━━━━☆☆☆☆━━━━━━━━━━━━━━ by paritosho ━
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☆☆ ☆☆『アセンション館通信』2014/11/2(第551号)
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☆☆ ☆★ 【気刊】――「私は在る」に導かれ♪――
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☆☆ ☆☆ https://www.ascensionkan.com/
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◇◇ このメルマガの趣旨 ◇◇
このメルマガはアセンション館主人 pari と称するあるパターンに
浮上している心象風景の報告です。
無限定の実在が在るゆえに、その光の中にすべての現象は現れる。
無限定で在ることが幸せ、限定された現象に成ることが苦楽。
個別の現象への自己同化(エゴ)が夢を見ること、無限定の実在へ
の自己同定が眼覚めること。思考は起こるが考える人はいない。
内容は人畜無害、でも読む人は相当変わっていますね。現在875名
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◇◇ もくじ ◇◇
1.『ただそのままでいるための超簡約指南』
2.ラングフォードの言葉:【第十章 永遠法】
3.編集後記
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■ 1.『ただそのままでいるための超簡約指南』
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自分の人生にだんだん問題がなくなってしまう可能性など、うかつ
なことに、あまり考えたことがありませんでした。
でも、どうも、あったはずの問題が、なくなっている。(-_-;)
はは。(^^;)
そりゃ、一瞬、欲望を持つと、確かに問題らしきものが現れたよう
な気がすることもあります。
解決しなければならない状況があるような感じも蘇ってくるし、
なんとかしなくちゃ、という想念も湧いてくる。
でも、その想念は、一瞬の想いであって、実体として存在している
わけでないことも自明です。
それに注意を注げば現れているだけのことで、忘れたらたちまち、
消えてしまいます。
いつの間にか、問題がない状態が起こってしまいます。
なにも無理やり維持しなければならないほどの欲望でもないので、
放っておけばその問題は消えてしまう。
それで別に困ることもないんだけど……。(-_-;)
そういうものなんですかねぇ。(^_-)
(*^_^*)
さて、またまた一週間が過ぎて、楽しい“アセンション噺”ならぬ
「私は在る」噺に、お付き合いいただく今がやってまいりました。
『アセンション館通信』配達人の pari です。(^^)/
みなさま固有の「私は在る」を、いかがお過ごしでしょうか?
いつも問題はあるはずだったし、自分は闇雲に覚醒を求める盲目の
エゴであるはずでした。
そのはずでしたが、と同時に「自分」という何らかの実体が存在す
るわけでないことも、もはやあまりにも自明です。
自分と言っても、実際に起こっているのはこの身体現象と想念だけ。
それがいま現在の経験として起こっているだけです。
あとはただ一連の経験の記憶に付けられたラベルすぎません。
“経験の記憶”といっても、どこかに実在しているわけでもない。
過去に注意が向けられたとき、一瞬今のなかに浮上する想念にすぎ
ません。
それに第一、そのときのその経験自体、恒常なものとして実在した
わけでもない。
一瞬、(わたしという)今の気づきのなかで現象しただけです。
そんなことがあまりに自明になってしまうと、自分という身体現象
や精神現象を、だんだん特別扱いできなくなってしまいます。
それは気づきのなかて起こる、ひとつの“出来事”にすぎません。
もちろん、長年の癖で、その“出来事”を自分だとも思います。
この身体現象と浮上する想念こそが自分だと。
でも、同時に、その自分は“楽に”なりたくもある。(^_-)
いつの間にか、自分であるはずのその“出来事”に執着するエネル
ギーが衰えているんですよね。
なんとなく本気になれなくなるのかも。
無駄なことをしなくなるというのか……。
諦めが早くなるというのか。(*^_^*)
そのひとつの徴候が、比較能力の減退ですね。
同じことかもしれませんが、自分の意見という確信も減退する。
自分はこう思う、という習慣的な想念も湧くんだけれど、と同時に
その想念に対するグリップがずっと弱くなっているんです。
それは“自分”がそう思っているのではなくて、そのように生きら
れているにすぎない、という観念が湧いてくる。(^^;)
そしていわゆる“他人”の思いに対しても、同じように、そのよう
に生きられているにすぎない、という観念が湧いてくる。
もちろん、そういうのはすべて単なる観念です。
でも、“刺抜きの刺”にはなるのかもしれない。
というか、まあ、半ば自動的にそういう観念が湧くわけです。
すると、結果的に、あまり問題を製造しなくなってしまう。
ユニークなクリエーターとしては劣化するのでしょう。
問題の維持能力が落ちて、問題の製造能力が落ちたら、そりゃ、
どうしたって、問題がなくなってきますよね。
今日、特にこんな気分なのは、resonanz360のヒロさんが翻訳され
た本を読み終わったせいかもしれません。(^^;)
http://resonanz360.com/2014/10/01/
『ただそのままでいるための超簡約指南』(J・ジェニファー・マ
シューズ著、古閑 博丈訳)(http://goo.gl/J6915P)です。
じつは、旅行に持っていきたかったんですが、amazonに注文したの
では間に合わなくなって、空港では見つかりませんでした。
で、結局、帰ってきてから手に入れたんです。
とっても小さな本で、あっと言う間に読み終えます。
哲学、神学、倫理学を学んだ方だそうで、語法がとてもユニークで、
なるほど、こういう方もいるわけだなぁ、と思いました。
ヒロさんは、ジョーン・トリフソンの推薦図書でこの方を知ったそ
うです。
確かに両者には親和性が感じられます。
【今ここの経験が存在するすべて】、という感じが、ジョーン・ト
リフソンの語法と似ています。
読んでいると、とってもユニークな角度からの言葉が飛んできて、
読み進めるだけ肩から力が抜けていく感じです。
例によって、少し言葉を拾いたいのですが、どうかすると全部にな
ってしまいかねない。(*^_^*)
いくらなんでも、それはできないので、絞ります。(^^;)
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自分、あるいは「自分運動」とも言える作用は、欠けているよう
な気がするものを探すというところにその特徴がある。
『ただそのままでいるための超簡約指南』(p21)
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これはいわゆる【エゴ】と呼ばれる想念現象のことでしょうが、
洒落てますよねぇ。
こういう警句がバンバン出てきます。
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自分の人生にはいつまでも消えない、手に負えない「問題」があ
るという幻想。
この幻想を人生から取り除くにはどうしたらいいだろう。
これを言うのはわたしが初めてじゃないと思うけれど、問題があ
るという感覚が、「問題を抱えた個人」という自己感覚と結びつ
いていることに気づけばいい。
『ただそのままでいるための超簡約指南』(p36)
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> 問題があるという感覚が、「問題を抱えた個人」という自己感覚
> と結びついていることに気づけばいい。
これはボブさんの「質問」と「質問者」と同じ関係のようですね。
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質問者は、質問それ自身に他ならないのです。
それらは互いに相殺し合います。
つまり、質問がなければ、質問者は存在しません。
質問や質問者がなくても、私は消えたり、崩壊したりしません。
その瞬間、あなたは心以前に存在しており、思考を超えているの
です。
『ただそれだけ』(p102-p103)
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まったく。
(-||-)
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わたしたちは、逃れようとしているまさにそのものを探し求め、
探し求めているまさにそのものから逃げている。
怒り、嫉妬、後悔、不安、強迫的な欲求、いわゆる「反応性」の
感情は、この根源的なせつなさからわたしたちを守ろうとする。
このせつなさを他の人や状況に投影するというのが、わたしたち
のいつものやり方だ。
はっきりした好き嫌いのある揺るぎないアイデンティティが自分
にはあると考える。
望ましくて追い求めるべき状況や人々、逆に好ましくなくて嫌悪
すべき状況や人々がはっきりと決まっている、ひとりの個人にな
る。
『ただそのままでいるための超簡約指南』(p42-43)
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> 怒り、嫉妬、後悔、不安、強迫的な欲求、いわゆる「反応性」の
> 感情は、この根源的なせつなさからわたしたちを守ろうとする。
著者は、この【根源的なせつなさ】(英語は何なんでしょう?(^^;))
という言葉でエゴレス状態を表現なさるようです。
> このせつなさを他の人や状況に投影するというのが、わたしたち
> のいつものやり方だ。
なるほど。
> わたしたちは、逃れようとしているまさにそのものを探し求め、
> 探し求めているまさにそのものから逃げている。
うまいこと言いますよねぇ。
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経験は、ここ、今、起こっていること以外のなにものでもない。
何が起こっている?
「起こっていること」の外に何かがあるということはない。
超こっていることは、それ自体の外側を指し示してはいない。
『ただそのままでいるための超簡約指南』(p56)
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ジェニファー・マシューズさんは、「経験」という用語を唯一の
実在といったニュアンスで使うようです。
そこから次のユニークな展開が生まれるのでしょう。
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でもわたしたちは、経験の外側にそういう場所があるつもりにな
っているんじゃないだろうか。
「自分」がそういう場所だと思っている。
「自分」という地点からだったら経験を言い表せるんだと。
もしくは、そういう場所がほかの人の中にあるということにして
いる。
『ただそのままでいるための超簡約指南』(p60)
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でも、あるのは「経験」だけで、経験する「自分」などいないとい
うことを、こんなふうに説明します。
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自分についてすごく熱心に知ろうとすることはよくあるけれど、
そんなとき、立ち止まって意識することもなく、経験の一部だけ
が自分で、それ以外は自分じゃないと恣意的に分けている。
単純な例だけど、天気のいい目はふつう気分がよくなる。
少なくともニューイングランド地方ではそうだ。
北欧の人たちにいたっては、ほとんど躁状態になるらしい。
いい気分と日光を別のものとして分けて扱う理由がどこにあるだ
ろうか。
いい気分はなぜか自分に属していて、日光はどういうわけかそう
じゃないとする絶対的な理由なんてあるんだろうか。
『ただそのままでいるための超簡約指南』(p61)
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> いい気分はなぜか自分に属していて、日光はどういうわけかそう
> じゃないとする絶対的な理由なんてあるんだろうか。
これなんか、まさに決定的ですね。(@_@)
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経験には隠された要素などない。
解明されるべき神秘など、どこにもない。
すべてが神秘だ。
そして神秘は今ここにあって、すでに明かされている。
経験の実存は経験の現れと同時に生じ、それは経験の現れと同じ
ものだ。
それが「ここにあるということ」だ。
『ただそのままでいるための超簡約指南』(p76-77)
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ふーむ。(-_-;)
> 経験の実存は経験の現れと同時に生じ、それは経験の現れと同じ
> ものだ。
あえて言えば、エゴもまたひとつの経験の現れ……。
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隠された自分が存在するという思い込みが問われないまま、そこ
から、自分が存在するのには隠された意味があるに違いないとい
う思い込みが生まれる。
あるいは、いつか到達すべき悟りという自己超越状態についての
思い込みが生まれる。
この観念は間違っているし、ひどい不安をもたらす。
生から生を奪い去ってしまう。
でもわたしたちは、生の経験から切り離された、個として閉じら
れた自分など存在しないと理解することができる。
このことは、夢から覚めたときを考えてみればわかりやすい。
『ただそのままでいるための超簡約指南』(p77)
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> あるいは、いつか到達すべき悟りという自己超越状態についての
> 思い込みが生まれる。
これなんか、まさにマイケル・ラングフォードとの対局にあるアプ
ローチでしょうね。
どちらも、正しい語法なんでしょう。
実際に、その両者が現象しているわけですから。
でないと、何らかの現象が正しくて、その他の現象が間違っている
ことになってしまう。
ジェニファー・マシューズの言葉が通路になる方もいれば、マイケ
ル・ラングフォードの言葉が通路になる方もいるのでしょうね。
そして彼ら二人も、その言葉に助けられるどんな個人も、存在しな
いわけでしょうね。
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わたしたちは、とてつもない問題、本当に考えられないほどひど
い神経症的な強迫観念を抱えることもある。
それでも、それは今この瞬間の経験にほかならない。
この理解は、いったんなじむと、ものすごい解放感をもたらして
くれる。
『ただそのままでいるための超簡約指南』(p77)
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(-_-;)
これまでのいわゆる“自分”の記憶をたどると、どの経験の瞬間も
それぞれせつない瞬間だったのだと思えてきます。
(-||-)
そして、それを次のような言葉にする方もいるわけでしょう。
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世界は華麗にきらめく空虚なショーだ。
それは在り、しかもそれはない。
私が見たいと欲し、それに参加したいと望むかぎり、それはそこ
に在る。
私が気にかけるのをやめるとき、それは溶け去る。
それは原因がなく、何の目的にも仕えない。
それは私たちが放心しているときに起こる。
まったく見たとおりに現れはするが、そこには何の深みも意味も
ない。
ただその傍観者だけが実在なのだ。
彼は真我ともアートマとも呼ばれる。
真我にとって世界は、それが続くかぎり楽しみ、終われば忘れら
れてしまう、ただの色鮮やかなショーにすぎない。
何であれ、舞台の上で起こることが彼を恐怖で身震いさせようと、
あるいは笑い転げさせようと、常に彼はそれがただのショーだと
知っている。
欲望や恐れなしに、彼は起こるがままに楽しむのだ。
『私は在る』(p196)
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> まったく見たとおりに現れはするが、そこには何の深みも意味も
> ない。
> ただその傍観者だけが実在なのだ。
このように言ってくれる方を待っている意識もあるのでしょうね。
リーラ(神の遊び)という言葉の意味合いが浸透してきますね。
(-||-)
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経験に無感覚になるのは、自分がまるで窮地に陥ったかのような、
まずい経験に巻き込まれてしまったという誤ったとらえ方のせい
だ。
こういうとらえ方は、それもまた、自分は経験をしているひとり
の個人だという誤った思い込みから生まれる。
経験をする必要はない。
あなたが経験だ。
『ただそのままでいるための超簡約指南』(p78-79)
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> 経験をする必要はない。
> あなたが経験だ。
こういう言い回しを聞くと、こんな言葉が出てきます。
> あなたに生きることはできない。
> なぜなら、あなたは生命そのものだからだ。『私は在る』(p536)
なんか、まるで職業病みたい。(*^_^*)
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自分は何かをしているひとりの人間だという観念は、かなり浅は
かな空想だ。
『ただそのままでいるための超簡約指南』(p79)
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こういうふうに、バッサリやるのもいいですね。(^^)/
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わたしの考えでは、(気づき)についての深い理解はそれ自体が
癒しだ。
そうなのだ。
ものすごく強迫的で神経症的な妄想や執着のただなかにあるとき
でさえ、唯一存在している「もの」である今この瞬間の経験から
離れることはありえない。
でも、この今の瞬間の目覚めている経験が、本当の意味で存在す
る唯一の「もの」だと理解して受け入れると、崇高なアイデンテ
ィティや不安をもたらす強迫観念を追いかける動機が消える。
『ただそのままでいるための超簡約指南』(p82)
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> でも、この今の瞬間の目覚めている経験が、本当の意味で存在す
> る唯一の「もの」だと理解して受け入れると、崇高なアイデンテ
> ィティや不安をもたらす強迫観念を追いかける動機が消える。
うん、いいですねぇ……。(-_-)
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思い煩うのをやめた瞬間、わたしたちは(気づき)としての自分
の本質と無条件に完全に完壁に一体になっている。
それが悟りだ。
しなければいけないことも、ならなければならないものも、本当
に何もない。
わたしたちはいずれにしても悟っているんだけれど、必ずしも想
定しているような悟り方をしているわけじゃないというだけだ。
『ただそのままでいるための超簡約指南』(p83)
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> わたしたちはいずれにしても悟っているんだけれど、必ずしも想
> 定しているような悟り方をしているわけじゃないというだけだ。
ほんとにそうですよね。(-_-)
そうとしか言えない。(*^_^*)
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目覚めなくちゃいけないとわたしたちは思い込んでいる。
でもその思い込みも、経験自体の中でのひとつの変わりゆく経験
にすぎない。
それはヒマラヤ登山に行くべきだとか、ヒマラヤへ出発するまで
に6号の服が着られるようにならなくちゃといった思い込みと、
構造的には何も変わらない。
『ただそのままでいるための超簡約指南』(p86)
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> 目覚めなくちゃいけないとわたしたちは思い込んでいる。
> でもその思い込みも、経験自体の中でのひとつの変わりゆく経験
> にすぎない。
ほんと、ほんと。(^^)/
(-||-)
マシューズさん風に言えば、あるのは経験だけ。
経験者と経験されるものがあるわけではない。
まさに、「リーラ」としか言えなくなるかもしれません。
その「リーラ」のなかには、意識内の経験に興味をもたない位相も
あるのでしょうね。
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あなたは在る。
ほかのすべては現れにすぎない。
『私は在る』(p421)
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はい。
(-||-)
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永久的なもの、それはあなた自身の存在である。
真我として在りなさい。
それが至福である。
あなたはいつもそれなのである。
『あるがままに』(p58)
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……。(-_-)
ありがとうございました。<(_ _)>
(-||-)
今日はこんなところで。
……。
m(_ _)m
………○…………○…………○………
『私は在る』の「目次」はここ↓に置いてあります。
https://www.ascensionkan.com/books/I_AM_THAT-index.html
ときどき「ニサルガ辞書」で遊んでみてください。
https://www.ascensionkan.com/ndic/
新しい「ラマナ・マハルシ辞書」はここです。
https://www.ascensionkan.com/rdic/
おこがましくも『アセ通』既刊号はすべてここに置いてあります。
https://www.ascensionkan.com/mm/
………○…………○…………○………
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■ 2.ラングフォードの言葉:【第十章 永遠法】
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『The Most Direct Means to Eternal Bliss』
(『永遠の至福への最も直接の手段』)の順次紹介をつづけます。
今回は「永遠法」の紹介と、その実習指示の前半です。
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(本文は配信メルマガでお読みください。)
『The Most Direct Means to Eternal Bliss』(p107-109)
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今回は、ここまでです。
本書は第十四章まであります。
少しずつ、ご紹介していきます。
(-||-)
………○…………○…………○………
▼『アセ通』への「私は在る」関連ご意見投稿フォーム:
http://www.formzu.net/fgen.ex?ID=P48750702
というのを作らせていただきました。(^^;)
「私は在る」に関するご意見・ご感想・シェアリング、または単な
るメールなど、ご自由にお書きいただければと思います。
………○…………○…………○………
『アセンション館通信』への「ご投稿・情報提供」を歓迎いたします。
▼『アセンション館通信』への情報ご投稿フォーム
http://www.formzu.net/fgen.ex?ID=P87119518
………○…………○…………○………
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■ 3.編集後記:
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いろんな世界があるようです。
そういうものをとても大切にする気持ち、堪らないと感じる気持ち、
嫌悪する気持ち、そういう意識もあるようです。
でも、そういうものが、実体として存在しているわけではない。
ただ、経験として現象しているだけ。
すべての個人は、ひとつの経験とも言えるでしょう。
ならば、すべての個人は神のリーラ、とも言えるでしょうね。
そしておそらく、それは、神が望んだわけでもないのでしょう。
そしてやっぱり、それは、神が望んだのでしょう。(*^_^*)
神だから⇒あなたが。
今日はすっかり昏くなりました。
お休みなさい。
<(_ _)>
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■ 【作者】 『アセンション資料館』主人 pari
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→ メール: pariアットマークjk2.so-net.ne.jp
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