home > 通信 >『アセンション館通信』第522号:これ以上の体験は必要ない



━━━━☆☆☆☆━━━━━━━━━━━━━━ by paritosho ━
  ☆☆   ☆☆ 
 ☆☆     ☆☆『アセンション館通信』2014/03/31(第522号)
☆☆   ☆   ☆☆
☆☆      ☆★ 【気刊】――「私は在る」に導かれ♪――
-☆☆---------☆☆------------------------------------------
 ☆☆   ☆☆          https://www.ascensionkan.com/
━━☆☆☆☆━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━

◇◇ このメルマガの趣旨 ◇◇

このメルマガはアセンション館主人 pari と称するあるパターンに
浮上している心象風景の報告です。

実在は概念ではなく、概念の顕現でもない。概念は実在しない。
概念はただ“見かけ”の解釈のなかにのみ現れる。

実在は、“見かけ”の発現を可能にし、解釈の発現を可能にする。
“見かけ”と解釈のなかで迷子になると、苦楽の海に溺れる。

内容は人畜無害、でも読む人は相当変わっていますね。現在865名
------------------------------------------------------------
◇◇ もくじ ◇◇

1.これ以上の体験は必要ない

2.編集後記:かれこれ八年くらいは読んでいるはずだが
------------------------------------------------------------

━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━
■ 1.これ以上の体験は必要ない
━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━

現象世界がたくさんの現象であふれているのは事実です。

現れの世界がたくさんの形や意味であふれているのは事実です。

って、これ……本当でしょうか? (^^;)

現象世界はたくさんの現象であふれている。

このことは事実だと思います。

現れの世界はたくさんの形や意味であふれている。

このことは事実だと思います。

でも、

  「現象世界がたくさんの現象であふれているのは事実です」

と言ってしまうと、なんとなくそのことが無条件の事実のように聞
こえてしまう。

でも、それは本当じゃないですよね。

だってこれは、無条件の事実じゃありませんから。

現象世界は、わたしが現れに注目すれば、という前提条件に依拠し
て現れているだけです。

最近、やっとそんな当然のことが理解されてきました。

ふ。

(*^_^*)

さて、またまた一週間が過ぎて、楽しい“アセンション噺”ならぬ
「私は在る」噺に、お付き合いいただく今がやってまいりました。

『アセンション館通信』配達人の pari です。(^^)/

みなさま固有の「私は在る」を、いかがお過ごしでしょうか?

現れの世界にはたくさんの感覚的印象があふれています。

そのようなたくさんの感覚的印象を総称して、現象世界と呼ぶわけ
でですよね。

盲人の方でなければという条件はつきますが、目を開ければたくさ
んの色と形体が視野に入ってきます。

それぞれの対象物まで身体を運んで、それに触れたら、どんな感覚
印象であるだろうかを、予想することもできます。

そんな予想は、身体の何処かに蓄積されている過去の体験的記憶の
なかからいま抽出されて、顕在意識に提供されるのでしょう。

もちろん、生体的に実現されている機械的作業です。

注意を対象世界に向ければ、たくさんの形体が現れ、記憶のなかの
多くの概念や感情も参照されて、解釈や予期も浮上します。

ほとんど無自覚の生体的機械過程でしょう。

そういう諸々の背景情報があって、それらを最終的に編集した新聞
見出しが顕在意識に届けられて、一瞬一瞬の気分が発生する。

その対象物や対象となる出来事が、こちらの精神身体構造にとって、
快か不快か、安全か危険か、有利か不利かなどと。

一瞬一瞬の気分がまた記憶され、つねに再編集されながら、虚構の
個人という物語が編まれていくわけでしょうね。

------------------------------------
 すべての定義づけは、身体とその表現にしか当てはまらない。
 この身体への固執が消えれば、あなたは自然なあるがままの姿に
 努力することなく帰り着くだろう。
 
 『私は在る』(p27)
------------------------------------

ふーむ。(-_-;)

意味も気分も情緒も、虚構の“個人という物語”を編集する立場か
ら流れだし、また物語に還流して物語を補強していく……。

外界に見えたもの、あるいは頭に湧いた想念の、どれに注意するか
で、あとは自動過程のように物語が創造されていくのでしょう。

何に焦点を合わせるかは、とても重要なんですね。

------------------------------------
 注意を過小評価してはならない。
 それは関心であり、愛なのだ。
 知るため、行うため、発見するため、あるいは創造するためには、
 それにハートを捧げなければならない。
 それが注意力を意味する。
 あらゆる祝福はそこから流れだすのだ。
 
 分割されない注意を、あなたの人生のなかのもっとも重要なもの、
 あなた自身に与えなさい。
 あなたの個人的な宇宙の中心があなたなのだ。
 中心を知らずに何を知ることができるだろう?
 
 『私は在る』(p143-144)
------------------------------------

マハラジは、こんなことを言っていたんだ……。

> 分割されない注意を、あなたの人生のなかのもっとも重要なもの、
> あなた自身に与えなさい。

何回も聞いているけど、聞こえていなかったなぁ。(-_-)

> あなたの個人的な宇宙の中心があなたなのだ。

それは、そうなんですけど。

> 中心を知らずに何を知ることができるだろう?

言葉として理解できてるつもりだったけど。

何も聞こえていなかった……。

> 分割されない注意を、……

一瞬一瞬の見かけに、ひたすら注意を散乱させていた。

> 分割されない注意を、あなたの人生のなかのもっとも重要なもの、
> あなた自身に与えなさい。

そんなことを、言っていたのか。(-_-)

この現象宇宙のなかには、実際には“個人”というものは存在して
いない。

と同時に、この現象宇宙のなかでは、わたしがそうであるように、
誰もが“個人”の存在を信じ、その物語のなかでもがいている。

誰もが、与えられたDNAと条件づけのなかで、精一杯、もがき、
苦しみ、頑張っている。

“聖なる催眠”のなかで。

それほど、物語への執着は大きい。

それほど、プログラミングの拘束力は大きい。

それほど、体験への欲望は大きい。

------------------------------------
 何にもまして、私たちは意識しつづけていたい。
 あらゆる苦しみや屈辱を耐えてでも、意識しつづけることを望む
 のだ。
 この体験への欲望に逆らって、顕現すべてを手放さないかぎり、
 解放はありえない。
 私たちは罠にはまったままなのだ。
 
 『私は在る』(p346)
------------------------------------

(;_;)

> 何にもまして、私たちは意識しつづけていたい。

たしかに。

> あらゆる苦しみや屈辱を耐えてでも、意識しつづけることを望む
> のだ。

おっしゃるとおりです。

> この体験への欲望に逆らって、顕現すべてを手放さないかぎり、
> 解放はありえない。

そうなんだ……。

「この体験への欲望に逆らって」「顕現すべてを手放さないかぎり」
「解放はありえない」……。

そうなのか……。(-_-)

それほど体験に執着するのには、何か理由があるのだろうか?

------------------------------------
 マインドは記憶をその知識とするために、体験を熱望する。
 ジニャーニはすべての体験を超えている。
 そして彼は過去の記憶をもたないのだ。
 彼は特定のいかなるものとも完全に無関係だ。
 だがマインドは体系化と定義づけを切望し、つねに実在を言語的
 な形態のなかに押しこもうと熱心なのだ。
 すべてにおいてそれは観念を求める。
 なぜなら、観念なしにマインドは存在しないからだ。
 
 『私は在る』(p376)
------------------------------------

(@_@)

> だがマインドは体系化と定義づけを切望し、つねに実在を言語的
> な形態のなかに押しこもうと熱心なのだ。

はい。

> すべてにおいてそれは観念を求める。

(*-_-*)

> なぜなら、観念なしにマインドは存在しないからだ。

(@_@) ⌒★?

わかりました。

では、どうすれば体験への欲望に逆らえるのでしょうか?

------------------------------------
 体験はただ記憶を後に残し、すでに充分重い重荷に加えるだけだ。
 あなたにこれ以上の体験は必要ない。
 過去のものだけで充分だ。
 そして、もしそれ以上が必要だというのなら、周囲の人びとのハ
 ートのなかに見入るがいい。
 何千年かけても不可能な多様な体験の数々をあなたは見いだすだ
 ろう。
 他者の悲しみから学びなさい。
 そしてあなた自身を救うがいい。
 あなたに必要なのは体験ではなく、すべての体験から自由になる
 ことだ。
 体験に貪欲(どんよく)になってはいけない。
 あなたには何も必要ないのだ。
 
 『私は在る』(p336)
------------------------------------

> 体験はただ記憶を後に残し、すでに充分重い重荷に加えるだけだ。
> あなたにこれ以上の体験は必要ない。

わかっています。

いや、わかっていなかったんだ。(>_<)

今度は、わかったのか? (-_-;)

> 過去のものだけで充分だ。

はい。

> そして、もしそれ以上が必要だというのなら、周囲の人びとのハ
> ートのなかに見入るがいい。

はい。

> 何千年かけても不可能な多様な体験の数々をあなたは見いだすだ
> ろう。

(;_;)

> 他者の悲しみから学びなさい。

はい。

> そしてあなた自身を救うがいい。

(-||-)

> あなたに必要なのは体験ではなく、すべての体験から自由になる
> ことだ。

「必要なのは体験ではなく」「すべての体験から自由になること」

そうか、「すべての体験から自由になること」が必要だったのか。

わかりました。(-||-)

> 体験に貪欲(どんよく)になってはいけない。

はい。

> あなたには何も必要ないのだ。

わかりました。

------------------------------------
 いつもマインドをせわしなくさせていてはいけない。
 それをやめ、ただ在りなさい。
 もしあなたがマインドに休息を与えたなら、それは落ち着き、そ
 の純粋さと力強さを回復するだろう。
 絶え間なく考えることはマインドを衰退させてしまうのだ。
 
 『私は在る』(p330)
------------------------------------

> いつもマインドをせわしなくさせていてはいけない。

(*@_@*)

> それをやめ、ただ在りなさい。

(*-_-*)

> もしあなたがマインドに休息を与えたなら、それは落ち着き、そ
> の純粋さと力強さを回復するだろう。

(-_-)

> 絶え間なく考えることはマインドを衰退させてしまうのだ。

(>_<)

これは間違いなく、わたしにおっしゃっている。

(*-||-*)

------------------------------------
 あなたは在る。
 ほかのすべては現れにすぎない。
 
 『私は在る』(p421)
------------------------------------

はい。

(-||-)

------------------------------------
 永久的なもの、それはあなた自身の存在である。
 真我として在りなさい。
 それが至福である。
 あなたはいつもそれなのである。
 
 『あるがままに』(p58) 
------------------------------------

……。(-_-)

ありがとうございました。<(_ _)>

(-||-)

今日はこんなところで。

……。

m(_ _)m


       ………○…………○…………○………


『私は在る』の「目次」はここ↓に置いてあります。
https://www.ascensionkan.com/books/I_AM_THAT-index.html

ときどき「ニサルガ辞書」で遊んでみてください。
https://www.ascensionkan.com/ndic/

新しい「ラマナ・マハルシ辞書」はここです。
https://www.ascensionkan.com/rdic/

おこがましくも『アセ通』既刊号はすべてここに置いてあります。
https://www.ascensionkan.com/mm/


       ………○…………○…………○………


▼『アセ通』への「私は在る」関連ご意見投稿フォーム:
http://www.formzu.net/fgen.ex?ID=P48750702
というのを作らせていただきました。(^^;)

「私は在る」に関するご意見・ご感想・シェアリング、または単な
るメールなど、ご自由にお書きいただければと思います。


       ………○…………○…………○………


『アセンション館通信』への「ご投稿・情報提供」を歓迎いたします。

▼『アセンション館通信』への情報ご投稿フォーム
http://www.formzu.net/fgen.ex?ID=P87119518


       ………○…………○…………○………


━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━
■ 2.編集後記:かれこれ八年くらいは読んでいるはずだが
━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━

『私は在る』という本を知ってからもうずいぶんになる。

かれこれ八年くらいは読んでいるはずだが、何も理解していないと
も言える。

その証拠にまだこんなメルマガを書いている。(*-_-*)

その愚かしいドラマを、そのまま愛するしかないのだろう。

わたしという個人がいるわけでもなく、責任がある誰かがいるわけ
でもないのだろうから。

ドラマはある、こうして見ている者がいるのだから。

それをそのまま愛するしかないのだろうな。

散歩をしてきたら、今日はもう昏くなりました。

おやすみなさい。

<(_ _)>


━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━
■ 【作者】 『アセンション資料館』主人 pari
━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━
  → メール: pariアットマークjk2.so-net.ne.jp
------------------------------------------------------------
『アセンション館通信』の既刊号を毎日連続で配信いたします。
連続配信をご希望の方は“『アセ通』連続配信依頼フォーム”
https://www.ascensionkan.com/mm/deliver.html
↑より、空メールをお送りください。翌日より毎日配信されます。
ただし、これからの号の購読にはメルマガ登録が必要です。(無料)
------------------------------------------------------------
このメールマガジンは二つの配信スタンド
『まぐまぐ!』http://www.mag2.com/ と
『melma』 http://www.melma.com/ を利用して発行しています。
「まぐまぐ」は:http://www.mag2.com/m/0000126287.html
「melma」は  :http://www.melma.com/backnumber_110091/
━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━
Copyleft(C)2014 paritosho
↑コピーレフトの概念についてはこちら↓をご覧ください。
http://now.ohah.net/commune/?license/copyleft.html
------------------------------------------------------------