home > 通信 >『アセンション館通信』第539号:生まれて、そして死ぬのは観念



━━━━☆☆☆☆━━━━━━━━━━━━━━ by paritosho ━
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 ☆☆     ☆☆『アセンション館通信』2014/08/03(第539号)
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☆☆      ☆★ 【気刊】――「私は在る」に導かれ♪――
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 ☆☆   ☆☆          https://www.ascensionkan.com/
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◇◇ このメルマガの趣旨 ◇◇

このメルマガはアセンション館主人 pari と称するあるパターンに
浮上している心象風景の報告です。

わたしが在るがゆえに、その光のなかにすべての現象は現れる。
わたしの幸せは在ることのなかにあり、現象のなかにはない。

現象に注意を向けることが夢を見ること、見かけへの努力を放棄し、
何も起こっていないことを思いだすために探求が起こっている。

内容は人畜無害、でも読む人は相当変わっていますね。現在875名
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◇◇ もくじ ◇◇

1.生まれて、そして死ぬのは観念

2.ラングフォードの言葉:【第六章 
              気づきを見守る気づきの発見】(3)

3.編集後記
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■ 1.生まれて、そして死ぬのは観念
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毎日暑いですね。

この暑さは人間には変えられない。

二酸化炭素の過剰な放出で人類がこの夏の暑さをいや増しているの
だ強弁する方もいるかもしれないけれど、それはどうかな。

この暑さの最中にも、さらに銃弾を打ち込んで“敵”を殲滅しよう
として人たちもいるみたいだけど、それもどうなんだろう。

マハラジはこんなことを言っています。

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 あなたに責任があるのは、あなたに変えられることだけだ。
 あなたに変えられることは、あなたの態度だけだ。
 そこにあなたの責任があるのだ。
 
 『私は在る』(p469)
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たぶん……。

起こることは変えられないのかもしれない。

ただ、その起こっていることにどれほど注意を注ぐかは、わたしに
変えられることなのかもしれない。

(*^_^*)

さて、またまた一週間が過ぎて、楽しい“アセンション噺”ならぬ
「私は在る」噺に、お付き合いいただく今がやってまいりました。

『アセンション館通信』配達人の pari です。(^^)/

みなさま固有の「私は在る」を、いかがお過ごしでしょうか?

赤ん坊として、いわゆるこの世に“誕生”してきたとき、われわれ
はまだこの世に組み込まれてはいませんでした。

人間の常識でも、これはごく普通に理解できることです。

ところが、マハラジの言葉によれば、“赤ん坊としてこの世に誕生
してきた”という言葉がすでに誤解であるらしい。

“赤ん坊としてこの世に誕生してきた”というのは事実ではない。

それは、単なるひとつの観念だというのです。

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 繰り返そう。
 私は今までも、現在も、これからも身体ではない。
 私にとってはこれが事実なのだ。
 私もまた、生まれてきたという幻想のもとにいた。
 だが私のグルが、誕生と死はただの観念だということを私に見せ
 てくれたのだ。
 誕生は「私は身体だ」というただの観念であり、死は「私は身体
 を失った」という観念なのだ。
 今、私が身体でないと知ったとき、身体がそこにあろうと、なか
 ろうと、いったいどんな違いがあるというのだろうか?
 「身体―精神」は部屋のようなものだ。
 それはそこにある。
 しかし、いつもそこに住む必要はないのだ。
 
 『私は在る』(p170)
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> 私は今までも、現在も、これからも身体ではない。
> 私にとってはこれが事実なのだ。

こういう言葉を聞くと、人間のエゴの防衛機制(ラングフォードの
言うエゴの維持戦略)がすぐに発動します。

それは覚者にとっての事実であって、われわれの事実ではないと。

でも、これはじつは誰にとっても事実です。

赤ん坊が、言葉を覚える以前から、つまり自分が身体であることを
知る以前から、気づいているのは事実ですから。

赤ん坊は社会に組み込まれる以前から、すでに気づいています。

ただ、言葉を覚え、教えられて、“自分”が身体であることを学習
し、信じこむだけです。

その結果、そこから抜けられなくなるけれど。(^_-)

人間がときどき身体から抜け出たいと思うのは、じつは自分が身体
ではないことを知っているからにほかならない。

これは誰もが否定できない事実です。

> 私もまた、生まれてきたという幻想のもとにいた。

はい、わたしもまったく同じです。

> だが私のグルが、誕生と死はただの観念だということを私に見せ
> てくれたのだ。

マハラジは、「誕生と死はただの観念だ」ということを、わたしに
教えてくれました。

すると、わたしも自分がそれを知っていたことを思い出しました。

ただ、永い間の習慣で、しょっちゅうそれを忘れ、すぐに身体とし
て反応する癖が、まだ抜けていないだけです。

> 誕生は「私は身体だ」というただの観念であり、死は「私は身体
> を失った」という観念なのだ。

かくも明確に教えてくださったことに、感謝します。(-||-)

> 今、私が身体でないと知ったとき、身体がそこにあろうと、なか
> ろうと、いったいどんな違いがあるというのだろうか?

あとはただ、この言葉の指す真実が自分の真実になるだけです。

> 「身体―精神」は部屋のようなものだ。

はい。

> それはそこにある。
> しかし、いつもそこに住む必要はないのだ。

そうなんだ。(-_-)

……。

もうひとつ。

------------------------------------
 あなたはけっして生まれなかったし、けっして死ぬこともないだ
 ろう。
 生まれて、そして死んでいくのは観念であり、あなたではないの
 だ。
 あなた自身を「私は生まれた」という想念と同一化することで、
 あなたは死をまぬがれない者となる。
 映画のなかではすべてが光であるように、意識が広大な世界とな
 るのだ。
 よく見てみなさい。
 すべての名前と形は、意識の大海のはかない波にすぎず、ただ意
 識だけが存在するのだ。
 
 『私は在る』(p410)
------------------------------------

> あなたはけっして生まれなかったし、けっして死ぬこともないだ
> ろう。

はい。

> 生まれて、そして死んでいくのは観念であり、あなたではないの
> だ。

生まれて、そして死ぬのは観念……。

なるほど。(-_-;)

いや、なるほど……。

> あなた自身を「私は生まれた」という想念と同一化することで、
> あなたは死をまぬがれない者となる。

そうだったんですね。

> 映画のなかではすべてが光であるように、意識が広大な世界とな
> るのだ。

(-_-)

> よく見てみなさい。
> すべての名前と形は、意識の大海のはかない波にすぎず、ただ意
> 識だけが存在するのだ。

(-||-)

------------------------------------
 子供はあなたの世界に生まれてくるのだ。
 さて、あなたは世界のなかに生まれたのだろうか、それとも、世
 界があなたに対して現れたのだろうか? 
 生まれるということはあなた自身を中心として、あなたの周りに
 世界をつくり出すことだ。
 しかし、あなたがあなた自身を創造したのだろうか? 
 あるいは、誰かがあなたを創造したのだろうか? 
 誰もが自分自身の世界をつくり出し、己の無知によって監禁され、
 そのなかで生きているのだ。
 わたしたちのしなければならないことは、牢獄の実在性を否定す
 ることだけだ。
 
 『私は在る』(p226)
------------------------------------

> 子供はあなたの世界に生まれてくるのだ。

まったく。

> さて、あなたは世界のなかに生まれたのだろうか、それとも、世
> 界があなたに対して現れたのだろうか? 

こういう言い方で教えてくださった方は、他にいなかったなぁ。

> 生まれるということはあなた自身を中心として、あなたの周りに
> 世界をつくり出すことだ。

そういうことなんだなぁ。

> しかし、あなたがあなた自身を創造したのだろうか? 

いや、けっして。

> あるいは、誰かがあなたを創造したのだろうか? 

それもない。

わたしは在る。

> 誰もが自分自身の世界をつくり出し、己の無知によって監禁され、
> そのなかで生きているのだ。

はい。

> わたしたちのしなければならないことは、牢獄の実在性を否定す
> ることだけだ。

ありがとうございます。

(-||-)

------------------------------------
 私は生まれたと言われた。
 私は覚えていない。
 私は死ぬだろうと言われた。
 私はそれを予期しない。
 私は忘れてしまった、あるいは想像力に欠けているのだとあなた
 は言うかも知れない。
 しかし、私にはけっして起きなかったことや、明らかに不可能な
 ことを期待することはできない。
 身体は生まれ、身体は死ぬ。
 だが、それが私にとって何だというのだろう?
 身体は意識のなかで来ては去っていく。
 そして意識はその根底を私のなかに置いている。
 生命は私であり、マインドと身体は私のものだ。
 
 『私は在る』(p112)
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> 私は生まれたと言われた。

わたしもです。

> 私は覚えていない。

わたしもです。

> 私は死ぬだろうと言われた。

わたしもです。

> 私はそれを予期しない。

そうか、そこがまだふらふらしているだけか。(*^_^*)

> 私は忘れてしまった、あるいは想像力に欠けているのだとあなた
> は言うかも知れない。
> しかし、私にはけっして起きなかったことや、明らかに不可能な
> ことを期待することはできない。

なるほど、たしかに。

> 身体は生まれ、身体は死ぬ。

ええ、もちろん。

> だが、それが私にとって何だというのだろう?

おお……。

> 身体は意識のなかで来ては去っていく。

そうだ。

> そして意識はその根底を私のなかに置いている。

それもたしか。

わたしが気づきえないものに、わたしがどんな関わりをもつという
のか。

> 生命は私であり、マインドと身体は私のものだ。

そういうことだ。

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 マハラジ
 すべてはあなたとともにはじまるのだ。
 何かほかにはじまりのないものがあるだろうか?
 
 質問者 私は誕生とともにはじまりました。
 
 マハラジ
 それはあなたが聞いた話だ。
 そうではないかね?
 あなたははじまりを見たのかね?
 
 『私は在る』(p469)
------------------------------------

> すべてはあなたとともにはじまるのだ。

そうなんですね。

> 何かほかにはじまりのないものがあるだろうか?

他のすべては、わたしに対して現れ、わたしの前から消え去る。

> 質問者 私は誕生とともにはじまりました。

わかるけど、もう自分でこうは言えないなぁ。(-_-)

> マハラジ
> それはあなたが聞いた話だ。

たしかに。

> そうではないかね?

間違いなく、そうです。

> あなたははじまりを見たのかね?

まったく。

------------------------------------
 過去において満たされなかった欲望がエネルギーをふさぎ止め、
 それが個人として現れる。
 その蓄積されたエネルギーが使い果たされたとき、個人は死ぬの
 だ。
 満たされなかった欲望は次の誕生のなかへと運ばれていく。
 身体との自己同一化は、つねに新しい欲望をつくりつづけ、その
 束縛の構造が明確に理解されるまで、それに終わりはないのだ。
 解放をもたらすのは明晰性だ。
 なぜなら、その原因と結果が明確に理解されるまで、欲望を放棄
 することはできないからだ。
 それは死ぬ。
 そして永遠に死ぬのだ。
 だが、その記憶は残る。
 そしてそれらの欲望と恐れも。
 それらが新しい個人にエネルギーを供給するのだ。
 実在は、それにはまったく関わらない。
 だが、それに光を与えることでそれを可能にするのだ。
 
 『私は在る』(p399)
------------------------------------

> 過去において満たされなかった欲望がエネルギーをふさぎ止め、
> それが個人として現れる。

そうなのか。

> その蓄積されたエネルギーが使い果たされたとき、個人は死ぬの
> だ。

なるほど。

> 満たされなかった欲望は次の誕生のなかへと運ばれていく。

わかります。

> 身体との自己同一化は、つねに新しい欲望をつくりつづけ、その
> 束縛の構造が明確に理解されるまで、それに終わりはないのだ。

そういうことなんですね。

> 解放をもたらすのは明晰性だ。

(-_-)O

> なぜなら、その原因と結果が明確に理解されるまで、欲望を放棄
> することはできないからだ。

あああ……。(@_@)

そういうことか。

> それは死ぬ。

はい。

> そして永遠に死ぬのだ。

わかりました。

> だが、その記憶は残る。

そうなんですか。

> そしてそれらの欲望と恐れも。

ほう。

> それらが新しい個人にエネルギーを供給するのだ。

なるほど。

> 実在は、それにはまったく関わらない。

(@_@)

> だが、それに光を与えることでそれを可能にするのだ。

わかりました。

ありがとうございました。

(-||-)

------------------------------------
 あなたは在る。
 ほかのすべては現れにすぎない。
 
 『私は在る』(p421)
------------------------------------

はい。

(-||-)

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 永久的なもの、それはあなた自身の存在である。
 真我として在りなさい。
 それが至福である。
 あなたはいつもそれなのである。
 
 『あるがままに』(p58) 
------------------------------------

……。(-_-)

ありがとうございました。<(_ _)>

(-||-)

今日はこんなところで。

……。

m(_ _)m


       ………○…………○…………○………


『私は在る』の「目次」はここ↓に置いてあります。
https://www.ascensionkan.com/books/I_AM_THAT-index.html

ときどき「ニサルガ辞書」で遊んでみてください。
https://www.ascensionkan.com/ndic/

新しい「ラマナ・マハルシ辞書」はここです。
https://www.ascensionkan.com/rdic/

おこがましくも『アセ通』既刊号はすべてここに置いてあります。
https://www.ascensionkan.com/mm/


       ………○…………○…………○………


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■ 2.ラングフォードの言葉:【第六章 
               気づきを見守る気づきの発見】(3)
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『The Most Direct Means to Eternal Bliss』
(『永遠の至福への最も直接の手段』)の順次紹介をつづけます。

前回、ラングフォードはついに、マハルシやマハラジが伝えていた
「私は在る」の真意を発見しました。

そこで自ら定義しなおした「気づきを見守る気づき法」を、わずか
二年間実習することで無知の帳を破り、真我を実現しました。

ここでは「気づきを見守る気づき法」の発見とは、ひとつのコミュ
ニケーションであったと述懐しています。

古の覚者たちの言葉の真意を再発見して、明確な現代語に置き直す
ことができたからでしょう。

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(本文は配信メルマガでお読みください。)

 『The Most Direct Means to Eternal Bliss』(p68-70)
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今回は、ここまでです。

> 77. ラマナ・マハルシとニサルガダッタ・マハラジは二人とも
>   「気づきを見守る気づき法」を具体的に説明していた。
>   だが、この著者のエゴは彼にこれらの引用に注意を払うこと
>   を許さなかった。

われわれにも、どこが“具体的説明”なのかはわかりません。

つまり、われわれのエゴがわれわれにこれらの引用に注意を払うこ
とを、許していないからでしょう。

そういう箇所は、なんとなくただの言葉として読み過ごされるよう
に、エゴの維持戦略が誘導しているというわけです。

> 78. 「気づきを見守る気づき法」は、非常に多くの多様な主題に
>   ついてのあまりにも多くの他の引用に隠れて、埋蔵された宝
>   のようなものだった。

その埋蔵された宝を前面に引き出してくださったわけです。

> 81. この著者が以前に「私は在る」の真の意味を理解しなかった
>   もうひとつの理由は、彼がその「私は在る」、真の自己を、
>   無限の途切れることのない気づきと読んでいたことだ。

ここがラングフォードというパターンの特殊性でしたね。

> 82. そのことが「私は在る」を、朝目が覚めると現れるあの気づ
>   きとは別の何かに違いないというふうに思わせたのだ。

それだけに、発見の瞬間は強烈で、その発見の価値を失うこともな
かった。

pariパターンの場合は、その発見は半ば当然と思われ、それゆえに
その発見の価値が尊重されることも少なかった。

たちまち気づきは意識の内容(現象)の背後に退いてしまった。

起こるべきことが起こっているだけです。

実際、

> 92. 歴史的には、百万人のなかのひとりすらも、彼らのなかに生
>   きている、彼らの真の自己である永遠の真実を、直接体験す
>   ることに献身した者はいなかった。

わけですねぇ。

(-||-)

       ………○…………○…………○………


▼『アセ通』への「私は在る」関連ご意見投稿フォーム:
http://www.formzu.net/fgen.ex?ID=P48750702
というのを作らせていただきました。(^^;)

「私は在る」に関するご意見・ご感想・シェアリング、または単な
るメールなど、ご自由にお書きいただければと思います。


       ………○…………○…………○………


『アセンション館通信』への「ご投稿・情報提供」を歓迎いたします。

▼『アセンション館通信』への情報ご投稿フォーム
http://www.formzu.net/fgen.ex?ID=P87119518


       ………○…………○…………○………


みおさんから、資料請求フォームからの依頼があると伺ったので、
掲載しておきます。(記事はこちら→ http://goo.gl/T0zQkh )

『乳酸菌発酵食品資料請求フォーム』
http://my.formman.com/form/pc/uIHqH7Nz40FzSYYe/


       ………○…………○…………○………



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■ 3.編集後記:
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まあ、なかば諦めといった感傷が浮上してはいるんですが。^^;

今回のマハラジの言葉は、なんか新鮮で、嬉しかったです。

> 身体との自己同一化は、つねに新しい欲望をつくりつづけ、その
> 束縛の構造が明確に理解されるまで、それに終わりはないのだ。
> 解放をもたらすのは明晰性だ。
> なぜなら、その原因と結果が明確に理解されるまで、欲望を放棄
> することはできないからだ。

なんか、すごいですね。

ということは、「その原因と結果が明確に理解され」たら、欲望の
放棄も起こりうるということですものね。

> それは死ぬ。
> そして永遠に死ぬのだ。

(-||-)

今日はまだまだ明るいです。

<(_ _)>


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■ 【作者】 『アセンション資料館』主人 pari
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  → メール: pariアットマークjk2.so-net.ne.jp
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