home > 通信 >『アセンション館通信』(第547号):思考はただ自然に起こっている



━━━━☆☆☆☆━━━━━━━━━━━━━━ by paritosho ━
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 ☆☆     ☆☆『アセンション館通信』2014/09/28(第547号)
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☆☆      ☆★ 【気刊】――「私は在る」に導かれ♪――
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 ☆☆   ☆☆          https://www.ascensionkan.com/
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◇◇ このメルマガの趣旨 ◇◇

このメルマガはアセンション館主人 pari と称するあるパターンに
浮上している心象風景の報告です。

無限定の実在が在るゆえに、その光の中にすべての現象は現れる。
無限定で在ることが幸せ、限定された現象であることが苦楽。

個別の現象への自己同化(エゴ)が夢を見ること、無限定の実在へ
の自己同定が眼覚めること。すべての現象はエゴの夢。

内容は人畜無害、でも読む人は相当変わっていますね。現在869名
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◇◇ もくじ ◇◇

1.思考はただ自然に起こっている

2.ラングフォードの言葉:【第八章
       「気づきを見守る気づき法」のさらなる解明(3)】

3.いただいたお手紙から:ミチコさん

4.編集後記
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■ 1.思考はただ自然に起こっている
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秋らしい晴天になりましたね。

彼岸あたりの畦道にはやはり彼岸花が咲いていて、夢のなかで変わ
らぬ世界のリズムを取ってくれています。

あたかも、夢のなかにも変わらぬものがあるかのように。

でもなぜか、昔のように「天高く馬肥ゆる秋」というような言葉が
出てくる雰囲気でもありません。

同じようでいながら、今は今の空気感……。

きっと見る人間が夢のなかで変わってしまったのでしょう。(^^;)

(*^_^*)

さて、またまた一週間が過ぎて、楽しい“アセンション噺”ならぬ
「私は在る」噺に、お付き合いいただく今がやってまいりました。

『アセンション館通信』配達人の pari です。(^^)/

みなさま固有の「私は在る」を、いかがお過ごしでしょうか?

今自分がいるところが物語のなかであることを感じます。

なぜなら、色々な思いが湧くからです。

色々な思いが湧くし、なんだか窮屈な感じがある。

物語のなかのいろいろの屈託があります。

にもかかわらず、ただ無心であることに集中するだけの成熟度がな
いのです。

ただ、他の何かの所為(せい)にするという道は、どうやら塞がっ
てしまったのか、昔のように快適には使いこなせません。

もちろん、長年の癖ですから、発動はします。

でも、それがじつは夢のなかの物語の話であり、単なる意識のなか
の責任転嫁、盥回しにすぎないことが、否応なくわかっている。

まるで、人生に“灰汁(あく)”だけを想像しながら、そこを住処
にしているようなものです。

自分でも、バカなことだと思っています。

でも、同時に、“バカなことだと思っている自分”という実体など
存在しないことも、なんとなく論理的に自明なのです。

そこにはただ、“バカなことだと思っている”想念が湧いていて、
それに意識のフォーカスが合っているだけです。

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 「私は気づいている」という思老は、あなたの気づきではありま
 せん。
 
 『ただそれだけ』(p130) 
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ボブさんのこの言葉は、論理的傾向が強い pari パターンの中核を
ヒットしました。

だって、ボブさんが言っていることは、単純な事実だからです。

もし、「私」という実体があって、それが“世界”に気づいている
のなら、何を心配する必要があるでしょうか?

そして、驚くべきことに、それが事実なのです。

でも、われわれは勘違いする。

「私」という実体があって、それが“世界”に気づいているのだけ
れども、その「私」もその“世界”のなかにいると。

ぷ。(>_<)

いや、それはありえない。

「私」が気づいているとは、身体とともに現象している“私”とい
う想念が、現象界に気づいているという意味ではありません。

“私”という想念に、そんなとんでもないパワーはありません。

“私”という想念は、身体と同じように現象しているだけです。

「私は気づいている」という想念が、一瞬浮上しているだけです。

「気づき」のなかに“私”という想念が浮上しているのです。

現象の一部である“私”という想念が、現象の別の一部である世界
に気づいているのではありません。

現象するとは、「気づきの光」のなかに“ほこりの微小片”が浮か
び上がることです。

浮かび上がった“ほこりの微小片”が、別の“ほこりの微小片”を
映し出すことなどできるでしょうか?

いや、それはありえない。

「私が気づいている」のではなく、「気づき」のなかに“私”とい
う想念が湧いているのです。

何度言っても同じことですが。(*^_^*)

「気づいている私」は、現象している者には見えません。

「気づいている私」は、現象している誰の知覚対象にもなりえない。

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 光線がほこりの微少片にさえぎられないかぎり目に見えないよう
 に、至高なるものもすべてを既知にしながら、それ自身は未知と
 してとどまるのだ。
 
 『私は在る』(p85)
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なんという明晰な言葉であることか。

(-||-)

そして、それこそが森羅万象に「気づいている」われわれの実体だ
ということです。

想念は、眼前の光景と同じく、つかの間の出来事にすぎません。

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 ■考えることは、他のあらゆることと同じように現れている
 
 質問者 おしゃべりや考え事に心の焦点を合わせることで、私た
     ちの本質である真実在が覆い隠されるのですね?
 
 ボブ
 もし、考え事に心の焦点が向けられていなければ、そのとき思考
 は他のあらゆることと同じく、ただ現れるだけです。
 心の大元にある本質は思考によって覆い隠されるでしょうか?
 思考がその活動するままに放っておかれるなら、それは他のあら
 ゆることと同じく、ただ現れているだけです。
 そのとき、覆い隠される何かがあるでしょうか?
 
 『ただそれだけ』(p136)
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> もし、考え事に心の焦点が向けられていなければ、そのとき思考
> は他のあらゆることと同じく、ただ現れるだけです。

はい、間違いありません。

> 心の大元にある本質は思考によって覆い隠されるでしょうか?

思考に意識の焦点が合ったとき、他のことが忘れられます。

> 思考がその活動するままに放っておかれるなら、それは他のあら
> ゆることと同じく、ただ現れているだけです。

なるほど。

> そのとき、覆い隠される何かがあるでしょうか?

映画の物語に焦点が合っているとき、スクリーンのことが忘れられ
るだけなのですね。(*-_-*)

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 質問者 どうやって考え事を止めるのですか? 思考はやむこと
     のない車の流れのように思えますが。
 
 ボブ
 もし思考が何の中で起こっているかが理解されるなら、思考を止
 める必要がありますか?
 雲は何の中で起こっているのでしょうか?
 雲は空間の中にあるのではないでしょうか?
 あなたは空間を認識するために雲を止めなければならないでしょ
 うか?
 それとも、空間はいつもあり、雲が現れる背景であることを理解
 するでしょうか?
 重要なのは、考え事を止めようとすることではありません――大
 事なのはただ、自分が本当は何であるかを理解することです。
 あなたは本質そのものであって、その上に現れる思考や観念など
 ではないのです。
 
 『ただそれだけ』(p136)
------------------------------------

> 質問者 どうやって考え事を止めるのですか? 思考はやむこと
>     のない車の流れのように思えますが。

そうか、われわれはこうやって、“自分”の興味の責任を他の何か
に転嫁しようとするんですね。

> ボブ
> もし思考が何の中で起こっているかが理解されるなら、思考を止
> める必要がありますか?

なるほど。

> 雲は何の中で起こっているのでしょうか?

うん。

> 雲は空間の中にあるのではないでしょうか?

ですよね。

> あなたは空間を認識するために雲を止めなければならないでしょ
> うか?

はは。(^^;)

> それとも、空間はいつもあり、雲が現れる背景であることを理解
> するでしょうか?

なるほどなぁ。

> 重要なのは、考え事を止めようとすることではありません――大
> 事なのはただ、自分が本当は何であるかを理解することです。

森羅万象を知覚している自分が、森羅万象でないことは確かです。

> あなたは本質そのものであって、その上に現れる思考や観念など
> ではないのです。

はい。

(-||-)

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 質問者 では、考えることには問題がないわけですね。問題を起
     こしているのは、考えることを自分がやっているという
     意志の感覚を持った、分離した自分という思考なのです
     ね?
 
 ボブ
 そのすべてが、「それは自分」だと考えているもう一つの思考群
 ではありませんか?
 問題なのは、思考=実体への信念です。
 思考は他のあらゆることと同じように、ただ自然に起こっている
 ものだと理解するとき、そこには考える人も実体もまったく存在
 しません。
 もし思考がいかなる形でも区別されたり分割されたりしないなら、
 はたして問題が形成されうるでしょうか?
 そのとき、それはまったくあるがまま、非二元的です。
 
 『ただそれだけ』(p137)
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> 質問者 では、考えることには問題がないわけですね。問題を起
>     こしているのは、考えることを自分がやっているという
>     意志の感覚を持った、分離した自分という思考なのです
>     ね?

うん。

> ボブ
> そのすべてが、「それは自分」だと考えているもう一つの思考群
> ではありませんか?

ああ……。

> 問題なのは、思考=実体への信念です。

そういうことか。

> 思考は他のあらゆることと同じように、ただ自然に起こっている
> ものだと理解するとき、そこには考える人も実体もまったく存在
> しません。

……。(-_-;)

事実は、考える人も実体もまったく存在しない。

そして、今ここで起こっているのは、

「考える人も実体も」存在するという思考と、
「考える人も実体も」存在しないという思考の

綱引きでしょうね。

さあ、どちらが勝つか。(*^_^*)

まあ、誤解が、事実に抗して、どれほど闘えるものか。

とはいえ、エゴには感情を撹乱して情報環境をメチャクチャにする
という手段がいつでもあります。

そしていつも明晰性がどこかで萎えてしまうのです。

> もし思考がいかなる形でも区別されたり分割されたりしないなら、
> はたして問題が形成されうるでしょうか?

問題の解体は、そのようにして起こっていくわけですね。

キモは次々に自然に湧いてくる想念に対する態度なんだ。

> そのとき、それはまったくあるがまま、非二元的です。

ああ……なるほど。

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 このように、この虚構のエゴとは、私たちが長年束縛されてきた
 一つの思考なのです。
 エゴとは、選択ができ、自分の意志を持っており、たまには悪運
 に見舞われることもある一つの実体である、という信念は、ただ
 の思考にすぎません。
 それが作り話であると気づくとき、いったい何が起こるでしょう
 か?
 自然に生きることが、今までとにかくやってきたように続いてい
 くのではありませんか?
 それが、あなたを呼吸させています。
 それが、あなたの心臓を鼓動させています。
 それが、あなたの髪の毛や爪を成長させ、食べ物を消化し、細胞
 を新陳代謝させ、考えること、感じること、感情、あらゆること
 が、まったく努力なく起こることを可能にしています。
 
 もしこうした身体機能が「自分」とは関係のないものだとすれば、
 そのとき何が問題ですか?
 もしそれはもっと違ったふうであるべきだ、と考える一個の実体
 と関連づけられないかぎり、よい悪いは問題ですか?
 そのことは、問題がもう起こらないという意味ではありません。
 もちろん、問題は起こるでしょう。
 なぜなら、自然の中では、正反対のペアがたえず機能しているか
 らです。
 でも問題が現れてきても、それらはそのあるがままに見られるの
 です。
 物事を固定的に捉えない意識があれば、問題は動いていきます。
 私たちがしがみついたり、執着したりするとき、問題はそこに留
 まり続けます。
 抵抗が続いているため、それは自由に動けないのです。
 
 私たちが抱える問題のすべては、一個の分離した実体が存在する
 という信念から生まれる、というのはそういうわけです。
 それがけっして実在するものではなかったことに気づけば、物事
 はただそういうふうに起こってきたのだと理解できるでしょう。
 
 『ただそれだけ』(p130-p131)
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> もしこうした身体機能が「自分」とは関係のないものだとすれば、
> そのとき何が問題ですか?

たしかに、何も問題はなくなるでしょうね。

> もしそれはもっと違ったふうであるべきだ、と考える一個の実体
> と関連づけられないかぎり、よい悪いは問題ですか?

いいえ。

それは、ただのあるがままです。

> そのことは、問題がもう起こらないという意味ではありません。
> もちろん、問題は起こるでしょう。

はい。

現象の一部に、自分を自己同化させれば。

> なぜなら、自然の中では、正反対のペアがたえず機能しているか
> らです。

わかります。

> でも問題が現れてきても、それらはそのあるがままに見られるの
> です。

そうですね。

現象の全体から見るなら、それはただのあるがままです。

一部に固定した“自分”から見るなら、それは仕方のないこと。

諦めるしかありません。

> 物事を固定的に捉えない意識があれば、問題は動いていきます。

はい。

> 私たちがしがみついたり、執着したりするとき、問題はそこに留
> まり続けます。

わかります。

> 抵抗が続いているため、それは自由に動けないのです。

はい。

> 私たちが抱える問題のすべては、一個の分離した実体が存在する
> という信念から生まれる、というのはそういうわけです。

なるほど。

> それがけっして実在するものではなかったことに気づけば、物事
> はただそういうふうに起こってきたのだと理解できるでしょう。

何をか言わんやです。

(-||-)

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 あなたは在る。
 ほかのすべては現れにすぎない。
 
 『私は在る』(p421)
------------------------------------

はい。

(-||-)

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 永久的なもの、それはあなた自身の存在である。
 真我として在りなさい。
 それが至福である。
 あなたはいつもそれなのである。
 
 『あるがままに』(p58) 
------------------------------------

……。(-_-)

ありがとうございました。<(_ _)>

(-||-)

今日はこんなところで。

……。

m(_ _)m


       ………○…………○…………○………


『私は在る』の「目次」はここ↓に置いてあります。
https://www.ascensionkan.com/books/I_AM_THAT-index.html

ときどき「ニサルガ辞書」で遊んでみてください。
https://www.ascensionkan.com/ndic/

新しい「ラマナ・マハルシ辞書」はここです。
https://www.ascensionkan.com/rdic/

おこがましくも『アセ通』既刊号はすべてここに置いてあります。
https://www.ascensionkan.com/mm/


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■ 2.ラングフォードの言葉:【第八章
        「気づきを見守る気づき法」のさらなる解明(3)】
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『The Most Direct Means to Eternal Bliss』
(『永遠の至福への最も直接の手段』)の順次紹介をつづけます。

現象世界に本当に価値あるものなど何もない、という理解が沈殿し
てきているような気はします。

でも、まだまだエゴとの綱引きがつづいています。

毎日毎日が、綱引きです。

多分pariパターンとは、とても心配症だったのではと思います。

それを思えば、いつの間にか、心配にエネルギーを注ぐ能力が、
ずいぶん減退していると思います。

ありがたいことです。(-||-)

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(本文は配信メルマガでお読みください。)

 『The Most Direct Means to Eternal Bliss』(p94-96)
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今回は、ここまでです。

> 101. 毎日あなたはその人をもっと知るようになる。
>   たとえ自分がその人をもっと知るようになっていることに気
>   づかないとしても、

そういうことがあるのでしょう。

> 102. そしてある日突然、不意に、あなたは恋に落ちる。

これについては発言権なしです。(*-_-*)

でも、すべてはとても自然に流れているように思われる。

継続こそが力というのは、何ごとも同じですね。

みなさん、ドンドン先に行ってくださいね。(-||-)

本書は第十四章まであります。

少しずつ、ご紹介していきます。

(-||-)

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■ 3.いただいたお手紙から:ミチコさん
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▼『アセ通』への「私は在る」関連ご意見投稿フォーム:
http://www.formzu.net/fgen.ex?ID=P48750702
というのを作らせていただきました。(^^;)

「私は在る」に関するご意見・ご感想・シェアリング、または単な
るメールなど、ご自由にお書きいただければと思います。


       ………○…………○…………○………


前号の「テト」の記事に感応してくださったミチコさんという方か
ら、親切なご投稿をいただきました。

早速、ご紹介させていただきます。

【件名】: テトちゃん安らかに
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 いつも素晴らしいメルマガの配信ありがとうございます。
 
 今日のメルマガは涙しながら読みました。
 というのも、少し前に可愛がっていた手乗りのセキセイインコを
 不注意から亡くしたからです。
 
 わたしもpariさんと同じく、わたしがいつまでも悲しみ苦しむの
 は、今に居ないせいだな、わたしは自分が創り出した物語に耽溺
 しているだけで、インコは肉体の死後も変わらず永遠の存在とし
 て今を「生きて」いるはずだ、と思い直す日々でした。
 
 アドヴァイタの扉を叩いたのは、思えば、なぜこの世は悲しみに
 満ちているのか、神がいるとすれば、何故この残酷な世の中を放
 っておくのか、その答えが知りたかったからでした。
 
 今日のメルマガにあった「この残酷な世界が誰にとって現れるの
 かを見出しなさい」という言葉は胸に来ました。
 はい、答えはこれに尽きるのですね。
 
 アドヴァイタの思想と、「現実」世界での「現実的な働きかけ」
 の折り合いの付け方に混乱する事もあります。
 自身の生活の事、戦争、貧困などなど…
 まだまだ未熟です(苦笑)
 
 これからもメルマガを楽しみに拝読させていただきます。
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> いつも素晴らしいメルマガの配信ありがとうございます。

読んでいただいて、ありがとうございます。

> 今日のメルマガは涙しながら読みました。

そうでしたか。

じつは、柄にもなく自分でもこみ上げながら書いていました。

> というのも、少し前に可愛がっていた手乗りのセキセイインコを
> 不注意から亡くしたからです。

ああ、それは……。

> わたしもpariさんと同じく、わたしがいつまでも悲しみ苦しむの
> は、今に居ないせいだな、わたしは自分が創り出した物語に耽溺
> しているだけで、インコは肉体の死後も変わらず永遠の存在とし
> て今を「生きて」いるはずだ、と思い直す日々でした。

そうでしたか。

むかし我が家にも、つがいのセキセイインコがいました。

メリーとピピンという名をつけていましたが……。

> アドヴァイタの扉を叩いたのは、思えば、なぜこの世は悲しみに
> 満ちているのか、神がいるとすれば、何故この残酷な世の中を放
> っておくのか、その答えが知りたかったからでした。

まったくですよねぇ。

> 今日のメルマガにあった「この残酷な世界が誰にとって現れるの
> かを見出しなさい」という言葉は胸に来ました。
> はい、答えはこれに尽きるのですね。

マハラジにはその残酷な世界は存在しないみたいですから、どうも
そういうことみたいですね。

> アドヴァイタの思想と、「現実」世界での「現実的な働きかけ」
> の折り合いの付け方に混乱する事もあります。

ほんとですよね。

> 自身の生活の事、戦争、貧困などなど…
> まだまだ未熟です(苦笑)

じゃ、お互いですね。(^^;)

> これからもメルマガを楽しみに拝読させていただきます。

ミチコさん、ありがとうございました。

m(_ _)m


       ………○…………○…………○………


『アセンション館通信』への「ご投稿・情報提供」を歓迎いたします。

▼『アセンション館通信』への情報ご投稿フォーム
http://www.formzu.net/fgen.ex?ID=P87119518


       ………○…………○…………○………



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■ 4.編集後記:
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自分が映画のなかの“役どころ”だとわかってくると、
なんだかすべてがどうでもよくなってくるような。

いままで、ひたすら生きているのが、
恥ずかしかったです。

でも、その恥ずかしさから、逃げようとしていました。

なんであれ、そこから逃げることは、不可能なのに。(^_-)

だいいち、恥ずかしがっているのは、
その架空の当人だけで、
他の架空の当人は、誰もそんなの気にしちゃいない。

もともと、一人芝居だったのです。

今日はすっかり夜になりました。

お休みなさい。

<(_ _)>


━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━
■ 【作者】 『アセンション資料館』主人 pari
━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━
  → メール: pariアットマークjk2.so-net.ne.jp
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