━━━━☆☆☆☆━━━━━━━━━━━━━━ by paritosho ━
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☆☆ ☆☆『アセンション館通信』2014/08/17(第541号)
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☆☆ ☆★ 【気刊】――「私は在る」に導かれ♪――
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☆☆ ☆☆ https://www.ascensionkan.com/
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◇◇ このメルマガの趣旨 ◇◇
このメルマガはアセンション館主人 pari と称するあるパターンに
浮上している心象風景の報告です。
わたしが在るがゆえに、その光のなかにすべての現象は現れる。
わたしの幸せは在ることのなかにあり、現象のなかにはない。
現象に注意を向けることが夢を見ること、見かけへの努力を放棄し、
何も起こっていないことを思いだすために探求が起こっている。
内容は人畜無害、でも読む人は相当変わっていますね。現在872名
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◇◇ もくじ ◇◇
1.アイデンティティは実在だ
2.ラングフォードの言葉:【第七章
「気づきを見守る気づき」法 実習指示 予備的指示】(1)
3.いただいたお手紙から:eizoさん
4.編集後記
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■ 1.アイデンティティは実在だ
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つねに思考が湧いてきて、注意の焦点を奪おうとします。
すべて解決している「不生の仏心」のなかに、要らざる欲望と不安
をかきたて、問題を創造しようとする。
湧いてくる思考に注意を向けるかぎり、問題は発生します。
思考のなかで問題が解決してしまって、問題が消失してしまうとい
うことはありえない。
なぜなら、また次に思考が湧いてくるから。(*^_^*)
思考は仮想された立場からの“見かけ”への解釈なので、“見かけ”
がリアルだと想定するかぎり、深みにハマるしかない。
“見かけ”のなかには別の立場からの別の解釈もあって、その立場
も包摂しようとすると、何がなんだかわからなくなる。
でも、その別の解釈もリアルだということにならないと、“自分”
の解釈自体も意味を失ってしまう。
意味を失って、“見かけ”の解釈が自己崩壊してしまうならすばら
しいけど、“見かけ”の解釈はそれほど論理的じゃない。(^_-)
普通はただ、また次に湧いてくる思考に焦点をあわせるだけです。
単純な夢も、複雑な夢も、感情的な夢も、論理的な夢も、夢は夢。
複雑で論理的で構造的な夢が、単純で感情的な夢より賢いわけじゃ
ないし、その逆であるわけでもない。
夢は夢、猫じゃらし。
注意を向けているかぎり、休まるときはない。
(*^_^*)
さて、またまた一週間が過ぎて、楽しい“アセンション噺”ならぬ
「私は在る」噺に、お付き合いいただく今がやってまいりました。
『アセンション館通信』配達人の pari です。(^^)/
みなさま固有の「私は在る」を、いかがお過ごしでしょうか?
上で“猫じゃらし”が出てきたのは、ときどきBSで岩合光昭さんの
「世界ネコ歩き」を見ることがあるからでしょう。
現れの世界は、ホログラムによって実現されていようがいまいが、
なかではすべてが支えあって変化を推し進めているのでしょうね。
そしてたいていは、現れに興味を失う頃には、身体を持っていると
いう幻想のタイムリミットがきて、また身体を失うのでしょう。
すると、一定の物語のデータベースがリセットされて、見かけ上の
また新しい身体の物語がはじまるのでしょうか。
いずれにせよ“物語”を望むかぎりは、どこまでも“物語”に根拠
を与えるための個々人で構成される世界が必要になります。
“他人”がいなければ“自分”は存在できませんから。
このメルマガにお付き合いいただいている方なら、マハラジの次の
言葉に違和感はないと思います。
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解放とは、けっして個人が解放を得ることではなく、個人という
実体から解放されることなのだ。
『私は在る』(p360-361)
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解放を得るような個人など存在しない。
“個人など存在しない”と理解することが、解放だという意味です
よね。
われわれが映画を見るのは、画面上のドラマに入れ込んで、そこで
情動を体験するためであることは誰もが知っています。
その物語に入れ込むのをやめれば、じつは画面上にはチラチラ点滅
する光の絵しかないことも、これまた誰もが知っている。
それほど誰でも知っていることですが、でもやっぱり誰も見かけの
現象にドラマを見ることをやめません。
“自分”も仲間なので、外すつもりもありませんが。
というわけで、もし
> 解放とは、けっして個人が解放を得ることではなく、個人という
> 実体から解放されることなのだ。
という意味で「解放」という言葉を使うなら……。
現在地上に流布しているスピリチュアリティの99.99%は、解放とは
何の関係もないということになりそうです。
と同時に、“現在地上に流布しているスピリチュアリティの99.99%”
などという言葉自体、じつは何の意味もないことになります。
すべての観念は、“物語”の一部でしかありえませんから。
もちろん、ラングフォード師のいう“エゴの維持戦略”としては、
何とかして“99.99%”などに意味を持たせたいところでしょうが。
言葉はすべて目眩まし、言葉はすべて猫じゃらし。
「私は在る」……という言葉を、導きの星にしてきました。
「私は在る」……これだけは否定できない、これだけは確かだと。
と同時に、「私は在る」という言葉には、幻想世界すべてを支える
根拠といった側面もあります。
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すべては「私は在る」という想念にかかっている。
それを徹底的に調べるがいい。
それはあらゆる困難の根底に存在している。
それはあなたを実在から分かつ皮のようなものだ。
実在は皮の内側にも外側にもある。
しかし、皮そのものは実在ではないのだ。
この「私は在る」という想念はあなたとともに生まれてきたので
はない。
あなたはそれなしでも充分申し分なく生きたことだろう。
それはあとになって、身体との自己同一化のために現れた。
それがありもしなかった分割という幻想をつくり出したのだ。
『私は在る』(p317)
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と言われるような側面です。
「私は在る」を“存在意識”の意味と捉えるなら、それは「実在」
を指す言葉でしょう。
「私は【在る】」とも表現できるかもしれません。
でも、この言葉はエゴの誕生の地でもある。
「【私は】在る」とでも表現できるでしょうか。
この【在る】に代表される“存在意識”と、【私は】とも表現され
る“アイデンティティ”の関係はどうなっているのか?
ちょっとそんなことも気になりました。
もちろん、ただの論理的な興味にすぎませんが。
でも、マハラジは、ちゃんと答えておいてくれました。
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アイデンティティは実在だ。
実在がアイデンティティなのだ。
実在とは無形の集合や無言の混沌ではない。
それは強力で、気づいていて、至福に満ちている。
それと比べれば、あなたの人生など太陽に対するロウソクのよう
なものだ。
『私は在る』(p455)
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> アイデンティティは実在だ。
そうだったんですね。(@_@)
> 実在がアイデンティティなのだ。
アイデンティティとは、エゴのことじゃなかったんだ。(-_-)
> 実在とは無形の集合や無言の混沌ではない。
はい。
> それは強力で、気づいていて、至福に満ちている。
なるほど。
> それと比べれば、あなたの人生など太陽に対するロウソクのよう
> なものだ。
ああ、そういうことなのか。
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そこには喜ばしい気づきがある。
だが、誰も喜んでいる人はそこにいない。
もちろん、アイデンティティの感覚はある。
しかし、それは一連の記憶のアイデンティティ、不変のスクリー
ン上の画像の連鎖とのアイデンティティのようなものなのだ。
光とスクリーンなしに画像はありえない。
画像がスクリーン上の光の戯(たわむ)れであると知ることは、
画像が実在だという観念からの解放を与えてくれる。
『私は在る』(p406)
------------------------------------
> そこには喜ばしい気づきがある。
はい。
> だが、誰も喜んでいる人はそこにいない。
おお……。
> もちろん、アイデンティティの感覚はある。
そうなんだ。(@_@)
> しかし、それは一連の記憶のアイデンティティ、不変のスクリー
> ン上の画像の連鎖とのアイデンティティのようなものなのだ。
いわば、スクリーンがアイデンティティということか。(-_-)
> 光とスクリーンなしに画像はありえない。
わかります。
> 画像がスクリーン上の光の戯(たわむ)れであると知ることは、
> 画像が実在だという観念からの解放を与えてくれる。
あああ……なるほど。
だから……そういう観念を教わることではなく、実際の直接的体験
でそのことを【知る】必要があるのか。(-_-)
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アイデンティティの状態は実在のなかで固有のものであり、けっ
して消え去るものではない。
しかし、アイデンティティとは一時的な個人(ヴィヤクティ)で
も、カルマによって束縛された人格(ヴィヤクタ)でもないのだ。
それはすべての自己同一化が偽りとして放棄されたときに残るも
のだ。
純粋な意識、そこにある、またはありうるすべての存在の感覚だ。
意識ははじめ純粋で、終わりもまた純粋なままだ。
その中間において、創造の根本である想像によって汚されてしま
うのだ。
意識はつねに同じ状態で残る。
それをあるがままに知ることが真我の実現であり、永遠の平和な
のだ。
『私は在る』(p412)
------------------------------------
> アイデンティティの状態は実在のなかで固有のものであり、けっ
> して消え去るものではない。
はい。
> しかし、アイデンティティとは一時的な個人(ヴィヤクティ)で
> も、カルマによって束縛された人格(ヴィヤクタ)でもないのだ。
アイデンティティとは、エゴのことではない。
> それはすべての自己同一化が偽りとして放棄されたときに残るも
> のだ。
なるほど。(@_@)
> 純粋な意識、そこにある、またはありうるすべての存在の感覚だ。
うーむ。
> 意識ははじめ純粋で、終わりもまた純粋なままだ。
はい。
> その中間において、創造の根本である想像によって汚されてしま
> うのだ。
「創造の根本である想像によって汚されてしまう」……。
> 意識はつねに同じ状態で残る。
純粋なときにも意識、汚されていても意識。
物理次元の「水」のようなものですね。
> それをあるがままに知ることが真我の実現であり、永遠の平和な
> のだ。
自分が汚れではなく純粋な「水」だと知ることが真我の実現……。
------------------------------------
個人、「私は身体だ」、このマインド、この記憶の連鎖、この
一束の欲望と恐れは消え去る。
だが、アイデンティティと呼ばれる何かはそのまま残る。
それは必要とされるとき、私が個人となることを可能にするのだ。
愛はそれ自身の必要性をつくり出すのだ。
ひとりの個人と成ることさえも。
『私は在る』(p507)
------------------------------------
> 個人、「私は身体だ」、このマインド、この記憶の連鎖、この
> 一束の欲望と恐れは消え去る。
(-||-)
> だが、アイデンティティと呼ばれる何かはそのまま残る。
はい。
> それは必要とされるとき、私が個人となることを可能にするのだ。
そうなのか。(-_-;)
> 愛はそれ自身の必要性をつくり出すのだ。
ふーん。
> ひとりの個人と成ることさえも。
そうかぁ。
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意識は隙間だらけの断続的なものだ。
それにもかかわらず、そこには継続するアイデンティティがある。
もしこのアイデンティティの感覚が意識を超えた何かでなければ、
いったい何によるというのだろう。
『私は在る』(p329)
------------------------------------
> 意識は隙間だらけの断続的なものだ。
あ、なるほど。(@_@)
> それにもかかわらず、そこには継続するアイデンティティがある。
たしかに。
> もしこのアイデンティティの感覚が意識を超えた何かでなければ、
> いったい何によるというのだろう。
あああ、そう考えれば理解できるか。
なるほど。
(-||-)
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あなたが自分自身を個人だと信じるならば、至る所に個人を見る。
実際には、個人というものは存在しない。
あるのは記憶と習慣の脈絡だけだ。
真我を実現した瞬間、個人は消え去る。
アイデンティティは残る。
だが、アイデンティティは個人ではない。
それは実在そのもののなかに本来備わっている。
個人はそれ自身のなかに存在をもっていない。
それは観照者のマインドに映った「私は在る」という感覚であり、
また、存在のひとつの様式なのだ。
『私は在る』(p57)
------------------------------------
> あなたが自分自身を個人だと信じるならば、至る所に個人を見る。
はい、たしかに。
> 実際には、個人というものは存在しない。
はい、伺っています。
> あるのは記憶と習慣の脈絡だけだ。
それは、理解できます。
> 真我を実現した瞬間、個人は消え去る。
なるほど。
> アイデンティティは残る。
そうなんですね。
> だが、アイデンティティは個人ではない。
(-_-)?
> それは実在そのもののなかに本来備わっている。
そうなんですか。
> 個人はそれ自身のなかに存在をもっていない。
はい、つかの間の現れでしかない。
> それは観照者のマインドに映った「私は在る」という感覚であり、
> また、存在のひとつの様式なのだ。
個人は「観照者のマインドに映った『私は在る』という感覚」……。
なるほど、わかるような気がします。
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「私は在る」に気づきの焦点を合わせつづけなさい。
あなたが在ることを覚えておきなさい。
あなた自身を絶え間なく見守りなさい。
そうすれば、あなたの努力なしに無意識は意識のなかに流れてく
るだろう。
誤った欲望や恐れ、偽りの観念、社会的抑制は意識との自由な相
互作用を阻止し妨げる。
ひとたび意識と無意識が自由に混ざりあえば、二つはひとつなり、
ひとつはすべてとなる。
個人は観照者のなかに溶け、観照者は気づきのなかに、気づきは
純粋な存在のなかに溶ける。
しかし、それでもアイデンティティは失われない。
ただその限界が失われ変容されて、真我、サットグル(真の師)、
永遠の友だち、そして導き手となるのだ。
『私は在る』(p465)
------------------------------------
> 「私は在る」に気づきの焦点を合わせつづけなさい。
(-||-)
> あなたが在ることを覚えておきなさい。
はい。
> あなた自身を絶え間なく見守りなさい。
(-_-)
> そうすれば、あなたの努力なしに無意識は意識のなかに流れてく
> るだろう。
努力なしに……。
> 誤った欲望や恐れ、偽りの観念、社会的抑制は意識との自由な相
> 互作用を阻止し妨げる。
(*-_-*)
> ひとたび意識と無意識が自由に混ざりあえば、二つはひとつなり、
> ひとつはすべてとなる。
(-_-)O
> 個人は観照者のなかに溶け、観照者は気づきのなかに、気づきは
> 純粋な存在のなかに溶ける。
……。
> しかし、それでもアイデンティティは失われない。
おお……。
> ただその限界が失われ変容されて、真我、サットグル(真の師)、
> 永遠の友だち、そして導き手となるのだ。
わかりました。
(-||-)
------------------------------------
あなたは在る。
ほかのすべては現れにすぎない。
『私は在る』(p421)
------------------------------------
はい。
(-||-)
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永久的なもの、それはあなた自身の存在である。
真我として在りなさい。
それが至福である。
あなたはいつもそれなのである。
『あるがままに』(p58)
------------------------------------
……。(-_-)
ありがとうございました。<(_ _)>
(-||-)
今日はこんなところで。
……。
m(_ _)m
………○…………○…………○………
『私は在る』の「目次」はここ↓に置いてあります。
https://www.ascensionkan.com/books/I_AM_THAT-index.html
ときどき「ニサルガ辞書」で遊んでみてください。
https://www.ascensionkan.com/ndic/
新しい「ラマナ・マハルシ辞書」はここです。
https://www.ascensionkan.com/rdic/
おこがましくも『アセ通』既刊号はすべてここに置いてあります。
https://www.ascensionkan.com/mm/
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■ 2.ラングフォードの言葉:【第七章
「気づきを見守る気づき」法 実習指示 予備的指示】(1)
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『The Most Direct Means to Eternal Bliss』
(『永遠の至福への最も直接の手段』)の順次紹介をつづけます。
今回の部分は、具体的な「気づきを見守る気づき」法の実習指示に
入る前の、予備的な指示を説明しています。
誤解の余地もないような、ごく生活的な指示です。
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(本文は配信メルマガでお読みください。)
『The Most Direct Means to Eternal Bliss』(p75-78)
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今回は、ここまでです。
> 5. ある人々にとっては生計を立てるために働くことは必要な活
> 動の例だ。
まだこれを卒業できていなくて。
> 7. 不必要な活動の部類は娯楽や趣味などだ。
でも、だんだんこれがほとんどではないかとも思われてきて。
> 8. 毎日少なくとも二時間は実習しなさい。
……。(*-_-*)
> 自由時間をすべて実習に使って、その日可能な最大の時間を
> 実習しなさい。
急に寡黙になるpariパターンでした。(-_-)
(-||-)
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■ 3.いただいたお手紙から:eizoさん
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▼『アセ通』への「私は在る」関連ご意見投稿フォーム:
http://www.formzu.net/fgen.ex?ID=P48750702
というのを作らせていただきました。(^^;)
「私は在る」に関するご意見・ご感想・シェアリング、または単な
るメールなど、ご自由にお書きいただければと思います。
………○…………○…………○………
今回、eizoさんという方からご投稿いただきました。
いつも虎の威を借りてめちゃくちゃ偉そうなことを書いているので、
ご存知のように、ここにはあまりご投稿いただけません。(^^;)
なので、こうしてご投稿いただけるのはとても嬉しいです。
では、さっそくご紹介します。
【件名】: いつもありがとうございます。
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はじめまして、いつも拝見させて頂いてます。
ニサルガダッタマハラジを検索してアセンション通信館と出会い
かれこれ3年ほどになります。
pariさん同様な精神世界遍歴で面白く拝見させて頂いてました。
自分なりの探求みたいなものもしているようなしていないような
ですが、いつも中心はアセンション通信館でありマハラジです。
マハラジの言葉がすっかり染み込み、他のことに興味をなくして
在るを実践しています。
pariさんがなにやってんだか…って気持ちもよくわかります。
ただ感謝したくて、メールしました。ありがとうございます!
次回のラングフォードの記事いよいよって感じですね。めちゃく
ちゃ楽しみにしています。
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> はじめまして、いつも拝見させて頂いてます。
はじめまして、pariです。(^^)/
> ニサルガダッタマハラジを検索してアセンション通信館と出会い
> かれこれ3年ほどになります。
ほんとですか。
> pariさん同様な精神世界遍歴で面白く拝見させて頂いてました。
夢のなかで同時代を生きているんですものね。
> 自分なりの探求みたいなものもしているようなしていないような
> ですが、いつも中心はアセンション通信館でありマハラジです。
わたしもそんな感じで、書いてるような読んでるような、です。
> マハラジの言葉がすっかり染み込み、他のことに興味をなくして
> 在るを実践しています。
そうなんですか。
その言葉の前半はわたしもまったく同じなんですが、どうも後半の
ほうがいまいちで……。
> pariさんがなにやってんだか…って気持ちもよくわかります。
じっさい、そうなんですよ。(^^;)
> ただ感謝したくて、メールしました。ありがとうございます!
こちらこそです。
> 次回のラングフォードの記事いよいよって感じですね。めちゃく
> ちゃ楽しみにしています。
ええ、ラングフォードの言葉は、マニュアルとはいえ、最後まで
とても面白いですよ。
eizoさん、とても嬉しかったです。
ありがとうございました。
m(_ _)m
………○…………○…………○………
『アセンション館通信』への「ご投稿・情報提供」を歓迎いたします。
▼『アセンション館通信』への情報ご投稿フォーム
http://www.formzu.net/fgen.ex?ID=P87119518
………○…………○…………○………
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■ 4.編集後記:
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子どもの頃、なぜか北海道の大きな空を覆う曇天が好きでした。
一生、雲のなかで迷子になっているのかなぁ。
今日はまだまだ明るいです。
<(_ _)>
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■ 【作者】 『アセンション資料館』主人 pari
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→ メール: pariアットマークjk2.so-net.ne.jp
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