home > 通信 >『アセンション館通信』第544号:家が牢獄となるのは



━━━━☆☆☆☆━━━━━━━━━━━━━━ by paritosho ━
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 ☆☆     ☆☆『アセンション館通信』2014/09/07(第544号)
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☆☆      ☆★ 【気刊】――「私は在る」に導かれ♪――
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◇◇ このメルマガの趣旨 ◇◇

このメルマガはアセンション館主人 pari と称するあるパターンに
浮上している心象風景の報告です。

無限定の実在が在るゆえに、その光の中にすべての現象は現れる。
無限定で在ることが幸せ、限定された現象であることが苦楽。

個別の現象への自己同化(エゴ)が夢を見ること、無限定の実在へ
の自己同定が眼覚めること。すべての現象はエゴの夢。

内容は人畜無害、でも読む人は相当変わっていますね。現在874名
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◇◇ もくじ ◇◇

1.家が牢獄となるのは

2.ラングフォードの言葉:
       【第七章 気づきを見まもる気づき法 実習指示(2)】

3.編集後記
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■ 1.家が牢獄となるのは
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夢のなかで今年も秋がやって来ました。

現れはすべて滅びの姿です。(どこかで聞いたことが在るような)

知覚するということ、何らかの観念にフォーカスするということが、
苦しみなんでしょうね。

それなら、想念にフォーカスするのをやめればいいのに、こうして
また想念を追ったりしています。

なぜか。(?_?)

なぜなら、わたしが興味をもっているから……。(^_-)

言い逃れはできませんね。

(*^_^*)

さて、またまた一週間が過ぎて、楽しい“アセンション噺”ならぬ
「私は在る」噺に、お付き合いいただく今がやってまいりました。

『アセンション館通信』配達人の pari です。(^^)/

みなさま固有の「私は在る」を、いかがお過ごしでしょうか?

目を開ければ眼前に広がるこの世界、浮上しているこの思い、これ
が永遠の今が見ている究極の風景であることは確かです。

それはあると言えばある、わたしが興味をもっているから。

ないと言えばない、もしもわたしが興味をもたなかったら。

ただ夢のなかでは、それは単純で純粋な興味ではありません。

夢のなかで必ず滅びる運命にある身体に自己同化し、運命に逆らっ
て何とか生き延びたい、無理な足掻き(恐れ)からの興味です。

現れのなかに“自分の身体”という分離した実体があると思えば、
その身体は、もちろん、できることなら滅びたくない。

しかし身体がそういう思いを“持っている”のかと言えば、むろん
そんなことはありません。

身体現象という“現れ”を表現するための媒体に、そんな能力がな
いのは自明です。

ボブさんがおっしゃるように、身体現象と同じく、精神現象もその
場で発生しているにすぎません。

身体という物理現象が、想念という精神現象を、所有しているわけ
ではありません。

地上の常識で考えても、精神現象も物理現象と同じような、ある種
の波動現象として起こっているのは間違いないでしょう。

ドイツの形象学者で詩人のクラーゲスは、二つを束ねて「形象心情」
と表現しました。

ある形象が顕現しているとき、同時にそこにはその心情も顕現して
いるのだ、と言ったのだと思います。

形象に心情が内在していると言おうが、ある心情がある形象として
顕現していると言おうが、それは同じことでしょうね。

形象と心情が対発生しているのでしょう。

このような解釈や観念は、どんなに正確を期そうが、所詮はいっと
きの解釈であり観念です。

他の解釈や観念を排除できるはずもなし、むしろ別の解釈や観念を
呼び起こすだけでしょう。

それそのものにはなりようがない。

では、“それそのもの”とは何か?

起こっているあるがままの「これ」だと思います。(*^_^*)

「これ」が何かはわからない。

でも「これ」が起こっていることは、否定できません。

やきもきして、マハラジにこんなことを聞いた人がいます。

> 質問者 しかし究極的に、世界は存在するのでしょうか、しない
>     のでしょうか?

と。

マハラジはこう答えます。

------------------------------------
 あなたが見ているものは、ほかでもないあなたの自己なのだ。
 あなたの好きなようにそれを呼ぶがいい。
 それが事実を変えることはない。
 運命(プラーラブダ)のフィルムを通して、あなた自身の光がス
 クリーン上に絵を描いていく。
 あなたはそれを鑑賞する人であり、光であり、絵であり、スクリ
 ーンでもあるのだ。
 運命のフィルムさえも自ら選択され、自らに課されたものだ。
 その精神は障害を乗り越えることを楽しむひとつの競技だ。
 その努めが困難なほど、真我の実現はより深く広いものとなるの
 だ。
 
 『私は在る』(p498)
------------------------------------

> あなたが見ているものは、ほかでもないあなたの自己なのだ。

え、これが……。(@_@)

> あなたの好きなようにそれを呼ぶがいい。

究極的に、世界は存在するのかしないのか……そうか、それを決め
るのも、わたしなのか。

わたしが見ているものは、ほかでもないわたしの自己……。

(*-_-*)

そうかも。

> それが事実を変えることはない。

そうなのか。

これほどはっきり語られていても、覚者からのこのメッセージを受
けとる人は……。

(@_@)

そうか……わたしの夢では……わたししかいないわけか。

> 運命(プラーラブダ)のフィルムを通して、あなた自身の光がス
> クリーン上に絵を描いていく。

自ら決めた映画を、わたしがかけ、わたしが投光し、わたしが映す。

> あなたはそれを鑑賞する人であり、光であり、絵であり、スクリ
> ーンでもあるのだ。

わたしがそれを見る人、映写する光、映される絵、映し出す画面で
もある……。

あれ、フィルムは違うんじゃなかったんですか。(?_?)

> 運命のフィルムさえも自ら選択され、自らに課されたものだ。

あ、なるほど。

「中身をどれほど知っていたのかは知らないが、ツタヤの棚から
 このDVDを選んだのは、あなたなのだ」……ということか。

映画『マトリックス』のなかの、あの膨大なキャビネット群のなか
の植物人間たちが思い浮かぶなぁ……。

そういうものなのかも。

> その精神は障害を乗り越えることを楽しむひとつの競技だ。

なるほど。

自分で選んだ“障害”ということか。

たしかに、易しすぎる障害ではなく、ぎりぎり目いっぱいの障害を
選んだのかも。(-_-)

ありそうなことだな……。(*-_-*)

> その努めが困難なほど、真我の実現はより深く広いものとなるの
> だ。

ふーむ。

自分が自分に障害を課し、その困難を乗り越えて、それが自ら課し
た架空の困難であることを知る……。

そういうことなのかなぁ。(-_-;)

この質問者はこのちょっと前で、こんなことを言っています。

> 質問者 あるとき、私は岩の合間を流れる渓流を眺めていました。
>     それぞれの岩で、岩の大きさと形にしたがって流れの動
>     きは異なっていました。
>     個人とは皆、単に体の上を流れる動きであり、同時に生
>     命はひとつであり永遠なのではありませんか?

美しい洞察の一瞬だったでしょうね。

この質問に、マハラジはこんなふうに答えています。

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 流れの動きと水は別々のものではない。
 流れの妨害があなたに水の存在を気づかせたのだ。
 意識はつねに運動と変化のなかにある。
 不変の意識といったものはありえない。
 不変なるものは即座に意識をぬぐい去るだろう。
 内面、あるいは外面の感覚を奪われた人は意識を失い、あるいは
 意識と無意識を越えて不老不死の状態のなかへと入っていくだろ
 う。
 霊魂と物質がであったときにだけ意識は生まれるのだ。
 
 『私は在る』(p498)
------------------------------------

> 意識はつねに運動と変化のなかにある。
> 不変の意識といったものはありえない。

これはよくわかります。

意識は不動のなかの変化として実現されているでしょう。

> 不変なるものは即座に意識をぬぐい去るだろう。

へー、そういう言い方をするんだ。

> 内面、あるいは外面の感覚を奪われた人は意識を失い、あるいは
> 意識と無意識を越えて不老不死の状態のなかへと入っていくだろ
> う。

ふーん。

> 霊魂と物質がであったときにだけ意識は生まれるのだ。

マハラジは、こういう言葉遣いもするんですね。

この問答につづく箇所はこうです。

------------------------------------
 質問者 それらはひとつでしょうか、二つでしょうか?
 
 マハラジ
 それはあなたが使う言葉によって、ひとつ、二つ、あるいは三つ
 なのだ。
 調べていくことで三つは二つとなり、二つはひとつとなる。
 顔と鏡とイメージという直喩で見てみなさい。
 どの二つをとってみても、その二つを結びつける第三の存在が前
 提にある。
 あなたが二つはひとつだと悟るまでは、サーダナ(修練)によっ
 て三つを二つとして見るのだ。
 
 あなたが世界に没頭しているかぎり、あなた自身を知ることは不
 可能だ。
 あなた自身を知るためには、世界から注意を引き離し、内面へと
 向けなさい。
 
 『私は在る』(p498)
------------------------------------

なになに、ここはちょっと難解ですね。

逐一意味を追ってみないことには、何を言っているのかわからない。

> 質問者 それらはひとつでしょうか、二つでしょうか?

霊魂と物質というのは、ひとつのものなのでしょうか、それとも、
ふたつのものなのでしょうか、と。

> マハラジ
> それはあなたが使う言葉によって、ひとつ、二つ、あるいは三つ
> なのだ。

それは、使う言葉によって変わる。

> 調べていくことで三つは二つとなり、二つはひとつとなる。

というと? (-_-)O

> 顔と鏡とイメージという直喩で見てみなさい。

あ、なるほど。

「顔」と「鏡」と「鏡像」の喩えですね。

> どの二つをとってみても、その二つを結びつける第三の存在が前
> 提にある。

「顔」と「鏡」は、「鏡像」を介してその存在が知られる。

「顔」と「鏡像」は、「鏡」がなくては現れることができない。

「鏡」と「鏡像」は、「顔」がなくては存在しえない。

> あなたが二つはひとつだと悟るまでは、サーダナ(修練)によっ
> て三つを二つとして見るのだ。

「鏡像」が「顔」と同じものだと悟るまで、「顔」「鏡」「鏡像」
の三つを、「顔」と「鏡像」の二つとして見る修練をする。

「顔」と「鏡像」が同じものだと理解する修練をする。

「顔」と「鏡像」が同じになったとき、ひとつの「鏡」が在る。

> あなたが世界に没頭しているかぎり、あなた自身を知ることは不
> 可能だ。

「顔」と「鏡像」を別のものと見て、「鏡像」を修正しようと没頭
しているかぎり、「鏡」が顕れることはない。

> あなた自身を知るためには、世界から注意を引き離し、内面へと
> 向けなさい。

「鏡」を顕すためには、注意を「鏡像」から引き離し、内面へと向
けなければならない。

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 質問者 私には世界を破壊することはできません。
 
 マハラジ
 その必要はない。
 ただあなたが見ているものはあるがままのものではないというこ
 とを理解しなさい。
 現れは調べることによって消え去り、根元的な実在が表層に現れ
 るだろう。
 逃げだすために家を燃やす必要はない。
 あなたはただ歩いて外に出るだけだ。
 家が牢獄となるのは、あなたが自由に行き来できなくなったとき
 だけだ。
 私は意識から自由に自然に出たり入ったりすることができる。
 そしてそれゆえ、世界はわが家であって牢獄ではないのだ。
 
 『私は在る』(p196) http://tinyurl.com/s747u
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> 質問者 私には世界を破壊することはできません。

わかる。(-_-)

> マハラジ
> その必要はない。
> ただあなたが見ているものはあるがままのものではないというこ
> とを理解しなさい。

あなたは対象に自分を投影しているのだ、という意味かな。

だから、わたしが見ている世界には客観性がない、と。

わたしは現象に押しつけた自分の「顔」を見ている。

あるいは、現れのなかの“自分の身体”の観点から、現れを解釈し
ている。

すると現れのなかの“自分の身体”を滅ぼす実体と見えるものは、
あるがままではなく、邪悪になったりする、と。

> 現れは調べることによって消え去り、根元的な実在が表層に現れ
> るだろう。

「調べる」とは、「現れ」に自分の「顔」を投影する内面に注意を
向けるということかな……。

そうすれば「現れ」は次第に退潮し、「鏡」が表層に現れてくる。

> 逃げだすために家を燃やす必要はない。

世界から自由になるのに、世界を破壊する必要はない。

> あなたはただ歩いて外に出るだけだ。

ただ歩いて外に出るだけ。(-_-)

> 家が牢獄となるのは、あなたが自由に行き来できなくなったとき
> だけだ。

まさに。

> 私は意識から自由に自然に出たり入ったりすることができる。

ああ……。

> そしてそれゆえ、世界はわが家であって牢獄ではないのだ。

(-||-)

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 あなたは在る。
 ほかのすべては現れにすぎない。
 
 『私は在る』(p421)
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はい。

(-||-)

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 永久的なもの、それはあなた自身の存在である。
 真我として在りなさい。
 それが至福である。
 あなたはいつもそれなのである。
 
 『あるがままに』(p58) 
------------------------------------

……。(-_-)

ありがとうございました。<(_ _)>

(-||-)

今日はこんなところで。

……。

m(_ _)m


       ………○…………○…………○………


『私は在る』の「目次」はここ↓に置いてあります。
https://www.ascensionkan.com/books/I_AM_THAT-index.html

ときどき「ニサルガ辞書」で遊んでみてください。
https://www.ascensionkan.com/ndic/

新しい「ラマナ・マハルシ辞書」はここです。
https://www.ascensionkan.com/rdic/

おこがましくも『アセ通』既刊号はすべてここに置いてあります。
https://www.ascensionkan.com/mm/


       ………○…………○…………○………


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■ 2.ラングフォードの言葉:
      【第七章 気づきを見まもる気づき法 実習指示(2)】
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『The Most Direct Means to Eternal Bliss』
(『永遠の至福への最も直接の手段』)の順次紹介をつづけます。

前回のつづき、実習指示の後半「記述N」から「記述Z」です。

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(本文は配信メルマガでお読みください。)

 『The Most Direct Means to Eternal Bliss』(p84-86)
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今回は、ここまでです。

贅言はまったく無用だと思います。

ラマナ・マハルシにしろ、ニサルガダッタにしろ、伝えたいことの
肝心要は、こういうことだったのだろうと思います。

でも肝心要だけをこうして、誤解の余地のない形で明確に言語化す
ることは、マイケル・ラングフォードをまって初めて可能でした。

本書は第十四章まであります。

少しずつ、ご紹介していきます。

(-||-)

       ………○…………○…………○………


▼『アセ通』への「私は在る」関連ご意見投稿フォーム:
http://www.formzu.net/fgen.ex?ID=P48750702
というのを作らせていただきました。(^^;)

「私は在る」に関するご意見・ご感想・シェアリング、または単な
るメールなど、ご自由にお書きいただければと思います。


       ………○…………○…………○………


『アセンション館通信』への「ご投稿・情報提供」を歓迎いたします。

▼『アセンション館通信』への情報ご投稿フォーム
http://www.formzu.net/fgen.ex?ID=P87119518


       ………○…………○…………○………



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■ 3.編集後記:
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ときどき大きな耳鳴りを上回って虫の声が聞こえてきます。

秋ですね。

今日は昼はけっこう暑くなったけど、夜になって涼しいです。

気持ちがいい季節ですね。

まだ暑くなることもあるんだろうけど。

今日は、昼寝をしたら、すっかり夜になりました。

お休みなさい。

<(_ _)>


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■ 【作者】 『アセンション資料館』主人 pari
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  → メール: pariアットマークjk2.so-net.ne.jp
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