home > 通信 >『アセンション館通信』(第549号):死物だけが死ぬことができる



━━━━☆☆☆☆━━━━━━━━━━━━━━ by paritosho ━
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 ☆☆     ☆☆『アセンション館通信』2014/10/12(第549号)
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☆☆      ☆★ 【気刊】――「私は在る」に導かれ♪――
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◇◇ このメルマガの趣旨 ◇◇

このメルマガはアセンション館主人 pari と称するあるパターンに
浮上している心象風景の報告です。

無限定の実在が在るゆえに、その光の中にすべての現象は現れる。
無限定で在ることが幸せ、限定された現象に成ることが苦楽。

個別の現象への自己同化(エゴ)が夢を見ること、無限定の実在へ
の自己同定が眼覚めること。思考は起こるが考える人はいない。

内容は人畜無害、でも読む人は相当変わっていますね。現在867名
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◇◇ もくじ ◇◇

1.死物だけが死ぬことができる

2.ラングフォードの言葉:【第九章 どんどん放出法】

3.編集後記
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■ 1.死物だけが死ぬことができる
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台風が近づいているせいか、少し鬱陶しいですね。

内圧が高まって、見通しがない。

こういうときは意外と、その間近にいるのかもしれませんね。

それこそ、現象世界における最大限の光が、いまここに降り注いで
いるのかもしれません。(-_-)

いや、スピリチュアルマインドのお喋りです。(^^;)

(*^_^*)

さて、またまた一週間が過ぎて、楽しい“アセンション噺”ならぬ
「私は在る」噺に、お付き合いいただく今がやってまいりました。

『アセンション館通信』配達人の pari です。(^^)/

みなさま固有の「私は在る」を、いかがお過ごしでしょうか?

自己同化というのは恐ろしい罠です。

夢のなかの我々は、全員この自己同化中毒に罹っています。

というか、我々とはこの自己同化中毒そのもののことでしょう。

我々とは、自己限定そのものである想念や思考に対する執着のこと
です。

これほど自己同化中毒が嫌で、嫌悪しているというのに、そういう
ことではこの自己同化中毒を解除することはできない。

知的情報の理解も、嫌悪も、そういものはすべて単なる思考であり、
エゴの維持戦略の“手の内”にあるからです。

そしてもちろん、このエゴの維持戦略自体が、ひとつの想念であり、
単なる意識現象にすぎません。

実在は、それをすべて許容し、浮かべている空間とも言えます。

この空間は、なかに浮かぶ思考を許容し、それに気づいていても、
それに興味をもってはいない。

というか、あらゆる現象に興味を持っていない状態が、純粋な意識
であり、真我ともいえるのでしょう。

それが大宇宙という雲を浮かべた、大空なのでしょう。

この純粋な気づきは、そこに浮かぶ“ほこりの微少片”を照らし、
それを既知としながらも、それに興味をもってはいない。

そして、大空が雲に興味をもったとたんに、大空は自分が大空であ
ることに気づけなくなり、自ら雲になっているのでしょう。

なぜなら、大空とは“気づく力”であり、“気づかれる対象”では
ないからです。

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 自己の視点から見れば、世界は既知であり、至高なるものは未知
 だ。
 未知は既知に誕生を与え、しかも未知としてとどまる。
 既知は無限だが、未知は無限大の無限だ。
 光線がほこりの微少片にさえぎられないかぎり目に見えないよう
 に、至高なるものもすべてを既知にしながら、それ自身は未知と
 してとどまるのだ。
 
 『私は在る』(p85)
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「ほこりの微少片」は表現として顕在化するための媒体です。

これは表現媒体であって、これに「気づきの力」はない。

ある「ほこりの微少片」が別の「ほこりの微少片」に気づくことは
できないでしょう。

と同時に、「ほこりの微少片」には自らに気づく能力もない。

現象の媒体は、ある定義を担うための媒体であって、それには定義
に“気づく能力”はありません。

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 質問者 もしものごとの形が単なる現れでしかないなら、実際に
     は、それらは何なのでしょうか?
 
 マハラジ
 実際には、知覚だけがある。
 知覚する者と知覚されるものは観念であり、知覚しているという
 事実は現実のものだ。
 
 『私は在る』(p358)
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> 質問者 もしものごとの形が単なる現れでしかないなら、実際に
>     は、それらは何なのでしょうか?

こう訊きたくなります。

> マハラジ
> 実際には、知覚だけがある。

うーむ。(-_-;)

「実際には、知覚だけがある」……。(-_-)

実際に存在するもの、「実在」するものは……「気づき」だけ。

> 知覚する者と知覚されるものは観念であり、知覚しているという
> 事実は現実のものだ。

“知覚する者”も“知覚されるもの”も、「気づき」のパワーが
現象に自己同化することで生まれる観念にすぎない。(-_-)

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 その一方、よく理解しなさい、生きる者ではなく、ただ死ぬ者だ
 けが死ぬことができる。
 あなたのなかで生きているもの、それは不死なのだ。
 
 『私は在る』(p425)
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> その一方、よく理解しなさい、生きる者ではなく、ただ死ぬ者だ
> けが死ぬことができる。

ここちょっと気になったので、英文を調べてみました。

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 On the ather hand, do understand, that only the dead can
 die, not living.
 That which is alive in you is immortal.
 
 『I AM THAT』(p407) 
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なるほど、これは思ったとおりでした。

「その一方、よく理解しなさい、生きている者ではなく、ただ死物
 だけが死ぬことができる。
 あなたのなかで生きているもの、それは不死なのだ」

のほうが、分かりやすいかもしれませんね。

われわれの分類で言う「物質」であれ「思考」であれ、森羅万象を
表現する媒体はもともと死物です。

素粒子の振る舞いが構成するそれらは、物質のクラスターの大きさ
の違いでしかないでしょう。

それは「光」を遮る「ほこりの微少片」であって、知覚能力をもっ
た「生きている者」ではない。

われわれのなかで気づいている者は、死ぬことはできないのです。

雲の存在に気づいているのは、大空であって雲ではない。

個々の雲の気づきというのは空想でしかない。

つまり、個々の雲というのは実在しないということです。

まだいかなる個人にも自己同化していない赤ん坊のなかで気づいて
いるのも、この一つしかない空間の気づきです。

pariという個人の記憶に自己同化したパターンのなかで気づいてい
るのも、この同じ一つしかない空間の気づきです。

赤ん坊が気づいているのでも、pariが気づいているのでもない。

pariが自分の気づきを持つことなどできるはずもない。

この一つしかない空間の気づきのなかに、pariという想念が湧いて
いるにすぎません。

そして赤ん坊のなかでは、自分という想念は湧いておらず、ただ
純粋な気づきだけがあるのでしょう。

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 在るものは在る。
 それは主観的でも客観的でもない。
 物質とマインドは分離したものではない。
 それらはひとつのエネルギーの二つの相なのだ。
 マインドを物質の機能として見てみなさい。
 そうすればあなたは科学を手にする。
 物質をマインドの産物として見てみなさい。
 そうするとあなたは宗教を手にするだろう。
 
 『私は在る』(p423)
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> 在るものは在る。
> それは主観的でも客観的でもない。

それは二元性が誕生する以前に在るものだから。

> 物質とマインドは分離したものではない。

森羅万象の二つの側面だ。

それをクラーゲス流に「形象心情」と呼んでもかまわない。

> それらはひとつのエネルギーの二つの相なのだ。

形と名前は、表現の二つの相だ。

> マインドを物質の機能として見てみなさい。

もしあなたが、「物質」の振る舞いから「思い」が現れると想像す
るのなら……。

> そうすればあなたは科学を手にする。

あなたは、科学を発見することになるだろう。

> 物質をマインドの産物として見てみなさい。

もしあなたが、「思い」の振る舞いによって「物質化」が起こると
想像するのなら……。

> そうするとあなたは宗教を手にするだろう。

あなたは、宗教を発見することになるだろう。

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 質問者 しかし、何が真実なのでしょうか? マインドと物質、
     どちらが先に現れるのでしょうか?
 
 マハラジ
 どちらも先に現れはしないし、どちらか一方が現れるのでもない。
 物質は形であり、マインドは名前なのだ。
 それらはともに世界をつくる。
 浸透し、超越するのが実在、純粋な存在―意識―至福、あなたの
 本質そのものなのだ。
 
 『私は在る』(p423)
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> 質問者 しかし、何が真実なのでしょうか? マインドと物質、
>     どちらが先に現れるのでしょうか?

まあ……こう訊きたくなる意識の場所もあります。

> マハラジ
> どちらも先に現れはしないし、どちらか一方が現れるのでもない。

はい。

> 物質は形であり、マインドは名前なのだ。

了解です。

> それらはともに世界をつくる。

わかります。

> 浸透し、超越するのが実在、純粋な存在―意識―至福、あなたの
> 本質そのものなのだ。

(-||-)

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 マハラジ
 結局、私たちはマインドの限界内に在る。
 実際には、何も起こってはいないのだ。
 過去もなければ、未来もない。
 すべては現れであり、何も存在しないのだ。
 
 質問者 何も存在しないとはどういう意味でしょうか? あなた
     は虚空になるのでしょうか、それとも眠りにつくという
     ことでしょうか? あるいは、あなたは世界を消し去り、
     あなたのつぎの思考のひらめきで私たちが生命に連れ戻
     されるまで、私たちを停止の状態にとどめるということ
     でしょうか?
 
 マハラジ
 いいや。
 そんなひどい話ではない。
 マインドと物質の、そして名前と形の世界は続いていく。
 だが、それは私にとってまったく重要ではない。
 それは影のようなものだ。
 それはそこにある。
 どこへ行こうともついてくる。
 だが、どのような意味でも私を邪魔することはない。
 体験の世界はそのまま残る。
 だが、欲望と恐れで私に関わる名前と形は残さないのだ。
 体験とは、いわば属性をもたない純粋な体験だ。
 ほかによりよい言葉がないために、私はそれを体験と呼ぶのだ。
 それは大海の波のようなものだ。
 つねに存在しながら、その平和な力に影響を与えることはない。
 
 『私は在る』(p423-424)
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> 結局、私たちはマインドの限界内に在る。

ええ、間違いありません。

> 実際には、何も起こってはいないのだ。

すべては見かけに対する想像なのですね。

> 過去もなければ、未来もない。

はい、すべては<いま>の諸相なのですから。

> すべては現れであり、何も存在しないのだ。

なんとなく、わかるような。(-_-;)

> 質問者 何も存在しないとはどういう意味でしょうか? あなた
>     は虚空になるのでしょうか、それとも眠りにつくという
>     ことでしょうか? あるいは、あなたは世界を消し去り、
>     あなたのつぎの思考のひらめきで私たちが生命に連れ戻
>     されるまで、私たちを停止の状態にとどめるということ
>     でしょうか?

はは、怒ってる。(*^_^*)

> マハラジ
> いいや。
> そんなひどい話ではない。

(*^_^*)

> マインドと物質の、そして名前と形の世界は続いていく。

はい。

> だが、それは私にとってまったく重要ではない。

部屋のテレビが点いているというだけのことで。

> それは影のようなものだ。

まったく。

> それはそこにある。
> どこへ行こうともついてくる。

なるほど。(-_-)

> だが、どのような意味でも私を邪魔することはない。

何も想像しないから。

> 体験の世界はそのまま残る。

知覚に対する体験の世界が消えるわけではない。

> だが、欲望と恐れで私に関わる名前と形は残さないのだ。

「実在」である私のなかに現象に対する欲望はないから。

> 体験とは、いわば属性をもたない純粋な体験だ。

部屋のテレビが点滅していることには気づいている。

> ほかによりよい言葉がないために、私はそれを体験と呼ぶのだ。

そのテレビの点滅に気づいていることを体験と呼ぶなら。

> それは大海の波のようなものだ。

それは赤ん坊が、浜辺に寄せる波を見ているようなものだ。

> つねに存在しながら、その平和な力に影響を与えることはない。

寄せては返す波はあるが、そこにある安らぎに影響はしない。

(-||-)

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 あなたは在る。
 ほかのすべては現れにすぎない。
 
 『私は在る』(p421)
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はい。

(-||-)

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 永久的なもの、それはあなた自身の存在である。
 真我として在りなさい。
 それが至福である。
 あなたはいつもそれなのである。
 
 『あるがままに』(p58) 
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……。(-_-)

ありがとうございました。<(_ _)>

(-||-)

今日はこんなところで。

……。

m(_ _)m


       ………○…………○…………○………


『私は在る』の「目次」はここ↓に置いてあります。
https://www.ascensionkan.com/books/I_AM_THAT-index.html

ときどき「ニサルガ辞書」で遊んでみてください。
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新しい「ラマナ・マハルシ辞書」はここです。
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おこがましくも『アセ通』既刊号はすべてここに置いてあります。
https://www.ascensionkan.com/mm/


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■ 2.ラングフォードの言葉:【第九章 どんどん放出法】
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『The Most Direct Means to Eternal Bliss』
(『永遠の至福への最も直接の手段』)の順次紹介をつづけます。

「どんどん放出法」というのは一種の弛緩法のようですね。

自律神経制御法に、こういうのがあったように思います。

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(本文は配信メルマガでお読みください。)

 『The Most Direct Means to Eternal Bliss』(p100-104)
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「ドンドン放出法」の具体的実習指示は次回に出てきます。

本書は第十四章まであります。

少しずつ、ご紹介していきます。

(-||-)

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http://www.formzu.net/fgen.ex?ID=P48750702
というのを作らせていただきました。(^^;)

「私は在る」に関するご意見・ご感想・シェアリング、または単な
るメールなど、ご自由にお書きいただければと思います。


       ………○…………○…………○………


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■ 3.編集後記:
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いつも起こるべきことが起こっているのでしょう。

いずれにせよ、それはマインドに起こることです。

マインドが自らの愚かさを理解する過程なのですから。

そして、そのことを意図する者は誰もいない。

ただ、誤解があって、それがあるとき解体するだけでしょう。

誤解が空想上の苦しみを支えていて、その誤解がじつは存在しない
ことに気づいたとき、空想上の苦しみも消える。

そして心配がなくなっているのでしょう。

今日はまだ明るいうちに終えました。

たぶん、来週はおやすみします。

お休みなさい。

<(_ _)>


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■ 【作者】 『アセンション資料館』主人 pari
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  → メール: pariアットマークjk2.so-net.ne.jp
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