home > 通信 >『アセンション館通信』第533号:求道者にある唯一の問題



━━━━☆☆☆☆━━━━━━━━━━━━━━ by paritosho ━
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 ☆☆     ☆☆『アセンション館通信』2014/06/22(第533号)
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☆☆      ☆★ 【気刊】――「私は在る」に導かれ♪――
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 ☆☆   ☆☆          https://www.ascensionkan.com/
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◇◇ このメルマガの趣旨 ◇◇

このメルマガはアセンション館主人 pari と称するあるパターンに
浮上している心象風景の報告です。

わたしが在るがゆえに、その光のなかにすべての現象は現れる。
わたしの幸せは在ることのなかにあり、現象のなかにはない。

現象に注意を向けることが夢を見ること、自分以外の非実在を悟る
ことが目覚めること。それを思いだすため探求が起こっている。

内容は人畜無害、でも読む人は相当変わっていますね。現在872名
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◇◇ もくじ ◇◇

1.求道者にある唯一の問題

2.ラングフォードの言葉:【第四章 解放を求める欲望】(2)

3.編集後記
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■ 1.求道者にある唯一の問題
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夢を見ている者にとっては、夢のなかに大切なことと大切でないこ
とがあります。

つまり眼前の現象が自分にとってどうであるかが、いつも気になる
ところです。

でも夢のなかの自分がどうであるかは、夢のなかの話。

見ている自分が目覚めたら、その夢は存在していない。

目覚めるのはもちろん、夢のなかの自分ではありません。

その夢を見ている自分です。

でも、夢を見ている自分が目覚めるために、夢のなかの自分が強烈
に目覚めを望む過程が夢のなかになくてはならない。(^_-)

そこが不思議なところですよね。

(*^_^*)

さて、またまた一週間が過ぎて、楽しい“アセンション噺”ならぬ
「私は在る」噺に、お付き合いいただく今がやってまいりました。

『アセンション館通信』配達人の pari です。(^^)/

みなさま固有の「私は在る」を、いかがお過ごしでしょうか?

本屋の息子の悲しい性か、いつからか就寝するときは枕元にお守り
のように何かの本を置く癖がついています。

置くだけで、すぐ電気を消してぜんぜん読まないこともあります。

少し読んでから、じきに消灯して眠ることもあります。

だいたい消灯したらすぐに眠れます。

たいていは二冊くらいの本を置きます。

この一年くらいは、そのうちの一冊はたいていマイケル・ラングフ
ォードの『The Most Direct Means to Eternal Bliss』です。

(以前はよくニサルガダッタの『私は在る』を置いたのですが、あ
 れは横になって読むにはちょっと重いですよね。)

それで面白いのは、朝方目覚めてちょっと読むときがいいんです。

エゴの臨戦態勢がまだ完全には整っていないのかもしれません。

ラングフォードのきわめて論理的な言葉が、直接、まるで当然のこ
とのように入ってくる気がします。

まあ、そのうち、本を読む必要もなくなるといいのですが。

ラングフォードがこの本で言っていることのなかでも、非常に重要
なキモは、一言で言うとここ↓に集約されていると思います。

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 130. これまでの求道者にある唯一の問題は、自由への欲望が弱す
    ぎたことだ。
    自由へのきわめて強烈な欲望が、その他すべての問題を解決
    するだろう。

 『The Most Direct Means to Eternal Bliss』(p51)
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まあ、ごくごくマインドタイプのわたしの思うことですが、たぶん、
これがすべての覚者たちとわれわれの決定的な違いでしょう。

ニサルガダッタが、師匠のシュリー・シッダラメシュヴァールから
伝えられたことなど、情報的にはごく僅かなことだと思います。

でも、その後まもなく師匠が死んでからも、そこで伝えられた火を
ニサルガダッタは護りつづけた。

その燃料が「自由へのきわめて強烈な欲望」なんでしょうね。

つまり、この「自由へのきわめて強烈な欲望」がなければ、そもそ
も話がはじまらないということだと思います。

夢を見ているわれわれの注意の大部分は、放っておけば、通常は夢
のなかに注がれます。

そして足掻きつづけて、ついには悟りの世界に救いを求めたりする。

すると横から、覚者が、

「あなたは自分の注意を現象という夢の方に向けているのだ。

 そして、その現象という夢のなかで不幸になっている。
 
 現象のなかで幸福を探しても、苦しみに調味料のようにまぶされ
 る一場の夢以外に、そういうものは存在しない。

 あなたの注意を自分の存在(=気づき)自体に向けなさい。
 
 それが存在であり、幸せなのだから」

と教えてくれる。

でも、そうして夢のなかまで聞こえてきた言葉を、夢の登場人物
(だと思いこんでいる気づき)は、なかなか本気にしない。

そして夢のなかで幸せになろうと、不可能事を試みつづける。

気づきである自分は、夢に注意を向けつづける。

まあ、そういうことだと思います。

では、そのとき自分の存在自体、つまり実在である気づきに注意を
向け、夢が見かけにすぎないことを知るにはどうしたらいいのか?

その手段をラングフォードはこう説明するのです。

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 87. エゴの幻想を終わらせる唯一の効果的な手段は、以下(88…93)
   を行うことだ。 
 
 88. あなたの注意を思考、身体、世界、人々、場所、物事、経験、
   等々からそらし、あなたの注意を気づきを見ている気づきに
   向けなさい。 
 
 89. もしあなたが他の手段によってエゴを終わらそうとしている
   なら、エゴは消えたように見えるかもしれないが、しかし、
   結局、エゴはまた現れるだろう。
 
 『The Most Direct Means to Eternal Bliss』(p51)
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と……。

覚者と言われる方々はすべて、夢が終わるのを見届けた方々、夢か
ら覚めた方々だというわけでしょう。

気づきが自分の実体であることを知的に理解するのが、それほど難
しいことだとは思えません。

でもそれだけでは、夢への自己同化が完全に外れるわけではない。

なぜなら夢への自己同化は、夢のなかでの永い歳月をかけてつねに
エネルギーを注いで培ってきた癖だからです。

その癖を解除するための努力が必要なんでしょうね。

それは未体験のままに夢の非実在を信じて、それを信頼し、夢を見
ている自分に注意を向けることに専念する過程だと思います。

いずれにしろ、事実、気づきしか実在していないのです。

自分が気づいていない夢に、どんな実体がありうるでしょうか?

自分が気づいていない夢が、現象できるでしょうか?

グレッグ・グッドが伝えてくれたように、クリシュナ・メノンは、
気づきが自分であることを端的に教えてくれました。

気づきとは「私−原理」だと。

気づきが存在しなくなることはない。

気づきと存在は、まったくの同義語だから。

もし気づきが存在しなかったら、心配する“わたし”の存在可能性
が存在しなくなる。(*^_^*)

そしたら、“わたし”が心配する夢も存在しなかったでしょう。

現れたり消えたりするものは現象(=見かけ)であって、もともと
存在してはいません。

心配する“わたし”(エゴ)が現象しているということが、気づき
が実在している何よりの証拠です。

心配という想念は、気づきを背景として現れているのだから。

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 あなたがあなたを含むすべての証明なのだということを、まず悟
 るべきだ。
 あなたの存在を証明できるものは何もないのだ。
 なぜなら、他者の存在もあなたによって確認されなければならな
 いからだ。
 あなたは完全に、あなた自身によって在るのだということを覚え
 ておきなさい。
 あなたはどこからも来なかったし、どこへも行かない。
 あなたは時間を超えた存在、そして気づきなのだ。
 
 『私は在る』(p178)
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これ以上の説明が必要でしょうか?

> あなたの存在を証明できるものは何もないのだ。

心配する“わたし”は、気づきが存在しているがゆえに在る。

> なぜなら、他者の存在もあなたによって確認されなければならな
> いからだ。

気づきであるわたしが存在するがゆえに、“わたし”も心配できる
のです。

言い換えれば、“わたし”の心配そのものが、気づきであるわたし
の存在を証明しています。

そしてじつは、それ以外に気づきの存在を証明するものはない。

これが、

色即是空

空即是色

です。(*^_^*)

> あなたは完全に、あなた自身によって在るのだということを覚え
> ておきなさい。

ありがとうございます。

(-||-)

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 あなたは在る。
 ほかのすべては現れにすぎない。
 
 『私は在る』(p421)
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はい。

(-||-)

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 永久的なもの、それはあなた自身の存在である。
 真我として在りなさい。
 それが至福である。
 あなたはいつもそれなのである。
 
 『あるがままに』(p58) 
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……。(-_-)

ありがとうございました。<(_ _)>

(-||-)

今日はこんなところで。

……。

m(_ _)m


       ………○…………○…………○………


『私は在る』の「目次」はここ↓に置いてあります。
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ときどき「ニサルガ辞書」で遊んでみてください。
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おこがましくも『アセ通』既刊号はすべてここに置いてあります。
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       ………○…………○…………○………


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■ 2.ラングフォードの言葉:【第四章 解放を求める欲望】(2)
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『The Most Direct Means to Eternal Bliss』
(『永遠の至福への最も直接の手段』)の順次紹介をつづけます。

今のわたしにとってこれが一番重要な章だと思っています。

何事も、最初に最難関があります。

はじめのなかに、結果はすべて含まれているのですから。

ラングフォードは、じつに懇切丁寧に伝えてくれています。

わたしが知るかぎり、これほど丁寧に、これほど肝心なことを教え
てくれている本はないと思います。

ある意味で、これは奇跡のような本なのです。

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(本文は配信メルマガでお読みください。)

 『The Most Direct Means to Eternal Bliss』(p43-47)
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今回は、ここまでです。

> 54. 自由を求めるきわめて強烈な欲望が起こる以前は、自分は見
>   ることができると思っていても実際はあなたは盲目なのだ。

この言葉がマインドの煙幕を通り抜けて、わたしに届くかどうかで
すよね。

もし届かなかったら、そして真我の直接体験への飢餓感が起こらな
かったら、起こることはこうだといいます。

> 58. この本のなかの言葉は、あなたにはほとんどあるいはまった
>   く本当の利益にはならないだろう。
> 
> 59. あなたが今読んでいるこの本のここに書かれていることを、
>   エゴが解釈するだろう。
> 
> 60. エゴはここに書かれていることへの反論を編みだすだろう。

と……。(-_-;)

> 71. 水中に捕らえられている誰かを想像しなさい。
>   彼がどれほど懸命に水面まで昇って空気を吸いたがっている
>   ことか?
> 
> 72. 解放を求めるあなたの欲望は、空気を求めるその男の欲望と
>   同じほどに強烈でなければならない。

似たような比喩を、ヒロさん翻訳のグレッグ・グッドの言葉のなか
でも見かけたように思います。

真の覚者に自然に浮かぶ連想なのでしょう。

さもなければ、実際このことは事実ですから。

> 84. もし自由を求めるきわめて強烈な欲望が存在しなかったら、
>   あなたはつねに霊的実習を回避する道を見つけることができ
>   る。

まったくです。

わたしはこのメルマガで、もう十年も油を売っています。(*-_-*)

もちろん、個人としてのわたしなど存在しません。

でも、存在を信じているから十年も油を売ってきたわけです。

そのことを弁解するつもりはありません。

(-||-)

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▼『アセ通』への「私は在る」関連ご意見投稿フォーム:
http://www.formzu.net/fgen.ex?ID=P48750702
というのを作らせていただきました。(^^;)

「私は在る」に関するご意見・ご感想・シェアリング、または単な
るメールなど、ご自由にお書きいただければと思います。


       ………○…………○…………○………


『アセンション館通信』への「ご投稿・情報提供」を歓迎いたします。

▼『アセンション館通信』への情報ご投稿フォーム
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みおさんから、資料請求フォームからの依頼があると伺ったので、
掲載しておきます。(記事はこちら→ http://goo.gl/T0zQkh )

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■ 3.編集後記:
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夏目漱石の『道草』の最後に主人公健三のこんな科白があります。

「世の中に片付くなんてものは殆んどありやしない。
 一遍起こった事は何時迄も続くのさ。
 ただ色々な形に変わるから他にも自分にも解らなくなる丈のこと
 さ」

若いころに知ったこの科白が半ば真理のように残っていました。

でも、片付くことがないのは、現れの世界のことです。

現れの世界(見かけ)への関心が完全に消失すれば、片付く必要が
あるようなことも何もないわけです。

自分の執着以外に、それを邪魔しているものは何もない。

今日はまだまだ明るいようです。

<(_ _)>


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■ 【作者】 『アセンション資料館』主人 pari
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  → メール: pariアットマークjk2.so-net.ne.jp
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