home > 通信 >『アセンション館通信』第537号:欲望が選択するのだ



━━━━☆☆☆☆━━━━━━━━━━━━━━ by paritosho ━
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 ☆☆     ☆☆『アセンション館通信』2014/07/20(第537号)
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☆☆      ☆★ 【気刊】――「私は在る」に導かれ♪――
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 ☆☆   ☆☆          https://www.ascensionkan.com/
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◇◇ このメルマガの趣旨 ◇◇

このメルマガはアセンション館主人 pari と称するあるパターンに
浮上している心象風景の報告です。

わたしが在るがゆえに、その光のなかにすべての現象は現れる。
わたしの幸せは在ることのなかにあり、現象のなかにはない。

現象に注意を向けることが夢を見ること、見かけへの努力を放棄し、
何も起こっていないことを思いだすために探求が起こっている。

内容は人畜無害、でも読む人は相当変わっていますね。現在874名
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◇◇ もくじ ◇◇

1.欲望が選択するのだ

2.ラングフォードの言葉:【第六章 
              気づきを見守る気づきの発見】(1)

3.編集後記
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■ 1.欲望が選択するのだ
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雨ですね。

現象世界はとてもエネルギーが乱れているみたいです。

夢のなかにはそういう場面もあるのでしょう。

乱れている場面があれば、静かな場面もある。

どちらもただの見かけです。

幸せは、わたしが内側を見ていることにある。

わたしの存在がまったく見かけの形に依存しないことにあります。

いまは放心しているから、世界はあります。(^^;)

でも世界が存在しているのはわたしが注目しているから。

わたしが気にしなくなれば、それはあってもなくても同じです。

部屋の片隅にある消し忘れたテレビの画面にすぎない。

いずれにせよ、ただの見かけです。

(*^_^*)

さて、またまた一週間が過ぎて、楽しい“アセンション噺”ならぬ
「私は在る」噺に、お付き合いいただく今がやってまいりました。

『アセンション館通信』配達人の pari です。(^^)/

みなさま固有の「私は在る」を、いかがお過ごしでしょうか?

早速ですが。

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 在ることとは苦しむことなのだ。
 自己同一化の輪が狭いほど、欲望と恐れによって生じた苦しみは
 より激しいものとなるのだ。
 
 『私は在る』(p531) 
------------------------------------

……。(-_-)

> 在ることとは苦しむことなのだ。

以前、英語がどうなっているのか気になって、調べたことがありま
した。

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 To be is to suffer.
 The narrower the circle of my self-idenfification, the 
 more acute the suffering caused by desire and fear.
 
 『I AM THAT』(p512) 
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モーリス・フリードマンさんが、マハラジの対話音源から翻訳した
英語はこうでした。

> To be is to suffer.

紛れもないですねぇ。(-_-)

この章の対話は、改めて読んでみるととても面白いです。

> 在ることとは苦しむことなのだ。

この言葉の前後では、どんな対話がなされていたのか。

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 質問者 人は自分自身の罪だけのために苦しむのでしょうか?
 
 マハラジ
 人は自分自身が何であると考えるかにしたがって苦しむ。
 あなたが人類とひとつであると感じるならば、あなたは人類とと
 もに苦しむのだ。
 
 質問者 では、宇宙とひとつだと主張しているあなたにとって、
     時間的にも空間的にも苦しみはかぎりないものなのです!
 
 マハラジ
 在ることとは苦しむことなのだ。
 自己同一化の輪が狭いほど、欲望と恐れによって生じた苦しみは
 より激しいものとなるのだ。
 
 質問者 キリスト教は苦しみを、浄化し気高くするものとして受
     け入れています。一方、ヒンドゥー教はそれを毛嫌いし
     ているようです。
 
 マハラジ
 キリスト教は言葉を構成するひとつの方式であり、ヒンドゥー教
 はまた別の方式なのだ。
 実在は言葉の背後に、そしてその彼方にある。
 それは伝達不可能でありながら直接体験され、マインドに爆発的
 影響を及ぼすものなのだ。
 他に何も望むものがないとき、実在は容易に手に入る。
 非実在は想像によって創造され、欲望によって永続されるのだ。
 
 『私は在る』(p531)
------------------------------------
 
……。(-_-)

なにか、この対話ですべてが語られているようにも思えます。

> 人は自分自身が何であると考えるかにしたがって苦しむ。

(-_-)

……そういうことなんですね。

> 在ることとは苦しむことなのだ。

この「在ること」は、現象世界のなかで「在ること」、つまり夢の
なかで定義を担って、何者かとして在ることの意味でしょうか?

つまり、覚者にとっては夢のなかに入ってくることとか……。

存在そのもの、実在自体は空であり、現れに対する自己同化はない。

定義を担わない空には、苦しむこともまたありえない。

まさに「人は自分自身が何であると考えるかにしたがって苦しむ」
のですね。

> 自己同一化の輪が狭いほど、欲望と恐れによって生じた苦しみは
> より激しいものとなるのだ。

リアリティ、ありますよね。

> 実在は言葉の背後に、そしてその彼方にある。

そうか、苦しみは言葉のなかにあるとも言えるのですね。

言葉のなか、定義のなか、物語のなかに。

定義は身体にしか属さないから、苦しみは何らかのボディに対する
自己同化の派生物、というということになるでしょうか。

そして、理解すれば、人は定義への執着を手放すことができる。

こだわりは、すべて言葉のなかで捏造されたものにすぎないから。

だから、言葉が生み出す幻影への執着を手放せば、気づきは本来の
定義を担わない自由に戻ることができる。

> それは伝達不可能でありながら直接体験され、マインドに爆発的
> 影響を及ぼすものなのだ。

自分以外にそれを邪魔しているものはいない、とはよく言われるこ
とです。(*-_-*)

> 他に何も望むものがないとき、実在は容易に手に入る。

そのためには、現象にフォーカスするこれまでの長年の癖を手放す
必要があるんでしょうね。

> 非実在は想像によって創造され、欲望によって永続されるのだ。

じつに、明確ですね。

(-||-)

そしてこの前の部分ではこんな対話がなされています。

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 質問者 どうして愛は選択するのでしょうか?
 
 マハラジ
 愛は選択しない。
 欲望が選択するのだ。
 愛のなかに他者はいない。
 利己主義の中心がもはやないとき、すべての快楽への欲望と苦痛
 への恐れはやむ。
 人はもはや幸福であることに興味を持たなくなる。
 幸福を超えたところに、純粋で強烈な、無尽蔵のエネルギー、永
 久に枯渇することのない源から与えることの歓喜があるのだ。
 
 『私は在る』(p530)
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> 愛は選択しない。
> 欲望が選択するのだ。

(>_<)

もう、何をか言わんや、ですね。

これほどはっきりしているわけです。

> 愛のなかに他者はいない。

いい状況も、悪い状況も、そこにはありえない。(-_-)

> 利己主義の中心がもはやないとき、すべての快楽への欲望と苦痛
> への恐れはやむ。

(-_-)

> 人はもはや幸福であることに興味を持たなくなる。

ああ……。

> 幸福を超えたところに、純粋で強烈な、無尽蔵のエネルギー、永
> 久に枯渇することのない源から与えることの歓喜があるのだ。

(-||-)

------------------------------------
 あなたは在る。
 ほかのすべては現れにすぎない。
 
 『私は在る』(p421)
------------------------------------

はい。

(-||-)

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 永久的なもの、それはあなた自身の存在である。
 真我として在りなさい。
 それが至福である。
 あなたはいつもそれなのである。
 
 『あるがままに』(p58) 
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……。(-_-)

ありがとうございました。<(_ _)>

(-||-)

今日はこんなところで。

……。

m(_ _)m


       ………○…………○…………○………


『私は在る』の「目次」はここ↓に置いてあります。
https://www.ascensionkan.com/books/I_AM_THAT-index.html

ときどき「ニサルガ辞書」で遊んでみてください。
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おこがましくも『アセ通』既刊号はすべてここに置いてあります。
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       ………○…………○…………○………


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■ 2.ラングフォードの言葉:【第六章 
               気づきを見守る気づきの発見】(1)
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『The Most Direct Means to Eternal Bliss』
(『永遠の至福への最も直接の手段』)の順次紹介をつづけます。

ラングフォード師がマニュアルにまで凝縮した彼の知見の精髄とも
言える本書には、どこといって無駄なところはありません。

しかもなお、この章は本書のひとつの山場と言えるでしょう。

ここをはじめて読んだときは、迫り来る予感、という感じでした。

ここには、ラングフォードがはじめて疑問の残らない「私は在る」
の明確な意味を突き止める場面が叙述されています。

このメルマガでこの部分をご紹介できるのは、名誉なことです。
(むろん、名誉は夢のなかにしかありませんけど。(^^;) )

マハラジがいう「私は在る」の真意とは何か?

メルマガを読んでくださっている方のなかにも、それに重大な関心
を寄せておられる方はきっといると思います。

この章で、その疑問は完全に払拭されるはずです。

そして「内側を見る」という言葉の意味が完全に明確になるだろう
と思います。

では、ラングフォードの「私は在る」の発見の物語の始まりです。

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(本文は配信メルマガでお読みください。)

 『The Most Direct Means to Eternal Bliss』(p61-64)
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今回は、ここまでです。

>  2. 彼は二千冊を超える霊的文献を読んでいた。
> 
>  3. 彼はアメリカとインドの多くの霊的教師から指示を受けてい
>    た。
> 
>  4. 最も霊的な教えの本質が注意の焦点を「私は在る」に合わせ
>    ることであるのは明瞭だった。

しかもなお、“注意の焦点を「私は在る」に合わせる”ということ
の意味を自得していないと、彼は感じていた……。

そういうエネルギーがこのような書を著すことになるのですね。

>  7. ヒンドゥ教におけるこの現代の一例は、シュリ・ニサルガダ
>   ッタ・マハラジだ。

この一行に出合ったときは、嬉しかったです。(*-_-*)

> 40. 著者が求めていたのは、あまりに明白で、何ひとつ曖昧なと
>   ころのない、他に選択肢が残こらないような理解だった。
> 
> 41. 著者は本当にその答えが知りたかった。

苦しむ人類の触覚の尖端として模索してくださっていたのでしょう。

(-||-)

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▼『アセ通』への「私は在る」関連ご意見投稿フォーム:
http://www.formzu.net/fgen.ex?ID=P48750702
というのを作らせていただきました。(^^;)

「私は在る」に関するご意見・ご感想・シェアリング、または単な
るメールなど、ご自由にお書きいただければと思います。


       ………○…………○…………○………


『アセンション館通信』への「ご投稿・情報提供」を歓迎いたします。

▼『アセンション館通信』への情報ご投稿フォーム
http://www.formzu.net/fgen.ex?ID=P87119518


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みおさんから、資料請求フォームからの依頼があると伺ったので、
掲載しておきます。(記事はこちら→ http://goo.gl/T0zQkh )

『乳酸菌発酵食品資料請求フォーム』
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■ 3.編集後記:
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雷が鳴り終わったので、またコンピュータを点けました。

山里では今日は一日、上天が靄のなかです。

pariパターンの頭のなかと同じです。

まあ、靄のなか、夢のなかだから、こうやっていつまでも書きつづ
けられるのでしょう。(*-_-*)

今日はまだまだ明るいです。

<(_ _)>


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■ 【作者】 『アセンション資料館』主人 pari
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  → メール: pariアットマークjk2.so-net.ne.jp
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