home > 通信 >『アセンション館通信』第538号:『樅ノ木は残った』の「断章」



━━━━☆☆☆☆━━━━━━━━━━━━━━ by paritosho ━
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 ☆☆     ☆☆『アセンション館通信』2014/07/27(第538号)
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☆☆      ☆★ 【気刊】――「私は在る」に導かれ♪――
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 ☆☆   ☆☆          https://www.ascensionkan.com/
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◇◇ このメルマガの趣旨 ◇◇

このメルマガはアセンション館主人 pari と称するあるパターンに
浮上している心象風景の報告です。

わたしが在るがゆえに、その光のなかにすべての現象は現れる。
わたしの幸せは在ることのなかにあり、現象のなかにはない。

現象に注意を向けることが夢を見ること、見かけへの努力を放棄し、
何も起こっていないことを思いだすために探求が起こっている。

内容は人畜無害、でも読む人は相当変わっていますね。現在873名
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◇◇ もくじ ◇◇

1.『樅ノ木は残った』の「断章」

2.ラングフォードの言葉:【第六章 
              気づきを見守る気づきの発見】(2)

3.編集後記
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■ 1.『樅ノ木は残った』の「断章」
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毎日暑いですね。

苦しみは現象に焦点を合わせ、現象のなかでより快適な解決を求め
ることにある。

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 在ることとは苦しむことなのだ。
 自己同一化の輪が狭いほど、欲望と恐れによって生じた苦しみは
 より激しいものとなるのだ。
 
 『私は在る』(p531) 
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……。(-_-)

ふふ……。

あまり世の中に役に立つメッセージを送っているとは、われながら
思えない。(^_-)

(*^_^*)

さて、またまた一週間が過ぎて、楽しい“アセンション噺”ならぬ
「私は在る」噺に、お付き合いいただく今がやってまいりました。

『アセンション館通信』配達人の pari です。(^^)/

みなさま固有の「私は在る」を、いかがお過ごしでしょうか?

ちょっと日和見して、現象世界の話題にでも触れましょうか。

2014年7月17日、オランダからマレーシアに向かっていたマレーシア
航空17便ボーイング777型機がウクライナ東部で墜落したそうです。

乗客乗員298人を乗せていた機体が、高度一万メートルで撃墜された
のだとか。

いま【マレーシア航空機】とググルとこの記事↓がトップに来ます。

【マレーシア航空機撃墜、プーチンは同じ歴史を繰り返した】
http://goo.gl/zf69jp

ハフィントン・ポストの記事です。

NHKでこの撃墜のニュースをはじめて聞いたとき、誰が乗っていた
んだろう?、と思いました。

すぐに、エイズの専門家集団が乗っていたと報道されました。

たぶん、その人たちを殺すことが目的だったのかも、という思いが
よぎりました。

シャーラに言ってもバカにされるだけなので、言ったか、言わなか
ったか……。

もちろん、何の根拠もありませんけど、

この事件で現在プーチンさんの国際的評価がが苦しくなってるみた
いですね。

ロッキード事件に遭遇した田中角栄氏と同じで、プーチンさんきっ
と、しまった、ユダヤにやられた!、と思っていることでしょう。

さっき、滝沢泰平さんのブログを覗いてみました。

まるで、打てば響くようにこんな記事が掲載されていました。

【マレーシア航空機の撃墜事件は偽旗作戦】
http://ameblo.jp/pure-tenkataihei/day-20140725.html

陰謀論が好きなpariパターンのマインドが満足する、とても包括的
な説明でした。

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 まだ世の中全体では「911の自作自演テロは、実際はCGで映像が
 作られていて航空機は飛んでいなかった」ということを知ってい
 る人は少ないようですが、今回の事件もまた同じ手法で、どうや
 ら実際にはマレーシア航空機は空中で撃墜されたどころか、そも
 そも空を飛んでいなかったという疑惑が浮上しています。
 
 http://ameblo.jp/pure-tenkataihei/day-20140725.html
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はは。(*^_^*)

さらに、
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 また、撃墜後に親露派のメンバーとロシアの工作員が行った通信
 を傍受して録音したとされる証拠音声をウクライナ政府が公開し
 ましたが、この動画は撃墜される前日16日に作成されたものとい
 うこともバレてしまいました。
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今回撃墜された「ボーイング777型機」の報道証拠写真と、
http://livedoor.blogimg.jp/tackeypeace/imgs/a/0/a06ae56c.jpg

実際の「ボーイング777型機」のエンジン部分の大きさの違うこと。
http://livedoor.blogimg.jp/tackeypeace/imgs/8/1/81151771.jpg

ちょっと陰謀側も“手抜き”じゃないかと思われるほどですが、そ
れでもいままで、けっこう、通用しているわけですものね。

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 極めつけは、現場の遺体であり、写真を見るだけで怪しい違和感
 のある遺体現場ですが、どうやらこれは実際の“遺体役(クライ
 http://livedoor.blogimg.jp/tackeypeace/imgs/5/1/51c9a466.png
 シス・アクター)”の俳優を使った演出の可能性があり、実際に
 遺体で写っていたと思われる人物が現場でピンピン生きている姿
 も目撃されています。
 http://livedoor.blogimg.jp/tackeypeace/imgs/8/3/836e3906.png
 
 航空機の嘘は「911」と同じ手法で、遺体の嘘は「ボストン・マラ
 ソン」の時と同じ手法ですね。
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ったくもう。(-_-)

でも、暴露のテンポが、速くなってますよね。

現象世界での、プーチンさんの復権も早いのかもしれません。

……。

“夢”……とか“次元”ということを思うんです。

こんなこと、知的に納得したってほとんど何の役にも立たないのか
もしれませんけど……。

でも、マインドにできることがあるのだとすれば、それはただ自分
が夢を見ているということを、知ることだけかもしれませんし。

> あなたがするべきことは、夢を夢として見ることなのだ。

と教わっていますから。

われわれの日常の生活空間があります。

日常生活とは、身体に提供される食べ物と、マインドに提供される
情報からなっているのでしょう。

そしてそれらの妄想を継続させるための性欲があります。

まあ、主としてこの三つの夢の材料にかかずらって生きる状態のこ
とを人間というのでしょう。

いずれも知覚対象、つまり“知られるもの”であって、“知る者”
ではありません。

そのこと自体は現象世界のどこまでいっても同じですよね。

昔、山本周五郎の『樅ノ木は残った』を読んでいて、思ったことが
あります。

この小説の所々に「断章」と書かれた連番の章が挿入されています。

「断章(一)」などといったふうに。

そこでは誰とも明示されていない人物と、その家来らしき相手との
対話だけが記されています。

(そこだけ他の普通の章とまったく雰囲気が違うのです。

 それは文学的な意味では、ある種の表現手法の発明でしょう。

 あるいは、山本周五郎さんは西洋文学からとても貪欲に取り入れ
 たそうですから、そこから学ん面もあるかもしれませんが。)

読み進めるうちにその密談の主が伊達兵部という人物(とその腹心
新妻隼人)であることが類推されるようになっています。

伊達兵部という人物が欲に駆られたことで、江戸時代三番目の雄藩
伊達六十二万石の滅亡の危機、「伊達騒動」が起こるわけです。

つまり、この「断章」の記述は、当時の伊達藩の庶民たちにとって
は知るべくもない“雲の上の”現実を描いているわけです。

とはいえ、この「断章」で描かれるような経緯によって庶民の生活
が左右される可能性があるのも事実です。

すると、ここには一種暴力的な意味での“包含関係”が存在するよ
うでもある。

庶民の生活が“日常言語”なら、「断章」は一種の“メタ言語”と
も言えます。

これは物理的説明ではまったくありませんが、ある意味で“異次元”
を叙述しています。

で、この場合、「断章」の方が、ほかの普通の章より、より高度な
現実を描いているというわけではないのは自明です。

庶民の生活より、政治家の活動のほうが“より高度な現実”という
わけでないのは自明でしょう。

でもどうかすると、庶民の生活の背後には、そういう政治家の活動
の経緯が織り込まれていたりするわけです。

現象という“夢”の構造体のなかでは。

現象構造体の多次元構造というのは、そういうことですよね。

当時の伊達藩の庶民は、伊達兵部の陰謀を知らないからバカなわけ
ではない。

そんなお上の陰謀とはまったく無関係に、子供は虫取りをして遊び、
若者は恋をしたりしているわけです。

そのほうがかえって、「断章」で語られた“擬似現実”などよりは、
むしろリアルな現実かもしれない。

まあ、この「断章」を読んでいて、そんな感じを受けたのです。

もしかしたら、山本周五郎の明示されない主張のなかに、そういう
視点が表現されていたのかもしれません。

昔、山本周五郎の傑作『樅ノ木は残った』を読んでいて、そんなこ
とを思ったことがありました。

ところが、軽佻浮薄なpariパターンのマインドは、そのあとじきに
いわゆる“上位次元”とやらの“擬似現実”にコロットやられます。

何となく“優良星”とやらからくるメッセージのほうが“劣等星”
の地球の現実より高級で真実に近いのか、などと思ってしまう。

ついつい、何らかの比較マインドに足を取られるわけです。

「911の自作自演テロは、実際はCGで映像が作られていて航空機は
飛んでいなかった」と言われると、知ってた、とか思ったり。(^_-)

これは、「断章」の“擬似現実”のほうが、“子供の虫取り遊び”
より高級、という幻想ですよね。

“優良星”の夢も、“劣等星”の夢も、同じく夢です。

そりゃ、“優良星”の夢のほうが、多次元宇宙現象構造体のなかで
“劣等星”の夢より包含関係で上位にあるのかもしれない。

あるいは、Dさんが夢見ていたように、その関係は逆かもしれない。

でも、いずれにしても、どれも同じく、夢なんです。

夢の“上下比較”の根拠を、夢のなかに求めたって。(^^;)

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 あなたがするべきことは、夢を夢として見ることなのだ。
 
 どこであろうと、それが導くところ、それは夢だ。
 夢を超えていこうとする考えそのものが幻想なのだ。
 なぜどこかへ行かなければならないのか?
 あなたはただ世界という夢を見ているのだ、ということを悟りな
 さい。
 そして、出口を探すのはやめなさい。
 夢があなたの問題なのではない。
 問題は、あなたが夢のなかのある部分が好きで、別の部分が嫌い
 だということだ。
 すべてを愛すがいい。
 あるいは何も愛さないことだ。
 そして不平を言うのはやめなさい。
 あなたが夢を夢として見たとき、為(な)すべきことはすべて為
 し終えたのだ。
 
 『私は在る』(p135)
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……。

(-||-)

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 夢を夢として見るとき、あなたは目覚める。
 だが、私はあなたの夢自体には興味がない。
 私にとっては、あなたが目覚めなければならないと知ることだけ
 で充分だ。
 夢の人生において一定の成果をあげる必要はないのだ。
 あるいは、それを高尚なものにしたり、幸福で美しいものにした
 りする必要もない。
 あなたに必要なことはただ、夢を見ているということを自覚する
 ことなのだ。
 想像することをやめなさい。
 信じるのをやめなさい。
 矛盾と不調和、虚偽と悲しみの人間の状態を見るがいい。
 そして、それらを超えていく必要性を見なさい。
 
 『私は在る』(p277)
------------------------------------

はい。(-_-)

(-||-)

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 夢は同じではない。
 だが、夢見る人はひとりだ。
 夢のなかでは、私が昆虫であり、私が詩人なのだ。
 私は光だ。
 その光のなかで、すべての夢が現れては消える。
 私は夢の内側と外側だ。
 頭痛もちの人がその痛みを知り、また自分がその痛みではないこ
 とを知っているように、私も夢を知り、私自身が夢を見、また見
 ないことを同時に知っている。
 私は私で在る。
 夢の前も、夢の間も、夢の後も。
 だが、私が夢のなかで見ることは、私ではないのだ。
 
 『私は在る』(p135)
------------------------------------

はい。(-_-)

(-||-)

------------------------------------
 あなたは在る。
 ほかのすべては現れにすぎない。
 
 『私は在る』(p421)
------------------------------------

はい。

(-||-)

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 永久的なもの、それはあなた自身の存在である。
 真我として在りなさい。
 それが至福である。
 あなたはいつもそれなのである。
 
 『あるがままに』(p58) 
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……。(-_-)

ありがとうございました。<(_ _)>

(-||-)

今日はこんなところで。

……。

m(_ _)m


       ………○…………○…………○………


『私は在る』の「目次」はここ↓に置いてあります。
https://www.ascensionkan.com/books/I_AM_THAT-index.html

ときどき「ニサルガ辞書」で遊んでみてください。
https://www.ascensionkan.com/ndic/

新しい「ラマナ・マハルシ辞書」はここです。
https://www.ascensionkan.com/rdic/

おこがましくも『アセ通』既刊号はすべてここに置いてあります。
https://www.ascensionkan.com/mm/


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■ 2.ラングフォードの言葉:【第六章 
               気づきを見守る気づきの発見】(2)
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『The Most Direct Means to Eternal Bliss』
(『永遠の至福への最も直接の手段』)の順次紹介をつづけます。

『The Most Direct Means to Eternal Bliss』(http://p.tl/_sLJ)
(『永遠の至福への最も直接の手段』)の順次紹介をつづけます。

今回、ついに、ラングフォード師はマハルシやマハラジが伝えてい
る「私は在る」の真意を発見するに至ります。

求めよさらば与えられん、とはこういうことかという場面です。

ラングフォードの「私は在る」発見の場面を、ご覧ください。

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(本文は配信メルマガでお読みください。)

 『The Most Direct Means to Eternal Bliss』(p65-67)
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今回は、ここまでです。

ラングフォードの場合、遥か彼方の“絶対の気づき”という観念が
強かったらしいです。

> 56. 何やら未知の、はるか遠くにあるらしい無限の自己とか神と
>   かいうラベルが付いた気づきではない。

そういう観念を知らなかったpariパターンの場合は、こういう感じ
は経験したことはありません。

> 57. この気づき、私の気づきが、今ここでそれ自身を見守る。
>   そしてその間、思考や身体や世界などを無視するのだ。

この観念自体がラングフォードにとって大発見だっために、彼はす
ぐさま次の実質的な段階に進めたのですね。

> 58. この著者は、すぐに次の実習を試みた。(59-65):

これが、常人と違うところです。

熟していたというのか。

> 59. 注意を思考から引き離して、それを気づきを見守る気づきに
>   向ける。
> 
> 60. この著者は目を閉じた。
>   なぜなら世界を無視することも要点だったからだ。
> 
> 61. 通常は外側の世界に向かっている注意を、180度回転させて
>   内側を見る。

嬉しそうですね。

> 62. 注意を思考や感覚や欲望から引き離し、それを気づきを見守
>   る気づきに向ける。
> 
> 63. もし著者が思考に気づいたら、彼はその思考を無視して、注
>   意を気づきを見守る気づきに戻した。
> 
> 64. 他のものをいっさい排除して、気づきに注意を払っている気
>   づき。

ワクワク感が伝わってきます。

> 65. それ自身にのみ注意を払っている気づき。
> 
> 66. その結果は即座だった!
> 
> 67. この実習を試みるまさに最初の瞬間から、人は気づきとして
>   とどまっている。
> 
> 68. 待つ必要はないのだ。
> 
> 69. それは簡単だ。

誰もが最初からこういう感じを味わえるわけではないでしょう。

でも、【内側を見る】という言葉の真意は、ここで確実に把握され
そして表現されたわけです。

(-||-)

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▼『アセ通』への「私は在る」関連ご意見投稿フォーム:
http://www.formzu.net/fgen.ex?ID=P48750702
というのを作らせていただきました。(^^;)

「私は在る」に関するご意見・ご感想・シェアリング、または単な
るメールなど、ご自由にお書きいただければと思います。


       ………○…………○…………○………


『アセンション館通信』への「ご投稿・情報提供」を歓迎いたします。

▼『アセンション館通信』への情報ご投稿フォーム
http://www.formzu.net/fgen.ex?ID=P87119518


       ………○…………○…………○………


みおさんから、資料請求フォームからの依頼があると伺ったので、
掲載しておきます。(記事はこちら→ http://goo.gl/T0zQkh )

『乳酸菌発酵食品資料請求フォーム』
http://my.formman.com/form/pc/uIHqH7Nz40FzSYYe/


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■ 3.編集後記:
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毎日暑いですね。

北国生まれのわたしには、寒さに対抗する感覚ばかりあって、夏が
苦手という感じは、まったくありませんでした。

今年あたりはじめて、その感じがわかるようになりました。

北海道弁でいう、“内地”の人間になったのでしょう。

今日はまだまだ明るいです。

<(_ _)>


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■ 【作者】 『アセンション資料館』主人 pari
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  → メール: pariアットマークjk2.so-net.ne.jp
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