home > 通信 >『アセンション館通信』(第550号):あなたが見ているものは



━━━━☆☆☆☆━━━━━━━━━━━━━━ by paritosho ━
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 ☆☆     ☆☆『アセンション館通信』2014/10/26(第550号)
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☆☆      ☆★ 【気刊】――「私は在る」に導かれ♪――
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 ☆☆   ☆☆          https://www.ascensionkan.com/
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◇◇ このメルマガの趣旨 ◇◇

このメルマガはアセンション館主人 pari と称するあるパターンに
浮上している心象風景の報告です。

無限定の実在が在るゆえに、その光の中にすべての現象は現れる。
無限定で在ることが幸せ、限定された現象に成ることが苦楽。

個別の現象への自己同化(エゴ)が夢を見ること、無限定の実在へ
の自己同定が眼覚めること。思考は起こるが考える人はいない。

内容は人畜無害、でも読む人は相当変わっていますね。現在872名
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◇◇ もくじ ◇◇

1.あなたが見ているものは

2.ラングフォードの言葉:【第九章 どんどん放出法 実習指示】

3.編集後記
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■ 1.あなたが見ているものは
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【気刊】を謳っているので、別にお断りする必要もないようなもの
ですが、先週お休みしました。

ほんとうに久しぶりに、いつもの見慣れた空間から少し外に出て、
別の風景を眺めてきました。

降って湧いたようなプレゼントによる人生の休日でした。

楽しむこと、旅に出ること、そういうことにまったく関心が向かな
い人間だったので、そういう機会はめったにありませんでした。

生きることではなく、なんでこんなものがあるのか、といったふう
の小生意気な疑問に取り憑かれた人生でしたから。

自ら望んで“聖なる催眠”にかかりながら、どうすればこの人生を
避けられるかを妄想しつづけたようなものでした。

まったく、バカな人間もいるものです。(^_-)

といっても、そんな個人が存在するわけでもなく、ただそのような
夢が起こっているだけのようですが……。

(*^_^*)

さて、またまた一週間が過ぎて、楽しい“アセンション噺”ならぬ
「私は在る」噺に、お付き合いいただく今がやってまいりました。

『アセンション館通信』配達人の pari です。(^^)/

みなさま固有の「私は在る」を、いかがお過ごしでしょうか?

当たり前ですが、別の世界には別の風景と空気感があって、そこの
方々はその風景や空気を日常の現実として生きています。

旅人にとってはその風景や空気感は日常ではないので、その空間を
少し外から見ています。

それだけでも、けっこう楽しかったですが、そのなかで、あ、この
風景、夢で観た (@_@)、と思う光景に二度も遭遇しました。

過去に本や写真で観た光景というのではありません。

夢で、それとそっくりな光景を観たことがあったのです。

ひとつは、人混みで賑わう夕方の通りのある光景でした。

そしてもうひとつは、渓流の脇に立っているそのヴィラを、子ども
の自分が川の側から覗き込んだ夢を観たことがあったのです。

変ですよね。(^^;)

意識の一位相としてしかありえない束の間の光景は“夢”です。

見慣れた風景のなかを車で移動すれば、それは空間のなかを移動し
ているようでもあります。

でも、見知らぬ光景のなかを移動していると、まるで時間のなかを
移動しているような感じがするものですね。

それはその瞬間の光景でしかない。

同じ光景を求めて再度そこを訪れたとしても、まったく同じ時間が
そこで待っていてくれるわけではありませんから。

どうやらわたしは、ひたすら<生>から逃れる方策を求める人生を
送ってきたようです。

でも、そうやってみてわかったことは、たぶん、わたしは避けるべ
きものを間違えていたらしいということです。

わたしは、ひたすら思考を巡らせることで、生から逃れる方策を見
つけようとしていました。

ある意味でそれは“正しい”方策だったので、わたしは絶えず思考
によって生を避けることができた、とも言えます。

でも本当は、わたしが逃れたかったのは、多分、“心配する思考”
そのものだったはずです。

心配から逃れる方法を、一生懸命、心配のなかで探そうとしたわけ
ですよね。(^^;)

こういう類の心配を訴える相手に、ボブさんはこんな答え方をして
いました。

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 リタ もし何かを恐れていたら、私はくよくよ考えてしまうんで
    す。何度も何度も何度も考えてしまうんです。
 
 ボブ
 その通りです。
 私が言っているのは、別の見方をはじめなさいということです。
 「このすべてが何の上で起こっているのか?
  もし私が気づいていなかったら、このすべては起こることがで
  きただろうか?」
 と自分に聞くことをはじめてみるのです。
 それをすれば、あなたはあなたの自然な状態に導かれます。
 それが気づきです。
 いかなる状態においても、あなたは自分の気づきを否定すること
 はできません。
 いかなる状態においても、「私はいない」と言うことはあなたに
 はできません。
 あなたは存在意識から離れることはできないのです。
 
 リタ では、「私は感じている」と言う代わりに、ただ何かを感
    じるだけなら、かえって簡単にその感じを流せるのですか?
 
 ボブ
 ええ、なぜなら何の配達も受け取っていないからです。
 配達を受け取る参照点がありません。
 それでもまだ感情に基づいて行為するかもしれません。
 もし恐怖があれば、その危険を排除するために何かをする必要が
 あるかもしれません。
 しかし、あなたはその感情の配達を受け取らないのです。
 
 『Living Reality』(p293-296)
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じつに懇切丁寧な老婆心ですね。

すべてはあなたが存在するから起こっているのです。

すべてはあなたの存在を根拠にして起こっている。

心配も何もかも、それはすべてあなたの存在を脅かすものではなく、
あなたの存在を確証しているのです、と言っているわけです。

> リタ もし何かを恐れていたら、私はくよくよ考えてしまうんで
>    す。何度も何度も何度も考えてしまうんです。

ついつい余裕もなく、湧いてくる想念に注目してしまうこの状態、
よくわかります。

> ボブ
> その通りです。

これが誰にとっても普通の状態だから。

> 私が言っているのは、別の見方をはじめなさいということです。

はい。

> 「このすべてが何の上で起こっているのか?
>  もし私が気づいていなかったら、このすべては起こることがで
>  きただろうか?」
> と自分に聞くことをはじめてみるのです。

あなたが存在しているから、すべてが起こっているのです。

起こっているすべては、あなたの存在を脅かしているのではなく、
あなたの存在を確証しているのです。

なぜなら、その心配する想念は、あなたの気づきを背景にして浮上
していることは間違いないのですから、と。

> それをすれば、あなたはあなたの自然な状態に導かれます。

心配が自分という気づきの上に起こっていることを思いだすだけで。

> それが気づきです。

その気づきの上に「わたし」という想念も起こっている。

> いかなる状態においても、あなたは自分の気づきを否定すること
> はできません。

そしてまた、どう頑張っても、わたしが気づきでなくなることもで
きない。

「気づいている」というのが「在る」ということだから。

そしてわたしが気づいていなかったら、何ひとつ存在できない。

> いかなる状態においても、「私はいない」と言うことはあなたに
> はできません。

できません。

「私はいない」と言ったとたんに、言った人が存在する。(*^_^*)

> あなたは存在意識から離れることはできないのです。

わたしは存在意識そのもの。

> リタ では、「私は感じている」と言う代わりに、ただ何かを感
>    じるだけなら、かえって簡単にその感じを流せるのですか?

諸現象のなかで翻弄される立場に身を置けば、この発言も分かりま
すよね。

> ボブ
> ええ、なぜなら何の配達も受け取っていないからです。

諸現象のなかに配達を受けとる「わたし」という実体が、存在して
いるわけではない。

もちろん、身体過程は起こっているし、それと同時に、精神過程、
つまり心配する想念も起こっている。

現象世界の“あるがまま”として。

でもあえてその想念に注目して、流れに逆らわなければ、幻想され
た参照点に関連づけられないその想念もまた消えていく。

> 配達を受け取る参照点がありません。

配達を受けとる“当人”という幻想が維持されていないから。

> それでもまだ感情に基づいて行為するかもしれません。

これ、親切ですよねぇ。

そこでさらに旧来の“感情に基づいた行為”があってもいいのだ、
とコメントしているわけです。

> もし恐怖があれば、その危険を排除するために何かをする必要が
> あるかもしれません。

はい。

> しかし、あなたはその感情の配達を受け取らないのです。

あなたという気づきを背景にしてその感情は起こっている。

でもその気づきを背景に起こる諸現象のなかに、その感情を受取る
“あなた”という実体は存在していない。

……。

われわれはいつも湧いてくる想念に注目しているものだから、心配
が自分だと勘違いしてしまうんですよね。

でもじつは、その心配(想念)に気づいているのが自分です。

こんなこと、何十年も昔から聞いていることだし、知っているつも
りのことです。

でも、この事実が身にしみてくると、なんというか、何が起こった
としても、別に自分がどうなるわけじゃないんですよね。

そしてまた、そのことは同時に、自分は永遠に気づいているんだっ
てことも意味している。

それから「逃れる」ということは、ありえないわけです。

もちろん、眠るとか、気を失う、ということはありえます。

それは、気づいている状態が途切れること、ずっと気づいているの
がつらすぎるから、その一時休暇のようなものかもしれません。

でも、気づいていることが、別に緊張を要することではないことが
わかれば、その一時休暇も必要ないのかもしれません。

そして、なんの緊張もせずに、ただ気づいていられたら、たぶん、
起こっていることに注目などしなくなるかもしれませんね。

旅の途中で、何度かマハラジのこの言葉が浮かんできました。

「あなたが見ているものは、ほかでもないあなたの自己なのだ」

これはどういう意味なんだろうと想像していると、なんだか想像す
るまでもなく、当然のような気もしてきました。(*^_^*)

こんな文脈で出てくる言葉です。

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 質問者 しかし究極的に、世界は存在するのでしょうか、しない
     のでしょうか?
 
 マハラジ
 あなたが見ているものは、ほかでもないあなたの自己なのだ。
 あなたの好きなようにそれを呼ぶがいい。
 それが事実を変えることはない。
 運命(プラーラブダ)のフィルムを通して、あなた自身の光がス
 クリーン上に絵を描いていく。
 あなたはそれを鑑賞する人であり、光であり、絵であり、スクリ
 ーンでもあるのだ。
 運命のフィルムさえも自ら選択され、自らに課されたものだ。
 その精神は障害を乗り越えることを楽しむひとつの競技だ。
 その努めが困難なほど、真我の実現はより深く広いものとなるの
 だ。
 
 『私は在る』(p498)
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なんか、へえ、そうなんだ (-_-)、と思ってしまいますね。

そして、ひとつ確かなことは、同じ光景を見ても、別の人はけっし
て同じものを見てはいない、ということです。

これは、間違いないです。

そう思うと……、

「あなたが見ているものは、ほかでもないあなたの自己なのだ」

って、なんかほんとだよなぁ、と思われたのです。(*^_^*)

(-||-)

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 あなたは在る。
 ほかのすべては現れにすぎない。
 
 『私は在る』(p421)
------------------------------------

はい。

(-||-)

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 永久的なもの、それはあなた自身の存在である。
 真我として在りなさい。
 それが至福である。
 あなたはいつもそれなのである。
 
 『あるがままに』(p58) 
------------------------------------

……。(-_-)

ありがとうございました。<(_ _)>

(-||-)

今日はこんなところで。

……。

m(_ _)m


       ………○…………○…………○………


『私は在る』の「目次」はここ↓に置いてあります。
https://www.ascensionkan.com/books/I_AM_THAT-index.html

ときどき「ニサルガ辞書」で遊んでみてください。
https://www.ascensionkan.com/ndic/

新しい「ラマナ・マハルシ辞書」はここです。
https://www.ascensionkan.com/rdic/

おこがましくも『アセ通』既刊号はすべてここに置いてあります。
https://www.ascensionkan.com/mm/


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■ 2.ラングフォードの言葉:【第九章
                 どんどん放出法 実習指示】
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『The Most Direct Means to Eternal Bliss』
(『永遠の至福への最も直接の手段』)の順次紹介をつづけます。

今回は「どんどん放出法」の「実習指示」です。

いつものとおり、読めば一目瞭然の実習指示です。

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(本文は配信メルマガでお読みください。)

 『The Most Direct Means to Eternal Bliss』(p105-106)
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今回は、ここまでです。

本書は第十四章まであります。

少しずつ、ご紹介していきます。

(-||-)

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▼『アセ通』への「私は在る」関連ご意見投稿フォーム:
http://www.formzu.net/fgen.ex?ID=P48750702
というのを作らせていただきました。(^^;)

「私は在る」に関するご意見・ご感想・シェアリング、または単な
るメールなど、ご自由にお書きいただければと思います。


       ………○…………○…………○………


『アセンション館通信』への「ご投稿・情報提供」を歓迎いたします。

▼『アセンション館通信』への情報ご投稿フォーム
http://www.formzu.net/fgen.ex?ID=P87119518


       ………○…………○…………○………



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■ 3.編集後記:
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旅先に持っていったのは、上橋菜穂子さんの新著『鹿の王』の
上(http://goo.gl/ekI5aX)下巻(http://goo.gl/HeHlt8)です。

それと『アシュターヴァクラ・ギータ』(http://goo.gl/eWo3ne)
を持っていきました。

プールで泳いでは、

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 6
 幾生にもわたって
 幾つもの異なった身体を通して
 さまざまな快楽に
 あなたは身をまかせてきた
 息子や王国や妻たち
 結局はすべてを失うにもかかわらず……
 
 7
 快楽の追求はもうたくさん
 富も美徳ももうたくさんだ!
 世界という暗い森の中で
 それらがいったいどんな心の平和を
 あなたにもたらすというのか?
 幾生にもわたって
 あなたは骨の折れる仕事にこつこつと精を出し
 身体と心と言葉を苦しめ
 押さえつけてきた
 もうじゅうぶんだ
 やめなさい
 今!
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とかいうのを読むという、贅沢な時間をすごしました。(^^;)

想念に注目しては、あたら苦楽の淵に浮かんでいたのでしょう。

今日はすっかり昏くなりました。

お休みなさい。

<(_ _)>


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■ 【作者】 『アセンション資料館』主人 pari
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  → メール: pariアットマークjk2.so-net.ne.jp
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