもない。概念は実在しない。
概念はただ“見かけ”の解釈のなかにのみ現れる。
実在は、“見かけ”の発現を可能にし、解釈の発現を可能にする。
“見かけ”と解釈のなかで迷子になると、苦楽の海に溺れる。
内容は人畜無害、でも読む人は相当変わっていますね。現在862名
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◇◇ もくじ ◇◇
1.苦しみの源とジョーイ・ロット
2.ボブさんの言葉:【マインドは通訳にすぎない】
3.いただいたお手紙から:南弥勒さん
4.編集後記:地元の御輿を担ぐお祭りが今日でした。
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■ 1.苦しみの源とジョーイ・ロット
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昨日は暖かかったけど、今日は雨です。
窓から見える光景も、一面に霧雨のなかに滲んでいます。
いいですね……。
というか、良くも悪くもない、あるがままの“見かけ”です。(^_-)
(*^_^*)
さて、またまた一週間が過ぎて、楽しい“アセンション噺”ならぬ
「私は在る」噺に、お付き合いいただく今がやってまいりました。
『アセンション館通信』配達人の pari です。(^^)/
みなさま固有の「私は在る」を、いかがお過ごしでしょうか?
いまわたしに起こっているのは「これ」です。
といっても、それはわたしが見ている夢の画面だから、別の夢を見
ているあなたには、別の画面が見えているだろうけど。
たとえば、いわゆる覚醒した方が、ちょっと顕現(つまり見かけ)
に興味をもったとしましょうか。
(いや、覚醒者は二度と再び転生しないんだから、そんなことはあ
りえない、というような話はまあ措いておくとして。(^^;))
そして、この見かけ、つまり画面を見るとします。
われわれがテレビのスイッチを入れて、ドラマを見るようなもので
すよね。
別にドラマじゃなくても、ニュース番組でもいいんですけど。
そしたら、ある画面が出てくる。
見ているとドラマが展開していて、いろいろ状況やそこでの約束事
がわかってきます。
するとじきに、登場人物に同化して、この人どうなるのかな、とか、
こんなふうに展開するのかな、なんて想像したりします。
話の筋はわかったし、状況もわかった。
今度はその自己同化した人物の立場からドラマの状況を判断して、
こうなったらとか、ああならなければいいけど、なんて思う。
まあ、ドラマの楽しみですよね。
で、この世という夢を見ているわれわれは、ドラマの楽しみには、
多大の苦しみや悲しみの下地があることも知っています。
だいたい、それがなければドラマにならないわけですから。
テレビドラマの話に戻ると、たいていの人に好みのタイプのドラマ
というのがあります。
もちろん、ドラマを見ない人というのもいて、スポーツを見たりし
てるかもしれません。
今の時代日本なんかでは、テレビをまったく見ないという人はごく
少数派でしょうね。
絵空事にはまったく興味がない、という人もいると思います。
でも、そういう人でも自分が現実だと思う事象(見かけ)に対して
は、とても真面目に心を動かしているかもしれません。
以前「われわれは映画館で何を買うのか」というテーマで書いたこ
とがあります。
https://www.ascensionkan.com/mm/vol185.html#1
そして、それは“感動”や“興奮”を買うのだ、というごく当たり
前の結論になりました。
そのとき外側の刺激で励起される“感動”とか“興奮”というのは、
いったい自分の内側なのか外側なのか、と話は展開しました。
この感動や興奮が“外側”だったということを確認して、そのとき
の話は終わったわけです。
ところで、この感動や興奮を“求める気持ち”、これは自分の内側
なんでしょうか、それとも外側なんでしょうか? (?_?)
もちろん、通常はこんなことを問題にしなくてもいいわけです。
“何をしたいかを決めるのが自分”なのですから。
フィギャースケートをしたいと決めたのはあなたじゃない、なんて
言ったら浅田真央さんに叱られます。(>_<)\ゴン
ま、それはともかく……。(;_;)
どうやっても、自分の興味には勝てません。
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解放への道には何も立ちはだかっていない。
そしそしてそれは今ここで起こることができる。
だが、あなたはほかのことにもっと興味がある。
そしてあなたはその興味と闘うことはできないのだ。
『私は在る』(p475)
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自分の興味には勝てないものです。
でもその興味のもっと内側に、その興味をも可能にしたものが在る
ということは考えられます。
その興味に注意を向けた自分がいる、と言っても同じことですが。
興味というのは物語への好奇心、物語に拘束されることへの好奇心
だと思います。
そに意味では、ニサルガダッタの次の言葉はとても意味深ですね。
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生命への執着は不幸への執着だ。
私たちは私たちに苦痛を与えるものに執着するのだ。
私たちの本性とはそんなものなのだ。
『私は在る』(p436)
------------------------------------
かと思ったら、別のところで「生きることが苦痛に満ちた状態」だ
と言っている人に対して、こんなことも言っています。
------------------------------------
あなたに生きることはできない。
なぜなら、あなたは生命そのものだからだ。
あなたが苦しむのではない。
あなたがあなた自身だと思いこんでいる個人が苦しむのだ。
『私は在る』(p536-537)
------------------------------------
もちろん、この二つの場所で語られる「生命」という言葉の意味合
いが違うわけです。
上の引用では、顕現としての生命について語っている。
下の引用では、非顕現としての生命について語っている。
「興味と闘うことはできない」自分とは、「あなたがあなた自身だ
と思いこんでいる個人」のことでしょう。
興味とは“物語に拘束されることへの好奇心”だと言いました。
そうだとすれば、“物語に拘束されることへの好奇心”を持つ者は、
本来は物語に拘束されていない、ということになります。
拘束されていないとすれば、もちろん自由なんでしょうね。(^^;)
さっき「その興味のもっと内側に、その興味をも可能にしたものが
在る」と書きましたが、それが何かわかりますよね。
“拘束されることへの好奇心”を持つ者とは、「自由」でしょう。
となると、マハラジの言葉は、こうも言い換えられますよね。
> あなたに生きることはできない。
生きているのは拘束された個人ではない。
> なぜなら、あなたは生命そのものだからだ。
なぜなら、生きているのは(拘束された個人に興味をもった)自由
そのものであるあなただからだ。
> あなたが苦しむのではない。
自由そのものであるあなたが苦しむのではない。
> あなたがあなた自身だと思いこんでいる個人が苦しむのだ。
自由であるあなたが興味をもった物語のなかの拘束された個人が、
その物語の状況のなかで苦しむのだ。
あなた自身は、たった今も自由だ。
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あなたはたった今でさえ、完全に自由だ。
あなたが運命(カルマ)と呼ぶものは、あなた自身の生きようと
する意志の結果なのだ。
普遍的な死の恐怖から見れば、この意志がどれほど強力なものか
わかるだろう。
『私は在る』(p139)
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あなたを苦しめるものは、拘束された個人の物語へのあなた自身の
興味と投資、そして執着以外には何もない。
------------------------------------
そしてあなたはその興味と闘うことはできないのだ。
あなたはそれとともに行き、それを見抜き、それが単に判断と賞
賛の誤りであることを、それ自体が自ら暴くのを見守らなければ
ならないのだ。
『私は在る』(p475)
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(-||-)
現れのなかの物語の世界に入れば、いつも拘束された個人の観点か
ら、その“見かけ”をあれこれ判断しなければなりません。
そうしたらいつでも、拘束された個人の観点から、何やかやもっと
もらしい解釈や判断が浮上するものです。
解釈や判断とは、単に今あるがままの「これ」以外を求める想念と
いうことでしょう。
そして、“「これ」以外を求める想念”に焦点を合わせることだけ
が苦しみをもたらすことができる。
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あなたの幸福への探求自体が、あなたを惨めに感じさせているの
がわからないだろうか?
『私は在る』(p258)
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いま、例のヒロさんのサイト「resonanz360」で静かに爆発しはじめ
ているひとつの知見があります。
それはジョーイ・ロットという方の「苦しみを終わらせる」という
文章の翻訳です。
http://resonanz360.com/2014/02/28/
長い文章を、ヒロさんは前後二回に分けて間を置かずに翻訳してく
ださいました。
これは、響く方には響く、素晴らしくしかも具体的な文章です。
その前にヒロさんが訳されている「経験はそれじゃない」という、
ジョーイ・ロットの文章、これも必見です。
http://resonanz360.com/2014/02/26/
ここまで明晰に展開できるということ自体、驚嘆に値しますね。
しかも、多分にそれはヒロさんの翻訳のおかげのようです。
リンクに沿ってジョーイ・ロットの英文も眺めたのですが、自分な
どにはとてもああいう翻訳が不可能であることがわかりました。
ヒロさんの翻訳は、英文を読んだときのご当人の感動をそのまま伝
えようとする情熱だと言ってもいいかもしれません。
ありがたいことです。(-||-)
もちろん、ヒロさんのサイトに行って読んでいただきたいですが、
ほんのさわり(後半の先頭)だけ紹介します。
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苦しみを終わらせるための秘密というのは、起こっていることに
ついての自分の考えに注意を向けるのをやめて、起こっているこ
と自体に注目するってこと。
本当に本当に簡単だ。
実際すごく簡単で、労力も要らない。
起こっていることにはどんな意味があるかという思考やストーリ
ーに注意を向けていると、労力を費やすことになる。
さて、そんなことは僕自身も最終的に「わかる」までは、うんざ
りするほど何度も耳にしていた。
だから、説明がそれだけなら、まだこれを読んでいる1%の人たち
のうち99%はこの時点で読むのをやめるってことくらいわかって
る。でも心配無用だ。すごく詳しく説明していくから。
http://resonanz360.com/2014/03/01/
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まるで、ジョーイ・ロットが出てきて喋ってるみたいです。
そして、彼は彼が“ビッグ・チル (超リラックス)”と呼ぶ手法に
ついて説明してくれます。
最後の方に「Q&A」も付いていて、これもとてもいいです。
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あなたの質問には、たぶん、自分自身を実際に探して直接の経験
に寄り添う準備ができた人とできていない人の差はどこから生ま
れるのかを知りたいという意味も含まれている気がします。
それは謎です。
本当の自由がどっちにあるかという方向を示すことはできるけれ
ども、示された人がたしかにそれを聞いて心に留めるかどうかは
僕には保証できないと言っているのはそのためです。
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ね、いいでしょ。(*^_^*)
今回の内容、ちょっと見かけでは分かれているみたいでもあります
が、でも実際は、同じテーマで終始一貫しるみたい。
何はともあれ……。
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あなたは在る。
ほかのすべては現れにすぎない。
『私は在る』(p421)
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はい。
(-||-)
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永久的なもの、それはあなた自身の存在である。
真我として在りなさい。
それが至福である。
あなたはいつもそれなのである。
『あるがままに』(p58)
------------------------------------
……。(-_-)
ありがとうございました。<(_ _)>
(-||-)
今日はこんなところで。
……。
m(_ _)m
………○…………○…………○………
『私は在る』の「目次」はここ↓に置いてあります。
https://www.ascensionkan.com/books/I_AM_THAT-index.html
ときどき「ニサルガ辞書」で遊んでみてください。
https://www.ascensionkan.com/ndic/
新しい「ラマナ・マハルシ辞書」はここです。
https://www.ascensionkan.com/rdic/
おこがましくも『アセ通』既刊号はすべてここに置いてあります。
https://www.ascensionkan.com/mm/
………○…………○…………○………
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■ 2.ボブさんの言葉:【マインドは通訳にすぎない】
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今回も……ボブさんの無断翻訳を……つづけます。
『Living Reality: My Extraordinary Summer With "Sailor" Bob
Adamson』
(『生きている実在:セイラー・ボブと過ごした途方もない夏』)
からの抽出翻訳です。
ボブさんご夫妻は……アメリカにきてくれて……今は著者のジェー
ムズ・ブラーハの家に滞在しています。
以下は第六章に集められている週末トークからの翻訳です。
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最後の週末
ハリケーンの後の日曜日
【マインドは通訳にすぎない】
訪問者 私は現在の状況に過去の記憶をもちこみ続けています。
どうやって過去を手放せばいいのでしょうか?
ボブ
あなたに必要なのは「過去に執着しているのは誰か?」を見るこ
とです。
その論理的な答は「それは自分に起こっている」です。
調べてみてください。
私が自分自身と呼ぶこの「自分」はどこにいますか?
その「自分」という言葉は単なるラベルではありませんか?
そのラベルがなければ、そこに何がありますか?
たった今そのラベルを捨ててください。
あなたのところに何がありますか?
訪問者 まあ、ラベルを捨てるのは難しいです。
ボブ
一瞬停止して、ラベルを貼るのをやめてみて。
訪問者 何もありません。
ボブ
その通りです。
そこには何もありません。
しかしそれでもあなたはここにいます。
それでもあなたは見ているし、聞いているし、触れています。
それでもあなたは気づいています。
その瞬間、あなたはマインド以前にいるのです。
マインドがあまりにも純粋知性と緊密に整合しているので、自分
が知性自身だと信じてしまったのです。
実際は、マインドは通訳にすぎません。
通訳がいなくても、知ることはあります。
リタ もし私が高い意識レベルにいたら、何の問題もなく生きら
れたでしょう。ストレスや恐れを何も感じずに、私はすべ
てが起こるのを許せたはずです。
ボブ
あなたが今していることは誰もがすることです。
あなたは答をマインドの中に探しているのです。
あなたはすべてを解明しようとしています。
しかしそれを別のやり方で見ることです。
あなたはたった今見えていますね。
あなたの目は「私は見る」と言いますか?
あなたは今聞こえています。
あなたの耳は「私は聞く」と言いますか?
リタ いいえ。
ボブ
あなたは見ることを「私は見る」という思考に翻訳しています。
そして聞くことを「私は聞く」という思考に翻訳しているのです。
では、こう自分に聞いてみてください。
その「私は見る」という思考は、実際に見ることをしているので
しょうか?
リタ いいえ。
ボブ
その「私は気づいている」という思考が、気づきなのですか?
リタ いいえ。
ボブ
「私は選択する」という思考は、選択者ですか?
リタ いいえ。
ボブ
私が指摘しているのは、思考には何の力もないということです。
何をすべきで何をすべきではないかを解明しようとしているとき、
選択は為され、行為は起こる、ということを理解してください。
あなたは生きられているのであり、あなたが子供だったときから
そうだったのです。
思考には思考が為すべきこと(つまりただ通訳すること)をする
のを、許してやることです。
マインドは正しく使うことができます。
『Living Reality』(p291-292)
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(-||-)
> あなたに必要なのは「過去に執着しているのは誰か?」を見るこ
> とです。
どんな質問に対しても、ボブさんの方便はこれですよね。
> 私が自分自身と呼ぶこの「自分」はどこにいますか?
> その「自分」という言葉は単なるラベルではありませんか?
と。
ボブさんがニサルガダッタのところで理解したのが、そのことだっ
たのだと思います。
ここに自分と思われている身体過程が現象しているのは確かですが、
そこにその身体過程を統御しているどんな独立した実体もない。
この身体過程はその周囲に起こっている諸現象と同じく、ただ起こ
っているだけです。
かつラメッシ・バルセカールが“聖なる催眠”と呼んだものによっ
て、全体から分離した独立した実体という幻想が起こっている。
「自分」とはまったく実体のない単なる概念だったわけですよね。
> 選択は為され、行為は起こる、ということを理解してください。
はい。
少なくとも、“自分”がしなければならないことをさせられている
だけだということは理解しています。
ありがとうございました。
(-||-)
………○…………○…………○………
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■ 3.いただいたお手紙から:南弥勒さん
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▼『アセ通』への「私は在る」関連ご意見投稿フォーム:
http://www.formzu.net/fgen.ex?ID=P48750702
というのを作らせていただきました。(^^;)
「私は在る」に関するご意見・ご感想・シェアリング、または単な
るメールなど、ご自由にお書きいただければと思います。
………○…………○…………○………
今回、南弥勒さんという方からメールをいただきました。
投稿フォームではありませんでしたが、どうも私信という感じでも
なかったので、半ば事後承諾なのですがここにご紹介します。
【件名】:
------------------------------------
アセンション館通信さん
こんばんは。南弥勒です。
ソチオリンピックも、いよいよ大詰めですね・・!
私は、普段はあまりテレビを視ないのですが
(コンセントも外してるくらい^^;)、
オリンピック開催中はコンセント入れっぱなしです(笑)
いつでも視れるように。
なんというか、スポーツ選手って。
時代の先端を走っている存在なのかな?と、
そんな印象を持ち始めています・・
精神的に、達観しているというのか。
一昔前、「新人類」という言葉が流行りましたよね。
その言葉を、改めて思い出しています。
あえて言うなら、「新・人類」か。
・・・はたまた、「神・人類」?
パフォーマンスや、発言、態度。
「超越している」
「超越し始めてきている」
錯覚でしょうか?
浅田真央さんの、
金メダルすら、軽く凌駕した
パフォーマンスやドラマ性。
羽生結弦君の、
凛とした存在感や、
慈愛に満ちたコメントと真摯さ。
かつて、イチローが出てきた時、
運動科学者の高岡英夫さんが、
イチローの身体操法を読み解き、
「彼から時代が始まったんだよね、
と言われるほどの
存在なんだよ」と
おっしゃっていたことがあります
(細かい表現はともかく)。
最先端だ、と。
バトンは・・
キチンと渡っていましたね。
ひとつひとつをクリアしてきた私たちと、
浅田真央さんのおっしゃった、
「クリアにしていく」、という言葉。
これからは。不純物をふるい落として、
純度が増していく時代になっていく。
私も、受け取っていかないと。
次の世代たちのために。
と、強く想う今日この頃です。
ではまた。
------------------------------------
南弥勒さん、掲載させていただきました。m(_ _)m
> アセンション館通信さん
>
> こんばんは。南弥勒です。
こんばんは。
> ソチオリンピックも、いよいよ大詰めですね・・!
ああ、そのタイミングでいただいたのですね。
> 私は、普段はあまりテレビを視ないのですが
> (コンセントも外してるくらい^^;)、
> オリンピック開催中はコンセント入れっぱなしです(笑)
なるほど。
> なんというか、スポーツ選手って。
>
> 時代の先端を走っている存在なのかな?と、
> そんな印象を持ち始めています・・
そうですねぇ。
> 精神的に、達観しているというのか。
>
> 一昔前、「新人類」という言葉が流行りましたよね。
> その言葉を、改めて思い出しています。
>
> あえて言うなら、「新・人類」か。
>
> ・・・はたまた、「神・人類」?
>
>
> パフォーマンスや、発言、態度。
>
> 「超越している」
> 「超越し始めてきている」
>
> 錯覚でしょうか?
なんとお応えしたらいいのか。(^^;)
> 浅田真央さんの、
>
> 金メダルすら、軽く凌駕した
> パフォーマンスやドラマ性。
はい、たしかに。
> 羽生結弦君の、
>
> 凛とした存在感や、
> 慈愛に満ちたコメントと真摯さ。
一流選手の方たちは、みなさんとんでもなく大人ですよね。
> 浅田真央さんのおっしゃった、
> 「クリアにしていく」、という言葉。
>
> これからは。不純物をふるい落として、
>
> 純度が増していく時代になっていく。
はい。
> 私も、受け取っていかないと。
> 次の世代たちのために。
>
> と、強く想う今日この頃です。
そうなんですか。
南弥勒さん、ご投稿ありがとうございました。
m(_ _)m
………○…………○…………○………
『アセンション館通信』への「ご投稿・情報提供」を歓迎いたします。
▼『アセンション館通信』への情報ご投稿フォーム
http://www.formzu.net/fgen.ex?ID=P87119518
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■ 4.編集後記:地元の御輿を担ぐお祭りが今日でした。
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今日は一日中雨でした。
地元の御輿を担ぐお祭りが今日でした。
なんとなく毎年あまりいい天気じゃないような。
明日は少し雪が降るかもしれないそうですね。
現象世界自体、別にどこへ向かっているわけでもない。
また現象を映す鏡である非顕現の実在は不動です。
浮上する想念も思考も感情も、すべて束の間の現れです。
むろん、どこへ向かっているわけでもない。
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どこであろうと、それが導くところ、それは夢だ。
夢を超えていこうとする考えそのものが幻想なのだ。
なぜどこかへ行かなければならないのか?
あなたはただ世界という夢を見ているのだ、ということを悟りな
さい。
そして、出口を探すのはやめなさい。(p135)
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(-||-)
今日は晩くなりました。
おやすみなさい。
<(_ _)>
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■ 【作者】 『アセンション資料館』主人 pari
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→ メール: pariアットマークjk2.so-net.ne.jp
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