home > 通信 >『アセンション館通信』第521号:水槽の中の黄緑色の線



━━━━☆☆☆☆━━━━━━━━━━━━━━ by paritosho ━
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 ☆☆     ☆☆『アセンション館通信』2014/03/31(第521号)
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☆☆      ☆★ 【気刊】――「私は在る」に導かれ♪――
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◇◇ このメルマガの趣旨 ◇◇

このメルマガはアセンション館主人 pari と称するあるパターンに
浮上している心象風景の報告です。

実在は概念ではなく、概念の顕現でもない。概念は実在しない。
概念はただ“見かけ”の解釈のなかにのみ現れる。

実在は、“見かけ”の発現を可能にし、解釈の発現を可能にする。
“見かけ”と解釈のなかで迷子になると、苦楽の海に溺れる。

内容は人畜無害、でも読む人は相当変わっていますね。現在866名
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◇◇ もくじ ◇◇

1.水槽の中の黄緑色の線

2.編集後記:これが夢だという感じもしてきています。
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■ 1.水槽の中の黄緑色の線
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今朝は一度目が覚めてしまってから、寝床のなかで起きるともなく、
寝るともない時間をすごしていました。

するといつの間にか眠ってしまったみたいで、また目が覚めたらや
っぱり夢を見ていました。(^^;)

いつでも夢を見ているもんですね。

当たり前ですが。(^_-)

こうして目が覚めた今も、やっぱり夢を見ているのでしょう。

(*^_^*)

さて、またまた一週間が過ぎて、楽しい“アセンション噺”ならぬ
「私は在る」噺に、お付き合いいただく今がやってまいりました。

『アセンション館通信』配達人の pari です。(^^)/

みなさま固有の「私は在る」を、いかがお過ごしでしょうか?

寝床のなかで目覚めた状態でいると色々マインドが動きます。

というか平たい言葉で言うと、いろんな想念が湧いてくる。

ただ無心のまま、空っぽでいられるなんてことはない。

それほど上品じゃないです、はは。(*^_^*)

湧いてくるのは、たいていろくでもない想念です。

というか、とにかく現状のなかに何か欠点を見つけて、イチャモン
をつけようとするような想念ですよね。

簡単にいえば“心配”です。(^_-)

昼間のいわば普通に目覚めて仕事をしているときなどだと、何かを
することでその“心配マインド”を押しやります。

その“心配”に対して、一瞬何かの行為で反応する。

と言っても、あまり意志的な人間じゃないので、その“心配”をバ
ネにして何か持続的な努力ができるというわけでもありません。

たいていはその場しのぎで、それ以上のことはあまりできない。

あるいはマハラジの言葉を思い出して、ただ単に、その“心配”か
ら注意をそらす、という対応をすることもあります。

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 いつであれ、欲望や恐れについての思考や感情がマインドに現れ
 たときには、ただそれから注意をそむけなさい。
 
 『私は在る』(p366)
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でも、今朝の寝床のなかで起こったことは、そのパターンとは少し
違っていました。

なんとなく、その“心配マインド”そのもののに浸りたくなった。

その“心配マインド”が充満してくるのに任せました。

まあ、そうして任せても、その“心配マインド”がただ大きくなり
つづけるなんてことがないのは、聞いて知っていましたけど。

もちろん、その“心配マインド”を極限まで肥大化してそれを感じ
尽くしてやろう、というほどの技法的態度でもありません。

それほどの若さというかエネルギーがない。(^^;)

ただ、その“心配マインド”そのもののに浸ろうとしただけです。

大きくなればなったでいいので、ただその“心配マインド”の潜在
エネルギーに任せてそれに浸っていただけです。

なんていうこともない、“心配マインド”のエネルギーはそんなに
つづきませんでしたね。

じきに退潮してしまいました。

と同時に、その“心配マインド”というか“心配エネルギー”とい
うか、それが自分でないことも、とても自明でした。

そしてなぜか、ところどころ緑の苔で薄汚くよごれたガラスで囲わ
れた水槽のイメージが浮かんでいました。

水槽のなかの若草色の半透明の水が、右上からの淡い光で照らされ
て透けて見えていました。

水槽の水のなかに、何かの汚れか、藻類の繊維のようなものが一本、
細長い黄緑色の縦の線になって、少し傾いて浮かんでいました。

それはまるで、その細長い黄緑色の線が自分であるわけじゃない、
自分はその水槽の水全体だ、とでもいうようでした。

その細長い黄緑色の線が何かを表現していること、何かを定義して
いることは明らかでした。

と同時に、何かを表現しているもの、何かを定義しているものが、
自分じゃないことも自明でした。

その情景を見ているときは、この感覚はじつに自明でしたが、でも
これ論理じゃないみたいですね。

今こうして再現してみると、まるで理屈じゃない。(*^_^*)

それがまるで論理じゃないことに、改めて驚きます。

人間は通常、沸き起こってくる心配が自分だと思っています。

そしてその心配に注意を向けると、その心配はエネルギーをもらっ
て心理的に“実体化”していきます。

それは半ば夢のなかの時間帯と、こうして普通に“目覚めている”
時間帯の振動数の違いのようなものなのかもしれません。

もちろん、こうして普通に“目覚めている”時間帯の方が、相対的
に眠りが深いということなのでしょう。

寝床のなかでは、けっこう“心配マインド”のなかに浸ることがで
きましたが、目覚めていてはなかなかそれも起こりにくい。

たぶん、エゴの防衛機制が働くのかもしれませんね。

何となく感じるのは、想念が希薄になってくるとエゴの防衛機制が
働いて、慌てて何かで空白を埋めたい気分になるらしいことです。

心を騒がしくする分には、その内容が上品か下品か、どんなくだら
ない捏造品かなど、防衛機制はまったく問題にしないらしい。

“騒がしい”と“忙しい”は機能的には同じことだから、「心配」
と「努力」は両方ともエゴのお気に入りなんでしょうね。

そして「目的・意味」「成長・進化」といったものを求めるように
なったら、もうあとは放っておいても大丈夫。(^_-)

ただ、常軌を逸して求めるのはよろしくない。

ほどほどなら何でもいいんです。(*^_^*)

と言っても別に、“エゴ悪者説”に肩入れしようというわけじゃあ
りません。

すべての観念は、ただの観念、喩え話にすぎませんから。

覚者たちが使う「天の王国」も「ペインボディ」も「聖なる催眠」
も、すべては概念、いわば承知の上の物語でしょう。

覚者たちのなかで比較的概念を語ることの少ないマハラジでさえ、
比喩をまったく使わずに話すことなどできません。

でもその比較的物語の少ないあからさまな表現は、初めて触れる者
にはかえってストレートすぎて意味が伝わらない。

たとえば、こんな感じです。

------------------------------------
 あなたが不調和をつくり出しておいて、それから不平を言うのだ。
 欲望をもち恐れるとき、そして感情と自己同一化するとき、あな
 たは不幸と束縛を生みだす。
 あなたが愛と智慧とともに創造し、そして創造したものに執着し
 ないとき、結果は調和と平和となるのだ。
 だが、マインドの状態はいかなるものであれ、それはどのように
 あなたに影響を及ぼすのだろう?
 マインドと自己同一化すること、ただそれだけがあなたを幸福に、
 あるいは不幸にするのだ。
 マインドへの隷属に反抗しなさい。
 あなたの束縛は自分が創造したものだということを見なさい。
 そして執着と反感への鎖を断ち切るのだ。
 あなたがすでに自由であること、そして自由とは苦しい努力によ
 って遠い未来に獲得される何かではなく、永久にあなた自身のも
 のとして使われるためにそこにあることが明らかになるまでは、
 自由という目的を心に保ちなさい。
 解放とは獲得ではなく勇気の問題だ。
 あなたがすでに自由であると信じ、それにしたがって行為する勇
 気だ。
 
 『私は在る』(p538)
------------------------------------

(*-_-*)

ここには「ペインボディ」もなければ“エゴの企み”もありません。

物語はほとんどない。

極力物語を排除した形で語れば、恐らくはこのあたりが単純な事実
にいちばん近いのかもしれません。

でも、このストレートな言葉の意味が、最初からその本来の重さで
伝わるような人が、いったいどれほどいるでしょうか?

こういう言葉を理解するには、通常われわれは聞かされてきた物語
(世界)のなかで、あまりにも“小さく”なりすぎている。

だから通常こんな言葉は、たとえ目では読んでも、格好のいい言葉
として右から左へ通りすぎて行くだけだろうと思います。

なにしろ自分が世界のなかに住んでいることを、端から疑ってなど
いないわけですから。

でも、気にしていれば、やがてはこんな言葉にも出会うわけです。

------------------------------------
 世界とあなた、どちらが先に生まれたのだろうか?
 世界が先だと考えるかぎり、あなたはそれに縛られているのだ。
 疑いの跡形もなく、世界はあなたのなかに在り、あなたが世界の
 なかに在るのではないとひとたび悟れば、あなたは外に出ている。
 もちろん、あなたの身体は世界のなかに、世界に属したままだ。
 だが、あなたはもはやそれに惑わされはしない。
 すべての聖典は世界が存在する前に創造者が存在したと言ってい
 る。
 誰が創造者を知っているのだろうか? 
 創造者以前に存在したのは、すべての世界とその創造物の源であ
 る、あなたの真我だけなのだ。
 
 『私は在る』(p225)
------------------------------------

(@_@)

こう聞いてやっと、話がつながるわけですよね。

> 疑いの跡形もなく、世界はあなたのなかに在り、あなたが世界の
> なかに在るのではないとひとたび悟れば、あなたは外に出ている。

おかげさまで、わたしは外に出ているようです。

もうここで、“知的には理解”などと言うつもりはありません。

でも、長い間の習慣で、心配してどうなるものでもないのに、心配
マインドに引き寄せられるんですよね。

今朝目が覚めたとき、やっぱり夢を見ていました。

ところがそこで見ていた世界は、目がさめた途端に、実際はどこに
も存在していないんですよね。(@_@)

いわゆる“死んだら”、この身体を喪失したら、その途端に、この
世界はどこにも存在していないんでしょうね。

間違いなくこの世界も、今朝の目覚めの前に見ていたあの夢の世界
と同じような、夢の世界なのだと思います。

> マインドと自己同一化すること、ただそれだけがあなたを幸福に、
> あるいは不幸にするのだ。

“心配マインド”と同化することによって、われわれはこの夢に取
りこまれる。

> マインドへの隷属に反抗しなさい。
> あなたの束縛は自分が創造したものだということを見なさい。

赤ん坊としてこの夢に入ってきたとき、われわれはまだ自己同化の
対象すら知らなかった。

何に自己同化すべきかを、まわりの大人たちに指示してもらったわ
けです。

この夢も、噛りはじめた頃は甘いリンゴなんだけど、後の方になる
ともう腐ったリンゴなんですよね。(*^_^*)

だから、すべての覚者たちは、身体が“死ぬ”前に死になさい、と
言うんだろうなぁ。(-_-;)

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 必要なのは、自己を定義しようとする傾向を捨て去ることだけだ。
 すべての定義づけは、身体とその表現にしか当てはまらない。
 この身体への固執が消えれば、あなたは自然なあるがままの姿に
 努力することなく帰り着くだろう。
 
 『私は在る』(p27)
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ほんとうにそのとおりなんだ。(-_-)

> すべての定義づけは、身体とその表現にしか当てはまらない。

……のだとしたら、心配はすべて身体のことなんだから。

(-||-)

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 あなたは在る。
 ほかのすべては現れにすぎない。
 
 『私は在る』(p421)
------------------------------------

はい。

(-||-)

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 永久的なもの、それはあなた自身の存在である。
 真我として在りなさい。
 それが至福である。
 あなたはいつもそれなのである。
 
 『あるがままに』(p58) 
------------------------------------

……。(-_-)

ありがとうございました。<(_ _)>

(-||-)

今日はこんなところで。

……。

m(_ _)m


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■ 2.編集後記:これが夢だという感じもしてきています。
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なんか少し書き方が変わったような気もします。

あるいは思い込みかもしれません。

ボブさんの翻訳のコーナーがなくなった代わりにマイケル・ラング
フォード師の本からの翻訳を入れようかとも思いました。

でも、一度作ってから削除しました。

なんか雰囲気がピッタリこなくて。

やっぱりすべてが出来事として起こっているような気もします。

そして、だんだんこれが夢だという感じもしてきています。

続くなら続くでしょうし、無くなるなら無くなるでしょう。

わたしの行為ではなく、自然に起こっているような気もします。

今日は晩くなりました。

おやすみなさい。

<(_ _)>


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■ 【作者】 『アセンション資料館』主人 pari
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