━━━━☆☆☆☆━━━━━━━━━━━━━━ by paritosho ━
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☆☆ ☆☆『アセンション館通信』2014/05/11(第527号)
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☆☆ ☆★ 【気刊】――「私は在る」に導かれ♪――
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◇◇ このメルマガの趣旨 ◇◇
このメルマガはアセンション館主人 pari と称するあるパターンに
浮上している心象風景の報告です。
実在は概念ではなく、概念の顕現でもない。概念は実在しない。
概念はただ“見かけ”の解釈のなかにのみ現れる。
実在は、“見かけ”の発現を可能にし、解釈の発現を可能にする。
“見かけ”と解釈のなかで迷子になると、苦楽の海に溺れる。
内容は人畜無害、でも読む人は相当変わっていますね。現在879名
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◇◇ もくじ ◇◇
1.夢見る人はひとりだ
2.ラングフォードの言葉:【第二章 詐称者のトリック】(2)
3.編集後記:あれほどはっきり言われてしまうと。(-_-;)
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■ 1.夢見る人はひとりだ
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個々人の夢のなかは、晴れた日もあれば雨の日もあります。
ここでは今日は、そよ風の吹く晴れたすばらしい日です。
このごろは一度は庭に出て、東側の鈴蘭の香りを嗅ぎに行きます。
子供の頃から知っている数少ない花で、その香りが懐かしくてちょ
っと切ないんですよね。
その瞬間その瞬間だけが、あるんですね。
そしてその瞬間に、何かを期待している人がいるかどうか……。
何かを期待している人がいれば、夢を見ているわけでしょうね。
その人が夢を見ているのではない。
浮上しているその夢の場面に焦点が合っているのでしょう。
(*^_^*)
さて、またまた一週間が過ぎて、楽しい“アセンション噺”ならぬ
「私は在る」噺に、お付き合いいただく今がやってまいりました。
『アセンション館通信』配達人の pari です。(^^)/
みなさま固有の「私は在る」を、いかがお過ごしでしょうか?
夢の場面に注目しなくてもいいと知っていること自体が、すでに、
途方もない恩寵なのだと思います。
> 夢は同じではない。
> だが、夢見る人はひとりだ。
というような言葉を聞いたことがあること自体が。
そしてその言葉への注目が起こったこと自体が。
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夢は同じではない。
だが、夢見る人はひとりだ。
夢のなかでは、私が昆虫であり、私が詩人なのだ。
私は光だ。
その光のなかで、すべての夢が現れては消える。
私は夢の内側と外側だ。
頭痛もちの人がその痛みを知り、また自分がその痛みではないこ
とを知っているように、私も夢を知り、私自身が夢を見、また見
ないことを同時に知っている。
私は私で在る。
夢の前も、夢の間も、夢の後も。
だが、私が夢のなかで見ることは、私ではないのだ。
『私は在る』(p135)
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マハラジ……。(-||-)
> 夢は同じではない。
> だが、夢見る人はひとりだ。
そうなんですね。
> 夢のなかでは、私が昆虫であり、私が詩人なのだ。
はい、そう思っていました。
自分はpariだと。
> 私は光だ。
本当はそうだったんですね。
> その光のなかで、すべての夢が現れては消える。
わたしのなかに今この春の場面が現れている。
そしてそれはじきに消える。
> 私は夢の内側と外側だ。
そうか。
“夢の内側”もわたし、“夢の外側”もわたしなんだ。
夢を見ているわたしも、夢から醒めるわたしも、ひとりしかいない。
> 頭痛もちの人がその痛みを知り、また自分がその痛みではないこ
> とを知っているように、私も夢を知り、私自身が夢を見、また見
> ないことを同時に知っている。
わたしが見ている夢は、わたしの頭痛だったのか。(*-_-*)
> 私は私で在る。
はい。
> 夢の前も、夢の間も、夢の後も。
はい。
> だが、私が夢のなかで見ることは、私ではないのだ。
そうだったんだ……。
(-||-)
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夢から夢へと動きまわるのは、あなたではない。
夢があなたの前を流れていき、あなたは不変の観照者なのだ。
いかなる出来事もあなたの存在に影響を与えることはない。
これが絶対的な真理なのだ。
『私は在る』(p351)
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> 夢から夢へと動きまわるのは、あなたではない。
朝目が覚めたとき、夢のなかで動きまわっていたあれは、わたしで
はなかった。
あれは、わたしの意識の悪戯だった。
同じくこの身体も、わたしの意識の悪戯なのかなぁ。
> 夢があなたの前を流れていき、あなたは不変の観照者なのだ。
はい。
> いかなる出来事もあなたの存在に影響を与えることはない。
本当に、信じられないようなことです。
でも、そう聞くと嬉しいです。
> これが絶対的な真理なのだ。
(-||-)
でも絶対の真理も、そのように遇されなければ単なる絵に描いた餅
にすぎない。
わたしが夢に焦点を合わせるのをやめて、自分に焦点を合わせない
かぎりは。
わたしが在ることに満足して、夢に興味を失わないかぎりは。
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あれやこれに成ろうとするのではなく、在ることに幸せでありな
さい。
あなたは意識界に完全に気づいている観照者として在るだろう。
だが、あなたと意識界の間には、いかなる感情も観念も立ちはだ
かるべきではない。
『私は在る』(p233)
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> あれやこれに成ろうとするのではなく、在ることに幸せでありな
> さい。
これがすぐできるのが成熟した状態なんだろうなぁ。(-_-)
> あなたは意識界に完全に気づいている観照者として在るだろう。
はい。
> だが、あなたと意識界の間には、いかなる感情も観念も立ちはだ
> かるべきではない。
(;_;)
でも、未熟なわたしはすぐ夢のリアリティに圧倒されて、その夢の
なかでのサバイバルや幸せを求めてしまう。
まさに、この人のように……。
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質問者 あなたは私に世界を放棄しろと求めていますが、私は世
界のなかで幸福になりたいのです。
マハラジ
もしあなたが不可能を求めるなら、誰があなたを助けるというの
だろう?
限定されたものはかならず苦痛を味わい、その後に快楽へと交替
するようにできているのだ。
もし不変不滅の真の幸福を探すならば、あなたは世界とその苦痛
と快楽を後にして立ち去らなければならないのだ。
『私は在る』(p553-554)
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> 質問者 あなたは私に世界を放棄しろと求めていますが、私は世
> 界のなかで幸福になりたいのです。
夢のなかの登場人物である“わたし”は、おそらくこの方ほど若く
ない。
だから、この方ほどストレートに言う元気はないけれど、でもここ
から離陸したと言い切れる元気はあるか。
マハラジの言葉を聴くと、元気の元がここにしかないとも思う。
> マハラジ
> もしあなたが不可能を求めるなら、誰があなたを助けるというの
> だろう?
「不可能を求めるなら」……か。
> 限定されたものはかならず苦痛を味わい、その後に快楽へと交替
> するようにできているのだ。
それは、完全に理解しています。
それとも、まだ理解が足りないのだろうか。(-_-;)
> もし不変不滅の真の幸福を探すならば、あなたは世界とその苦痛
> と快楽を後にして立ち去らなければならないのだ。
(-||-)
深く夢のなかにさまよい込んだわたしに、もう一服の気つけ薬。
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質問者 しかし、すべての存在は苦痛に満ちているというのは本
当でしょうか?
マハラジ
この世界的な快楽の探求の原因が、何かほかにあるだろうか?
幸せな人が幸せを探すだろうか?
なんと人びとは落ち着かないのだろう!
なんとつねに動きまわっているのだろうか!
彼らは苦痛のなかにいるから快楽のなかに解放を探しているのだ。
彼らが想像できうる幸福のすべてとは、繰り返される快楽の保証
なのだ。
『私は在る』(p163-164)
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> 質問者 しかし、すべての存在は苦痛に満ちているというのは本
> 当でしょうか?
わたしも「すべての存在は苦痛に満ちている」と思います。
> マハラジ
> この世界的な快楽の探求の原因が、何かほかにあるだろうか?
そうか、これこそが目覚ましなんだ。
> 幸せな人が幸せを探すだろうか?
この一言だよなぁ。
「幸せな人が幸せを探すだろうか?」
そういうことだったんだ。
> なんと人びとは落ち着かないのだろう!
はい。
> なんとつねに動きまわっているのだろうか!
はい。
> 彼らは苦痛のなかにいるから快楽のなかに解放を探しているのだ。
ああ……。(;_;)
> 彼らが想像できうる幸福のすべてとは、繰り返される快楽の保証
> なのだ。
わかりました。
これでもう、夢には興味を持たないでいられるだろうか?
夢はなにゆえに、どこから生まれるのか?
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質問者 夢は考えることによって起こるのでしょうか?
マハラジ
すべては観念の戯(たわむれ)れだ。
観念化から自由になった状態(ニルヴィカルパ・サマーディ)の
なかでは、何も知覚されはしない。
その根本となる観念が「私は在る」だ。
それが純粋意識の状態を打ち破る。
すると無数の感覚、知覚、感情、観念がその後に続いていく。
それらの全体性が神であり、その世界なのだ。
「私は在る」は観照者として残る。
しかし、すべては神の意志で起こるのだ。
質問者 私の意志で、ではないのでしょうか?
マハラジ
またしても、あなたはあなた自身を神と観照者に分割した。
それらはひとつなのだ。
『私は在る』(p136)
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> 質問者 夢は考えることによって起こるのでしょうか?
うん。
> マハラジ
> すべては観念の戯(たわむれ)れだ。
なるほど。
わたしはこの“観念の戯”に弱いのか……。
すぐ観念を移し替えて、満足してしまうんだ。(-_-)
> 観念化から自由になった状態(ニルヴィカルパ・サマーディ)の
> なかでは、何も知覚されはしない。
そういうことか。
> その根本となる観念が「私は在る」だ。
なるほど。
> それが純粋意識の状態を打ち破る。
(-_-)
> すると無数の感覚、知覚、感情、観念がその後に続いていく。
そういうことだったんだ。
> それらの全体性が神であり、その世界なのだ。
はい。
> 「私は在る」は観照者として残る。
はい。
> しかし、すべては神の意志で起こるのだ。
そうか。
> 質問者 私の意志で、ではないのでしょうか?
うん。
> マハラジ
> またしても、あなたはあなた自身を神と観照者に分割した。
どうしても本気にできないんだよな。
本気にしたら、それなりの態度が必要になるから。
> それらはひとつなのだ。
実際は、すべては現れに対するわたしの態度なんだ。
(-||-)
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あなたは在る。
ほかのすべては現れにすぎない。
『私は在る』(p421)
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はい。
(-||-)
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永久的なもの、それはあなた自身の存在である。
真我として在りなさい。
それが至福である。
あなたはいつもそれなのである。
『あるがままに』(p58)
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……。(-_-)
ありがとうございました。<(_ _)>
(-||-)
今日はこんなところで。
……。
m(_ _)m
………○…………○…………○………
『私は在る』の「目次」はここ↓に置いてあります。
https://www.ascensionkan.com/books/I_AM_THAT-index.html
ときどき「ニサルガ辞書」で遊んでみてください。
https://www.ascensionkan.com/ndic/
新しい「ラマナ・マハルシ辞書」はここです。
https://www.ascensionkan.com/rdic/
おこがましくも『アセ通』既刊号はすべてここに置いてあります。
https://www.ascensionkan.com/mm/
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■ 2.ラングフォードの言葉:【第二章 詐称者のトリック】(2)
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『The Most Direct Means to Eternal Bliss』
(『永遠の至福への最も直接の手段』)の順次紹介をつづけます。
ここでは我々の通常の思考活動のほぼすべてが、ラングフォードの
言う「エゴの維持戦略」というものであることが明かされます。
「エゴの維持戦略」のおおまかな枠組みが展開されます。
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(本文は配信メルマガでお読みください。)
『The Most Direct Means to Eternal Bliss』(p23-28)
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今回は、ここまでです。
> 65. 知的理解をけっして洞察と混同してはならない。
これ、わかったようなつもりでいると、なかなかどうして。
> 68. 知的「理解」、「霊性」に対する知的食欲、知的アプローチ
> は、失敗する九十九万九千九百九十九人を特徴づけるものだ。
これこそ、このメルマガのメインテーマだったかなぁ。(-_-;)
> 70. 大部分の人々が「霊的」教えを学ぶのは、それらの概念を楽
> しむためだ。
そういうことだったんですねぇ。(-_-)
> 73. 次の概念に速く進みたい、もっともっと多くの情報を集めた
> い、もっともっと多くの霊的文献を読みたい、そして読んだ
> ことを考えたい、読んだことや考えたことを議論したいとい
> った欲望は、知的食欲と知的「霊性」の症状だ。
こればかりをやってきたような。(*-_-*)
> 83. 洞察とは考えることではない、また洞察とは信念ではない。
今回の部分で、ここが改めてのショックでした。
「洞察とは信念ではない」……。
なんとなく「信念」は「洞察」の代わりうるような気がしていた。
> 92. 直接の体験の代わりに信念を選ぶことは、エゴのトリックの
> ひとつだ。
ここで、完全にノックアウトですね。
「信念」が「直接の体験」の代理になるというのは、まさにエゴが
そう信じさせたがっていた信念だったとは。
> 104. エゴが霊的な概念について考えつづけるのは、エゴの最終的
> 終焉につながる実習を回避するためなのだ。
なんと……。(-_-;)
何をか言わんや……。
(-||-)
………○…………○…………○………
▼『アセ通』への「私は在る」関連ご意見投稿フォーム:
http://www.formzu.net/fgen.ex?ID=P48750702
というのを作らせていただきました。(^^;)
「私は在る」に関するご意見・ご感想・シェアリング、または単な
るメールなど、ご自由にお書きいただければと思います。
………○…………○…………○………
『アセンション館通信』への「ご投稿・情報提供」を歓迎いたします。
▼『アセンション館通信』への情報ご投稿フォーム
http://www.formzu.net/fgen.ex?ID=P87119518
………○…………○…………○………
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■ 3.編集後記:あれほどはっきり言われてしまうと。(-_-;)
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だんだん、無駄口を利きにくくなっています。
あれほどはっきり言われてしまうと。(-_-;)
これまでああいう言い方をする覚者っていましたっけ。
前代未聞ですよね。
こんなことしか言えない。(*^_^*)
今日はもう暗くなりました。
おやすみなさい。
<(_ _)>
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■ 【作者】 『アセンション資料館』主人 pari
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→ メール: pariアットマークjk2.so-net.ne.jp
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