home > 通信 >『アセンション館通信』第519号:すべての努力の終わり



━━━━☆☆☆☆━━━━━━━━━━━━━━ by paritosho ━
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 ☆☆     ☆☆『アセンション館通信』2014/03/16(第519号)
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☆☆      ☆★ 【気刊】――「私は在る」に導かれ♪――
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 ☆☆   ☆☆          https://www.ascensionkan.com/
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◇◇ このメルマガの趣旨 ◇◇

このメルマガはアセンション館主人 pari と称するあるパターンに
浮上している心象風景の報告です。

実在は概念ではなく、概念の顕現でもない。概念は実在しない。
概念はただ“見かけ”の解釈のなかにのみ現れる。

実在は、“見かけ”の発現を可能にし、解釈の発現を可能にする。
“見かけ”と解釈のなかで迷子になると、苦楽の海に溺れる。

内容は人畜無害、でも読む人は相当変わっていますね。現在865名
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◇◇ もくじ ◇◇

1.すべての努力の終わり

2.ボブさんの言葉:
 【体験ではなく、体験しているというそのことにフォーカスする】

3.編集後記:インディアン、嘘つかない。
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■ 1.すべての努力の終わり
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晴れ上がれば嬉しいし、降り込められると侘しいし、気分は天気の
指揮棒の指すがままという気もします。

最近知ったのですが、東北の方々には“春は嫌だ”という感覚があ
るのだそうですね。

改めて言われてみれば、たしかに当然でしょうね。(-_-;)

人間の思いは、個々の記憶を参照し続けることによって構築される
“連想系”によって染め上げられるのですから。

われわれ人間は、沸いてくる“思い”を自分だと思い込んきた。

でも、もしそれが“自分”だったら、“自分”って、ぜんぜん自分
の思い通りになんかならない。

沸いてくる“思い”次第ですから。

それじゃ“自分”は、強制されたお仕着せでしかない。

“自分”って、やっぱり明らかにフィクションですね。

事実は、<全体>という厳密に波動で織り込まれた現象構造体が、
包装紙になって<実在>を飾っているだけなんでしょう。

飾ってるだけなお悪い、なんて意見も包装紙のなかにはあるかもし
れないけれど。(^_-)

(*^_^*)

さて、またまた一週間が過ぎて、楽しい“アセンション噺”ならぬ
「私は在る」噺に、お付き合いいただく今がやってまいりました。

『アセンション館通信』配達人の pari です。(^^)/

みなさま固有の「私は在る」を、いかがお過ごしでしょうか?

結局のことろ、どう取り繕おうと、マインドの立場からするなら、
諦めなくちゃならないんです。

それは、これまでの自分、つまり存在しない個人としての“自分”
の立場から通訳するなら、諦めなさいということです。

でも、“自分”は諦めたくないわけです。

諦めたくないから、諦めなくても済むような“出口”を、つまりは
“抜け道”を見つけたいわけです。

でも、実際は、そんなものあるわけない。

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 あなたは、あなた自身の幸福に関心がある。
 そして私は、そんなものはないと言っているのだ。
 幸福はけっしてあなた自身のものではない。
 それは「私」がないときにあるのだ。
 
 『私は在る』(p457)
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こんなこと↑、理屈で聴けば、分かりきったことです。

でも、誰もそんなこと納得なんかしたくない。

だから、それはさておき、“自分”が幸福になるために成長とやら
の個人的努力をしようとするわけです。

そっちのほうは、売り手も買い手もたんといるので。嘘がバレるな
んて恐れは、万に一つもありません。

皆んなといっしょに成長ゴッコを続けていれば、誰からも非難され
ないし、皆んなといっしょなんで安心です。

そのうち、“自分”に寿命もくるし。(^_-)

ま、非存在の“自分”からすればそんな光景です。

でも、ちょっと後ろから見ると、連続打ち上げ花火のなかに物語を
綴ろうとするような、かなりアクロバティックな仕事でもある。

息つく暇もない。

確かに、身体過程は起こっているし、同じように精神過程も起こっ
ている。

でも、正直なところ、その身体過程も精神過程も、その“自分”は
まったく制御なんかできないわけです。

これは、苦しいですよね。(^_-)

心臓を鼓動させるどころか、爪を伸ばしたことすらないのに、でも
なぜか“自分”が努力して生存しているような気はする。

可哀想なは、この子でござい、みたいな感じもある。

結局、問題って、偽りを現実にしようとする努力から生じている。

こうやって、しきりに浮上してくる言葉に焦点を合わせてますが、
これ、もちろん、まったく無意味です。

ただ、言葉に焦点を合わせている、というだけのこと。

これをとめるためにこそ、この不毛の努力がある、うん。(-_-;)

ナンノコッチャ。(^_-)

つまり、努力とはすべて、偽りを現実にしようとする不可能な試み、
ってわけです。

なくもがな……。

多々益々弁ず、ならぬ、少々益々弁ず、です。

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 自我はあまりにもうぬぼれが強いため、完全に落胆させられるま
 ではあきらめることがないからだ。
 単なる言葉の上の確信では充分ではない。
 厳しい事実だけが自己イメージの絶対的な不毛を示すことができ
 るのだ。
 
 『私は在る』(p542)
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(>_<)

そんな……。(;_;)

(*^_^*)

というわけで、それがどれほど不毛な努力かを、マインドが納得し
なければならないのです。

------------------------------------
 あなたはマインドを超えている。
 だが、あなたはマインドで知るのだ。
 
 『私は在る』(p330)
------------------------------------

(-||-)

わたしはマインドで納得しなければならない。(-_-;)

でも、何を? (@_@)

------------------------------------
 あなたが理解すべきことは、あなたは実在の源であり、実在を得
 るのではなく、あなたが実在を与えるということだけだ。
 あなたには何の支持も確証も必要ないのだ。
 
 『私は在る』(p361)
------------------------------------

おお……。

> あなたが理解すべきことは、あなたは実在の源であり、実在を得
> るのではなく、あなたが実在を与えるということだけだ。

そうか。(-_-)

> あなたには何の支持も確証も必要ないのだ。

たしかに。

たとえ誰に否定されても、明らかに「私は在る」。(-_-;)

でも、それならなぜこんな羽目に陥っているんだ?

最初から自分が至福であることを知っていればいいのに。

------------------------------------
 至福を通してだけではあなた自身を知ることはできない。
 あなたの本性そのものが至福だからだ。
 悟りを得るためには、あなたではないもの、対極と向き合わなけ
 ればならないのだ。
 
 『私は在る』(p325)
------------------------------------

アチャ。(>_<)

そういうことか。

理屈は分かった。

でも、やっぱりなぜ最初から至福のままでいちゃいけないのかが、
納得できない。

なんで、この現象世界にはまらなくちゃならないのか?

> なぜなら、あなたがそれをそれとして受け入れるからだ。

ァ! (@_@)

------------------------------------
 受け入れるのをやめなさい。
 そうすればそれは消え去る。
 何であれ、あなたが欲望と恐れとともに考えることは、現実とな
 ってあなたの前に現れる。
 それを欲望と恐れなしに見なさい。
 
 『私は在る』(p361)
------------------------------------

うーむ、そういうことか。(-_-;)

(@_@)

いや、そもそもなんでそんなものに興味をもつのかがわからん。

> 関心をもっているのはあなたなのだ! (\/U)

(>_<)

------------------------------------
 そして、その絵があなたの真実、愛、美の感覚と衝突するかぎり、
 あなたはそれに関心をもちつづけるだろう。
 調和と平和への熱望は、消し去ることのできないものだ。
 だが、ひとたびそれが満たされれば関心は去り、身体的生活は注
 意のレベル以下の努力を要しないものとなる。
 身体を得るか、身体を去るかは、あなたにとって同じこととなる。
 あなたには何ひとつ起こらないという地点に達するのだ。
 身体なしには殺されない。
 所有物なしには奪われない。
 マインドなしには騙(だま)されない。
 そこに欲望や恐れを引っかける留めクギもない。
 何の変化もあなたに起こらないかぎり、ほかに何の問題があるだ
 ろうか?
 
 『私は在る』(p488)
------------------------------------

うーむ。(-_-;)

------------------------------------
 ひとたびあなたが世界は苦しみで満ち、生まれてくること自体が
 災いだという真実を把握すれば、それを超えていこうとする衝動
 とエネルギーを見いだすだろう。
 快楽はあなたを眠らせ、苦痛は目覚めさせる。
 
 『私は在る』(p325)
------------------------------------

(-_-)

そういうわけか……。

------------------------------------
 快楽と苦痛はつかの間のものだ。
 そのために行動を起こすよりも、無視する方が単純でたやすいの
 だ。
 
 『私は在る』(p361)
------------------------------------

はい。(;_;)

(-_-)

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 「私は在る」という気づきの中に揺らぐことなく確立しなさい。
 これがはじまりであり、またすべての努力の終わりだ。
 
 『私は在る』(p72)
------------------------------------

すべての努力の終わり。

(-||-)

何はともあれ万能丸。

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 あなたは在る。
 ほかのすべては現れにすぎない。
 
 『私は在る』(p421)
------------------------------------

はい。

(-||-)

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 永久的なもの、それはあなた自身の存在である。
 真我として在りなさい。
 それが至福である。
 あなたはいつもそれなのである。
 
 『あるがままに』(p58) 
------------------------------------

……。(-_-)

ありがとうございました。<(_ _)>

(-||-)

今日はこんなところで。

……。

m(_ _)m


       ………○…………○…………○………


『私は在る』の「目次」はここ↓に置いてあります。
https://www.ascensionkan.com/books/I_AM_THAT-index.html

ときどき「ニサルガ辞書」で遊んでみてください。
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新しい「ラマナ・マハルシ辞書」はここです。
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おこがましくも『アセ通』既刊号はすべてここに置いてあります。
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       ………○…………○…………○………


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■ 2.ボブさんの言葉:
 【体験ではなく、体験しているというそのことにフォーカスする】
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今回も……ボブさんの無断翻訳を……つづけます。

『Living Reality: My Extraordinary Summer With "Sailor" Bob
 Adamson』
(『生きている実在:セイラー・ボブと過ごした途方もない夏』)
からの抽出翻訳です。

ボブさんご夫妻は……アメリカにきてくれて……今は著者のジェー
ムズ・ブラーハの家に滞在しています。

以下は第六章に集められている週末トークからの翻訳です。

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 【体験ではなく、体験しているというそのことにフォーカスする】
 
 リタ それは以前も聞いたことがありますが、私はそれを知的に
    知っているだけです。それを自分の経験では知りません。
    私は一体性の体験をしたことがありますが、でもそれから
    私はそれにフォーカスするのをやめました。それで、どの
    ように自分の一体性に集中しつづけるのですか?
 
 ボブ
 あなたは今、あなたの体験に焦点を合わせています。
 体験は、それがどれほど崇高なものでも、神秘的なものだったと
 しても、それはあなたが求めているものではありません。
 体験は現れては消えるものです。
 あなたは、現在進行形の体験しているというそのことなのです。
 あなたはすべてがそのなかで現れては消えていくその本質です。
 あなたが今見ているそのことであるのと、まったく同じです。
 その見ていることが、見る者と見られるもの、主体と客体に分裂
 するのです。
 私たちは、それに焦点を合わせてしまいます。
 その見ることが最初に起こっているのを理解するのではなく。
 それが最初に起こっている最重要事であり、物事はその上に現れ
 ているのです。
 より偉大な体験やより良い体験を求めるのではなく、たったひと
 つの体験といえども、体験しているその本質がなければ起こりえ
 なかったのだという、そのことを理解してください。
 あなたは微妙にそのなかに寛いでいきます。
 そして自分が一度もそこから離れたことがななかったことを理解
 します。
 そのなかに寛いでいくと、そのなかに微妙な温かさと幸福がある
 のがわかってきます。
 それは絶えずあなたと共にあります。
 
 リタ では、そこに体験はあるのですね?
 
 ボブ
 もし私がそれを翻訳するなら、イエスです。
 生まれつき、私たちはすでにこれを知っています。
 その自然状態が論理的思考や獲得されたマインドによって覆われ
 てきたのです。
 しかしそれはつねにそこにあり、あなたはいつでもそこに深々と
 身を沈めることができます。
 それに向かって行ける場所や、それを手に入れられる場所などあ
 りません、というのも、あなたはすでにそれだからです。
 起こりうることは、あなたがその自己中心、つまり参照点に焦点
 を合わせるとき、あるがままに対する抵抗があるのが理解できる、
 ということだけです。
 「あるがまま」とは、取替え不能、変更不能、訂正不能のことで
 す。
 かつて訂正したり変更したりしたものはマインドしかありません。
 マインドが生命を取り替えたり変更したりすると、あなたのなか
 に微妙な抵抗、つまり緊張が生まれます。
 そのとき、非抵抗のポイントから、あなたは微妙なくつろぎに気
 づくことになり、またその瞬間、あなたは自分が存在することを
 理解します。
 それが習慣になります。
 
 訪問者 最近夫と私は家を購入しようとしていました。と突然、
     私はそのことに大きな不安を感じました。それはただの
     過去からの否定的な条件でした。どうすればそれを破れ
     るのでしょうか?
 
 ボブ
 あなたは、それについて考えなければ、たった今何ひとつ間違っ
 てはいないということを、思い出さなくてはなりません。
 すべてを捨てて、その瞬間の直接性に戻るのです。
 その瞬間のその抵抗に気づくことです。
 思考を使って自分に思い出させてやる必要があるかもしれません。
 また同じ古いガラクタが浮上している、完全停止と。
 もしあなたがその古い思考と格闘したら、さらなる抵抗を生むだ
 けです。
 それはエネルギーに流れることを許しません。
 思考やフィーリングや感情は、つねに現れてきます。
 それに抵抗しないというのが要点です。
 
 ジェームス ボブ、私たちは全員生きられているのだとあなたが
       言うと、それはそれをしている誰かがいるというイ
       メージを私のなかに呼び起こします。でもあなたが
       言っているのはそういうことではありませんよね。
       正しいですか?
 
 ボブ
 その通りです。
 私の真意はそういうことではありません。
 生命が生命を生きているのです。
 生命は多様なエネルギーパターンすべてで、それ自身を満たして
 います。
 エネルギーのパターンが現れ、私たちは誤ってそれを本物と取り
 違えるのです。
 創造のなかのすべては純粋な知性エネルギーに分解できます。
 生命はあらゆる多様性の中で起こっており、それは二元性です。
 顕現とはすべて二元論なのです。
 
 ジェームス それがどうやってまたなぜ起こっているのか、とい
       うことはありません。それはただ起こっているだけ
       です。そしてマインドはその事実に我慢できません。
 
 ボブ
 マインドは絶えず答を求めます。
 起こり続けていることの通訳という真の立場を甘受するのではな
 く、私たちはすべてにラベルを貼り、そこから私たちの見かけの
 拘束が現れるわけです。
 
 リタ 私の問題は、自分で活動しながら、しかも自分が本当は誰
    なのかと気づいていたいということです。どうすれば私は
    たえず気づいていられのでしょうか?
 
 ボブ
 ただすべてがそれであることを知っていることです。
 それがどんなものに見えようとも、それはやはりその本質です。
 たとえ恐ろしいことが起こっていても、あなたはその見かけをつ
 うじて、その本質を思いだすのです。
 私はここに座っている皆さん全員が純粋な知性エネルギーである
 ことを知っています、皆さんがそれを知っていようといまいと。
 私は皆さんのなかに、何らかの実体、つまり独立した性質をもつ
 中心が存在しないことを知っています。
 それを理解するのはごく簡単なことで、2+2が4であるのを知
 っているのとまさに同じです。
 ひとたびあなたがそれを知れば、誰も2+2が5や6であると、
 あなたを説得することはできません。
 一体性についての真実を吟味して、そして知ることです。
 そうすれば、何であれそれでないものなど何ひとつ存在しないこ
 とを、あなたは理解するでしょう。
 生命とは、たえず気づきを見ている気づきなのです。
 
 リタ もし自分がネガティブな思考を考えていたら、私はそれに
    巻き込まれるべきですか、それとも手放すべきですか?
 
 ボブ
 何かができる自分が存在するという考えを排除することです。
 もし考えることが起こっているなら、フルストップです。
 それが起こっていることです。
 もし「私は考える」と言っていたら、あなたはそれを分離、つま
 り分割したので、そこに抵抗が現れます。
 それをやめようとか、またはそれと共に行こうとすることの中に
 抵抗があるのです。
 
 リタ ではあなたは、私がそれほど気づいていると推定している
    わけですか?

 ボブ
 あなたは完全に気づいていますよ!
 いいですか、あなたはこの気づきという概念を手に入れて、それ
 を何か特別な状態であるとか、そうなるための特別の方法がある
 と考えています。
 それを捨てるのです。
 気づきというあなたの概念を捨てるのです。
 
 たった今それを捨てましたか?
 
 リタ たった今は、私がそれに焦点を合わせているので、大丈夫
    なんですが。
 
 ボブ
 気づきからその焦点を外して、ただいるのです。
 
 リタ もし何かを恐れていたら、私はくよくよ考えてしまうんで
    す。何度も何度も何度も考えてしまうんです。
 
 ボブ
 その通りです。
 私が言っているのは、別の見方をはじめなさいということです。
 「このすべてが何の上で起こっているのか?
  もし私が気づいていなかったら、このすべては起こることがで
  きただろうか?」
 と自分に聞くことをはじめてみるのです。
 それをすれば、あなたはあなたの自然な状態に導かれます。
 それが気づきです。
 いかなる状態においても、あなたは自分の気づきを否定すること
 はできません。
 いかなる状態においても、「私はいない」と言うことはあなたに
 はできません。
 あなたは存在意識から離れることはできないのです。
 
 リタ では、「私は感じている」と言う代わりに、ただ何かを感
    じるだけなら、かえって簡単にその感じを流せるのですか?
 
 ボブ
 ええ、なぜなら何の配達も受け取っていないからです。
 配達を受け取る参照点がありません。
 それでもまだ感情に基づいて行為するかもしれません。
 もし恐怖があれば、その危険を排除するために何かをする必要が
 あるかもしれません。
 しかし、あなたはその感情の配達を受け取らないのです。
 
『Living Reality』(p293-296)
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(-||-)

ここは、この『Living Reality』全体の、圧巻でしょうね。

> より偉大な体験やより良い体験を求めるのではなく、たったひと
> つの体験といえども、体験しているその本質がなければ起こりえ
> なかったのだという、そのことを理解してください。
> あなたは微妙にそのなかに寛いでいきます。
> そして自分が一度もそこから離れたことがななかったことを理解
> します。
> そのなかに寛いでいくと、そのなかに微妙な温かさと幸福がある
> のがわかってきます。
> それは絶えずあなたと共にあります。

はい。

> 創造のなかのすべては純粋な知性エネルギーに分解できます。
> 生命はあらゆる多様性の中で起こっており、それは二元性です。
> 顕現とはすべて二元論なのです。

はい。

> 私はここに座っている皆さん全員が純粋な知性エネルギーである
> ことを知っています、皆さんがそれを知っていようといまいと。
> 私は皆さんのなかに、何らかの実体、つまり独立した性質をもつ
> 中心が存在しないことを知っています。

はい、そのとおりです。

……。(-_-)

ありがとうございました。

(-||-)


       ………○…………○…………○………


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http://www.formzu.net/fgen.ex?ID=P48750702
というのを作らせていただきました。(^^;)

「私は在る」に関するご意見・ご感想・シェアリング、または単な
るメールなど、ご自由にお書きいただければと思います。


       ………○…………○…………○………


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       ………○…………○…………○………


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■ 3.編集後記:インディアン、嘘つかない。
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努力はすべて偽りなので、特に気にすべきこともないようです。

起こるべきことが、起こっている。

見かけに希望を見いだせば、見かけに捕まる。

インディアン、嘘つかない。

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 あなた自身を過程として、過去と未来、そして物語をもつ者とし
 て想像することが奴隷状態の本質なのだ。
 実際には、私たちに物語はない。
 私たちは過程ではなく、発展もせず、崩壊もしない。
 すべてを夢と見て、動じずにいなさい。
 
 『私は在る』(p207)
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というわけなので。

今日は晩くなりました。

おやすみなさい。

<(_ _)>


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■ 【作者】 『アセンション資料館』主人 pari
━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━
  → メール: pariアットマークjk2.so-net.ne.jp
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