━━━━☆☆☆☆━━━━━━━━━━━━━━ by paritosho ━
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☆☆ ☆☆『アセンション館通信』2014/07/06(第535号)
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☆☆ ☆★ 【気刊】――「私は在る」に導かれ♪――
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◇◇ このメルマガの趣旨 ◇◇
このメルマガはアセンション館主人 pari と称するあるパターンに
浮上している心象風景の報告です。
わたしが在るがゆえに、その光のなかにすべての現象は現れる。
わたしの幸せは在ることのなかにあり、現象のなかにはない。
現象に注意を向けることが夢を見ること、見かけへの努力を放棄し、
何も起こっていないことを思いだすために探求が起こっている。
内容は人畜無害、でも読む人は相当変わっていますね。現在873名
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◇◇ もくじ ◇◇
1.見かけは物語を捏造する文脈
2.ラングフォードの言葉:【第五章
自由を求めるきわめて強烈な欲望を目覚めさせる方法】(1)
3.編集後記
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■ 1.見かけは物語を捏造する文脈
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目を開けて、現れに目を向ければ、季節があり風景があります。
ガラス戸を開ければ、川の音と、曇天下の冷気が入ってくる。
ガラス戸を閉め、目を閉じても、まだある種の感覚が残っている。
その気分も、感覚も、想念も、もちろん気づきの対象です。
わたしではない。
わたしは、それに気づいているだけ。
気づきは在る、ただ在るだけです。
これが無くなることはありえない。
たとえ気づきが存在しない状態があったとしたところで、その状態
を知ることはできないからです。
体験できない状態の存在の有無に、何の意味がある。
あるはずもありません。
(-_-)
さて、またまた一週間が過ぎて、楽しい“アセンション噺”ならぬ
「私は在る」噺に、お付き合いいただく今がやってまいりました。
『アセンション館通信』配達人の pari です。(^^)/
みなさま固有の「私は在る」を、いかがお過ごしでしょうか?
ご承知のように、われわれが通常“自分”と言っているのは、知覚
された対象である「思い」のことです。
セイラー・ボブ・アダムソンがいう「見かけに対する解釈」として、
一瞬一瞬浮上してくる「思い」です。
その解釈が、自分が自前で存在していると誤解して、その解釈にと
って望ましい方向に見かけを導きたいと欲望する。
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心身を乱想して万法を辨肯(はんけん)するには、自身自性は常
住なるかと誤る。
『正法眼蔵(一)』(現成公案)(p55)
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ところが見かけは絶えず変化する。
その見かけを追って、一瞬一瞬浮上してくる解釈もまた絶えず変化
せざるをえない。
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もし行李(あんり)をしたしくして箇裏(こり)に帰すれば、万
法のわれにあらぬ道理あきらけし。
『正法眼蔵(一)』(現成公案)(p55)
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見かけを問題にするかぎり、このイタチごっこの途上のどこかで、
永遠の安らぎに至るという可能性は皆無です。
だから、見かけ(つまり、現象)というのは、永遠の安らぎに至る
ためのプロセスではありえない。
永遠の安らぎというのは、見ている者の本性です。
でもその本来の安らぎを見かけのなかに追求すると、永遠に果てる
ことのない迷路の創造に巻き込まれてしまう。
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幸福になろうとする衝動は正しいものだ。
だが、それを確保しようとする方法が惑わせ、当てにならず、真
の幸福を破壊してしまうのだ。
『私は在る』(p487)
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なるほど。
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マインドが身体に仕えることに従事するとき、幸福は失われてし
まう。
幸福をふたたび得ようとして、快楽のなかに探し求めるのだ。
『私は在る』(p487)
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そうか……。(-_-)
見かけ(つまり、現象)が永遠の安らぎに至るためのプロセスでは
ありえないのだとすれば、それはいったい何なのか?
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世界は華麗にきらめく空虚なショーだ。
それは在り、しかもそれはない。
私が見たいと欲し、それに参加したいと望むかぎり、それはそこ
に在る。
私が気にかけるのをやめるとき、それは溶け去る。
それは原因がなく、何の目的にも仕えない。
それは私たちが放心しているときに起こる。
『私は在る』(p196)
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> それは原因がなく、何の目的にも仕えない。
なるほど。
> それは私たちが放心しているときに起こる。
見かけのなかに幸福を求めて、われを失うとき、それは現れる。
そういうものなのか……。
これについては、HEB(highly evolved being:高度に進化した存在)
について語る『神との対話』の“神”ですら言及しています。
> 人生には(life:生命には)意味はない。
と。
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永遠への旅を続け、<マスター>への道を歩いているとき、あな
たは人生のさまざまな環境や状況、展開に出会う。
そのなかには歓迎したくないものもあるだろう。
そういうとき、ほとんどのひとはいちばんしてはならないこと、
つまり、これはどういう意味なのかを知ろうとする。
何かが起こるには理由があるはずだと考え、理由を探ろうとする
ひとがいる。
ものごとは何かの「しるし」だと言うひともいる。
そこで、何のしるしだろうかと知りたがる。
いずれにしても、ひとは人生で起こる出来事とや経験の意味を知
ろうとする。
だが、じつはどんなものにもまったく意味はない。
人生の出会いや経験に隠された本質的な真実などない。
誰が事実を隠すというのか? なぜ隠すのか?
もし、あなたがたに真実を見つけさせたいのなら、隠すより明ら
かにしておいたほうが効果的ではないか?
もし、神に言いたいことがあるなら、あなたがたに謎解きをさせ
るより、はっきり言うほうがずっと簡単ではないか?
(それに、ずっと親切ではないか?)
じつは、どんなものにも意味はない。
あなたが与える意味以外には。
人生には(life:生命には)意味はない。
多くの人間は受け入れがたいと思うだろうが、これはわたしの最
大の贈り物だ。
人生(life:生命)が無意味だから、あなたがどんな意味でも決
定することができる。
その決定によって、あなたがたは人生のさまざまなもの、あらゆ
るものとの関係を自分で定義する。
じつはこれが、どんな存在であるかを自分で選ぶという経験の意
味(means:手段)だ。
これが自分についていだく最も偉大なヴィジョンの、そのまた最
も壮大なヴァージョンにしたがって新たに自己を創造し、再創造
するという行為だ。
だから、何かが起こったとき、どうしてかと問うのはやめなさい。
どうして起こったかを自分で決めなさい。
選んだり決定することができなければ、でっちあげなさい。
どうせそうするのだから。
『神とひとつになること』(p193-195)
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> だから、何かが起こったとき、どうしてかと問うのはやめなさい。
> どうして起こったかを自分で決めなさい。
> 選んだり決定することができなければ、でっちあげなさい。
> どうせそうするのだから。
どうやら、この神様はとても正直みたい。(^_-)
ジニャーニ的観点からすれば、見かけは「原因がなく、何の目的に
も仕えない」ものです。
でも、敢えてマインドの観点から、見かけの本質を定義するなら、
それは「物語の文脈」を提供することだと言えるでしょう。
見かけ(現象世界)は、物語を捏造する文脈として現れている。
人間は物語に耽溺した在り方だから、人間は世界のなかに住んでい
るというわけですよね。
そしてその文脈のなかで「私」と「私のもの」を創り、その立場か
ら幸福と不幸を分別し、自ら不幸になって、幸福を求めている。
それが人間の在り方だということでしょう。
「私」と「私のもの」は知覚対象なのだから、それ自体で独立して
存在しているものではない。
それは知覚されなければ現れることができない。
すべての物語は、実在の光のなかに現れています。
実在(気づき)が放心して(われを忘れて)、現れに自己同化する
ときだけ、物語が現れる……わけでしょうね。
世界が現れているとき、つまり物語が現れているとき、実在は忘却
されている。
実在があるとき、物語は現れることはできない。
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実在が在るためには、「私」と「私のもの」という観念は去らな
ければならない。
あなたが手放しさえすれば、それらは去るだろう。
そうすれば、あなたの正常で自然な状態はふたたび現れる。
そのとき、あなたは身体でもマインドでもなく、「私」でも「私
のもの」でもない、まったく異なった存在の状態に在るのだ。
それは、あれやこれとしての存在ではなく、特定の、あるいは一
般的な何かとの自己同一化のない、純粋な存在の気づきだ。
意識の純粋な光の中には何も存在しない。
無という概念すらない。
そこにはただ光があるだけだ。
『私は在る』(p404)
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> 実在が在るためには、「私」と「私のもの」という観念は去らな
> ければならない。
わかります。
> あなたが手放しさえすれば、それらは去るだろう。
「あなたが手放しさえすれば」……。
そうなのですね。
そうすれば……、
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そこには喜ばしい気づきがある。
だが、誰も喜んでいる人はそこにいない。
もちろん、アイデンティティの感覚はある。
しかし、それは一連の記憶のアイデンティティ、不変のスクリー
ン上の画像の連鎖とのアイデンティティのようなものなのだ。
光とスクリーンなしに画像はありえない。
画像がスクリーン上の光の戯(たわむ)れであると知ることは、
画像が実在だという観念からの解放を与えてくれる。
『私は在る』(p406)
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ありがとうございました。
(-||-)
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あなたは在る。
ほかのすべては現れにすぎない。
『私は在る』(p421)
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はい。
(-||-)
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永久的なもの、それはあなた自身の存在である。
真我として在りなさい。
それが至福である。
あなたはいつもそれなのである。
『あるがままに』(p58)
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……。(-_-)
ありがとうございました。<(_ _)>
(-||-)
今日はこんなところで。
……。
m(_ _)m
………○…………○…………○………
『私は在る』の「目次」はここ↓に置いてあります。
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ときどき「ニサルガ辞書」で遊んでみてください。
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おこがましくも『アセ通』既刊号はすべてここに置いてあります。
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■ 2.ラングフォードの言葉:【第五章
自由を求めるきわめて強烈な欲望を目覚めさせる方法】(1)
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『The Most Direct Means to Eternal Bliss』
(『永遠の至福への最も直接の手段』)の順次紹介をつづけます。
ラングフォードは、強烈な覚醒に対する熱望が起こるまで、この章
を毎日読むようにと言っています。
覚醒を求める強烈な熱望というのが何を意味するかは、今回の翻訳
部分(22と23)で説明されています。
予断を与えたくはありませんが、これがけっこう難しい。(*-_-*)
そりゃ、十回や二十回くらいは熱心に読めますよ。
でも、マインド的には(つまりエゴからすれば)、何が書いてある
かを知っているわけです。
レトリックに対する知的興味で読みつづけることはできません。
それがなくてもなおかつ読めるか?
よければ試してみて、結果を教えてください。
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(本文は配信メルマガでお読みください。)
『The Most Direct Means to Eternal Bliss』(p52-55)
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今回は、ここまでです。
ここには、以下の内容が書かれています。
> 14. 選択肢Bをもっとよく検討するために、あなたは人間の苦し
> みが取るあらゆる形態のリストを作ってもいい。
>
> 15. あなたはそのリストに、自分が思いつくかぎりの何千もの戦
> 争、何千もの病気、何千もの暴力の形を書くことができる。
> 人間は通常、人間の苦しみの海の小さな部分しか見ない。
> このリストの目的は人間の苦しみの大海の全体像、人生の否
> 定的側面の全体像をひと目で見渡すことだ。
> このリストの目的は選択肢Bの結果を見ることだ。
これを実際に試みる人も、ごくごくわずかだろうと想像します。
わたしはまだやっていません。(*-_-*)
マインドが創りだす煙幕を破るには何らかの意味での強さ、堅固さ、
誠実さのようなものが必要なのでしょうね。
マハラジが、実在に比べれば「ダイヤモンドさえもバターのように
柔らかい」と言っていますから。
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私たちが想念と呼ぶものは、マインドのなかのさざ波にすぎない。
マインドが静かなとき、それは実在を反映する。
マインドが徹底的に不動であるとき、それは消え去り、ただ実在
だけが残るのだ。
この実在は非常に堅固であり、現実であり、マインドや物質より
も実質的なものだ。
それに比べればダイヤモンドさえもバターのように柔らかい。
この圧倒的な実在の現実性が、世界を夢のように霧のかかった無
意味なものにするのだ。
『私は在る』(p503)
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……。
ラングフォードはわれわれをここに連れて行きたいのでしょうね。
(-||-)
………○…………○…………○………
▼『アセ通』への「私は在る」関連ご意見投稿フォーム:
http://www.formzu.net/fgen.ex?ID=P48750702
というのを作らせていただきました。(^^;)
「私は在る」に関するご意見・ご感想・シェアリング、または単な
るメールなど、ご自由にお書きいただければと思います。
………○…………○…………○………
『アセンション館通信』への「ご投稿・情報提供」を歓迎いたします。
▼『アセンション館通信』への情報ご投稿フォーム
http://www.formzu.net/fgen.ex?ID=P87119518
………○…………○…………○………
みおさんから、資料請求フォームからの依頼があると伺ったので、
掲載しておきます。(記事はこちら→ http://goo.gl/T0zQkh )
『乳酸菌発酵食品資料請求フォーム』
http://my.formman.com/form/pc/uIHqH7Nz40FzSYYe/
………○…………○…………○………
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■ 3.編集後記:
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普段、自分がどうのこうのと言っていても、それは全部、知覚対象
である「思い」のことなんだな、とつくづく思います。
その意味の“自分”の観点のなかにしか問題も何もない。
その自分に焦点をあわせることが問題を創造すること、夢を見るこ
となんなぁと思います。
人間は物語が好きで、不幸が好きなのでしょう。
そうすれば、物語を紡ぐことができるから。
今日はまだまだ明るいようです。
<(_ _)>
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■ 【作者】 『アセンション資料館』主人 pari
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→ メール: pariアットマークjk2.so-net.ne.jp
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