━━━━☆☆☆☆━━━━━━━━━━━━━━ by paritosho ━
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☆☆ ☆☆『アセンション館通信』2014/09/14(第545号)
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☆☆ ☆★ 【気刊】――「私は在る」に導かれ♪――
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☆☆ ☆☆ https://www.ascensionkan.com/
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◇◇ このメルマガの趣旨 ◇◇
このメルマガはアセンション館主人 pari と称するあるパターンに
浮上している心象風景の報告です。
無限定の実在が在るゆえに、その光の中にすべての現象は現れる。
無限定で在ることが幸せ、限定された現象であることが苦楽。
個別の現象への自己同化(エゴ)が夢を見ること、無限定の実在へ
の自己同定が眼覚めること。すべての現象はエゴの夢。
内容は人畜無害、でも読む人は相当変わっていますね。現在873名
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◇◇ もくじ ◇◇
1.あるものの意味を見いだしたいのなら
2.ラングフォードの言葉:【第八章
「気づきを見守る気づき法」のさらなる解明(1)】
3.編集後記
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■ 1.あるものの意味を見いだしたいのなら
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今日は久しぶりに秋らしい晴天です。
開け放した南側から涼しい風が入ってくる。
庭にあるピンクと白の大ぶりの酔芙蓉の花が風に揺れています。
といって、さっき教わったばかりを知ったかぶりで。(^^;)
「当たり前がいい」……。
そんなことを思います。
(*^_^*)
さて、またまた一週間が過ぎて、楽しい“アセンション噺”ならぬ
「私は在る」噺に、お付き合いいただく今がやってまいりました。
『アセンション館通信』配達人の pari です。(^^)/
みなさま固有の「私は在る」を、いかがお過ごしでしょうか?
夢の中とはいえ、こうして一週間に一度、何でも思ったことを言え
る場所があるというのもいいものです。
とはいえ、この“思ったこと”という言葉は、とても曖昧な表現で
もあります。
じゃ、わたしが思っているのか、ということにもなるでしょうし、
思う自分がいると思っているのか、ということでもある。(*^_^*)
まことに、精神世界は厄介です。(^_-)
ま、厳密を期しても、もともと意味がない世界ですから、気楽にい
くより仕方ありません。
わたしは、ある時期から「成長」とか「進化」という観念を疑うよ
うになりました。
しかし、それでも「創造的」であるということの価値を信じていま
した。
それは人生で最初のアイドルとも言える宮澤賢治的観点から言って
もそうですし、Oshoに出会ってもそれは変わりませんでした。
Oshoはいつでも、創造的に生きることを推奨していましたから。
もっとも、Oshoは、創造的という言葉を、エゴから自由であるとい
う意味で使っていたのだとは思いますが。
「創造的」であることの価値を破壊されたのは、ご存知のとおり、
ニサルガダッタに出会ってからです。
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すべての創造の根底には欲望がある。
欲望と想像が互いを促進し、増強しあう。
第四の状態(トゥリーヤ)は純粋な観照、無執着の気づきであり、
醒めた、世界のない状態だ。
それは空間のように、何であれそれが包括しているものに影響さ
れない。
身体的、精神的苦痛はそれに達しない。
それらは外側の「そこ」にあり、一方、観照はつねに「ここ」に
あるのだ。
『私は在る』(p142)
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> すべての創造の根底には欲望がある。
こう言われると、この言葉の意味がわかる者は、この言葉を否定す
ることはできません。
> 欲望と想像が互いを促進し、増強しあう。
これこそが宇宙創造の根本的仕組みであることは、この言葉の意味
がわかる者には、これまた自明でしょう。
そして、マハラジは、あなたが求めているものはそれではない、と
伝えてくるわけです。
> 第四の状態(トゥリーヤ)は純粋な観照、無執着の気づきであり、
> 醒めた、世界のない状態だ。
あなたが自分だと想像している個人ではなく、真のあなたが求めて
いるのは、醒めた、世界のない状態なのだ、というわけです。
これもまた、一度聞いてしまったら、疑うことはできません。
> それは空間のように、何であれそれが包括しているものに影響さ
> れない。
これを体験してはいないけれど、知的には完璧に理解できます。
> 身体的、精神的苦痛はそれに達しない。
事実、それはそのはずだと思います。
なぜなら、身体的現象も、精神的現象も、ある種の定義や表現を支
える表現媒体であって、それを知る者ではありえないからです。
> それらは外側の「そこ」にあり、一方、観照はつねに「ここ」に
> あるのだ。
いったん自分は「ここ」だと体験したら、すべての現象は「そこ」
つまり外側にあることが自明になるでしょうね。
しかしそれを体験するには、サーダナ(修練)が必要なわけです。
マインドが知的に理解できるのは、ここまでです。
つまり、pariパターンは、情報として知りうることは、すべて知っ
てしまったんですよね。(^^;)
もう、これ以上、疑問というのはないわけです。
しかし、にもかかわらず、pariパターンという自己同化の対象が、
解体したわけでも、雲散霧消したわけでもない。(-_-;)
すると、なるほど、すべてのエゴの夢は、挽回のチャンスを伺って
ここにあるわけですよね。
以前とは少し違った意味で、なるほど、「成長」とか「進化」とか
いう観念が生き延びる領域があるのだな、と思われてきます。
つまり、肉体の誕生と、成長と、老化と、崩壊があるように、ある
種の「成熟」みたいなものがあるのかもしれません。
たしかに、熟していない柿は落ちることができないわけです。
意識のなか、夢のなかには、すべてはあるわけですよね。
そして、そこに注意の焦点が合っているかぎり、自分の興味と闘う
ことはできないんですね。
精神世界情報に興味のある人で、時間が幻想である、という情報を
聞いたことがない人はいないでしょう。
そして「時間は幻想」という情報は、たとえば、バシャールのよう
なニューエイジ・エンティティの教えるところでもあります。
だから、バシャールはよく「いい夢を見てください」という言い方
をするのでしょうし。
時間とは、現象を体験するための一つの方式なのだ、というような
知見も、どこかで聞いたような気がします。
すべての場面は、この<いま>の瞬間のなかに一巻の映画フィルム
のように、すべて同時に存在している。
あるいは、広大な無限の洞窟の壁画のように、すべて同時に存在し
ている、といったイメージが語られることもあります。
このことを概念として理解することはできます。
今の瞬間に、この自分が、すべての画面に同時存在したとしたら、
それには意味がないでしょうね。
それでは、すべてがただの混沌で無意味になるか、すべてが静かな
調和のなかで無意味になるかの、いずれかでしょう。
事実は、すべての現象に立ち会う者は、すべての現象と「無縁」だ
ということでしょう。
現象は、それに対面する者がある観点を持ったとき、はじめて一つ
の意味として顕現できます。
しかし、“ある観点を持つもの”は、じつは“ある観点の担い手”
であって、純粋な「見る者」ではありえない。
“ある観点の担い手”もまた、「ほこりの微少片」でしかありえな
いからです。
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光線がほこりの微少片にさえぎられないかぎり目に見えないよう
に、至高なるものもすべてを既知にしながら、それ自身は未知と
してとどまるのだ。
『私は在る』(p85)
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……いったい、こういう言葉はどこから出てくるのか?
見事な表現ですねぇ。
結局、現象への関心とは、「意味」や「物語」への興味であり、
執着ということでしょうね。
それが悪いわけではない。
良いも悪いも、意識の中の調度にすぎないのですから。
ただ、
> 関心をもっているのはあなたなのだ!
という事実を否定することはできないということです。
マハラジが「霊魂と物質がであったときにだけ生まれる」と叙述す
る意識は、「意味」や「物語」を創造するための仕組みです。
「意味」や「物語」は、苦しみや、悲しみや、喜びを創造する文脈
を提供するものです。
われわれは、それが作り話だと重々承知しながら、なおかつテレビ
ドラマを楽しみ、ときにはTSUTAYAにまでDVDを借りに行く。
切ない話、残酷な話、可愛らしい話が大好きなのです。
> 関心をもっているのはあなたなのだ!
(-_-;)
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関心をもっているのはあなたなのだ!
そして、その絵があなたの真実、愛、美の感覚と衝突するかぎり、
あなたはそれに関心をもちつづけるだろう。
調和と平和への熱望は、消し去ることのできないものだ。
だが、ひとたびそれが満たされれば関心は去り、身体的生活は注
意のレベル以下の努力を要しないものとなる。
身体を得るか、身体を去るかは、あなたにとって同じこととなる。
あなたには何ひとつ起こらないという地点に達するのだ。
身体なしには殺されない。
所有物なしには奪われない。
マインドなしには騙(だま)されない。
そこに欲望や恐れを引っかける留めクギもない。
何の変化もあなたに起こらないかぎり、ほかに何の問題があるだ
ろうか?
『私は在る』(p488)
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なるほど。(-_-;)
> そして、その絵があなたの真実、愛、美の感覚と衝突するかぎり、
> あなたはそれに関心をもちつづけるだろう。
そういうことなのか。
> 調和と平和への熱望は、消し去ることのできないものだ。
もしそうなら、わたしの「調和と平和への熱望」は、まだそれほど
強烈ではないということだ……。(-_-)
もちろん、それを「消し去ること」はできないだろう。
それが在るがゆえに、すべての幻想も可能なのだから。
でも、消えはしないけれど、顕在化してもいない。
わたしが心底、本心で、今すぐ現ナマの、即時の「調和と平和」を
要求しないかぎり、それは永遠に待つしかない。
だって、わたしがもっと他のことに興味をもっているのだから。
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この残酷な世界は誰にとって現れるのか見いだしなさい。
そうすれば、なぜそのように残酷に現れるのかを知るだろう。
あなたの質問は完全に正当なものだ。
しかし、それが誰にとっての世界なのかをあなたが知るまではそ
れに答えることはできないのだ。
あるものの意味を見いだしたいのなら、あなたはつくり出した人
に尋ねなければならない。
だから言っているのだ。
あなたが住んでいるこの世界を創り出した人はあなたなのだ。
あなただけがそれを変え、あるいはつくり変えることができるの
だ。
『私は在る』(p398)
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> あるものの意味を見いだしたいのなら、あなたはつくり出した人
> に尋ねなければならない。
(*_*) ⌒★?
あなたがその現象にどんな意味を見いだしているのかは、あなたに
尋ねる以外にないのだ。
他の個人は他の意味を感じているのだから。
> だから言っているのだ。
(*-_-*)
> あなたが住んでいるこの世界を創り出した人はあなたなのだ。
あなたが住んでいる世界の意味を支えて(感じて)いる人は、あな
たの他には誰もいないのだ。
> あなただけがそれを変え、あるいはつくり変えることができるの
> だ。
これは、本当のことだ。(-_-)
(-||-)
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あなたは在る。
ほかのすべては現れにすぎない。
『私は在る』(p421)
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はい。
(-||-)
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永久的なもの、それはあなた自身の存在である。
真我として在りなさい。
それが至福である。
あなたはいつもそれなのである。
『あるがままに』(p58)
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……。(-_-)
ありがとうございました。<(_ _)>
(-||-)
今日はこんなところで。
……。
m(_ _)m
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『私は在る』の「目次」はここ↓に置いてあります。
https://www.ascensionkan.com/books/I_AM_THAT-index.html
ときどき「ニサルガ辞書」で遊んでみてください。
https://www.ascensionkan.com/ndic/
新しい「ラマナ・マハルシ辞書」はここです。
https://www.ascensionkan.com/rdic/
おこがましくも『アセ通』既刊号はすべてここに置いてあります。
https://www.ascensionkan.com/mm/
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■ 2.ラングフォードの言葉:【第八章
「気づきを見守る気づき法」のさらなる解明(1)】
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『The Most Direct Means to Eternal Bliss』
(『永遠の至福への最も直接の手段』)の順次紹介をつづけます。
実習指示の記述が終わって、第八章はもう少し周辺的な解説です。
というか、ここでの説明があって、ほっとするかもしれません。
そのまま読めば、理解できないようなことは何もありません。
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(本文は配信メルマガでお読みください。)
『The Most Direct Means to Eternal Bliss』(p87-90)
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今回は、ここまでです。
> 40. もしあなたが誠実であり実習をつづるなら、注意を思考から
> そらして気づきを見守る気づきに向けることによって、あな
> たは自分の人生を完全に変えるようなことを実行しているの
> だ。
何ごとも継続が力なのですが、これがなかなか……。
> 41. 大部分の人間はつねに外界の人々や場所や物事に目を向けな
> がらその全生涯を生きる。
はい。
> 42. 自分の注意を世界や身体や思考からそらし、気づきを見守る
> 気づきに向けることによって、あなたは途方もないことを行
> なっている。
みなさん、ドンドン先に行ってくださいね。(-||-)
本書は第十四章まであります。
少しずつ、ご紹介していきます。
(-||-)
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▼『アセ通』への「私は在る」関連ご意見投稿フォーム:
http://www.formzu.net/fgen.ex?ID=P48750702
というのを作らせていただきました。(^^;)
「私は在る」に関するご意見・ご感想・シェアリング、または単な
るメールなど、ご自由にお書きいただければと思います。
………○…………○…………○………
『アセンション館通信』への「ご投稿・情報提供」を歓迎いたします。
▼『アセンション館通信』への情報ご投稿フォーム
http://www.formzu.net/fgen.ex?ID=P87119518
………○…………○…………○………
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■ 3.編集後記:
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頭を耳鳴りでいっぱいにしています。
秋らしい一日でした。
すっかり夜になりました。
お休みなさい。
<(_ _)>
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■ 【作者】 『アセンション資料館』主人 pari
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→ メール: pariアットマークjk2.so-net.ne.jp
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